武田信玄 13
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大河は視聴率が前年比でマイナスは失敗作
前年比プラスは成功作。
なぜなら前年比マイナスの大河ばかりになったら、いずれ視聴率は一桁、そして0になってしまい大河が終了するから。
つまり、武田信玄は視聴率30%台後半だが前年比マイナスなので失敗作ってこと。 甲府のこの暑さ、都にひけをとりませんのう。さすがは、東国の都じゃ… 来月ヒストリーチャンネルでやるたいだけど今までもこのチャンネル大河やってたの? 晴信の母は、なんで寺に行ったの?
同居しているほうが幸せだろうに 武田信玄の末裔を自称するモデルに対してで有り、そいつは万引きで逮捕された >>149
八月八日十三時からヒストリーチャンネルでスタート。二十二時に再放送。月〜金の枠です 武田信玄「早くリニアを開通させるのじゃ。東京から日帰りで諏訪湖のワカサギ釣りを楽しむことが出来るぞ。」 >>159
御館様、諏訪ならあずさの方が便利にござりまする。 ヒストリーチャンネルで初めて見たけど、確かに面白いね あんたり観てる人いないみたいね。時専だったらもっと人いたかな 早乙女貢は先祖が会津藩士なので、『會津士魂』は徹底的に会津川の視点で描かれ、薩長は悪者に描いている
新田次郎は長野県諏訪の出身なので、「武田信玄」「武田勝頼」は湖衣姫(勝頼の母親)、勝頼側をひいきして、大井夫人や義信を悪く描いている 司馬遼太郎は大阪生まれなので大阪城を攻めた家康が嫌い その理屈だと岐阜生まれは稲葉山城を攻めた信長が嫌いってことになるな でも岐阜県民は駅前に黄金の信長像作っちゃうくらい信長好き >>167
土岐家を放逐した斎藤道三はもっとキライなはずだが。 >>169
でも斎藤義龍は土岐頼芸の子らしいから許す >>167
信長も道三も
まつりになってるぐらい愛されてる 岐阜(美濃)は
信長、道三、岐阜城(稲葉山城)、関ヶ原があるから
戦国時代ものだと大抵出てくるな >>167
美濃は信長が結構長く本拠地にしたから、親信長なのだろうね
俺の地元(関西某所)はただただ戦禍(焼き討ち、虐殺etc)があっただけなので、信長が安定支配したとはいえ好かれている雰囲気はない。嫌ってもいないけれど。 そもそも司馬遼太郎は家康が嫌いというのが短絡的な発想 >>175
宮城谷昌光氏のエッセイだか対談だかで読んでなるほどと思ったんだがな。
そういえば「関ヶ原」や「城塞」でも家康の描かれ方にトゲがあるのを
感じられたなと。 同じ脚本家でも独眼竜と葵じゃ家康の描かれ方が違ったりするし同じ演出家でも本作と信長じゃ似ても似つかぬ家康だったりするしな
「司馬遼太郎 家康 嫌い」で検索すれば色んな見解が出てきたりするし司馬遼太郎は家康が嫌いなんだと強弁されても「おまそう」としか思わん 一行目がわからんのだったらただバカに説明してやるほどこちらも優しくはないがただ二行目を解説すると
ググればむしろ逆に好きだったんじゃねって説もあるし最後のおまそうは「お前がそう思うんならそうなんだろうお前ん中ではな」の略 「独眼竜政宗」の秀吉は、政宗の目から見た秀吉なので鬼のように恐ろしいし、家康はちょこちょことアドバイスしてくれる
「武田信玄」に出てくる家康はまだヘタレの若者 家康は姉川でそこそこの武勇は立ててるはずなんだが
まだまだ未熟なのか三方ヶ原では匹夫の勇にしか見えなかったな 成算もなく猪突猛進するはこれ匹夫の勇にあらずして何ぞや >>181
ヒップの勇と聞くとスリキンを思い出す。
万歳万歳万々歳 桶狭間は奇襲なんだね
同じ脚本家のキングオブジパング信長のほうは
正攻法で撃破という描写だったのにおもしろいな あさイチの中井貴一さん
北海道地震のニュースで
なくなったみたいだね 桶狭間に信玄の工作があったという話はこのドラマのオリジナル?
それともそういう説や文献があったりするの? このドラマにおける山本官兵衛は軍師官兵衛というより間者官兵衛だな 「風林火山」だと、武田晴信の命令ではなく山本勘助の判断で桶狭間に誘い出して罠にはめたみたいに書かれている 桶狭間で梁田政綱に焦点が当たってるのもこのドラマの特徴 奸風発迷っていきなり言われて信長は意味解ってたけど出典なんなんだろ
まさか気象学用語とか 39話で勝頼が即席の遷御の儀を執り行って御神体を移し、
社を壊して兵に暖を取らす場面があったけど、実話なのかな?
もちろんドラマだから脚色はあるんだろうけど元になった話はあるのかな?と。 篠田三郎が「待て、妖怪!」と怒鳴ったら振り返る八重のシーン笑ってしまう
八重自覚あったんだなって 小川真由美の演技、こわいな〜
この後、生まれ変わって茶々だものな https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20181008/0019702.html
> 戦国武将・武田信玄の父、信虎が甲府に館を築いてから来年で500年を迎えるのを前に、信虎の銅像がJR甲府駅前に設置されることになりました。
リニアの甲府新駅(仮称)の駅前に、金丸信の銅像を建てる計画は無いんですか?? 真偽をたしかめるため、それがし、自ら甲斐に飛びまする 今年は水害に台風に酷暑に地震と災害が多かったな。地球環境は八千年の秋に入ったのかも知れませぬ セリフに「甲斐国主」って何度か出てきたと思うが、
甲斐国守
甲斐国守護
のどちらを指すんだろう? >>214
国主というのは江戸時代になってからだからそのセリフは甲斐国守
実態はともかく形式上は国の主ではなく幕府の命でその地を守るということになってたから 守護職=県知事みたいなもの
信濃守護職は村上義清
それを追い出して信濃(南半分だが)を我が物にした甲斐のヤクザが武田 >>216
武田氏は、国司としての甲斐国守にはなっていないのではないかな? ヤクザだけど、最終的には甲斐・信濃の国主であると室町幕府に認めてもらったはずでは 国主と国守の違いがわからんからググったら江戸時代うんぬんは正しいみたいね (goo国語辞書)
今でこそデジタル放送で字幕を任意で出せるようになったけど当時の時代劇は基礎知識ないとさっぱりですわ とりあえずここ数レスの国主という漢字は国守と脳内変換しとけばいいのか? >>220
甲斐武田は屋形号さえ幕府に許されたのに国司としての国守になってないってどういうことだよ 幕府から認められたのが国主。
ちなみに朝廷から認められたならば国司。
ではなぜ、公卿たちは戦国大名たちを国司にしなかったか。それは、律令時代の秩序は既に崩壊しており、御幼帝を擁し奉りて、権威を盗まんとしているのではあるまいか! #7で勘助に呼ばれて振り向く貴一が志村けんにそっくりなんだが >>233
家康は三河守に任じられているな。
守護ではないれっきとした国司。 >>207
どうでもいい話だが篠田三郎が実はウルトラマン太郎なのは知っていたが、村上弘明が子供の頃、
好きだったスカイライダーだったことを最近になって知ったw二人合わせれば越後勢ぐらいは倒せる
そうだな(笑) >>235
俺は飯富虎昌がアタック25の司会者だった事を知っている 昭和63年の「武田信玄」のとき、放送中に昭和天皇にもしものことがあったら放送休止で1回短縮になる可能性がある、
というつもりで制作していたらしい
実際には短縮されなかったのだが、川中島の戦いでものすごい盛り上がりを見せた後は
暗い話ばかりがグダグダと続き、終盤では失速してしまった >>242
史実に沿えばそうなってしまう
それでも駿河攻めのあたりはワクワクしたが 信玄公生誕からもまもなく500年ではあるまいか。これを契機に、この世の美しき流れ、考えねばなりませぬ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています