【2018年大河ドラマ】 西郷どん part21
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>>317
去年の直虎のおかげで家康のイメージはぐっと上がったな
それまでは糞みたいな強欲老人ばかりだっただけに
俺もサダヲ家康は好き >>320
本人直筆の重要な歴史資料いっぱい見つかってるよ
博物館にも龍馬記念館にもある 新政府綱領とかね
NHKのニュースでも龍馬の手紙や幕末期の松平春嶽の日記に坂本龍馬が出てくると近年何度も取り上げてきた >>313
でも明治維新した当時は龍馬は世間的に全然知られてなかった
新聞小説の主人公にされて初めて世間に名が知れ渡ったんだよ
そして近年になって司馬遼太郎で実際の功績以上に脚色されてさらに有名になった
それを皆が史実と信じてしまって武田鉄矢みたいな信者が出てきたw 資料には一次資料、二次資料、その他資料で分別されて一次資料以外はゴミって知ってる?で坂本の資料は一次資料が殆ど見つかっていない。 三岡八朗とか永井玄蕃といった幕府側の重役に新政府への参入を依頼してんだよな龍馬
暗殺される前も度々会ってたことが記録に残ってる
いかに土佐藩が薩長の同盟に加わってると言っても何の力もない一浪士だったらそんな行動は許可されない。っていうか下手すりゃ昼間から即死。それなりの力があったんだろ >>321
サダヲ家康良かったね
でも去年ドラマじゃないけど映画の関ヶ原の役所家康も良かった
関ヶ原も方言&早口で字幕が必要と言われてたなぁw もう誰も西郷の話してない
そりゃ視聴率も下がるわな 最初西郷さんのファンもいたと思ったけど
忙しいのかな
ID:PxDDBMq4スゲーな、史科修めてる人かな
こんなの絶対書けない >>285
コイツ単なる坂本龍馬アンチ
もしくは
人気のある坂本龍馬を叩いてレスを引き出そうとする
アフィカス >>324
そんな誰でも知ってる事を
ドヤ顔で言われましても >>326
武士としての力より商売人としての力だろうな
グラバーとの繋がりで武器を薩摩名義で長州に買わす事が出来たのは龍馬の会社が間に入ったから
紀伊藩の船との海上事故も自分達に有利に進めて実際の積荷よりかなり高くふんだくって船を買い直せただけでなくプラスの儲け
トランプみたいな強引な商売上手w >>324
あくまで、現代での知名度の話だろ?
どれだけの凄い事をやったとかじゃない
歴史上の人物で誰を知ってますか?
というレベルに噛み付いて
アンタ頭がおかしいとしかw >>332
紀伊藩じゃなくて紀州藩だろ
デタラメ書くな >>332
商売で稼いだのは岩崎弥太郎
あと紀伊じゃないよ。紀州だよ。
それと船の弁償費4万は元の持ち主の大津藩からの提示額。そこに上乗せの四万両はこれから稼いだであろうぶんの慰謝料で全くふんだくってはいない
お前は世の中の慰謝料すべてをぼったくりだのふんだくりだの一生のたまうんだな
法のほの字も知らない金将軍の元に帰りなさい >>332
世界の海で起きる船同士の海難事故の裁定は万国公法を以て行われる
海援隊はイギリスの海軍提督を裁判長に、これを委ね談判に臨んで勝利した
世界の法を無視し、ご公儀の取り決めなら黒も白になるという封建主義は、国際社会において国民と天皇の名を汚す反日行為に他ならない。
よって徳川御三家の紀州藩は外様の土佐藩あいてに大惨敗し、今日に至るまで世界中に恥をさらしている。 >>337
封建主義なんて今の日本相撲協会みたいなもんだな
・もみ消し
・不正
・外国人擁護
・税金の無駄
ことごとく腐ってる
江戸時代からの伝統だ?終わってしまえそんなもの >>324
>新聞小説の主人公にされて初めて世間に名が知れ渡ったんだよ
最近読んだ、時代小説から見る日本の歴史的な本によると、その新聞小説もあくまで高知の地方紙なので、
全国的には全く無名のままだったそうな
全国的に名が知られたのは、日清戦争だか日露戦争だかの海戦の際に、時の皇后陛下の夢に現れて、
日本海軍の勝利を予言した侍がいて、あれは誰であろうか、と皇后陛下に問われ、それは海軍創設に尽力した坂本龍馬にちがいありません、
と侍従が答えた、という「土佐藩出身の」侍従長だかが証言した逸話が全国誌に掲載されて、龍馬は日本海軍の守護神だ、と評判になったのが
最初だとか 龍馬が八策に海軍の項目を明記したことで堂々と予算が降りるようになったんだよね
もっとも、八策のうち半分くらいしか木戸に採用してもらえなかったらしいが
それでも五ヶ条のうち8割と考えれば上出来だ 憲法を考えたり予算の割り振り工面したり裁判所の設立したりするのに比べると、西郷どんってあんまりそういうことは解らなそうなイメージだな
木戸や山本覚馬みたいな政治家役人になれるとも思えないし平和な世の中だと尚更 しかしこないだのNHKスペシャルの龍馬薩摩暗殺説は酷かったな 面白くはあったけど 中岡なんて生け贄になってたし >>342
ほぼモブだったね中岡
龍馬と春嶽が昔の自転車乗るのは楽しそうだった
とはいえ昔は舗装路もそんなにないし悠々と自転車乗れる場所は少なかっただろうな 甲斐之国を甲州っていうように
紀州って紀伊之国のことでいいんじゃね >>341
そういう意味では高杉晋作と似てるな
高杉晋作も明治に生きれたとしたら使いどころがない まあ何にしろ明治維新最大の功労者は西郷という評価
だから賊軍なったのに戦前から大人気 >>345
奇跡的に生き延びたとして
酒のんで三味線ひいて美和をおちょくっておにぎり食って昼寝してるイメージしか浮かばんな…… 実際は西郷首班時の留守政府が近代化を行ってるんだよね
学制・徴兵令・地租改正・太陽暦の採用・司法制度の整備・キリスト教弾圧の中止 >>343
春嶽公いつもベテランが演じるから違和感あったけどあのくらいが本当に近いんだろうね 自転車はなんであんなに前輪デカいんだろう >>350
龍馬本に影響され過ぎだぞ
新政府綱領八策なんて当時の常識というか普通の事かいてるだけで >>351
前輪がでかいのは当時まだチェーンの概念が自転車に導入されておらず片足一こぎあたり1週半ぶんほど回って進む。そのため前輪を大きく作る必要があった
二人があの自転車を極めればこんなことさえ出来たかもしれない
https://youtu.be/qsanHNYZA0Q 今、マツコの番組でミカンやってるけど
イギリスではミカンのことをSatsuma(サツマ)って呼んでるらしいな >>354
春嶽はあくまでフィクサーだから良いんだよ 徳川に屈しなかった唯一の武将島津、
その徳川を屈しさせた西郷。 >>341
留守政府を成功と評価すれば西郷隆盛は十分平和な世の中でも有能
たぶん同じ姿勢で成功してる政治家が西郷従道 >>346
賊軍といっても士族から頭として担ぎ上げられた存在だしね
西郷自身が士族を滅した償いの想いもあったから引き受けたのかな
正直で真っ直ぐに生きる人の悲運な死に方って日本人の心情に一番触れるから死後でも人気上がったんだろな
源義経、真田幸村とかも >>28
珍しい写真だね
三島のデコって形がカイジみたいだな 官を辞して故郷に帰るまではいいんだけど
そこで軍事教練も含めた後進指導するわけで >>362
楠木正成なんかも
そんな感じかな
死にざまが >>315
今では単なる大学の1つに過ぎないが、当初の慶応義塾は実学を重んじ世界経済に疎い日本人の中で世界に伍していける経済人を育てるという重要な役割を果たしていたんだよ
さらに福澤は北里柴三郎のような社会に有用な人物らのバックアップもしている 慶喜一人によってたかって維新の有名人達が束になってかかってなんとか勝てたって
慶喜って凄いんじゃね? >>351
翔ぶが如くは磯部勉さんが若々しく演じてらっしゃったぞ
怒鳴ってるか怒鳴られてるかの二択という辛い役柄で 鈴木がえらくほっそりしているので、既に撮影は奄美編に入ったのかな?
奄美ロケは2月に予定されているみたいが、スタジオで撮れる所は撮れるしな。
となると、渡辺謙は既にUPして、離婚協議中か? >>334
長門国を長州、信濃国を信州と呼ぶのと同じで紀伊国は紀州と同じ >>375
龍馬伝で平岡祐太がやってたね
坂の上の雲の大杉連と加藤剛の
伊藤博文との会話がいいけど >>329
俺も思った、プロの書き込みだよな
昔から学問板に学者がよく書き込んでたのが2ch
だから、勉強になって辞められないw >>371
大魔王バーンみたいw
まあ実は慶喜も維新サイドみたいなもんだったんだけどね
なにせ将軍だから降りるにもなかなか危ない >>347
明治維新後の高杉が、どういう生き方したかは興味ある
明治政府や役人には絶対ならないが、伊藤や山縣より明らかに格上
酒と女と三味線は辞めれないだろう、明治版たかじんかな
上の世代を抑えて、若手にドンドン意見を言わせる存在になってた気がする
とにかく、地位に縛られない粋な生き方してたのかなって思うんだ 花燃ゆの時はあまりに破綻したドラマの内容に落胆しながらも史実は◯◯だったって丁寧に教えてくれる人がいたな
次第に長州vs会津や女優のオタvsアンチの罵り合いでスレが荒れてそれどころじゃなくなったのが残念だった 今Eテレ見てたけど徳川慶喜さえ朝敵の汚名を拭うのに30年かかったのか
勝海舟の力で 西郷と明治天皇のラブラブあっちっちはちゃんと書かないとな >>371
>>380
長州征討の段階で会津もいい加減限界だから徳川宗家が動くか、
と言う情勢になった途端に
ダッシュで隠居届出して形式上幼児を当主にして
盆栽生活に突入する手合いが旗本御家人から続出して、
一橋慶喜が徳川宗家・征夷大将軍になってから大政奉還したのも
こいつら抱えて徳川家として中央政府を維持するのは無理、と言う判断もあったんだろう。
同じ大坂城で対照的、と言うか本当に豊臣秀頼の例に倣ったのか、
牢人衆ら神輿に担ぎ上げられて降りられずに滅亡した豊臣秀頼に対して、
鳥羽伏見の敗戦後に主戦派トップの松平兄弟を連れて
大坂城からの文字通りの夜逃げで逃げるったら絶対逃げるを貫徹して
武士としての地位も面子も全部放棄して「中央内戦」を回避したのが慶喜
「戦線から遠ざかると楽観が現実にとって代わる」を地で行って
戦線が遠い時は安全地帯に逃れて、大政奉還で既得権が本当にやばくなったら当主すら吊るしかねない
そんな旗本御家人に、生身の人間ではなく「歴史的存在」として冷徹に対したのが慶喜
主従、面子で生きる武士であり続けたのが会津であり西郷
慶喜の下には西周以下近代国家を理解する家臣は相当存在していたけど、
旗本八万騎と中小譜代、そして大奥が幕府の内閣、官僚機構、人脈縁戚そのものを完全掌握してて
実際能力で登用された小栗上野介の人事履歴なんかは解任されては呼び戻しの繰り返しだから
上から改革で既得権益に切り込んだら将軍でも危なかっただろうな
実際、一橋慶喜の側近も旗本に暗殺されてるから 幕末、志士と呼ばれた奔走家がいた訳なのだが
不思議なのは坂本龍馬であるな
志士のほとんどは各藩の後ろ楯があって活動できた訳であり
たとえ浪人であっても藩の密命を受けての脱藩で、いわば偽装浪人だ
つまり何らかの組織の一員として動いていたのに対し、
龍馬は本当の素浪人だ
そんな素浪人がいくら行動力がありアイディアがあろうとも
各藩の名士や重役、ましてや大名がそう簡単に相手してくれる訳がない >>384
昔、大河で「徳川慶喜」をやったころ、静岡新聞社だったかな、地元ローカルの本が出版されて
そこに書いてあったけど、静岡時代の慶喜は、なぜか知らんけど勝海舟を嫌っていたそうな
慶喜公が自分を信頼してくれなくて困る、みたいなことを嘆く、知人あての手紙が残っているとか
なんで嫌われてたんだろう そこで想像出来る事は、おそらくは龍馬も何らかの組織の一員として活動していたのではないか?
という事なんだよね
ゲスな言い方で言えば、龍馬は誰かのもしくは何らかの組織のお使いとして東奔西走していた
させられていた
素浪人一人の活躍で世の中が動かせる訳がない >>371
そもそも話半分でも徳川八百万石旗本八万騎の徳川宗家相手に
勝てると思う方がおかしい
しかも、250年以上大きな戦もなく統治して来た実績、システムもある訳だからな
実際問題、鳥羽伏見迄は勝てる、戦えると思っていた者はまずいなかった。
むしろ花燃ゆの内藤さん椋梨を見てても、幕府相手に損切りで打開する長州の椋梨や赤根が常識的な感覚、
朝敵になって追い込まれていたとは言え、実戦の博打に打って出る方が頭おかしい
薩摩でも藩の主流は別に徳川と戦争するつもりは無かった。
京都でも、戦争はあっても予測は大政奉還で梯子外されて暴発した会津の討伐ぐらいの感覚
慶喜もその事はよくよく分かってたから大政奉還に打って出て、
実績、実力を背景に朝廷工作を続ければ政治的には普通に勝てる、
朝廷は薩長よりも徳川の政治力を選ぶ。その読みがあったし十分それで勝ち目があった。 >>384
会津の山川兄弟もすごい人だな
弟は白虎隊の生き残りから東京帝国大の総長になるのか 繰り返しになるが
たんなる脱藩浪人が雄藩の重役や幕府の役人、
ましてや越前公などの大名が相手してくれる訳ないよ
誰やねん、お前?で終わってるよ
龍馬の背後に何かがあったから対等レベルの交際が出来たんだよ 明治150年を記念するなら
本来は大久保利通を取り上げるべきなんだけどな
彼こそが明治政府そのものなのだから >>394
個人的には鹿賀丈史の大久保で完成してる
あれのおかげで大久保のこと嫌いじゃない >>389
マインドが想像以上に徳川至上主義で、
しかも歴史家と言うか、俯瞰的な筋読みが異常に正確だから始末に負えない。
結果、現実の利害の中で慶喜に接した
「味方」をことごとくマジギレさせてるのが一橋慶喜と言う人
誠実な好人物では人後に落ちない家茂すら、京都での慶喜の余りに意味不明な跳梁に
「征夷大将軍の辞表」を尾張侯に預けて、慶喜が土下座で慰留を願った経緯があるぐらい
色々あるけど、慶喜は幕末末期の長州征討に関わって、
方針ぐるぐるさせてあの毛利そうせい侯を激怒されてるけど、
それで幕府側で交渉に当たって面子を潰されたのが勝安房守。
幕府の味方だった薩摩の島津三郎を潜在的脅威として徹底マーク、排除して、
そのために暴言で参与会議体制を破綻させた事で
挙国連合的な人脈、発想だった勝と齟齬を生じたとも >>210
中学の時に先生から聞いた話だが、日本史のテストで西郷隆盛を西郷輝彦って書いたやつがいたらしい。 >>237
マッカーサー、ペリー、ザビエルは?
源頼朝、足利尊氏、藤原道長は? >>387
そのへんは龍馬伝3部から見たほうが納得できると思う
勝の紹介で薩摩藩に預けられる龍馬達
西郷と小松の乗る船で薩摩に向かう途中、嵐に見舞われ、それを龍馬は仲間達と海軍塾仕込みの航海術で乗りきる。船は修理のため長崎に停泊
長崎一の芸子がいる引田屋で高杉や伊藤たち長州と出会った龍馬。桂から紹介してあったこともありすぐさま意気投合
偶然にも薩摩藩士たちも居合わせ長州対薩摩の斬り合いに発展しかける。が、龍馬は両者の喧嘩を腕付くで止め、異国の思う壺だろと西郷を一喝する。
高杉は西郷の額に銃口を向けるが西郷は怯まず歩み寄る。やがて長崎奉行所の役人達が騒ぎを嗅ぎ付けやって来る。高杉は龍馬に免じて天井を撃つに止まりその場を去る。西郷も奉行所には龍馬や高杉のことは言わない。
西郷と小松はグラバーから長州征伐以降の薩摩の貿易は幕府の規制により軍事品以外扱えなくなったことを知らされ絶望する
龍馬は自分たち以外に西洋の恐ろしさを知る長州が幕府の口封じのため危機に瀕していることを知る。また、けっしの覚悟でいることも。
龍馬は西郷に薩摩を救う手は幕府を倒す力を得ることと、それは仇の長州と手を組むことだと説得する。 >>387
名の知れた剣豪は今でいえば有名格闘家みたいなもんで
パトロンになりたい人も多いでしょ
桂とかもそうだけど剣豪として名を馳せると諸藩にも顔が利くんだよ 八千代松陰
如水館
クラーク記念国際
甲子園出場高校には歴史人物の名前が入る高校が多い >>400
坂本龍馬が剣豪だったってのは近頃の研究では否定されてるよ
長刀の目録を一つ持ってただけらしいよ >>399
実に面白いエピ。
高杉は真の英雄は西郷だけ、だから薩長同盟の席に参加しなかった。
西郷の凄さがよく解る、あの高杉が遠慮したなんて >>400
特に三大道場が実質的には当時流行りの尊王攘夷で
政治サロン化していた側面があるからな
新選組の実質的な母体は近藤勇の道場、その門人と他道場から居付いた食客共だったけど、
出身母体の派閥意識は想像以上に強固
中期以降のメインは天然理心流直系の四人
永倉新八は芹沢鴨の暗殺から外され
幕府、もっと言うと会津一辺倒の新選組主流に対して
古参隊士を含め薩摩に接近しての分裂騒動でひっかきまわした中心は北辰一刀流 >>393
勝の弟子
亀山社中の社長
海援隊隊長
(海援隊は土佐藩の正式な組織で給金も出る。身分は上士と同格)
いろは丸事件で徳川御三家を倒す
薩長同盟の公式証人。実名入り
薩土同盟の立会人。実名入り。
大政奉還建白書の立案者。
そもそも海援隊は大政奉還を成し遂げるために亀山社中から強化結成された
高杉の思想を受け継いだ龍馬の組織
もし大政奉還を拒否したらすぐさま長崎から召集をかけて慶喜公を討ちますと後藤にあてた本人の手紙が残っている
幕府を救った大恩人ならどんな殿様とも顔パスで会える。会えなくても手紙くらいはやりとりでなかる。 >>391
戦しなきゃ徳川の勝ちだったのにね
慶喜は負けてないと思う
>>394
うん、官僚が国を動かすのは今も生きてるし 薩摩で一番の剣の達人は大山綱良
翔ぶが如く 蟹江敬三
西郷どん 北村有起哉 第二次長州征伐でも龍馬は高杉と共に3千の兵で15万の幕府軍を倒してるからね 龍馬は先見の明のある新人類だろう 龍馬は最早剣の時代は終わるであろうと気づいていた だから拳銃で武装してわけで
剣の腕に拘っていた古いタイプが新撰組
剣の腕は最早役に立たないと踏んでた新しいタイプが龍馬 だろうな >>409
勝が「私が指揮をとりますか?軍艦一隻あれば足りますが」と言ったら
慶喜は「何をわけのわからぬことを。きさまは帰れ」と返し
その結果
大惨敗
どうやっても慶喜じゃ負けるしかない。家茂も天罰が下ったのか病死。 >>408
大山は辺見十郎太に足蹴にされてた気がするが
示現流最強は半次郎でしょ >>410
そもそも新選組は治安警察部隊であって基本は軍隊じゃないから
動乱京都でも通常銃器を使う必要はないし、
それでも元々の軍師だった武田観柳斎を脇にやってフランス式の調練を受けてた
元々が平時の武士的な卑怯な死に番つきの集団戦術を展開していた集団だから
必要に迫られたら練度の高い近代軍に切り替わった先端集団ですけど >>410
高杉も桂も剣と拳銃の両装備だったらしい
あとライフル銃も大筒も扱えた 新撰組は素手の龍馬相手に5人がかりでフルボッコにされる雑魚
なぜいつも群れるのか?なぜ夜襲をかけるのか?
答え 弱いから まあ兵器に刀で勝てたら誰も苦労しねーわな
設定は新撰組より遥かに強い超人剣士のジェダイ騎士団だって全滅するわけだし なぜ近藤は自ら敗けを認め首を差し出したのか
答え 新撰組じゃ勝てないと思ったから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています