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参考

この「新説」が依拠した史料は、京都の薩摩藩邸にいた同藩家老の桂久武日記であった。
慶応2(1866)年正月18日の日記には、西郷隆盛・大久保利通と木戸が長時間におよぶ「国事」の話し合いをしたことが記されている。
20日には大久保の帰国が命じられ、木戸についても送別会が開かれたという。
それゆえ「新説」は、薩長同盟の締結が正月18日だったと論じた。それまでの正月21日説を否定。
そして龍馬が京都に入った正月20日は、すでに同盟が成立した後であったという。
したがって龍馬は肝心の会議に同席せず、後日に木戸が同盟を明文化した書状に裏書しただけであるというのが「新説」の結論であった。


坂本龍馬と薩長同盟の「新説」論議
松尾 正人/中央大学文学部教授
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20100809.html