>>931
さんざん言われた?ババアお前がさんざん喚いていただけだろ。それでお前は「清盛は季節感が一切なかった」がデマであることを具体的に指摘されても
一切反論せず、一切訂正していない(季節感がドラマ上意味を持つ場合は巧みに取り入れていた〜平治の乱では雪、鹿ケ谷では夏蝉の鳴き声など)。
にもかかわらず、またぞろ厚かましい面して季節感ネタを持ち出しているのだから呆れ果てる。水仙ネタも何百回目だ?
水仙(冬から春)と菊(夏から秋)は季節が交わらず、したがって京では同時に愛でることはできない(法皇様、今の季節に水仙などございません!by家成)。
清盛での水仙は、まさにこの季節感を押さえた上で、北から南へ長い列島の特性に着目し、陸奥の山奥でかろうじて生息していた水仙
(厳密に科学的に可能かどうかは問題ではない)をひっさげて京に「凱旋帰国」する義朝を導きだすためのアイテムであった(その後、鳥羽の信頼を受けて
官位をゲットし鳥羽ラインに連なっていく。それは摂関家に従属する為義との決裂を意味した→源氏骨肉の争いの開始)。
水仙の季節感と列島の特性である寒暖の差に対する認識が前提となったこの創作に対して、この滑稽なババアはいまだに
「清盛制作側は季節感を一切持たない無能」と喚き続けているのだから笑止千万と言わず何と言おう。
しかも、その水仙がドラマ上どのように機能してどう人間関係を結び付けたかという肝心な事柄については、すっからかんのオツムを巡らすことは
例によって一切なかったし、今もない(水仙を季節の花としか見ていない)。
ところで、これも前に聞いたが、昔は良かったー大河は、すべての回でいついかなる時も春夏秋冬という季節感が明瞭に判別できたのか?
そういう作品があれば教えてもらいたい。もしそういう作品があれば、もっと大切なドラマに頭と金を注ぐべきであり、たいした作品ではないだろう。
直虎も季節感がーとドヤするような大河ではなくこれで良い。