【2018年大河ドラマ】 西郷どん part72
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◆前スレ
【2018年大河ドラマ】 西郷どん part71
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1531301426/ 五輪大河は大丈夫かな…
なんかボロッカスなオチで纏められそうな予感 >>767
下準備が全くできてないように思える
幕府軍は薩長の挑発に乗っちゃって戦に持ちこまれた感じ? ショーペンハウエル
これに反して誇りのなかでも最も安っぽいのは民族的な誇りである。
なぜかと言うに、民族的な誇りのこびりついた人間には誇るに足る個人としての特性が不足しているのだということが、
問わず語りに暴露されているからである。
すなわち個人としての特性が不足していなければ、何もわざわざ自分を含めた幾百万の人間が共通に具えている要素に訴えるはずがないからである。
立派な個人的長所を具えた人は、自国民の欠点を常日ごろ見せつけられているのだから、この欠点をこそ最もよく認識するわけであろう。
ところが何一つ誇りとすべきもののない憐れむべき愚者は、たまたま自分の属する民族を誇りとするという最後の手段を命の綱と頼むのである。
これによって息を吹き返し、随喜感激して、自国民に具わる欠点や愚かさを何から何まで力のかぎり根かぎり弁護しようとする。 >>777
おまえのうんちくなど求めてない。
長々しく語るな。 そうかもしれんな
俺なんか何も自慢できることないわ
まあでも日本人でよかったと思うし
日本人であることが誇りだわうん
半島人でなくてほんとよかったよ
おとうちゃんおかあちゃんありがと >>759
旧幕府軍が攻め上がる構図だけど、古来京都は攻めるに易く守るに難き地域なので攻めるのであればとにかく京の七口を抑え糧秣を断つのがセオリー。
しかし旧幕軍はその兵力石高等の威光で新政府軍は一先ず戦いを避けるだろうとタカを括って遮二無二集団形成して進軍するだけ
結果は新政府軍の射撃の的状態。それでも戦い2日目は幾分盛り返したが淀、津の両藩裏切りでワンサイドゲーム状態。これは錦の御旗の影響もある。そしてやる気ない総大将徳川慶喜の一方的戦線離脱逃亡でトドメ。
結論
・全体における戦術眼の差
・現場指揮官の能力差
・総大将のヤル気の差(統率力、共有力の差)
因みに旧幕府軍伏見方面軍の現場指揮官はあの竹中半兵衛の末裔らしい 7月19日発売の週刊新潮では、サングラスを外した“変装”姿で中園氏の自宅へ通うタモリの写真とともに、詳しく報じている。
お相手はNHK大河「西郷どん」を担当する脚本家・中園ミホ氏(59)である。
東京・品川のある日の昼下がり。タモリの姿は、さる高級マンションにあった。
エントランスを出たタモリは、建物の周辺を行き来し、ときにあたりを見回している。
尋常ではない警戒の様子だが、それもそのはず、このマンションは中園氏の自宅なのだ 鈴木って30年後は松方弘樹や梅宮辰夫の様な老害になってそう 何キロメートルも遠くに揚がった旗キレ1枚みて戦意喪失
幕府軍メンタル弱すぎだろ… >>769
これ見たら薩摩すげえとなった
運が大分あるけど
イギリスから見た薩英戦争
http://youtu.be/OKOOcKBPjX8 >>785
鈴木がどうなるかどうでもいいけど
松方や梅宮を老害と思った事がない 松方も梅宮も、年取ればとるほど、腰がひくくなったような感じ
年とるほどえらそうになるやつほど癌なやつはいない >>767
>旧幕府軍の組織のダメさを書いてたら、サッカーWCを思い出してしまった
今の日本・・・ではないなw 今回優勝したフランスが南アフリカWCの時はそんな感じだったね。幾ら優秀な製品やスキルがあってもそれを使いこなせる組織や人材がいないとあかんのは今の会社組織にも通じるものがある
伏見方面の指揮官は竹中重固だね。この人は相手の退路を断つという基本中の基本が出来てなかったから単純に戦音痴だったんだろう。重固は明治以降も生き続けるんだよな 劇中の時代に、慶喜と久光は、どちらが格が上なの?
島津は鎌倉時代からの根拠も明白な源氏で、
徳川は家康がゴリ押しして偽装した偽源氏、
慶喜は偽源氏の八代吉宗から発生した御三共の末裔だし >>707
ここまでの行き掛りで「西国雄藩」同士だったからこそ
抜き差しならなかった長州を、朝敵になったからこの際完全にぶっ叩こうと
禁門の後は薩摩の西郷どんも普通にそう考えてた筈なんだけどな
だから、その筈で長州征討の参謀になった訳だけど、
どういう訳か途中で宗旨替えして(その理由も割と有名だけど)
参謀の西郷が元々公議政体寄りの尾張慶勝総督を口説き落として
家老の首で第一次を終わらせてる >>790
小御所会議による幕臣会津らの暴発を抑えるため、慶喜は二条城から大阪城へ
京にいる薩長は地元から、瀬戸内海から淀川ルートであるが
大阪城を抑える事で薩長は補給路を絶たれ、なかなか見事な戦略であったと思うが
デメリットは天皇を手放してしまった事
この状況で戦闘は絶対してはいけない、政治的に薩長に対抗しなければいけない
旧幕府軍にとって機内は領土もあり、味方した西国譜代も幾つかある
大阪城には姫路高松伊予松山備中松山などが在陣
しかし大阪城へ赴いてわずか1ヶ月も経たない状況で、自ら戦闘してしまった
理由が遥か遠い江戸で薩摩が暴れた、そんな理由で
せっかく有利な立場になりそうだったのに、自ら瓦解させてしまった
錦の御旗が偽物とかそんな事どうでもよく、戦闘したら天皇を神輿にされるのは当然の状況だったのに
越前や尾張は大阪城へ行かず京に残ったが、慶喜を擁護してくれ
使者として大阪城へ赴いた松平春嶽は、裏切り者と会津や幕臣らに罵られ殺されるのでは?と逃げていった
旧幕府軍の暴走は中立派をも敵にしてしまい、どんどん孤立してしまった
大阪の陣においても暴走する開戦派に片桐且元などが追いやられ、ますます暴走し孤立し滅びた
徳川と豊臣の滅亡は類似点が結構あったりし、暴走し孤立し連戦連敗ってとこは類似してると思う >>793
775もそうか
自分からいわせればスレチ。どうでもいい話なんですけどね >>792
バカか?
慶喜に決まってるだろ
つか島津の源氏は明白ではない怪しい説なんだぞw >>722
>>729
もっと根本的な事情があった
当時の一分銀硬貨は権現様の刻印を押す事で金一分(小判四分の一両)との交換を
徳川家が保証すると言う形式の貨幣で、金銀の含有量が釣り合っていた訳ではなかった
だから、徳川家発行の銀貨幣に相場よりも大量の金の価値を保証する事で、
実質的な中央政府である徳川家はいわゆる「出目稼ぎ」をしていた
にも関わらず、一分銀四枚と同じ重量のドル銀貨と金一両を交換せよ、と言うハリスの要求を
当時の幕閣が飲んだために理の当然として相場よりも少ない銀と交換された金小判が海外に大量流出
幕府外交官の海防掛でも勘定所出身の川路、水野は事態を予期して反対してたけど、
目付出身の岩瀬忠震、その上で外交方針の素地を作った堀田正睦は、ここで内輪からも条約調印がこじれたら
水戸斉昭辺りが出て来て収拾がつかなくなると強行方針をとった。
これに対抗するために、小判の金含有量自体を落として小判とドルとの重量的な交換レートを調整したために
金含有量の少ない粗悪な小判が流通、貨幣価値の下落で物価暴騰のインフレーションが庶民生活を直言、
それが開国の異人のせいだと言う事で、幕府外交と異人を忌避する攘夷勢力への支持が庶民レベルまで広がる事に ちなみに島津の先祖は渡来人の秦氏から連なる惟宗氏と言われている >>798
岩倉はれっきとした源氏。 具視の実家は藤原北家堀河家だけど。 明治政府では源氏長者となったのは岩倉具視。 だいたい、薩摩に根付いたのなんて朝鮮渡来に決まってるわw 796を追記すると
大阪城にいる旧幕府軍はゆっくりと時間かけて薩長と対陣すれば勝てたはず
焦る事は全くなく、ただ大阪城で何もせず引き篭もっていればいいだけ
しかし慶喜とその家来達は考えが違っていた
@倒幕派(薩長ら)
A公議政体論(慶喜や容堂や春嶽などの諸侯)
B大政奉還反対もう一度幕府復活派(会津桑名や幕臣ら)
当時この3派に分かれていたといえ
Aは不戦@は戦闘したいBは激怒し暴走
戦闘は@とBによる戦いであるが
大阪城はA慶喜の家来がBの会津幕臣ら
京は@とAの意見が分かれていた状態 鳥羽伏見の戦後、大阪城のA慶喜はBから逃げてしまった
京のAはBに転向し、Aは消滅
その後の戊辰戦争は@とBによる戦い 面白いと言ってはなんだが、幕末末期の政局を見た場合、
家康から徳川三代の配置が見事に図に当たってるんだよな
大政奉還後の大政再委任派閥の核になったのは言う迄もなく会津、
幕末京都守護職で矢面に立たされて今更幕府って梯子外されたら会津自体が身の破滅だと
徳川家光が徳川の未来を託した会津と、その会津松平の実弟で
京都所司代を務めていた桑名松平がまず中心になった
譜代筆頭彦根井伊、御三家の紀州、水戸、初めとして、
越前、尾張を除いた近畿、中部圏の御三家、親藩、譜代、
津や大垣の準譜代に至る迄が会津に同調してるから、
京都の木戸、大久保西郷の勢力は正に家康が要所と見込んで配置した
近畿、中部圏の巨大勢力を敵に回してた事になる
只、問題なのは、その面子から言っても、
はっきり言って徳川家臣が幕府であった事の既得権益が大きな動機となるから、
慶喜が短絡的に、さっさとこのウェーブに乗って在京薩摩をひと捻りなんてしてた日には、
結局こいつらに一生頭が上がらないまま諸外国に対抗出来る統一政府の樹立なんて出来る状況ではなくなる >>804
平氏政権も鎌倉幕府も崩壊した時はそうだった
倶利伽羅峠の戦いで10万もの大軍を投入しながら、木曽義仲に大敗して京都を失った平氏政権
たった150騎で上州で挙兵した新田義貞にとどめをさされて滅亡した鎌倉幕府 >>807
日本の歴史では天下人が変わるときは、
旧勢力の大軍が新興勢力の少数軍に敗れるという事例がよく起こるという不思議
倶利伽羅峠の戦い、千早城の戦い、桶狭間の戦い、鳥羽伏見の戦い >>804
関ヶ原は石田らの官僚派と、加藤福島らの武断派による豊臣内の対立がよく言われるが
幕末の徳川も安政の大獄で、井伊らの譜代と水戸らの親藩を中心とした内部対立があった
関ヶ原において徳川は片方を応援する事で漁夫の利を得たが
幕末において島津も片方を応援し漁夫の利を得た
徳川と違い、島津は安政の大獄においては負け組に味方したが
ほとんど被害は被っておらず
関ヶ原で石田らは全滅し、加藤福島らは残ったが
幕末水戸と井伊は両者手痛い被害を受けた違いがある >>809
島津は戊午の密勅や不時登城に関わっていなくて幕府にも従順だったからな 戊辰戦争は西郷のせいなんだろ
じゃあ軽く流すしかないよね >>804
戊辰戦争勃発直前の情勢では、慶喜の政略に大久保も根負けして
慶喜を新政府の議定に迎えると正にそこまで詰めてたけど、
じゃあ、幕府時代に帝と将軍の下で最前線で戦って来た挙句に王政復古で賊軍扱いの
会津はどうなるんだと、自分らも家臣ぐるみの全人格的プライドと実利の問題だったからな
そもそも、松平容保の反対にも関わらず江戸城の楽観論で長州征討に自爆して幕府の威信を落としておいて、
今更大政奉還で幕府はなくなりました、みんな一大名ですと言われて、
それで長州が朝廷に復権して来たらそこで殺し合いをしてた会津はどうなると
その、文字通り藩としての死活問題を抱えて朝廷に大政の再委任、
今から外国の議会制度の真似なんて簡単に出来るか、
三百年幕府をやってた徳川宗家以外に大政、中央政府の実務能力なんてないんだから
朝廷から改めて徳川家に大政を委任すべし、
との奔走を始めた会津に、「将軍家の一門、直臣」と言う既得権益を失う親藩、譜代が
一斉に同調して、領地的には近畿、中部を制する巨大勢力になってた。
江戸城からも江戸で調練した軍兵を率いて幕閣が上洛してる >>813
藩主と家臣団全員出家しますって選択肢は無かったのか会津藩
頭丸めて城を放棄して各地の禅寺にでも隠居していれば復権とまではいかなくても犠牲や汚名は回避できたようにも思う >>812
幕府側の会津とかは大政奉還に大反対して攻撃してきただろw 戦をせずに政権交代して議会制民主主義に移行できたなら
それが一番良いんだけどね
藩主がどんなに腐った譜代藩でも中にはまだ使えそうな人材もいるだろうし死なすのは勿体ないよ >>814
薩摩長州が許さないって
西郷はわからんが いろいろめんどくせえから開国攘夷と意見をコロコロ変える人間にされた慶喜
たかだか150年程度前の人間をここまで馬鹿にしていいものか >>819
でも慶喜って大正時代まで生きて宿敵だったのはみんな亡くなったし
ある意味勝ち組 >>819
いや、ドラマの参預会議に関しては
もちろんネタっぽく描かれてはいるけど
大体合ってるだからなあれ
実際、参預会議での攘夷、開国に関しての慶喜の発言は
それだけ見ると本当に辻褄合わない変転してるから
ドラマではネタっぽく見えるけど、あの時点での島津久光は
ドラマでも上座にいた中川宮を完全に取り込んでいて
八一八で摂関すら超えた孝明帝とのパイプ役を島津に握られた事で
徳川抜きで外様と朝廷が直結される、参預会議がそれを正当化する格好の道具にされると
それを恐れてぶち壊しにかかったのがあの場面だから
既に参預会議での中川宮からの原案すら薩摩の下書きを丸呑みしてて
それを察知した慶喜の危機感が臨界超えた時点 >>819
実際そうだから
周りが攘夷ってた頃開国言ってて薩摩が開国言うと攘夷言いだして混乱させてた
戦でも長州大討ち込み言い出して不利だと悟るとあっさり辞めた
戊辰戦争も同じ現象で起きている >>814
元来主君のため、藩のために死んでも最後まで闘うというのが武士なわけだろうからほぼ無理だろ
その時代は国全体よりそういうモラルのほうがまだ強かったはずで、国全体を考えて行動するのは限られた先進的な人達だった気がする >>821-822
そんなん諸々伝わってこんかったぞ・・・
ただただ投げ出したくてしょうがない人にしか見えんかったがー >>822
それって徳川と薩摩、慶喜と久光の単なる主導権争いなんでしょ? >>823
>>824
赤穂浪士討ち入りに関わる世評を見ても、
それやったら社会的に死ぬわ
武士が尻尾巻いて逃げ出す、まして、いかにサラリーマン化が進んでも
お家の長、父親に当たる殿の首を差し出して生き残ったなんて言った日には
家臣は社会的に死ぬ
桜田門外の変も冗談レベルの捏造を大真面目にやって報復戦争回避した事で
幕府の威信が更に下落してるし、
江戸に於ける薩長の評判は無茶苦茶悪くて、新政府に取り立てられた幕臣が
本当に人目を憚る、よんどころなく生活が苦しくと周囲に頭を下げて回って
八百屋魚屋からも買い物を断られると言うぐらい嫌われてた >>788
日本人は、若い頃はムチャクチャやっていても、年をとるとおとなしくなって丸くなるんだよ
松方弘樹とか、海宮辰夫みたいに
逆に、朝鮮人は年をとればとるほどさらに凶暴になる
張本勲とか、星野仙一とか、内田裕也とか、泉谷しげるとか、ビートたけしとか 戦なき世を望まぬ人間は戦争をしたがる
しかしそこに正当性などは無い 武力による平定は休戦みたいなもんだからな
生かしてもらっても恨むやつは恨むし
国難の舵取りを武力に頼らず決着できなくてはまだまだ法治国家とは言えんね >>832
@ジョン万次郎から聞いた
A脱藩してから単身で薩摩に潜入しようと試みて失敗したことがあってそのときに道中で話を聞いた
これのどちらかかな 戦による政権交代がもう無理と終止符打ったのが西南戦争の意義 勝が坂本に西郷の話ばかりするから
西郷に会ってみたいって流れなんだがなぁ >>792
久光自身は将軍と同格ぐらいには思っていただろうな
オレが慶喜を後見職にしてやったと思っていたし、薩摩が日本の方向を決めるという自負はあったろう
そういうのが顔に出てたんだろうな >>832
坂本龍馬が脱藩した理由は、寺田屋事件の時に有馬や長州が京都で武装蜂起しようとしてた計画に加わるため
土佐を飛び出して下関に着いたのが、ちょうど久光が西郷の京都行きを知って大騒ぎになってた時
なので考証的には龍馬が西郷を知ってるのは当然なんだけど、たぶん脚本はそこまで考えてない 勝が臨海丸で鹿児島の指宿で斉彬に会ったときに斉彬西郷のことを話してたエピソードの件はドラマでもすこし言ってたね
指宿では久光のことも紹介してるが、
「若い頃から学問を好み、その見聞と記憶力の強さ、志操方正厳格なところも自分に勝っている」といったという 久光は優秀だぞ
長州が滅亡しなかったのは久光のおかげだからな 斉彬と久光の差は大体育ちに由来するもので同じ状況下で育てられてたら
資質にあまり違いは出ないんじゃないかという気もするね >>842
久光は優秀だしドラマや司馬遼太郎さんの小説のように苛立ちや怒りを表に出す
人柄ではなかった
慶喜の乱行の時も静かに受け止めてその上で
帰ってった、薩摩に >>824
君主の腹切はダメだよ
時代的にそれは藩を潰すのと同義 西郷と勝、龍馬の初対面て調べたら以下だったけど間違ってるのかこれ
龍馬と先に会ってることになる
1864年8月中旬頃 西郷と龍馬
1864年9月11日 西郷と勝 01]__1987___28.7___47.8___39.7____独眼竜政宗
[02]__1988___42.5___49.2___39.2____武田信玄
[03]__1989___14.3___39.2___32.4____春日局
[23]__1990___26.9___29.3___23.2____翔ぶが如く
_翔ぶが如く は前年比9%以上下落した。当時としては低い。幕末薩摩大河は人気ない。
篤姫は、主人公の出身が薩摩というだけで、ストーリーの中心は徳川の御台所になった後である。ゆえに、薩摩+幕府 か、突き詰めれば幕府大河である。 >>845
加賀藩・尾張藩の得意技(幽閉)を使いなされ。 そうせい候が鑑識
木戸が刑事
奄美で島民を虐げていたレイプ役人が犯人で木戸刑事に逮捕される
刑事七人なかなかの配役だなー 1864年9月11日は重要な日だね
これまでの大河でも何回も描かれてきた そりゃ西郷が主人公のドラマなんだからあからさまな久光下げの脚本になるのが当たり前なるよね
司馬の飛ぶが如くも同じ感じだし >>847
その理屈だと跳ぶは薩摩+京都+江戸になるけど?馬鹿? >>848
>>852
まあ、神保修理を死なせてる様に藩だから
内部事情的に無理だっただろうな >>854
死なせてるっていうか
ムリヤリ殺したんだよ
無実の罪で >>854
近衛演じてる
国広が日テレ時代劇で神保修理演じてたな >>852
会津戦争前の会津藩「今更降参できぬ!!そもそも降参しても許されるわけがない!!薩長討つべし!!」
会津戦争で大敗
会津藩「やっぱ降伏します」
薩長「会津26万石から青森3万石に国替えね。藩主殿は実子に家督を譲っていいから隠居謹慎で」 あほな殿様に「明日おまえ死ね」って言われたら心当たり無くても「はい腹切ります」って死ななきゃいけなかった
それが封建主義の武家社会 >>857
最初から降参してればもっと軽く済んだのにね
新政府側は首までは獲らず白旗で許してくれたし町も治してくれた
それまで無かった市民のための学校や大病院も新しく出来た
極寒の北海道に飛ばされなかっただけでもまだマシだな 会津藩は降参も鳥羽伏見の謝罪もしてないし新政府も認めてなかった
会津藩と共に京都時代薩長と戦ってた桑名藩は降参して許されてるからね >>860
自業自得だな
やっぱり謝りに行ってれば許されたんじゃないか?
一度真正面からやり合った薩摩と長州の方が互いの戦死者多いだろうし会津はそんなに恨まれるほどの大物とは思えないんだよなぁ
五稜郭には呼ばれなかったしミニエー銃も買えなかったし 薩摩藩邸焼き討ちした庄内藩はほとんど処分なしだっけ? 慶喜は天狗党事件で水戸を切り捨て
大政奉還で会津のハシゴを外し
鳥羽伏見で味方すべてを見殺し
こんだけやって殺されもしなければ
本人もたいした後悔も無さそう
大正までムダに長生き
こういうのを糞ボンボンというんだろうな ただ長州藩も朝敵になって全国敵にまわして戦ってる
長州藩は勝利したが、勝利した長州藩が異常だった
西南戦争で薩摩も全国敵にまわして結局負けた >>864
慶喜の側も味方と思ってなかっただろうな
松平容保も大政奉還後に慶喜から直接叱責されてるし
大政奉再委任派とか、
要は「将軍家一門、直臣」である為の既得権益で足を引っ張ってるとしか見ていない
只、彼らにしたって、特に会津以下、自分らの家臣を抱え社会的なプライドの下で生きている訳で
貴人情を知らずと言うけど慶喜は特にそれが甚だしい上に、
政治を公のシステムとして見ると言う事に特化している人物だから
それ以前に慶喜自身が帰国要請を引き留めて会津をどれだけ働かせていたかとかも
頭から抜けていたのか現実的に応じられないと黙殺したのか てか慶喜って公爵になって明治天皇に謁見まで許されているじゃん
完全なる勝ち組 慶喜に軍事的基盤が無かったとはいえ
自分の都合であれこれ味方に付けては
都合が悪くなると
これ以上ひっついてオレのジャマをするな!だからな
貴人だからこそ通用した処世術
パンピーがこんなことやってたらとっくに死んどる >>869
維新じゃなくて
徳川中心の政権で
慶喜がトップだったら
近衛文麿ばりの売国奴扱いされてそうだな
慶喜の外交とかやばそうw 慶喜は孝明帝崩御の時点でなにもかもあきらめた感だから、そのとき松平容保あたりに将軍職をゆずっていたら、面白かった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています