大河ドラマ「風林火山」Part166
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大河ドラマ「風林火山」Part166
風林火山「孫子の旗」
風林火山(ふうりんかざん)は、甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」(疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、
侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し)の通称である。
不 侵 其 其
動 掠 徐 疾
如 如 如 如
山 火 林 風
http://i.imgur.com/nB8yRaa.png
戦国武将、武田信玄の軍師を務めたとされる山本勘助の一生を描いた作品。
大河ドラマとしては初めて井上靖の作品を原作に採用。
「風林火山」(ふうりんかざん)は、2007年1月7日から12月16日まで放送された46作目のNHK大河ドラマ。
原作:井上靖、脚本:大森寿美男、音楽:千住明、語り:加賀美幸子、主演・内野聖陽。 全50話。 >>809
流石に最終回あたりは千代も40近くには見えたけどな >>868
ユーチューブでみるしかないのか。
Gacktは嫌いだが謙信役ははまっていたので残念。 8月29日(水)の歴史秘話ヒストリアで、甲陽軍鑑をテーマとして取り上げるぞ。 >>868
これはアカンやつやな
数年待つべしか
羽賀「こっちこいよ」 >>861
風林火山って、実はこの4行以外にも続きがあるらしいね。 ,,_r'" ̄ ̄ ̄``ミヘ、
./ 彡ヾ;:;:;:;: `ミ、_
/ ;:;:;:;: ゞ;:;:;:;: : : : \
/ ミミヾrー――‐‐ミ: : : `、
. /: : : ミ "彡 }
/;:;:;:: : : : : ソ ヾミ.}
{;:;:;:;:;:;:: : : : : 彡 __,----ッ rzzzy,!ミ}
.ヽ;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:/. ァヲ"⌒`.ヘ r'´ _`、{ソ あははは
ヘ__.;:;:;:;:;:;:| __, rtニッ.) 、 'r`‐'`、i
{" `ヽ;:;彡 `ー _ ` ̄ .ヽ
`i て ヽソ r'( ヽ .} ガクトも野田聖子も野田聖子の旦那も
ヽ れ{. / `.^ .nイ ヽ !
ヽ、 .,:::::... ( __,, ィ`} j
ミ!:::::::... `ゞ¨_エィ'" / / 朝鮮人なんですよ。
,rー|. :::ヽ ー‐' /
/三{.ヽ :::ミ、 ./ 朝鮮人が出世するようにユダヤ金融悪魔様の配慮があるのです。
_,ィ'"三三| '、 ヽ、_ _,ノ
/三三三ミ \ r /|\、_ これが日本支配のしくみ
三三三三ミ \ / |三\三ミー、_
三三三三.ヘ >ー< /三三\三三三ミ、 この仕組は絶対に崩せない
三三三三三ヘ /{ミ三三ミ}\|三三三ミ三三三三ミ >>878
>なぜ、前半4行を用いたのかは、はっきりしませんが、
「陰」は抽象的な言葉だし、「雷霆」は2文字で収まりが悪いからでは? 明日からCSで「武田信玄」の再放送あるね。
描く期間が違うから尺も全然違うんだろうけど。 仮想通貨「GACKTコイン」大暴落で投資家に多額損失…金融庁が処分の可能性も
歌手で俳優のGACKTが中核メンバーとして広告塔を務め“GACKTコイン”とも呼ばれる仮想通貨「SPINDLE(スピンドル)」が、5月に世界5カ所の仮想通貨取引所に上場後、暴落している。
一部では警視庁もGACKTを捜査対象にしているとの報道もあるが、真相はどうなのか。
ジャーナリストの伊藤博敏氏は、「無名の仮想通貨を使ったICO(仮想通貨を使った資金調達。「イニシャル・コイン・オファリング」の略)は反社会的勢力が跳梁跋扈する世界。
日本では銀行口座やカードを持てない彼らにとって格好の資金調達の場になっている」と語る。
野田聖子総務相の夫・文信氏もスピンドルに関与。
野田氏本人もGACKTと知り合いであり、スピンドル運営会社の仮想通貨業者ブラックスターに資金決済法違反の疑いを指摘していた金融庁に対して、同社への説明を求めたことも明らかになっている。
これにより、野田氏の自民党総裁選出馬が危ぶまれる事態となり、さらにはスピンドルへ投資して多額の損失を抱える人も続出するなど、騒動は広がりをみせているが、スピンドルをめぐる問題点や今後の展開などについて、伊藤氏に話を聞いた。
https://biz-journal.jp/2018/08/post_24340.html GACKTコイン、
上場後大暴落で信じて買ったファンや投資家が逝く
ひどすぎて金融庁が処分を行う可能性
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1533800425/
462 停止しました。。。 停止 停止
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ 儲かると言えば儲かるものなり
知らんと言えば許されるものなり 上野一国よりも
九十九茄子が欲しいでこざる
滝川いちます 武田攻めの時に滝川を茶器で釣って総大将の信忠を討たせるべきだったな 野田聖子 総務大臣は ・・・・・・・・・Gacktコインなんて知りません。聞いたこともございません。金融庁に秘書伴って口ききなんて 滅相もございません。
カジノ業者から献金なんて 1円たりとも受領しておりません。
パチンコ業者とも 以前からこれまで 一度も 面会したことも 直接 お会いしたことすらございません。
ガクトのありがたい金言
・世界はキャッシュレス化しているのに日本だけ遅れている
・2020年以降、日本経済は落ち込む
・日本経済を支える成長産業は仮想通貨しかない
・スピンドルに本気なのでGACKTではなく本名で参加する >>914
「一益」が諱なら、「いちます」という重箱読みは変でしょ? 「一」を「いち」と読むのは音読みだが?
日本語が不自由でなければ、こんなの小学生でも分かるぞw 大井信達の名前を「のぶたつ」と読むのも、本來おかしいよね? あんまり関係ないが民話の三年寝太郎のモデルが
海ノ口城主の平賀玄信の息子と
聞いて驚いた
美瑠姫の兄弟ってことだよな このドラマは、武田と直接関係のない花倉の乱や河越夜戦にも焦点を当てているのがよいね! 脚本家のアイデアで、関係があるように創作したのでしょう? >>935
海ノ口のあと勘助も結構な時期
寝太郎だったよなあ 若泉局長 何故に北川悦吏子をNHKに引き入れたん?(´・ω・`) GACHTとか言う色物の在日を主要キャラにしたのがこの大河の最大の汚点になっちまったな ミュージシャンのGACKT(45)が、自身が参画する仮想通貨プロジェクト「SPINDLE」をめぐる一部報道に言及し、「アホらし」と一笑に付した。
GACKTは27日にブログを更新。SPINDLEが5月に世界5カ所の仮想通貨取引所に上場後に暴落し、自身も警視庁の捜査対象になっているなどとした一部報道について「色んなことが書かれていた。
酒のツマミには十分なほどネタが満載だった。大いに笑わせてもらった。色んな記事が次々と飛び出して、挙げ句の果てにはボクが海外に逃亡しただだの、ファウンダーがロシアに逃げただの。アホらしくていちいちコメントするのもウザいが、
ボクは6年前から拠点を海外に移しすでに移住している。今更何言ってんだ?って話だ。そのうち突然、GACKT死亡とか流されそうだ」とあきれた。
さらにGACKTは「野田大臣との関係のことも散々色んな憶測で書かれていたが、なんでボクが『金融庁に圧力かけて!』と野田さんに頼むんだ?」と記事内容に触れ、「アハハハハハハッ!!!! アホらし」と一笑。
「世の中に溢れた記事は、それを書いた記者やライターの思惑や憶測だけを膨らませたものばかり」と言い切り、「週刊誌やゴシップ記事を書き立てる、または関わってる人達の心に問いたい。『そんな人生で幸せか?』」とつづった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180827-00312079-nksports-ent >>946
変なお笑い芸人を出して大失敗するよりましだと思うぞ 上杉謙信しのぶ「謙信公祭」
08月27日 08時43分
08月27日 08時43分
https://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20180827/1030004634.html
https://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20180827/movie/1030004634_20180827083643.html?movie=false
上越市では地元ゆかりの戦国武将上杉謙信をしのぶ「謙信公祭」が開かれ、かっちゅうを身につけた市民およそ450人が街を練り歩きました。
「謙信公祭」は、上杉謙信が現在の上越市にあった春日山城を本拠としていたことにちなんで、毎年この時期に2日間開かれています。
大正時代から途絶えることなく続いている謙信公祭はことし93回目を迎え、最終日の26日は、上杉謙信が武田信玄と戦ったと伝えられる「川中島の合戦」に向かう様子を再現した「出陣行列」が行われました。
行列では、よろいやかぶとを身につけ、上杉軍・武田軍の武将や武士にふんした市民およそ450人が「エイエイオー」とかけ声を上げて街を練り歩きました。
最後に上杉謙信役の石田明義さんが出陣の合図を取ると、観客は大きな歓声を上げながら手を振って見送っていました。
上越市から家族と訪れた男性は「謙信役が息子の通っている幼稚園の園長だったので見に来ました。謙信がかっこよく、楽しめました。また、来年も見に来たいと思います」と話していました。 「西郷どん」を観てて思い出したんだが、大久保利通は上杉謙信のちょうど300年後に生まれ、
ちょうど300年後に亡くなったんだよな。だから何だというわけじゃないけど。 >>954
ちょうど300年ってことは、干支まで同じじゃないか! >>957
浦島太郎乙
歴史秘話ヒストリア「武田信玄“甲陽軍鑑”が語る真実」★2
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1535551056/
武田信玄「甲陽軍鑑」が語る真実
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/352.html
●本放送 平成30年8月29日(水)22:25〜23:10 総合 全国
●再放送 平成30年9月 1日(土)10:05〜10:50 総合 全国
エピソード1 最新研究が明かす武田信玄
近年発見された「甲陽軍鑑 末書」
武田信玄の一代記「甲陽軍鑑」には「末書(まっしょ)」という補足の巻がありました。
長らく巻名のみ伝えられ内容は一部しか知られていませんでしたが、近年 全文が確認されました!
末書を詳細に読んでいくと、信玄の意外な側近、信玄の秘めたる野望など、驚くべき新事実が次々と!!
エピソード2 「甲陽軍鑑」は偽書なのか
明治時代、近代的な歴史学が始まると「甲陽軍鑑」に疑いの目が向けられます。
これは後世の創作、「偽書」なのではないか…? 以後、ほとんど顧みられなくなった「甲陽軍鑑」に
ひとり光をあてたのが国語学者の酒井憲二でした。その「言葉」からのアプローチは、甲陽軍鑑に再び命を吹きこむことに。
エピソード3 甲陽軍鑑をつくった人生と志
「甲陽軍鑑」は記述がドラマチックで、それは「偽書」説の根拠にもなりました。
この物語性のワケは「作者」にあり。作者とは、信玄の家臣 高坂弾正(こうさか・だんじょう)。
著述方法も独特で、高坂が語りそれを部下が書き留める「口述筆記」でした。
「物語」にしてでも高坂が伝えたかったものとは――! >>960
【井上あさひ】武田信玄と高坂弾正
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/historia/304343.html
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/image/hisutoriatakedasingen4_logo.jpg
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/image/hisutoriasingens06_logo.jpg
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/image/hisutoriasingenS05-001_logo.jpg
汚名を晴らした歴史書
今夜は、武田信玄を知る手がかりとなる史料「甲陽軍鑑(こうようぐんかん)」の秘話をお伝えしました。
偽書とみなされていたところから180度評価が変わり、むしろ新事実を伝える重要な書物であることがわかるという、
とてもドラマチックな展開でした。甲陽軍鑑が信玄の言動を今に伝える書物だったとされることで、
信玄という人物がいかに偉大であったかが改めて証明されることになりました。
「甲陽軍鑑」を残そうとした高坂弾正の思いは、時を超えて遂げられたといえるかもしれません。
心くばりの人・信玄
ここで番組ではご紹介できなかった「甲陽軍鑑」にある信玄の逸話をひとつ。
ある時、甲斐国の一蓮寺で信玄を囲む歌会が催されました。
息子の武田勝頼や弟たち、連歌の師匠、侍医、ごく近しい家臣(信玄のお給仕役として「おのおの抜かりなく」真田昌幸も!)など
気がおけない者だけの会だったようですが、ここに、たまたま甲斐に滞在していた京の貴族「きくてい殿」が来てしまいます。
信玄はイヤな顔もせず、きくてい殿を喜んで迎え入れました。
やがて食事の時刻になると、ふいに信玄は連歌の師・寺嶋甫庵に、遠光院という寺へ行って調べ物をしてきて欲しいと頼み、甫庵は退席します。
やがて食事も終わって歌会はお開きとなりました。
実は、ここまでの事にはウラがありました。「軍鑑」には終会後、信玄が高坂弾正へ次のように語ったとあります。
『一蓮寺での食事の膳の数は、出席の人数分しか用意されていなかった。きくてい殿が来られると、
いざ膳に向かうという時に他の者が誰か一人 席を立たねばならぬ。それはこの信玄の恥なので、分からぬよう甫庵に席をはずしてもらった』
自分は楽しめば良い場面でも細かな心くばりを忘れなかったのが信玄公のご立派なところである、と高坂は付け加えています。
ただ番組でご覧いただいたように、のちに「かくの病(胃がん?)を受け給う」たのも、こうした気づかいをずっとされていたせいであろう、とも。
「動かざること山の如」き武勇武略の人・信玄のイメージとは異なる一面をうかがうことができます。
輝きを増す信玄の魅力
このように、高坂は信玄のそばにいて、その場にいたからこそ知り得たであろうことや、側近だからこそ聞き得たであろうことを子細に「軍鑑」に残しています。
農民出身で文字の読み書きができなかった高坂が、武田家が滅んでなお、なぜ数年に及ぶ口述筆記に挑んだのか。
それは、武田信玄という戦国時代におけるカリスマ、その偉大さをどうしても後世に残さずにはおられなかったからではないでしょうか。
では家臣にここまで思わせるほどの人物とは一体どんな主君だったのか。
そう考えれば、高坂によって信玄の魅力が一層輝きを増すではありませんか。この2人の関係性に、私は胸が熱くなったのでした。 「庭には四種の木を植えよ」
「己より優れたる者より話を聴くこと」
やはり信玄は偉人だったんだなあ。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。