>>30
違うよ、思いっきり関東出身。そういうあなたは東海ご出身?
地政学っていうのがあるけれど、当時の徳川は“まだ盤石の体制を整えたわけではないのに…”という思いがあってこそ、
その五代記の表現はあるんじゃないのか。
駿河はまだ手に入れて半年。精強な徳川勢といっても、北条は背にする大敵が背後にいるわけでもなく、動員兵力からいっても
駿東郡方面から圧力をかける戦略はあっただろう。(実際、今川相手に氏康は戦を仕掛けている。)
結果から語るのは無責任といっても、西からは羽柴秀吉の大勢力がひかえるようになるわけでな。

歴史にIFを求めるなってことなら、北条五代記のあの文言はナンセンスということになってしまう。
何をしても秀吉の勢力に打ち破られていたさ…と言えるかも。
俺的には北条・徳川の同盟(氏政の妥協)は、徳川を利することとなり、北条滅亡の序章になったという話だ。
徳川は小牧長久手で秀吉相手に戦況を有利にすすめながらも、後に講和・恭順。15年も苦労した甲斐あって天下人へという英断。
北条の方は、徳川と同盟結んでも秀吉勢力をどうすることもできなかった。西日本を制覇した相手の実力を完全に読み誤り、時期を失して滅亡。