太閤に大角与左衛門と云者が取立てられた事    

太閤の代に台所で魚や鳥などを洗っていた下男を取立て料理人を申付け、
その後料理人の頭となり秀頼の代になると台所頭となって、あちら此方に顔を出して飛び
回った大角与左衛門と云う者があり、此与左衛門が謀反して五月七日に自分の手下に
言いつけ大台所に火を付させました。
この謀反の働きを御奉公だと申し立て旗本に召出されたい、と願っている内に病死した事を権現様が聞かれ、
大角奴の事は去年の和睦の時、秀頼の母からの使として茶臼山へも来た者である、
元々下男だった者だが太閤の恩を得た奴である、
恩知らずの不届者で憎い奴、との上意でした。