【第三十四回】太平記 part.34『尊氏追討』
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そりゃ直義クラスの人物なら願文の一つや二つは普通に残っているのでは? >>514
脇屋義助(2世俳優→1流俳優)
大男(プロレスラー→俳優)
小男(コメディアン→俳優→コメディアン) >>560
脇屋義助(2世俳優→天気予報士→職業不詳) >>557
らしいじゃなくて
あるよ
でも神護寺は頑として認めない模様 >>562
千種忠顕(仙八先生の生徒→シブがき隊→俳優→ハリウッド俳優) >>564
直義の願文って検索するといくつか出てくるけど
ここでの願文って「高雄山神護寺文書集成」のなかにある康永4年4月23日のもの? >>567
1345年に神護寺に治められたよね。
内容は「征夷将軍(尊氏)と私(直義)の影像を描いて
これを安置(神護寺)にします。良縁をこの場に結び
、その信心を子孫に知らしめるためです。」
と。
でも神護寺の寺伝略記ある「後白河法皇のお抱え絵師が描いた
平重盛と源頼朝と藤原光能である」を頑なに言い張る。
意地を張る理由はなんでだろね。 頼朝派も直義派も「この肖像画は早くとも建武以後の作品」言ってるんよね 神護寺も死活問題だから主張を曲げない。頼朝にこだわる理由は家康と関係がある。 観応の擾乱が始まる前の直義の治世を詳しく知りたいけど
そのあたりをピックアップしたような本ってあんまり見当たらないんだよな >>573
とりあえず中公文庫の「南北朝の動乱」は読んでおくべきかな この時代の摂家はなにをしてたの?
後醍醐とその寵臣しか出てこなかった >>574
佐藤進一さんはもう・・・
ここは亀ちゃんと清ちゃんでしょ 亀ちゃんは進一気にしすぎだが
直義本はまあよかったよ トーチケンテキシハイケンと
シュジューセーテキシハイケン
カタカナで書くとなんだかドイツ語みたいな響きに見える 主従制的支配権と統治権的支配権って要するに鎌倉期における将軍と執権の関係なんだよな >>575
南北朝の分裂に伴って近衛家や二条家は家が分裂している >>573
大日本史料の第6編を頭から読んでいくのもオススメ 後醍醐が逝っちゃったあとは
軍事権は尊氏、政治は直義みたいな住み分けというより
軍事も政治もほぼほぼ直義が切り盛りしてたのが実態みたいな感じらしいよね
その時期の、言わば「直義政権」そのものの研究本とか読んでみたい ドラマでも三条殿って呼ばれてたけど、
室町殿ならぬ、三条殿政権ってことになるのかな >>584
尊氏はあんなだったからな
登子や高兄弟たちは不満がたまる一方だったろうよ
こういうのが観応の擾乱の強い背景になる
人間やはり感情で動くからね
義詮の将来を不安に思う登子の気持ちや足利宗家の主導権を傍流の直義に奪われていくのを横目で見るしかない高兄弟の不満ってのはばかにできないものがある
やはり尊氏の責任だよね 面白さだと細川重男かなー
「北条得宗家の得宗ってなんなのかわからんで知り合いの学者に聞いて回ってたら、『あんた知らないのに俺たち知る訳ねーだろ』言われてちょっと嬉しかった」
とか
学術本で書いちゃう人 しかしよく考えてみたら、
三条殿とか亜相殿とか、登場人物が突然今まで(ドラマ内)で聞いたことがない呼称で呼ばれても
なんの違和感もなく見れてたのが不思議と言えば不思議やねw 銀行問題業界ゴト潰レル?職員イル?
虐待死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ災熱湯薬害毒死多繋ガル看後死
100件以上介護保険税金ムダ泥棒マダ今環境殺ッテマス100オツムオムツ借金漬ケ棺桶型国家
森友ノロウイルス焼肉嘔吐虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポ部死テルン盗難
郡大老害林本モヤシテa麻薬王振戦違反重々ヤットストレス足ダシ爆発公害山口炉ウドモヤンキーノ種死ネ世
https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1443184621/ 劇中で「室町殿」って俳優の台詞として有ったのは、花の乱の後花園が義政に語りかけるシーンだけかな。 後世に室町幕府と一般的に呼ばれるのは義満さんの治世が完璧だったからかな。 >>594
何回か御所巻食らってるのがねえ・・・
てか足利将軍早世おおくね? >>594
義満の時代だけではないが
室町第(花の御所)が幕府の全盛期の将軍の邸宅というイメージが強いから
足利幕府=室町第(花の御所)という認識になるのでは? >>595
北条執権家はストレスで早世が多く
足利将軍家は、酒好きが多いから飲み過ぎで早世する
って何かの本で読んだな
あてにはならないだろうけど >>597
北条は得宗家でしょ
>>598
義詮も鎌倉殿と呼ばれている
しかも直義の代わりに京都に召還された後にも >>600
北条家は得宗家だったな
書き流したから、素で忘れてた 執権職は北条一族内でたらい回しだから「執権家」なんてそもそも言えないよなw しかし北條家の最後をみると、武士らしい気骨はみんなもっていたんだろう それをいうなら壇之浦で滅んだ平家一門も武士としての気骨は持っていたと言える >>597
足利将軍で酒が直接的な死因なのは義量と義尚くらいか?
まあ義量は将軍宣下は受けたが室町殿じゃないという説もあるが 足利将軍は体質的に酒に強い人が多かったとの説もあるね
酒の席に付き合わされた公家は大変だったらしい
中には嘔吐が芸になった公家もいたとかw 日本酒好みじゃないからわからないけど
昔の酒って、今の酒と比べるとうすいって聞いたことあるけど
平安〜鎌倉、室町あたりの酒ってうすいのかな?
それでドラマで赤ら顔してる師直とかは
よっぽど飲んでるのかな >>611
足利将軍は遺伝的に狂人タイプが多かったという説もある >>614
尊氏は鬱躁病を患っていたのではないか?という説もある。 酒が飲めない遺伝子集積地をみれば、中部関西と日本の支配層輩出エリアと被る
その中で、群馬も酒が飲めない遺伝子集積地なのが不思議だわな あの万人恐怖と言われた足利義教主催の酒会で
関白二条持基はゲロを吐いてしまったそうだが、
それを見て義教は大うけだったとか。
そもそも酒会での嘔吐は当座会(とうざのえ)と言われて一種の趣向だったらしい。
中世人の感覚はよくわからん 個人的には、「天平勝宝」とか「神護景雲」とか
藤原仲麻呂〜道鏡の頃の4文字元号が好きなんだけど
今は元号法で2文字の漢字じゃないとだめなんだな 今回の帝御謀反、周りはいい迷惑だ。
自分らが満足すりゃええのか?
高齢化と天皇なんてまるで関係ないし、退位しなくても国事行為臨時代行が監国として十全に機能する。 >>614
>>616
3流歴史作家の受け売り
乙 足利将軍家は無能が多い。北条得宗家は有能が多い、最後以外。 >>620
中世以降の朝廷が先例と見なすのは基本的に平安期以降の先例だから
奈良期の4文字年号は年号制定の際の先例としては除外される 沢たまきの覚海尼かっこよかったなあ
闇討ちをかけるのも下なら討ち漏らすのも下の下じゃ!
そもそも脚本が良いってことか 最近私本太平記読んだけど、
覚一さんって教科書レベルの人材だな
今の今まで存在を知らなかった… >>628
金沢貞顕と顔を合わせる場面の雰囲気が気まずい感じだった 湊川に繰り広げられた楠木軍の阿修羅の奮戦。さしもの正成も“敗者復活”の足利軍に制圧された。正成の死は、後醍醐方の大堤防の決壊に等しかった。浮き足立つ新田義貞軍、帝(みかど)のあわただしい吉野ごもり。その後の楠木正行、北畠顕家の悲劇。
しかし尊氏も、都にわが世の春を謳うとは見えなかった。一族の内紛?勝者の悲哀?彼は何を感じていたか。終章「黒白問答」が、その解答である。 上手い菩薩が描けぬと高時と尊氏が
言ってた時期は、どちらも当主として
身内の内紛に悩まされていた頃だったっけ 高時の場合は嘉暦の内紛は一応既に収まった時期なのでは? ドラマの中で若き頃の尊氏は親王将軍の御所につめてたけれど
その守邦親王は鎌倉陥落の際一体どうなったんだろうな >>636
避難してたんじゃないの?別に北条に殉じる義理もないし。捕らわれたとしても京に送還されるだけっしょ 阿弥陀如来像だろ、黒本尊だ
製作:恵心僧都源信
所有者の変遷
源頼義
↓
源義家
↓
源為義
↓
源義朝
↓
平重盛
↓
平清盛
↓
常磐御前
↓
源義経
↓
明眼寺(現在は妙源寺、三河県岡崎市)
↓
徳川家康
↓
増上寺
参考豆知識
恵心僧都源信創建
源空寺(三河県岡崎市)
誓願寺(三河県岡崎市)
源頼義創建
長瀬八幡宮(三河県岡崎市)
上の宮熊野神社(三河県碧南市) >>638
倒幕側も北条を討てとは言っても将軍を討てとは一言も言ってはいないからな
というか朝廷サイドから征夷大将軍(であった人物)個人に対する追討令が出たのは
明治維新のときの徳川慶喜に対してだけかな? >>641
足利尊氏にせよ新田義貞にせよ、
「北条を倒して正しい幕府の政を取り戻す!」
ということであって、幕府そのものを無くすつもりはなかったのでは >>642
それって結構普通に言われていることじゃないか?
ドラマで尊氏が直義・師直に倒幕の意思を打ち明ける場面でも
「北条殿を討って幕府をこの手に握り・・・」みたいなことを言うセリフがあるよ 鎌倉打倒が「尊皇のため」なんて言われてるのは皇国史観のせいかな
初めて読んだ子供向け日本史漫画では
登場人物が「鎌倉幕府を倒して世直し」みたいな台詞を言っていたが
大多数の武士の希望は、北条利権の解体
自分たちが暮らしやすいように風通しを良くする事だよなあ >>646
北条氏打倒の旗印として天皇や朝廷が利用できるから担いでいるわけだからな
ただ担がれる人にもある程度その気になってもらわないと上手く行かないから
本気で北条を倒せると信じている後醍醐天皇のような天皇が出てきたことで
風向きが北条氏打倒に大きく向いていった面もあるだろうけど >>640
シラっと大嘘つくなよ
増上寺の阿弥陀如来像は
1対は室町後期
もう1対は戦国
なにが源頼義・源義家だよw
節操のない三河土着山賊が
略奪した仏像を
平気でバカ露呈する三河バカ
阿弥陀
お陀仏
しろ >>646
尊王で立ち上がったなんて、むしろ初めて聞いたぞ
建武の新政の結末を見れば、その言い分の90%くらいは否定出来るからな
それに、両統迭立というのが事をややこしくしているわけだし、
北条氏だって尊王と言えない事もないのだしw >>649
うろ覚えだけど
我が家でとっていた学習教材についていた付録冊子で
菊池一族は、尊皇のために戦いましたみたあな読み物があった(と思う)
子供心に違和感感じたなあ
大人になって読んだ歴史小説だか(山岡荘八氏原作のコミックスだったか)では
世を収めるには、尊皇精神が云々って書いてあったような
「ない」ことはない? >>644
足利尊氏は、御家人筆頭じゃなくて自分が将軍になるつもりだったんじゃね? >>650
持明院統と言うものが有ってだな、
尊王の相手は尊王って事だ(建前は)
個別のケースで言えば、そりゃあ個別に色々有るだろうけどさ >>651
尊氏は鎮守府将軍で満足してたよーだわ
北条裏切ったのも裏切らないと自分たちも滅ぼされるって危機感からだし 適当なんだよ尊氏。自分の国家ビジョンや戦略がないから無用な乱を引き起こす。 他の指導者にはビジョンや戦略が有ったかのような言いぐさw まあ某小説家はこの時代をリーダー不在の時代として忌み嫌っていたからな そもそも元弘3年5月段階になってから寝返った武士たちの多くは
この戦いをかつての宝治合戦や霜月騒動などと同様の幕府の内紛程度に捉えていて
自分たちの行動が幕府そのものの否定であるとは全く思っていなかったからね
無論早い段階から後醍醐側で挙兵していた者たちは幕府そのものを倒す意識も ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています