【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
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【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179(c)2ch.net
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1500223754/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 為朝は歴史上の為朝から出発するのではなく、軍記物で脚色された強弓無双の為朝を
いっそう派手にアレンジしたもので、清盛では珍しく史実から離れたキャラ造型手法を採った人物だ。
保元の乱時まだ10代であった為朝に、当時40代半ばの橋本さとし氏が起用されたのも、
そもそも本作の為朝は「伝説上の為朝」であったから。青年役者ではとてもあのド迫力は
出せなかっただろう。橋本為朝は、青年を中年が無理して演じるよくあるケースとは異なる。
また、いきなり保元の乱で無双するのではなく、鳥羽荘園を掠め取る鎮西八郎から出発したのは、
いかにも清盛らしいダンドリと言えるが、この場面は源氏の内部事情を知る上でも効果的だった。
為朝が鳥羽の荘園を荒らした責任を取らされて、ただでさえ落ち目の父為義は右衛門尉を解官される憂き目に。
いよいよ為義は摂関家に従属するしかなくなった(どんなに屈辱的でも「地を這ってまでも生きてみせる」宣言)。
一方、嫡男義朝は、鳥羽の信を得て院の近臣となり頭角を現しつつあった(スマートに世の流れに乗っかりましょうよ)。
このように、源氏親子の骨肉の争いの背景には、源氏の生き残り、再上昇の方策をめぐる両者の「路線対立」
が控えていたことがわかるだろう。2人の争いを、単に感情的な軋轢ー親子喧嘩の次元で捉えるだけでは不十分である。
キャラ的には大いに盛った数少ないエンタメ要員に使われた為義だが、知られた僅かな史実を拾い上げて、
この時期の源氏の核心描写に生かした手腕は見事。
なお、アナウンス無しの退場も為朝にはベスト。その後の為朝英雄流転譚を見たい向きは、
椿説弓張月のドラマ化を要望されたい。 エンタメ要員に使われた為義→為朝
平氏大河だというのに、この時期(為義&義朝期)の源氏について、かくも充実した描写がなされた時代劇はおそらく絶無。
さらに、落ちぶれた「京のシティボーイ」から再開した流人頼朝の位置づけも、史実そのものとは言えないながら
卓越していた。
この制作陣で杏主演「北条政子」が見たい、との切なる声が終了後澎湃したのも至極当然だろう。 >>762
幇間もここまでくれば立派というかほめ殺しというか。
杏の北条政子なんて、いま初めて聞いたわ。知らんかった。 政子を頼朝流人時代から始めるとして、大河清盛と同じ設定と役者というのは考えにくく、
杏主演政子は願望の域を出ない。いわばお遊び。
しかし、この京のシティーボーイ頼朝vs伊豆のカントリーガール政子を対比する視点を抜きに、
一から政子像を組み立てるのは至難の技だろう。オノマチで「草燃ゆる」を更新してもらいたいのだが・・・
これに限らず、今後源平大河をやる場合には、大河清盛が成し遂げた数々の達成が大きな壁となって
立ち塞がることになる(一つサブな例を挙げれば、従来の設定を刷新した弁慶。何故に義経に殉じる弁慶が誕生したのか、
これ以上、説得的な設定を思いつくことができない〜為義時代からの縁。今後、またぞろ従来まんまの弁慶をやっても
白けてしまう)。
結論:「世紀の駄作平清盛」を抹殺すべく、新平家をリメイクせよとか、ミタニンスゲーさんでさんで作り直しとか、
あれこれ幻想をもたないほうがヨロシ。いろいろ比較されて、惨めな思いをすることになるだけだ。 >>763
6年前にリアルタイムで見てた?
そうでないなら初めて知ったとかワケわからんケチを付けるのはやめような 知らんな。
杏主演で北条政子が見たいとか。
おんな太閤記みたくなるのかね。 北条政子主役大河作るなら原作は桜田晋也氏の尼将軍北条政子希望。
タイトルから女傑かホワイト政子視点かと思ったら、超ブラック悪女
で筆誅を加えている作品だった、たまにはこういう大河もよいのでは。 その本は知らないが、そうは言っても、生まれた時から政子が悪女のはずがなかろう。
大河清盛は、少女期政子の一つのモデルを提供したということね。
(頼朝との対比に加えて、京の「文学少女」時子との対比も重要ーvs野駆けし猪を背負う野生児政子)
後に頼家をぶっ殺すなど、源氏将軍家簒奪に走るワルの時政も同じ。出発点は、エンケン時政のような
田舎豪族にして人の良い「野菜おじさん」だったかもしれないわけで。
さらに言えば、清盛についても同様。どこから「清盛は初めてからブラックだった」とか、
本作のような清盛は「奇を衒ったデタラメ」なんて戯言が出てくるのやら、もうため息・・・ 生まれた時から政子が悪女のはずがなかろう。
って誰もそんなこと言ってないんだが、むしろ赤子の頃からブラックな
人間がいたらお目にかかりたいくらいだし、ただ政子主役大河の
話題になっていたので希望の作品挙げただけで清盛大河についてどうこう言ってる
わけでもありやせん、文庫本4冊で簡単に手に入る本で小説形態だが、
資料もふんだんに引用していて史実中の方も楽しめるいい本だと思いますので
一度読まれるのもよいかと。 いやいや貴殿への批判では断じてあらず、スンマセン。
徐々に悪女化していく政子殿、魅力的ですよ。 >>769>>771
このスレでも大河ドラマ北条政子制作計画の支持者がだんだんふえてきて、ちょっとうれしい。
NHKはじっくりと構想を練って、すべての日本国民にたいしてこの「物語」を問えばよかろう。
時間はたっぷりあるさ。
たしかに北条政子さんには、現代語でいいかえれば「鬼嫁」の側面がある。ブラックでもあり、
清濁併せ呑むというか、多様な評価の仕方がありうるドラゴンレディーの辣腕政治家。
もし仮に北条政子さんと結婚したら、私は10年後に生きている自信がない。こわい人です。
尼将軍政子を描いた小説は、ほかにも伊東潤の「修羅の都」がある。もうすこし続編を書き継ぐ
予定らしいが、とにかく北条政子の波瀾万丈の生涯はおもしろい。現代にこんな女性はいない。
https://itojun.corkagency.com/works/shuranomiyako/ いや、北条政子よりは木曾義仲主人公の作品を期待したいな。 自作について、ボロクソ叩かれたオンエア時もそれ以降も、一切言い訳しない藤本女史の姿勢は清々しい。
今の朝ドラは知らんけど、トランプじゃあるまいし、ツイッターでペラペラ「次は神回」だの発信する脚本家は何なんだろ?
しかも、このような姿勢を清盛を罵倒した連中が、いつものように(中味込みで)仲良く横並びで絶賛している不思議。
意図や背景をペラペラ喋る森下や、批判されればムキになって弁明するどころか、ちゃっかり後付けで作劇してドヤーする
(何とか官兵衛)三谷の姿勢を批判した俺としては、朝ドラ界の騒動は、中味以前に理解の域を超えている。
しかし、あちらの世界におけるヲタvsアンチの仁義なき戦いって大河どころの話じゃないのね、桑原桑原w 言い訳する必要がないからな。
作品に力があれば、きっとそのうち真価が伝わる。
実際、それが大河清盛のイマココだw 視聴率で10ポイントほど差がつけられたのが余程悔しいんだね >>782 武蔵、シエ、花燃ゆにもファンがそれぞれいるんだから、ディスるのは
やめようよ >>784
運営「一言レス」のお前かよ>>778。ちょっと不用意ではないの?w
>>783
まったくその通りだ。
おたくが清盛をその3作と並び立つ作品と考えてるのかどうかは存じ上げぬが。 >>785御戯れを、平成大河随一いや、歴代大河随一の神大河とはどの作品の事か
、お手前すなわち長文殿(人違いだったらスマン)はすでにご存じのはず ドキュメンタリーや教養番組、果ては他局のバラエティでさんざん援護射撃されての低視聴率。
分かりにくい独り善がり脚本。
言い訳の仕様がない。 >>787
どこまでも福々しげで憎々しげなお方じゃ >>788
独り善がりではなく独創的。
分かりにくいではなく、(見る側が積極的にアクセスすれば)論理的で明晰そのもの。
なお、マスコミからの線香花火のような援護射撃はあったにせよ、それを圧倒する
ネガキャンに見舞われたのが大河清盛。まーた何を真逆のことを喚いているのやら。 再掲
>大河清盛は脚本と映像のクオリティーが高すぎて一般視聴者を逃した(大根仁)
なお、最初から最後までオツムをショートさせながら、オツム悪そーな難癖をつけるためだけに
完走したお前らは「一般視聴者」には入らない、念のため。
もちろん、視聴率を弄んで1年中ネガキャン張ったマスコミ(2ちゃん含む)によって、「負のスパイラル」に
陥ってしまったことが、馴染みのない院政期という時代、ややこしく理屈っぽい内容、
全50話のストーリーがタテヨコ緊密に連結されており、見る側が頭と目を使って相互の連関を
考えつつ見ないと真価が分かりずらい(長期にわたり常に緊張を強いるのはエンタメ時代劇にそぐわない)
といった内容以前に、大きなダメージを与えた。
★ボンヤリと見てるだけでは分からないからと言って、その作品が「分かりにくい」「独り善がり」とはならない。
そんなこと言い始めたら、小説にしても映画にしても、ヘビーなものの多くは(何も前衛作品、実験作品でなくても)、
「分かりにくい」「独り善がり」となってしまう。
もちろん、清盛は前衛を気取ったのではなく、範疇としてはあくまでもエンタメ時代劇。
しかし、平安末期の時代相とそこに生きた人々の生き様に迫ろうとする表現意欲が半端なく、そのための表現手法である
脚本、演出、映像、美術、音楽も軒並み凝ったものになったことで、敷居がずいぶん高くなってしまった。
日曜8時に家族揃って楽しむのが大河の理想的な姿だとしたら、大河清盛は異端児だったというしかない。 >>788
視聴率しか取り柄がないドラマはつらいね そうそう本当に敷居が高いです。
ハイクオリティなのは確かですが、平家物語の大方のあらすじ、登場人物の関係を知ってても
わかりやすいとは言いがたい、一言であらわせば独善脚本です。
多数の人が見る前提の、NHKの看板国民的番組でする内容ではないでしょう。
NHKとしては視聴率低くても、カルト的ファンがついていろいろ売れた方がいいのかもしれませんが。 どこが独善なんだ?と聞いても、まただんまりのババアですか?是非具体的に難詰してもらいたいね。
もう一度強調しておきたいのは、清盛は史実展開に基盤を置く、歴史情報が満載された生真面目な大河であったが、
その真骨頂は、そのような歴史展開を通じて(ただエピを時系列で並べるのではなく)、一個の物語が成立していた。
そしてこの物語性は、脚本家の作家性を如実に反映した壮大な一つのフィクションだったということだ。
一見、著名エピまんまの頼朝助命で示されたロジックや、挙兵による清盛再生、さらに4話で忠盛が提唱し、
超ロングスパンで展開された「武士の総体vs貴族、この展望が開けた後に決着をつけるべき平氏vs源氏」のドグマ、
などが典型的。さらに最高に強烈だったのが、白河の血の再帰ー「ここはわしの世じゃー」。
「分かりにくい」「独善的」というのは、たぶんこの物語性=作家性に対する反感なのだろう。
逆に言えば、これほどドラマチックな作家性を放つ大河はほとんどない
(三谷や森下はこのタイプなので、同じくアンチの反感と共にフリークたちを生み出す)。
昔は良かったーたちは、往々にして大河に「物語」を持ち込むことに異常な反感を示す人々であり、下手をすると
「史実だけを淡々」とやっていれば満足してしまう人種だ(ところが、その大河の荒唐無稽な虚構部分に対しては、
見て見ぬ振りどころか何の疑問も持たないオメデタイ人々。もっとも昔は良かったーの多くは、不思議なことに
三谷礼賛で「団結」したー清盛は史実に無頓着で歴史に敬意を払わないいい加減な大河だったが、真田は
「史実に真摯に向き合い、ギリギリのところで折り合いをつけた」奇跡の大河なんだそうだ)。
つまるところ、大河清盛問題は、「客観的であるべき大河」に、「脚本家が主観的に思い描いた一個のストーリー」
を認めるべきか否かの問題でもあり、この点においても清盛は問題提供型・論争惹起型大河であった
(本当に客観的な大河は、ドラマである以上存在しないし、あったらそれはドラマでない)。 数字が証明している。
結果に向き合うのを執拗に避けて何とする。
例えば、金田淳子みたいな一部のオタに受けたところで仕方ない。 そりゃ、平家と源氏と王家と摂関家の「家ドラマ」だわな。
ただし、それらは歴史描写と常に直結しており、各セクション間の相互関係と相互作用の総体が
平安末期のダイナミックな体制変動を生み出していた点で、稀に見る分厚い歴史ドラマであった。
一見、平氏(平家)内部の揉め事にすぎないような話でも、歴史的視点からその重要性が判断され
選択された出来事だったのだ。
その意味で、新平家の改竄は、逆に平家のホームドラマをつまらくしてしまった点で大いに疑問。
【参照】
家盛を消し去り、経盛が次男で、しかも清盛共々祇園女御腹で、次世代の重盛はななんと時子腹。
これでよくもまあ「平家のホームドラマ」ができましたね。
これでは、棟梁の座をめぐる正妻の子家盛と清盛との確執と争い、さらに、上昇した平家一門〜源氏と異なり
仲が良かったとされる「一蓮托生」の平家にあって、見逃すことのできない対立軸をなした
時子(時忠)&宗盛vs重盛(明子腹)が繰り広げた水面下での葛藤など描きようがありません。
これらは、平安末期の主要アクターである平家の内部問題が、歴史に作用した重要な一コマであって、
単に平家のホームドラマにとどまるものではありません
(家盛が早逝しなければ清盛は歴史の舞台に登場しなかった、あるいは保元の乱で真っ二つに割れたかもしれず、
また、重盛孤立化は政界の勢力地図に与える影響大)。
また、歴史パートへの洞察ともなれば、例えば祇園社事件にしても、忠盛、信西の位置づけにしても、
もう話にならなくて戸惑ってしまうほどです。 【社会に衝撃を与えた清盛の涜神行為がもった意義】
・清盛棟梁の座ピンチ(+家盛の台頭←頼長との男色をリンク=政治的コネクション形成手段としての男色)
・合理的精神=迷信嫌い(「あんなものはただの箱じゃ」)〜経ヶ島人柱否定伝説、「匡すべきは巻毛ではなく、
巻毛を醜いとする古よりの偏見だ」、宋人謁見に対する開かれた態度→交易国家構想、などに通底する清盛の根本精神。
・諮問会議紛糾→平氏処遇への態度(体制への包摂如何)から朝廷は次第に二つの勢力へと分かれていく(byナレ朝)。
〜とりわけ信西の現実主義vs頼長の復古主義→保元の乱の対立図式
・治天鳥羽が有した「罪刑専断性」=院政の恣意性〜諮問会議を踏まえつつも最後は治天の胸先三寸。
→結局、軽い罰金刑で清盛は事なきを得たが、「平氏の武力と財力が必要だがら」といった身も蓋もない理由で片づけず、
この部分を心理劇風に掘り下げたのが、かのエア矢のシーン(平氏が欠かせないことは諮問会議で親平家公卿家成が代弁)。
・清盛=旧体制への挑戦者、そして未来の破壊者(ドラマ的解釈を付加。これが最重要ゆえの「エア矢」創作だろう)。
鳥羽「そちこそが神輿を射抜いた矢そのもの。白河院が・・朕が乱した世に報いられた一本の鋭き矢じゃ」。
すなわち、神輿を射抜いた清盛は、自ら矢となって旧貴族体制のど真ん中にいる治天鳥羽を射抜いたのだった。
→実に三十数年後、弁慶の記憶に運ばれて飛んでいった鳥羽エア矢は、不信を強めていた頼朝in鎌倉に突き刺さった。
→朝廷という強固な岩盤を穿つドリル(内部に食い込んで貴族体制を弱体化。ついに「武力による」朝廷簒奪=治承クーデター)。
これこそが清盛が果たした歴史的意義であり、ここで清盛のレゾンデートルを再確認した伊豆のフリーライダー頼朝は、
清盛へのリスペクトを新たにして自ら京へ向けてエア矢=果たし状を放った。
→遂に源平合戦本戦ラウンド、源平棟梁間が雌雄を決する最終タイマン対決の時が来た・・・が、その矢先に清盛は熱病に斃れてしまった。
さんざせせら笑われた清盛の「エア矢」を見た後に、何ひと〜つこの大事件の意味を捉えておらず、驚くほど明後日の方角を向いた
新平家の祇園社事件を見て比べるのは、正直辛いものがあります。
(山法師とチャンバラ→民衆が石飛礫でピンチの清盛を救う→忠盛父さんが到着→あんな気弱なホームパパでしたが
兵をだして道を塞いでくれたのでした→お父さんありがとう!)
★ホームドラマとは、このように歴史事象が「家族の話」に矮小化されてしまうような作劇手法を言うのだろう。
ほとんどの大河がこの意味でホームドラマなのだが(例えば最重厚とされる武田信玄ですら、中身の多くは
重苦しい家族の葛藤。独眼竜に至っては作り手自身が「戦国ホームドラマです」と述べており、矮小化とは言わぬが、
歴史をトータルに捉える姿勢は希薄だった)。
しかし、平清盛は大いに違った。「利家とまつ」のような「夫婦もの」とは根本的なコンセプトが異なり、
平安末期の時代相、激動する体制変動の様相、そこにいきた人々の生々しい息遣いに、トータルで肉薄した「歴史劇」であった。 渡鬼的に何代にも時代を重ねるホームドラマだったんだな。
清盛って。 松ケンは結構なマイホームパパらしいが、清盛殿は育児にも教育にもあんま熱心じゃなかったなー
(ただし、文系経盛を家庭教師に、自らは下手で苦労した和歌や舞を仕込んだのは、「王朝文化」の体現者
=政治のリーダーというテーゼからは重要。これも清盛らしい将来を見据えた戦術眼だろう。
なお、お勉強の先生は盛国、武の指南役は忠清)。これらに関しては、大枠の方針はあっても、
基本は全部、妻や部下にお任せだったね。家事なんてもっての外(当たり前だろ!時子の役割だ)。
そして、やれ清三郎ムネくんの躾がなってない、品揃えが足りず宴会を台無しにしたと、時子さんに
「明子ならこんなヘマせんぞバーカ」と「言ってはいけない」暴言を吐いて辛く当たり、周りの空気を
凍りつかせもした(さすがに言った途端にヤバイと反省→ここで「和歌もどき作戦」を閃いたw)。
こうして見ると、清盛はパパとしてもダンナとしても優秀な男とは言い難いわね。よく言われる
「清盛を超える息子が一人も出なかった」ことが、主体面から見た場合の平家滅亡の一要因だとしたら、
それは清盛の自業自得なのかも知れない(教育面からは、どう見ても忠盛パパの方が優秀)。
ということで、全然現代人向け主人公でなくてスンマセン(>人<;) 自分は体制からの「はみ出し者」だったのに(忠盛はツッパリ清盛を、「さようか好きにせよ」と突き放しつつ、広い世界へ飛び出していく息子を伸ばした)、
息子たちを体制に順応したナイスガイばかりに育ててしまったのは、皮肉な巡りあわせという他ない。
(彼らは、平家が頂点を極め栄華を誇っても決して「奢れる平家」風の公達ではなく、為政者となった自らに対する強い責任感をもち合わせていた
〜外部に対して唯一そのような態度を見せた宗盛も(木下強奪)、驕りというよりコンプと野心との間で揺れる内面の苦しみを発散したもの)
もっとも、これは、王朝文化を担える教養を身につけ、朝廷簒奪によって武士の世への道筋をつける―この清盛の戦略からは致し方ないところ。
とりわけ、ドラマでは、文武両道の賢人重盛について、その人格的な素晴らしさとともに、清濁併せ呑む破天荒型の清盛とは対照的な
四角四面の優等生ぶり〜それは同時に、政治的矮小さ(小物めがby成親)と限界を意味した〜が強調された。
ドラマで見られた「破天荒な清盛と小さく纏まった息子たちとのギャップ」は、平家政権の過渡期性(一門を体制内化することによって体制を中から武家政権化する)を
端的に表現する興味深いパラドックスだろう。ここでも平家の「ホームドラマ」は、平家政権の性格そして没落という「大きな歴史」へと連なる広がりをもっていた。 東大寺炎上させてドヤ顔の重衡も体制順応ナイスガイと言えるでしょうかね >>812
清盛平家によって確立された新朝廷秩序(平氏系新王朝)に反逆する不埒な逆徒、それが南都の坊主たちの反乱だ。
重衡くん的には、南都の坊主どもの反乱は、
「偉大な清盛父さんによって再編された厳島中心の宗教秩序(平家的にはこちらが正統)に対する許しがたい挑戦」だったのだよ。
「われらが焼いたは仏にあらず。仏を楯に狼藉を働く不埒者どもにござります。これをおさえられるはわれら平家のみ」
つまり、「父上やりましたー!」とKY報告した重衡の主観では、自らがやったことは護法でり体制擁護であり、体制破壊ではない。
既に、彼らは簒奪した体制のど真ん中にいる存在であったことに気づくべきだ。これも形を変えた体制順応の現れだろう。 どちらかというと、「故意犯」説の方が今では有力だと思われ。
いずれにせよ、「父上最強ー!」と信じて疑わないドラマの重衡の話。
辻本重衡のノリも、十分「未必の故意」が認められそうだ(容易に予見できる事態について、
最悪の結果(大仏ほか焼亡)を回避すべく努めた形跡がなく、イケイケどんどん)。 清盛の息子たちを優等生に育てるのはある意味仕方ない
江戸幕府でも乱世の世ではなく幕府としての基盤を作った後の将軍と初代の家康では全く違う役割だし
ただ、誤算は
平家政権がそこまで盤石な体制にまだ移行していなかったということじゃね?
後白河鳳凰との姻戚関係に作用される権力構造や源氏勢力の残党の力など不安要素が多すぎた
ゆくゆくは優等生も必要だけど、それはもっと盤石な平家政権を使った後に必要な人材だったんだろうな 崇徳院が出てる今期のドラマが苦戦しているらしい。どうも内容が重過ぎるからだという。
しかし平清盛の第1話〜第3話も相当重い内容だったよなあ
・やりたい放題の白河院
・サイコたまこと何もできない堀河
・放置される鳥羽院
・平太こと清盛が暴走するたびに庇いピリピリする平氏一門
・報われない滝次と鱸丸
ざっと思い出せるだけでもこんなに重い要素がてんこ盛り
それでも当時17%台だったのは大河ブランドか時間帯がよかったのか 時政役のエンケンは清盛のことはあまりよく覚えてないらしい
後半結構出ていたような気もするんだが エンケン「真田丸のことはよく覚えてます」
これにはワロタ
黒歴史だから思い出したくなかったんだな >清盛はそんなにおぼえてないエンケンさん。
>でしょーねー
さっそく飛びついたウヨ婆さん安心しろ。あの調子じゃ6年もたてば、ウルウルブルブル震えながら
「真田信繁日ノ本一の兵なりー」とやったことも忘れるよw
しっかし、今度はエンケンに縋って「清盛のキャラはうっすい」だとさ。
思えば、田舎の野菜おじさんから始まった時政も良い味出してた。
キャラの多彩さは特筆もので、4番手レベルに至るまで濃いキャラが目白押しだった。
たとえば、藤本隆宏が演じた作兵衛は、何故信繁に殉じたのか説明不足のままラストでいきなり活躍したが、
清盛の忠清はそんなぞんざいな扱いはされなかった。
初めは脳筋系の侍大将、しかし、次第に貴族化する平家から取り残される悲哀を味わう。
公達たちから自らが時代遅れとなった現実を思い知らされ、白髪がすっかり増えた老兵忠清であったが、
平氏の武を支え続けた彼にしかできない名場面が終盤用意されていた。
それが、決死の覚悟で臨んだ諫言ー「もはや平家は武門にあらず、殿は武士にあらず」だ。
忠清一世一代の見せ場であり、藤本氏にとっても役者冥利に尽きるシーンとなっただろう。
時政は景勝ほど作劇上は重要人物ではないのだから(それにしては威厳のない景勝キャラは疑問)、
時間の流れを度外視しても、演じた人の印象を単純比較して「それは清盛が駄作だから。
時政のキャラづけがなってないから」とか「例によって」阿呆すぎる。 ここ最近、長文様が【徹底】大河はいつから壊れたのか?【議論】 スレで
清盛無理解者の迷妄を晴らし、大河清盛の真価を知らせるべく奮闘中
だが相当手間がかかりましょうな、かように青臭くやたら長いだけの文章では
210ラディヲ体操第二ヨーイ2018/09/01(土) 16:23:56.08ID:jlcijntf
>清盛はそんなにおぼえてないエンケンさん。
>でしょーねー
さっそく飛びついたウヨ婆さん安心しろ。あの調子じゃ6年もたてば、ウルウルブルブル震えながら
「真田信繁日ノ本一の兵なりー」とやったことも忘れるよw
しっかし、今度はエンケンに縋って「清盛のキャラはうっすい」だとさ。
思えば、田舎の野菜おじさんから始まった時政も良い味出してた。
キャラの多彩さは特筆もので、4番手レベルに至るまで濃いキャラが目白押しだった。
たとえば、藤本隆宏が演じた作兵衛は、何故信繁に殉じたのか説明不足のままラストでいきなり活躍したが、
清盛の忠清はそんなぞんざいな扱いはされなかった。
初めは脳筋系の侍大将、しかし、次第に貴族化する平家から取り残される悲哀を味わう。
公達たちから自らが時代遅れとなった現実を思い知らされ、白髪がすっかり増えた老兵忠清であったが、
平氏の武を支え続けた彼にしかできない名場面が終盤用意されていた。
それが、決死の覚悟で臨んだ諫言ー「もはや平家は武門にあらず、殿は武士にあらず」だ。
忠清一世一代の見せ場であり、藤本氏にとっても役者冥利に尽きるシーンとなっただろう。
時政は景勝ほど作劇上は重要人物ではないのだから(それにしては威厳のない景勝キャラは疑問)、
時間の流れを度外視しても、演じた人の印象を単純比較して「それは清盛が駄作だから。
時政のキャラづけがなってないから」とか「例によって」阿呆すぎる。 マルチスンマセンね。
こちらはあまり見ないようにしている。
皆さま方で盛り上がっていただきたいところ、見るとつい口を挟んでしまい、そうすると
これがまた場違いの長文。やっぱ俺は他所での攻撃に反撃する方が似合ってるw
で、これまた土曜2時なんてまずはテレビ見ないところ、エンケンの過去映像登場という
宣伝文句に釣られて見てしまったところで「問題発言」。
これは絶対連中が飛びつくぞーと直感いや確信して当スレを覗いてしまったのであります。
案の定・・・
つまり長文で何を言いたいかといえば、「清盛は濃いキャラが勢揃い」との短文です。。。 だけど真面目な話、平清盛ではそれほど重要な役ではなかったとはいえ、
やった本人がわずか6年で忘れてしまうような「影の薄い」人物だったかね、時政は。
とっても印象的な人の良いおっさんで、そのまま大河北条政子に突入していたら、政子共々、
どんな風にワルになっていくのか是非見てみたいと思わせる「前期時政」だったと思う。
次から次へ役をやり過ぎたためか「忘れてしまった」本人はさて置き、さっそく「でしょーねー」とか冷笑した、
5ちゃん清盛攻撃隊司令塔である「アタシのキレイな平安どーしてくれたのよぉ〜」の婆さんぐらいじゃないの?
時政が「印象に残ってない」とかボケが入った奴は。 忠清役の藤本隆宏は清盛のことはあまりよく覚えてないらしい
後半結構出ていたような気もするんだが 清盛ってすごく良くできたドラマだし丁寧に制作されていて、脚本も素晴らしいのに未だに悪くいう人が結構いるのは
皇室批判的な箇所が多々あるからかな?
自分は政治的には右でも左でもないから、全く気にならないけど、
たとえ暴君というような天皇であったとしても批判は許しまじ的な人って多いのかな?
今回は当然平氏側の視点の物語なんだから、後白河とか悪党になるのは当然だとおもうんだけど.....
玉ちゃんと白河院の関係とかも踏み込んだからこそ面白くなったわけだし、
そういうのダメとか言っちゃうと北朝鮮と変わらないよね? >>830
「天皇=聖人君主」と無意識に刷り込まれている人は多いみたいだね
実際の歴史を見ると例えば後白河の態度は暗君と批判されても仕方のないものだったけど
そういった「センシティブ」な部分は中等教育まではスルーされがちだからね
大学で日本史を勉強するくらいの批評精神がないとなかなか難しいかと 「天皇=聖人君主」と無意識に刷り込まれている人は多いみたいだね
それわかるわ 右でも左でもないと言ったけど、左右を比べるとどちらかというと右の人の方が的を得ている意見が多いと思うけど、憲法問題とか特亜あの対応とか
でと皇室に関してはほんと極論の人が多くて混乱するんだよね
今生天皇陛下や昭和天皇は素晴らしい人格者だったかもしれないけど、古代の天皇家は内部のいざこざや骨肉の争いもあったろうし、それによって政治が乱れたわけなのに
そういう歴史的事実まで捻じ曲げるのはどうかと思う
ほんと北と変わらなくなっちまうよ >>832
戦国時代のドラマが無難に回るのは天皇や朝廷が出てこないという部分がかなり大きいと思う
幕末もその辺の関係性は緩くぼかしてしまえばなんとか作品として成り立つのでまだマシで
戦国以前では天皇家と政治が密接に関係しているからどうしても製作しにくい
「平家物語」や「太平記」は戦前までは誰もが知る大衆娯楽だったのに見る影もない
天皇家の批判は許さないという無邪気な感情を上から強制されている訳ではなく
自らの意志で発信しているという点で北の国よりひどいかもね >>834
平家物語にしても、義経にしてもゴッシーは必ず敵役で悪役だからね 今の世だと扱いにくいのかもな
ちなみに太平記とか大好きな大河だったな
後醍醐帝が良い人すぎたけどw
是非義満を続編として描いて欲しいんだよね 室町太平記 ここで北条政子か頼朝続編に描けってのと同じ理由で
陣内とかまだやれるうちにさ....ナレーションは真田尊氏でw
すれ違いスマソ 為義役の小日向文世は清盛のことはあまりよく覚えてないらしい
前半結構出ていたような気もするんだが そういやエンケン時政の伊豆の家にちょくちょく集まって酒飲んだり雑談してる
近所のおっさんみたいな人たち、南関東一円のけっこうな大豪族だったんだな いやはやこの糸さんは、健気な澪ちゃんそのものですね。
窪田くん、杏ちゃん、そして黒木さんで、再び藤本大河頼むぜー。 素晴らしい黒木糸さん回ではあったが、維新回天へ向けて怒涛の最終段階へと突入したステージで、
こんなノンビリしたお話で1話を費やして良いのだろうか?
もし、「西郷でエンタメやって下さい」(by西郷どんP)なる方針が、「清盛の失敗」を踏まえたものだとしたら、
もう一度、「見放された清盛のスタンス」に回帰してもらいたいものだ。
どのみち視聴率が期待できないのなら、クオリティを徹底追求する路線の方が、クリエイターたちにとっても本望だろう。 まさか「風と雲と虹と」の最終回で
”続きは「平清盛」と「新・平家物語」で”と言われるとは思わなんだ。 若き義朝が、東国に下って勢威を広げに出発するのって何話目ですかね?
野原みたいな所を歩いていたような。 >>842
第5話 義朝、東国目指して出発
第6話 義朝、尾張で由良御前と出会う
第8話 義朝、相模のススキ野原を行く 今月の100分で名著は、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」。
適切な手引きがないとお手上げクラスのこのような小説が、累計5500万部の世界的ベストセラーとは。
まさにこの人しかいないという先生の解説を参考に、今度こそ自分も「読んだ気」になりたいもんだ。
と期待して第一回を見たら、なんと朗読を担当している人は誰であろう、最近ご無沙汰の鳥羽院。
語り口も、浮き沈み激しい人生を生き抜いた治天の君を彷彿とさせる振幅の大きなもので、
三上氏演じた鳥羽院ワールドが一気にあれこれ蘇ってきたのでありました。 清盛と後白河院は自分たちの進退を双六に喩えたが、義朝は木登りに喩えていたんだね
なお頼朝は後白河と双六遊びを試した模様 【キューバ米大使、浅田真央】 オウムも使用マイクロ波、戦艦大和に搭載予定だったマグネトロンが原型
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1536114063/l50
卑怯すぎる韓国フィギュア界、東京オリンピックも危ない! タフマンで赤子を育てようとする白河院から逃れた舞子。
子育てはミキプルーンでという方針の忠盛と意気投合するも早世。
その後忠盛はミキプルーンだけでなくDCカードで現金化や個人貿易をも行い、ガッポガッポ儲ける。
忠盛の後を継いだ清盛は天竺や南蛮から仕入れた材料をもとにダイドーブレンド珈琲や
西国の冷凍うどんを売り込んでさらに財を蓄えるが珈琲やうどんなどで栄養が偏った
ことが祟り64で逝く。その後、平家はうどんだしや保険を売り込むライバル会社の台頭によって凋落する。 とりあえず僧侶が誰一人として袈裟をつけていなかった姿に違和感 まあそれが怪しからんと思ったのは結構だけど(坊主みんながつけてたかどうかは知らない)、
「無知な制作側がー」はやめろよな。
こういうのは、「ドラマ上は省略して構わない」との判断から生ずるもので、
時代劇が当時の風俗そのものの再現を目指すものではない(平安時代ともなれば多くは不可能)
ことからも当然ありうる省略だ。ドラマの内容とは何の関係もない上、教義上はともかく
袈裟が無くとも僧侶を僧侶らしく見せる上で何の不足もない。作り手は「わかってやってる」。
例えば、肖像画では月代の真田信繁は最後まで総髪だったが、違和感もたなかったのか?
これだってドラマ的改変としてはありだろう。この種のことをツッコミ入れて違和感持つなら、
すべての大河は違和感だらけで見ちゃいられなくなる。それではつまらんでしょ。
もっと「大事なこと」でツッコミ入れてもらいたいね。 嫌いな大河に対してだけ、重箱の隅をつついて非難する態度は、こっぱずかしいので辞めた方が良い。
(太平御覧贈呈に、頓珍漢な上に常に偉ぶったウヨ婆さんが「全巻揃ってなーい」とやったのには参った。
高橋教授の考証通り、数巻だけを丁寧に包んでプレゼントしたという史実を、こんなところにまで
繊細忠実に金をかけて再現した作り手にまずは拍手するのが、真っ当な視聴者の態度だろう)。
やればやるほど確実におたくらが好きな大河に跳ね返ってくるブーメランなわけ。
しかし、大河板に出入りするようになって愕然としたことは何か?と問われれば、
文句なしに、「昔は良かったー」たちの独善とダブスタだ。
何しろ、初めから「無知で無能な作り手と歴史を知らない脚本家」が揺るがぬ大前提となっているものだから、
当時のツイだのブログだの見ても、初めからせせら笑うこと以外関心がないかのごとき「批判」
に満ち溢れている。
この愚かな連中が、突きつけられた清盛のクオリティを決して認めようしないのも、こいつらの「誇り」を
ズタズタにするが故の態度だろうと、せめて同情申し上げる(とはいえ、ほとんどが何も理解できない、しようとしない
ホンモノのバカであるのが悲しいー日曜8時の善男善女はこの意味で「バカ」ではない)。 最終回の清盛の生霊だけ注目されるけど、忠盛の最期にも生霊?が出てたんだな
あと宗子と会話する家盛も生霊っぽい気がする 枕死からナレ死まで、その人に相応しい死に様が追求された清盛で、個人的にもっとも感銘を受けたのが忠盛パパとの別れ。
これほど少しもジメジメしたところのない、晴れやかな父子の別れを見ることは滅多にない。
悲壮な愁嘆場だけが別れや死の名場面となるのではないことを教えられた。
開放感溢れる海辺。ここはおそらく、かつて鱸丸が操る小舟上でフラフラと尻餅をついて忠盛から説教された懐かしの場所だろう。
初回で提示された「体と心の軸を鍛える清盛」というテーマは、清盛の成長と晩年の堕落を表す尺度であり続けた。
体と心の軸を鍛えて宋剣を自在に操るようになることは、清盛にとって次期棟梁に相応しい力量を身につけて
忠盛を凌駕することを意味した。
高野山造塔をやりぬき、人生の最後で迷える父に「武士とはいかにあるべきか」を力強く宣明した清盛に、
忠盛は「強うなったな清盛」(←初回ラスト「死にたくなければ強くなれ」)と呼びかけ、躊躇なく平氏の行く末を清盛に託した。
この「強うなったな」は、安芸赴任中の清盛の前に現れ、息子と剣合わせした忠盛ー今あの世へ飛び立ったのだろう忠盛
から発せられた言葉であり、剣を通じて体と心の軸を鍛え、人間的にも成長して武士の棟梁に相応しい男となった清盛に対する
忠盛の満足、信頼、期待の表明だろう(清盛が「父上のように強くなりたい」と願ったのもこの浜辺)。
このように、清盛における生霊や幽霊は、然るべきシチュエーションにおいて意味を担い、それが用いられる必然性をもつ
ものばかりであり、「話を回すのに楽チン」だからといった安直な理由によるものでは決してない。
崇徳生怨霊、最終回の清盛幽体離脱、亡霊については何度も述べた(これらと比べると、大河頻出のユーレイはただ懐かしいから
出てきましたレベルがほとんど)。
なお、「軸」関連では、
後々、忠清を斬ろうとした清盛は、剣の重さにあえなく尻餅をつく醜態を晒す。
他方、揺れにビクともしなかった鱸丸は、忠清の胸ドンにも揺るがず、盛国となって嵐の大船を「鱸丸に立ち戻って」操り
平家納経のピンチを救うなど、生涯「ブレない忠臣」ぶりを披露し続けた。
さらに死を賭した諫言により覚悟を決めた忠清を「逆胸ドン」して、忠清のこちらも「ブレない侍大将」ぶりを確証した。 何が?
ほとんど被ってないけど。
裏面から言うと、平家物語は大河清盛の重要な源泉であったが、唯一のそれではない。
大河清盛は「新新平家物語」ではなく、あくまでも平清盛の一代記なのである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています