【第三十四回】太平記 part.34『尊氏追討』
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>>412
義満期以降は将軍の偏諱を後ろに付けるのはNGになったはず
偏諱を後ろに付けたのは鎌倉公方氏満が最後 今日の西郷どんでは「大樹」が出てきた。
テロップなし。
珍しい。 太平記のドラマでは、説明なしで「柳営」が出てきたね。 >>408
三国志演義自体は一定の人気を保ち続けているから、一部の人には分かるかと。
官職・部署の唐名はなかなかに難しい。
幕府は例外的だけど。 まあ幕府って言葉は明治以降の言葉だから当時なかったけどな >>417
新井白石の『読史余論』とかで、「幕府」の語を武家政権の意味で用いている実例あるぞ。 言葉はあったけど当時鎌倉幕府や江戸幕府とは言ってなかったらしい
確か関東の武家の集まりみたいな呼び方だった 【#ケチって、核兵器】 環境省は放射能を、厚労省は被曝を、さらに気象庁は <核実験> を隠してる
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1536460797/l50
全域ハゲる山崩れ、プレートない北海道でM7大地震。
「人工地震大きすぎた! 震度1の予定が4-5」(昭和59、読売新聞)
「恐るべき環境、気象兵器、米ソで研究着々」(昭和50、読売新聞)
「最大の人工地震に成功」「原爆で人工地震」(昭和32、読売新聞) >>420
まあ「幕府」という言葉を「武家政権」の意味で使うようになるのは近世の半ば以降
というのは史学科出身なら常識だけど一般にはほとんど知られていない事実だな
「鎌倉幕府」「室町幕府」のような用語は後世の歴史研究者が作ったテクニカルターム 鎌倉幕府とか江戸幕府なんて歴史ドラマで見ると笑ってしまう >>424
ずいぶん心が狭いのねw
そういえば将軍のことを「上様」というのも近世以降の用例であり中世ではあり得ない 幕府なんて格好いい用語使わなくていいんだよ。鎌倉政権でいいんだよ。室町政権と鎌倉府。江戸は幕府がしっくりくるな。
鎌倉殿、室町殿、御公儀 >>426
室町政権より足利政権のほうがいい
足利政権の全期間を通じて室町に政権の本拠地があったわけではないしw
まあそれをいうと徳川政権も将軍在任中に一度も江戸に滞在していないのがいるけど
あと公儀は織豊政権でも用例がある そういえば、「北条時宗」に出てきた蒙古宛ての文に、日本国幕府執権なんとかかんとかとあった気がする。 あのとき蒙古に対して返書なんて出したっけ?
蒙古から来た国書の宛名は日本国王だったと思うけど 元寇の時は亀山と後宇多なんだな。ちゃんと祈ってくれてたんだろうか 筥崎宮の鳥居の「敵国降伏」の額は亀山天皇の宸筆だったはず リアルタイムの放映から30年くらいたってるのかな。
30年の間に中世史の研究が随分蓄積されたことだし、
それを活かしたこの時代のドラマも見てみたいな >>429
時宗が再びの国書を求めるとか何かでわいわいやっていたような。 >>433
福岡市博多区の東公園には巨大な亀山上皇像があるな。敵国降伏とある >>435
実際は朝廷が用意しようとした返書を幕府が握り潰した >>434
頼朝は直義だったし
尊氏は高師詮っだったし
時代祭りで足利がやっと認められたし
あと何かあったっけ? ドラマ冒頭で出てくる霜月騷動に関する評価はここ最近で大きく変わったと思う
あと足利家時の没年月日や死んだ背景とかもドラマ放送時にはまだ不明な点が多かった 神護寺の三像は直義尊氏義詮なんだろ。神護寺関係者は適当こきすぎだろw >>448
もしかして、子連れ狼を読んだことありますか? 最近ひとにすすめられて太平記みたけど、昨今の大河と比べて、本当にすばらしい。
ただ、北条滅亡までの高氏には好感もてたが、後半の尊氏は、最後まで好きになれず、
むしろ直義を無意識的に応援していた。
しかしそれはもともとドラマが意図していたことで、彼の優柔不断性や過度に理想主義的なとこだったり、
さまさま゛まな人間的な欠点をかかえた人物として描かれているからなんだろうね。
そう考えると、西郷どんの西郷のように、妙に善人とか欠陥のない偉人とかにしてしまうよりも、色々と教訓が多いかもしれない >>455
太平記とキンジパはキャストのせいでよく言われてたよな
中身は正反対だけど 真田がアクションの人ってイメージだったからな
麻雀放浪記は面白かったけど
鹿賀丈史とか高品格とか
存在が濃すぎてw しかし、いかなる理由や状況でも、実の弟を目の前で毒殺するような人間は、ダメだな。
これこれこういう理由でお前がいると困るから、腹を切れ、といえばいいだけのことで。
それをだまし討ちにして毒殺するのは、下の下
どうも、足利高氏という人物がこれだけ天下統一にてまどったということは、彼の人間性に、あんまりカリスマ性というか、
人望が欠落していたんだろうなとは思う 負けを認めない直義の意地のせいでああなったと兄弟両方わかってたよ 甘ちゃんの兄者が大将軍(頼朝)になった瞬間だな
直義は称えてくれた >>458
織田信長の弟殺しとかに比べれば遥かに美しい最期だったが? そうだよな。非情に徹しきれないところが尊氏の魅力でもある。
天下人としてはダメだけど。 >>465
足利宗家の連中って皆そうだよな
非情になれないから行き成り出家
がマジ多い ただ鎌倉将軍や徳川将軍に比べて足利将軍は異常に政治的な権力欲の強い人物が多いけどね
というか鎌倉期の摂家将軍・親王将軍や江戸後半期の徳川将軍は非情になるとか以前に
御輿として政権のトップにいるだけで自ら政治的な判断なんてほとんどしていないわけでw >>468
義満とか?
最終回で尊氏がジジバカな問答を道誉としてたけど、将来のあの権勢欲を見ることができたら、どう思ったろう?
あの道誉なら、もはや寝返りを企むこともできぬ、と高笑いしそうだが。 このまえヒストリアで観応の擾乱をやってて、直義が高師直を暗殺したような説明だったが、
ドラマだと直義というより上杉能憲一派の一存にみえたので、最近の研究だと直義も事件にかかわっていたということなのかな。 気になったので観応の擾乱をウィキで見てみたが、師直暗殺は尊氏も了承していたような記述があるな。
真偽は知らないが、めっちゃ複雑そうだ >>468
鎌倉幕府は元々御家人の連合体で、将軍は御家人に担がれた文字どおりの御輿でしかない
江戸幕府は官僚機構が高度に整備されているから将軍が采配を振るわなくても政治が回る 351 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2018/09/04(火) 15:56:15.53 ID:u05wPvml
>>350
はい、その通りです。
俺レベル低くて、日本史板でやるのは日本史板の人たちに失礼だと思うので、こちらでやらせてもらいます。
今度とも三河屋ともどもよろしく! >>470
足利将軍は最後の義昭に至るまで権力に対する執着心は物凄く強いよ 別に好きで権力好きなわけじゃないだろ
権力側にならないと守護は傍流に取って代わられるんだから
下からの突き上げも有る
将軍も食うか食われるかの室町幕府 室町幕府は良くも悪くも将軍独裁政権だからな
有能な将軍が独裁的な権力を持たないと上手く回っていかない 権力欲がもっとも醜い形で現れたのはやはり義政かなぁ
なんか昔は権力放棄したみたいな言われ方してたけれど >>477
義持期とか、義教の初動期なんかは、合議制で結構うまく回ってた様におもうけど >>478
花の乱の団十郎の御所様は
庭いじりしてた
神輿として利用しようとする権力争いの裏を見抜けない
ポンコツって感じは出てた >>479
合議制といったって後の江戸幕府の合議制なんかとは違って
将軍が有力守護たちの上に立って上手く調整していかないと
何も回らないのが実態だからなぁ
結局室町幕府って将軍にある程度の政治力があって初めて上手くいく体制なのは
最初から最後まで変わらないよ 幕府は京に置いたらダメですな。半公家になる。尊氏と義詮の時代はしょうがないとして義満以降は東国に本拠地を置かないとね。頼朝さんという良いお手本があったのにね 今の史観で太平記やったら・・
あかん、尊氏が単なる人でなしになって後醍醐が単なる保身の化身になってまう >>483
頼朝の時代と義満の時代じゃ武家社会の成熟度がそもそも全然違う 室町幕府の求心力ってなんだったのか考え出すとよくわからんね
将軍というか室町殿というか、足利自体には強力な武力があったわけでもないし。
有力守護大名同士の同調圧力が求心力を産んでたのかなw
畿内以外の地域を考えると、そもそも幕府自体に求心力があったのかさえ微妙なのかもしれんけどw >>482
真田広之が出ていた例のドラマ?
太平記とどっちが先だっけ? >>487
地方社会においても幕府から任命される守護職や将軍からの偏諱は大きな意味を持っている
求心力自体は日本全国津々浦々までしっかり浸透しているよ >>489
まぁ確かに全く求心力がないんだとしたら、
幕府が200年も続きはしないだろうからね。
でもなんというか、求心力の正体が
なんとなくの権威、空気、雰囲気みたいな感じで
なんかハッキリクッキリしないのよね >>490
それは中世は地方分権&自力救済の時代なんだから
院政・平氏政権・鎌倉幕府・建武政権・室町幕府のいずれもさほど変わらないだろ
たた建武政権のように滅茶苦茶をやり過ぎると短期間で急速に求心力を失って崩壊
ということもあるが なんか>>490みたいなレスって、室町幕府は公家化した弱々しい幕府というのが前提の
思考法って感じで気持ち悪い。 >>492
そんなことは前提にしてないよw
まぁ自分の文章力がないせいで伝わらないんだろうけどね。
なんというか・・・義満の時代は別として、権力の中心がどこにあるのかよくわからない様な状況で
なにか確固とした支配体制があるわけでもなく、都にいる有力守護達も結構利害対立があったり、
地方なんかでも結構好き勝手にやってるような状況なのに
大枠のところでは体制破壊までは進まないというか、そういうところの根底にあるものがなんなのか
良くわからないというか。
ていうか、自分の文章自体が読み返してよくわからないがw
あと、「公家化」というと、義満が公武一体の政権を作った副作用で、
義政がちゃらんぽらんなせいで、日野勝光みたいな公家が政権運営を主導したりした時期もあったりするのは面白いとは思うけど、
なんというか時代劇的なお公家さん政権とは全然思わんよ ましらのイシは結局どうなったんだろう
藤夜叉と夫婦にしてあげたかった その文も何言ってっかわかんねえよ
だらだら長文書いてんじゃねえよハゲ ♪ つぅ〜るとかぁ〜めとのも〜の〜がぁ〜たぁ〜り〜 公武一体政権は義満・義持の代くらい
義教からは普通に武が全面に出てる >>493
長文はもう少し整理して欲しいが
あの表現から前提がどうとか気持ち悪いとかは全く思わないので気にしなくていいよ
むしろ勝手に前提読み取って気持ち悪がる方がよほど…
ともあれ「中世に国家はあったか 」という本があるくらいだし難しい議論なんだろうな >>488
うむ。
太平記は高校教師の肥やしに過ぎぬ。 やはり武家は武家、公家は公家で暮らしたほうがよいのです。
かつて源頼朝公が京を離れ、鎌倉に武家だけの国を
開かれたのは、ゆえがあるのでございます… ざっくばらんにみて、足利幕府が、鎌倉幕府の創業期や徳川幕府と比べて、核のようなものが欠けているような感じがするのは、わりと一般的でしょう 鎌倉幕府の将軍はそもそも公家だし
江戸幕府の将軍もごく初期を除けば完全に公家化している
いずれも実戦経験皆無の弱弱しい人物ばかり
それに比べて室町幕府の将軍は最初から最後まで自らガンガン戦をしていて
完全な武人政権って感じだと思う >>501
直義が政務をやっていた頃の初期の室町幕府なんてガチガチの糞真面目で核ありすぎじゃね? 幕府に核が欠けているのではなく、南朝と言う対抗馬が長く並立していただけ
北朝の核は間違いなく将軍であり足利党
南北朝時代が異常だったと言う事…応仁の乱も酷いがw やっぱり>>501も
室町幕府は鎌倉幕府・江戸幕府と比べてダメな幕府
という前提が潜在意識としてあるんだろうな 幕府成立から南北朝を終焉させるまで半世紀以上掛ったのが
「核のようなものが欠けている」という印象を醸し出すんじゃね?
江戸幕府なんか、幕府成立から15年足らずで武力で敵対する大名が消滅したから、
それと比べるとね。 >>507
分裂している両方に共通する核なんて有るわけがない
が、それぞれの陣営にはそれぞれに核が有る
「幕府の核」は常に将軍!…とは、応仁の乱のせいで強く言えないけどw
北条も徳川も決定的には分裂しなかった所は、足利より強固とは言える(4分裂?) 北条は長期化していないだけで何度も大きな内紛をやっている
徳川は完全に公家化して武人であることを放棄しているから武力を伴う内紛をやる度胸もない 鶴太郎はこれを機に役者に本格的に転身したが、
大河で役者としてブレイクしたコメディアンは、
いかりや長介(独眼竜政宗)と原田泰造(篤姫)だな
長さんはブレイク(大捜査線)自体はずっと後だが、役者転身のきっかけはまさしく政宗 支配の構図が、将軍⇒管領⇒守護大名⇒守護代⇒国衆⇒etc
みたいに明確なトップダウン式になっていたら色々と分かりやすいんだろうけど、必ずしもそういう訳じゃないらしいよな
所領の現地にいた守護代ですら、現実的には所領内をまとめ切れてるとは言えなかったらしいし
将軍と守護代が結びついたり、関東の京都扶持衆だったり、階層を飛び越えるパターンもあるし
のみならず、どの階層においても、下が上を規定するような部分すらあったという話だし >>503
なんといっても奉公衆は北条早雲こと伊勢盛時さんを輩出したしね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています