【第二十八回】太平記 part.29『大塔宮逮捕』 [無断転載禁止]©2ch.net
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ふと思ったが大塔宮みたいな○○宮って呼ばれ方、他の皇子にはないの?
なんか聞いたことがない気がする >>5
↑
あーあw
キミの発言って相変わらず何の進歩もないね。ここの住民も学習能力がなさそうだし。いいかい?
児童福祉法違反で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em
学ばなきゃ。覚えなきゃ。基礎ができてないから、キミたちはいつまでも同じミスを繰り返すんだ。俺の背中を見て欲しい。わかったかい? デジタルリマスターできんのかね?DVDボックス持ってるけど画像粗い。Blu-rayで撮影秘話とか入れて完全版出して欲しい。 Amazonで届いた『関東公方足利氏四代』読み始めた。
登子さん、子だくさんだったんですねー。
尊氏・直義・師直の関係がハラハラするよ。バランス悪すぎ。
足利氏も名門だけど、上杉家もなかなか。お公家の出だったんすか。
これが今大河でやってる上杉景勝につづいていくのかな?
自分が秀吉だったら、恥ずかしくてこんな名門家の面々の前に出られんわ。
やっぱ源氏の血は欲しいところですね。
政略結婚で濃くなりすぎておかしな病気になるのはいやだが。 >>4
そういう「○○宮」って言い方は、普通は世襲親王家における家号みたいなものだからね。
他に、通称的に当人に馴染みの深い地名とかを冠して「○○宮」という言い方はするかも。
後醍醐の皇子では他にも例があるかは知らない。
あとちょっと違うが、懐良親王は「征西将軍宮」と呼ばれていたかな。
>>9
関東下向前の上杉氏って、実際は公家というより、公卿になれるかも微妙な地下官人レベルだよ。 >>3
死ぬだけやんけw
前スレのレス見て思ったんだけど、ショーケンの時の義貞は無骨で得体の知れない腹芸武士に見えたけど、根津さんの義貞は無骨だけど不器用でちょっと残念な武士になってた。
其々が演じてた時期のせいもあるけどね。自分は根津さん派だわ。 >>8
リアル世代じゃない自分はあの粗さが当時の空気みたいなモンを感じて良いなあ。
Blu-ray酔うってのもあるんだけども 勢いパネエ!!
ちなみに戦国幕末よりも南北時代のがすきです 脇屋義助と楠木正季と足利直義
それぞれ凄い兄貴に隠れてしまった弟だが
兄貴より有能だったのは結局いない
演技では足利直義>>>脇屋義助>死んでも越えられない壁>楠木正季
けどね 戦国幕末は純粋にその歴史が好きってヤツばかりじゃないだろ
ゲームだの新撰組の薄い本だのそっからきてるヤツ多いやろ 正季の素手スタイルはけっこう好きだったぞ!
ドラマはともかくリアルの直義さんは能力的には尊氏出し抜くことも出来たと思うが(てか一度勝ったし)
彼ブラコンが重症すぎてなあ
南朝に降って京へカムバックしたときも尊氏と義詮の息災祈願とか一人で始めちゃうしダメだこりゃw >>11
名和長年が死ぬのは「大塔宮逮捕」の回じゃないぞw >>18
29話じゃ率先して捕縛する係だっけ?あの人の声聞くと夏休みのあなたの知らない世界?思い出すわ〜 >>20
武将のジャブからのストレートなwあれはやり過ぎw >>12
リアル世代だが当時小3くらいだったわ。せっかくの判官殿のド派手な衣装や北畠親房の古い鎧とか高画質で見たいのよ。
メイキング映像も是非とも見たい。需要あると思うんだがなー。 しかし北畠正親しかり真田丸の正信しかり龍馬伝の山内しかりあの役者ははずれなしでいい演技するよなあ >>24
そりゃ器用なハズだ。
足先でピアノ弾いてたんだゾ! 後醍醐から家紋もらって無邪気によろこぶ、名和長利が可愛いかったな。
悪役が多かった小松方正サンだったからなおさら。 >>16
川中島の合戦に真田幸村と伊達政宗が参戦して大喜びしているような層だからなw きっかけがないだけで南北朝も薄い本層にウケるポテンシャルはありそう 薄い本…
昼間は毅然としている後醍醐も、閨に入れば廉子に罵られ打たれていたりして。
「デトロイト・メタル・シティ」の松雪さんばりに。 南北朝時代もゲームにして、ヒットすれば大河でまたやってくれるかなぁ 天皇をゲームのキャラにするのってどっかからか苦情くるのかな? >>33
百人一首で天皇をはじめ上皇・貴族などすでにキャラになってるから大丈夫じゃない? >>28
あの層は男色が公然として行われていた背景におまんこを猛烈に濡らしてしまうだけで時系列とかは全く興味ないからな >>34
めっちゃイケメンで若々しい後醍醐とか尊氏になるんだな。
直冬とか薄幸の貴公子みたいに描かれるんだぜ。女子に受けてさ。
楠木なんか田舎のとっつぁんみたいなのにイケメン設定か?
北畠はまあわかる。 >>35
最近よく聞く、刀剣女子っつーのもゲーム関係でしょ? あれも戦国?
元々ちゃんとした刀好きには迷惑な輩だよな。
名刀披露となると、おかしな女どもが駅前からわいてくる。
ほんとに刀が趣味のおじいちゃんとかはギャルに押し出されてちゃんと見られず……。 >>24
松平広忠の頃とかだと、そこまで凄くもないけどね。
それこそ北畠親房の頃から物凄くなったような。 >>38
多分年を重ねる毎に凄みを増す人なんだろうね >>39
黄金の日日の三成ほんとすこ
アショー殿もっとたくさん見たかったなあ実質ラスボスなんだしもうちょっと出番あってもよかったじゃん >>41
常陸を根拠地に南朝関東司令官だったもんなぁ。
まぁ九州の懷良・菊地のように勢力を保つことができず、スゴスゴ畿内に引き上げたようだけど。
ちなみに来年の大河の井伊一族も遠州の有力な南朝方だったが、この方面の親王派遣はうまくいかなかったみたいだな。 >>37
でも杏みたいなマニアックな女もなあ。まあこっちの偏見で悪いんだけどさ 平成の今の世の中で、ゴクミが男装した北畠顕家を演じさせるならどの女優さんがいいかね?
だいたい二十歳前後で。そこそこ演技力ある人。
菜々緒とかどうかなーと思ったんだけど。
(そうなると自動的に尊氏が松坂桃李になって殺し合いになってしまう) >>44
男装の似合う美人が思い付かんが松坂に真田の変わりは無理なのだけは分かる ゴクミの顕家って評判いいの?
どう見ても女にしか見えなかったし普通に男性に演じて欲しかったんだが
このドラマの数少ない汚点の一つでしかない >>42
浜名湖の北の井伊谷へ行くと、宗良親王がいた場所とかがあるし、
井伊氏の勢力がかなり大きかったこともうかがえる。
懐良(征西大将軍)&菊池氏ほどの巨大な勢力とまではならなくても、
宗良(征東大将軍)&井伊氏も、南信〜東海エリアでは、それなりの勢力は保持していたのでは? >>48
しかし顕家って、数え年21歳で戦死する美少年だからなぁ。
男性の役者を充てたところで、どうせジャニーズとかになったんじゃないか? >>50
今だったら、今年秀頼やってる中川くんでいけるんじゃない?
2〜3年すれば、もう無理かもだけど >>50
うーん、一番いけてた頃のタッキーとかかな? >>49
それなりってw九州の田舎猿はコレだからw
南朝の最大の拠点は三河国で、井伊谷は三河国と接しているだろ
まずは三河国ありきなんだよ
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市全域は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる 引き続き私本太平記読んでんだけど、なんつか、すごいね、後嵯峨といい大塔宮といい。
ホントに宮さんか?
後醍醐が太平洋戦争のときの天皇だったら、と考えると恐いわ。 >>48
北畠親子の件とかあれで良かったと思う
役者の汚点を上げるなら
足利直冬と楠木正季だろ というか、この大河の顕家の配役を殊更に批判する人って、
顕家が“若年で死んだ公家出身の美少年”であるという事実をわかっていなくて、
壮年まで生きたゴツい武人タイプの人物とでも勝手に思い込んでいるんじゃないかな? 顕家が不評なのはゴクミが美少女じゃなく美女になっちゃってる点だと思う。
針を射落とす後ろ姿のケツが完全に女女してるのがオレも不満。最期の自害のシーンとか前だけ見てるとキリッとしてんだけどねえ〜 >>58
だな
それに当時の武家も公家も
祭や戦では一見勇ましくても
両刀使いやらオカマやら沢山いたし
それが日常 高氏役がはまりすぎたと思ってたら二年後に「秀吉」で石田三成役で出てたののには萎えた >>62
5年後だよ。
「太平記」→91年
「秀吉」→96年
あと94年「花の乱」の細川勝元役は、当初真田広之の予定だったが、
不都合があって野村萬斎に代わったという話を聞いたことがある。 >>56
なに丸だか忘れたが子役はけっこううまかったなぁ、ハングリーなカンジがして。
預けられた寺でも問題児でさ。
今も役者やってるのかな? 真田さんは太平記の尊氏と高校教師の役が雰囲気かぶるね。
どっちも基本良い人なんだけど、優柔不断で事件等に巻き込まれ担がれタイプ。あ、あくまでドラマん中の尊氏ね。 直義は江戸幕末の薩摩に生まれていたら大久保になれた >>65
実際尊氏って、人を惹き付ける魅力というかカリスマ性は凄いものがあるけど、
一方でリーダーシップという点では疑問符がつく人物だと思う。
だからいつも、尊氏についてくるたくさんの武士たちを巻き込んで、
みんなで一緒に右往左往している感じじゃね? >>66
逆に高氏は新政府に不満抱えた地方の藩士達を取り込んで東北あたりで西南戦争やってそう >>68
なんといっても直義との二元政治という失策につきると思うわ
ただでさえ癖の多い地方の侍ばかりなんだからそれこそ求心力高めなアカン時期に中途半端に将軍のまま直義に権力持たせたらそら子供心満載の直義君ウキウキになって兄貴鬱陶しく思うわ >>70
でもあれを後世的な見方で失策と批難するのもどうかと思うよ。
尊氏・直義の二頭政治は、明らかに鎌倉期の将軍と執権を念頭においているわけで、
武家政治の理想を得宗専制化する以前の鎌倉幕府に見ていた、初期室町幕府にあって、
尊氏・直義のあの権限文掌が成立したのは極めて自然な流れ。
尊氏自身も当初は、将軍は鎌倉幕府の将軍と同様の御輿の地位でよく、
実際の政治は直義のような政務能力の高い人物にやらせればよいと思っていたようだし。 権力譲るといいながら恩賞関連は渡さず栽許はお前がやれよ(^^)vとか言われたら
俺が直義ならキレる 尊氏が残りの人生田楽見て楽しくやりたいから政治はお前がやれとか言ってるんだからしょうがない >>72
忠輝から「沢口靖子の相手役」鉄板だよな。並ぶと非常に絵面が綺麗。お雛さんみたいで >>73
それは鎌倉幕府だって、恩賞に関しては、執権・連署が出す下知状とかではなく、
将軍あるいは将軍家政所が発給する下文でやることになっていたのだから仕方ない。
単に先例を踏襲しただけ。 >>75
沢口靖子の兄は勝野洋というのも、共通するね。 【極楽時流北条家】
北条一門の中でも有数の濃さを誇る一族
その濃厚さは勝野洋の妹沢口靖子を通して足利将軍家にも継承され、後に小林勝也・市川団十郎・玉置浩二等を輩出する
主な一門衆
・平幹二郎
・川崎マヨ
・羽賀研二
・渡辺徹
・宮迫博之
・勝野洋 >>71
師直がしゃしゃり出てこなければうまくいってたかも?と? >>79
師直がどうこうよりも、南北朝の問題の長期化こそが、
鎌倉幕府を模倣した二頭体制の破綻の最大の要因でしょう。
鎌倉期には、執権が行使する統治権的支配権に対して、
本来将軍に帰属する主従制的支配権が注目されることは、正直あまりなかったが、
南北朝の内乱の長期化は、将軍の主従制的支配権に否応なく焦点を当てることになったわけで。 地図が欲しいわ。
現代の県じゃなくて。
後醍醐が笠置までどう逃げたルートとか、尊氏が九州まで逃げたルート、東京住まいの自分には西日本の方がぴんとこない。
鎌倉と近所の中先代の乱跡だけは知ってる。
どなたか市販の歴史地図かサイトかご存じでないかの。 >>71
>鎌倉期の将軍と執権を念頭においているわけで
尊氏が?
それはないわ ほんとだ
てかそれよりスレ番2つも入れる必要がない気がするが てかなんで最近太平記スレが伸びてるんだよ
ミーハー層なら戦国やら幕末はアニメゲームもあるから分かるが南北朝はそんなに人気なんか? >>85
戦国幕末朝ドラもどきばっかしでこういう大河に餓えてんだろう。もうこんなの金も人も掛けて作れないだろうけどさ。 佐藤先生このかた主従制、統治権で割ったけど、近年では権限の考察が細かくなってきて、
所領安堵のみならず尊氏の必殺技だった恩賞充行も直義が行使してたことが指摘されたり、
あるいは執事施行状の独自性が指摘されたり、どういう風に線を引くか議論が続いているからややこしい。
尊氏の掌握した権限が決定的だったとは言えない−内戦の結果として権限の集約が進んだだけ−なのかも
この辺は学説状況をまとめた論文とかあったら読んでみたいところ。 >>85
陰謀ルームの駆け引き+合戦によるホームランのハイブリッドの面白さかな うーん
廉子さんってすごい黒いね……
ドラマでも島脱出するとき他の愛人突き飛ばしてたし
原作でもかなり黒い……
後醍醐とすげえお似合いだね…… >>87
確かに佐藤氏が最初に、尊氏=主従制的支配権、直義=統治権的支配権という図式を提示し、
その後、この尊氏と直義の関係は、要は鎌倉期の将軍と執権の関係が念頭にあるとの説が出て、
ほぼ定説化しているけど、鎌倉期と比べても権限の分掌が曖昧で流動的なのは事実。
まあ南北朝の問題もあって、緊急時には尊氏の権限を直義、直義の権限を尊氏が持つことは、
ある程度許容されていた可能性もある。
後の話だが、観応の擾乱後に尊氏が鎌倉に長期滞在している時期には、
尊氏と京都の義詮(直義の地位を継承)が、権限の中身ではなく、
地域によって管轄を分けていることからも、それはある程度推測されると思う。
もっとも直義による所領宛行の下文の発給は事例が極めて少なく、
一方で尊氏が下知状(裁許状)を発給することも基本的にはないけどね。 >>85
いつもの面子で雑談してるだけだよ
なにしろこの時代は不人気だから話し相手求めてなんとなくこのスレに集結してるだけ
いやもちろんここの皆さんはこの大河めっちゃ愛してるけどね
おれは佐藤先生と同じくw直義の扱いが気に食わんのでさっさと太平記新作やれよって思ってるが 他の大河は雑談すらない有様ですけどね.......... しかし鎌倉幕府の下知状では「〜状、依鎌倉殿仰下知如件」という結びが一般的なのに、
直義の下知状では「〜状、下知如件」となっていることは、
古文書学の世界では常識かも知れないけど、面白いよな。
将軍を完全に名目上の地位に祭り上げた執権北条氏でさえ、表面上は将軍を立てているのに、
直義の下知状ではそれが全く見えないというのは、どういうつもりだったのか興味深いね。 戦う天皇の異名を持つ希な人物だからなあ
武烈や後白河天皇もある意味バトッてたがこちらは本格武闘派だね >>102
後白河も相当したたかなお方でしたね。
幽閉されたり逃亡したり。清盛や頼朝相手に根性あった。
後白河に金属バット持たせたのが後醍醐…みたいな感じ。タチが悪い。
道誉は少年時代から高時にお仕えして寵愛受けていたいたけど、その、BL系な寵愛は受けていたのだろうか…… >>95
というか室町幕府の発給文書なら、奉書文言を入れるにしても、「鎌倉殿」とは書かないよw
だいたい室町幕府の将軍は「鎌倉殿」ではないし、尊氏・直義の二頭政治期だと、
「鎌倉殿」と言ったら義詮のことになってしまうわけで。
室町幕府の発給文書で将軍の仰せを受けたという形の奉書文言を入れるなら、
普通は「依将軍家仰」あるいは単に「依仰」だろう。 >>103
私本はそれっぽい表現あった気が。
だが鶴太郎と陣内ではその想像を脳が拒否する。 >>102-103
武烈なんて実態は不明だし、後世に伝わっている話も、どこまで本当かわかったものじゃない。
あと後白河は、基本的にその時々の事態の推移に行き当たりばったりで対応しているだけで、
長期的な視野とか政治センスなんて欠片もない人物だし、後醍醐や後鳥羽なんかと違って、
本人のなかに“政治をこうしたい”みたいな理想とかが特にあるわけでもない。
父親の鳥羽院が「帝の器にあらず」と評したのがまさに当を得ているような感じだよw >>106
ところで平幹二郎の後白河上皇はなかなか味があってよかったなあ
太平記でも高時役いけそうだったけど鶴もいるから迷うな >>106
そうだね。
時局によって義経に乗り換えたり、まずくなると頼朝に乗り換えたり。
でも結局頼朝を封じ込めることは叶わず亡くなるものね。。。
後醍醐みたいに、かくたる崇高な志を抱きて現政権(鎌倉、両統政治)に立ち向かったわけじゃないんだね。
後白河はなんかこう…姑息な感じがするね。対局をを見極めてなくて、とにかく目の前の出来事に対峙、みたいな。
今様にハマってたんだっけ?
遊び心の抜けきらない方だったのかね。
去年、日テレの土曜9時の北川景子のドラマ見てたら、尊氏の母ちゃんを発見した。
教会のシスター役がだったが、びっくりしたなあ、もう。
相方の緒形拳さんはとっくに故人なのに、この方は現役でお元気そうだった。
この方は直冬の処置をめぐって登子と言い争いをしているシーンが印象的。 後白河は中途半端に政治に首を突っ込まずに、純粋に文化人として生きていたほうのが、
本人にとっても周りの人間にとっても幸せだったと思えるような人物。
この点では足利義政と似たようなタイプ。 尊氏の母ちゃんも花燃ゆだかのナレーション途中降板して天に召されませんでしたっけ。
見た目も声も田中絹代たんみたいでしたね。 花燃ゆのナレってシャアじゃなかったっけ?
尊氏母はまだ生きてるの? >>105
そうそう。
今ちょうど私本読んでるとこなんだけど、道誉と高時の関係の描写がなんだか艶かしいんだよね……。
確かに鶴と陣内のイメージで固定化されてるから、想像したくはないのだが。
高時はドラマより原作の方がより阿呆に描かれてるね。ぼへーっとよだれたらしたりしてさ。これじゃおつむの弱い発達障害児か何かだよ……。 >>108
俺は母ちゃんが直冬とはじめて顔を合わせた元服の場面でなんだがあまり歓迎してないようなぎこちない表情してたのが印象的 秀吉で治部役してた真田広之の少し剽軽な感じがなんだが太平記で当主になる前の馬之助と京で遊び歩いてた頃の若き高氏と被ったわ >>115
秀吉見てなかったから、真田広之出てたの今知った。
レンタルで見てみようかな〜。
でもどうせ、いつものように、「性格の悪い三成」なんでしょ? 官兵衛のときの田中圭みたく。
今年の山本耕史系の良い人三成じゃないよね? >>113
高時の愛人は出てくるの?
ドラマだと尊氏が高時に拝謁してる時、愛人とイチャついて真田尊氏が「ダメだコリャ」みたいな顔してた場面が印象に残ってる。 >>116
真田広之の三成は個人的に最悪レベルだったなあ、キャラというか扱いがね
石松丸殺したことにさせられたり豊臣の癌とか言われたり・・真田さんにはおれが全力で謝りたいレベル
やっぱ黄金の日日の秀吉と三成がナンバーワンよ、貞氏パパとアショー殿なw 秀吉の真田治部は自分も嫌い。初登場の褌踊りくらいだ。大体アクションスターにアクションさせない趣向としてもあの扱いは無い。
考え事する時に指をこすり合わせるとか作りこんでたけど、もったい無かった。
最初の方竹中直人恐々蹴ってたもんねw中の人同士は今でも仲良しらしいけどw >>111
つい数年前の朝ドラ出てた気が。朝ドラ観てないのでどれだかは知らんけど....
時代劇好きなので市川雷蔵の眠狂四郎で不幸な目に遭う娘さん役の印象が強いw 我らが大御所役以外では、やっぱラストサムライの氏尾がかっこええな
スピンオフを作ってもらいたいくらい >>110
藤村志保がナレーションを途中降板した大河は一昨年の「軍師官兵衛」だよ。
あと降板しただけで亡くなってはいない。 尊氏の念持仏が地蔵菩薩って興味深い
母の上杉清子の影響が大きい
足利宗家の嫡男だと大日如来だったり聖観音菩薩だったりするが
現世に余程憂いを持っていたんだろうな >>111
ほんとだ…ごめんなさい。
風林火山の寿桂尼も好きだったからまた大河でみたいです。 >>117
高時の愛人っておかっぱ頭の少女だよね?
気をつけて読んでるけどそういうの出てこないよ。今後醍醐が島を脱出したとこまで読んだ限りだけど。
確かあの女の子って当時売れてたタレントで、事務所が押してたんだろね。
今でいう剛力とか武井咲的ポジにいた子だと思われる。
その後あんまり売れなくて消えていったのでは。 つうか大河「太平記」ヲタには常識レベルだと思うが、
小田茜は「太平記」放送の前年の国民的美少女コンテストの優勝者。
「太平記」の顕子役は、当時12歳の小田茜が高時の側室役になったということで、
後藤久美子の顕家役とともに、当時かなり話題になった。
あと小田茜は、その後もかなりいろいろなものに出ているし、
人気も近年の剛力や武井なんて比じゃないくらい凄かったと思うぞ。
もっともここ数年は、出産&育児に専念ということで、
ほとんどドラマ出演などの活動はしていないみたいだが。 すぐ消えただろ小田茜
知名度もゴクミ以下
ここ数年というより少なくとも十年以上は話題になってない
当時のドラマ若手で残ってるのは宮沢りえくらいか 武井も静御前やってたけど微妙だったな。
それだったら平徳子と淀殿やった二階堂ふみの方が生き残れるかな。
今後も大河常連組だろう。 >>127
小田茜は売れないまま坊さんとの純愛昼ドラでプチブレイクして結婚式引退zysないっけ?
オスカーのグランプリはパッとしないまま結婚引退多い >>129
すぐに消えてなんて全然いないと思うけど。
少なくとも7、8年前までは結構いろいろなもので見かけたし。 >>98
戦火から逃げる女性の着物がはだけてて、ポロリしてた記憶がある >>113
「高時はそうは思わぬ」も原作にも出てくる台詞なんだが、ドラマと違ってアホの言葉扱いになってたな。 >>134
それを言ったら原作や歴史知らないとなんで二枚目俳優の真田広之に「虫喰い瓜」っていうかわからんてw この時代知らん人間ゆえに許して欲しいのだが、後醍醐に逆らったとして戦前までは尊氏は逆賊扱いだったのでしょう?
でも尊氏サイドにだって北の帝を担いでいたいたわけで、こっちだって立派な皇室ではないか、と。(統一後の、現在の皇室だって北朝の直系なのに)
それなのにどうも世間はのちの世はどうも後醍醐側に肩入れしすぎてるよね。
その後の天皇は北朝からずっと出てるのに、どうしてそんなに南の後醍醐贔屓なの?
それとも、南北、直系関係なく天皇にはむかったって時点でアウトなの?
なら、承久の乱のときの北条氏はなんも後世言われてないん? 清盛は? 尊氏ってある意味南朝より北朝の扱いがぞんざいな気が
正平のときとか後光厳さんのゴリ押しの経緯とかさ
後醍醐さんには頻繁に供養とかやってるからなんだかなあと感じずにいられない >>136
神皇正統記をなぞった大日本史が南朝びいきでそれを尊王の志士が広めて、明治政府の力で強まった。
ただ、明治末期までは尊氏=逆賊みたいなヒステリックな話ではなかったらしい。
ちなみに承久の乱については、神皇正統記から「あれは道理に合わないことをした後鳥羽上皇が悪い」って扱い。 >>139
天龍寺船とかね。
わたしにはこの人(尊氏)の性格がようわかりませぬ。時々死ぬ死ぬ騒いだりして……。
ちまたでは躁鬱病だったのでは?と言われてますね。
よくわからんが言動が極端すぎる。
ドラマではマイルドになってるけど。 >>141
死ぬー出家するーばっかり言ってた「らしい」よね。とにかくこの時代が扱い難いのか大河ではスポッとないんだよねえ〜
幾ら人気があっても戦国→幕末→戦国ばっかじゃ飽きてしまう。でも安パイなんだろうなあこの辺が この時代で主人公にできるのが
正成と尊氏と道誉と菊池くらいしかいない
大塔宮とかドラマチックなんだけど後味が… 大河は天皇と皇族と宗教家は主人公にしちゃ駄目らしいね。
南北朝もギリギリだったみたいだし
清盛のときもちょっとクレームきたみたい >>143
新田もいけそう
越えられないライバル高氏への対抗心めらめらな主人公で >>127
アホらしw
当時はネットがなかったから今みたいにごり押しみたいな言葉なくて
よくテレビ出てたら人気があったと思われてただけ >>147
北陸新田王国を特盛りに盛って
ものすごい希望に満ちた最終回でのサドンデスか >>136
この時代に対する見方は、江戸期までは明らかに北朝が正統というほうが主流派。
江戸幕府も室町幕府の後継政権としての武家政権いう体裁を取っている面がある以上、
室町幕府が擁した北朝を否定することは、自己の正統性の否定にも繋がりかねないからね。
しかし明治期に歴史教科書の記述をめぐる問題からいわゆる南北朝正閠問題が発生して、
南朝が正統ということにされてしまった。
無論、近代の皇室は北朝の子孫だし、明治政府の樹立に貢献した薩長の藩主や公家たちも、
ほぼ南北朝期には北朝方にいた人々の子孫ということを考えれば、滑稽としか言いようがないが。 >>140
『神皇正統記』の承久の乱に対する評価は確かにその通りだが、
戦前の国定教科書では「承久の乱」ではなく「承久の変」と書くのが基本になっていた。
皇室のほうから乱を起こすというのはおかしいという理屈がその背景にある模様。 南朝が正統っていうのはあくまで南北朝時代はってことじゃなかったのか?
北朝の中でも後光厳系は正統性に欠けるところがあるし
事実ちょっと情緒不安定なのが多い
後光厳系が称光院で途切れたのは勿怪の幸いだったんじゃないだろうか 情緒不安定……
愛子様2週間学校お休みだが、やっぱりメンタル弱いのだろうか?
昨今は一般人の血が入るようになったけど、皇室って昔になればなるほど血が濃くなって奇形も生まれやすいんだよね。 >>153
順番この約束破ろうとしたのが後醍醐天皇だしなんともねえ。どっちの親王を後継にするか決まってないから「順番こにしてちょ」って言う以外ないし。
勝手にどっちかに武家が決めたほうがお公家さんおこらはるやろw
>>154
その辺こそタブーでは >>150
峰岸純夫は、義貞の戦死が余りにあっけなかったので、
その悲劇性を盛り上げるために逸話を創作したのではと推測してる。
実際には瘧で出陣が遅れてたと結論づけてるね。 大日本史が南朝正統で書かれていて
それに影響された幕末の志士達が徳川嫌い(=足利嫌い)になって
自分達を南朝方になぞらえるようになり
「どっちが正統なんだ?」って論争になったとき
「南朝こそ正統!」
になったんだろうか 直冬の子役はよかったのに尊氏直義の子役は壮絶に棒だった気がする 尊氏の正室って沢口靖子か。
べっぴんさんだったな。
確かまだ独身だよね。
今もお菓子のCMや二時間サスペンスでたまに見かける。
直冬の中の人は、大河のあとにあすなろ白書というトレンディドラマ(死語)に出てヒロインの相手役だったがやっぱりイメージ曖昧。
脇のキムタクの方が覚えてるな。まだ俺様化する前のキムタク。
最近テレビから直冬の人見ないけど映画か舞台でもやっとるんだろうか。 >>153
少なくとも後光厳系の皇統が続いている間は、幕府も後光厳系による皇位継承を支持していた。
事実、崇光の子供の伏見宮栄仁の皇位請求を退けているし。
ただ後小松から称光への皇位継承が行われた頃から、
称光およびその同腹の弟がいずれも病弱ということで、
後光厳系と崇光系の皇統を統一する好機と考える空気が生まれた雰囲気。
後小松にも庶出を含めれば、一休とか他にも皇子がいないわけでもなかったが、
彼らは仏門に入れられたまま、顧みられることはなかったわけで。 >>161
壮絶な棒だったのは新田の子役やな>>160
>>160
あの当時の赤井はひどかったやね
活舌が悪いだけじゃなくて、セリフ覚えが悪いせいなのか
頭の中で覚えたセリフを吐き出すだけで精いっぱいで、
セリフを言い終わるまでは体の動きが止まるんよね 最近の子役は優秀やね。
俳優女優にそこそこ雰囲気にてる子連れてくるし、泣きの演技も普通にできる。
こども店長とか昔の芦田愛菜とか(あくまで昔の)
今年の秀頼、清盛のときの頼朝の子もいいね ヤフオクで太平記のストーリー本買った。
まだ全部読んでないけど、北畠父(近藤正臣)のインタビューで、
「(どっかの河川を守る何かの)デモに参加しています」
と普通に書かれてあってびっくりした。
現代だとアウトじゃん。
昔は緩かったんだね〜。乳も映ってたくらいだし。 >>9
買ったわ。
資格試験のついでに読んでみる。 私本の文庫版、四巻まで読了。
明日から折り返し。
半分読んで、正直、道誉が主役なの? と思わせるくらい魅力的に描かれている。
(そしてちゃんと陣内ぽい)
尊氏の影がまだ薄い。
藤夜叉の扱いが酷い。
この点においては尊氏も道誉も鬼畜。
直冬もそりゃグレるわ。
個人的には赤橋がいい人過ぎてつらい。
高時は小学生並の情緒しか持ってなかったのか。
ドラマのときは武田鉄矢のおっさんだったから楠木もそう興味なかったけど、小説で読むと感情移入する。あんな後醍醐のためにあんたが出ていかなくていいよ、と。
今のところ尊氏・直義・師直の関係は良好。今後が恐い。 >>162
直冬役は別の大河で竹中半兵衛や松平容保やってたぞ 高時による円喜暗殺(史実では高資か)って
成功してたとしてその後の展望はあったんだろうか >>172
NHKのスペシャルドラマで
日本史上最高の名君のひとり、上杉鷹山をやったよ
ミスキャストの極みだった >>173
それはどうか分からんが、嘉暦の騒動は事件の構図としては、
時宗期の二月騒動や貞時期の嘉元の乱なんかと似ているね。
得宗側から目障りな奴を潰そうとするが、失敗したり予想以上に強い反発が起こったりすると、
いずれも態度を一転させ、事件の責任をうやむやにして収拾を図るという感じだし。 >>165
個人的には、芦田愛菜とかは子役の自然な演技に見えず、違和感がどうしても抜けなかったが。
>>169
バブルの頃なら、金にものを言わせた土建屋の乱開発に対して、
自然環境を守れみたいなデモが起こることは結構普通にあったし、
それに参加したからといって、その一事だけで殊更に危険人物と見なすような雰囲気は、
正直あまりなかったと思う。 親房さんの客間はやたらおしゃれだよね、椅子にテーブルだし
大陸趣味みたいな感じ? 真田広之がカッコよすぎる件について〜
平成の今の世の中にはもうアクション俳優なんていないか
あ、なんとか官兵衛やってた岡田准一がかなりいい線いってるけど、あそこの事務所が大嫌いだから微妙
アイドルやってる岡田なんてテレビで見た日にゃ苦々しい気分になる
真田さんの後継として俳優業専念してほしい >>171
それはまことか?
道誉ファンは買うべきや否や イケメンでアクションもできて今後も大河やってくれそうなのは岡田と堤くらいしかいないな
アイドルが嫌なのはわかるがかく言う真田さんも当初はアイドルだぞwww
ジャニは嫌だが岡田がなんとか官兵衛を気に入ってたのは伝わった
まあもう真田尊氏みたいなものは見れないから太平記リピートしまくろうw
>>179 北畠顕家を討った後の師直と判官どのが
酒宴しているところに塩谷高貞が遅れて
奥方を連れてやってくる所を観てるけど
あの時の判官どのの不敵なニヤけは
初めから師直をハメて失脚させるために
塩谷夫妻を呼ぶつもり(という脚本)だったのかと
勘繰ってしまう。
((((;゚Д゚))))))) >>180
原作の道誉はオレ様だけどわりとやってることはお茶目だなw
尊氏には序盤以外あんま相手されてないのがドラマとの違いかな >>182
むしろ道誉は塩冶をハメるつもりだったようにも思えるが。
塩冶氏が持っていた出雲・隠岐の守護職は、(その失脚後、一時的に高氏や山名氏に行くが)
最終的には京極氏のものになるわけで。
× 塩谷
○ 塩冶 >>184
女口説くのに兼好法師に仲立ちお願いしてるとか可愛いなと思った。 そういえば自分は幼少期に「真田太平記」を見て、その後に「太平記」を見たので、
「太平記」のオープニングの真田広之の字幕を見て、“真田広之って真田信之の子孫?”って、
勝手に思っていた記憶がある。 >>183
俄然興味が湧いてきた
著作権は20年で切れるのか? 道誉、つか、道誉の衣装が好きすぎる。
ドラマでは限られたパターンしかなかったけど、もっと見たかった!
道誉の衣装は凝ってるから宮廷女官の衣装より金かかりそう。
あと、あの時代の兜鎧は本当に美しい。無駄に重そうだけど。
戦国になると一気に地味になるからね。実戦向きというか。 >>185
師直の矛先が塩冶に向かうよう仕向けたということか
師直は道誉と利害が一致してるから、師直を嵌めるメリットはないだろうね
実は、それほど深い意味は無くて、単に師直が塩冶の妻に懸想したのを見て
面白がって師直をけしかけただけかもしれん
火の無いところに火をつけるのを楽しむ人っているよね >>189
だって俺青空文庫で持ってるもん。ドラマは20年前だけど原作はもーーーーっと古いっしょ >>190
大鎧は綺麗だよねー特に大袖の配色がいいのを尊氏が毎回着てんの。
道誉はラッキーカラーの黄色を大鎧にも普段着にも常に身に付けててこれまた美しい。こんだけ金掛けて良い役陣内って後にも先にも無いよな。
尊氏もたまにバサラな着物着てて、衣装を観てるのも楽しいよね! >>192
尊氏が着る鎧は大鎧(おおよろい)と言って騎馬武者が着るめっちゃ重い鎧。騎馬=偉い大将格
騎馬じゃないと30キロ位ある鎧の重さが全部肩に掛かって歩けない。その代わり和鞍(わぐら)に跨ると丁度安定して楽。
胸に付いてる(名前失念)板も矢を射り易い様、守り易い様左右のデザインが違う。兜の返しが大きいのも上から矢を射かけられた時用に大きいの。
鉄砲が登場してもっと簡易なもんに変わっていった感じ。
五月人形が着てるのは大体これだね。 >>194
うんうん。
真田尊氏も陣内道誉も、カラーがすごく綺麗で似合ってるんだよ。
この二人は名門のエリートだもんね。
着てるもんも立派だ。
(山奥の中小企業社長の楠木には真似できないところかな。まあ武田鉄矢には似合わないか)
公家だとモックンの千種になら似合いそう。キリリとしてるから。
あーなんか今私本読んでる最中だけど、久しぶりにドラマ見たくなった。
原作と照らし合わせながら見てみたいな。
TSUTAYA行ってくるかー。
それにしても謎なのが、後醍醐の新政で、なぜ赤松に恩賞がなかったの?ということ。実質ゼロに近い。
俺は散々頑張ってきたんだから大丈夫!という自負から、公卿連中に賄賂渡さなかったのか?
古来中国の各王朝で、皇帝の寵妃が政治に口出しして、結果国を滅ぼした……という例はたくさん聞いてきたけど日本だと阿野廉子が筆頭だな。
北畠顕家も呆れている。 >>195
体重プラス30キロもあったら、馬の負担はさぞかし……汗
戦国期の兜はいまいち簡素で物足りない。
兜にばかりこって、なんとか官兵衛の息子の長政の兜は、一目見たとき、バーベキューの鉄板か?と目を疑ったほど。 戦国期以降の大鎧の衰退と当世具足の隆盛は、弓とかの飛び道具をメインに使う階層が、
身分の高い馬上の武士から、一般の歩兵に変化したことが大きいといわれる。 >>197
赤松が大塔宮派だったのを、廉子一派が排除したっていうのが大方の見方じゃね?宮も結局武家嫌いだから廉子一派と揉める事を避けて切り捨てた。
そんな惨めな目に合ってる時に、尊氏が色々尽力してくれたから恩を忘れず何があっても赤松一族は尊氏に忠誠を誓ってたし。
後醍醐天皇始めお公家さんが武士舐めすぎ(特に大覚寺一派) >>198
馬はそん位屁でもないよ。米俵満載の荷車引く位力持ち
まあ戦国時代の兜は一種の目印だから。一騎打ちとかしない代わりに派手な兜で大将アピール。誰だっけぬこ耳の鎧w
直江の愛(意味は今と違うけど)が個人的には一番こっぱずかしい >>197
湊川の辺りでは大河でも大鎧着てたけど、やっぱり似合わんかったねえ@楠木さん >>200
恩賞での不当な扱いは、大塔宮派最大の軍事力を持つ赤松を廉子派が排除するためってことは、
このドラマのナレーションでも、ちゃんと言及されていたね。
あと北畠親子を陸奥へ行かせたのも、大塔宮派である彼らを中央政界から排除するためと。
これに関しては、「島流しにでも遭うた気分じゃ。おお、こは言うてはならぬことw」
という親房のセリフに凝縮されていたが。
>>202
湊川の戦い辺り場面での楠木の鎧兜は、恐らく皇居前にある楠木正成の銅像がモデルかな?
角が3本の兜とかも同じだし。 藤原荘園が巨大だった平安時代ならいざ知らず
承久の乱にしても建武政権にしても公家は武家なめすぎだよな
武士を野犬くらいに見てたとしてもうまく飼い慣らさないからこうなる
平忠盛やら源三位を盛り立てすぎて自滅したのに愚かなことよ え? 今の東京の皇居の前に楠木の銅像なんてあるんだ!?
初めて聞いたー
神奈川県民で東京には通勤してるけど皇居一回も行ったことないわ >>197
千種さんは1回くらい鎧着てるシーンあったよね。戦場じゃなく軍議のシーンかなんかで。
ゴクミも鎧着てると身体つきが女っぽいのが隠れて凛々しかった。声はどうしようも無かったけどw 大学の平家物語の講義で聴いたが、昔の馬は今のサラブレッドみたいなんじゃなく、ロバみたいなヤツだったと聞くぞ。
南北朝の時代もそう変わらなかったんじゃねえか。 最近DVDで見始めたんだけど、
毎週楽しみにしていた真田丸が急につまらなく感じるようになった。
足利尊氏は視聴者の心まで奪いとる真の逆賊だわ >>209
太平記に限らず、昔の大河は名作揃いだったよね。外れが少なかった。
昨今は娯楽や録画派が増えたせいで視聴率が下がったっていうけど、それでも内容が酷いのが多い。
江(少女漫画?)とか天地人(途中で脱落)はありゃひどいだろ!
最近の視聴者は骨太大河よりも、スイーツアットホームな大河を好む傾向があり。
たぶん来年の女城主なんとかもコケル。
再来年の西郷どんも、こないだ堤さん民放のドラマでは3パーセントだったのに大丈夫か? >>208
そだよ。今では「甲斐駒」と呼ばれているポニーみたいなのが日本の馬。山道に強い足腰の強い馬。それ程速くはないけど力持ち。
サラブレッドが入ってきたのは明治以降だから銅像なんかの凛々しい騎馬武者は嘘。本当は足を鐙から外したら地べたに足がつく位。 >>210
堤さん蹴ったと聞いたけどやっぱやんの? >>212
思いつき直虎の視聴率がヤバイとみて、次は手堅いリメイクの西郷サンにしたんだろうが、やりようによっては女城主はヒットする予感。 >>207
千種忠顕は、足利高氏(当時)が、六波羅探題の軍議を経て、篠村八幡宮で挙兵する直前、赤松円心と千種忠顕の謀反軍前を素通りして、という場面でも、大鎧を着ている。 >>211
絵的にはあまり格好がつかないね…
乗ってる人の鎧兜が華やかなだけに
でも昔の人の平均身長は今よりずっと低いはずだから、まあなんとかなったかな?
ゴクミくらいならちょうど良いかもね(笑) それから、ここまで誰も、この大河ドラマの主役、真田広之さんの事を知らないのか?この人あっての、太平記だったのに。今日は、真田さんの、56歳の誕生日です。 ああ!!!今日誕生日だ!!!!おめでとうございますだ!! 道誉の衣装(左右で色違いのやつ)って宮沢りえが「Dream Rush」を歌番組で歌ってる時の衣装を参考にした、って本当なのかな
黒と赤の色違いで似てると言われれば似てるんだよね ・・・では、頼朝や家康に比べて尊氏には何が欠けているのか? ここで気が付くことは、頼朝・家康にあって尊氏に無いものは「非情さ」だということだ。
頼朝が「非情の人」とされるのは弟義経を死に追いやったからであり、家康が「非情の人」とされるのは、豊臣家を完全に滅亡させたからだ。
特に非難されるのは、かつての「主君」であった豊臣秀吉の孫を幼児であるにもかかわらず、京の六条河原で処刑したことである。もちろん何の罪もない。ただ、豊臣の血筋を断つためにそうしたのである。
読者の皆さんにも思うところがあるかもしれない。
「頼朝は義経を殺さずに助けてやればよかったのに――」
「家康は豊臣家を滅亡させないで一大名として残してやればよかったのに――」
こうした「If」に対する答えは何だろう。
頼朝は弟義経を暗殺しようとして失敗すると、奥州藤原氏に圧力をかけて殺させた。なぜ義経を許せなかったのか?
簡単に言えば義経の行動を認めてしまえば幕府そのものが崩壊する危険性があったからだ。
弟義経は殺さざるをえなかったのである。
そして家康の場合はどうだろう?
豊臣家は家康以前に天下の主であった。その直属の家来であった大名も大勢いる。
しかも家康は老齢で豊臣家の秀頼は若い。
家康が死んでしまえば、豊臣家に味方する大名も多く出るだろう。
おそらく全国が、また関ヶ原の合戦の時のように真っ二つに分かれ、戦国の世に逆戻りとなっただろう。
だから、秀頼も殺されざるをえなかった。つまり、本当の指導者は非情さを兼ね備えていなければならないということである。
私情に流されて決断をしないことはかえって状況を悪化させる。
足利尊氏は「いい人」であったが故に、南北朝という不安定かつ大混乱の時代を招いたといえる。
中近世の封建社会においては逆に絶対権力さえ確立されれば、社会の秩序が整備され恒久の平和が訪れるのである。
ここまで歴史を見ればよく分かる。それでも、日本人はなかなかそういう評価はしたくない。
日本人は独裁者を嫌う。逆に言えば、日本人は歴史に学ぶことの下手な民族だといえるのではないだろうか。 もろなおのレイプシーンが
エロゲーの臭作にしか見えない >>221
こんなここの住民なら既に知っとるような当たり前の事書かれてもねえ >>206
家康とやらも楠木正成の遺伝子を受け継いているから問題ないわな
松平親忠(第4代当主)
正室:母親は鈴木重勝の娘
・加茂(足助)重長→足助重秀(母親は源為朝の娘)→重朝(母親は安達盛長の娘)→重方→親方→貞親→重範→重員(母親は楠木正成の娘)→重勝
家康とやらに源為朝、安達盛長、足助重範、楠木正成の遺伝子イン >>200
三河は調べたか?
大塔宮とか何ピントズレた事言ってんだよ
足利と赤松は古くから三河でグルだろうが >>221
織田信長は足利義昭を殺害も幽閉もせずに泳がせているけどね。
また豊臣秀吉も織田秀信を大名として存続させている。 >>218
昨日であってるよ。7月ってどこから出てきたんだろう? >>231
中々の返しじゃが旧暦だと1ヶ月ほど後ろ倒しじゃろ! 私本読んでるけど、早速尊氏の言動がおかしい。
いつかは頼朝のように武家政権を!と心に抱きながら、ひたすら京では宮方の動きに警戒しているのに、
後醍醐から呼ばれて懐柔策で
「わしの尊の字あげるよー」
と言われたら感激している尊氏……。
私本の作者はそれとなくフォローしてるけど、なんか変な感じ……。
武家政権立てたい!
でも後醍醐は好き!
……いろいろと矛盾が多いな。
あと、直義救出で鎌倉に向かった尊氏。
大塔宮に悪いから出家する!
(形ばかりの寺ごもり)
だんだん不穏な部分が見えかくれしてきました。 >>233
史上の尊氏も両方持ってる矛盾した人間だけど
私本太平記の執筆の頃は、尊氏の逆賊イメージが残ってて吉川英治はそれを払拭したかったんだよ。
湊川の戦いの前にも、尊氏が正成に必死に「私は不忠者ではない」と弁護するシーンがある 今日朝早く起きてこの前BSでやってた陰陽師録画して見たんだが真田広之と師直役の人が一緒に出ててワロタw
仲いいのかな? >>235
共演=仲良しは無いだろうけど、真田広之は尊氏と同じく人たらしらしいから仲が良くても驚かない >>233
不思議か?
大覚寺統の本拠が三河だからだろ、足利一門は三河が好きなんだよ
加えて、この大覚寺統の本拠は、足利尊氏の先祖が開発した荘園だしな
だから、足助とか三河鈴木氏とかの一貫して足利に反抗した南朝シンバなんか滅ぼされていないだろ
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市全域は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる >>234
それは読んでてすごく伝わってくる。
作者が尊氏をすごくアゲようとしているのは。(奇行もひたすらフォロー)
だいたいはドラマの尊氏の感じかな。
ちまたで書かれている、戦前の足利尊氏…逆賊とか最近の躁鬱話とか……というのはスルーされて、とても人間くさい良い人に描かれている。
でもそんな吉川さんの中の尊氏が自分はとても好きだなあと思った。 豆だが、家康とやらはトモちん(源頼朝)の跡取り息子の正室の兄の血を引く
源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ
源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁
・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁
■修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964)
木造大日如来坐像
http://www.butsuzoutanbou.org/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C/%E4%BF%AE%E7%A6%85%E5%AF%BA/
本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。
実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点では作品は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。
納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。
髪はB型とO型の血液型の人のものであるとのことで、2人分であることが判明している。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。
『吾妻鏡』の1210年7月8日の条に頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、辻殿の髪と思われる。またもうひとりは、母である北条政子である可能性がある。 >>162
王様のレストランも最悪だったな
ミスキャストもいいとこ
あの役は東幹久みたいなお上品な人がやるべきだったわ そういや真田さんがストーリー本の中で、
「僕は天秤座なので平和主義なんです」
とかなんとか言ってたな。
夏じゃないじゃん。 >>227
どっちがすごいのかは、これを見て、チミが判断して欲しい
関東〜関西間の日本地図
年収1000万円以上世帯が8%を超える地域(「世帯の年収マップ」より)
https://news.careerconnection.jp/wp-content/uploads/2015/12/1202_nenshu.jpg
富裕層が住む街 首都圏編 http://aurora1025.blogspot.jp/2014/02/area-in-which-wealthy-live-volume-on.html?m=1
富裕層が住む街 関西編 http://aurora1025.blogspot.jp/2014/02/area-in-which-wealthy-live-volume-on_6.html
富裕層が住む街 中京編 http://aurora1025.blogspot.jp/2014/02/area-in-which-wealthy-live-volume-on_18.html?m=1
市町村別平均年収ランキング(注意、東京都港区が抜けている)
01横浜市青葉区__:741.1万円21東京都渋谷区__:617.6万円
02東京都千代田区_:716.1万円22三河県豊田市__:616.9万円
03横浜市都筑区__:705.3万円23さいたま市緑区_:612.6万円
04東京都中央区__:670.6万円24千葉市緑区___:611.4万円
05三河県みよし市_:670.5万円25川崎市宮前区__:610.8万円
06さいたま市浦和区:667.1万円26三河県幸田町__:610.0万円
07三河県田原市__:659.5万円27神奈川県逗子市_:609.1万円
08三重県東員町__:658.3万円28三河県刈谷市__:607.1万円
09千葉県白井市__:653,1万円29横浜市泉区___:606.0万円
10千葉県浦安市__:646.4万円30三河県安城市__:604.5万円
11大阪府豊能町__:641.8万円
12千葉県印西市__:641.0万円
13川崎市麻生区__:639.0万円
14兵庫県猪名川町_:634.3万円
15東京都目黒区__:633.2万円
16三河県吉良町__:631.6万円
17東京都文京区__:630.3万円
18兵庫県芦屋市__:627.7万円
19兵庫県三田市__:625.4万円
20神奈川県鎌倉市_:622.6万円 そういや皇国史観による日本三大悪人の内二人が大河の主役やってるんだね 茂木:さんま、松本人志は政治的な風刺まったくしてない。
イギリスとかアメリカだと政治的な風刺をしない人はコメディアンじゃねーんだよ。
日本はそこらへんのリテラシーがまったく低くて。
夏野:とくにね、芸能界の重鎮と言われてる人のコメントが浅すぎて…。
一番浅いのはビートたけしだよね、ビートたけしはひどい…。
茂木:お笑い三天王とか四天王とか言われてる人たちは国際的な水準で言うとコメディアンじゃないんですよ。
日本にはコメディアンはいない。
テレビの駄目さを熱く語る茂木健一郎と東浩紀と夏野剛
2016/06/21(火)
https://www.youtube.com/watch?v=k7VETULgdlI
↑
日本にはコメディアンはいない。 私本読んでたら…出た!
「おれ、もう、出家するわ!」
尊氏、出家するってよ(主演 真田広之)
周り、超いい迷惑。
しかもギリギリのところで中止してるし。 主役やってると言えば将門、尊氏、やってないのが弓削道鏡か? 足利なら素直に尊氏直義の兄弟モノやってホスィ
三谷は勘弁な 道鏡 北条義時辺りは深夜枠だな
陰謀ばっかやっててゴールデンでやったら引かれそう 二十年前の太平記やってた時代に三谷なんか出てきたらブーイングの嵐だろう。
なんだよ、あの「黙れこわっぱ!」は。
シリアスなシーンで「なんとか官兵衛」……。 足利義満に一票。
年取った道誉を拝める。陣内さんでお願いします。 >>250
太平記以上のものは出来そうもないしあのイメージは壊さんで欲しい。
菅原道真とかでいいじゃん、将門が出来るんだから怖くない怖くない! 私本も文庫本6巻までいきましたー
ただいま鎌倉の寺にヒッキー中の尊氏
京からは足利とうばつの新田軍が!
戦には俺もう出ないから!と言い、仕方なく直義が出陣。
ドラマでは道誉がキレてなかったっけ?
足利惨敗、もう直義も危ないというのに寺から動かない尊氏
ユーはアホなの!?
やっとこさ動いたと思ったら神風のような速さで新田軍蹴散らし、直義救出。ついでに道誉も戻ってくる。
さあてここで。
なんで尊氏はこんな危ない賭けに出た?
私本では、吉川氏が「研究家の間ではこう言われてます」といくつか挙げてるけど、自分には例の極端尊氏が出てきたのでは?としか思えない。 >>253
義時は「草燃える」で主役に准ずるような扱いで出てきたよ。 >>258
足利の御大将にも色々と考えがお有りになるのよ。
っていうか「サッサと行っとけや!!」っての多いよねえ。大河は道誉の偽の勅令の演出で救われてるけど、アレないとタダの駄々っ子 >>256
今のNHKに足利義満をやる度胸はないでしょ、主人公も題材も色んな面でリスキー過ぎる。
今や戦国と幕末を隔年でやるくらいのビビりになってるんだから。
で信長秀吉家康や隆盛竜馬新選組あたりを出さないと視聴率取れないと思い込んでるのがNHK。
太平記はいのちから始まる大河ドラマ視聴率全盛期だからこそ企画通ったって面もあるし。
その時だって局の内外から反対意見が多かったと言われてるくらいだし、まあ左右の連中が鬱陶しいってのもあるが。 >>261
聡明なときとアホなときあるね。
「もう死ぬ」
「もう出家する」
だから、もうほっといて!!
(大抵、後醍醐絡み)
直義や道誉、その他家臣えらい迷惑。 >>262
皇室乗っ取り〜っていうのは高校まで知らんかった。
金閣(寺)作った人だってくらいしか。
一休さんに出てくるアレは義満だよね?
皇室乗っ取り以外なら、知名度的にはセーフな気がするんだが。少なくともおんな城主よりは。 義満は二条良基の導きのもと、朝廷の延命に力を貸したともいえる >>264
でもその乗っ取り説は一つの仮説に過ぎず、必ずしも多くの研究者が支持しているわけでもない。
それにこの程度の仮説なら、織田信長とかにも普通にあるけどな。 髻切って鎌倉の寺に引きこもってた時の近従が細川頼春。三代義満の管領細川頼之の養父 世知辛い世の中になってもうたなあ…
これじゃ未来永劫足利に脚光が浴びることなく大河も真空状態じゃんかよはーねんまつ
未だに皇国どうのこうので騒いでるやつら本当は歴史興味ないやつらだろ >>270
よーするに世間様の抗議が怖いんだよ。幾ら視聴率関係無いっつっても誰も観ないドラマ作るワケにもいかん。
で、去年のおにぎり立ち聞き娘みたいな無難なつもりで朝ドラ風のをやってみたらえらい事になって再来年はまた幕末の西郷どん。
来年のベルばらベルばら言われてる直虎で惨敗したら余計に守りに入って戦国幕末のルーチンですよ。
もーこういうの飽き飽きなのに!!!道鏡でも道真でも陰謀渦巻く壮大な歴史物やって欲しい!!!なんなら将門リメイクでもいい!!!......ダメか役者がいねえわw >>267
細川頼之って頼春の実子だと思っていたのだが、養子だったの? 源氏将軍家断絶後の河内源氏で、一番嫡流に近いというと吉見氏とか?
鎌倉期には全然勢力がないが。 本流っていえば河内源氏のだろうが頼政が似仁王の乱に巻き込まれた時も
傍観してた源氏が多いしな。足利なんか平家に味方して一番乗り果たしたり
してる。この頃から関西の源氏には総領がいない状況だったんでは? そもそも八幡太郎義家が源氏嫡流ではないだろう
誰もが平家の嫡流だと疑わない忠盛も祖父以前ははっきりしない 義朝「嫡流とは力で奪い取るもの」
頼朝「ぶっちゃけ母親の身分だよね」 源義家は河内源氏嫡流だが
遡れば源満仲の嫡男が頼光だから摂津になるのかいな?
河内源氏の嫡流なら頼家で途絶えたのでは? 清和源氏摘流は摂津源氏 → 頼政の時点で既に河内源氏のほうが優勢 → 以仁王の乱以後没落
河内源氏の頼朝が征夷大将軍になって河内源氏が清和源氏の摘流化 → 実朝で断絶
河内源氏庶流で最大勢力の足利尊氏が征夷大将軍になって河内源氏の摘流化イコール清和源氏の摘流化 → 現代に続く 鎌倉幕府の末期だと、足利が最大勢力なのか
新田や佐竹(冷遇されてる?)
平賀(承久の乱で没落?)
武田(鎌倉初期に分断工作されて没落中?)
吉見など(頼朝弟の家系、没落中?)
木曽(細々と生き残ってる?、戦国の木曽氏は騙り?) 足利が最大勢力ですがな、他にいるか源氏で。あと実朝で断絶って忘れるなよ、なんだよ頼家って 鎌倉殿が作った幕府って言っても
御家人が半端に力を持ってるから
西欧みたいに、本家が絶えたから傍流が継ぐのは
無理あるかな >>279
優勢か否かと言う問題ではないと思うが・・・。 >>276
それぞれ“河内源氏の嫡流”“伊勢平氏の嫡流”とは言ってよいだろう。
“清和源氏の嫡流”“桓武平氏の嫡流”だと話が変わってくるが。
>>279
ただ少なくとも平治の乱の段階で、頼政や光保などの摂津源氏は、
河内源氏の義朝とは無関係に動いているよな。
>>282
西欧の中世も、封建諸侯が半端なく大きな力を持っていると思うよ。 キャスト
足利義満 ?
春王(足利義満)高村佳偉人(子役)
佐々木道誉 陣内孝則
三宝院満済 柄本佑
細川頼之 ?
細川玉子 安藤サクラ
観阿弥 ?
二条良基 ?
赤松則祐 ?
征西将軍宮(懐良親王) ?
足利満詮 ?
足利康子 ? もうちょっと若ければ海老蔵
花の乱でやった義政役なんかより傍若無人ぶりがぴったりとちゃうか(´・ω・`) >>285
細川玉子、足利康子って誰?
>>286
じゃあ同じ「花の乱」繋がりで、細川頼之は野村萬斎とか? 細川頼之の正室で義満の乳人 細川玉子
義満の御台所で日野家出身 康子
康子を利用し義満は天皇の准父となる。
二人とも義満を描く為には欠かせないかな? >>288
観阿弥は宇梶サンかな?
カラダが大きい人だったらしいし。 >>288
豆だが、当時、三河国碧海荘の本家は持明院家な
ここにマサやん(斯波義将)の先祖代々の墓所があって寺を建てている
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした
永源寺
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に三河国碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。 >>280
豆だが、豊田市の山に小木曽家つーのがいて、木曽義仲の子孫と言っている
小木曽姓は東濃と三河に多い >>274
範頼の息子の姉妹は天皇のかーちゃんだから、家格的に文句なく鎌倉将軍の資格がある
危険視されないように大人しくしなあかんだろう
鎌倉期の吉見氏のケツ持ちは足利氏
■正法寺(三河県豊川市赤坂町西裏69)
創建年:弘仁7年(816年)
開基:万巻上人
中興:了信坊(源範円)
・源義朝→源範頼(三河守)→源範円(正法寺(三河県豊川市)僧侶)→源為頼(初代吉見氏、室は小山朝政の娘)
正法寺の創建は聖徳太子が赤坂の地を訪れた際、太子堂を建立したことが始まりと伝えられている
弘仁7年(816)、万巻上人が病により太子堂で亡くなったことから、上人を開基と定め寺院として開山する
当初は天台宗の寺院でしたが貞永元年(1232)に親鸞が太子堂の参拝に訪れた際、当時の住職範円(源範頼の子息)が親鸞に教化され浄土真宗に改宗する ぼくがかんがえたたいがどらま的なスレは埋もれてるけどあるだろ、そっちでやってくれ。
或いは脚本書いてNHKに持ち込め。 頼政と言えば、大河内氏だな、知恵伊豆や大河内政敏を排出した
こいつ等も足利とはズブズブの関係
■平治の乱〜治承・寿永の乱(1160〜1185年) 三河武士■
【三河県岡崎市】
・藤原氏(藤姓熱田大宮司家):源頼朝・足利義兼(初代源姓足利氏)の母方
・大河内氏:源頼政の孫、源顕綱を祖とする
【三河県豊田市】
・足助氏:足助重長が祖、高橋荘、高橋新荘(皇室領荘園)荘官、娘は源義家の正室(辻殿)
【三河県豊川市】
・星野氏:藤姓熱田大宮司家、星野範信(源頼朝・足利義兼(初代源姓足利氏)の叔父)が祖
【三河県豊橋市】
・小野田氏(安達氏):小野田荘(大陽寺荘)、安達盛長
【三河県蒲郡市】
・方原氏:方原師光(武田義清の次男、平賀義信の従兄弟)が祖、形原郷の荘園(正確な名称は不明)の下司
・鵜殿氏:熊野別当家(湛増の子)、鳥居禅尼(源頼朝の叔母)の孫が祖
【三河県新城市】
・千秋氏:藤姓熱田大宮司家、千秋憲朝(源頼朝・足利義兼(初代源姓足利氏)の従兄弟)が祖
・野田氏:藤姓熱田大宮司家、野田忠季(源頼朝・足利義兼(初代源姓足利氏)の従兄弟)が祖
・設楽氏:三河伴氏
・富永氏:三河伴氏 >>285
足利義満を主役にすると、配役が難しいので、佐々木道誉を主役で、陣内さんにした方がいい。 >>288
それさ、当時の女性の名前を婚家の姓で呼ぶことって基本的にないでしょう?
例えば北条政子を源政子なんて言われても違和感ありすぎだし、
正直突然言われても「誰それ?」状態になるよ。
実際義満の後妻康子に関しても、これを「日野康子」と書いている本は見たことがあっても、
「足利康子」としているものなんて、まず見たことがないよ。
あと細川頼之の妻(持明院氏)の名前って玉子なのか?
個人的には慈子だと思っていたが。 >>288
あと朝廷関係で「准母」という言葉はよく目にするけど、「准父」なんて言葉はあるの? >>296
陣内さん出すなら、青年期もう一人若い俳優出した方がいいだろう。
再来年の西郷どんも堤さん五十だぜ? 10代演じるの無理だろう。
今年の真田丸だって怪しかったのに。
陣内さんの若い時期演じる役者なら誰がいいかな〜って考えたら菅田将暉とかどうだろう。はちゃめちゃな感じで。 南北朝クイズ!
1.南江久子とは誰でしょう?
2.クレジット「上杉清子」が急に「清子」に変わった回がありましたね。確か。 源氏クイズ!
蒲冠者の母、義平の母はそれぞれ(橋本宿)(池田宿)どちらの出身でしょうか。
延寿御前と関係のあった天皇の名を述べてください。
○○○の後継者としてこのスレに常駐したいです。 >>286
傍若無人と思わせて実は守護大名にペコペコしまくってたんだけどな
とにかく強いものに弱く弱いものに強いというのが当時の義満評に
共通しておる ついでにいうと、同じ回から北条貞顕は金沢貞顕になったねw >>303
傲慢と卑屈が状況に応じて顔を出すって感じだよね<義満
日本史上大きな功績があり欠かすことの出来ない人物ではあるけど大河の主役には難しいんじゃないの
前述の性格もそうだし皇位簒奪の事実はともかく天皇家に嫌がらせじみたな行為はしてるし
あと色好みがな〜女も美少年も大好き天皇の妃に手を出す弟の妻を取り上げて自分の側室にする
母娘や姉妹や叔母姪を揃って側室にするのが好きとか全方位的に視聴者に嫌われる要素有り過ぎ
特に今の戦国幕末ローテーション大河の状況だと・・・・
太平記のラスト間際のやり取りからして後々には義満をやりたいという意志はあった気はするけど 姉妹揃って側室にするとかって、前近代の社会ではそこまでおかしなことじゃないよ。
足利将軍家でいうなら、義教とかも同じようなことをしているし、
天皇家とかにも似たような例は結構ある。 時代だっつーのはわかってはいるんだけど
女の自分からしたら花燃ゆのときもやっぱちょっと気持ち悪いって思ったからなあ
どうしても直義みたいなほうが好感度高い 第十四回で高氏と一緒に水飲みに行った二人が水飲めなくてかわいそう 鼻は老若男女の視聴者にやっちまった感与えたからな。
無難なんだろうなあ戦国幕末が。 私本でやっと九州平定中
ドラマでは割愛されてたから勉強になりまする
普段は優柔不断ウジウジ尊氏が、戦モードでカリスマ全開。
地元の武士団の心もつかみまくり
いいぞ! その調子だ!
……でも京に戻って後醍醐逃走して、政治は直義や師直に任せるわ〜ってなって、猿楽馬鹿になっちまうんだよなぁ。 太平記も幕末と戦国に挟まれてるけど前後の作品より視聴率良いんだよね
平均視聴率26%は歴代12位と上位だし、失礼ながら意外だった
特に初回が34,6%で歴代4位、そんなに期待されてたのかと驚いたよ >>312
自分が歴史に興味もって読んだ本が「源平盛衰記」と「太平記」。
挿絵入りの小学生用の簡単なのだったが。
義経と正成はヒーローだった。 >>313
実際の義経はそんなヒーローじゃないよ。
悪どいこともしてる。
タッキーや神木隆之介みたいなイケメンでもない。 「なもうだ」と唱えながらクネクネ行進してた時宗の一行が良かった。
尼僧の中にきれいな姉ちゃんが居て萌えた。 >>299
お待たせ、これが一番の出世頭だな
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
崇仁親王妃百合子
・旧名、高木百合子
・高木家は河内国丹南藩1万石の大名
・母・邦子は入江為守子爵の娘
寛仁親王 http://blog-imgs-53.fc2.com/t/o/r/toriton/koushitu892b6.jpg
高円宮憲仁親王 http://livedoor.blogimg.jp/yamato26840/imgs/e/3/e352c4c5.jpg
高木氏発祥の地
http://kikakubito.cms.am/modules/gnavi/index.php?lid=60
高木氏は安城市高木町の出身で、三河一向一揆で家康に味方し戦功がありました。天正18(1590)年家康の関東移封の際、相模国に5千石の領地をもらい、
その後加増を経て河内国丹南1万1千石の大名となりました。
三笠宮崇仁王に嫁がれ、ヒゲの殿下・三笠宮寛仁親王の母上である百合子妃はその子孫です。
三河高木氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/m_takagi.html
高木氏菩提寺
栖岸院(東京都杉並区永福1丁目6−12)
http://www.tesshow.jp/suginami/temple_eifuku_seigan.html
栖岸院はもと三河国村高庄(現三河県安城市)にあった長福寺という浄土真宗の寺で、天正19年(1591)麹町八丁目に寺領を拝領して江戸に移り、
寛永16年(1639)に安藤重信の子重長が中興開基となって、父重信を開基、妙誉秀慧を開山に招聘、浄土宗の寺として改めて開創、大正9年に当地へ移転しました。
六本木も青山の地名も丹南藩主高木氏(三河県安城市)に由来
http://www.city.matsubara.osaka.jp/sp/index.cfm/10,64,51,263,html
>六本木の地名のおこりは、江戸時代に高木・上杉・朽木・青木・片桐・一柳という木にちなんだ名の6大名の中屋敷があったからだと伝わっています。
>六本木に西接する港区南青山はもともと、赤坂区青山高樹町とよばれていました。
>いまも、西麻布の首都高速道路3号線出入口は高樹町の名で親しまれており、このあたりに高木氏の丹南藩1万石の別邸である下屋敷がありました。 >>312
そんなに視聴率良かったんだ?
好きな人は好きだが、あまり一般受けしてなかった
って印象だったけど、今この視聴率なら大成功作品だね 私本、今尊氏が船で瀬戸内から新田・楠木軍目掛けて上陸直前。
戦がうますぎて神!
頼朝リスペクトしてるけど頼朝以上だよ!(戦はね)
新田は無駄にプライド高くてイラッとくるけど、楠木の潔さはりっぱだなぁ。死なせるのが勿体ない。
全巻読んだら久々にDVD借りに行こーっと。 >>308
「花燃ゆ」の場合は側室というわけではないでしょ。
というか「花燃ゆ」のように最初の妻が若くして死んだ場合に、
妻の妹を後妻に迎えるという程度のものなら、
一昔前は庶民レベルでも結構普通にあったと思うけど。
ちなみに自分の親戚でも、祖父母の世代くらいまで遡れば、
前妻の死後に前妻の姪を後妻にもらった人とか普通にいるし。 まあ婚姻を家と家との縁組みという観点で考えるなら、
前妻の若死でその婚家と実家の縁が切れてしまうのを防ぐために、
前妻の血縁に当たる女性を後妻にするというやり方は、
むしろ賢いやり方として受け止められていたような気がする。 >>321
Blu-rayにしてくれたら絶対買うんだけどなぁ。
尊氏の真田さんがイケメン過ぎる!
道誉の陣内さんがオシャレ!
高時の鶴がアホすぎる!(褒め言葉)
最終回の高嶋弟は神! >>318
当時はBSやCSがなかったんだからこれくらいいくでしょ。今は視聴率も分散される。今は大河も日曜6時からCS >>323
Blu-rayはペイ出来ないだろうからまあ出ないだろうなあ
元々粗い画像なんだからDVDでも十分。何より持っていればあの面子に何時でも会えるって大切 絵書くときの資料にしてる自分としてはやっぱ高解像度版ほしいわ
2019年は中世大河ホント頼むNHKよ 派手な源氏の中でも地味な賀茂次郎の子孫はどうなったんだ 昨日DVDで全部見たけど後半は兄弟家臣争いで本当に息苦しいね。
そのあとに真田丸みたら家族愛に満ちていて癒されたわ 観応なあ
史料とか読み始めちゃうと直義のキャラがあまりにも違いすぎるし
師直も南朝のスパイにやられてるみたいな設定でsageられてるし
イライラが止まらんw
次に太平記やるなら大日本史料とかに載ってる1340年代の尊氏・直義のほのぼのエピソード群をやってほしいわ 戦死した兄の嫁と弟を結婚させることはよくあったらしい >>325
たとえば渡辺謙が死んだりしたら、追悼記念で政宗がBlu-rayになったりしそうな気がするんだが……。
それにあやかって上位大河もBlu-rayにならんかなーと目論んでおる。
勿論真田さんに死んでほしいわけやないで!
ああ、真田さんの流鏑馬シーンに萌えですわ。
この板ってアラフォー男性多そうやけど、女性もおりますかー? まわりに太平記語れる人がおりません。
自分は高校一年くらいん時に太平記見ました。
まだガキだったので、師直が二条君さらって…のシーンはショックでした…。
自分の好きな武将は、
足利尊氏、佐々木道誉、平知盛、です。
(先年清盛が大河になりましたが、自分は清盛の息子たち、孫たちの話の方が興味あるのでちょっと違うかな、と)
中世は面白いのに、あまり注目されないのが残念ですね。
道誉か義満で大河やってくれないかな? 無理? >>328
前半、高嶋弟、めっちゃ尊氏のこと慕ってるのにね。
師直も普通に執事の仕事してるし。
毎度おもうが、最終回の、尊氏・直義、右馬介のシーンは重たすぎて見てるこっちが緊張する。名場面ではあるんだけど。
高嶋弟はいい役をもらった。
太平記後半は見てて疲れるシーンが多いな。 >>333
CM出てるけど、ハリウッド志向だから日本では出る気ないんじゃない 「ラスト・サムライ」でも、脇役の真田さんのシーンが良すぎるからって、トム・クルーズが何ヵ所かカットさせたっていう都市伝説もあるからね〜。
十分向こうで通用する人なんだろね。
しかしラスト・サムライ昔見たけど、渡辺謙のイメージしか残ってない……。 あのCM、干されてるのは真田じゃなくて時任三郎だろw 高嶋弟さんは
後半、髭をたくわえて貫禄でてるなあ・・・と思ってた
ほぼ同時期で
「姉さん!」ってホテルマン(だったかな)やってるのは
力入れすぎな気がしたけど 何回も焼き直しされてるけど
信長、秀吉、家康を主役にしたら
日本全国にわたるネタができて、1年はもつ物語がつくれるよなあ
(忠臣蔵は、もはやキツいか?)
大河の主人公は
1年もつ、普遍的なネタがあって
(最近は)平和を愛し、民を慈しむ人物に描けないとキツいから
大河は、スーパー時代劇になっていくのかなあ
スペシャルドラマ枠で「足利義満」とか視たいが 太平記も、平和でいい時代を作ろうとした大河ドラマなんだけどなあ この時代合戦多すぎて今の予算では無理だ…
尊氏さんだけでこれ
六波羅→中先代→箱根竹之下→京戦→多々良→湊川→比叡山→
打出浜→相模早川尻→武蔵野合戦→文和東寺合戦
これ以外で省けないのが千早城、鎌倉、石津、越前藤島、四条畷、
多々良と武蔵野合戦と文和東寺合戦は見たいが
湊川以外ナレーションで終わりそうである 高嶋弟、ストーリー本の時点で大学四年生ってなってた。びっくり!
3月の時点で卒業したのかな?
今時の役者で22歳で直義を一年間やれるやつ? って考えるとおらんわ。ただのイケメン俳優ならゴロゴロいるけど。
確かにこの時代再現しようとしたら、戦国幕末より金かかる。鎧兜が豪華すぎ。あ! 道誉様の衣装と! >>341
タカちんが髷を落とした原因の矢作川の戦いがないだろうが
矢作川西岸の安城には、高師泰が娘の鏡を埋めた鏡塚と言うものがある
ドラマ向きの逸話は三河にしかない
何で三河を中心に据えて、見る癖をつけないんだ?
先祖代々パシリの猿め 大体だな、中の人でもない部外者が太平記を語るなよ
■元弘の変(1331〜1333年)当時の後に室町幕府の支配層 三河武士■
【三河県岡崎市】
・足利氏:大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):奉公衆
・富永氏(足利被官):奉公衆
【浜松市】
・今川氏(足利一族):将軍御一家、九州探題、守護職(遠江、駿河、丹後、但馬、因幡) >>341
今年の真田丸のように、スタジオの中で。撮影すれば、お金はいらない。 >>342
佐々木道誉の着物は確かに、高そうなので、折り紙の金や銀を、普通の着物に貼りつければ問題ない。 権力を得るとみんな狂っていくものよ。太平記は字のごとく世の中太平になってくれと強い願いが込められている。
尊氏直義、以後の足利将軍家の罪は果てしなく大きいぞ アマゾンで予約した岩波文庫の太平記第六巻、今週末くらいに配達されそうですわ。
いよいよ完結かぁ。長かった。 >>342
高嶋政伸は1966年10月27日生まれだから太平記の撮影は23〜24歳の時だね90年9月から1年くらいだから。
当時大学生なら浪人したか留年したかじゃないかなあ。
「太平記」の前後なら「都会の森」と「ジュニア 愛の関係」も好きだった<政伸
89年の「ゴジラVSビオランテ」じゃ冷静な官僚をちゃんとこなしてたから冷静沈着な性格の直義でもやり通せたと思うけど
熱血漢ぽい性格設定にしたのはそのほうが映えると考えたんだろうね。 >>346
うん。
それなら道誉の伊吹の城なども原作通りにやるとゴージャス過ぎるので、屏風は折り紙でいいな。
生け花も適当でいいぞ。 >>350
「ジュニア 愛の関係」好きだったよ。
松雪泰子がまだ若くて可愛かった。
国会議員の話だったよね。 こころ旅をオンデマンドで遅ればせながら見てるんだけど、
565日目千早赤阪村で赤坂城が出てきました。 >>333
単価が上がりすぎて日本では拘束時間が短くてそれなりのギャラが出せるCMしか呼べ無い。
盟友の滝田監督の天地明察のナレーションがお友達価格の最低ライン。
あの辺の俳優が下手にギャラを下げると後続の役者が迷惑するからもう日本では難しいかもね >>354
大阪で唯一頑として村である事を止めない偏屈村w >>332
当方は小学生のときに大河「太平記」を見て、現在30代半ばの年齢だけど、
大学時代に史学科の中世史ゼミで知り合った友人たちは、
男女を問わずほとんど皆このドラマが日本の中世史に興味を持ったきっかけで、
「太平記」に凄く思い入れを持っている人が多いよ。 >>329
1340年代(康永・貞和あたり)のほのぼのエピは、
実際には両者の関係が微妙になり始めているのを取り繕うために、
わざとほのぼのエピを演出している雰囲気もないわけじゃないから、
すべて額面通り受け取ってよいものかどうかは難しいけどね。 >>339
徳川家康のようにネタが豊富すぎる上に長命な人物は、かえって難しそうな気もする。
かつてやっていた大河「徳川家康」も、とにかく全体的に駆け足気味な印象で、
一つ一つのエピがどれも消化不良のまま進んでいく感じが否めず、
ドラマとしてのクオリティは如何なものかという気がしたし。 >>357
いいねぇ、史学科か〜。
最後まで国文か史学かで迷ったよ。
小説書きたかったんで国文にしたんだけど。
女子大で、おっとりした人が多かったから、文学や歴史について熱く語れる人はいなかったよ。
だから、史学科のゼミでそういう仲間に出会えたことが羨ましい。
史学科ということで、もしよかったら教えてほしいのだけど、歴史地図、みたいなの、いいのないかな?
時代別に分かれたりして。文章で、〜の乱、〜が進軍と聞いてもイメージ湧きにくくて。
そういうの描かれた歴史地図があれば欲しいんです。
もし余裕があれば教えて下さいませ。 >>361
よせ!一方方向でしか史観を語れない阿呆が自分への要望だと今以上に頻繁にくる!!!!! 来月の歴史技能検定受けるけど鎌倉〜室町辺り出ないかなあ >>362
じゃああなたでいいから教えてくれ
地本の書店にはそんなマニアックなもん置いてない
Amazonもなかなかヒットしないし中身が確認できないし
新宿紀伊国屋は遠い >>364
都道府県の図書館の蔵書から当たったら?持ち出し禁止になってるのもコピーは出来たりするよ。買ってるとキリがないから自分はまず図書館行った。
今はPCで最寄りの図書館に無くても取り寄せて貰えたり、大きい処に行ってトレジャーハントすんのも楽しいよ。 >>365
ふうむ。
それだったら大学図書館でもいけそうだね。
母校は遠いけど、近所に青山学院がある。
手続きすれば一般にも解放してくれそう(貸し出しは一般書籍でも無理っぽいかもだけど)
とりあえず鎌倉末期から南北朝だけ手に入ればよし。
史学科の知り合いいればなぁ。史学科なんてうちの大学にはなかったが。 >>366
側に国公立あったら行きやすいかもだな。頑張れ! 青学は私立だが、私立でそうなら国公立の敷居は高くない気がするって意味ね >>369
青学の近くだから関東だと思うよ......自分は関西だから自然と知る歴史って多いなあ。古都だから >>362
一方方向の単細胞阿呆はお前だよ
だったら古典太平記や神皇正統記でも勝手に批判していろよw 豆だが
日本の最上級国民の大給松平氏は、男系で賀茂義綱の家系という事だわな
細川護煕氏墓参記念碑
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46) >>360
いたとしても有名人はいるのかい?
有名人でなければ語ってもしょうがない
正季の子孫と称する1番の有名人はコイツでしょ
野口雨情(野口:三河国加茂郡野口)
http://inamasa.blogspot.jp/2014/05/blog-post_24.html >>361
いろんな時代の歴史地図が載っているものでいいなら、とりあえず直ぐに思い付くものは、
吉川弘文館という歴史系の学術書を扱う出版社が出している
『標準日本史地図』
『日本史年表・地図』
といったあたりあたりかな?
今ちょっとサイトを確認した感じだと、最新版で750円と1300円になっていた(税別)。
なお同様のタイトルの世界史バージョンもあります。
あと当方は高校の教員という身分なので、その立場からいうと、
浜島書店から出ている高校生向け教材の『新詳日本史』というタイトルの図説とかも、
地図や図版が大量に載っているので、普通の歴史好きが見ても、それなりに面白いとは思う。
ただ一般での購入が可能かどうかは、わからないが・・・。 >>375
こういう信頼できる話を簡素に紹介してくれる人が居るのがこのスレの良いところだね >>377
エピソード全部拾おうと思ったら石パート全部切らんとなあ。それでも足りないよw >>375
吉川弘文館のサイトを見ると『標準日本史年表』ってのもあるけど
『日本史年表・地図』は『標準日本史年表』と『標準日本史地図』を
合わせて1冊にしたようなものでしょうか? >>375
ありがとうございます。
実は今日書店で歴史コーナーと高校参考書コーナーを見てきました。
教えてくれくれたもの、Amazonで見てみます! 書店にもあったかな〜
私本もいよいよ最終巻。あと数十ページ。
やっぱり、直義・師直の対立、それを放置して後始末に困る尊氏……ドラマもそうだったけど、原作でも読んでてしんどい……。
最後は戦争というより、家庭内不和の話じゃないの、と……。
もう! おまえがもっとちゃんと仕切ってないからこうなるんだよ! 直冬がグレたのもあんたがしっかりしてないから!
……と尊氏に言いたい。 >>380
ちゃんと確認はしていないが、たぶんその2つを合わせて1つにしたものが、
『日本史年表・地図』だと思います。
いくつかの図書館のOPACを見てみましたが、とりあえず東大図書館のOPACに、
2つを1冊に合わせたものとの注記あり。 >>377
何度も言われていることだが、多々良浜の戦いはドラマ的には触れるのは難しかっただろう。 >>381
じゃあ自分が流れ変えろよ。ぼくががんがえたおもしろい大河話よりよっぽど為になると思うけどね。史料の話は。 >>382
直冬にも非はあると思う。白拍子が産んだ子をそうそう庶子としてでも認められない尊氏の立場ってのもある。
そういう対局を見ないで「愛されてない」とかやさぐれる所は、直情的過ぎる。
血筋も申し分ない義詮を長い目で将軍に育て上げるという尊氏の目は後の義詮を見ると正解だったと思う。 >>386
しかものちに対立する直義の養子にするとは、ついてないね。
養父のこともあれば尊氏のことが憎さ百倍だったろうに。
さっさと寺に入れときゃよかった。 >>387
寺に入れられたけど、どうしても武士になりたくてダダこねて結局直義の養子になったんじゃなかったっけ。
以後足利家の継承は嫡男以外基本寺行きだな。
兄弟争いの恐ろしさが身にしみたんだろうな。
もちろん初代鎌倉公方や義満弟満詮や、義持弟義嗣など例外もあるが。 >>388
そうそう、武士に成りたいって逃げてきて直冬になった。心静かに仏門に居ればもっと別の穏やかな一生だったろうにな。
尊氏自身出家してーしてー言ってたから、あんまり似てなかったのかな。足利の庇護のあるいい寺にいたろうに。 直冬、生母がせめて地方豪族の娘か、宮中の上級女房くらいの人だったらね。
ちゃんと子と認められた上でもしかしたら鎌倉か、不通に九州探題いけたのにね。
でもそしたら登子の立場がなく、義詮の身が危なかったかもしれないけど。
源氏はいつも親子兄弟血みどろだなぁ。 >>388
すまん
ここ何年も見てなかった
私本読み終えたらTSUTAYA行く ホントは違うかもしれないけど
東国の源氏・西国の平家(平氏)ってきくけど
(東国は土地が基盤だが、西国は貿易の儲けが基盤)
土地争いを裁くボス、利害調整する顔役って立場から発展した武家の棟梁(源氏)は
並び立つ存在を許さないんだろうなあ 高時のふぬけた姿北条政子が見たらなんて様なのよと思うかもしれん >>392
河内源氏も伊勢平氏も武家の棟梁としての発展過程はそんなに大きな違いはないと思うよ。
貿易に関しては、平氏がこれに大きく関わるようになるのは、
大輪田泊の整備なんかが行われて以降であり、時期的に既に平氏政権成立の時期の話。
それ以前の平氏が武家の棟梁として発展していく時期の状況は、
地域差や多少の時間差はあるにしても、源氏の状況とさほど大きく変わるものではない。
逆に源氏だって、源氏政権(鎌倉幕府)の成立以降になれば、
和賀江島の整備などで貿易にかなり深く関与している。 >>390
尊氏がはっきり決断しないのが悪いんでしょ。源義仲や源範頼の母ちゃんは遊女だぜ。 >>395
登子が鬼嫁だったのでは? ドラマ以上に。 久々にYouTubeで太平記opを見てみた。おおお! ぞくぞくくるね!!
真田尊氏のカッコよいこと!
やっぱり大河はこれくらい骨太じゃないと。
そう思うと昨今の大河は軽いなぁ……。
ホームドラマでハッピーエンド。
それがウケる時代か。
少しずれるけど、太平記の音楽担当の三枝さんは、これも有名な話だけど、Zガンダム他の音楽も手がけてきた方。
初期ガンダムファンのわたしには、嬉しい共通点です。 もともとは源氏の地盤が西で平氏が東だったんじゃないの?
承平の乱 は坂東平氏の内紛から起こったし、その後の鎌倉幕府御家人の北条・三浦をはじめ平氏子孫が多い。
河内源氏の本格的な東国進出は頼光弟の頼信・頼義父子の平忠常の乱以降だな。
大河の「炎立つ」はこの時得た鎌倉を根拠地に奥州進出の野望を抱いた源氏の話だった。
まぁ将門の時代も嵯峨系の源氏がいるにはいたが。 >>398
西というか、初期の頃の源氏の拠点は畿内周辺だな。
後に武家の棟梁に成長する河内源氏も、その名の通り河内国が拠点で、
頼信・頼義・義家の墓所も河内国。
確かに河内源氏の東国進出は平忠常の乱以降になるし、
さらにいえば伊勢平氏の西国進出は源義親の乱以降なので、
源氏=東国、平氏=西国の構図が固まるのは、現実的には12世紀に入ってから。 あと東国の状況に関して言えば、鎌倉初期における三大有力御家人が、
三浦・千葉・小山の3氏であるということから考えても、
承平・天慶の乱の頃から鎌倉幕府の成立期まで、基本的にはずっと、
坂東平氏と秀郷系藤原氏の世界(つまり将門を討った貞盛と秀郷の子孫たちの世界)であった、
ということになる。 ドラマの高時は
「太守」と呼ばれるが、公家みたいで
惰弱扱いされる国王なんだけど
実際の高時も
(僧形以外は)公家みたいな扱われ方だったんだろうか
執権って、建前は将軍の代官みたいな印象なんだけど >>396
実家の後ろ楯を失った登子の存在意義は「世継ぎの生母」ということだけだから
そりゃ鬼にもなるわな 登子さん
旦那と嫁ぎ先親族が
自分の実家と親族とを潰した
場合によっては、息子も殺される(?)
ああいう立場になると、ドラマ内でもあったけど
自分の子供のためには鬼にもなるのかも 登子は一番安全な形で北条と自分の血を残したよな
政子は自分の血を絶やしたぶん無能 実際尊氏と登子は夫婦として仲睦まじいみたいでよかったね。
登子は三十半ばまで出産してたみたいだし。
権力と金が手に入れば、普通の男は師直みたいになっててもおかしくない。
子供思いで、登子が産んだ初めての女の子鶴王は尊氏溺愛。亡くなったとき気の毒だったけど。
義詮も嫡男としてあれこれ心配してたし。
登子の血は本家にも鎌倉府にも残ったんだよね。北条宗家は滅んだけど。
直冬なんて眼中入ってないし。苦笑
もうちょっと社交辞令でもいいからうまく接しときゃよかったのに。 >>402
高時は自らが明確に政治的な意思をもって幕府を率いていくようなタイプでなかったのは確か。
またこの頃の得宗家周辺は、徹底した先例踏襲主義の状態で、普段高時がやっていたことは、
既に先例として確立している儀式・行事を日々消化することぐらいのような感じだったとか。 >>406
ただ北条一族が滅んだとはいえ、登子は他の側室たちと比べて、
尊氏の配偶者としての権威は格段に高かったはずだし、
登子所生の男子がいるのに他の息子が嗣ぐことは正統性の観点からあり得ないよ。
まあ母親がどこの馬の骨か分からない(さらには本人の出生の経緯も怪しげな)直冬なんて、
気にかけてやる必要性すら全くと感じていなかっただろうね。 大河の尊氏は側室でてこなかったな。
徳川秀忠みたいな恐妻家っぽかったな。
直義は正妻が病弱で側室いない方がおかしいくらいだったのに愛妻家にえがかれていた。 >>408
北の朝廷とのつきあい上、摂関家レベルの息女もらったらさすがに登子勝てないでしよ〜。
師直は断られてたけど。
まあ尊氏の気質上、そんな肩肘張るようなつきあいはごめんこうむるでしょうが。 私本を読み終わり、関東公方〜に手を出すところです。
今後南北朝もので面白い読み物ないかなーとAmazon検索していたら、北方 謙三の小説が色々出て来ました。
読まれた方いますか?
レビュー見てると概ね好評のようですが、歴史通?の方からキツイこと書かれていました。 >>411
面白いよ。
関東公方足利家と足利将軍家の長年の軋轢の始まりを
太平記オタは知っているから楽しめるよ。
その上、下野の足利宗家から続く、上杉家の苦悩も面白いと思う。 何故?骨が太くて大きい(略して骨太)の北方さんの小説を原案とした脚本の大河ドラマを作らないのかな? >>395
範頼の母親は遊女じゃないかもしれんぞ
範季が養父になって、面倒をみていたのは由良御前だからな
大体、母親の出自が悪いと幼少期は放置プレイだ
豆だが
面白い話がある、実は源頼朝は熱田大宮司の孫ではないらしい
由良御前は熱田大宮司の兄弟の神官の娘で、季範の養女になった
系図にまとめるとこうだ
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季頼(三河五郎季頼、八剱神社(三河県蒲郡市)神官)→由良御前→源頼朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→藤原範忠→娘→足利義兼(初代源姓足利氏)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季成(蒲神明宮(静岡県浜松市)神官)→当麻五郎貞稔(源範頼乳母父)→当麻太郎(源範頼家臣)
源頼朝の実の祖父が創建した八剱神社(三河県蒲郡市)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/八劔神社_(蒲郡市) 源範頼の墓は、鳥取県の霊石山にある事を知っている人は、どの位いるのであろうか? >>410
というか、この時代だと摂関家クラスの公家の娘が武家に嫁ぐこと自体まず先例がないでしょ。
それに次の義詮の正室も武家の出だし、義満の正室は下級公家の出。
要は初期の室町将軍には、摂関家のような上級公家の娘を嫁に迎える発想がそもそもない。
あと尊氏の嫡子の母方が北条一族のなかでも家格の高い赤橋流であること自体が、
当時の武家社会では大きな意味を持っていたと考えられるわけで、尊氏は現実問題として、
登子を離縁したり、義詮を廃嫡したりすることは、できなかったはず。 >>418
中先代の乱が効いてるな。やっぱ執権殿の血筋すげーわ。あれ、足利殿の正室は北条じゃね?みたいな。
>>419
最明時入道乙 尊氏が九州に落ちた後、短期間で勢力を回復させた背景にも、
九州で比較的善政を敷いていた鎮西探題英時の義弟であったことが大きいと、
吉川英治は言っていたかな? 本人にやる気があるのか無いのか分からないのに人には好かれるというね、
そりゃ必死でやってる直義にしたらこんな兄貴敵わんわ。 白黒つけたい直義と、
多少のことは目をつむって穏便に済ませたい尊氏 >>421
ちらっと言ってた。
でもやっぱり九州は菊地がてごわい。 太平記に詳しい皆さん、来年の大河ドラマ絡みで「遠江の伊井介は妙法院宮を取り立てまいらせて奥山に立て籠もる」なんて一節には全く関心ないの?? 足利将軍家自身も、鎌倉北条氏を自らの先祖の一つとして見てはいるみたいね。
後の堀越公方なんて、それこそ鎌倉北条氏発祥の地である伊豆の北条を本拠地にしているし。 >>411
だいたい全部読んだけど自分は好きだわ北方太平記
(しかし新田ファンは多分腹を立てるw )
自分の趣味だがこの二つが良いかと
道誉なり
主人公はむしろ尊氏
南北朝の動乱(佐藤進一)に台詞を付けて大河太平記風味を足した感じ
善良な道誉とハードボイルド尊氏の仲良しコンビが新鮮
破軍の星 :
理尽鈔の正成ばりに美化された北畠顕家が
足利一門の大軍(太平記より盛り方が酷い)をばったばったと粉砕
でも一番かっこよかったのは高師泰という
武王の門も悪くないんだが尊氏世代のオモシロ面子が出てこないので地味
楠木正成と悪党の裔は基本的に同じ話で倒幕の時点でほぼ終わり >>422
でもそんな尊氏のこと誰よりも好きなのは直義だからセーフ >>426
そうなら赦されて、お家再興の話が持ち上がるはずだろ
だが、そんなものは一切ない、バカめ
そこで、足利が先祖に宛てた願文ですよ
讃岐守御願文の中身を知りたい奴は手を挙げなちゃい 桃井って尊氏派から見れば悪役だが言うほど悪くないよね 常識的に考えると、本来悪いのは師直や土岐や判官殿の方やからね(´・ω・`)
当時は常識人の常識が通用しない世の中だったというだけで >>426
>北条氏を自らの先祖の一つとして見てはいるみたいね
マジかよ
北条氏じゃなく源氏じゃね?
それに伊豆は北条氏の拠点って事ではなく頼朝が流され・挙兵した意味あいが強いってか
伊豆に留まったのは単に古河公方勢力に押されたからじゃね? >>431
単なる創業期の吏僚派と武功派の対立だと思うな。
鎌倉幕府初期だって梶原与党と有力御家人
豊臣政権の淀・三成近江ラインとねね尾張衆
江戸幕府初期の本多一派vs大久保一党
明6政変の西郷・大久保だって征韓論政局ながら実際はシビリアンコントロールと戊辰戦場経験組の対立だったワケだし。 桃井が厄介な野心家であったことは間違いない
直義亡き後も直冬担いで足利宗家に歯向かうとか、家来のすることじゃない。
尊氏とはどうも肌が合わんかったんか、頑固者で無駄に意地張ったんかね。
高橋悦史さんは糞真面目で威圧的な桃井をシンプルに演じててカッコ良かったけど、桃井は嫌いだ。 先月は護良親王、今月は足利直義の伝記が出ていたな
この時代に興味のある層は結構多いと思うのだけど
また映像化される日はいつだろう >>427
ありがとう!
内容知りたかったから助かった。
早速道誉をネットで注文したよ。
道誉と尊氏のコンビは自分も好きだ。
ひねくれて腹を探るような言い方してるようで、道誉は尊氏大好きだよね。
顕家のもまた読んでみたい。
今回はついでに歴代天皇事典も購入予定。
特に何も成し遂げなかったような天皇でも、検索すると面白裏話が出てくる。
私本の最後の解説に、そもそも足利家と、土豪で無位無官に等しい新田が対等に張り合うなんておかしい。そこは作者の作り話だろう、とあった。
それが左中将まで出世か。舞い上がっただろうなぁ。 >>434
取り敢えず桃井のムッキムキさにビビった覚えがw 省略された重要人物多いね斯波高経とか山名時氏とか、桃井直常は斯波や山名の分まで担ってた感がある。
色々な面で一年では難しいんだよなあ、担当Pは「尊氏の生涯はちゃんと描いたら二年かかる」とか言ってたんだっけ?
しかも鎌倉末〜南北朝時代を本格的に映像化するのこれが初めてだったから試行錯誤はかなりしただろうし。
人物や出来事や合戦を絞りに絞ってなんとか一年で纏めたって感じ、それでも面白いけど。 斯波山名は義詮時代のキャラって感じがする
細川顕氏はエピソードが面白すぎるので外せないし 護良が皇太子になれなかったのは、廉子の思惑もあったろうけど、そもそもはその生母に問題があったんだね。
亀山の元寵妃で、のちにまだ皇太子だった頃の後醍醐の妃になり護良を産む。
年は後醍醐より十以上上だったとか。
じいちゃんの奥さんだった女が孫の嫁に。
考えるとかなりシュールな……。
実際、この件はかなり問題視されて、護良の皇太子は見送られたらしい。
で、叡山入れられたんだよね。
おとなしく坊さんになるような人ではなかったけれど。
後醍醐の子供は30人ほどといわれているけど、これめっちゃ多いんじゃないだろうか。
江戸時代、オットセイ将軍が平和な時代で50人。
動乱の時代で、昼間は政務や陰謀、ひたすら逃亡の日々……で、それにもかかわらず30人というのはやっぱり多い。
普通の人間なら昼間の疲れでくたくたになって寝てしまうレベル。
後醍醐は男性としてはかなりタフな方だったのだろう。あと大酒飲みだったし。
今残っている皇室が自分の血統じゃなくてがっかりしてるだろうなぁ。 横浜ウォーカーが
「トキメキの鎌倉」
特集。
オサレカフェとかもうエエから、ここで直義が毒殺されましたとか、ここで高時以下北条一門が腹を切りましたとか、ここに尊氏が引きこもりしてましたとか、
そういうの全部マップにして売り出して欲しい。
ごく一部の人間は絶対買うはず。
京都まで行く金も時間もないから(道誉の墓参りと肖像画も見たい!)、鎌倉フィールドワークしてみるかな。
頼朝の墓は破壊されたままですか? >>438
確かに斯波高経や山名時氏は義詮時代のほうが存在感が強いね。
まあ斯波高経は新田義貞を討った件はあるが、仮にそこで登場させたとしても、
このドラマではこの件以外で視聴者の印象に残るような活躍を描くのは、難しかったかな。
終盤の直義派の武将としては、超強硬派の桃井直常と、立場が揺れに揺れた細川顕氏という、
対照的な2人を軸に描いたのは、ドラマの作り方としては正解だと思う。 >>438-439
確かに斯波高経や山名時氏は義詮時代のほうが存在感が強いね。
まあ斯波高経は新田義貞を討った件はあるが、仮にそこで登場させたとしても、
このドラマではこの件以外で視聴者の印象に残るような活躍を描くのは、難しかったかな。
終盤の直義派の武将としては、超強硬派の桃井直常と、立場が揺れに揺れた細川顕氏という、
対照的な2人を軸に描いたのは、ドラマの作り方としては正解だと思う。 >>440
爺さんのお手つきが孫の嫁になったパターンとしては、
白河院のお手つきから鳥羽院の皇后になった待賢門院の例があるといえばあるな。
一応、現在の天皇家も待賢門院の血筋。
まあ後醍醐の妃のランクとしては、閑院流藤原氏庶流の廉子と村上源氏庶流の護良生母だと、
家格面からの差はあまりないのかな?
ただ後醍醐って、即位した当初は一代限りの中継ぎの天皇という位置付けで、
後醍醐の実子への皇位継承は想定されていなかったわけだし、
実子を皇太子として定めることが可能となった建武期には、
既に廉子が後醍醐の一番の寵妃という感じだっただろうから、
廉子の3人の皇子が特別扱いされるのは、まあ仕方ないだろう。 >>441
鎌倉は小さな街だから市内の
大半の神社仏閣巡れば鎌倉・南北朝の痕跡も見られるし
寺などで配布している縁起パンフレットにも書かれているよ。
また横浜だけど神奈川県立歴史博物館は詳しい展示もあるよ。
鎌倉巡った後に新田義貞で有名な稲村ヶ崎の温泉もいいよ。
鎌倉に遊びに来てね。 >>445
そういえば数年前に、鎌倉国宝館、金沢文庫、神奈川県立歴史博物館の3者のコラボ企画で、
3館同時に鎌倉についての特別展をやっていたことがあったな。
3館すべて廻ると貰えた特製のクリアファイルが今も手元にあるw あとこれとは別のときに、藤沢の遊行寺博物館、金沢文庫、神奈川県立歴史博物館の3者で、
一遍の時宗についてのコラボ展示をやっていたこともあった。
またこういうのやらないかな? >>438
夢窓疎石や洞院公賢あたりもこの大河じゃモブ扱いだからなあ
異例尽くしの人西園寺寧子も出す意義はあると思うけどスルーしてるし
上記三人は本格的に出すなら大物俳優をキャスティングして尺も取らなきゃならないから無理だったんだろうが >>438
よく映像化してくれたよな
25年前の作品なのに色褪せないどころか昨今大河と比べてより鮮やかで映える
しかも何度もリピートしても飽きないどころか未だにオープニングだけでしびれてしまう >>435
アキバヨドバシの本屋に行ったら中世コーナーで置いてある伝記その2冊オンリーで噴いた、居心地悪そうw
直義本のほう楽しみにしてたのに微妙だった(´・ω・`) >>447
凄いですね。
歴史や古文書は流石鎌倉だけど当時の石仏ややぐらは沢山あるけど
当時の歴史鑑定された仏像はあまり残っていなく
残念な事に鎌倉や鎌倉周辺には鎌倉時代の木造建造物は残っていないんですよね。 >>452
神保町の某書店でもその2冊が棚に並んでいたw
中先代の乱での護良殺害の理由が
両書ではっきり意見が割れていたのが面白い >>454
護良本の方は事件のたびに死者の名前や死人数を事細かに書いていってるからリアルというか紙面からの迫力が凄かったな
中先代の直義の絶望感やべえ >>449
正平の一統が省略された以上、広義門院寧子の出番はないし、スルーは仕方ないだろう。 私本がっつり読んでから関東公方〜読んでる。
ちゃんと私本で流れつかんでおいて良かった。
師直のクーデターの辺りなんか入りくんでて予備知識ないとわかりにくいね。
最近の日本史の先生はどこまで教えるのか知らんが、難関大学だと細かいとこまで問うてくるらしいから大変だな。 しかし25年も前のドラマのスレが活気あるってすごいねえ >>458
観応の擾乱って、高校の教科書レベルでも、そういう事実があったということと、
その背景が簡略に説明される程度だから、そこを細かく突いてくるような入試問題なんて、
常識的にはないはずだし、仮にあっても悪問の範疇だろう。
無論、南北朝の内乱の長期化、あるいは南朝の延命の背景として、
観応の擾乱という事実の存在を指摘させるレベルの問題ならありだし、
こういうものなら論述問題のテーマにもなり得るだろうけど。 >>461
いや、20年前になるが関西大の日本史の入試問題は細かいとこまで聞いてきやがって腹が立った覚えがある。
マニアックというか。
南北朝ではなかったが。 なんで「南北朝」って言うのかな
「北南朝」って言わないな
中国の「南北朝」が南朝のほうを正統にしてるからかな 俺の地元では 「ものすごく」と言う意味で
「ばさら」という方言があるんだがこれはこの時代の
ばさらにゆらいするんかな? 昔の知人に
「鎌倉行って頼朝のお墓お参りした」
と言ったら、
「頼朝って誰だっけ? 学問の神様の人?」
……それたぶん菅原道真では……鎌倉じゃないし >>464
意味無いしょ、「南北に長い」とは言っても「北南に長い」とは言わないもん。ただの語呂だと思う そういやこの大河の後94年くらいに角川が太平記を映画化する予定だったみたいだね
製作発表記者会見やって原作は森村誠一で全三部作、主役の足利尊氏は渡辺謙を想定してて
春樹がパクられたんで流れたみたいだけど 古典太平記の現代訳っていろいろあるけど
何がお勧めですか? 持っていないが小学館のやつが欲しい
天正本ベースの佐々木マシマシ太平記だが 山田風太郎の「婆沙羅」読んでるんだけど、余り期待したほどでもないかな?
まだ半分しか読んでないが
「回転レシーブ」とか今っぽい表現はできればやめてほしかったかな。
吉川さんの私本の方が圧倒的に面白い。 >>470
薬物疑惑で逮捕されたんじゃなかったっけ?
詳しい事は検索すれば出てくるでしょ
うろ覚えだけど、「太平記」の現代語訳って
手に取りやすいのは
角川のビギナー物(全訳ではない)と
最近出てる岩波文庫版かなあ 三国志の時代が晋の統一で終わったが
晋の皇族同士が争ったあげく、異民族に蜂起され晋(西晋)滅亡
晋の皇族が南に逃れて晋を再建(東晋)
で
中国北方 異民族の政権乱立→北朝へ
中国南方 晋の亡命政権(東晋)→南朝へ
大雑把にこんな感じじゃなかったかな >>466
「平将門は鬼」は帝都大戦とかでやってて悪魔っぽいイメージもたれてるけど、菅原道真が悪霊だったってイメージ今は無いもんな。
歴史に興味無い人なんてそんなもんだよ。 >>478
うん。
話してた相手、「歴史好き」って言ってたんだけどな。
ありゃたぶん戦国オタだと思われ。
それにしても、文系の大卒の人なのに、アホだなぁ。
菅原道真は藤原氏の計略にハマって大宰府に左遷させられたんだよね。
で、都での悪天候とか藤原一門が死んでいくとか祟りの噂があがって……
怖いから、えーい神様にしちゃえ!って。
記憶違いだったらすまん。
あ、この辺り、後醍醐リスペクトの醍醐天皇だね。 3大怨霊の菅原道真と平将門と古典太平記でも活躍の崇徳天皇
どなたが最強かな 崇徳は雨月物語でも西行とセットで活躍してますよん。 義詮の直義への扱いも完全に怨霊だよな取り敢えず祀っとけ的なww >>477
でもその後、中国を再統一する隋は北朝から出ているし、
どっちが正統かなんて簡単には言えないよね。
まあ、これは唐滅亡後の宋代にもいえるけど。
それ以前の王朝の流れに連なるのは北宋→南宋だが、
その後に中国全土を統一する元に繋がるのは遼→金の流れのほう。 >>481
元になったのは室町に世阿弥が創った保元の乱後の
西行と怨霊崇徳上皇について舞った能の演目の松山天狗だったかな >>479
道真失脚の一件は、藤原時平らの策謀と一般に言われているけど、醍醐天皇自身も、
道真を父宇多上皇が自分につけた目付役のように認識して、煙たがっていたらしいから、
道真の追い落としには醍醐天皇自身もある程度積極的に関わっていたのが実態だろう。
延喜・天暦が理想の時代で、醍醐天皇や村上天皇が素晴らしい聖帝というのは、
完全に後世の人間が膨らませた妄想だな。 昔の日本は「祟ってんの?!ねえ祟ってんの?!じゃあ神様にしとくからチャラに、ね?ね?」
かわいい.......... いろんな人の南北朝もの、特に道誉と尊氏について小説読んでるけど、直義だけはキャラが変わらない。
どの作家の読んでも大体同じ直義。
もうキャラが出来上がってしまってる。
なあなあの兄に対し頑固で融通のきかない弟。
道誉と尊氏はツッコミどころ満載だから作家のとっては自由に想像を膨らませることができるんじゃないかな。 >>486
どこかの学者が書いてたが
日本の神様は
「お祭りするから祟らないようにして!」って、祭り上げられた有名人や
「俺を祭らないと祟ってやるぞ」って言う方が
多いらしい >>483
スレ違いになるし、あまり専門知識もないが
当時の偉い方々の中では 「こっちこそ正統
いつか北方を奪い返すぞ」
ってスローガンがあったんだろうな・と思った
(何世代したあとの)庶民にとったら
「どっでもが正統でもいいから、暮らしやすくして!」なんだろうけど 中国の南北朝時代と日本の南北朝時代は別物すぎだから
日本のは内輪揉め >>490
私本
山田風太郎
北方
杉本
読んだ
だいたい眉毛つり上がった高嶋弟のイメージ
自分があまり直義贔屓じゃないのは自覚しているが…… >>489
まああれだな。
元いた場所から追い出されて逃れてきた最初の世代や、
その世代から直接話を聞いている子や孫あたりまでの世代だと、故地奪還に執念を燃やしても、
だんだん何世代も経つと今いる場所が安住の地になって、
先祖の地の回復なんて最早どうでもよくなるってことはあるだろう。 >>491
日本の南朝にとって、吉野が安住の地だったかどうかは・・・、まあ微妙だな。 吉野……大学のときのなんとか和歌集の演習で発表の最中、怖い先生で萎縮して、「吉野の離宮」を「吉野に遷都」と言い間違えてえらい怒られたことがあるな……。
今思えばとんでもないことを口走った。 >>495
師直ドヤ顔焼き討ちで賀名生遷都後のの吉野ってどうなっちゃったのかな? 神器は南が持ってたから天皇のカウントは南でしょ?
でも都は京……だよね?汗
だって南のやつらしょっちゅう京目指して上ってきてたし。
京じゃなかったと言ったら京都市民が暴動起こすぞ >>495
そんなことで怒られるとかなんか馬鹿みたいだなあ(ゆとりの感想)
>>492
杉本さんの直義は雰囲気柔らかめだったような・・
どうでもいいけどネット見てると直義って女性ファンが多い気がする、数じゃなくて比率が >>495
離宮というか、後醍醐天皇の認識では、あくまで行宮(行在所)のつもりだったかもね。
>>496
観応の擾乱のドサクサに紛れて南朝方が回復じゃね?
>>497
ただ建武政権崩壊から正平の一統までの16年間は、本当に南朝が持っていたのか疑問だよ。
後醍醐天皇は、建武政権崩壊時に光明天皇に譲渡した神器は偽物だったと後に主張するが、
その後、正平の一統の際に京都を押さえた南朝方は真っ先にその偽神器を回収しているわけで、
実は正平の一統までは、北朝が持っていた神器が本物だったのではないかとの疑念は尽きない。 >>499
離宮は飛鳥時代の話ね。
どの時点での神器が本物だったかっていう話は興味深いね。
後醍醐がはったりきかせていた場合もあるかも。
それにしても壇之浦で平家と一緒に沈んだ剣は、一体いつの間に復活したんやろ。
カンカン新しく作らせたんだろうけど、なんか重みが違うね…… >>500
まあ後醍醐天皇って、新田義貞に恒良親王を付けて北陸へ遣る際も、
恒良親王に帝位を譲るとして神器も一緒に渡しているはずだが、
義貞が死んで恒良が北朝に捕われると、その神器も偽物で、
恒良への譲位も無効と宣言しているから滅茶苦茶だな。
ただ三種の神器のうち、神鏡と宝剣は、それぞれ伊勢神宮と熱田神宮にあるものが正体で、
宮中にあるものは、その形代って話だね。
だから宝剣が壇之浦の戦いで水没したり、神鏡が内裏の火災で焼失したりしても、
また新たに形代を作り直せば特に問題はないらしいし、
その意味では南朝と北朝の持つ形代のどちらが正統かなんて、
そもそもどうでもよい問題にも思える。 >>500
壇之浦で沈んだ宮中の神剣は散々潜水して探索したものの到々未回収。
しばらくは常に天皇の身にある昼御座剣を代用してたけど、順徳天皇の時に伊勢神宮所有の剣の一振を代用の神剣として宮中に迎えた。
これが南北朝で争奪され、現在の宮中にある神剣。
幕末の鷹司政通の日記にある外見は、考古品として出て来る両刃剣や直刀でなく普通に彎曲刀。
何時の時代の製作かは調査された事が無いから不明。
太平記には海中から草薙剣が出て来たと称して山伏が三鈷柄剣を宮中に献納したけど、これは行方不明。 南北朝言ってみたい台詞
尊氏が剣となり、良基が璽となる。何ぞ不可ならん! >>503
後光厳即位時の二条良基のセリフだね。
他にもこのときの北朝は、女院である広義門院を治天の君に見立てた件とか、
なかなか発想が柔軟というかブッ飛んでいるなw >>503
調子いいこと言うなあと思っちゃうなーこれw >>502
なるほど。
出てこなかったのは知ってるけど、その後どうしたかは知らなかったよ。
ありがとう。 北方謙三の『道誉なり』の中の尊氏
例の、後醍醐に叛いて鎌倉入り
大塔宮死なせちゃった……
後醍醐に叛いちゃった……
なんか、鬱。
……俺、何もかも、もういいわ。
直義、あと頼むな。
髷も切る。
寺に引きこもり。
この時点で爆笑。
尊氏のネガティブさがひどい!
私本はまあなんとかうまくまとめた感じだったけど、北方版は露骨に尊氏鬱々しとる。
味方死人続出。
みんなかわいそう。
もうダメだ、ってときに、突然爽やかな顔をした尊氏が軍勢を率いて登場。
敗走する新田軍。
おまい、数日の間に何があった?
この人心療内科連れていった方がよいと思う。
それにしても、直義も道誉もいいやつだな。
自分だったら、今頃何しにきたーとキレるわ
以後付き合わない 結局、三種の神器って、宮中にあるもので古代から形状が変わっていないのは神璽だけ。
だから3つのなかでも神璽が特に重要という意識があったらしい。
禁闕の変のときに南朝の残党勢力が、神璽だけ奪って宝剣を遺棄していった例なんかもあるし。 安徳天皇おかわいそうにね
今の悠仁様とかあてはめて、こんな感じの子が海で死んだのかと思うと気の毒になあ
窒息はつらい
遺体もあがらずですか 南宋滅亡の「崖山の戦い」と壇ノ浦は似ているなぁ。
中国のソレは大陸から追い出された末の絶望的な末路だけど、平家はどうだったのだろう。
範頼軍が対岸の小倉口を占拠していたとしても九州全土じゃない。
豊後方面に逃れる手はあったようにおもうのだが。
わざわざ源氏側に有利な戦場を選んでしまったように思えてならない。 >>511
帝位にあった幼少の帝が追い詰められて入水という結末は確かに似ているが・・・。
ただまあ平氏の滅亡に関しては、それこそ鎌倉北条氏の滅亡と同じで、
一時的に難を逃れることはできても、長い目で見て行き場は最早なかったということでしょう。 数年ぶりに太平記ドラマ観賞。
私本を読んだあとだから、見やすいかな?っと。
今見てみると、脚本、すごくシンプルに書かれてるねー。
ぐちゃぐちゃの時代なのに、なるべくわかりやすく表現しようとしてるのが伝わってくる(そのぶんオタが好きそうなシーンが割愛されているんだろうが)
やっぱ真田さんの尊氏イケメン過ぎる
直義がお兄ちゃんラブラブ過ぎて笑える。うん、大塔宮は兄上のために始末したんだよね。 >>514
私本の尊氏はぶちゃいくだからなw「虫食いウリ」と言われて戸惑うシーンが「誰に言ってんの?俺?」ってアテレコしたくなるよなw
一陣の風の様に爽やかに演じる真田の横でまだ24、5の高嶋は暑苦しく直義を熱演してた。あれは名コンビ。
勿論胡散臭い尊氏ラブな道誉の陣内も彼の最高傑作と言える名演技。 寺にこもりたくなる気持ちもわからんではない
「兄ちゃんのために大塔宮斬ったよ!」
「兄ちゃんのために使者追い返したよ!」
「兄ちゃんのために全国に動員令だしたよ!」
「さあ後醍醐帝と戦って!」
北方シリーズではこれに加えて
「兄ちゃんのためにわざと中先代に負けたよ!」
が入るがさすがにあのボロボロっぷりを見る限りそれはなさそうだ >>513
いや平治の乱の戦後処理は平清盛の一存ではできなかったでしょう?
そして当時の朝廷の公卿の間には、平治の乱はあくまで藤原信頼が首謀者で、
源義朝はそれに巻き込まれただけという認識が強かったからこそ、
義朝の子供たちは助命という判断になった。 >>517
池禅尼が助命しゃしゃりでてきたっつーあれは? >>515
部屋で尊氏と右馬介がうーむと話し込んでいると、ドスドスやってくる直義
「長崎がやってくる! みなで出迎えるじゃと!? 叩き斬ったる!」
尊氏無言で部屋を出る
え? 尊氏・直義ってこんなコントだつわけ? >>520
初期のかまくらコントは直義が、京都コントは右馬助が担当 北条時行をもっと出して欲しかったな
毎回赤旗掲げた北条軍が行軍してるシーンばっか映しやがって
あれ10回くらい見たぞ >>522
そりゃ、描きかっただろうね。多々良浜の戦もね。そうすりゃ、2年掛かりますぜ!旦那 >>518
池禅尼の話も、後の頼朝と頼盛の関係とかを考えれば、事実無根というわけではないだろうが、
頼朝は他にも上西門院とかいろんなところから助命嘆願が朝廷に出ていたみたいだよ。 >>521
初期の直義がバカ過ぎてかわいい件について〜 寝れねェ……
ドンチャンドンチャン!!
直義「今何時だと心得おるーっ!!
明日早くに出立するって言うたんは師直、そちやろ!!」
「…………」
「………………………」
尊氏「…直義くんがああ申しておられる。あと一回で撤収ねー」 >>524
頼朝のオカンと実家が朝廷に深く入ってるからね >>466
確認だが、そこは江戸時代のもので大した由緒はないぞ
恐らく、鎌倉なら今は無き勝長寿院にあったはずだ
タイムラグ無しの墓所はまとめるとこうだ
■源頼朝
・滝山寺(三河県岡崎市) ←頼朝母方の菩提寺
・勝長寿院(神奈川県鎌倉市)
・金剛三昧院(和歌山県高野山)
■足利尊氏
・八剣神社(三河県岡崎市) ←元は足利宗家の屋敷があった大門寺(開基は足利氏の先祖、藤原範忠か?)にあったか?
・長寿寺(神奈川県鎌倉市)
・等持院(京都市北区)
■徳川家康
・大樹寺(三河県岡崎市)
・久能山東照宮(静岡市駿河区) 滝山寺は尾張の熱田神宮藤原南家・頼朝母方の菩提寺ではありませんと滝山寺が言っているのだが
三河岡崎市に足利宗家の屋敷は存在しない足利庶流と宗家の家来や上杉の屋敷があったし
尊氏の墓所ではなく伝承レベルの供養塔だとと岡崎市が言っているのだが >>531
嘘をつくのが後ろめたいからアンカーを付けないのかい?w
補足説明
足利尊氏供養塔
http://www.geocities.jp/kawai24jp/aiti-okazaki-yagenjinjya.html
・昭和32年(1957)、八剣神社北側の堤防直下の水路工事に際して、多くの古代・中世遺跡(大門遺跡)と共に出土した
・矢作川の氾濫で、一帯が水浸しになり流されたと考えられ、笠と塔身が本来のもので他は別物なのはそのため
・元々あったところが不明なので、八剣神社に設置した もういっそのこと「三河」を専ブラのNGワードにしちゃおうかなとw >>532
素人のサイト晒してどーすんだよw
なら岡崎市に聞いてみろ
お前は三河人の恥さらし三河に泥を塗るな >>534
たがら、尾張じゃねーつーの、何回説明させんねん
三河の熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、源義兼(初代源姓足利氏)を生む >>537
お前も三河守、尾張守だった頼盛の話をしているだろうがw >>536
何か問題あんの?
資料的に一番よく分かりやすいと、評価に関しては自信がある俺が判断したんだが ここ見てると再鑑賞欲出てきてヤバいwもう10回以上周回してるのにw
大人になって改めて再鑑賞するとフランキー長崎も自分なりに治世考えててただの悪人じゃないんだよな。てか悪人が登場しない。
たまらんので鎌倉炎上だけ見返すわ。 >>541
私利私欲に走った息子を激しく詰っていたからね 当時のポスターとかチラシとか大河ドラマストーリーの表紙とかテレフォンカードとかサントラCDとか
鎧姿の真田広之と現代姿の沢口靖子と宮沢りえと後藤久美子の4ショットが多いね、華やかだなあ
大河で夫婦役を2回やってるのは緒形拳&藤村志保と真田広之&沢口靖子だけだっけ? >>543
自分も、その2組だと思っている。しかし、1991年の大河ドラマのオファーする時に、それがわかっていての配役だと思う。 >>544
だから、お前は、リンクを貼る事にどーいった問題あるのか答えられないのかよ?
下のまとめは俺の作文だし
大体だな、基本、新編岡崎市史に沿った話をして、何で三河の恥になるんだよ
どいつもこいつも頭がおかしいのか
味噌臭い話をするなとか言い出す奴は、自分で三河守頼盛の話をしてやがるし
思いっきり味噌臭いがな 写経をしている高時の姿がドリル解いてる小学生にしか見えない件
先帝も殺さないといけない、浄土も見ないといけない、高時はおおいそがしじゃあ〜 長崎親子の息子のほう(高資だっけ?)は
(今でいうと)金権政治をやる汚職政治家だったのかな
改革を考えた政治家だったって書いてある本があって
「???」だったけど >>547
北条高時は、今年、何かの絵巻物に、顔が出ていたが、安田大サーカスのクロちゃんみたいだった。 ちゃんと讃岐殿って呼ぶのがいい。太守!とかね。尊氏様とか当時言ってたら無礼過ぎやろw
学芸会じゃないんだからちゃんとフィクション作れよって真田丸見て思ったわ。 鎌倉炎上
それまで大嫌いだった円喜だが、この回でほろりとくる。
平家一門の最期といい、北条一門の最期も感傷的になるなあ。 >>552
長崎円喜は、実際は、一番最初に、切腹したらしいね。やはり、フランキー堺さんの役者の格が、最後に、切腹させた主な理由らしい。 実際には、円喜を最後まで残すと、一人だけ自害せずに逃げるんじゃないかと実の孫に疑われ、
最初に切腹させられたんだっけ? 真田広之と沢口靖子は絵になるカップルだねえ、内裏雛みたい 戦パートは鎧や衣装を見てしまう。
戦国時代よりムダに色合い鮮やかでオシャレ
個人の好みとか経費とか気になる
初期の新田は安物仕様という設定なんだろうなーとか考えたり
道誉と尊氏並ぶと綺麗 >>556
やっていない。
というか、そもそも覚海尼は、史実としても鎌倉幕府滅亡時には死んでいないし。 森口瑤子なんか25年経ってもあんな感じだからなあ。
あっちの方が脅威だよ。 28話
大塔宮が足利憎しで兵を集める。
道誉がキレぎみで尊氏のところにやってくる。
のほほん尊氏。
道誉「足利には誰が付く?」
尊氏「道誉殿が来てくれた(*´∀`)」
一瞬言い返せない道誉にときめく。 久しぶりにドラマ見て、(見る前に初めて私本読んで)
大塔宮の俳優さんが原作イメージ通りで演技うまいなー
逮捕された回ラストは涙ですね
廉子の女優さん、余り悪そうな人に見えない
帝もそんなに悪そうに見えない
なんだろ、私本ってすごくイメージ強烈で………
こんなところに本田正信が!大河常連さん 個人的には
ドラマの後醍醐天皇は
わりと神々しく(?)描かれていたからなあ
密教にこったり、鎌倉打倒の祈祷したり
エネルギッシュなイメージがあまり感じない >>559
えぇっ?
とすると、オンナ達を高時のまわりにハベらせて「タイシュをお慰めするのジャ」てかなんとかいって自分の息子を自決に追い込んで、円キの見事な割腹も見届け、逃げたってことかぁ。 史実のイメージだと三國連太郎や仲代達矢あたりかなあ<後醍醐天皇
そうすると阿野廉子は岩下志麻や小川真由美あたり、濃過ぎるかw91年時点では年行き過ぎだし 後醍醐帝の史実イメージとか、糞野郎以外の印象が何もないのだが 後醍醐帝は日本史上まごうことなきクソ野郎一確だな。擁護するとこが一つもない 藤夜叉の最期ってもうちょっとなんとかならんかったかな
こっち来るなと言われてるのに無視して挙句斬られるって
悲劇というか、何やってんのとしか思えなかった
どこかの時点で退場させないといけないのは分かるけど 最初の予定では後醍醐天皇が石坂浩二で北畠親房が平幹二郎で北条高時がビートたけしで長崎円喜が仲代達矢だったのは見たことある
本当かどうかはわからんけど 春渓尼も女衆が自害する前にスタコラと出て行ってるし。 >>570
だって原作通りじゃもっと悲惨な目に遭うし石がそもそも大河オリジナルだから、あいつと絡ませるとああなるんじゃね? >>571
裏で「元気が出るテレビ」やってるのにビートたけしはありえんわw >>565-566
高時の最期を見に来た尼は、春渓尼だね。
春渓尼は高時の最期を見届けて、それを覚海尼に報告するために東勝寺に来ているわけだし、
高時からも「高時こういたしましたと母御前にお伝えしてくれ・・・」と言われていた。
あと春渓尼は、高時が息絶えるまではあの場にいたが、円喜が腹を切る前に立ち退いている。 >>571
北畠だけならちょっと信用するかもだけど後はないw >>574
そういえば、たけしが2003年の大河「武蔵」に出たとき、
一昔前ならあり得なかったと話題になったよね。 足利家の通字は尊氏以前は「氏」が多かったのに
将軍家になってからは「義」なのはなぜなんですか?
関東公方とかは「氏」のまんまだけど 足利義康→義兼→義氏→泰氏、、、
源氏嫡流を自負して初代にもどったんじゃないかな?
泰氏からは得宗の偏諱じゃないか? >>578
徳川(松平)宗家の通字が、家康以前は「忠」だったのに、
将軍家になってからは「家」になったのと同じだろう。
後世から見た河内源氏の偉大な先祖が源頼義・義家あたりであり、
そこから鎌倉・室町・江戸の各将軍家がそれぞれ「頼」「義」「家」を通字として使用。
なお室町幕府の場合、もとの足利宗家の通字は、将軍家の代わりに鎌倉公方に与えたのだろう。
まあ鎌倉公方・古河公方の諱は「将軍からの偏諱+氏」が基本だけど。 >>434
高椅さん花神でも良いんだよなー
ただ、岡崎友紀の旦那役がw >>552
https://www.youtube.com/watch?v=CZPX_RoSeiY
Samurai Warrior - National Geographic Documentary 2015
北条の最期の検証 >>548
長崎氏などの得宗被官(御内人)は、時宗の頃からずっと、
得宗家への権力集中を目指す改革を指向し続けているよ。 私本に比べて北方本、読みにくい……
冒頭二三行主語すっ飛ばしたまま誰なのかわからん文章は余り得意ではない >>587
読書感想文はそろそろBlogで。鼻についてきた >>587
主語が明示されていないと読めないって、貴方、古典とか苦手だったでしょ? >>589
国文卒
専攻は平家物語 小宰相考
教員免許だけならとった 国文てあまり本読まないんだな
ハードボイルドでは主語出ないのが普通じゃね
チャンドラーとかずっとそんな感じ >>592
個人の学歴にも興味無い。おまえもひつこい。 >>595
日本史板では馬鹿にされるから大河板にくんだよ >>585
発掘していた場所は稲村ケ崎かな?
極楽寺周辺にも沢山出て来たような記憶がある。 >>595
小説の感想文は日本史板でも普通にスレチでしょ。 多少のスレチはしょうがないよ
今はスレを続けていくことに意義がある
寧ろ20年以上前の作品に関するスレが途絶えてない方が有難い
ここの住民双方、日々の生活に余裕がなく、いちいちカリカリするのはわかるが、もう少し気持ちを大きく持ちたいものだ
他人の発言にもう少し寛容に…… >>600
毎度のことだけど、一々「スレチ」「スレチ」と騒ぎ立てたい御仁がいるんだよ。
そして内容如何に関わらず二言目には「日本史板いけ」と・・・。
というか今回の場合、小説の感想を日本史板で語るのは、正直ここでやる以上に、
より場違いだと思うのだけどね。
逆にドラマ板で、ドラマの原作本やその関連小説について語ることは、
普通に許容範囲内じゃないのかな?
まあ「鼻につく」という物凄く身勝手な理由で、これを排斥したい御仁もいるようだがw 読書感想文だって最初は黙って見てた人多いじゃん。目に余るから止めてくれって言われたんなら自制すんのが大人じゃね?
私本や史料ならまだしも、北方とか学歴とかまっっっったく関係無いじゃん。何事も程々にですぞって事だろう。
反応に困る脱線はやっぱりTwitterやblogでやってくれと思うわ。 でもかといって、それを日本史板に追いやるのも意味不明だよな。
それとも北方や学歴の話が日本史板に相応しいとでも?
というか、この程度の話の流れは全く許容範囲だと思うけど・・・。
まあしかし、このレベルで一々紛糾するところを見ると、
このスレって心にゆとりのない器の小さい人が多いのかな?と思うよ。
正直いって、少々脱線気味の話題が出てくることそれ自体よりも、
一々それに噛みついてスレの雰囲気を悪くする人がいることのほうに、
個人的には嫌悪感を持つけどなぁ。
スレの流れが嫌なら、自分で何か他の住人が飛び付きそうなネタを提供して流れを変えるとか、
そういう大人の対応をいい加減に覚えたらどうなんだ? ここの歴史談義、三河バカさえいなければそこまで苦痛にならんよ >>603
おまえの感覚が正しいとおれは思うよ
取り敢えずなんか話の長いenSw0VdnはNGにでもしておこう
話題というもんでもないが登子って「とうこ」と呼ぶのは明らかに変なんだよね?
他の呼び方とか見たりするけどどうもこのドラマの耳からの記憶が強くてとうこ以外受け付けられない >>604
スレ住民sageしてるけど、全部読んでる?読書感想文結構続いてるぞ?オススメ書籍聞く位はアリだと思うけど、その先は自分で消化して欲しい。
自分で自分の首絞めて見える。読書感想文書いた人かも知らんけど、引き時弁えた方がいいよ。
>>606
登子はやっぱりとうこがしっくりくるよな〜ドラマへの思い入れと言われたらそうかも知れんが、寧さんみたいにコロコロ変わるのも気の毒。
まあ太平記もっかいやろうなんてプロデューサー居ないだろうけどw 北斗の拳の兄弟喧嘩なみにここまで酷いとは思わなかったわ >>607
感想文を書いていた人は、おそらく最近になって太平記やこの時代に興味を持って、
いろんな本に手を出して舞い上がっていたのだろう?
個人的にはマイナーな太平記の時代に興味を持つ新たなファンが一人増えたと思えば、
まあ微笑ましいことだと思って見ていたけど。
そのせっかくファンになりかけた人を、お前らはよってたかって潰しにかかって何やってるの?
太平記ファンがこんなのばっかりだと思われてしまったら何か凄く嫌 いやいや、ここは「大河ドラマ太平記」のスレだから。あとはいちいち言わなくてもわかるよな? >>609
いや、布教スレじゃねーんだから、スレで注意されたからもう見ない!キーーー!ってか?知らんがなw
せっかく好きになったのに寄ってたかって潰すとか、発想が女だね。
普通に大河の太平記の話するスレだろwなに勘違いしてんのか知らんが、感想文止めて、他の書籍やら読んで気が付いた事とか普通に書きゃ誰も釘刺さんのちゃうの? >>597
稲村ケ崎だろ
しかし動画には僧兵が結構出てくるが
ドラマでは出てこなかったな >>613
比叡山の僧兵とかちょろっと出てた位だっけ 読書感想文の話はもういいから、それより鎌倉時代の足利氏が足利荘に対して
保持していた職が、地頭職だったのか、それとも領家職だったのか、ちょっと
検証しない?
鎌倉御家人が一般的に荘園に対して持っていた職というと地頭職のイメージに
なるけど、足利荘の場合、足利氏の先祖の義康が藤姓足利氏から譲られた
土地を鳥羽法皇に寄進したものが、八条院領に編入される形で成立した
わけで、この経緯からすると足利荘は八条院が本家職、源姓足利氏が
領家職というイメージに見えてしまう
これってどうなんだろう? >>613-614
道誉が諍い起こした妙法院も僧兵じゃなかった? >>615
いいねぇ、そういう話は大歓迎だな。
で、その足利庄の件だけど、鎌倉期の足利氏が足利庄に対して、
領家職と地頭職を両方とも持っていたって可能性は考えられないの?
まあこの場合、足利庄の南隣にあり、ともに足利氏が在地を支配し、
足利庄と一体的に扱われることも多かった梁田御厨(伊勢神宮領)が、
どういう権利関係になっていたのかも興味あるけど。
ちなみにドラマ序盤で、尊氏が伊勢神宮に年貢を届けに行くという名目で鎌倉を出て、
京都見物に行く場面があるけど、あの伊勢神宮に届ける年貢というのは、梁田御厨の年貢だね。 お稚児さんが出てきたのは竹之下だったか叡山だったか 義国は院側の代理人だ、領家ではない
本家は安楽寿院、下司は藤姓足利氏 >>616
鎌倉炎上の回では出てこなかったような記憶がある
しかし新田の北条追い込みや残党狩りは凄かったみたいだな
ドラマでも新田の気勢と複雑な思いの足利が対照的に描かれていて良かったと思う 寺を襲ってるシーンは門を燃やすシーンで片付けてたよね。僧兵の衣装なんて大して金かかりそうでもないのに >>620
北条得宗の新田と足利に対する処遇は露骨すぎだったからな。
家時自決の時ぐらいだろう足利のうらみは。 足利と対等という感覚が冷遇という印象を作っているのではないか
足利一門の新田義重が頼朝挙兵時に最後まで日和見を決め込んで
以来干されたと思えばあんなもんじゃなかろうか 義重は娘を頼朝の側室にってのも断ったしな。頼朝の子を産んどけばあんな没落することはなかっただろう 新田氏は、「足利一族の新田」なのかな
隣近所で、平穏な時は、互いに補助しあってたらしいけど
新田氏の中では
「新田一族の足利氏」って意識は、どこかであったかな
武田が弱体化させられてるから
頼朝との件がなくても、いずれ新田は叩かれてる・かな 源氏でありながら平家に属し頼朝討伐の命令を無視
下野足利ではなぜか平家方の藤姓足利氏とも揉めるが静観
その後まったり鎌倉に出向いてぼんやり。
あの狂暴の頼朝がよくぞ義重始め
一族郎党抹殺しなかったのが寧ろ不思議
義重って平和主義者なのか優柔不断なのか
蝙蝠戦略なのか平家の勝利に掛けていたのか
よくわからんから面白い。 >梁田御厨の年貢
んなわけねーだろ
御厨が一番多かったのは三河国で約30ヶ所もあった
伊勢神宮の経済基盤は三河国の荘園
神宮式年遷宮
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%BC%8F%E5%B9%B4%E9%81%B7%E5%AE%AE
>内宮の用材の御杣山は第35回式年遷宮から三河国に移り
その伊勢神宮にタカちんが政治的圧力をかけとるわ >>627
北関東にいて政治情勢が分かるのか?
京と鎌倉の間の三河で雌伏していた義兼は、母方からの京の情報もすぐ入ってきて、脳がフル回転しとるわ
足利義兼と三河の藤姓熱田大宮司
三河の藤姓熱田大宮司家
・家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
・系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))
☆源頼朝、★足利義兼
藤原実範
・藤原成季
・藤原季綱(三河守)→@へ
・藤原季重
・藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→Cへ
・藤原行綱
・興義
・実慶
・三位女→高橋惟康(伊勢新二郎大夫、三河国加茂郡高橋庄(八条院領目録にあり)領主)
@藤原季綱
・藤原友実→Aへ
★藤原実兼→藤原通憲(信西)
・藤原悦子(鳥羽天皇乳母)→葉室顕頼(三河守)→藤原俊成(養子、三河守)
・他多数
A藤原友実
・藤原能兼→藤原範季(後白河院近臣、順徳天皇の外祖父、源範頼養父)→Bへ
・女子→源頼政(上西門院に出仕、伊豆守、源三位)→C
・他多数 B藤原範季
・源範頼(養子、三河守)→源範円(正法寺(三河国宝飯郡)僧)→吉見為頼(初代吉見氏)
・藤原範時(八条院蔵人)
・藤原範茂(子孫は高倉家(羽林家))
・藤原重子(修明門院、順徳天皇母)→順徳天皇
・藤原範光(養子(実父は藤原範兼)、後鳥羽院近臣)
:藤原範子(養女(実父は藤原範兼)、後鳥羽天皇乳母、土御門天皇外祖母)→源在子→土御門天皇
・藤原兼子(養女(実父は藤原範兼)、後鳥羽天皇乳母)
・他多数
C源頼政
・源仲綱(大内守護)→有綱(伊豆守)→女子(源義経室)
・源国政(初代山県氏)
・源兼綱(実父は頼政兄の頼行)→大河内顕綱(初代大河内氏(三河国額田郡大河内)か?)
・源頼兼(大内守護)
・源広綱(実兄の仲綱に養子入り、駿河守)
・二条院讃岐
D藤原季兼
・藤原季範(蔵人所雑色、初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→Eへ
・藤原憲実(法眼)→藤原仲経(九条院蔵人、玄番助大夫、美濃国土岐多良庄地頭)
・女子→二階堂行政(鎌倉幕府の政所令・後に別当、初代二階堂氏) E藤原季範
・藤原範忠(後白河院上北面、大宮司、三河国滝山寺大檀那、室は美福門院女房上総)→Fへ
・藤原範信(式部丞、上野介、大宮司(星野大宮司)、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))→Gへ
・藤原範雅(後白河院上北面、大宮司)→Hへ
・藤原範綱(大学助大夫)
・藤原範智 (法眼、園城寺)→三位局(源実朝御所縫殿別当)
・三河祐範(法橋、三河国滝山寺、園城寺、頼朝伊豆配流時代の支援者)
・粟田口長暹(法眼、三河国滝山寺、仁和寺、守覚法親王近習)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
☆由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進、征夷大将軍)
★女子(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人、上総介)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
F藤原範忠
・藤原忠季(大宮司、刑部丞、蔵人所雑色)→藤原忠兼(備中守、大宮司)→海東忠成(猶子、大江広元の四男、初代海東氏、大宮司)
・野田清季(大宮司(野田二郎大宮司)、三河国野田城主、初代野田氏(三河国設楽郡野田))→鷹司朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(大宮司、室は足利義兼の娘)
・藤原能季(相模守)
・藤原範高(検非違使、蔵人所、大宮司)
・寛伝(額田僧都、日光山満願寺19世座主、三河国滝山寺)
・任暁(仁和寺)
★女子→足利義兼(八条院蔵人)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
G藤原範信
・藤原範清(検非違使、上西門院蔵人、星野左衛門大夫、頼朝右大将拝賀先駆)
・藤原憲朝(八条院判官代、駿河守、初代千秋氏(三河国設楽郡千秋))→藤原範俊(左馬助、大学助、源実朝近習)
・藤原信綱(駿河守、尾張国海東郡地頭)
・藤原信雅(高松院蔵人)
・藤原憲行
・藤原実豪(延暦寺権僧正) 崇徳天皇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87
・兵衛佐局 - 法印信縁女、源行宗養女 ←三河の藤姓熱田大郡司家出身か?
・三河権守・源師経女 ←源頼朝、足利義兼の従姉妹
人的ネットワークで全く新田はお呼びではない >>621
そういえば「僧兵」という言葉は、後世の人間が付けた呼び名で、
当時は一般的には「悪僧」と呼んでいたみたいだね。 >>627
義重は当初頼朝のことを「都の水につかった伊豆の流人」程度しか思わなかったんだろう。
新田は確か八幡太郎の長男筋の家だよね。
平将門の乱の時、心情的には将門の味方ながら、仲裁・中立を決め込んだ(軍事支援説もあり)村岡五郎もその系統は生き残るどころか千葉・上総・三浦など、坂東八平氏のもとになったくらいだ。
流動する政局には流されず勢力を保てば、相対的に新田の看板の価値があがると思ったんじゃないか。 >>633
へえ!悪党といい今とニュアンスが違うんだなあ。日本語っておもしれえ この頃の時代の悪という意味は勢力が強い
っていう意味だったんだっけ。
頼朝の異母兄は悪源太義平とか。 >>637
ガセ
徳川の出自は実はアレ
忍者カムイはその怖ろしい秘密を知ってしまったために抜け忍になった >>638
それは白土の創作じゃなくて、史料あり?
新田が徳川と関係あるとは思わないけど、あっちと関係あるとも俄かには信じがたい >>634
村岡五郎tと新田氏の接点ってまるで創造できないのだが。
源経基まで遡れって事か?。 そもそも群馬の被差別部落って新田伝説だらけだよね。 その辺の胡散臭い家系図捏造や
出自疑惑などが昔は当たり前
だったのだろうと思うと、
賎民の出を恥とも思わず、
関白になる為にしこたま金積んで
近衛家の養子縁組までして
上り詰めた秀吉て凄いやね。 >>634
八幡太郎義家の長男は、頼朝の曾祖父である義親でしょ。
足利氏や新田氏の祖になる義国は、義家の次男。
あと関東の源氏のなかには、義重以上に露骨に頼朝に反抗した佐竹一族とかもいるわけで、
あの段階で“源氏一族は皆頼朝に従って当然”というような認識が、
当時の世間に当たり前にあったわけではないだろうね。 >>643
秀吉の場合、一般的な地方のそこそこの有力武家クラスが出自を仮冒するのとわけが違うよ。
普通の武家ならかなり怪しい話でも、もしやということもあるから、あくまで疑惑レベルだが、
秀吉の場合、どんな家系を主張しようと、100%あり得ないのが最初からバレバレの状態。 まあそんなこと言ってたら、楠木正成なんてほんとどこかの馬の骨だろ。
よくいわれるのが「散所の者」だっけ。
ヘタすると完全に賎民につながっちまう。 一色氏から嫁が入って、その孫が天皇とお友達の高僧だった松平一族と豊臣猿吉、楠木正成と比べたら、流石に松平に失礼だろう 秀吉って言えば高師直と並んで日本史で有名な横恋慕してる人、両方とも創作みたいだが
師直は太平記が廃れたせいもあって今は知名度低いけど、映像化してるのこの作品くらいだし
秀吉は未だに横恋慕が描かれるが >>650
松平信光の妻が一色満範の娘というのは、明確な史実なのかね?
>>651
そういえば柄本明は、大河で師直と秀吉を両方ともやっている。 >>653
100%正確かどうか分からんのだから何とも言えないんじゃないだろうか >>652
今川氏の正史、今川記に記載されているが
信光が創建した信明光寺が後土御門天皇の勅願所だったり、松平と皇室とはただならぬ関係がある
信明光寺を開いた坊さんの師匠は、増上寺を中興した聖聡で、聖聡の母親は新田義貞の娘だったかな まあ仮冒くさいけど徳川が新田の名を高めたのは事実だろ。家康の将軍宣下の時は新田殿〜て呼ばれたんだろ? 今川奮闘記の新田の得川と松平と怪しい坊主の件は捏造で
今川記自体偽書だろ
戦国後期に三河の山賊の徳川が藤原の出目を捏造した後に
源氏を出目にしたいがために今川に再三に渡って編纂させた
それをひたすら盲信する三河屋ってw 今川記の成立は1553年だつーのw
讃岐国とほぼ同じ面積の巨大皇室領荘園を軽く考えるな
中世の中心プレイヤーは、実はこの巨大皇室領荘園関係者だ
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市全域は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる 豊田には鎌田政清の子孫と称する深津氏がいるが、最近知ったが、政清の祖父の助道は豊田に所領があって三河にいたらしい
だから、政清の兄が三河で坊さんやっていて、野間で殺された政清の遺体を引き取り、三河で埋葬した
この豊田の所領はもちろん高橋荘内だ
三河の歴史は奥が深い
政清の兄が坊さんやっていた寺はココだ、政清もここに埋葬され、現在も墓がある
真福寺(三河県岡崎市)
http://www.shinpukuji.com たしかに「世良田二郎三郎」でググると家康はヤバすぎるなw >>657
分かっててもスルーするのが暗黙のルールだ! >>653-654
塩冶高貞の失脚後、塩冶氏が持っていた出雲の守護職などが高一族の手に渡っていることから、
とりあえず師直が何らかの形で高貞の失脚に関わっていた可能性は、高いと思うよ。 >>662
失脚に加担してたとしても女房に横恋慕が原因はかっちょ悪いw >>659
補足説明
真福寺(三河県岡崎市)
http://www.shinpukuji.com
鎌田政清の兄貴が引き取った遺体は3体で、当然、当寺には供養塔が3つある
この3体に義朝が含まれているのなら、野間の墓は空っぽで、実は義朝は三河に葬られた事になる
この真福寺から南にあるのが、もうお馴染み、頼朝母方菩提寺である滝山寺だ
滝山寺(三河県岡崎市)
http://takisanji.net/
この滝山寺では2年前に死んだ由良御前を菩提する仏事が、澄憲法院を指導僧として、由良御前の弟によって行われている
ちなみに澄憲法院は信西(由良御前とはハトコ)の息子
祐範(三河法橋祐範)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%90%E7%AF%84
>姉の由良御前が死去した際、49日の仏事を差配してその菩提を弔っている
>14歳の源頼朝が罪人として伊豆国の配所に送られる際、郎従を付けて送り出している
ちなみに頼朝に付けてやった郎従は安達盛長ではないかと言われている
数奇な運命か、源義朝は鎌田政清の兄貴によって、由良御前は由良御前の弟によって、三河で菩提された事になる >>663
まあ師直って、二条家の娘にも手を出して、子供(師夏)を産ませるような人物だから、
あながちあり得ない話でもないように思えてしまうのがアレだねw 本放送時に2CHがあったら
どんなスレがたちそうよ 宮沢りえの役って実在もしくはモデルになってる人物いるの? >>663
女絡みの話にしておくほうが読者受けするだろ
新田の匂当内侍の話とか >>667
原作の創作だけど直冬が居るからモデルというかインスピレーションの元は居るだろうね >>660
世良田次郎三郎は家康の祖父清康が自称してたんだけどな。面白おかしく家康の影武者になってるね >>667
越前局
古典太平記で出てくる
原作の私本太平記の創作ではない 今日再放送されてた武田信玄で児玉清が退場したけれど
大河では黄金の日日の徳川家康と太平記の金沢貞顕が特に印象深いな 昔の教科書では
歴代執権の中で貞顕だけ金沢で他は
皆北条だったので
金沢だけ別の一族だとずっと思ってた >>673
「時宗」でピーターやった人が児玉サンのお父さんかな? 赤橋も教科書じゃ北条じゃないんじゃない。金沢、大仏、名越etc. 姓が平で名字が北条、名越や赤橋は屋号みたいなかんじかな >>673
歴史手帳の巻末の執権一覧とかが実際その表記だよな。
>>674
ピーターがやっていた実時は貞顕の祖父で、実時と貞顕の間には顕時という人物がいる。
ちなみに顕時の正室は安達泰盛の娘で、顕時と泰盛娘の間に生まれた女性が足利貞氏の正室。
なお貞顕は顕時の側室の子。
>>677
足利一族の「斯波」「吉良」、佐々木一族の「六角」「京極」「隠岐」「塩冶」なども、
本来的には同様の屋号みたいなものだろう。
もっとも時代が下ると、だんだんこれが苗字のような雰囲気も出てくるが。 苗字と言えば
なぜ脇屋義助は庶流でもないのに由緒ある新田を名乗らなかったんだろうな
名前も少し変だし >>679
北条や新田の家って南北〜室町を通して武家としてどのくらいまで残ったのかな?
屋号も含めて。
山名が新田系というのは知ってるが。 そこで岩松さんですよ。
「岩松を呼べ!」じゃねえよ没落貧乏人義貞よぉ なんで岩松なんかに乗っ取られちまったんだろうな。
その時点で新田もあやしいじゃねーかw >>678
豆だが、斯波は永源寺(三河県岡崎市)で菩提されている
ヨロピク
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京(初代から先代)之地也」
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした
永源寺
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。 >>682
えっ、岩松氏の方が、新田氏より上なんですか?大河ドラマだと、下のような扱いだったけれどなあ? >>680
うろ覚えだが
畠山や吉良や今川(品川)は、高家として残ったんじゃないかなあ
足利(鎌倉公方系)は喜連川氏に改姓して江戸時代も続いた
後、大名家の家来とかで残っている・らしいけど 岩松氏は、足利方に味方したから
新田宗家が滅んだ後
足利氏から「新田の宗家」として認められたんじゃなかったかな >>686
新田っていってるじゃん。畠山吉良今川は足利一族だろ >>680
山名氏は男系では新田庶流になるが、鎌倉初期の頃から足利一門との婚姻関係が強く、
事実上は足利一門と一緒に活動していた雰囲気がある。
逆に新田一門と見られることの多い岩松氏は、実は男系では足利庶流。
ただこうした足利系か新田系か微妙な武家は、尊氏と義貞の決裂後は、
結局みんな足利方にくっついていくのが基本。
他には新田一門ながら室町幕府の奉公衆クラスで残った者に、大館氏や大島氏があるかな。
足利義政の乳母として有名な今参局や、『大館常興日記』を書いた大館尚氏は、大館氏の末裔。 >>689
雰囲気ってw
てか足利系か新田系かなんて微妙でもない
出目を辿れば直ぐ分かる 父方が足利系、母方が新田系(もしくはその逆)だと
どっちの一族を名乗るんだろ
大河では、(個人的には)あまりつきあいないような印象を受けたが
鎌倉中期くらいまでは、足利と新田は普通に親戚づきあいしてたんだろうか >>690
実際、山名氏は室町幕府からは他の足利一門大名と同様の扱いを受けている。
だいたい足利宗家の先祖と別れたのが一世代前か後かだけで、
山名や里見は一門じゃないけど細川や仁木は一門なんて、厳密に区別する意識なかっただろう。
>>691
岩松氏が男系では足利系なのに、新田の庶流のような扱いを受けた理由は、
岩松氏の初代が母方の新田氏から多くの所領の分与を受けていたことが大きいらしいね。
足利と新田については、鎌倉中期に足利義氏の娘が新田政義に嫁いでいる事実があるし、
新田政義が自由出家で幕府から処罰された際には、足利義氏が幕府との間を取り成している。
そしてこの件もあってか、鎌倉中期〜後期の頃には、
新田氏自体を足利の庶流と見なすような空気もあったとか。 奉公衆の大館って佐々木道誉が九州から拾ってきて
幕府に押し込んだあれか
相変わらず道誉のやることはわからん 大御所や判官殿のみならず顕家、忠顕、花一揆等々果ては河内のおっさんまでイケメン風のコンテンツ作って婦女子人気を煽れば太平記も戦国幕末に負けない定番時代劇になるかなあ。 >>692
義範の範の字でピントこんか?鈍い奴だ
範と言えば三河の藤姓熱田大宮司家だわな
山名氏が頼朝や尊氏にべったりだったなのは、初代が三河縁者だったからの可能性が大
矢田熊子城(三河県西尾市)
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Kumako-jo.html
矢田郷前城(三河県西尾市)
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Yada-Gomae-jo.html
この縁起はさておき
矢田義清の矢田は三河由来で、義範の母親は三河の熱田大宮司家関係者の説はどーだろうか 三河の藤姓熱田大宮司家は面倒見が良かった事を頭に入れておけ
源義朝の妾の子
・範頼 幼少期は由良御前が養育し、その後、由良御前の父親の弟が養育
・義経 由良御前の兄立会のもと、熱田神宮で元服か?
当然、義康の妾の子、義清の面倒をみたが自然であり、西尾の矢田郷に何らかの縁があったんだろう >>693
道誉の娘が大館氏に嫁いでいたから。
たぶん婚姻自体は建武政権期に行われていた。 というか、新田は足利と違って惣領家がしっかりと一族をまとめていた感じじゃないし、
山名や里見なんかは鎌倉初期の動向からして、鎌倉幕府からも、
新田本家とは別に独立の御家人として扱われていただろう。
しかも政義の一件以降は、新田の惣領職自体も、岩松と世良田に分割される形になっているし、
鎌倉期の新田本家はボロボロ。 だな。円喜の「新田?あの新田がw」が端的に表現している。足利の庶流扱いが正しいと思う。尊氏が義貞に鎌倉攻めを提案したのは義貞に将器ありと思ったからだろうか? 最近観て思ったのは
数々の登場人物の最期の演出もこのドラマの好きな所
1位は足利直義
2位は新田義貞
3位は赤橋守時
4位は楠正成
5位は北畠顕家 >>702
楠木正成は、敗走途中で足利の大軍に取り囲まれたと思ったや否や、いきなり納屋の中で七生報国の場面にワープしたのがちょっと?だった。 >>704
得宗家は集団だし
最期は独りが泣けてくるよ 新田氏族みてたら鳥山氏っていてワロタ。鳥山明の先祖かな >>706
鳥山さんはそこまで珍しくないよ。クラスにいたもん。あだ名はDr.スランプだった 北条氏でも金沢流とか赤橋流とかはたとえば
金沢 貞顕や赤橋守時と苗字みたいに呼ばれる様だけど
得宗家の人は得宗高時とかは呼ばれないのですか? 無理して呼ぶなら「江間」やろね
それより政村流はなぜか北条以外の呼び方ないよね >>707
ひどい!せめて、男の子なら、則巻せんべい、女の子なら、則巻あられにしなかったの? 有力御家人を次々滅ぼしてきた得宗家がいくら主力を畿内に派遣していたとはいえ、新田みたいな貧乏御家人の暴発で族滅されるとは >>706
お待たせ
西条吉良氏に仕えた鳥山氏のようだ
http://d.hatena.ne.jp/soorce/20081109/p1&#160;
高:では、そのアウトラインから。鳥山明と言うのは本名ですか? 
鳥:本名です。 
高:珍しい名前ですけど多いんですか? 
鳥:祖母のところでは多いですよ。三河(愛知県)の幡豆はずという所ですけど。 
精明山宝泉寺(三河県西尾市) 祖父母の菩提寺 
http://d.hatena.ne.jp/denbei9th/20120815&#160;
>鳥山精明(牛之助)が1545年に建立 
鳥山精明(牛之助) 
江戸中期の三河代官。鳥山家は4代にわたり三河代官を勤めた家柄である。3代の精元は,三州小牧邑(幡豆郡吉良町)に生まれ,1666年(寛文6),父を継いで三河代官となった。 
1673年(延宝元),矢作川の治水のため,挙母神社の東側の曲尺手(かねのて)に堤防を築き,遊水池を作って,堤防決壊と浄化入水を防いだ。領民は,この堤を「精元堤」と呼び,徳をたたえた。 
また,精元は堤防に桑樹を植えさせ,養蚕を奨励し,農村経済の一端を支え,現在まで続いた挙母養蚕の祖とあがめられた。 
この他,上・下庄司ケ池の治水を行い,農地干ばつの不安を取り除き,道幅三間半(6.3m)の街道を作り,これに沿って挙母の街並みを整備した, 
水害から神社を守るための移転用地を下げ渡し除地(検地から除き無課税とすること)とするなど,当時の人々の農業生産や日常をめぐる諸問題に積極的にかかわった。 >>711
どっちでも呼ぶヤツが多かったからそうなっったったんだよ!!!ちなみに女子でした。 >>716
眼鏡っ子だったからアラレちゃんぽかったんだよ >>716
何言ってんだお前
40代ですらナウなヤング扱いされるのが大河板だ 北条幕府軍も決して弱くはなかったんだろうが、六波羅陥落の報の効果でかなりの御家人の寝返りがあったんじゃないか。
ヘタしたら一門の中でもいたんじゃないか?
逆に北条に関係ない御家人で幕府に殉じたヤツはいたのかな。
後、大河で出てこなかったけど、親王将軍はその後どーなっちゃったのかな? 太平記に一門の佐介貞俊が千種に誘われて寝返ったという記述があるけど
短期間で滅んでるから、大抵の一門は寝返る暇もなかったんじゃなかろうかね
(庶流たって大仏高直クラスになると勧誘工作すらされないだろうし) >>718
ゴメン、30代前半.......再放送世代 北条から寝返って政に携わってた坊主いたじゃん。DVDで探すのめんどいが、何人か居たよ。 六波羅陥落を知って味方が次々と逃散したと金沢貞顕が説明してたな >>708
とりあえず同族内の本家筋に当たる家系に家号は不要だろう。
「得宗高時」みたいな言い方がないわけじゃないが、それは「将軍尊氏」などというのに近く、
諱の上に地名由来の苗字や家号を冠しているのとはわけが違う。
>>710
「江間」って義時以外に用例あるの?
政村流に関しては、これを「常盤」と称している例もあるようだが、
極楽寺重時の子孫にも「常盤」と称される家系があるから、
政村流を指して「常盤」というのは、あまり使われないみたい。 >>719
5月15〜16日の分倍河原・関戸の戦いは、最初は北条軍が新田軍に対して優勢だったが、
一夜空けたら北条軍が勝手に壊滅していたって話だよな。
ちょうどタイミング的に六波羅陥落(5月9日)の情報が関東に伝わった頃で、
それを聞いて北条軍に参加していた武士たちが雲散霧消したらしいと。
あと北条一族でもその被官でもないのに幕府滅亡に殉じたといえば、佐々木隠岐清高とかかな?
>>723
その坊主って、二階堂道薀のこと?
それなら、六波羅・鎌倉の陥落後に南都で孤立状態になって、
大仏高直と一緒にやむを得ず降伏したのだから、寝返りとは違う。 >>725
佐々木本家筋なのに六角呼ばわりされてるのがいつも不思議
公文書では佐々木だったりするんだろうか >>727
六角家の初代が長男じゃないからだろうか?
最初は六角家以外の系統が佐々木嫡流で、途中から六角家が嫡流扱いになったのでは 長崎高資が奥州で不正を働いてなかったら奥州から援軍が来てもう一合戦できたかもな 高資のアホが私利私慾に走ったから幕府への不満がバーッと広がっただけでもないし。高資が高潔な人だったらってifはあんまり意味無いなあ。 >>727
室町幕府の発給文書では、六角宛てと京極宛てのものは、
宛名表記が基本的に「佐々木○○殿」という表記になっていて、
「六角」「京極」の家号は書かれない。
一方、それ以外の佐々木氏庶流への発給文書の宛名表記は、
例えば「佐々木朽木○○殿」「佐々木尼子○○殿」のようになっていることが多い。
佐々木氏の嫡流の家系に「六角」の家号があるのは、
イメージとしては上杉氏の嫡流の家系に「山内」の家号があるのと同じだと思う。 高資役の西岡徳馬、前年の「翔ぶが如く」では高潔な人だったなw >>728
六角は、最初から佐々木氏の嫡流扱いだよ。
六角の初代泰綱は、確かに佐々木信綱の三男だが、母方が得宗家であるため信綱の嫡男とされ、
佐々木宗家の家督と近江の守護職を継いでいる。
なお京極の初代氏信(道誉の曾祖父)は、泰綱の同母であるため、
やはり同様に北条泰時の外孫で、幕府の評定衆などを務めており、
そのため京極は他の佐々木庶流とは異なる別格的な扱いに、元々なっていた。 >>731
お、太平記内の扱いに近いのかな
何かの本で六角が佐々木表記だったから実は別格かと思ったが
そこは京極も譲らないのね しかし判官殿はメインの中で一切生活臭が無かったな。結局家族らしいのは1人も出なかった。 >>735
側近とか手下も出てこなくて尊氏株式会社に出入りしてるフリーランスってカンジ。 >>737
猿楽師だし愛人だろうねえ。あの無骨な新田さんにも奥方や内侍が居たというのに。 >>734
まあ確かに、このドラマが道誉の苗字を最初から最後まで「佐々木」で通しているのは、
時代考証的には正解だと思うよ。
無論通称としての「京極」の家号は既に存在するので、私信的な書状や公家の日記なんかでは、
「京極(殿)」「佐々木京極(殿)」のような表記は出てくる。
そしてこれは六角も同様。
ただいずれにしても、京極は初代当主が六角同様、北条泰時の外孫である上に、
道誉が室町幕府の創設に大活躍しているから、佐々木一族のなかでは別格的だし、
南北朝・室町期だと実際の勢力も六角より大きいような状態。
まあ佐々木一族のなかで、六角と京極のみが京都の地名を家号にしているのが、
それこそ京極の地位をよく示している。 >>736
側近と手下は『足利決起』の時、屏風の後ろに隠れてた人たちと
妙法院焼き討ちのときの「ここにおわすは天下の佐々木判官殿ぞ!退れ、退れ!」と言ってた人たちぐらいだな 道誉はよその嫁とからんで生活臭が出るタイプ
阿野廉子とか赤橋登子とか 尊氏株式会社のかたわら、奥広間で公家や武家の奥方相手に生花教室
ティータイムしながらしっかり情報収集 判官殿くらいなら廉子を手篭めにできそうだが、さすがにはばかられたかな 要は、嫡流に匹敵するような有力な庶流が存在する場合には、
嫡流にも家号のようなものが出来てしまうケースはあるということだな。
佐々木氏における六角と京極
上杉氏における山内と犬懸
土岐氏における世保と池田
など 今時手籠めなんて言葉若者には通じんぞ
自分は意味はわかるが使わない 実家のおかんが土曜のサスペンス見てるとよく言ってる >>745
森口二条だったら手篭めOK!
師直の気持ちよくわかる。 森口さんって「必殺仕事人」にも出てたみたいだな
順之助の許嫁
「必殺」は視てたけど気づかなかったな >>740
「佐々木判官、思うところあり、寝返り御免!」の場面に、
道誉の配下の軍勢の鎧武者が映っていたと思うが。
>>736
フリーランスって非常勤って意味だと思うが、守護に任命され、
さらに幕府の引付頭人までやる人物が、幕府の正職員ではないと? >>747
そう?時代小説とか読んでたらわかると思うけど。今時は寝取るとか言うの?それじゃ味気ない。手籠め、籠絡する、かどわかす、くらいじゃないと。
ちなみに俺は35歳 >>752
時代小説と、新聞や雑誌、テレビなどの一般のメディアを一緒にしないように。
言葉は臨機応変に使われるべし。 >>746
そろそろ屋号とか屋号なようなものとかって
寒い表現
やめましょうね 家号(かごう)と屋号(やごう)は全く別のものだろw 沢口靖子久しぶりにみた
松田聖子などに比べるとナチュラルな年の取り方だね
科捜研の女、親が見てる >>747
時代劇の場合、わざとセリフに古風な難しい言葉をある程度混ぜたほうのが、
雰囲気が出ていいという面もあるんだよ。
無論、ちゃんと見ている人には文脈的に類推可能なレベルにしておく必要はあるけどね。
>>757
宮沢りえなんかはナチュラルな年の取り方じゃないと? >>758
おっと今世紀の現代劇大河の悪口はそこまでだ 沢口靖子26才 宮沢りえ18才 後藤久美子17才
原田美枝子32才 樋口可南子32才
当時から劣化したのは宮沢りえかな。 千早赤坂村が、TVに映っています。楠木正成公の時代のようですね 最近は女性が若くなったのー
あの頃は廉子も花夜叉も良い意味で老けて見えた
最近だと篠原涼子や永作博美など四十を過ぎてもキャピキャピしとるオナゴが多い >>764
映ってる理由が理由だからなあ..... >>9
遅まきながら読み終えた。
アマゾンじゃなく、地元の書店で購入。
昔の小学館まんが日本の歴史に出てくる上杉憲実がなんであんなに困った優しげな顔だったのか、今になって分かった。 俺の生きてるうちに室町太平記を作ってくれ 海老蔵義満で天の声 真田 尊氏叔父上で頼む 「室町太平記」って、某サイトに書かれている妄想か? 某サイトは知らんが大河スレで続編作るならこんな感じでというのを見て以来俺もこれを見たくなったんだよ
義満は天皇問題とかあって映像化しづらいのはわかるけどあれだけの大物を描かないのはもったいないし海老蔵でしかも太平記の続編として作ったら確かに面白そうだからね 要するにその妄想を見て、そう思ったわけね。
まあ義満は、大河の題材として悪くはないと思うけど、
そこで義満ができない理由ってことでよく挙げられる天皇問題なんていうのも、
最早正直いって、義満をやらないための詭弁だよな。
義満の天皇問題なんて、一時期流行った説というだけであって、
それが定説になったわけでもなければ、多数の歴史研究者に支持されているわけでもない。
だから天皇問題があるから義満がNGだというのも、そもそも変な話であり、
そんな研究者レベルでも不確定な話をわざわざ絡めなければよい。 武蔵観てまだ海老押しなんていんのかw観てないなら最後の方だけでいいよ観てみ。レンタル料返せって言いたくなる まあ「武蔵」は、「天地人」「江」と並ぶ三大クソ大河だな。
だいたい「武蔵」は、サブタイトルを見ても、
第1回の「俺は強い!」から始まって、最終回は「武蔵よ永遠に!」だからな。
よくここまでクソドラマに作ったと、逆に関心したくなるw 第二次上田合戦は秀忠軍が寄り道をしただけだが千早城は幕府軍が総力を挙げて潰そうとしたのを長期間支え続けたのが凄い >>774
サブタイトルのことを言い出したら「峠の群像」も駄作ってことになっちゃうだろw 海老蔵は花の乱のとか良いと思ったんだよ
それに武蔵や五右衛門はそもそも企画自体が不毛だろ....
良い役なら歌舞伎役者なわけで演技自体は別に悪くないだろ
それから太平記の続編というのがミソ
大河っていまはマンネリ化して飽きられてきてるから、こういう変化球って結構効いてくると思うんだよね
太平記はここでも人気の大河だしキャストが存命のうちに実現してほしいよ
それぞれ良い年になってきてるから沢口や真田や陣内が存命のうちに頼む 義満主役ではなく一休さんが主役で
義満編・義教編・義政編にわければいい
義教と一休は同世代で、将軍の子と天皇の子、ともに出家させられていた
共通点も多い 海老蔵のような世間知らずの坊ちゃんの大河なんて見たくないわ >>778
生きてりゃ良いってもんじゃねえだろw真田は出られないだろうし、沢口の劣化にはこっちが耐えられん。
そう考えると天狗になってるけど陣内って劣化してないな。
だが海老蔵はない!!!!! >>778
>良い役なら歌舞伎役者なわけで演技自体は別に悪くないだろ
別に新劇出役者でもアングラ出の役者でも能楽師でも歌舞伎役者でも
大根は大根じゃね?
海老蔵は大河に出た歌舞伎役者の中でも
なんつーかアクがってか地が丸出しっの大根って感じがするんだよな 奥さんがあのままではエビは長期拘束される大河主役はやらんだろう まあ「花の乱」のときの海老蔵は初々しさはあったけどね。
当時、海老蔵と松たか子はともに高校生で大河初出演だったな。
ついでに、後に「武蔵」で海老蔵の敵役となる松岡昌宏も「花の乱」に出ている。
>>779
一休だと義満期にはまだ幼いわけで、正しくは義持編・義教編・義政編なんじゃないの?
義満期がまともに描かれなければ、「太平記」の続編にはならないね。
それに大河の主人公って、天皇・皇族・宗教家はNGという暗黙のルールがあるから、
一休はハードル高過ぎだろう。 >>785
確かに今の海老蔵には、大河の主役級は、その件を考えても無理だよね。
仮にオファーを出してたとしても、まず受けないだろう。 >>787
奥さんが、全快して、初めてオファー出来ると思う。 まあいまの状況だと確かに厳しいかな
奥さんのこと考えたらそうなことやってる場合ではないしな....
とはいえいつか太平記の続編として室町太平記を作ってほしいな
主役は他の人でも良いから >>779
一休ってやっぱりほんとに天皇(後小松?)の皇子なの?
〜という説が強い。って書き方のものが多くて。
で、母君は南朝の女人? 企みがあったのか。
今思えばアニメの一休さんも生まれに訳ありで母親も世間からかくれるように暮らしてたっけ。
将軍さま将軍さまって、ガキの自分はあれは徳川将軍だと思ってたわ。
…暴れん坊将軍とか水戸黄門とか見てたので……。 アニメの一休さんは
足利義満が同時代の有名人だから
時代考証的に間違っているのを承知の上で
「将軍」足利義満として登場させたらしいけど
(昔読んだ雑誌のアニメ特集より)
あまり歴史知識なかった時は
江戸幕府と混同してたな >>792
新右衛門サンは架空だと思ってた。
江戸時代っぽい名前だし。 >>793
新右衛門は、政所代(政所執事代)蜷川氏の当主が代々名乗っていた名前だな。
室町中期の『蜷川親元日記』とか、戦国期の『蜷川親俊日記』とかの記主は、
いずれもその頃の蜷川氏の当主。
但し蜷川氏は、厳密には政所執事伊勢氏の被官という扱いで、将軍から見れば陪臣なので、
実際には将軍と直接話ができるような立場にはないが。 >>794
じゃあ大内の姫様なんて身分違いも甚だしいな >>794
また珍説がお出ましだよ
自分で正しい事を言っていると思っているんだうな
三河国額田郡山中郷は、奉公衆にもくれてやっていない将軍家御料所なんだが
この山中郷にある法蔵寺は義政の祈願所になっていて、その時の代官は蜷川親当の孫
思いっきり直属の部下ですやん
豆だが、蜷川氏(宮道氏)は元々、三河国額田郡山中郷の隣、三河国宝飯郡宮道郷の出らしい
蜷川氏
元は物部氏の流れを汲むとされる宮道氏
蜷川氏は、越中国新川郡蜷川郷から発祥した。すなわち宮道式俊・親直父子は、治承四年(1180)の源頼朝の旗揚げに参じて功があり、越中国砺波・新川の両郡を領した。
室町幕府において、政所執事を世襲した伊勢氏の家臣であり、親直から数えて3代目の蜷川親当の頃より政所代を世襲することとなった
蜷川氏の当主は代々新右衛門と名乗っており、蜷川新右衛門といえば、テレビアニメ『一休さん』(1970年-1982年)に足利義満の側近で寺社奉行の武士蜷川新右エ門が登場する
宮道氏
饒速日命を祖とする物部守屋の後裔(物部氏より分かれる)と称する。ほかに日本武尊系宮道氏
発祥地は三河国宝飯郡宮道郷(現在の三河県豊川市)と推定される。
宮道天神社(愛知県豊川市)
源頼朝は上洛の折、安達盛長に代参を命じ、京からの帰路、鞍馬装束を奉納 豆だが、現代の山中郷のオヤビンは冨田勲の弟で病院を経営している
冨田病院(三河県岡崎市)
http://www.tomitahospital.jp またまた豆だが、源頼朝は義政の祈願所、法蔵寺近辺を和歌にしている
よそに見しをさゝ(小笹)が上の白露をたもとにかくる二村の山 by源頼朝、続古今和歌集 
本来、二村山は本宿あたりの二村山を指すんだが、パゴヤの田舎猿は二村山は豊明の二村山だぎゃ〜と主張しやがる 
二村山 源頼朝 
http://sukune.web.fc2.com/futamurayama.htm&#160;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%91%E5%B1%B1&#160;
ただし理由は定かではないが、中世時代に書かれた紀行文の中に沓掛宿についての記述は皆無であるといわれる。 
これらのことの理由としては、二村山の所在地についてのさまざまな混同が挙げられる。 
1151年(仁平元年)成立の『詞花和歌集』に収録された橘能元の歌ではその詞書に「三河国二村山」の紅葉を見てとあり、1310年(延慶3年)頃の『夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)』に見られる橘為仲の歌も「三河国二村山」の情景を詠ったものとされる。 
そして源頼朝の手になる二村山の歌は上洛の折りに宿をとったとされる宮路山山麓(現在の岡崎市本宿付近とされる)で詠まれたものという見解もある  >>790
陣内さん、沢口靖子、高嶋政伸君など沢山残っているだろ? またまた豆だが、義持の祈願所はココな
足利尊氏遺言、足利義満創建の天恩寺
天恩寺(三河県岡崎市)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/天恩寺_(岡崎市) >>793
一休さんの義満側近の蜷川新右衛門は架空。
室町でも時代が違う。
>>794
毎度毎度wikiコピペしているwiki信者 乙
日本史板ならボロボロだな。 ちなみに『蜷川親元日記』の話のついでにいうと、
これとほぼ同時代の室町幕府関係の史料に『斎藤親基日記』というものもある。
以前ある学会の質疑応答の場で、“チカモト日記”という言葉が飛び交っていたのだが、
質問者は『蜷川親元日記』、それに答える報告者は『斎藤親基日記』のことを言っているようで、
全く話が噛み合っていないという珍光景に遭遇したことがある。
まあ原因は報告者がレジュメのなかで『斎藤親基日記』のことを苗字省略した上に、
字を間違えて『親元日記』と誤記していたことが、話の噛み合わない議論になった原因だが、
会場が何ともいえない微妙な雰囲気になったのを覚えているw 最近知ったが、天恩寺を西にすぐ行くと桜形と言うとこがあるが、頼朝乳母の山内尼の孫が移り住んたらしい
山内尼の息子の経俊は、頼朝に矢を放っても不可思議に出世したんだが、そうなると山内尼も三河の藤姓熱田大宮司関係者の可能性が高いな
頼朝は母方に甘いから
額田山内氏(初代山内首藤経俊の息子)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/額田山内氏
頼朝が母方に甘い一例
頼朝の寝床に忍び込んでとっ捕まったが、薩摩国流刑で済んだ当麻太郎
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季成(蒲神明宮(静岡県浜松市)神官)→当麻五郎貞稔(源範頼乳母父)→当麻太郎(源範頼家臣) まあ同じ時期の人物で名前の読みが同じというのは、ややこしいのは事実だな。
細川政元と九条政基なんかもそう。
しかもこの場合、九条政基の子である澄之が細川政元の養子になっているから、面倒くさい。
しかも九条政基の和泉下向中の日記『政基公旅引付』にも、細川政元が登場したりするし・・・。 しかしなぁ。
再来年の『西郷丼』の次は、そろそろ室町物でも・・・と思っていたのだが、なんだあれは? >>803
>>807
痛い処を附かれて必死だな。
ナンチャッテ歴史オタ・ジジィは三河バカと同類。 >>808
あれは、朝ドラでやるほうがよいのでは…
近現代モノは33年ぶりとはいえ、今となっては場違い感があるな。 >>810
まあ幕末ならともかくとして、話のメインが明治維新以降になるものは、朝ドラが妥当だろうね。 >>814
桜島大根とかさつま揚げとか乗ってんの
ってか西郷どんスレ違い >>805
補足説明だが、桜形は中世は比志賀郷といって高一族の根本所領だ
高氏所領
・三河国額田郡菅生郷、三河国額田郡比志賀郷、三河国額田郡政所、三河国額田郡矢作東宿、三河国下村中山郷雑役免(進退分十家名)
■高師氏
・父は高重氏
・右衛門尉、法名心仏
・三河国額田郡菅生郷・比志賀郷(三河県岡崎市)郷司
・永仁4年(1296)3月1日、他家に嫁していた娘の稲荷女房(法名心妙)に三河国額田郡比志賀郷を譲る(総持寺文書)
・正安3年(1301)2月15日に満性寺(三河県岡崎市)に菅生郷の土地を寄進する
■高師重
・父は高師氏
・三河国額田郡菅生郷郷司
・暦応2年(1339)に足利尊氏の命令で、三河国額田郡比志賀郷(三河県岡崎市)に八幡社とともに深恩院総持寺(現在は広祥院)創建する
■満目尼
・父は高師氏、高師泰・高師直の姉妹
・深恩院総持寺(現在は広祥院)開基
■高師兼(室町幕府最初の三河守護)
・五郎左衛門尉、尾張守、刑部大輔
・父は高師春、母は高師直の妹。高師直の猶子
・高師直より、藤原冬房領三河国碧海荘三木今一色の知行保持を命じられる(建武4年(1337)5月13日付高師直奉書)
■貞円
・父は高師重、高師直・高師泰の弟
・滝山寺(三河県岡崎市)大勧進
■三郎
・父は高師秋
・滝山寺(三河県岡崎市)僧
■明阿
・父は高師泰、夫は高師冬(高師直の養子)
・観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、三河国菅生郷(三河県岡崎市)に総持寺を建立する、
・三河国菅生郷(三河県岡崎市)の旧領は、一旦足利将軍家領となり、将軍家より総持寺に寄進された 豆だが、桜形(比志賀郷)の北には赤田和城というのがあったらしく、赤松円心が逃げてきたらしい
子孫と称する赤松さんが現在もいる
赤田和城
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Akantawa-jo.html
補足説明だが
赤田和城があった近辺で、トヨタ自動車が4000人勤務する研究施設を今作っている
新研究開発施設のあらまし - トヨタ自動車
http://www.toyota.co.jp/jp/environment/preservation/assesment/pdf/all.pdf >>800
政伸(直義)は毒殺されたんですけどw
義詮は片岡孝太郎でいいでしょ。「真田太平記」では、大助演ってた。 9月は護良親王、10月は足利直義の伝記が出版されたけど
さすがに今月は無いみたい、残念 >>820
毒殺は藪の中なんだよな
病死説もあるし >>822
ミネルヴァの人物評伝じゃないの?
吉川弘文館の人物叢書では、どちらもまだ出ていないし。 そういえば人物の伝記でいうと、以前に『新田義貞』なんかは、
吉川の人物叢書とミネルヴァの評伝がほとんど同じくらいの時期に出てきて、笑ってしまった。
あえて競い合って同時期に出したというわけでもないだろうにw >>826
そうそう、確かにそういう事があったね。
別に新田義貞が何かの話題になってたわけでもないのに。
こういう本を出してくれるのは吉川弘文館にミネルヴァ書房
後は戎光祥出版くらいか。別に出版元はどこでもいいから
もっとこの時代の人物の伝記が出るといいんだけど。 >>797
訂正
✕義政の祈願所
○義教の祈願所 >>818
訂正
■満目尼
父は高師氏→父は高師重
高師重の子弟まとめ
■高師泰
・尾張守
・幕府執事
■高師直
・三河守
・幕府執事
■高重茂(異説あり)
・駿河守
・関東執事
■貞円
・滝山寺(三河県岡崎市)大勧進
■満目尼
・深恩院総持寺(現在は広祥院、三河県岡崎市)開基
■女子
・高師兼(室町幕府、初代三河守護)生母 >>829
やっとドラマ観終わったけど高師直の役者も良かった。
高氏って愛知県だったのか。 独眼竜政宗を見始めたら、
判官どのの前世はロリコン関白
だったとは恐るべし恐るべし…
((((;゚Д゚))))))) >>831
時代的に言うと判官殿が婆娑羅をこじらせてロリに走った方がしっくり。
でも判官の陣内は無駄にハマってカッコよかった。 大塔宮って一応征夷大将軍だったんだな。
後醍醐は武士を彼のもとに束ねたかったんだろうが、幕府という労働組合にも似た組織がなければ権威が機能しないことを証明しちゃったカタチになっちゃったな。
それとも肩書の持つ威力を貶めたかったのかな。 通説では護良親王が信貴山にこもって尊氏と戦争しそうになったので
とりあえず釣り出すために征夷大将軍を与えた
釣り出したら用済みなので三か月くらいで解任&令旨無効という
鮮やかな切り捨て 護良親王には再出家しろと迫るあたり親政には必要ないと考えていたと思われ 高師直の中の人は「太平記」と並行してTBSの「ふぞろいの林檎たち」で
石原真理子を追っかける変態ストーカー夫の役やってたな。
あれも怖かった. >>836
初めて観た時子供で「後醍醐天皇は大塔宮嫌いなんかな?お父さんなのに」と同情してたなあ。
でもあの気性じゃ皇太子には不向きだろうなあと今では思う。 大塔宮は単純にオカンの実家が実力なかったんだろ。僧籍に入れてるとこから跡継ぎにする気0 タイムマシンが発明されたとしてこの時代に
現代の人が行ったら言葉とか通じるの? 高師直が足利邸を包囲した時に
足利家を抹殺していたらどうなっていたのかな? >>842
通じないんじゃない?
>>843
ソッコー討伐されるよ、所詮足利あっての執事だし >>843
義詮が関東の南軍と和睦し、大軍を引き連れ師直軍と激突!
道誉も寝返りゴメンで師直大敗。
しかたなく親房をたより、南朝方に転じる。 >>836
確かに通説はそうだね。
まあドラマでは、その翌年の年末に護良親王が捕縛される場面でも、
「身は二品の親王ぞ。征夷大将軍なるぞ!」といっていたけど、護良本人の意識では、
征夷大将軍を3ヶ月で辞めたつもりはなかったのだろう・・・と勝手に解釈して見たよ。
>>837
さらにいえば、必要ないどころか有害な存在と考えていた可能性が高いよね。
後醍醐が隠岐にいる間に、赤松など畿内の新興武士勢力を勝手に束ねていた護良は、
後醍醐にとっては、新政開始当初から危険人物として映っていただろう。
征夷大将軍だって、鎌倉後期には名目上とはいえ親王将軍が幕府の頂点にいたことを考えれば、
護良を征夷大将軍にするのは、尊氏を征夷大将軍にするのと同じくらい危険なわけで、
護良の征夷大将軍が後醍醐の本意でなかったことは確かだろうね。 >>842
とりあえず、この時代に存在しない語彙は一切使わずに話すという前提で考えても厳しいと思う。
鎌倉末〜南北朝だと、例えば動詞の活用なんかでは、
平安文法と同様のナ変・ラ変・上二段・下二段などがまだ残っているだろうし、
発音面も、旧仮名遣いで「アウ」「イウ」「エウ」と書くものは、まだ仮名遣い通りの発音で、
現代語の発音ように、これらが「オー」「ユー」「ヨー」に変化していない。
また四つ仮名、「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」の発音区別も健在。
もっとも語頭以外のハ行音のワ行音への統合とか、
「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」、「オ」と「ヲ」ノ発音区別消滅とかは、既に起こっているが。 >>849
それは有名なナゾナゾだね。
日本語の「ハ行」の子音は、古くは破裂音の[p]だったとされるが、
奈良〜平安頃から現代語の「フ」の発音と同じ子音(英語の[f]とは異なる)に変化した模様。
その後、江戸中期頃に現代語のハ行と同じ発音になった。
なお単語の語中語尾のハ行音は、前述の通り平安後期以降、ワ行音と同じ発音に合流。 あと「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」、「オ」と「ヲ」の発音区別は平安後期〜鎌倉期には、
消滅したと見られているが、発音区別消滅後の発音は、
それぞれ「イ」「イェ」「ウォ」に統合されたという。
そしてこの発音は幕末に近い時期まで続いた。
そのため伝統芸能の台詞回しなんかでは、近代になっても、
「アイウエオ」を「アイウイェウォ」と発音する傾向があったといわれるし、
日本の通貨「円」のローマ字表記が“yen”であるのも、それが一因。 こーいう勉強になる話は好き。コピペ馬鹿も見習えよ
>>851さん面白かった。ありがとう。 >>843
>>845
せめて戦国明智くらいの策略があれば1日くらいは持ったか?、
何せ源氏足利ブランドと代々足利家に仕えた高氏と言う障壁があるな。
上杉や畠山や夢窓疎石を人の良い尊氏を利用して事前に懐柔できたら面白かったかもしれないが無理め。
足利兄弟喧嘩に嫌気が刺した一門がいたのかは分からん。 そんくらいじゃ弱えよ。棟梁ぶっ殺した執事ってだけでだれの信用も得られない。
戦国時代じゃないんだから力と付け焼き刃の信頼度なんて当てにならんて 高橋直樹の小説「異形武夫」の中でも
師泰が、尊氏も一緒に殺してしまって義詮を傀儡にしよう
と言い出して師直にたしなめられるシーンがあった。
小説はドラマより何年も後の作品だが、作者は大河ドラマのシーンを
意識して書いてたかも、と思ってしまう。 >>854
「太平記」の時代の発音では、“ふぃの・としもと”だな。 >>855>>856
さらにいえば、明智光秀は信長に仕えてから本能寺の変まで十数年程度で、
実力者ではあっても織田氏の譜代の家臣ではない。
一方、高師直は先祖代々足利宗家に仕えてきた立場だから、
万が一裏切った場合の世間的な非難は、光秀の比じゃないと思われる。 武士が幕府を滅ぼして
鎌倉幕府という秩序、モラル、価値基準を自ら破壊してるから
足利宗家が滅んだら
史実以上に秩序が無くなると思うな
(高氏の威勢だけじゃ治まらないような) 別のどこかの(河内)源氏の名門を担ぐだけさ。将軍は所詮神輿よ >>855
夢窓疎石ってそんなに政治に影響力あったの?
それに足利一門で尊氏派・直義派にも使い付かない中立の一門ってあったの?
>>856
寝返りは鎌倉・南北朝の武士も戦国武士に負けづ劣らないかったのでは?
>>857
ってことは師泰の方が婆娑羅で変革者って事だったの?
>>861
義詮も滅んで傀儡はなしとしたら野望をもった河内)源氏の名門ってどこになるん? >>862
まだ鎌倉には光王もいるし直冬wもいる。河内源氏なら新田一門もいるし武田や佐竹もいるじゃん。なんなら足利一門の吉良や斯波でもいいんじゃね 河内源氏だろうが、三河の王じゃなきゃ無理でしょ
三河の王でなければ国が安定しないは歴史が証明しているだろうが
そこで讃岐守御願文ですよ
奉納先は1140年、藤原季範夫妻創建の蓮華寺
宛先は、外祖季範と源氏の女(藤原季範夫妻)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市)→由良御前→源頼朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→藤原範忠→娘→足利義兼(初代源姓足利氏)
教えて欲しい奴は手を挙げなさい >>862
担ぐ神輿があっての裏切りはあっても神輿滅ぼす下剋上はもっと後でしょ。一家臣が棟梁殺して一門が付いてくるとは思えんよw >>862
>>857だけど、小説の中では師直もそういう野心が沸き起こるのを
迷いながらも自制しているような感じ。
バサラだけど改革者とかそういう感じではない。
結局尊氏を支える道を選ぼうとするが
その尊氏に見捨てられ最期を迎えることになる.
この本、今は品切れの上に文庫化もされてないのが残念。 >>852-853
ついでにいうと、「いろは歌」47文字に基づく五十音図では、
現代語で発音区別のない「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」、「オ」と「ヲ」が区別される一方、
ア行とヤ行の「イ」、アとワ行の「ウ」、ア行とヤ行の「エ」は区別されない。
このうち「イ」「ウ」については、古い時代から全く区別はなかった模様だが、
ア行とヤ行の「エ」については、実は古くは区別があった。
「いろは歌」より古い手習い歌である「あめつちの歌」には、ア行とヤ行の「エ」の区別がある。
ただその後「いろは歌」が大きく広まってしまったため、現代の学校教育での古典の授業でも、
「いろは歌」の47文字を区別する歴史的仮名遣いを採用している。
8〜9世紀:日本語の母音数が8母音から5母音に統合
10世紀後半:ア行とヤ行の「エ」の発音区別消滅
11世紀後半:「オ」と「ヲ」の発音区別消滅
12世紀後半:「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」こ発音区別消滅 >>860
当時の武士たちには、幕府自体を滅ぼしたという意識は多分ないよ。
単に北条氏を打倒しただけ。
ドラマのなかの台詞でも、尊氏が北条氏打倒を直義・師直に打ち明ける場面で、
「北条殿を討って幕府をこの手に握り、政をたださんと思う」みたいなことを言っているし、
北条氏滅亡=幕府滅亡とは思っていなかったのが現実だろう。 でも実質北条を倒す=鎌倉幕府の終わりじゃん。分かってないは無いわー
後醍醐天皇についていこうと思ったけどやっぱりお公家さんとは無理でしたーってとこだろw >>867
なんでそんなに詳しいの?
とりあえず分かりやすく今と昔の違いが分かる例えの会話でも書いてよ >>870
舐めてると本当に学問として専門でやっとる人ももじってるよ。
コピペ基地ばっかじゃない。 >>870
とりあえず手習い歌でよければ、古い順に「あめつちの歌」「たゐにの歌」「いろは歌」がある。
「あめつちの歌」:
全48音、8文字×6行、ア行とヤ行の「え」の区別あり
「たゐにの歌」:
全47音、五七調、ア行とヤ行の「え」の区別なし
「いろは歌」:
全47音、七五調(今様形式)、ア行とヤ行の「え」の区別なし
歌詞はすべて挙げていくと長いので、自分で検索でもしてくれ。 >>869
尊氏も含めて、元弘3年に北条氏から離反した鎌倉武士にとっては、
北条氏滅亡後に後醍醐天皇が武家政権を否定して、親政を始めたことがそもそも想定外のはず。
後醍醐周辺の倒幕運動も、あくまで北条の悪政を糺すことが主眼で、
まさか武家政権全否定という思想を天皇が持っているとは、
武士たちも(さらには公家たちも)思っていなかったのが実情では? 関東は征夷大将軍の大塔宮に任せとけば親政は成功したかも?鎌倉将軍家を大塔宮が継ぐ形で でも公家一統の世という理想は知ってたじゃん。幕府云々は元から崩壊していて北条の天下だったんだから、新しい武士の在り方は想定内な気がする。 >>875
大塔宮の支持基盤は、畿内の悪党(新興武士)勢力なので、大塔宮を関東の頂点に据えると、
鎌倉御家人系の武士を支持基盤とする尊氏との抗争が激化するだけのような・・・。
>>876
ただ後醍醐の政治思想は、側近の公家でさえ、どこまで理解していたかは微妙だと思うよ。
万里小路とか、北条を倒すまでは後醍醐の手足となって動いたにもかかわらず、
その後は新政に失望して後醍醐と距離を置くようになる公家が出てくることを考えると。 関東は関係ねーつーの
尊氏が目指したのは源頼朝が信頼した三河縁者が武家社会を牛耳る体制に戻すだ
もちろん足利氏も源頼朝の三河縁者であり、鎌倉将軍家断絶後は、三河縁者の親玉
鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田) そこで重要なのは讃岐守御願文ですよ
奉納先は1140年、藤原季範夫妻創建の蓮華寺
宛先は、外祖藤原の朝臣と源氏の女(藤原季範夫妻)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市)→由良御前→源頼朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→藤原範忠→娘→足利義兼(初代源姓足利氏)
教えて欲しい奴は手を挙げなさい 官符・勅許・院宣・綸旨、、、
朝廷の命令は種類が多くてチンプンカンプン >>877
悪党と言う名付けが、可哀想。それから、万里小路卿を、大和田獏さんが演じていたのは、リアルタイムでは気がつかず、10年位経過して、DVDを借りて、初めて認識した。 >>880
官符・・・太政官が出す文書。
院宣・・・院によって出される宣旨。
綸旨・・・天皇の仰せを奉じて出す文書だが、本来は宣旨よりも私的なもの。
勅許・・単に天皇の許しの意。そういう名称の文書様式があるわけではない。 当時の悪党と今の悪党は言葉の意味が全然違うんじゃなかった? >>883
根本的には同じじゃん?法を破って徒党を組んで蔵襲ったり海賊行為するんだから。
ただ今の悪党よりはもっと世情寄りというか、無名な豪族が力を付けたってのも悪党って言うってだけで。 鎌倉から盃をうけた御家人以外の武装集団をいうのでは? >>884
そういう言い方をすると、佐藤進一さんとかが怒るよ。 そういえば以前に読んだ本の著者略歴には、1916年生まれって書いてあったな。
ということは、御年100歳か・・・。 >>888
御誕生日が11月25日って事だから、昨日で満100歳じゃないですか >>882
なんでそんなに詳しいの?
ありがとう
それと
任官・昇進・兼官・使部・官掌・史生・直丁も
チンプンカンプンで良く分からない >>890
勿論勉強してするのが一番だけど、目の前の箱か小箱でキーワード入れたら出てくるべやw >>890
朝廷関係の用語を詳しく知りたいなら、
例えば「官制大観」というタイトルのサイトとかを見るといいよ。 >>830
何十回も言ってますよね、しかも愛知県じゃなく三河県だし
■元弘の変(1331〜1333年)当時の後に室町幕府の支配層 三河武士■
【三河県岡崎市】
・足利氏:大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):奉公衆
・富永氏(足利被官):奉公衆
【浜松市】
・今川氏(足利一族):将軍御一家、九州探題、守護職(遠江、駿河、丹後、但馬、因幡) >>881
ただ当時の「悪党」の言葉は、倫理的な善悪の「悪」という意味では必ずしもないから・・・。
>>895
まあ今の世の中、優しさが一番だよ。
それに「太平記」に興味を持った者同士、仲良くしていきたいじゃない? 自民党にとっては公明以外の野党を悪党と呼びたいだろうな >>900
以外って事は公明党は悪党じゃないって言ってるんじゃ?
俺は十分悪党だと思うけどなw ああ、野党って書いてんのかw
でも与党も野党も目くそ鼻くそだからなあ 903ゲットできたら片思いのあの子に
師直風に告白する。 >>889
佐藤さんって、誕生日は11月25日なんだ。
尊氏・直義の二頭政治における主従制的支配権と統治権的支配権の話とか未だに色褪せないし、
このドラマの観応の擾乱あたりの筋書きも、
ほぼ中公から出ている佐藤さんの『南北朝の動乱』の通りだから、凄いよね。 「峠の群像」総集編見たけど、
樋口さん出てるんだな
しかも最後は死んでしまう
同じ人が9年後に花夜叉役やったと
思うと、面白いな >>907
今やってるから......?分からんw >>909
樋口可南子は『独眼竜政宗』にも淀殿役で出ていたかな。 YouTubeで新撰組!見てたら登子殿が。
江戸の町娘風だった
どうしても姫役の方が似合う気がする
お着物も
ジャニーズ主演だからあえて見なかったけ >>912
この大河『太平記』でも、花夜叉は初登場シーンから終盤までほとんど見た目が変わらない。
正成の妹で正季の姉という設定からすれば、尊氏より歳上のようにも思われるが、
終盤の再登場シーンでも、かなり若々しかったw
>>914
沢口靖子の大河出演は、過去4回かな。
五郎八姫→登子→おね→沖田みつ、の順。 >>916
その中の3つで真田広之と絡んで2つで夫婦だな。あの2人はマジよく似合ってた。お雛様みたいで。
確かギバちゃんのTBS大型時代劇でも浅井長政とお市もやってた。 真田広之と沢口靖子が夫婦役をやった大河には、いずれも勝野洋と陣内孝則が出てくる。 尊氏や直義の衣装は普通過ぎてあまりわからないけど、佐々木の衣装は派手で記憶に残るから、
「またあれ着せてる! もっと何パターンも衣装作ってくれや!」
と思う。
佐々木の衣装や甲冑姿はきらびやかで見ていて楽しい
谷崎潤一郎の「盲目物語」読んでたら、お市と三姉妹の時代、京極家が落ちぶれてた……浪人みたいになってさすらってて……
判官が泣いておるわ! >>921
あれバブル時代の大河だからなぁ
予算2億円だろ 今は6000万円らしいが 金だけの問題で無く、悪役にも言えるけどちゃんとキャラクターがしっかりしててブレ無かったのが大きい 陣内さんは、米倉涼子主演の
「交渉」にも出てたよ
太平記のDVD発売と同じ年だったから、
よく覚えてる >>924
出てるのは沢山あるよトレンディー()俳優だったもんよ。大河もどっさり出てる(悪役、嫌なキャラで)けど、判官はその中で愛されキャラなんよ。裏切り者だけどw 陣内が他に大河でやった役というと、秀次、晴賢、直家あたりか。
まだあるかな? >>916
峠の群像見れたら、ぜひ見てみてくれ
峠での樋口さん「不破さんがあの世へ来やはったら」
太平記49話の樋口さん「もう昔のことでございまする」
あまりにも声が違うから
9年経って、年とったということがよくわかる >>870
『あめつちの歌』(10世紀初頭)
あめつちほしそら
やまかはみねたに
くもきりむろこけ
ひといぬうへすゑ
ゆわさるおふせよ
えのえをなれゐて
『たゐにの歌』(10世紀末)
たゐにいて
なつむわれをそ
きみめすと
あさりおひゆく
やましろの
うちゑへるこら
もはほせよ
えふねかけぬ
『いろは歌』(11世紀半ば)
いろはにほへと
ちりぬるを
わかよたれそ
つねならむ
うゐのおくやま
けふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす 唐突に始めるのはコピペ三河屋だな。博識さんは前置きをちゃんと書いてくれる。
便乗してもすぐバレるっつーの いろは歌は47音だが、太平記の時代だと既に現代語と同じ44音になるかな。 三河屋も
自称博識www
のWikiコピペ・ジジィも
紹介サイトからほぼコピペ・ジジィも
同類
同じ穴の狢 大塔宮ゆかりの地、篠原
五條市「篠原踊り」の由来は、踊りでの?人食いオオカミ退治
http://www.enyatotto.com/nature/animal/nihonookami/nihonookami.htm
> 「昔々、篠原の付近には、特に大きな狼がいたそうで、
> この狼から受ける被害がたいへん大きく、村人たちは退治に出かけた。
> ところが、逆にこの村の長が食い殺された。
> 思案の末、氏神様に祈りを込め村中総出で踊り、狼を退治した。(大塔村史より要約)」
> この時の踊りが、篠原踊りの始まりだというわけである。 2ch管理人のバイトをしてる人たちは才能のない売れないライターたちです
人数は400人ぐらいです
2chは人がほとんどいないんです
2chの書き込みのほとんどは、2ch管理人のバイトをしてる才能のない売れないライターたちの書き込みなんです
このライターたちはおそらく、ひろゆきの部下的な立場だと思われるので、ニコニコ、週刊プレイボーイなどの周辺にいる人たちだろうと推測できる
■そして2ch管理人はハッキングとストーカーの犯罪をしてます。ハッキングは普通にしてます。自宅やネカフェへのストーカーはたまにしてます。
■2chは誰がどのスレを見てるかリアルタイムで分かるようになってます。書き込みをしなくても見てるだけで2ch管理人に、どこを見てるかリアルタイムで分かるようになってます。 おもろいゲームないかなーとスマホ検索してたら、源平なんちゃらというイケメン武将と仲良くなるゲーム見つけた
義経ならともかく、教経とか梶原景時とか、マニアックだな
知る人は知るけど、戦国ゲームや幕末しか知らん歴女wは知らんやろ
頼朝なんかちょっかいだしたら北条政子に襲撃されそうだ 源平でゲームできたんなら次は南北朝でお願いしたい
判官はとびきり派手な服の超イケメンで 源平なら平知盛がいいな
判官は自画像で完全に顔が割れてるから難しいわw >>940
以前、YouTubeでそのファミコンゲームのオープニングとおぼしき映像を見た気がする。
ただ南北朝って、戦国のようないわゆる群雄割拠状態とは少々状況が異なるし、
なかなかゲーム化は難しいだろうね。 塩冶高貞の配役って途中で変わっているけど、最初にやっていた
峰三太って役者は、峰竜太と何か関係あるの? >Wikiコピペ・ジジィ
足利尊氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%B0%8A%E6%B0%8F
三河のみの字も無しw
何の事だか理解出来んわけだ
例えば
>生誕地は母の実家、上杉氏の本貫地である丹波国何鹿郡八田郷上杉荘(現・京都府綾部市)とされる[注釈 1]。
>また、旧来は栃木県の足利荘(足利市)出生とされる事が多かったが、足利荘説は傍証資料に乏しく近年(90年代以降)では概ね否定されている。
Wiki老人は疑いもなく信じてしまうと
だが三河的にはこう考える
貞氏(但し家督は譲らず)が出家したのが1301年だとすると、上杉頼重も同時に出家し、同時期に鎌倉を離れ三河に移ったのではないか
すると、1305年に尊氏を生んだ清子は、鎌倉からの京都への通り道である三河にいた実父にサヨナラして、一人で京都に向かい生んだことになる
アホか?wそんな事ありえるかよ、清子の実家は三河の日名屋敷だろうが
常識で考えろよ、馬鹿め
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 ファミコンとかPCエンジンとか時代感じるう
20年以上前だもんなあ。
けど南北朝時代は知名度が低くて売れなさそう......日本の教育のせいだ!!! 下手にあの時代に触れるとウヨサヨ双方からフルボッコにされる危険性高いからねw 同意。
ウヨサヨに振り回されるのを嫌うマスゴミが、この時代を意図的に避けているだけだろう。
逆に教育は正直あまり関係ないよ。
というか、教科書を執筆しているような研究者の間では、
中世のなかでも南北朝は割りと人気のあるテーマだろうし、
また高校の教員なんかも、特に高偏差値の進学校の場合、大学院まで出ている人が多く、
そういう人は研究者と似たような思考を持っていることが多い。 >>948
それが一般レベルにまで降りてこないとやっぱり教育に問題は無いって言い切るのはおかしいと思う いま、32話まで見たけど真田丸と比べて説得力あるよな >>951
まず子供まで普通に知ってるところから始めないとコアなファンの小さなコミュニティでの話でしかないからじゃん。
教育云々じゃなく知名度だろ思うわ。いつまでも「一休さんの頃でしょ」のままじゃんw 戦国時代が有名すぎてな。アニメキャラで尊氏や導誉つくったらいいんじゃない? この時代扱ったものだと
ゲームが、既出だけどPCエンジンで出てたな
今だと
月刊マガジンあたりで漫画やってなかったかな
(もう終わったかな)
登場キャラが皆、欲望や野心もって生きてるから
少年漫画では描きづらいだろうな
だから後継作品が生まれにくい 今新たに開発したら武士VS武士の単純な戦国モノのゲームより
武家VS公家VS朝廷VS悪党がもつれて展開するから面白いと思うな
しかも尊氏VS直義・尊氏VS直冬・幕府VS鎌倉公方の兄弟喧嘩・親子喧嘩
で胸アツ
プログラマーが大変 >>957
言うだけ言ってプログラマーの心配w
安心せい、そんだけ面倒なもん今は作ってくんないから 昔の光栄のように糞ボッタ価格でも
買ってくれるファンが居ないと
そんな作りこみは今はできやしないっしょ。
まあ、光栄が昔から作り込みと呼べるほど
そんな一生懸命だったとも思わんがw >>950>>954
>コアなファンの小さなコミュニティでの話でしかないからじゃん。
つうか、それじゃダメなのか?
小中高の日本史教育は、別に一般人を日本史ヲタにするのが目的じゃないし・・・。
特定の時代をマニアックに掘り下げるようなことは基本的にしないよw
一般に人気があるとされる戦国時代だって、学校の授業的には軽く触れてサラッと流す程度。
個別の大名について細かくやり始めたら、きりがないしね。 歴史として1、2行ふれるだけってのはどうかと思うけどなあ?ファンが居るのはいいけど知識としてね 今の中高の日本史の教科書って
尊氏や頼朝の肖像画や逆造・自虐史観や
遡って元寇撃退=神風など
どーなっているん? >>963
今じゃ蒙古は自分とこのお国事情で帰ったって言われてるし、歴史なんて日々解釈が変わるからねえ >>962
というか今の教科書は、南北朝時代の記述は比較的丁寧だと思うよ。
それに比べれば、戦国時代の記述なんて、例えば明応の政変なんかでさえ、
全く触れていない教科書が結構あるわけで。 >>963
頼朝の肖像画問題は、異説(直義説)があるとの註記を付した上で神護寺の肖像画を載せるか、
もしくは生前の頼朝の風貌に一番似るとされる甲府善光寺の木像のほうを載せるかだと思う。
元寇に関しては弘安の役の結末が暴風雨ってことは、すべての教科書に書かれていると思うが、
文永の役については、暴風雨説に依っている教科書とそうでない教科書がある印象。 リンクも貼ってねえ。20年も前に終わったドラマ980位で建てりゃいいのに 避難所スレもまだ残っているし、太平記スレ3つ乱立かよ・・・。 >>965
花の乱観るまでは、明応の政変なんて知らなかったし、細川政元だって勝元の子程度の認識だった。
変人かもしれないが、下克上的くくりで教科書に載せるべき人物だと思うな。 >>957
尊氏、亜相殿、判官殿は、知謀が高い設定で、魅力(カリスマ性)は、尊氏、後醍醐帝が高く、戦闘力及び統率力は、尊氏、楠木正成が高い設定など、細かくやっていかなければならないね。 >>970
ただ『花の乱』の明応の政変の描き方は、富子の立場とかの点で少々おかしなところがある。
まあ『花の乱』の時代考証は、京兆専制論の今谷さんだから、
明応の政変を政元の独断のように描いたのかも知れないが・・・。
あとこれの放送当時は、明応の政変が東国での堀越公方の滅亡なんかと連動していることも、
まだあまり明確に認識されていなかったはず。 >>971
その上に下界を操る崇徳天皇の怨霊や天狗もいるからw >>971
単純な戦闘力は、正成より義貞のほうが高いだろう。
時勢を得たとはいえ鎌倉に突進して落としてしまった点や、
史実ではないけど尊氏に一騎討ちを挑んだ点からすればw
正成のほうは、単なる戦闘力よりも、むしろ戦略・戦術を練る智謀に長けた印象。
逆に義貞は、智謀や大軍を制御する統率力の点ではかなり厳しいかな。
>>973
ゲーム如きでそこまでやるのか・・・? >>974
誰もクリア出来ないほど難解なゲームにする きっと「スレ立て乙!」とか、みんなに言ってもらいたかったんだよw 我に代わって次スレをry→次スレじゃ次スレじゃ!の流れがよかった 今の大河スレ建てペースにつられたのかのう何年前だよw
スレが賑わうのはいいが流石に慌てるほど勢いないよなあ 三河屋か博識のwWikiコピペ・ジジィとほぼコピペ・ジジィの3大スレチを呼べば直ぐ埋まる 御尋ねに御答へ申し候。
スレ立てとは、大事なもののために行ふものと心得をり候。
大事なもののために立つるは、早漏とは申さぬものと存じをり候。
そのため早め遅めの見境なく、ただひたすらスレを立つるのみに御座候。
どうかお笑ひ下されたく候。
車引き >>990
さすが日本史上屈指の名将
言葉に重みがあるなぁ 新スレにも移らねばならぬ・・・。
このスレも埋めねばならぬ・・・。
ワシは忙しぃ! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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