【第二十八回】太平記 part.29『大塔宮逮捕』 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>740
「佐々木判官、思うところあり、寝返り御免!」の場面に、
道誉の配下の軍勢の鎧武者が映っていたと思うが。
>>736
フリーランスって非常勤って意味だと思うが、守護に任命され、
さらに幕府の引付頭人までやる人物が、幕府の正職員ではないと? >>747
そう?時代小説とか読んでたらわかると思うけど。今時は寝取るとか言うの?それじゃ味気ない。手籠め、籠絡する、かどわかす、くらいじゃないと。
ちなみに俺は35歳 >>752
時代小説と、新聞や雑誌、テレビなどの一般のメディアを一緒にしないように。
言葉は臨機応変に使われるべし。 >>746
そろそろ屋号とか屋号なようなものとかって
寒い表現
やめましょうね 家号(かごう)と屋号(やごう)は全く別のものだろw 沢口靖子久しぶりにみた
松田聖子などに比べるとナチュラルな年の取り方だね
科捜研の女、親が見てる >>747
時代劇の場合、わざとセリフに古風な難しい言葉をある程度混ぜたほうのが、
雰囲気が出ていいという面もあるんだよ。
無論、ちゃんと見ている人には文脈的に類推可能なレベルにしておく必要はあるけどね。
>>757
宮沢りえなんかはナチュラルな年の取り方じゃないと? >>758
おっと今世紀の現代劇大河の悪口はそこまでだ 沢口靖子26才 宮沢りえ18才 後藤久美子17才
原田美枝子32才 樋口可南子32才
当時から劣化したのは宮沢りえかな。 千早赤坂村が、TVに映っています。楠木正成公の時代のようですね 最近は女性が若くなったのー
あの頃は廉子も花夜叉も良い意味で老けて見えた
最近だと篠原涼子や永作博美など四十を過ぎてもキャピキャピしとるオナゴが多い >>764
映ってる理由が理由だからなあ..... >>9
遅まきながら読み終えた。
アマゾンじゃなく、地元の書店で購入。
昔の小学館まんが日本の歴史に出てくる上杉憲実がなんであんなに困った優しげな顔だったのか、今になって分かった。 俺の生きてるうちに室町太平記を作ってくれ 海老蔵義満で天の声 真田 尊氏叔父上で頼む 「室町太平記」って、某サイトに書かれている妄想か? 某サイトは知らんが大河スレで続編作るならこんな感じでというのを見て以来俺もこれを見たくなったんだよ
義満は天皇問題とかあって映像化しづらいのはわかるけどあれだけの大物を描かないのはもったいないし海老蔵でしかも太平記の続編として作ったら確かに面白そうだからね 要するにその妄想を見て、そう思ったわけね。
まあ義満は、大河の題材として悪くはないと思うけど、
そこで義満ができない理由ってことでよく挙げられる天皇問題なんていうのも、
最早正直いって、義満をやらないための詭弁だよな。
義満の天皇問題なんて、一時期流行った説というだけであって、
それが定説になったわけでもなければ、多数の歴史研究者に支持されているわけでもない。
だから天皇問題があるから義満がNGだというのも、そもそも変な話であり、
そんな研究者レベルでも不確定な話をわざわざ絡めなければよい。 武蔵観てまだ海老押しなんていんのかw観てないなら最後の方だけでいいよ観てみ。レンタル料返せって言いたくなる まあ「武蔵」は、「天地人」「江」と並ぶ三大クソ大河だな。
だいたい「武蔵」は、サブタイトルを見ても、
第1回の「俺は強い!」から始まって、最終回は「武蔵よ永遠に!」だからな。
よくここまでクソドラマに作ったと、逆に関心したくなるw 第二次上田合戦は秀忠軍が寄り道をしただけだが千早城は幕府軍が総力を挙げて潰そうとしたのを長期間支え続けたのが凄い >>774
サブタイトルのことを言い出したら「峠の群像」も駄作ってことになっちゃうだろw 海老蔵は花の乱のとか良いと思ったんだよ
それに武蔵や五右衛門はそもそも企画自体が不毛だろ....
良い役なら歌舞伎役者なわけで演技自体は別に悪くないだろ
それから太平記の続編というのがミソ
大河っていまはマンネリ化して飽きられてきてるから、こういう変化球って結構効いてくると思うんだよね
太平記はここでも人気の大河だしキャストが存命のうちに実現してほしいよ
それぞれ良い年になってきてるから沢口や真田や陣内が存命のうちに頼む 義満主役ではなく一休さんが主役で
義満編・義教編・義政編にわければいい
義教と一休は同世代で、将軍の子と天皇の子、ともに出家させられていた
共通点も多い 海老蔵のような世間知らずの坊ちゃんの大河なんて見たくないわ >>778
生きてりゃ良いってもんじゃねえだろw真田は出られないだろうし、沢口の劣化にはこっちが耐えられん。
そう考えると天狗になってるけど陣内って劣化してないな。
だが海老蔵はない!!!!! >>778
>良い役なら歌舞伎役者なわけで演技自体は別に悪くないだろ
別に新劇出役者でもアングラ出の役者でも能楽師でも歌舞伎役者でも
大根は大根じゃね?
海老蔵は大河に出た歌舞伎役者の中でも
なんつーかアクがってか地が丸出しっの大根って感じがするんだよな 奥さんがあのままではエビは長期拘束される大河主役はやらんだろう まあ「花の乱」のときの海老蔵は初々しさはあったけどね。
当時、海老蔵と松たか子はともに高校生で大河初出演だったな。
ついでに、後に「武蔵」で海老蔵の敵役となる松岡昌宏も「花の乱」に出ている。
>>779
一休だと義満期にはまだ幼いわけで、正しくは義持編・義教編・義政編なんじゃないの?
義満期がまともに描かれなければ、「太平記」の続編にはならないね。
それに大河の主人公って、天皇・皇族・宗教家はNGという暗黙のルールがあるから、
一休はハードル高過ぎだろう。 >>785
確かに今の海老蔵には、大河の主役級は、その件を考えても無理だよね。
仮にオファーを出してたとしても、まず受けないだろう。 >>787
奥さんが、全快して、初めてオファー出来ると思う。 まあいまの状況だと確かに厳しいかな
奥さんのこと考えたらそうなことやってる場合ではないしな....
とはいえいつか太平記の続編として室町太平記を作ってほしいな
主役は他の人でも良いから >>779
一休ってやっぱりほんとに天皇(後小松?)の皇子なの?
〜という説が強い。って書き方のものが多くて。
で、母君は南朝の女人? 企みがあったのか。
今思えばアニメの一休さんも生まれに訳ありで母親も世間からかくれるように暮らしてたっけ。
将軍さま将軍さまって、ガキの自分はあれは徳川将軍だと思ってたわ。
…暴れん坊将軍とか水戸黄門とか見てたので……。 アニメの一休さんは
足利義満が同時代の有名人だから
時代考証的に間違っているのを承知の上で
「将軍」足利義満として登場させたらしいけど
(昔読んだ雑誌のアニメ特集より)
あまり歴史知識なかった時は
江戸幕府と混同してたな >>792
新右衛門サンは架空だと思ってた。
江戸時代っぽい名前だし。 >>793
新右衛門は、政所代(政所執事代)蜷川氏の当主が代々名乗っていた名前だな。
室町中期の『蜷川親元日記』とか、戦国期の『蜷川親俊日記』とかの記主は、
いずれもその頃の蜷川氏の当主。
但し蜷川氏は、厳密には政所執事伊勢氏の被官という扱いで、将軍から見れば陪臣なので、
実際には将軍と直接話ができるような立場にはないが。 >>794
じゃあ大内の姫様なんて身分違いも甚だしいな >>794
また珍説がお出ましだよ
自分で正しい事を言っていると思っているんだうな
三河国額田郡山中郷は、奉公衆にもくれてやっていない将軍家御料所なんだが
この山中郷にある法蔵寺は義政の祈願所になっていて、その時の代官は蜷川親当の孫
思いっきり直属の部下ですやん
豆だが、蜷川氏(宮道氏)は元々、三河国額田郡山中郷の隣、三河国宝飯郡宮道郷の出らしい
蜷川氏
元は物部氏の流れを汲むとされる宮道氏
蜷川氏は、越中国新川郡蜷川郷から発祥した。すなわち宮道式俊・親直父子は、治承四年(1180)の源頼朝の旗揚げに参じて功があり、越中国砺波・新川の両郡を領した。
室町幕府において、政所執事を世襲した伊勢氏の家臣であり、親直から数えて3代目の蜷川親当の頃より政所代を世襲することとなった
蜷川氏の当主は代々新右衛門と名乗っており、蜷川新右衛門といえば、テレビアニメ『一休さん』(1970年-1982年)に足利義満の側近で寺社奉行の武士蜷川新右エ門が登場する
宮道氏
饒速日命を祖とする物部守屋の後裔(物部氏より分かれる)と称する。ほかに日本武尊系宮道氏
発祥地は三河国宝飯郡宮道郷(現在の三河県豊川市)と推定される。
宮道天神社(愛知県豊川市)
源頼朝は上洛の折、安達盛長に代参を命じ、京からの帰路、鞍馬装束を奉納 豆だが、現代の山中郷のオヤビンは冨田勲の弟で病院を経営している
冨田病院(三河県岡崎市)
http://www.tomitahospital.jp またまた豆だが、源頼朝は義政の祈願所、法蔵寺近辺を和歌にしている
よそに見しをさゝ(小笹)が上の白露をたもとにかくる二村の山 by源頼朝、続古今和歌集 
本来、二村山は本宿あたりの二村山を指すんだが、パゴヤの田舎猿は二村山は豊明の二村山だぎゃ〜と主張しやがる 
二村山 源頼朝 
http://sukune.web.fc2.com/futamurayama.htm 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%91%E5%B1%B1 
ただし理由は定かではないが、中世時代に書かれた紀行文の中に沓掛宿についての記述は皆無であるといわれる。 
これらのことの理由としては、二村山の所在地についてのさまざまな混同が挙げられる。 
1151年(仁平元年)成立の『詞花和歌集』に収録された橘能元の歌ではその詞書に「三河国二村山」の紅葉を見てとあり、1310年(延慶3年)頃の『夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)』に見られる橘為仲の歌も「三河国二村山」の情景を詠ったものとされる。 
そして源頼朝の手になる二村山の歌は上洛の折りに宿をとったとされる宮路山山麓(現在の岡崎市本宿付近とされる)で詠まれたものという見解もある  >>790
陣内さん、沢口靖子、高嶋政伸君など沢山残っているだろ? またまた豆だが、義持の祈願所はココな
足利尊氏遺言、足利義満創建の天恩寺
天恩寺(三河県岡崎市)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/天恩寺_(岡崎市) >>793
一休さんの義満側近の蜷川新右衛門は架空。
室町でも時代が違う。
>>794
毎度毎度wikiコピペしているwiki信者 乙
日本史板ならボロボロだな。 ちなみに『蜷川親元日記』の話のついでにいうと、
これとほぼ同時代の室町幕府関係の史料に『斎藤親基日記』というものもある。
以前ある学会の質疑応答の場で、“チカモト日記”という言葉が飛び交っていたのだが、
質問者は『蜷川親元日記』、それに答える報告者は『斎藤親基日記』のことを言っているようで、
全く話が噛み合っていないという珍光景に遭遇したことがある。
まあ原因は報告者がレジュメのなかで『斎藤親基日記』のことを苗字省略した上に、
字を間違えて『親元日記』と誤記していたことが、話の噛み合わない議論になった原因だが、
会場が何ともいえない微妙な雰囲気になったのを覚えているw 最近知ったが、天恩寺を西にすぐ行くと桜形と言うとこがあるが、頼朝乳母の山内尼の孫が移り住んたらしい
山内尼の息子の経俊は、頼朝に矢を放っても不可思議に出世したんだが、そうなると山内尼も三河の藤姓熱田大宮司関係者の可能性が高いな
頼朝は母方に甘いから
額田山内氏(初代山内首藤経俊の息子)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/額田山内氏
頼朝が母方に甘い一例
頼朝の寝床に忍び込んでとっ捕まったが、薩摩国流刑で済んだ当麻太郎
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季成(蒲神明宮(静岡県浜松市)神官)→当麻五郎貞稔(源範頼乳母父)→当麻太郎(源範頼家臣) まあ同じ時期の人物で名前の読みが同じというのは、ややこしいのは事実だな。
細川政元と九条政基なんかもそう。
しかもこの場合、九条政基の子である澄之が細川政元の養子になっているから、面倒くさい。
しかも九条政基の和泉下向中の日記『政基公旅引付』にも、細川政元が登場したりするし・・・。 しかしなぁ。
再来年の『西郷丼』の次は、そろそろ室町物でも・・・と思っていたのだが、なんだあれは? >>803
>>807
痛い処を附かれて必死だな。
ナンチャッテ歴史オタ・ジジィは三河バカと同類。 >>808
あれは、朝ドラでやるほうがよいのでは…
近現代モノは33年ぶりとはいえ、今となっては場違い感があるな。 >>810
まあ幕末ならともかくとして、話のメインが明治維新以降になるものは、朝ドラが妥当だろうね。 >>814
桜島大根とかさつま揚げとか乗ってんの
ってか西郷どんスレ違い >>805
補足説明だが、桜形は中世は比志賀郷といって高一族の根本所領だ
高氏所領
・三河国額田郡菅生郷、三河国額田郡比志賀郷、三河国額田郡政所、三河国額田郡矢作東宿、三河国下村中山郷雑役免(進退分十家名)
■高師氏
・父は高重氏
・右衛門尉、法名心仏
・三河国額田郡菅生郷・比志賀郷(三河県岡崎市)郷司
・永仁4年(1296)3月1日、他家に嫁していた娘の稲荷女房(法名心妙)に三河国額田郡比志賀郷を譲る(総持寺文書)
・正安3年(1301)2月15日に満性寺(三河県岡崎市)に菅生郷の土地を寄進する
■高師重
・父は高師氏
・三河国額田郡菅生郷郷司
・暦応2年(1339)に足利尊氏の命令で、三河国額田郡比志賀郷(三河県岡崎市)に八幡社とともに深恩院総持寺(現在は広祥院)創建する
■満目尼
・父は高師氏、高師泰・高師直の姉妹
・深恩院総持寺(現在は広祥院)開基
■高師兼(室町幕府最初の三河守護)
・五郎左衛門尉、尾張守、刑部大輔
・父は高師春、母は高師直の妹。高師直の猶子
・高師直より、藤原冬房領三河国碧海荘三木今一色の知行保持を命じられる(建武4年(1337)5月13日付高師直奉書)
■貞円
・父は高師重、高師直・高師泰の弟
・滝山寺(三河県岡崎市)大勧進
■三郎
・父は高師秋
・滝山寺(三河県岡崎市)僧
■明阿
・父は高師泰、夫は高師冬(高師直の養子)
・観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、三河国菅生郷(三河県岡崎市)に総持寺を建立する、
・三河国菅生郷(三河県岡崎市)の旧領は、一旦足利将軍家領となり、将軍家より総持寺に寄進された 豆だが、桜形(比志賀郷)の北には赤田和城というのがあったらしく、赤松円心が逃げてきたらしい
子孫と称する赤松さんが現在もいる
赤田和城
http://www.geocities.jp/shiro20051212/Akantawa-jo.html
補足説明だが
赤田和城があった近辺で、トヨタ自動車が4000人勤務する研究施設を今作っている
新研究開発施設のあらまし - トヨタ自動車
http://www.toyota.co.jp/jp/environment/preservation/assesment/pdf/all.pdf >>800
政伸(直義)は毒殺されたんですけどw
義詮は片岡孝太郎でいいでしょ。「真田太平記」では、大助演ってた。 9月は護良親王、10月は足利直義の伝記が出版されたけど
さすがに今月は無いみたい、残念 >>820
毒殺は藪の中なんだよな
病死説もあるし >>822
ミネルヴァの人物評伝じゃないの?
吉川弘文館の人物叢書では、どちらもまだ出ていないし。 そういえば人物の伝記でいうと、以前に『新田義貞』なんかは、
吉川の人物叢書とミネルヴァの評伝がほとんど同じくらいの時期に出てきて、笑ってしまった。
あえて競い合って同時期に出したというわけでもないだろうにw >>826
そうそう、確かにそういう事があったね。
別に新田義貞が何かの話題になってたわけでもないのに。
こういう本を出してくれるのは吉川弘文館にミネルヴァ書房
後は戎光祥出版くらいか。別に出版元はどこでもいいから
もっとこの時代の人物の伝記が出るといいんだけど。 >>797
訂正
✕義政の祈願所
○義教の祈願所 >>818
訂正
■満目尼
父は高師氏→父は高師重
高師重の子弟まとめ
■高師泰
・尾張守
・幕府執事
■高師直
・三河守
・幕府執事
■高重茂(異説あり)
・駿河守
・関東執事
■貞円
・滝山寺(三河県岡崎市)大勧進
■満目尼
・深恩院総持寺(現在は広祥院、三河県岡崎市)開基
■女子
・高師兼(室町幕府、初代三河守護)生母 >>829
やっとドラマ観終わったけど高師直の役者も良かった。
高氏って愛知県だったのか。 独眼竜政宗を見始めたら、
判官どのの前世はロリコン関白
だったとは恐るべし恐るべし…
((((;゚Д゚))))))) >>831
時代的に言うと判官殿が婆娑羅をこじらせてロリに走った方がしっくり。
でも判官の陣内は無駄にハマってカッコよかった。 大塔宮って一応征夷大将軍だったんだな。
後醍醐は武士を彼のもとに束ねたかったんだろうが、幕府という労働組合にも似た組織がなければ権威が機能しないことを証明しちゃったカタチになっちゃったな。
それとも肩書の持つ威力を貶めたかったのかな。 通説では護良親王が信貴山にこもって尊氏と戦争しそうになったので
とりあえず釣り出すために征夷大将軍を与えた
釣り出したら用済みなので三か月くらいで解任&令旨無効という
鮮やかな切り捨て 護良親王には再出家しろと迫るあたり親政には必要ないと考えていたと思われ 高師直の中の人は「太平記」と並行してTBSの「ふぞろいの林檎たち」で
石原真理子を追っかける変態ストーカー夫の役やってたな。
あれも怖かった. >>836
初めて観た時子供で「後醍醐天皇は大塔宮嫌いなんかな?お父さんなのに」と同情してたなあ。
でもあの気性じゃ皇太子には不向きだろうなあと今では思う。 大塔宮は単純にオカンの実家が実力なかったんだろ。僧籍に入れてるとこから跡継ぎにする気0 タイムマシンが発明されたとしてこの時代に
現代の人が行ったら言葉とか通じるの? 高師直が足利邸を包囲した時に
足利家を抹殺していたらどうなっていたのかな? >>842
通じないんじゃない?
>>843
ソッコー討伐されるよ、所詮足利あっての執事だし >>843
義詮が関東の南軍と和睦し、大軍を引き連れ師直軍と激突!
道誉も寝返りゴメンで師直大敗。
しかたなく親房をたより、南朝方に転じる。 >>836
確かに通説はそうだね。
まあドラマでは、その翌年の年末に護良親王が捕縛される場面でも、
「身は二品の親王ぞ。征夷大将軍なるぞ!」といっていたけど、護良本人の意識では、
征夷大将軍を3ヶ月で辞めたつもりはなかったのだろう・・・と勝手に解釈して見たよ。
>>837
さらにいえば、必要ないどころか有害な存在と考えていた可能性が高いよね。
後醍醐が隠岐にいる間に、赤松など畿内の新興武士勢力を勝手に束ねていた護良は、
後醍醐にとっては、新政開始当初から危険人物として映っていただろう。
征夷大将軍だって、鎌倉後期には名目上とはいえ親王将軍が幕府の頂点にいたことを考えれば、
護良を征夷大将軍にするのは、尊氏を征夷大将軍にするのと同じくらい危険なわけで、
護良の征夷大将軍が後醍醐の本意でなかったことは確かだろうね。 >>842
とりあえず、この時代に存在しない語彙は一切使わずに話すという前提で考えても厳しいと思う。
鎌倉末〜南北朝だと、例えば動詞の活用なんかでは、
平安文法と同様のナ変・ラ変・上二段・下二段などがまだ残っているだろうし、
発音面も、旧仮名遣いで「アウ」「イウ」「エウ」と書くものは、まだ仮名遣い通りの発音で、
現代語の発音ように、これらが「オー」「ユー」「ヨー」に変化していない。
また四つ仮名、「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」の発音区別も健在。
もっとも語頭以外のハ行音のワ行音への統合とか、
「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」、「オ」と「ヲ」ノ発音区別消滅とかは、既に起こっているが。 >>849
それは有名なナゾナゾだね。
日本語の「ハ行」の子音は、古くは破裂音の[p]だったとされるが、
奈良〜平安頃から現代語の「フ」の発音と同じ子音(英語の[f]とは異なる)に変化した模様。
その後、江戸中期頃に現代語のハ行と同じ発音になった。
なお単語の語中語尾のハ行音は、前述の通り平安後期以降、ワ行音と同じ発音に合流。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています