>>789
実際その通りで、斉彬の曽祖父島津重豪が外様から幕府中枢にパイプを持ったのも
重豪の代で島津から将軍家御台所を輩出したのも大きな要因で、
その格式のための出費も桁違いだったために、重豪の子の斉宣は当主になってからその出費を削減しようとして、
逆に将軍家への不忠として、既に隠居していた重豪の剛腕で当主から引きずり降ろされてる
しかも、蘭癖と言われた西洋通で、新事業文化事業のためにも莫大な出費を行った、
しまいに債務整理に失敗して高利貸しに手を出すに至り、財政は完全に破綻した

重豪が失脚させた斉宣の子として当主になった斉興や
あらゆる汚い手段も厭わず重豪が止めを刺した薩摩藩の財政を再建した調所広郷はその経緯をよく知ってるから
ギリギリの所で維持して回復して来た薩摩一藩の財政を何よりも重視するのは当たり前で、
実際に重豪から直接可愛がられて薫陶を受けて、幕府の中央政治や西洋記述に傾倒する斉彬は
今よりも遥かに酷い債務地獄を見て来た前の世代の首脳陣にとってはトラウマに等しい存在