統治機構の研究に就いては
越前や幕臣の中の開明派の方が先んじてた所があったからな
坂本龍馬は正直何処迄実像か分からない部分があるけど、
坂本龍馬の構想でも統治の機能に関してはそちらの人脈が重んじられてた

それが、大政奉還後の最後の局面で徳川慶喜と木戸・小松の政争になって
徳川慶喜が松平春嶽、尾張慶勝の公議政体を名分に実権を握ろうとしたから
参与会議の怨み豚肉の怨みで慶喜の異次元な才覚と不誠実を極度に警戒した小松、西郷どん他が
絶対に慶喜を排除するためには薩長で直接主導権を握って
越前他の公議政体派と距離を置かざるを得ない、彼らはそう判断した