>>765
言継卿記で、光秀の屋敷が描写され、その近所の屋敷主名も書かれているから
光秀の屋敷は実在していた

>>775
中国大返しは途中のインターバルがあるので可能ということになるが
備中高松城から姫路城区間の秀吉のスピードは説明できないようだ