大坂城の腹黒台所頭●大角与左衛門●オヤジ飯 [無断転載禁止]©2ch.net
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最後にやらかす●●大角与左衛門●●腹黒台所頭
大坂城の台所頭
料理名人だが、腹黒い・・・・・・・・・ しかし与八を頃すとは驚いた。
で大角のオヤジさんは悪役をよくやってた人なのでしょうか? みんな 実は史実では、大角与左衛門が、スパイだと最初に発見したのは後藤だったんだよ。
でも、誰も信じなかったのです。 後藤は、常に、大角与左衛門は裏切るといっていたらしい。
そしたら、逆に、徳川から、後藤は裏切ると噂を流された >>169
樋浦勉さん 俳優さんで洋画の吹き替えもしてるダイハードのマクレーンとか代表作 >>170
で、食堂のおばちゃんが産業スパイだったとw バレた直後の「あぁ、気にすんな。こいつは・・・」的な仕草とその後の容赦ない口封じの落差凄かった 火箸といえば、春だったのに、大角さんが使うとは思わんかった ギャグとマジの差が激しいな。
それだけに、被害者となった九兵衛の死もショックが大きかった。 >>178
(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブルガタガタブルガタガクガクガクガクガク 樋浦勉さん出演大河ドラマ(NHK)
竜馬がゆく(1968年) - 山地忠七
草燃える(1979年) - 加藤景廉
徳川家康(1983年) - 服部半蔵
山河燃ゆ(1984年) - 池島努
春日局(1989年) - 増田長盛
徳川慶喜(1998年) - 牧野忠恭
真田丸(2016年) - 大角与左衛門
新大型時代劇(NHK)
真田太平記(1985年、NHK)- 孝助
武蔵坊弁慶 (1986年、NHK)- 信濃坊海円 >>181
>>183
料理頭に殺されたのは与八じゃないのか? 妖怪演技だったな。 死んだふりで雪村をだました。
大角与左衛門は急所を外して、自分で切腹したふりをして、雪村を油断させた。
秀頼に、雪村がスパイだと嘘報告するし、大坂城に放火するし
無双妖怪だな 最近見つかった資料で、秀頼が裏切り者を石垣から突き落として処刑したって話があったから
この爺がその処刑される役になるのかと思ったら、特になんもなかった(´・ω・`) >>195
中に昌幸が入っているのかと思うレベルだったなw 中の人は大ベテランの俳優さんだからな。
近藤正信より芸歴長い。
初代ウルトラマンのガマクジラの回で、寺田農と二人でトラックを運転してガマクジラに襲われる。 >>194
最後まで勝負を諦めないのはむしろ彼だったな
あいにくと幸村には彼ほどの物がなかった あの後城から無事脱出して幕府に仕官を望むも叶わずやがて病死したんだってな >>197
大角のために疑惑持たれて、信繁が大助を城に戻す=人質として淀殿秀頼に預ける。
それで、楠正成桜井の別れみたいな状態になるんだが、大助は生き残らなかったね。
ほんと策者としてウワテだよ。 >>199
真田雪村が、大角与左衛門に倍返しされてしまったね。
豊臣家に恨みを持ったのが1590年代だとすると関が原の前だね。
雪村は、武士だから切腹として敵を遇して、大角与左衛門に止めを刺さなかった。
しかし、大角与左衛門には、武士としての礼節は無く、恨みだけだった。 樋浦勉が出てるのに何の見せ場も今迄なかったのが不思議だったんだけど、最後にでしたかって感じだが、ストーリーとしてはどうかとは思うよ。 大角与左衛門は、秀吉編から出すとよかったね
あんたは、戻ってくると思っていたよ!
と言わせるのだから まさかの最終回台所じじい無双
これ要らなかっただろ・・・ 織田有楽が知らない淀秀頼も会ったこともなさそうな下男頭を幸村より信用するか どうせなら秀吉の伊賀征伐の残党とかでよかったよな
ああいう、腹黒じじいにリアルでもあっさり騙されてるんだが >>207
秀頼はアレだが、大蔵卿局にしてみれば牢人も台所頭もゴキブリみたいな
もんなので、信じたいゴキブリを信じるのは当然。 >>86
旗本に取り立ててもらおうと
進言してたんだよな! 史実では秀吉馬印の瓢箪は「敵の手に委ねるくらいなら」と
侍女の手によって壊された。
ジジイも「敵の手に委ねるくらいなら」と自分で放火、
その後旗本となって家康に近づき仇をとろうとしたのを
察知した伊賀忍者に暗殺された、というのは俺の妄想だ なんでとどめを刺さなかったのか。最終回そこだけは解せなかった 止めをさすというより、人の好い幸村なら介錯して進ぜようと頸落としてやるというのもアリなんだが、それをしなかったのは幸運だったな 台所爺、庶民(名もなき民衆)の代表として出したかもしれないけど、
大阪城の台所で働いているとなると、料理人としては上の部類なんだな。 >>216
これ太閤の料理人として
誰かが小説にしてベストセラーにして
映画化ってのもありじゃないか?
なかなかドラマチックじゃん。 信繁の後処理を甘くさせる演出だから、ドラマ自体も甘くなる >>213
お前のような裏切者には介錯なんてしてやらん
のたうちまわって勝手に死ね
みたいな感じで解釈したな よくわからんが秀吉に娘をてごめにされた恨みがあるから家康に通じてたのか? >>217
信長のシェフは完璧過ぎるからな
あんなのがいたら武田浅井徳川が万石級で召抱えたいレベル >>224
農姫が手放すはずないだろう。
手離すぐらいなら殺している。 >>199
大角「望みを捨てぬ者に道は開けるのだ」 >>226
うへへへっへえへへへh
萌えろ〜〜 燃えろ〜〜 秀吉、信長のところで台所奉行やって、薪を節約したという話があるから、そのころ爺さんは秀吉の部下だったんじゃないのか。 >>230
硫黄島のアメリカの戦死は6500だから山崎合戦と比較すべき
羽柴軍3600明智軍3000 >>231
それは無理だよ
明智は悪名が残った
真田と栗林は負けても英雄として名前が残った。 >>231
明智の問題点は本能寺だったと思う。
本能寺は真珠湾と同じように、マイナス要素が大きかったと思うよ。 何故明智は本能寺後迅速に動かなかったのか?
このままでは自分が討たれることを自覚していただろ
中国大返しが5日くらい遅れても明智は無為に過ごしていたんじゃない? >>234
本能寺後、各地に味方になるよう使いを出したけど
誰も味方してくれなくて総スカンになったんじゃなかったっけ >>234
前々から綿密に計画してたわけじゃなくて
「本能寺に軍勢も連れずにいる」と聞いて
急きょ思いついてやったことだから >>236
明智って秀才キャラだったはずなのになんで見切り発車しちゃったんだろうね >>234
明智光秀は味方をしてくれる勢力があると思っていたら、静観ばかりで想定外で負けた。
秀吉がもう少し遅く来ていても駄目だったと思う。 >>238
娘婿の細川忠興さえ味方してくれなかったもんね
盟友だった細川藤孝は頭を丸める始末
その娘と言うのがガラシャ夫人なのだが 陶晴賢は、明智よりも、多少は賢く超略してから裏切ったので、裏切りから1年は権力を逃げれたね。 訂正
陶晴賢は、明智よりも、多少は賢く超略してから裏切ったので、裏切りから1年は権力を握れたね 大内家臣時代
天文9年(1540年)、出雲国の尼子晴久が吉田郡山城を攻めたとき、毛利元就の援軍として大内義隆から総大将の権限を与えられ、天文10年(1541年)1月に尼子軍を撃退するという功績を挙げた(第1次吉田郡山城の戦い)。
天文11年(1542年)には逆に尼子領に侵攻するが、この出雲遠征における月山富田城攻め(第一次月山富田城の戦い)には失敗し、大内晴持をはじめとする多数の死傷者を出して大敗した。以後、義隆は軍事面に興味を示さなくなり文化に傾倒、文治派の相良武任の台頭を招く。
この事態に武断派の隆房は影響力を失ってゆき、さらに武任を重用する義隆とも不仲になってゆく。
天文14年(1545年)、義隆に実子・大内義尊が生まれたことを契機に、隆房は相良武任を強制的に隠居に追い込み、大内家の主導権を奪還する。
天文17年(1548年)に義隆が従二位に叙位されると、従五位上に昇叙された。また義隆の命令で、備後国へ出陣し、毛利元就らとともに神辺城を攻撃している(神辺合戦)。しかし同年、義隆によって相良武任が評定衆として復帰すると、
文治派の巻き返しを受けて再び大内家中枢から排除される。このため天文19年(1550年)、内藤興盛らと手を結んで相良武任を暗殺しようとするが、事前に察知されて義隆の詰問を受けることとなり、事実上、大内家での立場を失った。
謀反
詳細は「大寧寺の変」を参照
天文20年(1551年)1月、相良武任は自らも隆房との対立による責任を義隆に追及されることを恐れて、「相良武任申状」を義隆に差し出し、
この書状で「陶隆房と内藤興盛が謀反を企てている。さらに対立の責任は杉重矩にある」と讒訴する。これを契機として文治派を擁護する義隆と武断派の隆房の対立は決定的なものとなり、
8月10日(9月10日)には身の危険を感じた相良武任が周防から出奔するに至り、両者の仲は破局に至った。
8月28日(9月28日)、隆房は挙兵して山口を攻撃し、9月1日(9月30日)には長門大寧寺において義隆を自害に追い込んだ。
さらに義隆の嫡男・義尊も殺害した(義尊については殺さずに新しい当主に擁立するつもりだったともいう説もある)。
そして野上房忠に命じて筑前国を攻め、相良武任や杉興連らも殺害したのである。
さらに謀反が終わった後には杉重矩も殺害した。義尊の弟で義隆の次男である問田亀鶴丸は、母方の祖父が内藤興盛であることもあり助命している。
毛利元就との戦いと最期
陶晴賢の墓 洞雲寺 廿日市市
天文21年(1552年)、義隆の養子であった大友晴英(当時の豊後大友氏当主・大友義鎮(宗麟)の異母弟、生母は大内義興の娘で義隆の甥にあたる)を大内氏新当主として擁立することで大内氏の実権を掌握した。
この時隆房は、晴英を君主として迎えることを内外に示すため、前述の通り陶家が代々大内氏当主より一字拝領するという慣わしから、晴英から新たに一字(「晴」の字)を受ける形で、晴賢(はるかた)と名(諱)を改めている
(なお、大内晴英は翌天文22年(1553年)に大内義長と改名し、のちに晴賢の嫡男・長房がその一字を受けた)。
その後、晴賢は大内氏内部の統制という目的もあって徹底した軍備強化を行なった。北九州の宗像地方を影響下に置くため、宗像氏貞を送り込み、山田事件を指示したともされている。しかし、この晴賢の政策に反発する傘下の領主らも少なくなかった。
天文23年(1554年)、それが義隆の姉を正室とする石見国の吉見正頼と安芸国の毛利元就の反攻という形で現われた。
晴賢は直ちに吉見正頼の討伐に赴くが(三本松城の戦い)、主力軍が石見に集結している隙を突かれて元就によって安芸における大内方の城の大半が陥落してしまった(防芸引分)。
このため、晴賢は窮余の一策として宮川房長を大将とした軍勢を安芸に送り込むが、折敷畑の戦いで大敗してしまい、安芸は毛利家の支配下となった。
弘治元年9月21日(1555年10月6日)、晴賢は自ら2万から3万の大軍を率いて、安芸厳島に侵攻し、毛利方の宮尾城を攻略しようとした。
しかし毛利軍の奇襲攻撃によって本陣を襲撃されて敗北し、毛利氏に味方する村上水軍によって大内水軍が敗れて、退路も断たれてしまい、逃走途中で自害した(厳島の戦い)。享年35。 冷泉 隆豊(れいぜい たかとよ)は、戦国時代の武将。大内氏の家臣。
天文20年(1551年)、陶隆房がついに決起。隆房は周到な根回しを行っており、文治派以外では、義隆に味方する者はほとんどなかった。
義隆は山口を脱出し、石見国の吉見正頼を頼ろうとしたが、嵐で船が出せず、長門国の大寧寺へと入る。
陶軍が大寧寺を包囲すると義隆は自害し、隆豊は介錯を務めた後、自身も陶軍の中に突撃して討死にした(大寧寺の変)。
その最期は壮絶なものだったと伝えられ、攻め寄せる敵兵が恐れを成すまで戦い、火をかけた経蔵に入って辞世を詠んだ後に十文字に割腹、内蔵を天井に投げつけて果てたと伝わる[5][6]。
また、隆豊が籠もった経蔵に続く坂道は冷泉坂と呼ばれている[7]。
辞世の句 「みもや立つ 雲も煙もなか空に さそいし風の 末ものこさず」
武勇に秀でていただけでなく、和歌にも堪能であった智勇兼備の士と言われており、その忠臣ぶりは、高く評価された。 >>240
史実はともかく
劇中は徳川忍者を通じて何度も交信しているのに
調略してないからアウトはかわいそうじゃないか
小山田みたいな飛び込み裏切りでもないし >>245
劇中では腹切ってるじゃないか
腹切っても数日間はあれくらい動けるけど
消毒液もない時代、必ず化膿して死ぬよ
腹切ったふりして傷が皮膚で留まってるならともかく。
でも放火シーンで血を吐いてなかった? あいつは料理人だぞ。タコなりカツオなり腹に巻いて偽装する技があるんだろうよ。 与左衛門の野郎ww
最後に大仕事をやってのけやがったww
秀頼が燃える大阪城を蔵の中から見てるんだよなw ∩ .∩
.い_cノ / ̄>O
.c/・ ・っ (ニニニ)△△
.("●" ) .(・ω・`)[‖] ここも悪い子ばかりだな
O┳Oノ)=[ ̄てノ ̄ ̄] ルドルフ!次行こう!
◎┻し◎ ◎――◎=3
/ラジャー\ >>246
史実での死因は病死だからこの傷が原因といえなくもない 切腹したはずの与左衛門が「幸村にやられました」というのは
何度でもみたくなる名場面だったのに包帯巻いてたせいか
カットされたのは実に惜しい リプレーできないのかよ >>252
トドメも刺さず死体の後始末もしない幸村はアホとしか言えない あのじじいは、信長の料理人だったケンの成れの果てである・・・・。 >>248
炎上ものはさこう炎の中から抜け出すとか
スケールをでかくしてほしい
燃え盛る炎の中千姫と秀頼がっていうやつとかさ >>254
あのあともう台所使わないと悟っていたのかw
命までははあったかもにしては甘すぎる >>221
娘は秀吉に手篭めにされたことを悲観して
妻は秀吉に手篭めにされなかったことを悲観して むしろ与左衛門自身が手篭めにされなかったことを悲観して >>263
信長は衆道ありだし女性には紳士
手当たり次第が天下とった秀吉で誇張あったにしてもすこぶる武将たちに評判悪い人だった
晩年の秀吉はどこまであれかわからんがねねに対して大事にはしてたんだろうがねねすら抑えられなかった 大角与左衛門は、総集編にでていた?
カットされていたような気がしたんだけど? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています