来島を狙撃して仕留めたのがのちの大警視川路
薩摩武士の最下層準士分出身
薩摩には武士階級のなかに
鉄砲や歩兵を強要できる下層がいたおかげで
幕府軍や長州軍のように百姓や博徒を取り込む必要が無かった

先進性に富んでいたわけでも
発想が柔軟だったのでもなく
保守的な思想のまま軍隊を近代化できる構造があったのである