武田信玄 13
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氏政くんは北条を滅ぼしたから北条家臣達から無能扱いされてたんだろう
まあ家を滅ぼしても誰にも頭を下げず最後まで戦い抜いた所は戦国武将として偉いと思う
天下人に頭下げて生き残りました家を残しましたとか強弁する武将とかになんの魅力も感じんわ
お前の家が生き残ったからって親戚でも家臣でもない俺達にはなんの関係もないし 勝頼もそうだけど家を滅ぼした代の人って評価低くされちゃうよねぇ
でも最近は勝頼も氏政もかなり見直されて人気もそこそこ上がってきてない?、30年くらい前はもっとボロクソに言われてた気がする >>97
それはやっぱり『信長の野望』(群雄伝以降)のおかげだよ。
信玄や氏康、元就や謙信が亡くなった後に継がせてプレイできるから、
思い入れとかが30年前とは違ってくるだろう。 家が滅んだわけじゃないけど今川義元の扱いがひどくなった気はする
この作品や信長(キングオブジパング)はそうでもないけど後の大河ではバカ殿様みたいな感じだった 今川義元公の役では、成田三樹夫さんが一番よかったなぁ
お歯黒も中々よかった 昨今の勝頼好きって「勝頼は今までぼろくそに言われてて可哀そう」って
言いたがるけど何十年前ほどだってすでに新田次郎の「続武田信玄」は有ったし
上野晴郎の「定本武田勝頼」も有ったしなぁ
世間一般やおおまかな山梨はともかく勝頼贔屓は確かにした
天目山周辺の土地は顕彰を続けてもいたし 新田原作の小説をもとにした横山マンガにも記されている、長篠敗戦後の場面、
家臣「どうも勝頼様は何もかも先代様(信玄)に劣るようじゃのう」
“勝つ者は称賛され、負ける者は評判が下がる。上に立つ者の厳しい定めである…。”
…みたいな記述があって、ひいきめで観る向きはあると思うね。
ただ、信玄亡き後の信長躍進の状況が凄まじくて、時の流れが早すぎて、
武田家には不運なところはあった。
(当時、まだ上杉家も毛利家も織田・徳川家とは直接領地が隣接おらず。)
1573年には朝倉・浅井が一気に葬られ、三好家を滅ぼし、足利将軍家も追われた。
1574年には腹中の大病のようだった伊勢長島の一向宗門徒を壊滅させたが、
越前・加賀で一向一揆が勃発して全面戦争の様相に。
そんな中でも京・堺は完全に掌中にあり、他家との(経済的な)格差は広がるばかり。
勝頼も高天神城を攻略し、美濃の明智城などを落とすなど、最大領土を広げたが、
時が待ってくれなかった面があるかな…。
真田幸隆が亡くなったように諸将が歳を重ねる中で、家臣団の統率も日がまだ浅く、
織田家は日の出のような勢い。
そのような中で長篠で決定的な判断ミスをおかして、一敗地にまみれ多くの将を失い、
完全に守勢へと追いやられることになった。
そして詰みの情勢を作ったのが、御館の乱における判断ミスとそれに続く北条家離反かな。
『もう、どうすればいいんだよ。。。』という感があるのは、幕末における会津藩のようなところ。
時の流れが早すぎるっていう。 ♪い〜つの〜日ぃ〜か〜 アイウエエ アイウエエ アイウエ〜 ちゃんとした居城を持たなかったというのも
武田家滅亡を早めた要因ではないだろうか。
石山本願寺は僧侶、百姓の寄せ集め部隊であったのに
大阪を拠点として信長相手に10年戦い最終的には
講和に持ち込んだ。
甲斐に小田原城のような難攻不落の城があれば
信長軍に攻められ、あちこち逃げ回り
まともに戦ったのは高遠城くらいなんてことには
ならなかったはず。
「人は城、人は石垣、人は堀」というのは安定期においては
立派な理念かもしれないが、危急存亡の機においては
マイナスの要因に働いてしまったような気がする。 今川家も北条家も大内家も滅びるときは一瞬だったのに
なんで武田家は滅亡にやたら関心が持たれるんだろうね
戦国大名なんて滅びるときは一瞬なんだよ
家中が全員裏切るという恥さらし満開だったからかな? >>104
研究者レベルは知らないけど県民にも勝頼はかなり人気あったよ
山梨県民のくせに信玄に疑問を持つ人間は昔は弾圧されていたので
勝頼に関心を持つことで間接的に武田家信仰から距離を取ろうとする
そんなスタンスがあった
長野県に近いほうはもちろん、甲州市や郡内あたりでもそんなのがあったかな?
勝頼に触れると、同盟が破綻したのに最後まで付き従った桂林院殿に触れることになるから、
結構、武田家に対する皮肉こめてたりするんだよね 武田家とその他のゴミ家比べるのは酷だわな 武田家は天下を手に入れる可能性あったから
みなに興味もたれるんだから >>108
滅びるのは一瞬と思えるのは、大内と今川の両家かな。その凋落ぶりたるや…。
大内は、陶隆房の謀反が1551年、厳島で陶が毛利元就に完敗し、毛利による大内家滅亡が1557年。
(その間、たった6年…。)
今川は、桶狭間が1560年で、武田・徳川の挟み撃ちで領土を奪われたのが1568年。
(その間、ほとんど近いが8年ほど…。)
北条は氏康の死が1571年、織田と共同して武田を滅ぼしたのが1582年、小田原落城が1590年。
(約20年とすれば頑張った方。)
足利幕府時代は、武田家は大内や今川より勢力図でいえばかなり下。
尊氏以来の大内政弘の活躍、そして南北朝を通して活躍した今川了俊の存在があるから。
北条などは出来星大名の域。関東にかなり勢力を広げたけれども。
それに比べて武田家は、新羅三郎義光以来の歴史があるから、大内・今川とはまた違ったものがある。
信玄時代に大きな勢力にのし上がったけれど、400年超の歴史だ。
簡単に比べられないが、今でいったら三井グループがなくなる感じだろうか…。
大内や今川は(歴史の期間は違うが)、三菱グループがなくなる感じ。 >>112
三条の方の父親
三条公頼が陶の反乱で死んでるな >>113
公家を殺してもしょうがないのに、なぜ殺したんだろ? 巻き込まれるっていうのは、よくあるだろうよ
御館の乱だって、あの元・関東管領の上杉憲政が子供もろとも命を落とした
(知った時、結構衝撃的だった。。。昔はウィキペディアなんてなかったから)
よりによって北条からの養子で入った上杉景虎側と見なされて殺害されたんだからな
すげえ皮肉な人生の終わりだ 北条氏に追われて越後に逃げ込んだのに、北条氏秀改めて上杉景虎一派とみなされた 三条夫人、父親も息子も失うという悲劇の人なんだな
寿桂尼も大概悲惨な人だったけど 三条ってお父さん陶晴賢に殺されてんだなすごいな世界の横の広さ 杉良太郎が演じる氏康がニヤリとしながら
「晴信め!」と言うのが好きでした。 新春長時間時代劇
役所浩司版「武田信玄」
時代考証・時代設定等おかしい場面があったが
面白かった。 あと三条の妹は本願寺顕如に嫁いでいる。
それを縁に信玄が本願寺に対する頼みごとを口にするシーンがあるが。
今の本願寺の門主にも繋がるんだな。 >>128
納得しました。 さっき49話見たんですが、信虎の信玄への叱咤激励のシーンが印象に残りました。 >>127
昭和63年当時、若い役者が篠田さんに
「子役時代、ウルトラマンタロウではお世話になりました!」
誰だろう?
岡村さん? 何で信玄・義信親子そろって変な番組のナレーションやってるの? 尾張吉通様、尾張宗春様のナレーションを支持すると家重様もおっしゃっている 当初、信玄役は松平健に内定していたのはよく知られていることだが
中井貴一は当初は謙信役だった模様 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の告発
色川高志「文句があったらいつでも俺にサリンをかけに来やがれっ!! そんな野郎は俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 >>138
> 前年の独眼竜政宗は西城秀樹の予定だったしなあ
桜田淳子も出ていたし、西城さん主演なら石川秀美とか河合奈保子とかも出て盛り上がったと思う。 橋爪功が日大アメフト部監督になったっていうんで驚いたけど
爪→詰違いだった 大河は視聴率が前年比でマイナスは失敗作
前年比プラスは成功作。
なぜなら前年比マイナスの大河ばかりになったら、いずれ視聴率は一桁、そして0になってしまい大河が終了するから。
つまり、武田信玄は視聴率30%台後半だが前年比マイナスなので失敗作ってこと。 甲府のこの暑さ、都にひけをとりませんのう。さすがは、東国の都じゃ… 来月ヒストリーチャンネルでやるたいだけど今までもこのチャンネル大河やってたの? 晴信の母は、なんで寺に行ったの?
同居しているほうが幸せだろうに 武田信玄の末裔を自称するモデルに対してで有り、そいつは万引きで逮捕された >>149
八月八日十三時からヒストリーチャンネルでスタート。二十二時に再放送。月〜金の枠です 武田信玄「早くリニアを開通させるのじゃ。東京から日帰りで諏訪湖のワカサギ釣りを楽しむことが出来るぞ。」 >>159
御館様、諏訪ならあずさの方が便利にござりまする。 ヒストリーチャンネルで初めて見たけど、確かに面白いね あんたり観てる人いないみたいね。時専だったらもっと人いたかな 早乙女貢は先祖が会津藩士なので、『會津士魂』は徹底的に会津川の視点で描かれ、薩長は悪者に描いている
新田次郎は長野県諏訪の出身なので、「武田信玄」「武田勝頼」は湖衣姫(勝頼の母親)、勝頼側をひいきして、大井夫人や義信を悪く描いている 司馬遼太郎は大阪生まれなので大阪城を攻めた家康が嫌い その理屈だと岐阜生まれは稲葉山城を攻めた信長が嫌いってことになるな でも岐阜県民は駅前に黄金の信長像作っちゃうくらい信長好き >>167
土岐家を放逐した斎藤道三はもっとキライなはずだが。 >>169
でも斎藤義龍は土岐頼芸の子らしいから許す >>167
信長も道三も
まつりになってるぐらい愛されてる 岐阜(美濃)は
信長、道三、岐阜城(稲葉山城)、関ヶ原があるから
戦国時代ものだと大抵出てくるな >>167
美濃は信長が結構長く本拠地にしたから、親信長なのだろうね
俺の地元(関西某所)はただただ戦禍(焼き討ち、虐殺etc)があっただけなので、信長が安定支配したとはいえ好かれている雰囲気はない。嫌ってもいないけれど。 そもそも司馬遼太郎は家康が嫌いというのが短絡的な発想 >>175
宮城谷昌光氏のエッセイだか対談だかで読んでなるほどと思ったんだがな。
そういえば「関ヶ原」や「城塞」でも家康の描かれ方にトゲがあるのを
感じられたなと。 同じ脚本家でも独眼竜と葵じゃ家康の描かれ方が違ったりするし同じ演出家でも本作と信長じゃ似ても似つかぬ家康だったりするしな
「司馬遼太郎 家康 嫌い」で検索すれば色んな見解が出てきたりするし司馬遼太郎は家康が嫌いなんだと強弁されても「おまそう」としか思わん 一行目がわからんのだったらただバカに説明してやるほどこちらも優しくはないがただ二行目を解説すると
ググればむしろ逆に好きだったんじゃねって説もあるし最後のおまそうは「お前がそう思うんならそうなんだろうお前ん中ではな」の略 「独眼竜政宗」の秀吉は、政宗の目から見た秀吉なので鬼のように恐ろしいし、家康はちょこちょことアドバイスしてくれる
「武田信玄」に出てくる家康はまだヘタレの若者 家康は姉川でそこそこの武勇は立ててるはずなんだが
まだまだ未熟なのか三方ヶ原では匹夫の勇にしか見えなかったな 成算もなく猪突猛進するはこれ匹夫の勇にあらずして何ぞや >>181
ヒップの勇と聞くとスリキンを思い出す。
万歳万歳万々歳 桶狭間は奇襲なんだね
同じ脚本家のキングオブジパング信長のほうは
正攻法で撃破という描写だったのにおもしろいな あさイチの中井貴一さん
北海道地震のニュースで
なくなったみたいだね 桶狭間に信玄の工作があったという話はこのドラマのオリジナル?
それともそういう説や文献があったりするの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています