戦国時代の和船は帆はムシロで可動範囲も狭くて基本順風、横風キツイ、向かい風ムリムリな航走能力だった
だから手漕ぎ併用でコンパスがないので常に陸を見ながらの地文航法、昼は航行夜は停泊だった
明との貿易船や琉球・フィリピンだって行ってた船があるのになぜその技術が早く広まらなかったのかのはよくわからないらしい…