>>705
後藤象二郎個人の反応と言うか坂本との関係から言っても無理があるし
タイミングが絶望的にまず過ぎる

土佐は外様ながら一豊以来の徳川恩顧の大名で、
「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された山内容堂の意を受けて
薩長に対する実質的なストッパー役だったのが参政の後藤象二郎

将軍となった徳川慶喜と雄藩勢力が決裂した事で、
もはや幕府の存続は政治的に無理と言う事が動かせなくなって、
その決着を幕府と言う政治機構を終わらせる「倒幕」のラインに留めようとしたのが
特に上級層である島津久光・小松帯刀、山内容堂・後藤象二郎のライン
そのために威嚇出兵こそ肯定しても、大政奉還をした以上は
要約すると朝廷の下で徳川を含む大名上院在野下院モデルの政治決着構想を図っていた。

この様な、国父・家老クラスの政治決着のタイミングを後藤象二郎は二度逃していて、
一度は「龍馬伝」にも描かれたイカロス号事件で後藤が足止めを食らって盟約の機を逸し、
大政奉還後は容堂公と会見する筈だった小松帯刀が足痛の悪化で薩摩に足止めで強硬派の大久保にとって代わられた

結果、慶喜を極度に恐れる木戸、西郷らの「討幕派」が京都の薩長勢力の主導権を握り
戊辰戦争の勃発で容堂公の制止を振り切る形で土佐も後追いする事で土佐は主導権を逸してるから、

まだ「政治の季節」だったあの時期に、後藤と親しく小松帯刀や慶喜の下の永井尚志、
徳川方の公議政体派の名代だった松平春嶽とのパイプがあった坂本龍馬を消すと言うのは
公式には土佐発案でもある大政奉還路線に事態を留め
薩長の強硬派を押し留めて土佐が主導権を握る方針から言ってどう考えても利益にならない