有楽って、史実でもあんなに無能で有害で嫌な奴だったの? [無断転載禁止]©2ch.net
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>>296
信長か信忠が長生きしてりゃ
織田の天下だもんな
有楽斎としては
史実よりも大きな領地とか
責任背負わされて
趣味に没頭できないから
有難迷惑になりそうだがw でも結局茶道は千家の天下
有楽も古織も誰も知らない 古織は有名だと思う。おりべ好みの道具とか言われるし。 それに今はセコイヤチョコレートとエブリワンで、お子様まで名を知られてるぞ。
勿論どれ程の人物かまでは知られちゃいないけど。 大名系茶道流派では片桐且元の甥が開祖の
石州流が一番勢力が大きいかな? 乙なもの
これは昭和世代なら使うだろうし最高ではないけどこれはこれで趣があって変え難い良いもの
織部好みも現代に浸透していると思うよ 古田織部が知られるようになったのはひとえにへうげもののおかげな
それ以前は誰も知らなかった 何しろ大坂の陣でほとんど唯一、
「徳川方から大坂方に内通した大名」として幕府から抹殺された人だから 時代劇好きはドラマの中で茶道や道具の話題が出たときに「おりべ」の名前が出てくるから知ってたと思うよ、へうげもの以前から
へうげもので初めて織部知ったという人は、この大河で初めて長益知った人を笑ってはいけない へうげ以前に信長の野望に古田は登場しているし、
司馬遼太郎の短編でも取り上げられている。
無知というかへうげを過大評価だな。
個人的には美味しんぼで織部の皿に乗せた大根の煮物が
10億円って話が印象に残ったわ。 だったら最初から真田丸に出せよ、有楽と織部
本能寺の変で出したらよかったのに 有楽34歳 おりべー38歳だしなぁ 何かできた? 要職? >>308
古田織部関連の書籍、研究が増えたのはへうげもの以降でしょ
陶器の織部焼は有名だけど古田重然その人はかなりマイナーな武将で知ってんのは歴史マニアくらいだろ
もっともへうげものももう12年も連載してんのね
というか度胸星はどうなったんだよ >>309
本能寺スルーしといて有楽もくそもないからなあ
出したとして井上順にやらせたら年食いすぎだし
小田原で出したせいで大坂の陣の伊達政宗に貫録ないのに >>310
人生五十年の時代、アラサーはもう充分年寄りなんですけど。
それで17歳の信繁が関白殿下にタメ口きくドラマが何だって? >>310
織部の政治的影響力は利休の下位互換
秀吉晩年は利休の後継として君臨し、関ヶ原以降は秀忠の茶道指南役
下位互換と言っても朝廷公家と親しく国主大名等を弟子にしているので影響力はかなりあったと思うよ
有楽も利休高弟だし大坂の陣あたりだと没落守護家や各公方同様、信長の弟という貴種として一目置かれていた >>306
「へうげもの」は読んだ事ないけど、古田織部の名は「美味しんぼ」に出てきた
古田織部作の茶碗っていうのが出てきて、山岡さんが
「古田織部は戦国大名だから自分で茶碗を作ったりしたことはない」
「職人に発注する時、こういうのを作ってくれと型紙を書いたことはあるけど」
とか言ってて、へーってなった >>315
堺の信繁は47に見えない
現代の47と比べても相応に見えない >>316
たったそれだけ、それしか知らない、「聞いたことはある」レベルで
「いや俺は知ってた」とドヤ顔で言われてもなあ 「誰も知らない」って言ったって「日本人一億人中一人も知らない」という意味じゃなくて
「歴史好きや茶道に詳しい人など知ってる人は知ってるけど一般の人は誰も知らない」って意味だから。
上のほうで「有楽は信濃攻めや関ヶ原で武功を立てた」と言ってる人がいるけど知ってたか?
そもそも>>299は「腹切った千利休のほうがメジャーになった」という趣旨なのに
誰も知らないと書いたらセコイアチョコレート(何それ?)の何の言う人が出て
「そういうのはへうげものの影響」と書けば意地になって美味しんぼとか言ってくる。
どうせあわてて必死になってネット検索したんだろうけどさ >>319
そんなに必死にならなくても、へうげものは大河板にいるような人にとっては「大人気傑作漫画」だから安心していいよ
ただ大河板にいるような人はもともと時代劇好き、歴史小説好きな人がほとんどだから、へうげもの以前から長益も織部も知ってたけどね 有楽斎はかなり昔からノブヤボ出てたから
ゲームから入った歴史好きも知ってる
能力的には教養以外平凡 それが肝心の大河ドラマ制作スタッフ自身が織田有楽斎も古田織部も知らずに真田丸つくってるのが最大の問題なんだよ 例えば>>310とか
要するに名前は知ってるけど何をした人なのかは知らないんでしょ
真田丸第三回でも有楽が安土に逃げ帰って来たはずなんだから
信繁が何が起きたかわざわざ京都まで調べに行かなくてもよかったのに >>323
もう大河ドラマはNHKで作るのやめて、時代劇専門チャンネルかどこかにまかせたほうがいい それか歴ゲー関係の制作者たちを呼んできて、日曜総合8時の時間枠を彼らに渡してもいい 大河ドラマってただのドラマだぞ…
史実じゃないからな >>323
え゛・・・NHKアニメ「へうげもの」も知らないんだな
だって豊徳合体にあれだけ奔走したゲヒ殿全く無視するとはなぁ
家康暗殺を共謀したとかいくらでも絡めようはあったのに 有楽町駅と八重洲口の由来は結構有名なネタだと思うがな。 >>329
ヤン・ヨーステンはともかく、有楽町と有楽斎はこじつけやんw >>328
アニメは利休切腹までぞ
お前こそ最近ひょうげもの読み始めたんじゃないの?
でWikipedia読んでアニメ化を知ったと。。
それと豊徳合体はひょうげものの創作ぞ
思想はあったかもしれんがあそこまでアクティブに大名たちは関わっておらぬ
豊徳合体についてひょうげもの以外の小説漫画で良く描いているものがあれば挙げてくれ 史実では古田織部が徳川方で唯一大阪方に内通したの知ってるか? 『へうげもの』以前で織部が重要な役柄で登場する作品となると、
映像作品では89年『千利休 本覺坊遺文』92年『豪姫』があるね
前者では加藤剛が演じるだけに誠実な義の人イメージの織部、
後者の仲代達矢演じる織部に至っては事実上の主役といっていい
なお『本覺坊遺文』では有楽(萬屋錦之助)も非常に重要な役どころで登場 古田織部は真田と関係ない人だから真田丸に出なくてもいい
しかし大河ドラマスタッフにへうげものの愛読者がいれば
織田有楽を出そうとはしたはずだ。
あれだけ大坂編ダラダラやったんだから淀殿や利休の相談役にできただろうに。
実際には放送初期、他スレで聞いたらへうげものは元より有楽の存在すら知らなかった。
真田太平記でおこうから暗殺されかかった人ということすら知らなかったらしい 織田信長の弟を強調してたが刃振りかざされてあっさり命乞いwww
有楽斎ヘタレな退場でワロタwww兄貴が泣いてるぞオイwww >>339
あの世の信長が長益のダメっぷりに絶望した最初は本能寺直後 有楽は関ヶ原で蒲生・戸田ら
西軍の大物二人の首をとっている。 >>340
信長は生前から長益見限ってたからあまり
重要な役職につけなかった。
だが一説には「和睦の長益」ともいわれてたらしい >>339
信長兄弟で
まともな奴はいないからな
性格穏やかでいたって普通の能力なのが
信包ぐらい >>343
息子たちも信忠以外全員バカなのも血筋かね
信長がたまたま突然変異で生まれただけだったりして 織田一族は暗君、迷君のオンパレードだからなあ
長益の子孫
・織田頼長・・帝が死罪にしろと激怒した罪人を匿い逃がす。
・織田秀親・・勅使饗応で前田利昌をしごいたら逆怨みで刺殺された。
信包の子孫
・織田信重・・すでに大名だったのに弟・信則が相続する父の遺領3万石まで欲しがり改易。
信則も次の代に3千石に減封。
信次の子孫
・津田信任・・千人斬りの犯人として逮捕
・津田信成・・祇園で婦女数十人に暴行で稲葉通重と共に改易。
信雄の子孫
織田信武・・重臣を斬り殺し自殺。2万石に減封。
織田信邦・・家老や重臣が兵法に熱中し
「江戸城を攻めるにはどうしたらよいか」など議論
をしていたのを隠密に知られてしまう。 信長の親父も含めて一族そんなのばっかり、信包以外に常人が一人もいない
なにより信長自身が「天才とナントカは紙一重」を体現しているからなw
そし信長ファンにとっては「だがそこがいい」なのも事実 上杉のように幕府からも明治政府からも、21世紀ににはNASAからも表彰される家や
島津のように「薩摩に暗君なし」と歴代が優秀な当主が続く大名家のほうが珍しい。 高く評価されてるのは長尾系上杉氏や島津貴久の直系子孫であって、
室町時代のホンモノの上杉氏や貴久以前の島津氏ではない。 みんな一応 織田信忠は、女性の間では 愛に生きた事になっているよ
一応、死ぬ前に 松姫よびよせようとしたし 津田盛月も面白いよね _(・津田信任・・千人斬りの犯人の親だけど)
津田盛月の父は織田刑部大輔で中川重政の弟、織田信長の叔父・織田信次の孫とされる
弘治2年(1556年)の信長と織田信行(信勝)の争った稲生の戦いでは、柴田勝家配下の鎌田勘之丞を討ったという。
ところが、兄の重政と長光寺城主・柴田勝家との領地が入り組んでいたために抗争が起き、盛月は勝家の代官を斬り、兄と共に改易となった上で追放された。
後に羽柴秀吉に召されて姫路に至り、「外峯四郎左衛門」と名を改めてこれに仕えた。以後、秀吉の下で備中攻めなどで戦功を挙げた。秀吉のもとにいるのが信長に露見し、
切腹させられるところであったが、本能寺の変によって命拾いしたという[5]。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いに参加し、その功績により従五位下、隼人正に叙任され、津田姓に改める。
この戦いで弟の木下雅楽助が討ち死にしている。戦後、家康と秀吉妹・朝日姫との縁談をまとめたのは、蜂須賀正勝と盛月の功績によるという[6]。
天正15年(1587年)の九州征伐にも参加し、秀吉から所領を与えられて3万5千石の大名となった。 >>345
織田信邦・・家老や重臣が江戸城攻撃の兵法に熱中し、幕府から目を付けられて、山形県に領地がえ
そしたら、天明の飢饉発生で、食えない藩士は大脱走
解決策が藩士による将棋の駒作りの内職だった 《藩の名前を、高畠藩から天童藩に改名)
(天童の将棋の駒が、結果として有名になる) 秋田城介信忠は優秀なんじゃなくて、努力家の秀才のイメージがある。
天才なら有楽に騙されて自害したり、
父の近くに居て、二代が一緒に消滅というヘマはないはず。
信包は凡才。
長易は異才。茶の湯や政治には才能を発揮する。
信長が最も愛したという弟、長島一向一揆と闘った信興は能才かな。 坊主頭の有楽の肖像画を見ると、けっこう井上順に似ている。 もしやこの流れは来年の直虎に長益を出すためか?
大河ドラマ信長でも出なかった人だけど。 >>357
建仁寺にある有楽斎の肖像は高僧のように曲禄に座した姿だけど、なんか顔は思いっきり生臭坊主な感じだったな。 有楽町が有楽斎の屋敷跡だったんだな
誰だよ無関係とか言ってたやつ >>360
それ、今では千代田区でさえ「〜と言われていた」くらいの表現しかしていないトンデモ説(有楽斎は屋敷を構えるどころか江戸に入ったことさえないとされている)
まぁ、あの時代に日帰りでも滞在したという可能性もないわけではないし、都市伝説みたいなものでいいんじゃないの 今の警視庁が直江屋敷で、汐留の電通ビルあたりが伊達屋敷だっけ?
あのあたりももっと大々的にそういうのアピールしてけば東京観光楽しくなるのにな >>357
こないだ東博でやってた禅の展覧会で見たわ
あの絵見て井上順をキャスティングしたと思ったわ
有楽斎は建仁寺のパトロンやるくらい金持ってたんやね 本能寺の時も大阪落城の時も逃げのびて天寿をまっとうした
ある意味戦国時代を生き抜いたしたたかな人物だったかもね 二条城から逃亡したのは事実だけど
信忠に切腹を勧めたのは後世の創作じゃないっけ? 状況的にそうなんじゃないかってことからの派生だったように記憶
実際有楽以外に信忠の切腹前後を知るであろうな生き残りに
毛利(信忠の介錯人)がいるけど彼はそのあたりのことをほとんど語らず
最終的に行方不明になっちまっているし同じく逃げだした中には前田玄以も
いるが前田は三法師を連れていようと連れていまいと早い段階で逃げたよう
だからそのあたりのやりとりまでは知らないと思われる 信長が「是非もなし」っていうくらいだから(誰が聞いたんだろう?)
光秀の包囲網はネズミ一匹通さないほど完璧なはずだった。
だから信長も信忠も逃れられぬとあきらめて腹切った。
なのにどうして有楽だけ逃げのびることができたのか?
有楽が逃げられたのになぜ信忠を逃がさなかったのか? >>362
伊達屋敷は大井町あたりでは
仙台坂という名前が残っている >>368
それは下屋敷ですね
仙台藩の下屋敷は麻布にもあって韓国大使館の前の道も仙台坂と呼ばれてます
仙台坂の上屋敷は汐留にあってシオサイト開発時に遺構が発見され話題になりました
ちなみに仙台坂の上屋敷は伊達政宗の時代は日比谷にあり今でも日比谷公園の中に伊達政宗終焉の地という看板が立ってます >>369
日比谷公園の伊達政宗終焉の地の碑はポケストップになってるなw >>367
信長の侍女は信長が腹切る寸前まで近くに居たんだよ。
そして信長が腹切る前に信長は彼女らを逃した。
その彼女らを太田牛一が取材して書いたらしい。
だから本能寺の変のあたりの叙述は詳しいのよ。
有楽なんて雑魚だから逃げられたんだよ。
光秀軍は信長と信忠だけを標的にしていたからな。 >>371
腹切る寸前はさすがに言い過ぎだし逃がしたとされる
女も他の史料との突合せからほとんどが遊女というのが有力
そして牛一は取材をしたはしたけど書いた当時高齢だったことや
スポンサー(たとえば池田写本を書かせた池田輝政)に配慮して
書かれていることも多いから信長公記を鵜呑みにするのは危険
その池田についてだって之助と輝政の年齢が違っているけど
輝政もその点を修正させることはなかったのだからまあそういうことだよ >>373
明智光秀からコイツは人では無いってことで斬られることも無く放免されたらしいね その後の足取りは不明 >>374
弥助は生きたディルドみたいな存在だからな
光秀は安定したら弥助を飼うつもりだったと思う。 >>374
弥助はその後、出家して天海と名乗ったらしい・・・ >>378
天海にジョブチェンジした弥助
想像すると、ちょっと吹くwwwwww >>379
笑ってはいけない湯河原編の
袈裟着て片言であちゅかったでしょ?
あちゅいでしょ?
って話しかける黒人思い出したわ。 「本能寺の変」の真相を語り尽す!歴史作家×織田家現当主のトークイベント
なぜ、信長は本能寺で斃れたのか? この戦国最大のミステリーに、信長を知悉
する歴史作家と織田家当主が挑むトークバトルは、12月14日19時から、JR東京駅
前の八重洲ブックセンターを舞台に繰り広げられる。
【『半島をゆく』第1巻刊行記念 安部龍太郎さんトーク&サイン会】
■日時:2016年12月14日(水)19:00〜(開場18:30)
■場所:八重洲ブックセンター本店 8階ギャラリー >>384
全然似てないと思う
もう少し精悍な顔であってほしいのに 長篠合戦図屏風で信長の側にいる白装束に六芒星の男たちの正体が知りたい >>386
随天と愉快な仲間たちwwwwwwwwwww
忌部氏説があるんだっけ? >>386
陰陽師たちだよ
六芒星だから安倍晴明後裔の土御門家関係者と思われ
東大史料編纂室の遠藤氏によれば宮内庁書状の土御門家文書の中に
信長が幕府官僚を通じて土御門家に対し息子と信玄娘の婚姻について
暦進(今でいう日がいいのはいつかというあれ)を命じた旨の書が
見つかったそうだから土御門家と懇意だったのだろう
因みにこの婚姻は同時期の他の記載内容などから信忠と松姫ではないかと
遠藤氏は推定していたよ >>388
ありがたい、どこを調べてもそんな資料がなかった
織田が忌部氏の出身だから、忌部氏関係って言われてたけどな
信長のような合理主義者が戦場に陰陽師たちを連れて来ていたのはちょっと意外 信長は高野山を焼く前にこれやっても本当に祟りはないんだな?と
確認したと公家が日記に書き残しているから実際の信長は
ある程度気にするタイプだったんじゃないかな
あと陰陽師って呪術方面ばかりがクローズアップされるけど占術や天候などを
読んだりする側面があるし長篠に関しては相手が勝頼で彼は諏訪という
大和政権が国譲りの経緯から気兼ねする対象の大祝の血も引くから
それも関係して連れてきたのではないかと見る向きもあるみたいだよ >>390
信長は慎重なタイプだよ。
短気な性格だから短慮と誤解されやすいが、短期だけど実に慎重。
そして専門家の意見を聞く。
専門家の意見に左右されないがとりあえず聞く。
この辺は政治家として卓越した能力を持っているからだろう。
とりあえず専門家がどう思っているかを情報として確認してから動くのが得策だとよくわかっている。 コレハ、聞クトコロニヨルト、後世ノ気象学ニ相当スルモノダッタソウデス。 タイガドラマモオモシロイケドオススメノジョウホウ
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