【第三十四回】太平記 part.34『尊氏追討』
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湊川に繰り広げられた楠木軍の阿修羅の奮戦。さしもの正成も“敗者復活”の足利軍に制圧された。正成の死は、後醍醐方の大堤防の決壊に等しかった。浮き足立つ新田義貞軍、帝(みかど)のあわただしい吉野ごもり。その後の楠木正行、北畠顕家の悲劇。
しかし尊氏も、都にわが世の春を謳うとは見えなかった。一族の内紛?勝者の悲哀?彼は何を感じていたか。終章「黒白問答」が、その解答である。 上手い菩薩が描けぬと高時と尊氏が
言ってた時期は、どちらも当主として
身内の内紛に悩まされていた頃だったっけ 高時の場合は嘉暦の内紛は一応既に収まった時期なのでは? ドラマの中で若き頃の尊氏は親王将軍の御所につめてたけれど
その守邦親王は鎌倉陥落の際一体どうなったんだろうな >>636
避難してたんじゃないの?別に北条に殉じる義理もないし。捕らわれたとしても京に送還されるだけっしょ 阿弥陀如来像だろ、黒本尊だ
製作:恵心僧都源信
所有者の変遷
源頼義
↓
源義家
↓
源為義
↓
源義朝
↓
平重盛
↓
平清盛
↓
常磐御前
↓
源義経
↓
明眼寺(現在は妙源寺、三河県岡崎市)
↓
徳川家康
↓
増上寺
参考豆知識
恵心僧都源信創建
源空寺(三河県岡崎市)
誓願寺(三河県岡崎市)
源頼義創建
長瀬八幡宮(三河県岡崎市)
上の宮熊野神社(三河県碧南市) >>638
倒幕側も北条を討てとは言っても将軍を討てとは一言も言ってはいないからな
というか朝廷サイドから征夷大将軍(であった人物)個人に対する追討令が出たのは
明治維新のときの徳川慶喜に対してだけかな? >>641
足利尊氏にせよ新田義貞にせよ、
「北条を倒して正しい幕府の政を取り戻す!」
ということであって、幕府そのものを無くすつもりはなかったのでは >>642
それって結構普通に言われていることじゃないか?
ドラマで尊氏が直義・師直に倒幕の意思を打ち明ける場面でも
「北条殿を討って幕府をこの手に握り・・・」みたいなことを言うセリフがあるよ 鎌倉打倒が「尊皇のため」なんて言われてるのは皇国史観のせいかな
初めて読んだ子供向け日本史漫画では
登場人物が「鎌倉幕府を倒して世直し」みたいな台詞を言っていたが
大多数の武士の希望は、北条利権の解体
自分たちが暮らしやすいように風通しを良くする事だよなあ >>646
北条氏打倒の旗印として天皇や朝廷が利用できるから担いでいるわけだからな
ただ担がれる人にもある程度その気になってもらわないと上手く行かないから
本気で北条を倒せると信じている後醍醐天皇のような天皇が出てきたことで
風向きが北条氏打倒に大きく向いていった面もあるだろうけど >>640
シラっと大嘘つくなよ
増上寺の阿弥陀如来像は
1対は室町後期
もう1対は戦国
なにが源頼義・源義家だよw
節操のない三河土着山賊が
略奪した仏像を
平気でバカ露呈する三河バカ
阿弥陀
お陀仏
しろ >>646
尊王で立ち上がったなんて、むしろ初めて聞いたぞ
建武の新政の結末を見れば、その言い分の90%くらいは否定出来るからな
それに、両統迭立というのが事をややこしくしているわけだし、
北条氏だって尊王と言えない事もないのだしw >>649
うろ覚えだけど
我が家でとっていた学習教材についていた付録冊子で
菊池一族は、尊皇のために戦いましたみたあな読み物があった(と思う)
子供心に違和感感じたなあ
大人になって読んだ歴史小説だか(山岡荘八氏原作のコミックスだったか)では
世を収めるには、尊皇精神が云々って書いてあったような
「ない」ことはない? >>644
足利尊氏は、御家人筆頭じゃなくて自分が将軍になるつもりだったんじゃね? >>650
持明院統と言うものが有ってだな、
尊王の相手は尊王って事だ(建前は)
個別のケースで言えば、そりゃあ個別に色々有るだろうけどさ >>651
尊氏は鎮守府将軍で満足してたよーだわ
北条裏切ったのも裏切らないと自分たちも滅ぼされるって危機感からだし 適当なんだよ尊氏。自分の国家ビジョンや戦略がないから無用な乱を引き起こす。 他の指導者にはビジョンや戦略が有ったかのような言いぐさw まあ某小説家はこの時代をリーダー不在の時代として忌み嫌っていたからな そもそも元弘3年5月段階になってから寝返った武士たちの多くは
この戦いをかつての宝治合戦や霜月騒動などと同様の幕府の内紛程度に捉えていて
自分たちの行動が幕府そのものの否定であるとは全く思っていなかったからね
無論早い段階から後醍醐側で挙兵していた者たちは幕府そのものを倒す意識も >>656
複雑怪奇な時代を書くには面倒くさいからな。
単純な戦国や幕末を題材にした方が楽。
リーダー不在なんて作家の言い訳。 うろ覚えだけど
寺の最高位ってのは
僧侶の人事(試験)とか僧兵の抑えとか重要な役職なんじゃない? 記事読んだらわかるけど
これは教学面での最高位である探題への試験
護良親王は天台座主として形式的に関わる程度と思う
にしても出題者91、試験者87、受験者86てすごい高齢だな >>659
あの作家の力量の限界を示すいい事例だよね。
自分で「難しい題材は料理できません」て言ってるようなもんだ。
実は戦前→戦後のテノヒラクルーに嫌気がさしたんだと思ってる あの方は、主人公又は時代に対して
自分が「美」を感じないと小説にできないんじゃないかな >>656からの流れで考えればあの方が誰か分かるよ >>668
そもそも656が誰のことを指しているのか分からない 山岡荘八氏の「太平記」は新田義貞が主役なんだったかな?
北方健三氏は楠木正成が好きなんだったかな?
昔読んだきりだから忘れたな 義貞はともかく正成の事を嫌う人はほぼいないだろうなー
本来なら、あの方も好みそうな存在だけど、
あの方の場合は、あの時代の価値基準を認めたくなかったんだろうな 亀ちゃん
「戦前の新田義貞の評価は不当に高かった」
「戦後の新田義貞の評価は不当に低い」
「じゃあどんな評価が正しいのか言うと・・・まあそれほど高いわけではないですね」 根津甚八が煮え切らない役をしっかり演じてたな
魅力がない新田さん まぁ、足利家の家人に近いような立場から、後醍醐軍の侍大将格になっただけでも、物凄いことだと思うんだけどな >>680
比較対象が尊氏か正成か顕家になっちゃうので仕方ないかと
後醍醐天皇に振り回された可哀相な人ってイメージ
…それは尊氏以外の面々は皆同じかw >>679
そうだよね、カリスマ性を感じない不器用な武人ってのをこれでもかって演じてた。
ショーケンがもし最後までやってたらあれ程の悲哀は演じられなかったと思う >>681
後醍醐に振り回された可哀想な人なら尊氏自身もそうだろw >>684
尊氏は反撃したり逆に振り回したりもしたから、
俺の判定ではセーフw
やられっぱなしでも反抗出来ないのが宮仕えの辛さ >>685
しかも、誠心誠意仕えた後醍醐に見捨てられそうになったからな
所詮、後醍醐にとっては武士は捨て駒 武士どころか、下手すると親王すらも捨て駒と思っていたかもしれんね
護良親王はもちろん、新田に預けた恒良親王ですらそうかもしれん 真言立川流の後醍醐天皇
女性の愛液と精子をシャレコウベに付けて
夜な夜な乱交パーティー
子宝こそが天皇家が日本を支配する
親王なんて量産すれば良い
戦に明け暮れる尊氏には出来ないだろw >>687
新田に預けた時点で恒良は完全に捨て駒になったというべきだろう
まもなく後醍醐本人が恒良に渡した神器は偽物だと宣言するわけでw 後醍醐天皇は南朝勢力を広めるため
各地に皇子を派遣したが
失礼ながら、後醍醐天皇が長生きしすぎていたら
各地の皇子が捨て駒にするなって反逆、自立したかも
九州はそうなった? >>691
吉野の南朝という後ろ楯をなくした状態で長期間勢力を維持することは可能だろうか? >>694
大明帝国を後ろ楯にするということか
さすが征西将軍やで >>690
そんなことをした南朝が正当なんだからなwww 安倍新内閣の人事選考過程を見てると、
結局、建武新政の時も同じような感じで嫉み僻み不満抱える奴らがたまって、
新政権崩壊したんだろうなあ・・・ >>698
と、むりやりアベガーに持っていくパヨクであった ま、さ、か、石破ナシとでも言ってほしいのかねえw
石破氏は敵のはずの野党と共闘するあたりが観応の擾乱の直義に似てると思うね。
急速に国民の信望を失ったことや、その辺も含めて民主党政権のほうが建武の新政に似てると思うよ。 >>700
なるほど、建武の新政=民主党政権か
わかりやすい >>698
2重のバカ発見
安倍批判を晒すバヨク在日のバカ
尊氏と重ねるバカ
日本の心配は良いから
ハヨ半島帰って徴兵つけよ 新田義貞が稲村ヶ崎を突破した5月22日って、旧暦の日付=月齢ということを
考えると、月の形は下弦の月ということになるはずだよね?
下弦の月の日ということは、潮の満ち引きという点では小潮になるはずだけど、本当に
稲村ヶ崎の下が歩けるほど潮が引いたの? 建武の新政って今で言ったらバラまきポピュリズムだろ。
そりゃー遅かれ早かれ行き詰まるわ。
後醍醐はトランプかw 初回は冷戦とかバブルとかから始まったなー
今の情勢は、当時程の転換点じゃないと思うぞw
番組内で既に完結している話題だと言うのに、
今更頑張って例えようとしている人達は平成生まれの方々かな? 建武の新政は武士軽視とか言われてるけど
公卿入りしてるのとかアホみたいな高位の官位に多数の武士をどんどん引き上げて
公家の連中が「何が公家一統だよ、武士の世到来じゃねーか!!!」
とぶちギレてた >>710
建武政権下で公卿になった武士って、尊氏くらいでは? >>711
従四位が極官だったのが従二位
従二位の弟が正四位上
無位無官の小太郎がいきなり得宗家越える正四位
伯耆のおっさんが従四位
河内のおっさんが従五位 まぁ公卿=三位以上にはさすがになれなくても
みなさん大出世には変わりないやね とりあえず>>712は公卿の定義を分かってなさそうだ >>714
義満が摂関家ですら家礼扱いしてたからなぁ 武士に公卿身分を大盤振る舞いしたのは平氏政権と豊臣政権だな >>715
よく文をみよう
公卿になったのとか
アホみたいな高位に
は別れてるだろ >>714
義詮さん、めんどくせーので右大将への昇官を断る 公家への将軍偏諱の第1号は二条満基?
それとも九条満教? >>722
良基が璽となり尊氏が剣となる。何ぞ不可ならん! >>725
どうでもいいけど明治新政府のトップは四位だったわけ? >>727
戦前の日本最後の希望が近衛文麿という悲劇というか喜劇 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています