【第三十四回】太平記 part.34『尊氏追討』
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>>501
直義が政務をやっていた頃の初期の室町幕府なんてガチガチの糞真面目で核ありすぎじゃね? 幕府に核が欠けているのではなく、南朝と言う対抗馬が長く並立していただけ
北朝の核は間違いなく将軍であり足利党
南北朝時代が異常だったと言う事…応仁の乱も酷いがw やっぱり>>501も
室町幕府は鎌倉幕府・江戸幕府と比べてダメな幕府
という前提が潜在意識としてあるんだろうな 幕府成立から南北朝を終焉させるまで半世紀以上掛ったのが
「核のようなものが欠けている」という印象を醸し出すんじゃね?
江戸幕府なんか、幕府成立から15年足らずで武力で敵対する大名が消滅したから、
それと比べるとね。 >>507
分裂している両方に共通する核なんて有るわけがない
が、それぞれの陣営にはそれぞれに核が有る
「幕府の核」は常に将軍!…とは、応仁の乱のせいで強く言えないけどw
北条も徳川も決定的には分裂しなかった所は、足利より強固とは言える(4分裂?) 北条は長期化していないだけで何度も大きな内紛をやっている
徳川は完全に公家化して武人であることを放棄しているから武力を伴う内紛をやる度胸もない 鶴太郎はこれを機に役者に本格的に転身したが、
大河で役者としてブレイクしたコメディアンは、
いかりや長介(独眼竜政宗)と原田泰造(篤姫)だな
長さんはブレイク(大捜査線)自体はずっと後だが、役者転身のきっかけはまさしく政宗 支配の構図が、将軍⇒管領⇒守護大名⇒守護代⇒国衆⇒etc
みたいに明確なトップダウン式になっていたら色々と分かりやすいんだろうけど、必ずしもそういう訳じゃないらしいよな
所領の現地にいた守護代ですら、現実的には所領内をまとめ切れてるとは言えなかったらしいし
将軍と守護代が結びついたり、関東の京都扶持衆だったり、階層を飛び越えるパターンもあるし
のみならず、どの階層においても、下が上を規定するような部分すらあったという話だし >>503
なんといっても奉公衆は北条早雲こと伊勢盛時さんを輩出したしね 江戸幕府だって藩の重役クラスが藩主を飛び越えて幕閣と結び付いている例はよくある >>510
北条高時(コメディアン⇒俳優)
長崎園喜(ミュージシャン・コメディアン⇒俳優)
佐々木導誉(ミュージシャン⇒俳優)
楠木正成(ミュージシャン⇒俳優)
楠木正季(ボクサー⇒俳優)
坊門清忠 (歌手⇒俳優) 西岡徳馬も太平記で役者として大ブレイクしたと思う。 >>443
祖神は源為朝だと明言していたわけだから、同族意識など希薄だろ
何回言わせんねん
足利氏が親戚として尊重していたのは、為義流の血を引く一族と三河の藤姓熱田大宮司一族なのは明白だろうが
特に足助氏は徹底的に足利氏と反目したが、奉公衆になっている
三河に甘い一例だわな
足利一門以外では足助氏、吉見氏、熊野別当家、佐々木氏の結論になる
源義家→為義→為朝→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏(三河守護)→泰氏→頼氏→家時→貞氏→尊氏 
源義家→為義→義朝→頼朝→頼家→公暁(母親は足助重長の娘(源為朝の孫娘))
源義家→為義→為朝→女(足助重長(三河国加茂郡足助)の娘)→足助重秀→重朝→重方→親方→貞親→重範(後醍醐天皇軍総大将) 
源義家→為義→義朝→範頼(三河守)→範円(正法寺(三河県豊川市)僧)→吉見為頼(初代吉見氏) 
源義家→為義→義朝→義円(正室は三河の藤姓熱田大宮司家出身か?)→愛智義成(初代愛智氏) 
源義家→為義→義朝→希義→吉良希望(初代土佐吉良氏、吉良は三河国幡豆郡吉良に由来) 
源義家→為義→女(鳥居禅尼)→行快 (22代熊野別当、三河国蒲形荘、竹谷荘地頭) 
源義家→為義→女(鳥居禅尼)→鳥居忠氏 (初代鳥居氏、三河国額田郡渡) 
源義家→為義→女(佐々木秀義の正室)→定綱→信綱→京極氏信(初代京極氏)→満信→宗氏→高氏(道誉)→高秀(三河国額田郡下和田郷領主)→高詮(三河国額田郡下和田郷領主、三河国渥美郡領主) >>503
そりゃ徳川が強いんだったら、強くて当たり前だろ
三河武士団を整備したのは足利将軍家なんだからよ
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
伊勢、饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 もっと遡れば、ルーツは源義家になるが
歴史を知らなければ、家康が何故名前に家付けたのか理解出来ない
部外者は、虚飾して源氏の正当性を示す為とか間抜けな事を抜かして、嘲笑されるハメになるわな、俺に
三河最強伝説でつよね
■源義家軍 
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人 、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人 )
■源頼朝軍 
総大将:源範頼(三河守) 
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士 加筆訂正
この連続性が美しい
美しすぎる
三河最強伝説でつよね
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>515
世間一般への認知なら
今、再放送やってる東ラブの上司役だと思う >>515
西岡徳馬は前年の「翔ぶが如く」から2年連続出演 >>519
まあ三河武士はって後醍醐帝の尊氏追討のときと明治維新のときと歴史上2度も朝敵になっているのかw 私利私欲で内管領が務まると思うのか、この愚か者め! 高兄弟はどうして弟が仕切ってるのか、不思議だったな
足利も新田も楠木も兄が仕切ってた 師直と師泰ってどっちか兄貴かは、結局確定出来てないんだっけ 洞院公賢の『園太暦』には師泰を師直の「舎弟」とする記事があるらしい
ただ当時は実際は庶兄である人物を弟と称することは将軍家でもあるから
正確な出生順は結局不明 神護寺の連中は今でも歴史家は間違っている
あれは頼朝公であると放言している
醜いのう >>531
最早あれは高校の日本史の教科書とかでも本当は直義だと匂わせるように書いてあるのになw 伝源頼朝像だけなぜあんなに保存状態が良いのか。それが謎だな >>426
「何時の世にも悪は絶えない。その頃徳川幕府は火付盗賊改方という特別警察を設けていた。凶悪な賊の群を容赦なく取り締まるためである。」
「江戸を取り巻く八つの国、いわゆる関八州は公儀・旗本・大名の領地が複雑に絡み合い、犯罪取り締まりは困難であった。公儀は、関八州の巡察と犯罪摘発取り締まりのため、勘定奉行配下に裁量権を持った関東取締出役を置いた。俗にいう、八州廻りである。」 西暦1837年、当時の江戸の人口は128万4815人、ロンドンを凌ぐ世界一の過密都市であった。
この大都市の治安維持にあたる町奉行所の陣容は南北両町奉行所与力同心合わせてわずか296名。
現代の警察機構とは比較にならぬお粗末な治安体制であった。
にも関わらず、その僅かな陣容で世界最大の都市・江戸八百八町の平和と安全が保たれていたのは町奉行支配の裏に影の捜査機関が暗躍していたからである。
幕閣中枢が密かに組織した特命捜査班・江戸の牙!!だがその存在は、いかなる記録にも残っていない- >>534
直義の失脚後すぐに倉庫の奥にしまわれた劣化しなかったとか? 直義だけ他2つに比べて別格の描き方よね。なんか色々と勘繰ってしまうわ。 >>537
深川奉行が鯨船で悪党皆殺しにしたくなるわけだ
ε-(´∀`; ) 神護寺の左右は直義と尊氏って聞いたぞ
真ん中は義詮
「足利義満 公武に君臨した室町将軍」
って新書に書いてあった!!
なお、神護寺は頑として認めない模様 龍神連合二代目代総長・宇野壽倫(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室)の挑発
宇野壽倫「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合二代目代総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状) 麻丘氏は藤原氏の末裔が平安末期から九州にて展開
尊氏が九州に逃れた時に尊氏派として支援
(当時は浅岡氏)
文化財の国東の安国寺の尊氏の木造坐像も
神護寺や等持院や鑁阿寺の尊氏像そっくり そりゃ直義クラスの人物なら願文の一つや二つは普通に残っているのでは? >>514
脇屋義助(2世俳優→1流俳優)
大男(プロレスラー→俳優)
小男(コメディアン→俳優→コメディアン) >>560
脇屋義助(2世俳優→天気予報士→職業不詳) >>557
らしいじゃなくて
あるよ
でも神護寺は頑として認めない模様 >>562
千種忠顕(仙八先生の生徒→シブがき隊→俳優→ハリウッド俳優) >>564
直義の願文って検索するといくつか出てくるけど
ここでの願文って「高雄山神護寺文書集成」のなかにある康永4年4月23日のもの? >>567
1345年に神護寺に治められたよね。
内容は「征夷将軍(尊氏)と私(直義)の影像を描いて
これを安置(神護寺)にします。良縁をこの場に結び
、その信心を子孫に知らしめるためです。」
と。
でも神護寺の寺伝略記ある「後白河法皇のお抱え絵師が描いた
平重盛と源頼朝と藤原光能である」を頑なに言い張る。
意地を張る理由はなんでだろね。 頼朝派も直義派も「この肖像画は早くとも建武以後の作品」言ってるんよね 神護寺も死活問題だから主張を曲げない。頼朝にこだわる理由は家康と関係がある。 観応の擾乱が始まる前の直義の治世を詳しく知りたいけど
そのあたりをピックアップしたような本ってあんまり見当たらないんだよな >>573
とりあえず中公文庫の「南北朝の動乱」は読んでおくべきかな この時代の摂家はなにをしてたの?
後醍醐とその寵臣しか出てこなかった >>574
佐藤進一さんはもう・・・
ここは亀ちゃんと清ちゃんでしょ 亀ちゃんは進一気にしすぎだが
直義本はまあよかったよ トーチケンテキシハイケンと
シュジューセーテキシハイケン
カタカナで書くとなんだかドイツ語みたいな響きに見える 主従制的支配権と統治権的支配権って要するに鎌倉期における将軍と執権の関係なんだよな >>575
南北朝の分裂に伴って近衛家や二条家は家が分裂している >>573
大日本史料の第6編を頭から読んでいくのもオススメ 後醍醐が逝っちゃったあとは
軍事権は尊氏、政治は直義みたいな住み分けというより
軍事も政治もほぼほぼ直義が切り盛りしてたのが実態みたいな感じらしいよね
その時期の、言わば「直義政権」そのものの研究本とか読んでみたい ドラマでも三条殿って呼ばれてたけど、
室町殿ならぬ、三条殿政権ってことになるのかな >>584
尊氏はあんなだったからな
登子や高兄弟たちは不満がたまる一方だったろうよ
こういうのが観応の擾乱の強い背景になる
人間やはり感情で動くからね
義詮の将来を不安に思う登子の気持ちや足利宗家の主導権を傍流の直義に奪われていくのを横目で見るしかない高兄弟の不満ってのはばかにできないものがある
やはり尊氏の責任だよね 面白さだと細川重男かなー
「北条得宗家の得宗ってなんなのかわからんで知り合いの学者に聞いて回ってたら、『あんた知らないのに俺たち知る訳ねーだろ』言われてちょっと嬉しかった」
とか
学術本で書いちゃう人 しかしよく考えてみたら、
三条殿とか亜相殿とか、登場人物が突然今まで(ドラマ内)で聞いたことがない呼称で呼ばれても
なんの違和感もなく見れてたのが不思議と言えば不思議やねw 銀行問題業界ゴト潰レル?職員イル?
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https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1443184621/ 劇中で「室町殿」って俳優の台詞として有ったのは、花の乱の後花園が義政に語りかけるシーンだけかな。 後世に室町幕府と一般的に呼ばれるのは義満さんの治世が完璧だったからかな。 >>594
何回か御所巻食らってるのがねえ・・・
てか足利将軍早世おおくね? >>594
義満の時代だけではないが
室町第(花の御所)が幕府の全盛期の将軍の邸宅というイメージが強いから
足利幕府=室町第(花の御所)という認識になるのでは? >>595
北条執権家はストレスで早世が多く
足利将軍家は、酒好きが多いから飲み過ぎで早世する
って何かの本で読んだな
あてにはならないだろうけど >>597
北条は得宗家でしょ
>>598
義詮も鎌倉殿と呼ばれている
しかも直義の代わりに京都に召還された後にも >>600
北条家は得宗家だったな
書き流したから、素で忘れてた 執権職は北条一族内でたらい回しだから「執権家」なんてそもそも言えないよなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています