武田信玄 13
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従来信玄とされた長谷川等伯が描いた白髪の太った肖像画は能登畠山義続と言われている(菱紋ではなく足利一門の丸二引両紋、信玄は39歳で出家したのに髷がある老人、さらに信玄と等伯は面識がなかったと言われてる点などから)
他の信玄の肖像画は比較的痩せてる 原作では、真田昌幸が京都、信貴山、堺を旅している。大河放映後、早い時期にこれを活用したスピンオフ作品を見たかった 武田信玄の師の長禅寺の義秀和尚って実在の人物なの? 姫様の後を追うから懐剣貸してくださいと取り乱す八重を前に、みんなポカーンとしていました そこの妖怪! 二度と戻るなと申したはずだぞー?!!!!!
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かっけー >>599
だよね いいかげん頭の腐った旧態依然の糞マスゴミどもも信玄公を若手イケメンに配役しろっての >>602
快川紹喜なら実在なら人物だよ
独眼竜政宗の虎哉和尚は弟子 >>607
少年政宗が信長への憧れ口にしたら
快川和尚への仕打ちでボロクソ批判してた 甲陽軍鑑には伊達政宗の噂とかもまことしやかに載っているんだっけw 最上義光 信長気取りで奥州を暴れまわったのはだれだ?
そんな奴を秀吉が許すわけねーだろ? だからやっちまっていいんだぜ…妹よ?
ひぃぃぃぃぃ〜by義姫 >>607
自スレ
実在なら→実在の
>>610
原田さんの最上義光ワイルドでカッコ良かったな
山形県人からはクレームがあったらしいけど
義姫は輝宗より義光とのシーンの方が楽しみだったw www.ichisiakituna.com/himegimi_nobel_2.html
…翌二十九日朝、信長は、甲斐の国を直轄領とし、代官に河尻与兵衛を任命した。
信長 「今日よりその方に軍団の指揮を委ねる。当分は諏訪に留まり甲州・信濃の静謐を見届けよ。
さて、恵林寺は佐々木義賢の次男を隠し置くと聞いた。六角は本願寺、武田、浅井、朝倉を画策し最後までわしに逆らった一人じゃ!
…光秀、そなたが恵林寺に罷り、匿われている佐々木二郎を捕らえて参れ。差し出しを拒む時は、坊主どもを寺に押し込めて即刻焼き払い、皆殺しにするのじゃ!」
光秀 「…恐れながら申し上げます、、恵林寺の住持は帝より昨年、大通智勝という国師号を賜った名僧にござります。どうか助命の儀、伏してお願い申しあげまする、、、」
信長、「わしが与えた国師ではないっッ!! 助命など、罷り成らぬッッ!!! よいか光秀っ!天下布武とは、武士が天下をほしいままにすることじゃ。
天下のことはすべてこのわしの手中にあるのじゃッ!! 努々(ゆめゆめ)忘れるでないぞッっ!!!」
信長は光秀の助命嘆願を撥ねつけた。 その日の午後、恵林寺を包囲した。すでに二度程使者を出して、佐々木二郎らの引き渡しを求めていた。
快 「…引き渡すことは出来ぬ。寺は守護不入、また信玄公の菩提寺でもある。即刻に立ち去れ…」
その都度快川は拒絶した。それで、三度目の使者には、光秀自身が行くことにした。山門をくぐると、僧衆七、八名が光秀を取り囲み、そのまま楼上の僧坊に連れていく。
光秀 「…国師様っ! お久しゅうござります、光秀でござります。ご受難とうけたまわり、罷り越しました。どうか、武田の落人はお引き渡しの上、ひとまずこの寺を立ち退きくださりませっ!」
快川 「…光秀か…、いずれは、そなたが参るであろうと思うていた…。当寺は信玄公の菩提所ゆえ、織田勢の恨みを買うのは致し方あるまい。されど寺に世俗の権威は及ばぬのが古来からの仕来りではなかったか?
守護不入の権は朝廷によって保護されてきたもの…。境内を取り巻く織田の軍勢は早々に立ち去らしめるが帝にお仕え申し上げる武人としてのそなたの役目ではあるまいか…?」
光秀 「…お、仰せはごもっともにござりまする、、なれど、天下布武の信長公に、その理は通じませぬゆえ、、」
その時、国師の後ろに座っている長老が声を発した。
「光秀、わしを覚えているか?」
国師の影に隠れて、その面容を定かに捉えることが出来ない。 光秀は立ち上がってそこに座る老人を見据えた。
光秀 「…とっ、土岐のお屋形様では……」
声の主は土岐頼芸であった。光秀は父と訪れた南泉寺で主家筋に当たる土岐頼純、頼芸の兄弟に幾度も会っている。
頼芸 「…光秀よ、寺は守護不入、武家の権力は及ばぬ。錦の威光により保たれてきたこの権証が信長により覆されるようでは、天朝の存続さえ危ういと思わねばならぬぞ。」
頼芸 「…土岐家も貞純親王を祖とする清和源氏。頼光、頼政と続いた武門の誉れ高き家筋じゃ。
取り分け、鵺退治で名高い頼政公が治承三年、以仁王を戴いて平氏打倒の兵を挙げ、宇治の平等院で壮烈な討ち死にを遂げられた。
その系をひく光秀が、誇りも信念も捨て去って、走狗に成り果て、わが大導師、大通智勝国師が住持を勤め、土岐家と祖を同じくする信玄公の菩提所、恵林寺毀壊(きかい)に手を貸すとは本末転倒も甚だしい所行と言わねばならぬ。
慎め、光秀。そなたも帝より丹波平定を賞され下賜(かし)の品まで頂戴したというではないか。
賢きあたりにおかせられてもそなたを頼りにされているのはそなた自身が一番よう知っとるはず。自らの心に恥じることをするでない。」
光秀 「…ま、まことに面目なきことながら、それがかないませぬ。ひとまずこの寺を立ち退き、後日を期して下さりませぬか、?」
快川 「…光秀にそれが出来るというのか…?」
退去を促す光秀に和尚が詰め寄った。その勢いに乗じるように頼芸も言を続ける。
頼芸 「…そなたの心中にわしらが望む後日があるならば、わしは信長に下って、そちの後日を見届けてもよい。ただし、わしの余命は幾許もない。わしが生きている内にわしらが望む後日を実現することじゃ」
頼芸は高齢である。和尚と共に恵林寺で死ぬもよし、しばし生き長らえて、光秀の心を試してみるもよしの思いであった。
光秀 「…それではお屋形様、わたしについて、ひとまず下山下さりませ、、」
快川 「これは面白い、お屋形様、光秀の心を確とお見届け下さりませ。拙僧は三界不変の法輪に仕える身、寺と運命を共にいたし、あの世から光秀の有り様を見届けることにいたしましょう」
頼芸 「…光秀、わしは決してこの所行を許さぬ! 土岐の一門にとって許してならぬことじゃッ」
>>607
虎哉宗乙は快川紹喜ではなく岐秀元伯の法系継いでる ぎしゅう和尚の
人は己の欲は捨てられませぬ
欲を生きるのみ
って台詞いいな >>612
明智光秀さん 鬼畜織田信長を征伐してくれてありがとう! >>600
二十四将図の信玄は細面じゃないっぽいけど
アレはいつ頃描かれたモンなの? 江幡高志みたいな顔した武田信虎肖像画はいつ描かれたのか >>621
あれは信廉作だから信玄が倒れ信虎が叱りに来た時に
父上の姿残しとうござるなどとお願いしポーズをとらせ描いたのだと思う >>609
政宗が家督相続する前に武田家は滅亡してるのだが。 政宗が生まれた頃 なんとか上人の生まれ変わりだとか言われてたのを
武田領にまで吹聴しにきてた人がいたらしい いろいろ宣伝工作してたんだねぇ
と思ったねw 政宗の師匠のつてで武田家となんらかのつながりでもあったのかもねぇ >>612
明智光秀さん 国賊織田信長を誅伐してくれてありがとうございます! 武田信玄の気分になってゆっくりできる
甲斐山梨か信濃長野のおすすめの温泉教えてもらえませんか? >>629
二丁目で美少年買って石和温泉二人旅なら信玄気分だな 甲斐にて疫病をばらまく者ども一人残らず捉え首刎ねよ
その首甲武国境にばらまけ 同一人物かはわからんが、
武田信玄の気分になってゆっくりできる
と
日帰りで
を両立させるのけ? >>628
歴史の評価では信長を国賊とするものはないけど
討たれた時期(比叡山直後とか)によっては本当にそうなってたのかもな 世間一般では今川義元の評価はまるでバカ殿様だけど桶狭間で討死してなかったらと考えたら・・・みたいな話か 碓氷峠越えて上野に入り、南下。武蔵鉢形城、松山城、八王子城を脅かし、拝島から厚木、大磯、早川を経由して小田原。 小田原攻めの時は高尾とかの方から愛川を通ってたような
帰りも三増峠から 酒匂川沿いに峠越えも可能
丹沢湖の中川温泉は信玄の隠し湯と言われてるな >>635
秀吉が織田を潰して跡をついだおかげでなんとか面目を保てたってことだなw >>642
自分も石橋信長好きよ。
頭の回転超早いけど血圧も超高そうな信長w まあ光秀公はみんなが望んでいた国賊信長殺しを真面目にやってくれて
みんなが感謝してたろうな だが世間体を気にしていちおう国賊でも主君殺しをして
してしまったという倫理的弱みをまんまと秀吉につかれた まあその秀吉も
家康がその跡をついで日本国は一つに完全にまとまったわけだ すわりしままに食う家康 中井信玄 27歳 堤義信 25歳 親と子を演じてた
役者って凄いよね? >>643
北条氏の地元なのに信玄の隠し湯で宣伝される屈辱
だがそれでこそハエが口に止まっても気づかない小田原と言える >>650
龍が如く最新作で2人がインタビューで答えてたの面白かったわ
今でも親子の感覚あるっていってたような?w >>654
謙信とさして変わらんね。
向こうは麾下八千という言い方をよくするから、40万石は動かしやすい膝下にあったということか。 甲斐は石高は大したことなくても、金山があったのが大きいな。 >>656
いや、計算するとその位だねぇ。
本隊2万5千の半日分程度の米だわ。
さらに荷駄隊や馬のための… あの時代の動員能力の標準的な目安は40石で兵1名
2.5万人の国外遠征ができるなら100万石くらいかと。甲斐、信濃、駿河と上野、飛騨の一部で3.5ヶ国の国持ちと考えれば、確かにそんなものかと思う。
ちな、関ヶ原の徳川250万石は3+4万人、石田19万石は6千人。二人とも限界まで動員してる >>653
少なめに見積もっても100万石以上やね 中井貴一と脚本家の対立がWikipediaに書いてあったが(演技指導を超えた人格否定だった的な)そのおかげであの演技なのかと。
そこが脚本家の「父と子」のテーマを今ではパワハラまがいに体現化したおかげであの演技か。確かに最初の貴一の演技はひどい。 >>662
春日太一の本に、「いじめに近いことがありました」ってあったな。 終盤で梁田政綱が信長に
「それがし みずから甲斐に飛びまする (甲斐に潜入して偵察します)」
と言っていたが、
その後、信長に甲斐現地からの情報を送ってくることはないまま
番組が終わってしまった記憶。 >>664
最終回で信玄が隠し湯にもどこにも消息なしとか報告上げてなかった? (隠居名目 ⇒ 信勝相続・勝頼後見) 重臣、側室の出入りある筈にござりまする。また、見張りの兵も一段と多いはずでござりまする。なのに甲府のどこにもそのような気配ござりませぬ 勝敗は六分か七分勝てば良い。
八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる。
戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。
五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分はおごりを生ず
六分が良いの?五分が良いの?どっちだよ。意味合いは殆ど同じだけどよ 五分や六分とかチンタラ言ってるから甲信地方からなかなかでられず、そのうちに当時でも死ぬような年齢に差し掛かって、駿河攻めで最終的に四方を敵に回すような愚昧な策を取り、資金にも事欠く有様になるんだよ。 歴史通だと信玄の評価が厳しいな
そんなに詳しくない自分も労咳がわかってるなら
勝頼に家督譲って信長攻めを任せればいいのにとは思ってるけど 死因は確定してないよ
隠居していても大名は信玄だから
信玄が死ねば甲斐に帰らなきゃいけないよ >>671
そもそも甲斐源氏の棟梁ってステータスあっての武田信玄だからな。
別にちんたらやってたわけではなく、甲信地方から出るつもりもなかっただろう。 ちんたらというか、一国征服して、その国から出せる兵力全部出せる状態までその領民・領主を心服させるまでやると、10年単位の時間がかかる
「甲斐国主」が信濃を完全掌握できたことからして既に快挙だといっていいと思う
この観点からすると、尾張・美濃の征服に時間がかかったものの、10ヶ国以上・500万石切り取るのを10年以内で済ませた信長が異常。 異常すぎてぬっころされたけどな。
実際、豊臣も徳川も連合政権になったし、徳川幕府時代の徳川直轄地なんかも思ったよりも大きくはない。 戦国大名化が遅れた典型が信玄か。
下手に天下取りできる位置にいたから、なおさら目立つ。 >>675
信長の場合、尾張に拘る必要がなかったからな。 信長の「本領」が強いてどこかと言われれば、尾張+美濃(100万石ぐらい)なんだよな
上洛して安土に引っ越すまでの、特に包囲網された期間は、実質的に自由に動かせるのはこの100万石分の戦力しかなかった
つくづく信玄病死が惜しまれる >>676
むろん諸説あるが直轄領はだいたい…
織田政権500万石(がめつ過ぎ)
豊臣政権200万石(気前良すぎ)
徳川幕府400万石(間を取ってこんなところ) >>680
それ、太閤蔵入分を抜いたからじゃないか? >>680
天下統一もしてない信長の直轄領がそんなにあるわけないじゃん
信忠のを別にすれば100万石もないだろう
徳川も関ヶ原後に徐々に増やしていったのだから最初は豊臣とそう変わらん >>679
惜しまれるというのは視点をどこに向けるかによってになるんだろうけど
仮にここで信長討死となったら後の歴史がどうなったかなんて想像不可能 >>682
信長は旗本・直参の割合が異常に多い。
秀吉ら「軍団長」の遠征も、軍団長の直属の兵力は少ししか与えず、彼らに「信長の寄騎を貸してる」という形態
本能寺の年(近畿+中部をほぼ制覇の状態)でさえ、秀吉でさえ石高はたぶん20万石程度(近江半国)+αしかないはず >>684
「秀吉」では、そのころ秀吉の石高を120万石と何回も言っていたな。
秀吉自身と信長も。 >>685
播磨40万石と宇喜田50万石を含めてるからな そのころの秀吉は、中国攻略で切り取った播磨や因幡の地侍の分をどうカウントするか次第だと思う 家臣に恨み抱かれるようなことしてっから本能寺で討ち死にすんだよw 殺される前に自害しただけだろw 生け捕りにされてりゃよかったのによw いままで自分がさんざん死者にたいして冒涜をくりかえしてたから
自分が死んだ後に自分も同じ目にあうと想像してこそこそかくれて自害したチキン信長www 桶狭間出陣前と本能寺自害前に敦盛を舞わせるのがステレオタイプ化された演出になっておる。 本能寺自害前に湯漬けをサラッと腹に入れるのも良いだろう。 「敵は大軍、わが手勢は2000ばかりじゃ。今生の別れになるやも知れぬ。」と言われた麻生祐未に対して
情勢を何も教えてもらえずつんぼ桟敷に置かれた川口春奈がかわいそう >>696
ノブは登場人物なんだ 悪口ならいくらでも歓迎するぜ 甲府に比べて諏訪のほうが明るくてあか抜けた感じがするな。
いかにも信仰が集まりそうな感じ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています