>>639
徳川家康の脅威に対抗する手段として鶴丸城の構築。
島津義弘は海岸に近いから防御に問題があると言って反対。
家康の薩摩征伐は実施されることなく鶴丸城が実戦で用いられることはなかった。

しかし、薩英戦争の時に義弘の懸念は現実のものとなる。
イギリス軍艦から砲弾を何発か打ち込まれる。
しかし、簡素な造りだったためにイギリス軍艦は寺を天守と間違えて砲撃しているwww