【2018年大河ドラマ】 西郷どん part71
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◆前スレ
【2018年大河ドラマ】 西郷どん part70
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1531044368/ >>112
これ読むと会津がキチガイだな
慶喜にとっても余計なお世話で迷惑だったろうな >>117
うむ。民あっての藩。
民無くして戦など無計画な暴走に過ぎないし、武家の大義すら無い。ましてや将軍家の意向も無視では私心以外のなにものでもない
身を以て思い知る結果になったな。会津家老が自ら放火した城下町の火災は会津松平家と領民の決裂を象徴する光景となったわけだ >>112
誰が竜馬暗殺を命じたかについては司馬遼太郎は「竜馬がゆく」の
あとがきで勝海舟の日記をもとに当時の幕府の目付の榎本対馬守道章
の名をあげているな。 慶喜アンチなんだが、鳥羽伏見で勝手にせいと言った意味が少しわかった >>122
だったら最初から京都守護職とか押し付けるなよって話でもある
>>121
鳥羽では主力の幕府歩兵隊が薩摩に叩きのめされてるよ >鳥羽では主力の幕府歩兵隊が薩摩に叩きのめされてるよ
幕府陸軍は幕府陸軍で
最新装備と兵力で完全に相手をなめくさってたようだしな >>126
守護職をいやいややってるように見えない >>127
まともな行軍隊形すらとってなかったらしいからなあ >>128
「京都守護職など、家来筋の仕事でござってな。」 >>126
松平春嶽いわく都における守護の役目は武士同士の話し合いで荒事を未然に鎮火させることらしく、電話対応係のようなその場しのぎの仕事が出来ればいい
もともと安政の大獄〜桜田門外の変でたかった緊張や混乱を静かに緩和するために設けた役目であったし、まさか東北の僻地から出てきた若僧が意気揚々と金で雇った壬生の犬侍達に人斬り指示して天皇に欲情するなどとは夢にも思わなかった
形勢不利になるやいなや「守護は押し付けられた」等と態度を一変させたことは言うまでもない >>126
容保は真面目すぎたな
西郷も似たようなもんだが
賢い大久保さんは最後まで生き残ったが… 小栗旬は番宣出演だけで、八重の桜の龍馬みたく背中だけしか映さないとか斬新なことやってくれないかな。 真面目か知らないが負けたくなかったんだろ
大政奉還に大反対だし >>129
集団で固まって団子になって蜂の巣
ただのでかい的でしたな >>134
既得権でタダ飯食えなくなっちゃうからね
日本や異国どころか地元のことも考えていない。志の欠片も無い佐幕の典型だったよ >>112
一会桑政権って慶喜が長州攻めやめたときに事実上崩壊してたんだな
で、次は越前土佐の勧めで大政奉還受け入れか
それでも引き続き外交官の前で日本代表として振る舞ったりしてるわけで
朝廷には実務派できないという再委任派の主張に合致した行動を
とってるようにも見える
これでは周囲がついていけないわな 容保が京都守護職を受けたのは孝明天皇に対する義理だろう
西郷頼母は絶対に引き受けてはいかん、大変なことになると釘を刺したが・・・
天皇は容保が大のお気に入りで、密書を送ったらしいが、それを見せたら官軍だってそう簡単には攻撃できなかったはずだよ
最悪の事態だけは避けられたんだが >>131
そもそも朝廷から実質的な初代京都守護職を嘱望されてた島津三郎が
京都の不穏の動きを文字通り鎮圧したはいいけど
生麦事件や姉小路やらで身動きとれなくなって、
若干時間が前後するけどその後釜に入ったのが会津松平なんだが
松平容保も近藤勇も本来は素朴な尊王攘夷思想で
松平容保自身、当初は穏当に理解を示そうとしていたのが
あからさまな挑発行為を見過ごせなくなったと言うのも実際の所だし
池田屋の後も尾張義勝や国許からの忠告もあって
長州征討や京都駐屯から引き気味になっていたのを手放さなかったのが一橋慶喜で >>112
容保は長州無理!だったけど、慶喜と長州は過去の対立を清算してノーサイドにできるのか? >>140
余裕。目的の為なら仇とも手を組める
それが維新志士
憎しみを行動原理になどしない 上から目線の役人体質で穏当に事に当たるなどは無理
幕府は不平等条約の件もずっと詳細を説明しなかった。外様雄藩と民衆にはバレていたのに >>90
うわー、出たよ。
今、話題になってる人を強引に絡めて叩く奴。
林、中園コンビが日大だからアメフトの件で絡めて叩くだけじゃ飽きたらず、まさか歴史上の人物まで貶めようとするとは。 >>131
最初、話し合いで解決しようとしてたんじゃないっけ?あれは創作? アメフトで思ったけど、西南戦争での西郷一派は、どこぞのアメフト部のようなおもむきがない?
時代はどんどん変わっているのに、古い価値観から出られずに、自己改革できず、結局は身をほろぼしてしまう 日本の内乱頻発が西南戦争で止まったの考えると西郷一派が
反政府派の総本山みたいなもんだったんだろうな
ここが勝てなかったのならもう誰が蜂起しても無理という空気 西南戦争をやらかしてしまった西郷は、空気よめない時代錯誤感がどうしようもないし、同情もわかないが、、
それと知りながらも、西郷と運命をともにしようとした、村田新八をはじめとした弟子たちは、けなげだし、あわれだね >>144
相手にするほどのヤツじゃないだろ
荒らすレベルが低すぎる
>>146
ない
>>147
不平士族との大規模な心中という説もあるね
飛ぶが如くでも西郷は「これで日本からすべての戦がなくなる」と言ったが
本当に言ったかどうかはわからないが、司馬遼太郎は心中説だな 不平士族たちを無くすために意図的に心中したなどというのは、負け惜しみくさいというだけではなくて、
そんな中途半端な気持ちで、村田新八たち忠実な弟子たちの人生をうばったとしたら、とんでもないことだよ >>145
話し合いは基本的に手の内を見せ合わないと始まらない。よって創作
もとより容保自身も言っていたが「会津は他藩とは交わらぬ」 >>150
実力的にはどうなんだろうな
西南戦争って薩摩VS薩摩から始まってるんだよな
じつは拮抗してたりするんだろうか まぁ、もしも西郷が偉人と称されるにふさわしい人物なら、なんとしても戦争は起こすべきじゃないし、
新政府に頭下げても、それでもだめなら、割腹してでも、とめるべきだったね。
心中とかいって後出しジャンケンするくらいなら、弟子たちに血気にはやるなとひとこと残して、サクっと腹きればよかったんだよ >>150
すべての国内戦が完全になくなったのは事実
アレがなかったら、その後も地方の内乱が続いただろうな。そのうち日本が弱体化して外国勢力に…、という可能性は十分にあった
別の形で多くの人材が死んでしまったかもしれない
何が正しいかなんか分からないよ >>149
> 不平士族との大規模な心中という説もあるね
来たるべき清国、ロシアとの戦いを見据えて西郷と大久保が阿吽の呼吸で
行った大規模実戦的軍事演習・・・なんて説を浅田次郎が「一刀斎夢録」
のなかで斎藤一に語らせていて面白かった。
被害は甚大だったけど西南戦争で明治の陸軍が鍛えられたのは間違いない。 >>154
君の理屈だと、太平洋戦争を起こしたのは、日本を民主化するためだったことになる >>156
いや、それは完全な結果論
ヒトラーのおかげでイスラエルが建国されたというのと同じ理屈になってしまう >>151
ありがとうございます。
話し合いじゃなくて、一人一人の話に耳を傾けて穏やかに事態をおさめようとしてた好意を浪士達が無にしたので、強硬論に転じたというのも創作ですね。 >>158
創作だね。地蔵の首を切られたとか落書きされた程度で生身の人間を斬るというのも現実的にはいささかおとなげ無い >>159
ありがとうございます。
ドラマの話が少ないのはスペシャルのせいだと思うとなんだか複雑です。 アメフトと言うとあのコーチがゲイビデオG@MESの「筋肉チルドレン」に出演していたことだね。
薩摩も男色王国で脳筋オタで体育会系だから似ているかも。
林真理子の原作では月照と西郷のゲイセックスシーンが「平清盛」みたいにあったとか。
アメフトコーチが絡んでた相手のタチ専門の20代のゲイビデオ男優は、欧米・アジア・日本の
主婦・女子大学生・OLなど腐女子たちのアイドルで熱烈ファンが多いから、この事件は有名。
あの板垣退助も土佐で少年レイプ事件を起こしてる。
幕末から明治初期の若者の価値観や性風俗は森鴎外の自伝小説が詳しい。
鴎外も男色の犠牲者。 >>160
うちの近所にある神社の神主さんが言っていたのだが
道端や人の敷地に度々ゴミを捨てていく人がいると気を悪くして犯人を特定したり証拠を押さえて警察に突きだしてやろう等と思う人もいる。けれど、そういう時の対処は「事を荒立てず黙って綺麗に元通りにしておくこと」が最善だそうだ。
なぜなら自分が正しく、相手が間違っていると証明したところで相手や相手の関係者に遺恨を残す結果になっては元通りの状態とは言えず、
そうした遺恨をどこかで恐れて過ごすことにもなる。相手も自分が正しいと思って生きてきたのならなおのことで、また、何らかの感情や処理できない心の闇を外に漏らしていることも有りうる
大事なのは目先の不安をなりふり構わず排除することではなく相手が自ら正しい心に立ち返れると信じ、心穏やかに場を穏やかな状態にしておくこと
悪霊や怨霊の類のほとんどは怒りや不安や憎しみから生じ、人から人へと渡ろうとしていく。
病は気から。己がそのような気には陥らないだろうという慢心こそ病の始まりなのだと、まあそのようなことを言っていたよ 昔からなのかな?
朝ドラや大河は、手近なところでキャスティングしてる気がします。
だからか、新鮮さに欠けます。
今回ので言えば、有馬さぁ役の増田さん以外はお馴染みの面々ですね。 >>159
足利三代木像梟首事件を契機として言路洞開の宥和政策を見直して
新選組を使っての不逞浪士取り締まりを強化したのは史実だろ スレチ議論してるIDで連鎖あぼーんしたら
見事にほとんどのレスが消えてやんのw 自分が思うに、西郷隆盛が東京には残らずに鹿児島に帰る決断をしたために、中村半次郎を始めとする軍人たちの
大量帰郷を招き、最終的には西南の役にまで至ったのだと思う。 >>148
村田新八は他の弟子らと違いフランス滞在時に辞職しているらしいから、
西郷と大久保の対立が無ければ、家族をフランスに呼び寄せて一生フランスで
暮らしていたと想像できる。 鹿児島は貧しいけれど笑いがあった
フランスの貧しさは殺伐とした暗さで学ぶべきものはなかった
という風なことを言っていたのを何かで読んだ >>102
そういう説も出て当然な状況だっただろな
龍馬暗殺の5日間ぐらい前には若年寄格だった永井尚志と直接に会って新国家の構想案特に人事に
関して新体制の構図を練っていたという事も明らかになって来てるし龍馬が公儀政体論を推し進めていたとすると
徳川家滅亡を狙っていた薩長の過激派とか大政奉還に猛烈に反対した徳川家臣にとっては邪魔だったろうからね
財政力軍事力において影響力が大だったから薩長と幕府の対立を願って武力行使を実現したかった人間にとって
脅威だったに違いない
大政奉還辺りの論議は未だにはっきり結論が出てなく更なる研究が必要という考えには賛成
最近では佐々木只三郎の実兄である会津藩士の手代木直右衛門が綴った書簡に龍馬を暗殺したのは只三郎だと
明言したものが見つかってるからその会津藩説が有力と言う説もあるけど 龍馬さえ生きていてくれたら鳥羽伏見も戊辰も西南戦争も起きなくて西郷どんも死なずに済んだ
そしてひーさまか春嶽公が総理大臣になっていただろうな 西郷大久保の陰に隠れているけど小松帯刀って相当有能だったんだな
広い視野とバランス感覚が素晴らしいわ >>170
×徳川家滅亡を狙っていた薩長の過激←
西郷大久保以外はもちろん薩長で龍馬殺そうというやついたのかね?自分が知らないだけか
小松西郷大久保は大政奉還後すぐに会津のテロ攻撃から避難してるので論外
◯大政奉還に猛烈に反対した徳川家臣にとっては邪魔 >>173
磯田はそのへん詳しいから西郷どんではちゃんとやってくんないかな 同じ倒幕派ではあるが小松と西郷&大久保の間の相違がどれ程のものでどういう話をしてたのか気になる >>64
なるほど
これが本当なら小松は幕府は潰しても慶喜、徳川の影響は残そう
大久保は徳川の完全排除ということか
>後藤象二郎は大政奉還後に薩摩土佐の連合で上京した際に松平春嶽にその案を提示したけど、
この時強硬に反対したのが薩摩の大久保、それでは看板を付け替えただけだと 慶喜は行政機構として幕府を温存し
自分が大君となって行政権を行使
雄藩藩主とテロリストなどで構成される議会で立法
各藩領地は温存、軍事力は将来的に中央に併合
天皇は象徴w
慶喜はイギリス風の議会政治を目指していたというが
徳川宗家を一強のプロイセンとするドイツ帝国的なものを模索していたと思われる
薩長や岩倉がこんなもので妥協できるわけない >>177
本当に民のためならそれで妥協もアリやな 慶喜が徳川帝国を目指していたとすると
それが最も現実的な近代化であり
それに逆らった薩長岩倉が日本と日本国民の敵だったということだな
結論:やはり薩長が悪い、春嶽はヘタレ、一翁はカス >>177
とりあえず最高権力者が世襲という時点でアホかとw
まんま中世北朝鮮w >>180
結論:日本は北朝鮮のようにならずに良かったw >>160
ゴミだったら片づけられるけど
違法駐車が続いて誰もかれもするようになったら神主はどうするの?
捨て猫がまかり通って誰もかれもあそこに持っていけば大丈夫ってなったらどうするの? >>183
個人の敷地内への長期間の無断駐車は隠れる気ゼロだから証拠を陸運局に持っていき被害届出せば行政処分対象になる
また、車庫法(略)に基づいて警察に提示したはずの保管場所が守られていないということで月あたりの半分以上の無断駐車が発覚した時点で刑事処分
路上の違法駐車対応は最初から警察の仕事
捨て猫は保健所へ連絡。愛玩動物は本来人間の手を借りないと生きられないように人の手で交配を重ねて生み出した命。
先祖たちは命に責任を取らなかったその事実から目を背け、子孫もその罪を知らされずに来たがいつか誰かが責任を果たさなければならず、年間数千頭と言われる野良猫・野良犬の薬殺処分は罪を清算しているとも言える。
根本的な解決を図るにはこうした現実や命を蔑ろにしてきた戦後教育の欠落をこれからの教育で子供たちに伝えていくことかもしれない。
見てみぬふりで放置すればモラルに欠けた意識が積もり積もって子供を捨てたりする事件の下地にもなるからね >>177
ドイツを無理矢理に江戸時代の日本に例えるなら
神聖ローマ帝国(江戸幕府)が崩壊して
各領邦(藩)がバラバラに分立
なお皇位(将軍職)を世襲していたハプスブルク家も、本領のオーストリア(関東)の君主(大名)として存続
その中で辺境のプロイセン(薩長)が頭角を表し
オーストリア(徳川)をハブる形でドイツ(日本)を再統一
こんな感じだぞ? と、>>187は書き損じてた
>>177
ドイツを無理矢理に江戸時代の日本に例えるなら
神聖ローマ帝国(江戸幕府)が崩壊して、各領邦(藩)がバラバラに分立
なお皇位(将軍職)を世襲していたハプスブルク(徳川)家も、本領のオーストリア(関東)の君主(大名)として存続
その中で辺境のプロイセン(薩長)が頭角を表し、オーストリア(徳川)をハブる形でドイツ(日本)を再統一
こんな感じだぞ? >>169
そりゃ故郷にまさるもんがあるわけないからね
現代だって、都会は冷たいとか厳しいとかいって、故郷マンセーなこと言う人がほとんどたけど、
つまるところ、住み慣れたところが一番というだけの話でしょう >>189
は?そこじゃなだろ
学ぶものはなかったのほうだろ >>190
いや、だから、東京はつまんね寂しい何も学ぶものはない、という人がいても、
東京で育った人にとっては東京ほど暮らしいい街はない。
つまり、たんなる相対的な、主観的な話にすきないってことだよ
フランスも、パリっこにとっては、薩摩よりも千倍も良いとこなわけで、そういう部分を学べないとしたら、
若干視野の狭さを疑わざるを得ない >>193
本編がクソつまんないのに加えて、低レベルな特番なんかやったあとに、何を話せというの?w >>191
というふうにかんがえると、木戸さんや大久保のように西欧を素直に認めてそれを取り入れて
富国強兵をはかろうという、向学心向上心の人と比べると、あんまり生産的とも思えない西南戦争へ参加したことからも、
新八どんは、やや頭がかたかったのかなぁという印象もうける。 大河は多種多様な視聴者に幅広く見てもらえないと駄目だな 村田新八がフランス滞在時に官職を辞めいたことが不思議だった。
自分は新八って人はフランスで西洋音楽や美術を学ぶために職を辞めてフランス滞在を延長
したのかと思っていたが、「学ぶことは何もない」と新八が言っていたらしい、とのコメントを見て
新八って人が分からなくなった。
この人、「学ぶことは何もない」っていうのだったら何のために官職を辞めてフランスに残ったんだろう? まぁ新八どんファンにはわるいが、そもそも彼が優秀だったから留学したというよりも、
西郷の古くからの仲間ということで、留学させてもらったようにもみえるので、
結果的にそこまでの向学心も探求心もなかったということでは? >>191
やっぱり流れがわかってない
これに対するレスだろ
これはないってこと
168 日曜8時の名無しさん 2018/07/13(金) 09:15:39.52 ID:gz9BNbEp
>>148
村田新八は他の弟子らと違いフランス滞在時に辞職しているらしいから、
西郷と大久保の対立が無ければ、家族をフランスに呼び寄せて一生フランスで
暮らしていたと想像できる。 フランスに失望したっていうよりも、近代そのものへの失望だったんだろうな
夏目漱石なんかもそうだったが、先進国と言われる西洋の荒んだ社会を目の当たりにしてノイローゼになった日本人も多かったよ
貧しさというよりも格差だろう
王侯貴族やブルジョアと一般庶民の間の階級闘争、憎悪は凄まじかった
理想的封建社会とまでは言わないが、武士は食わねど高楊枝みたいな江戸時代の為政者とはあまりにギャップがあったんだろうな
ヨーロッパの暴力革命と日本の無血革命の違いも、たんに日本人が大人しかったという問題ではなかった
岩倉や大久保がヨーロッパを周って舞い上がったなんてことはなかったろう 新八がフランス行ってたころって、普仏戦争に負けてパリ・コミューンの内乱で
パリが焼け野原になって、どん底にあったころだろ?
岩倉使節団の人たちもフランスって何か暗いって印象受けてるよ
こういうのって発言の一部だけ切り出して妄想でどうこう語ってもしかたないんじゃね? ロシアやプロイセンなんか、英米佛より野蛮で暴力的なのにな。
後に暴力ひゃはー世界になるというのに。 軍人からしたら学ぶことは多かったかのかもな
薩英とか下関をリアルで体験した世代は特に ヨーロッパ人は全国民が武士マインドだからな
むちゃ好戦的やで 対抗出来るのは戦闘民族の薩摩人と交遊民族の長州人くらいだったわけだ ぶつかることで深く結び付く友情
傷ついたことは無駄じゃなかったね >>204
ドイツの三十年戦争とかみてるとな
人口の3分の1がいなくなるって・・・ >ヨーロッパの暴力革命と日本の無血革命の違い
ヨーロッパの革命は全階層に直接利害が生じるし
だから全階層が争乱に参加した
死人が多くなり社会がギスギスするのは当たり前
日本の幕末はルサンチマン丸出しの貧乏下級武士が
なにやら意味不明な屁理屈をこね回して
藩を道具に権力や利権を求めて暴れただけでしかない
ギスギスしてたのは社会ではなく貧乏下級武士テロリストだけだったのだ >>205
俺鹿児島人で今関東に住んでるけど、どう見ても地の関東の人の方が言い方悪いけど粗暴で好戦的なんだけど。。
まあでも一方で明るくて社交的で根はいい人かな。
特に西日本から来た人はみんなそう思ってるはず。
鹿児島人は物腰柔らかくて優しい。気が弱すぎ!って、思うこともあるけど。人間は癖のあるねじ曲がった奴が多い。。
こっちでは逆のイメージされるのでマジで困る。 >>209
閉鎖的でよそ者嫌いよりは良いと思う
俺も九州は福岡と長崎しか行ったことないけど道や店や路面電車で会った人はみんな明るい人だったな
軍師官兵衛フェアのまっ只中の福岡で龍馬Tシャツ着て飯食っててもちゃんと歓迎してもらえる 民はこぞって維新志士に協力してたけどな
京も長崎も
第三勢力草奔の存在を知らん人が未だ居るとは >>170
龍馬を斬った(と言われてる)佐々木只三郎の兄・手代木直右衛門は
孫娘が新島八重の養女になってたな
あの甘粕さんの親戚でもある 板垣が自由民権運動を始めた経緯もまた封建主義から脱却していった歩みのひとつなのよ
百姓や商人は志士側に付いたけど政治を侍任せにしたままでは近代化とは言えない
だから正式なプロセスを経て身分を問わず誰もが政治に干渉できる世の中にした 義塾や大学だって明治から身分に関係なく試験で入るものになったわけだしな
政治に限らず自ら率先して学ぼうとする人を世は欲した。日頃ふんぞりかえって威張り有事に役立たずの将軍家とその付録は要らない >>212
京都で慶喜側と諸藩の間で外交を展開していたのが越前松平だけど、
この人が越前相手に話していた事はと言えば
大政奉還直後の発言
物凄く失望している、幕府まで終わらせてどうする
外国の議会政治の真似がすぐに出来るとは思えない
有為の人材を集めると言っても、中央政治の経験があるのは幕府だけ、
実際に実務能力があるのは幕府だけではないか
王政復古の大号令の後
薩長の実質クーデターで会桑が御所から排除された後、
二条城に薩摩軍が迫っている、薩摩軍が襲撃して来ると、
薩摩を迎撃すべしと繰り返し越前に申し入れに来て
いや、犬が騒いでるだけだからとなだめられてる
まあ、龍馬を斬った男、って間違いなくこいつだろうなと >民はこぞって維新志士に協力してたけどな
維新志士はみんなの味方、正義のヒーロー
さすがの司馬でもここまで下級を持ち上げない
いずれにせよ明治になって
農民には却って搾取がきつくなったのでありましたというオチ 幕府側でも早くは有名な江川太郎左衛門等が農兵構想を持っていて
大政奉還後には大政奉還後の時勢に乗じた騒乱を
関八州取締出役の指揮で農兵が鎮圧していたと言う記録もあって
鳥羽伏見、甲州で敗戦後の近藤、土方が
一時期北関東での再起を図ったのもそうした背景がある 近藤土方の故郷は八王子千人同心の配置された場所だからな
家康の代に富農を組織して甲州街道からやってくる外的に備えた >>216
>外国の議会政治の真似がすぐに出来るとは思えない
>有為の人材を集めると言っても、中央政治の経験があるのは幕府だけ、
>実際に実務能力があるのは幕府だけではないか
全くその通りだな
バカ大名とアホ公家と低能テロリストじゃ何もできないから
維新政府は旧幕臣によって土台が支えられていたのである
権力と利権欲しさに暴れただけのカス
それが田舎のアホ大名とアホテロリスト >>217
新政府の時代が来たら年貢半分にすると宣伝しろとか言われて
その言葉を信じて手先になって一生懸命働いたのに
維新が成功しそうになったら
「年貢半分なんて無理に決まってるだろ、あいつらはニセ官軍だ」と
見事に裏切られた人たちもいましたな
その名前を勝手に使ってテロをやる奴が出てきたのが残念だが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています