【第三十四回】太平記 part.34『尊氏追討』
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>>330
どっちも養子入りまくってるよーな気もする 喜連川って現在は実際の血縁では水戸の流れだっけか?
平島は本来の血縁で続いているのかどうか知らない
しかし平島と喜連川ってお互いに関係微妙みたいね
以前喜連川へ行って地元の教育委員会の人とかと話したことあるけど
「徳島県の平島と何か交流があったりしますか?」
って何の気なしに聞いたら突然不機嫌になって
「うちとは何の関係もありませんから!」
みたいなことを言われた記憶があるよw 筋で言えば平島が本家筋、喜連川が分家筋だな
ちなみに平島は血統的にも足利の血筋が続いているらしい >>333
本家筋は華族じゃないのに、分家筋が華族っていうと、朽木氏なんかもそうだね。
朽木谷を領する旗本だった本家は士族だが、大名に取り立てられて福知山藩主として
明治維新をむかえた分家は子爵家。
あと華族同士であっても、伊達氏なんかのように、本家の仙台藩主家(伯爵)よりも、
分家の宇和島藩主家(侯爵)のほうが、爵位が高いケースもある。 足利市の中島氏って元は本家筋らしい。
徳川家に家系図を焚書され苗字を、足利から中島に変えられた。
鎌倉や京都や古河でも中島家みたいな家はあるらしいな。 何でそんな事せなあかんのか意味不明だな
人のせいにする、被害妄想な所は田舎者らしいな >>336
厳密に言うと細川は足利一門ではない
矢田一門だ、義清が矢田と名乗ったのを無視するな
ボキは細川は三河物部氏と睨んでいる
正確に言えば、加茂次郎の孫が三河物部氏に婿養子になり、その子孫が松平に養子入りしたと言われる大給松平氏と同祖であるとな
細川護煕墓氏参記念碑(三河県岡崎市)
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46) >>340
近世に大人の事情で足利を名乗るのを控えていた家は近代以降だいたい足利に復姓しているじゃん ちなみにYES高須院長!も幡豆郡一色町、これ豆知識な >>342
そんなこと言い出したら今川は足利一門しゃないってことになるぞ
頭に蛆虫が湧いてるのか? 古河公方といえば
鎌倉から古河に本拠移すときに今川勢やら上杉勢に負けて移すんじゃなくて
相手ボッコボコにして動けないように拘束した後に
古河へ移したんだってね
理由は公方御料所が集中してる下総と武蔵東部の方が都合がいいから 自分たちの巣も盛り上げられない癖に偉そうにドラマに口出しするのが歴史クラスタ 史板じゃ鼻で笑われるレベルだからこっちでマウント取りたいだけ >>350
はい、その通りです。
俺レベル低くて、日本史板でやるのは日本史板の人たちに失礼だと思うので、こちらでやらせてもらいます。
今度とも三河屋ともどもよろしく! 直冬と義詮、器量はどっちが上だったんだろな
中の人の演技力って意味やなくてさ
義詮はまがりなりにもガラス細工とはいえ幕府の基礎をなんとか成立させたわけだが戦には弱い
まあ仁木など側近の力不足だろうけど
直冬は明らかに戦は強いし徒手空拳から策謀をめぐらし中国北九州を牛耳る力量があった
直冬も義詮に取って代わるまで考えてなかったし
鎌倉府のように鎮西探題とか世襲させてたらなあ
とか思う 九州もややこしかったしなぁ
征西府(菊池)、少弐、一色に今川・・・・・・ >>354
ややこしすぎてドラマでは45秒で終わったな >>352
でもさ、せっかく>>350が日本史板じゃ笑われるからこっちに居ろと勧めてくれるし、
遠慮なく居候させて貰うよ! >>353
直冬って戦強いのか?
西国の直義派の人たちに祭り上げられている間はよかったものの、そうした人たちが
いなくなった瞬間、歴史から消えたような印象あるけど・・・? >>357
強いだろ
高師泰が直冬征伐言って出陣して
直冬の本拠のまでたどり着く前にボロボロになってるし 東寺合戦ではあんまり強いという印象じゃなかった
結局神南突破できずに首絞められたまま京都に首突っ込んで
決戦が迫ったらさっさと逃げ出して諸将あきれて解散 >>359
直義もどっちも何故か尊氏とは先頭切って戦おうとせんわな
直義と一緒で直冬も後方にいるだけ >>362
あれは史実では止められた
東寺合戦の時に目立つ格好で最前線に飛び出してきて
頼むから引っ込んでくれと皆でお願いしたという話がある 昔も今も
エンターテイメントなヤマ場が
ウソ八百でも受けるんですよ 今やったら歴史捏造とボロクソ言われるからできないな
歴史にビクビクした大河ばかりになってつまらなくなってしまった どっちが強いなんて
ドラマと関係ねえから
幼児板でやれよ
>>364お前も戦国板でやれよ ちょうどこのころに武田信長とかいうパチモンみたいな名前の方が
直義方にいましてね・・・ 義詮は藤波辰爾みたいなもんだな
いつもボコボコにやられているんだけど最後は返し技で勝つ、みたいな >>366
最近の大河でも、「風林火山」では信玄と謙信の一騎討ちを描いてしまったが、それに
対する批判はさほどなかったと思うが。
>>368
武田信長って、永享の乱〜享徳の乱あたりの人物じゃなかったっけ? 尊氏と義貞の一騎打ちはドラマの華じゃないか
ナレ:このあと再び二人が相まみえることはなかった 太平記だから尊氏と義貞の一騎打ち程度の創作は許された。
近年の大河はあんな劇画調の創作を毎回やっててあきれる。 劇画調を盛り上げる力があったからね
今はへんに小物とかにこだわってるだけでみみっちい 鶴瓶の岩倉がぼろくそ言われてるけど
太平記は榎木の日野俊基
近藤正臣の北畠親房
藤木孝の坊門清忠とか
違うタイプの公家でそれぞれ上手いなって思う 四条隆資とか出てたっけ?そして必ず忘れ去られる日野資朝さんw 四条隆資は尊氏が日野俊基に誘われて醍醐寺を訪れる場面が初登場 北九州男の二階堂入道も趣があった
なぜか建武政権に参加してたし >>378
無名の伝令役だな
一瞬顔が映るだけ
ただ報告シーンでそれなりにセリフは多いからあのダミ声で一発でわかるw 塩冶高貞って道誉のパシリで師直に嫁を寝取られたイメージしかないw >>382
何故かって、実際の歴史でも鎌倉滅亡時に死んだわけじゃないし、問題なくない? 劇団四季の何とかって人が公家役で出てて、公式ガイドブックで大きく紹介されてなかったっけ?
本編ではほとんど存在感なかったけど。 劇団四季だったら、前年の大河主演の鹿賀丈史が押し込んだキャスティングかな・・・ >>391
そういえば嫌みな公家の役がよく似合っていたねw 鎌倉観光を親父がしたいつうから付き添いサポートしてきた
高時腹切りやぐらどうかと提案したがコワイコワイと断られた
次ひとりで逝こう
太守や円喜に会いたい そういえば高倉健氏は、毎年5月22日に腹切りやぐらに来ていたらしいね。 台詞回しが古き良き日本語で心地良いな
父が倒れて華佗の術を施しております、とかいと美しき
同じ本書きなので麒麟もこの調子で頼む >>396
東勝寺行こうよ
東勝寺のご本尊が裏にあるから少し歩こう
ご利益あるんだって
とか言えばヘーキヘーキ >>398
今のNHKは、視聴者は無知で馬鹿という前提にたっているからなぁ。
華陀の術なんて言っても、どうせ誰も何のことか分からないと思っているだろうから、
そういう台詞は入れないと思う。 今もし太平記がBS3で再放送されたら、ネットでかなりの反響ありそう
ヘタすると夜の大河以上に
出演者はほとんど現在でも活躍中だし、
鎌倉炎上回とかすごいことになるだろうな >>402
道誉スレのタイトルは
「佐々木道誉ってどうよ?」
になるんだろ? >>398
そんなセリフあったかね?
何話か忘れてしまった。 先程華佗の術が功を奏しお気が付かれて御座います
今の視聴者なら、は?ってなるわな
字幕で説明してあげないと 「華佗の術」という言葉は知らんでも「華佗」が何かどんな人かくらい知ってたわW
当時小4小5の俺W
今のガキは大坊でも全く分からんやつばっかだろなW
>>399
ご本尊クソワロタWWWWWWWWWW
レス39WWWW ほんとうちのクソオヤジは鎌倉が武家の都だったということを理解してないようで困る!!!!!WWWWWWWW
仏像仏像バッカだったわ
ぶつぞう!!!ってかWWWWWWWWWW 高時のオカンは腹切りの12年後まで生きるんやな
可哀想なオカン萌えーーー】WWWWWWWW >>397
北条の子孫は多いんだな
横井小楠は太守の子孫とか
今回知った
名前はクスノキ息子まんまなのにな 如意王ちゃんが生きてたら
直詮なんだろうな
如意王ちゃんの子供は
直満か満直
如意王ちゃんの孫は
直持か持直
直冬も九州探題で義詮と和解してそのままだったら
子供は冬詮
孫は冬満か満冬
曾孫は冬持か持冬
こういう世界が見たかったなら、足利一門みんな仲良しの世界 >>412
義満期以降は将軍の偏諱を後ろに付けるのはNGになったはず
偏諱を後ろに付けたのは鎌倉公方氏満が最後 今日の西郷どんでは「大樹」が出てきた。
テロップなし。
珍しい。 太平記のドラマでは、説明なしで「柳営」が出てきたね。 >>408
三国志演義自体は一定の人気を保ち続けているから、一部の人には分かるかと。
官職・部署の唐名はなかなかに難しい。
幕府は例外的だけど。 まあ幕府って言葉は明治以降の言葉だから当時なかったけどな >>417
新井白石の『読史余論』とかで、「幕府」の語を武家政権の意味で用いている実例あるぞ。 言葉はあったけど当時鎌倉幕府や江戸幕府とは言ってなかったらしい
確か関東の武家の集まりみたいな呼び方だった 【#ケチって、核兵器】 環境省は放射能を、厚労省は被曝を、さらに気象庁は <核実験> を隠してる
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1536460797/l50
全域ハゲる山崩れ、プレートない北海道でM7大地震。
「人工地震大きすぎた! 震度1の予定が4-5」(昭和59、読売新聞)
「恐るべき環境、気象兵器、米ソで研究着々」(昭和50、読売新聞)
「最大の人工地震に成功」「原爆で人工地震」(昭和32、読売新聞) >>420
まあ「幕府」という言葉を「武家政権」の意味で使うようになるのは近世の半ば以降
というのは史学科出身なら常識だけど一般にはほとんど知られていない事実だな
「鎌倉幕府」「室町幕府」のような用語は後世の歴史研究者が作ったテクニカルターム 鎌倉幕府とか江戸幕府なんて歴史ドラマで見ると笑ってしまう >>424
ずいぶん心が狭いのねw
そういえば将軍のことを「上様」というのも近世以降の用例であり中世ではあり得ない 幕府なんて格好いい用語使わなくていいんだよ。鎌倉政権でいいんだよ。室町政権と鎌倉府。江戸は幕府がしっくりくるな。
鎌倉殿、室町殿、御公儀 >>426
室町政権より足利政権のほうがいい
足利政権の全期間を通じて室町に政権の本拠地があったわけではないしw
まあそれをいうと徳川政権も将軍在任中に一度も江戸に滞在していないのがいるけど
あと公儀は織豊政権でも用例がある そういえば、「北条時宗」に出てきた蒙古宛ての文に、日本国幕府執権なんとかかんとかとあった気がする。 あのとき蒙古に対して返書なんて出したっけ?
蒙古から来た国書の宛名は日本国王だったと思うけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています