>>18
いや、そうでもない。徳川の勢力はこの時点でまだ三河・遠江を掌握しているぐらいで、
駿河一国加増は甲州征伐後のことだから日が浅い。
甲斐に触手を伸ばして河尻を追い落としたのは戦略として大正解だったけれどね。

家康としては北条が甲斐・信濃から手を引いてくれて大助かり。
武田の領国を丸ごと併呑できて、精強でならした武田旧臣も掌中に。
軍勢の強さは徳川>北条だろうけど、経済力では北条>徳川。
長期戦に持ち込まれたら、西国で急成長していた羽柴勢に思うようにやられたんじゃないだろうか。

氏政はあくまで東国の経営と勢力の伸長を望んだわけだが、秀吉の抬頭によってすっかりくじかれる形となってしまった。
1982年の判断ミスさえなかったら…と、北条側の記述が書いてあるのも無理はないかなぁ…。