【謎の歴史観】西郷どん その二【頼むから史実にしてくれよ】
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前スレ
http://itest.5ch.net/nhk2/test/read.cgi/nhkdrama/1513917930
基本史実研究スレですが、番組の感想、NHKへの批判、何でも書きましょう。
「今年こそは」という期待が早くも裏切られそうな予感 >>783
749です
そういう声は今のところ身近ではない
「翔ぶが如く」「篤姫」の時よりも、タイトルバックや第一回のロケ地に地元が
出ていたせいもあるかも
妙円寺参りや日新公いろはがるたが出て来たし
自分も知ってる場所を見た時は少々盛り上がってしまった
言葉については御年寄がちょっと違うと地元新聞に投書してた(好意的な書き方だったが)
ただ、昔に比べて口うるさい人が減ってる
三十年以上前にどこかの企業が西郷さんの笑い声を再現したら、
子孫か関係者かがそんな笑い方をしないと苦情を入れたという話がある
「翔ぶが如く」でもいと役の田中裕子の描き方にちょっと違うんじゃないっていう人が結構いた
うちのおふくろ(県外出身で戦後に教育受けてる)もそう
今回についてはどう思ってるか聞いてないのでわからない
西田敏行の西郷さんは今でも評価高い
今の「西郷どん」を笑い声に苦情を入れた人が見たらどう思うか
長くなるので二つに分けます 785の続き
個人的に許せないのは磯御殿に行った話
郷中の教えに
他家の果樹、壁、屋根に手をかけるな
というのがあって盗人と疑われるようなことをするなという意味だと思うんだが
磯御殿に菓子を取りに行くとか卑し過ぎる
今年は地元の新聞の連載小説が幕末の話なので
それを大河ドラマだと思って毎日読んでいる
今寺田屋事件の前で
西郷さんのことを大久保さんが
「太トさあ」(西郷のあだな)と呼ぶのが何とも言えない味がある 今は誰も見てないから昔ほど騒ぎにならないもんね。
一昨年、紙おむつがオンエアされる放送事故があったが、
昔だったら制作部長は切腹モノだっただろう。 >>786
>磯御殿に菓子を取りに行くとか卑し過ぎる
私もそう思います。しかも真っ昼間からあんな大勢で。 >>762
まあペリー辺りは当時の日本の制度をよく知らないまま書いてるからな
一例だが、一番上の一夫一妻制や女性は奴隷では無いは当てはまらない
一夫多妻制度は大名以上には当たり前のようにあったし、将軍や朝廷だと
大奥や後宮という名のハーレム制度があった訳だ >>789
見方が甘いな 一夫多妻の高級武士としか接触しなかったはずのペリーが、
なんでそんなに庶民の風習にまで精通しているのかが問題なんだよ >>791
それは「予習」の成果じゃないのかな?
ペリーは日本へ向けて出航する前、長崎出島情報などを収集していたそうだから >>792
予習したことが事実かどうか確認しないほどペリーは無責任なのか? >>794
ペリーの日本来航の目的には諜報活動という側面もあったはずだ。
その中には日本の民情の把握もおそらく含まれていたはずだ。
ただし、ペリー艦隊の上陸は厳しく制限されていたので、どこまで確認できたかは知らん。
それに手元に適当な史料もない。はず・はずばかりで申し訳ない。 ゴルアアアアアアア!!!!!!!!
九時のニュースでAIの自動運転バスの模擬裁判映像流してるけど、
そういうときは画面の隅に「模擬裁判です」とテロップ入れろよ
途中からみた人が誤解するだろ 史実にしたら、西郷は虚構ヒーローで実際は人間の屑として
描かないと駄目だからTVドラマにならないな 再放送始まった
須賀の離縁の心情が,中島みゆきの歌みたいでカッコいいと思った まともな史実は信じないで下らないネタばかり信用するんだな
どこかに真のヒーローがいるならそいつを主人公にしたらいいだろう 「BS着けたらBS契約お願いします」のCM、
NHKで流すようになったんだ >>804
まともな史実に真のヒーローなんていませんから。 史実指向でなくエンタメ指向の大河を目指す予定なら、このスレが荒廃してもしゃあないな
995 名前:日曜8時の名無しさん 2018/03/01(木) 09:15:07.79 ID:sqQD0E1R
週刊朝日の林中園対談
・中園が鈴木亮平にいれあげて主演に指名したように言われてるが違う
自分はまだ早いんじゃないかと思っていたが、演出家が推した
・ロシアンルーレット発案はNHKスタッフ発案
胆練みたいなのできませんかと言われた、渡辺鹿賀さんの演技のお陰で救われた
歴史好きの人は怒っていると思う(笑)
・権力者になった西郷は残酷なこともする
弱者の味方である吉之助が戦の天才になっていき、冷酷な策士の面を帯びていく
・年表ドラマじゃなくエンタメにしてほしいというのがNHKの注文
・人物像と考証、言葉づかいは歴史考証の3人に頼り切り
・1年で描くために史実のどこを切り取るかに苦心、「禁門の変」はやる
・西南戦争はきっちり描きたいので(撮影の)予算が残るよう祈っている お、今日から一橋慶喜が出るのか。
それは期待したい。
ん?先週も出てたかな? >>813
貧乏旗本の三男坊として市井へ出る姿が描かれるから楽しみにしとけよw 迫田ってあの迫田?
こんなに威張り散らすなよ。
んーでも昔の薩摩て大概こんな感じだったから、
ようやく史実に近くなって来たかな こらこら、下級藩士は長屋住まいでしょ。
昔、歴痔発見か何かでやってたでしょ。
歴史的に、二階で寝泊まり生活してたのは、
明治以前は織田信長ただひとりとも言ってたし。 うーん、佐野さんの井伊直弼超カッコイイ!!
映像も今週は以前に増してすごくきれいだな うむ、先週までとは映像もストーリーも格段に違う!
遊郭の場面、なかなか引き込まれてしまう! マジで面白いぞ、ひい様とやら!
ようやくエンターテインメントとしても通用するレベルになったな!
このピアノとトランペットも昭和感全開でいいよ! 何だあのちり取りは!?
当時貴重品の鉄で出来たちり取りがあるわけない!
箕を使え! 山田さんインパクトあるなあ
ところでお庭番といえば忍者の代名詞ですが、
お庭方って違うの? 水戸斉昭の描き方も実にいいな
どうしたと言うんだ?
先週までとは全然違う神回じゃないか!! ひいさまの正体も意表をついてて実にいい!
いやあ、久々に面白い大河だった! 必死でキャラ立てしてる感じ どいつもこいつも一癖有りそうにして 実際は官僚的で因習に縛られてたはずの人物ばっかりなのに 中園はキャラ立てには人一倍の自信があるそうなw
キャラ立てさえ面白く出来れば(自分が)脚本書く必要も無いんだって、
以前に言ってたな とりあえず糸さあとかどうでもいいからさ、
水戸様やひいさまをどしどし出してくれよ。 花子とアンも門限破りで退学とか小ピンチ展開あったな 考証がおざなりな感じになってるのは原口先生が細かいところまで口出す気なさそうだからかな
他の考証って信念なく迎合しそうな モッくんの慶喜は直弼に超長台詞で説教されるとこが見せ場の一つだったな
たしか杉良太郎さんで漢語調を丸々2ページ半くらい
内容は本来文章で書かれた直弼の言上書を無理に台詞に直したもの >>832
遊び人のヒー様かよ。徳川御三家の一角をしめる殿が品川宿まで遠征するかね?
あれを歴史ドラマのストライクゾーンにとるとしても、コーナーぎりぎり一杯だね。
しかしこのスレいつから実況系になったの?
禁止とは書いてないけど遠慮してくれませんか。 >>830
それは言えてる
登場人物が生きてないとドラマはダメだから >>810
週刊朝日の林中園対談がどうしても読みたくなって、ちょっと遠くの本屋へ行ってきた。
近くの本屋はみんな店頭在庫無し、入荷無しか完売でした。
中園ミホが関心を持っているのは、西郷従道と島津久光なのだそうだ。言い換えればつまり、
西郷どんの隠れテーマは「偉大すぎる兄が放つ強烈な光に霞んでしまった弟のふるまいかた」
なのらしい。
これはこれでドラマとして面白い。両人とも最近になって事の真相が分かってきた人たちだから。
あとひとつ、中園が「征韓論はちゃんと書く」と明言していたのにはホッとした。
征韓論(と通称言われている政見)は、最近の研究によると、その当時の実態は違っていたらしい。
中園が宣言どおり、征韓論と明治六年政変を最新の研究を踏まえてちゃんと描いてくれるなら、
大いに歓迎します。
それと、西南戦争をちゃんと撮影する予算が残ってるかどうか中園が心配してたのには苦笑した。
西南戦争抜きの西郷隆盛なんて、梅干しを抜いた日の丸弁当みたいなもんです。 久光は役者に当てはめてキャラ付けしてた翔ぶが如くとは
全く違う描き方でそこだけ興味あるね 最終話の半分ぐらいの尺を使って、翔ぶが如くと獅子の時代の寄せ集めまとめ映像のバックにアナウンスできちんと西南戦争を描くんだろうな 薩摩の貧民のふきが売られて女郎の「およし」になった
この後、新門の養女になってヒー様の愛妾「お芳」になるのは確定だろうな >>839
「征韓論はちゃんと書き」ますが、予算と時間配分で
西南戦争はナレーションで終わらせます。
また戊辰戦争は無駄なので省きます。
今のちんたらペースで行くと結局はこういう事になりそうだ >>817
史実史実とうるさく言う割には「藩」と言う言葉を多用しているなw
「〜藩」や「〜藩士」と言う言葉は江戸時代には一部を除いて一般には使われなかった。
明治2年の版籍奉還から明治4年の廃藩置県までの2年間使われた言葉に過ぎない。
〜藩、〜藩士、〜藩主とかの言葉は司馬遼太郎が広めた小説用語だw >>844
そいつに正論言っても全くの無駄だよ
なんせマンガが唯一の歴史考察のネタだし、ここにNHKの関係者が来ていると本気で思ってる、かなりアレな脳みその生き物 こうやって実況レスに絡むバカがいるから止めろと言われても毎週やるんだろうなw >>844
正しい言い方は薩州?州もおかしいのかな >>845
そうなんだぁ。余計なことをしてしまったなぁ。妄想は怖い。まんじゅうこわい並みに。 >>847
薩州だと漢文調すぎる。藩もまた中国語の地方行政用語の直輸入で本来の日本語じゃない。
一般的には薩摩家中と呼んでいたはずだと考えてたんだけど、ちがうかな? NHKスペシャルの津波の話もよかった
こんなに骨太のドキュメント作れるのに
どうして歴史知らないんだろう 家族に言ったら「誰もそんなとこ見てない」って言われたけど、薩摩の瓦屋根と江戸の遊郭、江戸水戸藩邸の軒丸瓦のデザインが全部同じって変じゃない?
考古では時代や建物を作った集団がどこから来たかという文化的背景を知るための重要な史料だよね
美術さん頑張っているなあ、と好ましく思っているだけに、映るところだけにカメラのレンズのキャップ状のものを作って場面ごとに付け替えていけばなお良いと思う >>851
上の方に脚本家が年表ドラマじゃなくてエンタメを書いてくれとNHKに注文されていると書いてあったよ
中園が歴史に興味がないというより、NHKがわざわざ歴史に興味のない脚本家に脚本を発注しているんだなあと思った もう真面目に大河ドラマを作る気が無いだもんな
なんだろ、ねつ造スイーツは別枠でやれよ
慶喜がふらふら出歩くかよ >>852
自分は「娯楽に傾いた創作時代劇」を見ているので申し訳ないが瓦まで観ていない
そこまでの違いにも拘れ、というのは色んな点で酷だろう
(べつに今年といわず大河制作陣を擁護してるわけでは無い。決して)
軒丸瓦は家紋や寺社の紋をいれるようなことが多いけれど
蓮華紋や後に巴紋など「定番柄」もすごく多いぞ
「〇〇国 ××城の場」とか 「△国の××御殿」など
九州から江戸まで舞台にする時代劇でいちいちに考証して瓦を変えるのは
デザイン考証に製作から支度と回収まであまりに大変で現実的ではない思うけどね
>文化的背景が
・・・そこまでいったらまず建築史に地域風土によっての建具や調度の差や
土やら工房まで気になるってこと? 考えすぎというか・・・
もう図書館や博物館で趣味的に調べたほうが853的に楽しめるじゃないの?
娯楽時代劇見てるよりね >>847
島津家でいいんじゃない。
島津家家臣、西郷吉之助でごわす、でいいと思うがw >>845
そうなんですか。
すごい人がいるもんですなあw >>852
建築考証の平井聖東工大名誉教授も耄碌したと云うことかな。 >>844
じゃあ「脱藩」という言葉も江戸時代は使ってなかった? 桜田門外の変で故・川谷拓三さんを特別友情出演させてほしい >>847
小川恭一翁風にいうと
松平薩摩守家中
だと思う。たぶん >>859
「出奔」 「逐電」 「国抜け」とかだろうな
言葉は生き物だし国や藩や状況や使用意図によって違ってくるであろうけど >>847
ぜんぜんおかしくない。
西郷どんを南洲翁と言われてきただろ。 >>844
嘘付くなニワカ。藩は司馬以前より遥か前の江戸時代から使われてるわ知ったか野郎 少なくとも司馬さんが生まれるずっと前から
藩は国定教科書に載ってた。
桐野利秋が尊藩弊藩を聞き違えたという話って史実なん? >>868
より正確には江戸時代には藩という言葉自体はあったが使われるケースは我々が思うより遥かに少なく、その使用は限定的なものであった
現在我々が言う藩、藩主、藩士という用語と概念は研究者が組織とそのトップ、そしてそれに属する人を指すのに重宝したものである
しかし、研究書を読む人はそれほど多くないわけで、今のように藩や藩士という言葉を一般の人にも大いに広めたのは司馬遼太郎の功績、という感じなのかね
でも常識を疑え、という意味で俺も調べてみて良かったよ >>870
藩って言葉は幕末に志士の間でよく使われてた
桐野って日記に書いてる一人称が僕だったり
言葉遣いが長州っぽいんだよな >>868
日本語が不自由な方かなw
>「〜藩」や「〜藩士」と言う言葉は江戸時代には一部を除いて一般には使われなかった。
一切使われてないなんて言ってないんだがw
この程度の日本語が理解できない奴が歴史の真実を論ずるとはw
やはりゆとりかw >>873
一部を除いて一般には使われなかったって統計でもあんのか? >>844
>明治2年の版籍奉還から明治4年の廃藩置県までの2年間使われた言葉に過ぎない。
>〜藩、〜藩士、〜藩主とかの言葉は司馬遼太郎が広めた小説用語だw
芥川竜之介、夏目漱石、太宰治、幸田露伴、島崎藤村、菊池寛、森鴎外、他多数が
藩の字を使ってるぞ。知ったかはやめとけ >>879
小説で使われてはいるけど、それは明治の世になったあとのこと。幕末はちがう。
明治政府は、長くつづき地方の民衆に慣れ親しまれた「藩」の復活を絶対に阻止したかったので、
さまざまなネガティブキャンペーンを行なった一環で「藩」という言葉が明治になって定着したのだ
と思う。そもそも論だが、「藩」は「蕃」に通じる漢字で、もともと良い語感の言葉ではない。
それでも日本で使われたのは、(中央集権指向で藩のような地方自治に否定的だった書物が多い)
漢籍を読める武士や上流階級が日本には大勢いたことと、中国語がネイティブ並みに達者だった
新井白石が藩翰譜(大名の系譜書)を書きあげた17世紀末18世紀初頭あたりが初出だと思う。 >>870
> 桐野利秋が尊藩〔と〕弊藩を聞き違えたという話って史実なん?
たぶん史実。桐野は四書をほとんど読んだことがない(その当時としては教育水準が低い)
貧乏下級士族の出だから、仕方ない。
>>872
下級士族が活躍する場面を多く与えられた長州の侍の言葉づかいと桐野の言葉づかいが
似てくるのは必然的でしょう。そんな人たちが爵位をもらえたりしたのが明治維新の内実。
だから明治維新は諸外国から日本の革命と評された。 >>880
>明治2年の版籍奉還から明治4年の廃藩置県までの2年間使われた言葉に過ぎない。
>〜藩、〜藩士、〜藩主とかの言葉は司馬遼太郎が広めた小説用語だw
俺は>>844の↑この文言にツッコミを入れてんだが、何を言ってるんだお前は?
まず、藩の文字が明治の2年間だけ使われたというのが明かな嘘。
次に、藩の文字を司馬遼太郎が広めた小説用語だというのも明かな嘘。 まだ幕末に「藩」を使ってたかどうかで揉めてんのかよw
聞きかじった話を拡大解釈するんじゃなくて当時の手紙や日記を確認して見りゃいいじゃん
幕末の志士の手紙や日記には「薩藩」って言い方かバンバン出て来るぜ
>>870
桐野の話はソースわからんが薩摩藩士が「弊藩」を使ってたかどうかって話なら
会津が記録した「七年史」によれば禁門の変の前の会議で西郷が「弊藩」って言ってる
>>881
慶応のころの薩摩藩士で桐野以外に「僕」を使ってる人は見当たらないよw >>882
ちょっとスレの流れを読み間違えたかな。これはすいません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています