【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179(c)2ch.net
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1500223754/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 見たいのにまだ見てない人だって知らない人いっぱいいるでしょ。
ノベを単純に写すのは滅多にやらない。引用はたいていそれぞれの繋がりを示すため。 見てない人ならネタバレになるし
だいいち2ちゃんでそんな長文読むわけないわ
要点だけ伝えろよ無能 無能だから仕方ない。
しかし無能ゆえ136からは要点すらすまぬが分からぬ。 _、
∧_∧ //\ 釣れた、釣れたよ、長文さん
(`・ω・)// \゙
ノ 、 つ/o \
_ヽ_)_)_ ゛\
人人人人人|人人人人人人 今更だけど、関連番組も含めてほぼブルーレイに収めたんだけど、なぜかbsフジのジャスティスとかいう番組で清盛バッシングに反論内容の物が入ってたんだけど、フジはなんでまた他局の番組応援してたんだろ?
司会が宇野と吉木りさでゲストは本郷さんと名前は知らんがちょっと痛い感じのおばちゃん2人....清盛を熱く語ってるので嫌いな番組ではないんだが、なぜか途中でガンダムの話になったり、ちょっと痛い番組だった.... ・敵に塩を送りたくなるほどクリエイターたちを刺激した
・謂れのないバッシングとネガキャンに同業者として義憤を覚えた
・BSだけでなく地上波でも大河とフジはさほど競合しない?
適当に想像してみた。
清盛の造型に関しては、「奇を衒った」「単なる馬鹿」「清盛に関心がないので他キャラに逃げた」
「肝心の主人公が適当で魅力なし」など、酷い言われようだった。
しかし、当然ながらもっとも綿密な人物造型が付与されたのは、主人公清盛である。
清盛復権のための最も重要なポイントであると考えるゆえ、しつこくて済まぬが、加筆の上再掲する。 考証高橋先生が捉える清盛像を再度確認すると、合理的(迷信嫌い)、激情(感情過多)、下々にも優しい、
先見性、常識に縛られない、新し物好き、果断な決断力・行動力、包容力など。
これらは総じて【1陽性の清盛】である〜後白河同様、挙げられた特性すべてが各種エピによって多様な形で描出されたことに感嘆する。
一方、落胤説からは、アイデンティティの危機に陥りウジウジ悩む【2陰性の清盛】が引き出された。※
このように青少年時代の清盛一つを切り出しても、陽性陰性キャラが絡み合う、一筋縄ではいかない、
一本調子どころか感情表現の幅が非常に大きな人間だった(頼盛は「ギャーギャー騒いでは落ち込む。そんな兄上が苦手です」とズバリ苦言)。
そこに、暴れん坊【3無頼の高平太】エピが加わる。
暑苦しい清盛の代表的なシーンである「俺は誰なんだー」にしても、正義感から猪突猛進した場面ではなく、自我危機の表現だ。
その正義感方面については、忠盛からビシッと「激情」に駆られた行動の底の浅さを諭されて以降、何度も直訴するような
無思慮な直接行動に出ることはなかった(待賢門院への直訴は義清を救うため)。
他方、自我危機方面は、海賊船で兎丸に吐き出したことにより早々に克服してしまい(逆に崇徳に対しいつまでもウジウジしなさんな
とアドバイスしたほど)、以後の清盛は「武士のアイデンティティ」の模索へと向かった。※※
何れにせよ、多感で激情の持ち主であったヤンチャな青年清盛を「品行方正で大人しい好青年」に描くことが「正統」とは言えない。
画面に現れた時に荒々しい清盛は(あたかも四六時中騒いでいたかのようなミスリーディングに欠かなかったが、
落ち込んで幼いなりに内省する清盛を見落としている)、上記1、2、3という確固たる根拠を有し、かつそこから導出されたキャラそして
エピなのである(激情や暴力性、絶倫エロパワーに関しては、これらに【4もののけ白河の血の再帰】がさらに加わり、
清盛の後半生に重大な意味と作用をもたらした〜最大のものは「ここはわしの世じゃー」。意思、理性によって統御できない血の支配)。
そして、三歩進んで二歩下がる、ちょっと進んだらまた立ち止まる方式で着実に成長していった清盛は、既に二十代半ばの時点で
自らの生育環境とは異質な広い世界(空間ー博多、人的ー身分・階層)へ果敢に飛び込んでいくことで経験を重ねつつあった。
しかしその一方で、頭でっかちの頼長に敵わない、まだまだまだ未熟な青い自分を見つめ直すメタ視線をも獲得していたのである。
このように若き清盛は単純熱血バカではなかった。その上、ここからの変貌ぶりがまた凄まじいのだから、超難役と言わざるを得ない。※※※ ※青年期に誰もが通過する自我危機一般に還元されない、専制君主と最大武門の長という2人の巨大な父に挟まれた、その意味で
古今東西稀にみる歴史的個性を刻印された自我危機だ。このような出自と生育環境を背負って悩まぬノー天気は、
「自分探し」「人生の目標」といった言葉に脊髄反射し、愚弄・嘲笑を始める、お気楽人生満喫中の暇なババアたちぐらいだろう。
※※「武士とはいかなる存在か」は本作の基本命題の一つで、以後何度も反芻された。清盛は忠盛の深謀遠慮を薄っすら理解しつつも(「殿上闇討ち」)
「王家の犬」を辞めない父に疑問を抱き反抗し続けた。しかし、あんなに大きな父であり平氏の棟梁だった忠盛は、
愛息家盛に鞭打つ鬼畜頼長の暴言を受けて、あるいは公卿への道はなお遠い現実を前にして、最後の最後で迷いを生じてしまった
〜「わしは(舞子の言葉を忘れずに)夢中で生きてきた。だが何ゆえ武士が今の世に生きているのか、未だわからぬ」
このように弱気を吐いて判断力が鈍った忠盛に、太刀を振るう理由と武士の世の未来を語り、武士の存在理由を指し示したしたのが清盛。
頼もしい清盛の言葉からついに確信を得た忠盛は、躊躇うことなく清盛を棟梁に指名した(強うなったな清盛←死にたくなければ強くなれ!)。
しかし最終盤、苦境に陥った清盛も同じような弱音を吐いたのは皮肉な巡り合わせと言うしかない〜「何をしてきたかと思うてな、この何十年」
「武士の世とは何であったのかと」
さらに別の文脈において、暫定勝者清盛は敗者頼朝に「真の武士とはいかなるものか見せてやる」と突き放し(と共に叱咤激励)、
立場が逆転して最終敗者となった清盛は勝者頼朝に「真の武士とはいかなるものか見せてみよ」と武士の世造りを託した。
以上から、執拗なまでにこの問いが追求されてきたことが確認できるだろう。
※※※その後、拙い棟梁、保元の乱での過酷体験を経て成長し、知略を爆発させた平治の乱で逆転勝利を収めた晩稲の政治家清盛は、
ついに歴史の前景へと飛び出した(公卿から太政大臣へ一足飛び。そして外戚による朝廷簒奪作戦へ)。
しかし、なお完成体ではあり得ず、頂点へ向けてさらにタフさを増し、出家後は非道に手を染めるダークさを発揮(マキャベリスト化)した。
ところが、頂点に立った途端に堕落し始め、遂には闇堕ちと相成る(「そこからの眺め」は漆黒の闇〜白河化=暴君、エロ爺)。
このように劇的な転調を重ねた清盛であったが、頼朝挙兵によって目が覚めて再生を開始し、最後は武士の原点へと回帰していった。
こうして見ると、青年期を含めた清盛像をトータルで捉えるためには、目眩く変化する相の中に「変わっていった清盛と生涯変わらない清盛」
を見極める作業が必須であることを痛感する(高橋先生が挙げる生涯を通じた特性へ常に立ち戻る必要)。 主観的で読みにくい駄文書き連ねてしかも陰謀論のうえ
清盛の真価がわかるアテクシってすごい感満々
真面目に読んで反論しようという気に普通ならん
まともに対話しようとする人もたまにいるが話が通じなくて諦める
それを論破したと勘違いして天狗になる
清盛はなんでこんな孤独なじいさんに取り憑かれたんだろう まあ泣きべそかいてないで、ババア何か書け。
落ち目のゆーじんあんでもかねこ何チャラでもすけうよもりでもおんなネトウヨでもスケートババアでも
誰でもよーいw
にっくき敵を腐すのは大変結構ながら、2ちゃんでダンマリ決め込んで勝利宣言ではお恥ずかしいでそ。
俺の駄文を読んでくれる奇特な人が必ずいるというのに、黙るのが勝利への道だと勘違いしないように。
沈黙は金なりとはいかないのだ。
といってももう寝る。すっからかんなりに何か捻りだして中身のあること書いとけやーババアに婆さんたち。
おやぬみなさいごわす あああと主観的ってのは、お前らがよくやるアテクシのダブスタちっくで頓珍漢な難癖のことを言うのだよ。
少しは俺程度にきちんと根拠をあげて具体的客観的に語ってね。ジャーニー。 久しぶりにマージナルマンでひとつ書いてください。
西行だけじゃないでしょう。 じゃあ眠れぬ寝床で戯れせんとや
マージャンマン&ウーマンランキング
1 祇園聖子
2 福山舞子
3 九尾泰子
4 松山入道=ゴシラ翔太
5 しぶとく時忠
5 中井パパ盛
6 岡田ナレ朝
7 真面目重盛
ババアには勝てんよw セルdvdをお持ちの方に質問なんですが、特典映像やコメンタリー機能は入っているのですか?
いちお本編は全話ブルーレイで録画済みなのですが
出演者の方々の裏話とか聞きたいのでそういうのが入ってたら欲しいのですが... 一般視聴者を装っても見え見えのステマだ
回答があればそのまま、なければ回答者を装い
宣伝するつもりだったんだろう
セルDVDの存在を知っているのであればググればすぐにわかることを
なぜ尋ねる?
おまえの正体はDVDが売れれば金の入るチーム藤本の
清盛メインライター=長文だろう ん?
さんざんソウカがー、反日がー、磯チョンがーやったあげくの果ては、
不肖俺如きを メインライターがー だと((((;゚Д゚)))))))
何と俺、長らく本放送時に録画した劣化画質(5倍)のものを見続けてたw
ようやく銀河のを最高画質で録画し直したが、やっぱNHKBSには劣る上、
こちらでは素晴らしい紀行を見ることができない。
要するにDVD、Blu-rayを買って貢献したことがないのれす、NHK様すんまへん。
ということで回答不能。清盛おばさんたち、ご質問に答えてあげてくだされごわす。 清盛おばさんたちスンマセン。
こんなに長年頑張っているというのに、ショックで今それどころじゃないでしょう・・・
しかし、現大河とは何らの補完関係にない、しかも再放送を熱く要望する人なんて見たことない
官兵衛とはね。こんな方針不明のチョイスをされては、やる気なくなっちゃうよね。
個人的には慶喜、八重、新選組あたりを予想していた。
清盛は生誕900年以外に積極要素はなく、再び王家がーの喧騒に巻き込まれたくはない
だろうから、まあ期待薄だった。
しかし日本の歴史は戦国三傑しかないのかよ、ったく。nhkreturnなんてシカトされるのが
関の山なのでガンがらないでいいですよ、おばさまたち。 今上の退位礼、現皇太子の即位礼、立皇嗣礼が済むまでは平清盛の再放送はない。 王家問題ってほんとくだらないよな
王家でも何の問題もないわ
フランス王家やイギリス王家は中国の属国なのかよwと言いたい
そんなくだらないことでいちいち叩くとかアフォだろ >>157勝手に長文さんにするなよ
ここで質問してのはファンが募ってるから、
特典映像があるならその魅力をアピールしてくれるかもと思ったからでそれ以上も以下もないわ >>1
震災の被害を目の当たりにし、気が狂ったNHK職員がキチガイ仲間を増やそうと制作を強行した大河。 天皇は現人神だが王は人
格が下がるのはやむを得ない >>164
って実際天皇は人だろ....
格もクソもないだろ
よく皇帝なんかの名称を出して天皇は王ではないとかいうけど、皇帝ってのは複数の異民族を統治していた帝国の王だから別格扱いされるのであって 日本の天皇はそうではないだろ
例えば古代エジプトのファラオという言葉があるが、普通にファラオと呼ぶときもあるし(ちなみにこれはギリシャ語から来るらしいが)王と呼ばれることもある
どちらで読んでも問題ない
正式な国内のレセプションやマスコミ報道で王呼ばわりされるのは問題かも知らんが、歴史ドラマの中で王家と表記しただけで叩くのはお門違いだと思う 個性的な天皇や上皇、親王らが出てきて国の運命を大きく左右していく大河ドラマ「平清盛」。
史上例がない「上皇」が生まれようとする今、皇室や国民に無用な騒ぎをもたらしかねないのでNHKでの再放送は控えなければならない。
あと10年は待つべし。 ちなみに古代エジプトのファラオも現人神というポジションだったよ
王だけどな むしろ上皇が生まれるタイミングで再放送した方がわかりやすくて良いと思うが
歴史の中に生きている気がするだろ もっとドロドロとした皇室が見たいので古代史またやってほしいなあ
蘇我と物部の争いとかも見たいし藤原氏の摂関体制の確立も見たい戦国、幕末はもういらないよ 制作陣のやる気が全く感じられなかった大河を再放送wwwww >>166
定期的に湧くおかしな人だから相手にしないであげて >>166
時間がなかったんでふと思ったことを簡潔に書いたおかしな人ですが
これでは単なる揚げ足取りのようにも読まれるかもしれないので
ちょっと補足させて下さい。
現在の象徴天皇制では天皇は人であることが当たり前だけど
戦前の国語の読本に「神の御裔(みすえ)の天皇陛下」云々と
あったわけで、異国の王と天皇家を同一視されるのが
我慢ならないと思う人は現在においても一定数いるし
ことさら「王家が〜」と強調される描かれ方について
疑問をていする人がいるのも理解できる。
あと日本は単一民族だからと言う方はアイヌや琉球民族を
どう思っているのだろう。 俺は右でも左でもないがおそらく右の竹田恒泰が天皇は神に祈る存在であって神ではないと言ってるぞ
現人神というのは神に祈りを捧げら存在らしいぞ
なので戦前でも神ではないわけだよね ちなみにアイヌも琉球も日本民族だよ
琉球の言語体系は日本と変わらんらしい
日本人といってもいろいろな染色体が混じったものというのはあたりまえだが全体としてある
つまりあくまで内輪にすぎんよ
一地方というだけで日本人であることに変わりはない あと上でも言ったけど、外国の例を出すとどこの国でも絶対王政を引いていた国とくにキリスト教以前はその国のトップは神格化されるのが当たり前で神の使いとか神の子とか色々ハッタリかますのは当たり前で日本だけが特別でもなんでもないんだよ あと上でも言ったけど、外国の例を出すとどこの国でも絶対王政を引いていた国とくにキリスト教以前はその国のトップは神格化されるのが当たり前で神の使いとか神の子とか色々ハッタリかますのは当たり前で日本だけが特別でもなんでもないんだよ アンナチュラル第7話みたwww!ひっさしぶりに不覚にもドラマで涙腺決壊してしまった。
あれは傑作になる。野木亜紀子おそるべしだ。長文さんも御覧あれ。 >現在の象徴天皇制では天皇は人であることが当たり前だけど
>戦前の国語の読本に「神の御裔(みすえ)の天皇陛下」云々と
>あったわけで、【異国の王と天皇家を同一視】されるのが
>我慢ならないと思う人
バランス感覚のある貴殿に物申したくはないが、【】部分は何度も強調したように、誤解に基づくそれこそ
特定のイデオロギーによる難癖にすぎない。
日本という領域国家(拡大された共同体)の首長を王と呼び、これを天皇に比定することは、
象徴に止まらない(建前上は)権力主体たり得た時代の天皇の存在様式を、正しく捕捉するものだ。
現に本作も取りあげた「王者議定」は学説でも何でもなく、当時実際に用いられた実定用語なのである。
いかなる意味においても、ここでいう王は華夷秩序において中国皇帝に臣下の礼をとる「王」ではなかった
(天皇家ではなぜ不十分かは委細省略〜本当の権力主体は、王を再生産するイエを主宰する院にあった。この二重権力状況を表現)。
しかるに、何らそのような意図を持たない「王家」の用法を勝手にでっち上げて、それに対して「王家がー」
なる組織的な中傷がなされたのである。これが王家問題の実体(実態)であり、本質であり、大河史上に残る汚点となった。 >>164>>173
しかし幕末の有名な政治スローガン「尊皇攘夷」は、それが唱えられていた当時は文字がちがう。
実は、尊皇攘夷ではなく、尊「王」攘夷と書かれていたのだが?
王を皇と書き換え、それ以前の(京に押し込められ国民への影響力を衰微させていた)天皇制の
過去の姿を、現代日本人が想像できないよう歴史を塗り替えた首謀者は薩長藩閥政権であった。
これは日本史学を学ぶ者にとっての常識ではあっても、一般国民にはあまり知られていない。
幕末維新史の概説的通史を描いた本は、ありそうであまりない。あっても古くさいのばっかりだ。
とりあえず三谷博がNHKブックス(No.1248)で『維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ』
を2017年12月27日に新刊で出したから、そこらあたりから勉強やりなおしてみたら、どうかなあ?
(ただし、勧めはしたが、実はこの本好きじゃない。なんだか「チャート式幕末維新史」みたいで、
歴史の描き方が図式化されすぎている。歴史とはもっとドロドロとして、当事者には見通しつかず
混沌としたものだと思うのですよ) >>180
言い回しはちがうけど、まあまあ同意します。
この国は、華夷秩序の枠外に、朝貢も叩頭も冊封を受けることも拒否した「王」をもった国だ。
場外乱闘も含み言いつくされた感がある王家論争につけくわえることはたいしてないのだけど、
中国側では「身近だと思った国」には「○○王」と、「疎遠な(化外の)地の国」には「○○国王」と
使い分けていたそうです。
国が入るか入らないか、一字ちがいで大ちがいになるのが、実にまぎらわしく面倒くさいところです。
(江戸幕府の日本が朝鮮におくった国書では「日本国王」または「日本国大君」と称していた)
朝貢国と非朝貢国とのおおまかなちがいがあって、さらに朝貢国でもまた細かくグレードが分かれて
面倒くさいことこの上ない。とにかくチャイナはランキングが大好きな連中ですから説明放棄します。
http://www.kanekashi.com/blog/2011/06/001621.html
http://www.kanekashi.com/blog/wp-content/uploads/%E6%9C%9D%E8%B2%A2%E5%9C%B0%E5%9F%9F.jpg
どちらにしても気になる人は徹底的に気にするのだろうが、中国に服さない共感できない国々を
徹底的に蔑視した冊封体制を最終的に破壊してしまったのが、日清戦争に勝利したこの日本。
関連するが、大清帝国が築いた国家体制(国内秩序と朝貢外交)についての概説書は平野聡の
『大清帝国と中華の混迷』が優れていると思う。 三谷先生の放送大学の講義は録音して今もある。これを膨らませ満を持して公刊されたのが、NHK出版の新著だね。
先生は独自の理論というかドグマを「外から」持ち込んで整理しているので、方法論的には賛否両論とならざるをえない。
ひと昔前で言えば、マルクス唯物論や敵対する「ブルジョワ近代化論」に基づく歴史解釈ね。
詳しくはないが基本、三谷先生は後者の系譜だろう(日中歴史認識問題については、リベラルな貢献をされている)。
西郷どんを視聴するにあたって目星をつけた本は、考証原口先生著NHKがまず基本。NHKカルチャーラジオ町田明広
「西郷隆盛」は視聴に非常に役立つ。さらに、こちらを考証にしていたらずいぶん違った西郷像となったであろう、
アカデミックな方面では最高権威と思しき家近教授のNHK新書縮小版(ミネルヴァ版は大著かつ高価)。
概論的な通史では、佐々木先生「幕末史」ちくま新書、坂野御大「日本近代史」ちくま新書、
それに、なんといっても宮地正人大先生の「幕末維新変革史」(岩波)だね。三谷先生のもちゃんと読むに値する。 公明党と創価学会は働く者の敵やで
過労死が増えたらコイツらのせい >>185
これは誤爆かね?
しばしば場外乱闘が外部から波及し干渉されるのが、大河ドラマ平清盛評の特徴のひとつだった。
しかし、平安末期には、創価学会も日蓮正宗も日蓮も存在しなかったのだよ。はた迷惑極まりない。
大河ドラマを含め、現代日本で制作されるテレビドラマで、創価学会の会員がまったく出演してない
ドラマはいったいいくつあるのだろうかと。
大河ドラマ平清盛の再評価と名誉回復を要求する者が何人か集ってこのスレはなりたっているが、
まだしばらくのあいだ、このスレは機能停止しそうにない。書くべきことがまだまだありそうだ。 >>184
「NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 西郷隆盛 その伝説と実像」で講師をつとめられている
町田明広先生が、産経新聞に西郷本の書評を書かれていたのを発見しました。
【書評】西郷論を通じ日本の近代を読み解く 『未完の西郷隆盛 日本人はなぜ論じ続ける
のか』先崎彰容著 http://www.sankei.com/life/news/180225/lif1802250011-n1.html
先崎先生もまたNHKテレビで西郷論を論じられていた。異色ではあるが、悪くはない本だ。 >>173
> 現在の象徴天皇制では天皇は人であることが当たり前だけど
> 戦前の国語の読本に「神の御裔(みすえ)の天皇陛下」云々と あったわけで、異国の王と
> 天皇家を同一視されるのが 我慢ならないと思う人は現在においても一定数いるし
> ことさら「王家が〜」と強調される描かれ方について 疑問を呈する人がいるのも理解できる。
> あと日本は単一民族だからと言う方はアイヌや琉球民族を どう思っているのだろう。
揚げ足取りとも難癖とも感じなかったよ。むしろ、それは健全な感覚だ。
大河ドラマ平清盛をめぐって勃発した王家論争は、いま思えば、2つのベクトルが混合していた。
1つのベクトルは、神聖たるべき天「皇」をたんなる「王」とし評価を引き下げるのはけしからん、
という方向性。
もう1つのベクトルは、天皇といえども、ただの人だ。その「ただの人」の評価を、妙に引き上げたり
神格化するのはけしからん、という方向性だ。
極論すれば皇国史観と共和主義だ。ふだんは交わることなき2つのベクトルだが、時には交わる。
天皇制の再定義が行なわれる時代だ。そして西郷隆盛も平清盛も大きな再定義に関与した人物。
平清盛は「権力を持たない天皇」という制度の創始者として、西郷隆盛は「中央集権国家の中心
に据えられた天皇」という制度を創りあげた集団の代表者として。
王家論争は、日本中世史学で未解決の大命題、通称「網野善彦問題」とも無関係でいられない。
網野善彦問題の1問は「中世に権力を失っていった天皇が、なぜ日本では消滅しなかったのか?」
でした。そしてこの問いを解く鍵のひとつは、平清盛の生涯に潜んでいるはずだ。だから平清盛は
何度でも問い直され甦る。現代日本の政治制度にひそむ大きな謎、大きな闇に直結してしまうから。
査読論文の執筆経験者がこのスレに来てくれないかな。これ以上書けば恥をさらしてしまいそうだ。 誰も悪者にしない離婚話は良かったけど、最後の説明台詞はちょっと興醒め。
と思ったら、多くの人がそう感じた模様。
ツイに>一切の台詞がなく映像だけで事の顛末を視聴者に知らせた殿下乗合事件
とあったが、自分も「清盛は説明台詞だらけ」なる珍妙な批判に対する反証として、この場面をあげた。
また、前回の母との別れも良いシーンだったけれど、母子間の絆やその死が主人公に与える特別の意味
などを描かないまま、尺を取って視聴者の情緒に訴えるような作劇は、清盛にはなかった。
西郷親子の別れを、直情的で感動の押しつけと否定すべきではないが、清盛が「感動ポルノ」なら
大河に良くあるこの手の「親子、恋人の悲しい別れ」は何て呼ぶのだろう?とふと頭を過ぎった。 >>188
異国の王と同一視してないのにそう勘違いして批判するのは仕方ない、むしろ
健全な市民感覚だということ?
小生、言ってもないことを曲解して非難するのが健全とは思えませぬ。 王家問題は批判すればするほど気持ち悪いよ
皇室を批判したり、古代の残酷な天皇とかを描くこと許さんやると北朝鮮やイスラム国と変わらない思想の持ち主だと思うね ちゃんと見ればわかる場面をご丁寧に説明台詞で「解説」するのと、「解説」が必要な史実パートを説明台詞で繋げていくのとは異なる。
後者についても清盛は、ただ史実を語らせるのではなく、必ず一つのストーリーラインを組み立てていた
(既述した平治の乱後の政治パート部分など)。
しかし、史実の取り扱いについては、重要史実にスポットを当てたい場合に、そこから大胆な創作を引き出す手法を採ったことのほうが
遥かに重要で、説明台詞やナレでの進行以上に大河清盛の特徴を表している。
たとえば、保元の乱後の清盛についてまず着眼すべき史実は太宰大弐就任。これをナレや説明台詞で済ますようなことはせず、
信西政権の動向と原田氏支配を描きつつ、相撲節会というビッグイベントに絡めてドラマ化したのが「清盛の大一番」だ。
また、清盛の人生を前後に分かった大病・出家という単純な事実を、過去・現在・未来、意識と無意識、父母の記憶と生への意志
との間を往還しながらその意義を探求し、清盛の前半生を振り返りつつ後半生を展望した中間的総括回が「白河院の伝言回」である。
そこでは併せて、それぞれの思惑を抱えて息を呑むように病状を見守る周囲の複雑なリアクション(頼朝、東国武士にまで及ぶ)も描かれた。
さらに、「そこからの眺め」も、治承クーデターの歴史的意味を抉った創作である(実際、朝廷簒奪は清盛平家の劇的な没落を招来した)。
もう一つ、予備知識がないとわからない駄作(おんなネトウヨ)という場合、マクロな歴史の流れや政治の大状況を省略したまま、視点を狭い
範囲に固定したいわゆるホームドラマに終始する場合と、豊富な歴史情報を提供しながら、その歴史情報自体がふつうの視聴者にとっては
馴染みのない、それまで知らなかったという意味で「予備知識がないとわからない」場合とでは、これまた全然位相を異にする。
後者は残念ながら、視聴者がそれなりの努力をしてアクセスしないかぎり(この機会に学ぼう、新知識を吸収しようという意欲)、言い換えれば
ただ漫然とながら視聴するだけでは、永遠にわかるようにはならない。これを「予備知識がないとわからない」と批判するのは、丁寧に
これまで知られていない史実をドラマに取り込む営為を続けた制作陣を愚弄する難癖でしかない。 スクエアに要望のメール出したりしてるけど、なかなかBlu-ray再販かからないなあ。 Blu-ray以前持っていたが、遊ぶ金欲しさにヤフオクで売ってしまった
今度は永久保存するのでなんとか再販してくれ 若葉マークの質問ですまぬが
DVDとブルーレイとではそんなに画質違うのか?
ブルーレイレコーダーで録画したのと比べても円盤ブルーレイは優れてるのか?
お父さんお母さんそうじゃない人誰でもよーいから教えてくれなんしょ >>197もう遅い!!己は遊ぶ金欲しさなどつかの間の快楽、享楽、
目先の欲に目がくらみ、そなたはもう二度とは手に入らぬ一品を売ったのだ。 転生崇徳院と重盛のドラマ
パワハラで辞めて別機関に移ったキャラの生かし方(と、そもそもの設定の仕方)が実にうまい
よりによってパワハラの元凶であった崇徳院が最新機器を借りに行かざるを得なくなり、
巧まずして漫才みたいなやり取りが実現(そうなるようにきちんと仕込んでいるからだけど)
一連の伏線と言うか、サイドストーリーの組み込み方は参考になる ●見事に物語として成立しました。 普通、ドラマは主人公という大きな幹を支えるために、
脇キャラが様々な物語の矛盾を背負うことになり、「あんたさっきこう言ってたじゃない」
とツッコミたくなるようなことを言う時が多々あるのですが、このドラマは違いました。
●どの登場人物も全くブレず、きちんと物語として一本スジが通っているのです。
脚本家・藤本有紀おそるべしです。
(中略) おこがましいですが「平清盛」は物語的にも映像的にも非常に良くできています。
物語を深めるために考証や指導の先生方、スタッフも出演者も全身全霊、頑張りました。
●どこを切ってもドラマのエッセンスが感じられる作品だと思います。
今回の総集編は、ある視点で切り取った「平清盛」の一部です。このディスクをご覧いただいた後、
自分なりの総集編を想像していただくのも面白いのではないかと思います。
そっかー。6年ぶりぐらいで総集編見ないといかんねコレは。時代劇専門チャンネル。 後白河が一橋慶喜に転生したけどこのスレでは反応ないね >高貴な御方がその牙を研ぎつつ刹那的に遊んでいる崩れ感
後白河と慶喜との類似性から松田翔太が転生した(起用された)所以を述べたところ、
ツイで鋭利な表現↑を読んで唸ってしまい、もはや付け加えることがない。
そういう才能皆無ゆえ、本作の後白河をもう一度、長々とお浚いいたします。
【後白河】
・清盛と性格面で共通点があるのは、あるときは同盟者、別のときには最大の敵手となる後白河である。
棚橋光男は彼のことを「政争の修羅場において酷薄と謀略、行動において遍歴・漂泊と神出鬼没、
気質において癇癖と躁性、芸道精進において真摯と偏執、美意識において新奇とバロックを本領とした」
と形容している。とくに感情の起伏が激しく、目新しいものを好み、時の法令に拘束されない点は清盛と好一対である(考証高橋昌明)
・後白河はまるでゲームにでも熱中するかのように、政治を命がけの一種の知的遊戯に転換させた(加藤周一)
・好奇心から突然庶民の生活の場に現れては彼らを弄んだり人の気持ちを傷つけても何とも思わないアスペ(遠藤基郎)
・奥州後三年記の残虐な描写を見るとこれを描かせて嬉々としたという後白河の嗜虐性を痛感する(下向井龍彦)
★平清盛を真剣に視聴した者ならば、以上の記述が驚くべき精度で後白河の造型に反映されていたことを、直ちに認めるだろう。
●修羅場における酷薄:平治の乱で寵臣信頼を見捨ててトンズラして生き残り
●謀略:鹿ケ谷の陰謀での清盛との謀略合戦
●神出鬼没・突然思い立ち下賤と交わった青墓巡礼
●癇癖と躁性:( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \、双六叩きつけ、ゾクゾクするわー、黙っておれ!
●芸道:偏執狂的な今様狂い、真摯な執念で実らせた今に残る梁塵秘抄編纂
●新奇・好奇心:清盛と共通する宋趣味→孤立した宿敵清盛の宋外交を支援(時の法令=先例第一の上級貴族を抑える)
●バロック:成人式で白拍子ダンシングをセルフコーディネート、鐘太鼓を乱打する悪僧を引き連れて二条の弔問に訪れる
●庶民に接する:上記青墓、悪所に出入りして博打に興じ身ぐるみ剥がされる
●知的ゲーム:双六遊び!(重盛を賭けの対象、鹿ケ谷での駆け引き)
●人の心を弄び傷つけるアスペ:九の宮誕生祝賀に乱入してぶっちゃけトークで母を泣かせ父を困惑させその場をぶち壊す、
保元の乱戦勝記念嫌がらせパーティー
●嗜虐性:凹む清盛へ追い打ちをかける嫌がらせ、瀕死の重盛嬲り殺し
これらに加えて迷信嫌いも清盛と共有した→滋子巻毛を何ら変とは思わず寵愛(清盛は発想の転換を求めた〜和歌もどき回でも見られた「逆転の清盛」)。
さらにドラマで強調されたのが孤独でピュアな後白河像(要らぬ皇子、グレる皇子→乙前@青墓の遊びをせんやの歌で再生し帝位を欲するに至る、
滋子への純愛)。
未来のゴッドマザー時子が、その片鱗を見せつつも棟梁の妻らしく平時は清盛の背後に退いていたのと似て、
未来の日本一の大天狗後白河についても、前段階における清盛との拮抗に力点をおきラスボス感は控えめにしていたのが本作の特徴である
(アスペ独特の異常な勘や鋭い洞察力、状況コントロール能力は存分に見せた)。
源平合戦一歩手前の院政期を主要舞台とする平清盛に首尾一貫した、人物造形(配役も)に対する力点の置き方といえよう。
★ヒー様慶喜もゴッシー(50の婆によれば漫画キャラクター!w)目指してガンガレ! 総集編やっとこさ久々見たんだけど、50話熟視した者にはやっぱ物足りない。
ただ、超圧縮を余儀なくされた結果、多元実況的な群像劇や精巧な「伏線回収」によるカタルシス
(本作最大の特質にして魅力)といった要素をほぼ放棄しながらも、主人公清盛の物語という観点からは、
一本筋が通った編集となっている(また出して悪いが、新平家総集編は一つのストーリーにすらなっていない)。
総集編で初めて接した人は全編を見たくなる、そういうモチベーションを喚起するのが編集方針なのだろう。 この作の為朝って何で兜を被っていなかったのかな。
烏帽子に頬当てという雑兵然とした姿。
騎射が得意、大将格のくせして大鎧を着込まず、やはり雑魚のように見える貧乏臭い袖のない胴丸。
騎射しない格好なのに何故か行縢を履いている。
左腕にはまるで廃屋から剥がしてきたような変な木盾。
珍妙無類。 清盛、後白河、頼朝のような主要人物については、資料や学説を咀嚼しながら歴史上の彼らに迫ろうとする表現意欲がまずあって、
そこにドラマならではのデフォルメを加えていく造型手法をとっていた。
対する為朝は、大合戦からは程遠い保元の戦をピンポイントで盛り上げる(数少ない)エンタメ要員に位置づけられていた。
つまり、本作の為朝は歴史上の為朝というより、軍記物が誇張する強弓無双の伝説的人物像を正面から掲げた物語の中の為朝である。
それゆえ、史実の為朝はその時たかだか17歳の若者にすぎなくとも(鎮西で鳥羽の荘園を荒らす悪ガキだったことは史実)、
ドラマの為朝は、風貌からして辺りを睥睨威圧し、その名を聞くや皆がビビるような強面の「大人」が相応しい。
40代の橋本さとし氏は、ガンダム風の人物デザインと相まってこの超人為朝のイメージにまさにピッタリで、
キャスティングした磯Pの選択眼がここでも冴えまくった。
フレッシュな10代の若者為朝には若手を起用する・・・役者選びはそんな単純な当て嵌めだけでは決まらない格好の素材だろう
(理由は異なるが〜基房と対比された沈着冷静な性格&若手中心となった後半にベテランを配してバランスをとる
〜まだ若い兼実に50の相島氏を起用したことも同様)。 つまんねーんだよ、人の書いたことに無内容なケチつけるだけじゃ。
為朝はくだらなかった所以をちっとは書けや。
保元の乱の主たる魅力は、そこに至る各セクションのプロセス描写が分厚かったこと、
及び悲惨な戦後処理を感動的な人間ドラマへと昇華したことにある。
本戦については、「平安の戦」の有り様を的確に描いたことを指摘した上で、客観的な勝敗要因
(最終段階まで日和った清盛がついに後白河方についた)を、孫子解釈(夜討ちの可否)を通じた
両指揮官の頭脳戦に置き換えるドラマチックなアレンジが卓越していたと述べた。
そして、それほど力点が置かれたわけではない戦闘描写の劇性をほぼ一手に引き受け、
その醍醐味を伝えたのが、あたかも軍記物から飛び出してきたかの如き為朝なのである。
このような為朝の位置づけ、配役、外貌含めたキャラデザインが無かったら、保元の乱は
それこそ「ショボい」ものに終わっていただろう。その意味で為朝の貢献は大きかった。 >>216
それ、前に書いてたでしょ。
お爺ちゃん。 じじいでも何でも良いけどさ、何度言ってもわからんちんのババアたちには、
何度も繰り返す必要を痛感する。
で、それに対してはダンマリ。結局、為朝どうだったの?w
ところで、先程からおんなネトウヨのアイドルことゴザ氏の陰謀論ぶった斬り本を読み始めた
(「陰謀の中世日本史」角川新書)。
1章が保元平治の乱、2章が鹿ヶ谷の陰謀、治承クーデター、以仁の乱。
オーソドックスな手法ながら冴えた論述で面白い。一気に2章まで読んでしまった。
改めてドラマ性のみならず史実の扱いについても(準拠した通説的枠組み。新説への応接。
史実をどうドラマでアレンジしたかなど)、平清盛はよーく出来た大河だと実感した次第。
ただ、何も前提知識がないとついていけない人が出てきそうなかなり難しい本なので、
ドラマと往き来しながら読むのがおすすめ。本書の記述と対応するシーンをあちこちで
発見することが出来て、大河清盛を観る楽しみが増すこと間違いなし。
ということで、リンクの鬼ー藤本女史に習い、本とドラマ双方を同時宣伝しましたです。 >>218
何でそう喧嘩腰なんですかねぇ。
為朝の格好に疑問を呈されたのがそんなに腹立たしかったのか…。
つーか、Twitter慣れしているのかどうか知らないが、長文さんはアンカー付けないから誰に対して言っているのか分からないや。 いやいやおたくの為朝評価を読みたいだけだよ。ぶっちゃけ清盛おばさんたちの礼賛含めて、
また右左問わずツイッターなるものは苦手。放送当時は何も知らずまったくチェックしてなかったのに、
このスレでチラッとサジェストされて見たら驚愕。2ちゃんを牛耳り清盛攻撃に励む尖兵たちだった
(ゆうじんあん、リテラシー他著名ブロガーが中核構成員であること言うまでもない)。
それ以来、見たくないものを見せられる毎日だよw
しかし、折しもこのタイミングで出たおんなネトウヨのこれ凄いね↓w
>【折しも森友問題という陰謀論】が湧き出る格好の土壌が出現した状況で計ったかの如く陰謀本が出る ここでも森友やるのか。
突っ込めば野党にブーメランなのに、もうウンザリだ。
陰謀とかよく分からん。
バロックとかガンダム風の人物とかもっと意味が分かんないや。
何かのムックとかに書いてあったっけ? アベサポの創価公明が何やら自分らは無罪みたいにほざいとる 絶賛以外のコメントに一々喧嘩腰になるのは狂信者とも
思ったが、前のレスにあったように中の人とすれば、
自分の作品または演出を批判されたということで納得できるな >>223
確かに。
思い出したが、忠正の衣服とかもおかしなところが散見された。 藤本由紀ってフジの「鬼の棲家」の脚本がスタートだったのか。
深田恭子と藤木直人を持ってきたのはその時の縁があったからかな?
鬼の棲家では、実らぬ恋の相手同士だったが、悲恋ではなかった。 バロックは棚橋光男(故人)が著書で後白河を称した表現。
考証高橋に大きな影響を与え、したがって本作の後白河像にしっかりと反映されている。
為朝ガンダムはみんなそう言って喜んでた(批判してた)だろう。2ちゃんでも。
こういう「コスプレ」に当時の衣装考証を厳格に求めても始まらない。
例えば、風林火山のガクトのアレについて、「戦国ではない」「そんなことも知らない作り手がー」
とやり始めるのか?作り手がそうと知りながら意図的にデフォルメしたデザインに対してさ。
為朝も謙信と同じ。超人為朝を視覚化するためのデザインを「史実と違う」とドヤしたところで、
「んなもん当たり前でしょ」といなされるだけだ。
上のレスで「為朝は史実の為朝ではなく軍記物に描かれた伝説の為朝を意図的に選択した」
と力説しているのに、史実がーではこちとら脱力してしまいますわ。
そして、そういった(外観上の)デフォルメを施した最たる例が、他ならぬ高平太青年清盛。
京の「汚さ」が「リアル」を追求したとすれば、汚い清盛は「リアル」を放棄して、
「体制への反逆者」清盛を、身なりという代表的なコードによって表現したものである。
まあ、「中の人」でもないワタクシが、中の人たちの意図を「忖度」して魅力なり弁明なりを
発信した結果、中の人に「変身」してしまったのは、なかなか面白い現象ではありますがね。
しかし、一番言いたかったことは、保元の乱全体を見渡した場合の為朝の位置づけと、それに基づく
キャラデザインそして俳優起用であったのに、相変わらず「滋子が巻毛のわけないじゃないの無知がー」
「太平御覧は大部なのに2、3冊しかなかった無能めー(実はその通りで赤っ恥)」といった類いの
パブロフの犬的条件反射しかしないんだな、ババアたち。今度は忠正でっか。 ガンダムがどうってのは寡聞にして知らないな。
長文さんが初めて使い出したんじゃないかね。実況してたの?
何がどうガンダムだと長文さんが思ったのか、ガンダムにもいろいろあるので教えて欲しい。 えっ?
実は俺、ガンダムって知らないことはなかったけどすぐイメージはできなんだ。
アムロとかいう彼の話だよね。
そんでモビルスーツというのを思い出して、あっアレのことかと合点した。
やっぱ記憶に素直である限り、2ちゃんやブログで読んで合点した渾名だな。
>ガンダム為朝 まあガンダムネタは当時の実況に参加してないとわからんかもな 為朝回リアルで見ていたが、橋本さとしが下駄履かされて周りに比べて歩き方が鈍重になったとしか思わなかったな。張り子やんけ。
動いてないスチールなら何とか様になっていたけど。
どこをどう回せばガンダムになるのか、よく分からんね。
長文の人らが実況で流行らせようとしていたのか?
ま、でかくて黒っぽいから、敢えていうならサイコガンダムか。なんだかなぁ。 何で俺が流行らしたことになるんだよw
言われてみればモビルスーツみたいですねってだけで、他に似ているのがあれば
そちらの渾名でもぜんぜん構わない。
見たただけでビビってしまう強弓無双の為朝であれば、誰を何をモデルにしようと
重要な問題ではないのだよ。
そんなに拘るのなら、「為朝のモデルはいない」ということにしましょw バロックは、絵画彫刻建築音楽など主要な芸術領域を包括する一大時代思潮。
拙者には説明能力はないが(高階秀爾先生の「バロックの光と闇」が講談社学術文庫から出た)、
大河清盛的には「演劇的効果を狙った」、あるいは卑俗な言い方をすれば「受け狙い」
ぐらいに捉えておけば良い。
白拍子ダンサーズを雇って成人式を平安版パンクロックコンサートに変えてしまったアレとか、
悪僧を引き連れ鳴り物入りで息子二条の弔問に闖入したアレとか、実に怪しからんことに
ゴッシーは、粛々と行われるべきマジメな儀式を「祝典化」することを《狙っていた》でしょ。
(バロックとは「歪んだ真珠」のこと。古典的均整を破壊し部分を誇張し仰々しい劇的空間に変える)
しかしまあ、トンデモ極まれりのゴッシーさんでありました。
これと比べれば、ヒー様はまだまだ十分フツウの人ですわw DVD買って久しぶりに観てるけど、やっぱり面白い。白河法皇も1話で見て印象だと凄い悪に見えるけど、若い頃から藤原摂関家を抑える為に院政など改革を行い頂点に上りきったからこそのあの姿だったと思うと感慨深いし、後半の清盛が1話の白河法皇に返っていくんだな。
まぁ清盛は頼朝によって再び光を見つけたけど、白河法皇も実は若き清盛によって光を見つけたのではと考える。2話の最後に清盛に声をかけた時の感じがそうだったのかと思ってしまう。 宗盛が加山雄三役でテレ朝の越路吹雪物語に。
上手だった。
ボンボン役ははまるねえ。 流罪とは名ばかり
配流先の出雲で年増のヨドの尻を追っかけてた時忠どの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています