>>173
はあ?
他ならぬ薩長同盟同盟の前提となる長州事情を、ほんのちょっとでも言及することまで省略した姿勢と、
海賊討伐のために颯爽と西へ向かった清盛と対比させて、東へ向かった落ち目の源氏の御曹司義朝を、
最初はヒャッハーするほんの一コマの挿入から始めて、土地紛争へ介入しすることで徐々に勢力を扶植し(出番増加)、
ついには荒くれ者の東国武士たちを従えて東国に確固たる基盤を築いた様を見事に映像化した
大河清盛でなされた義朝に関するプロセス描写とは、何の類似点もないから(→凱旋帰国し鳥羽の近臣へ。
しかしそれは、摂関家に従属する父為義との骨肉の争いの始まりを意味した)。
あれ以上義朝@東国に尺を割いたら、それは大河「源義朝」となってしまっただろう。

大蔵合戦を史上初めて映像化したことだけでも特筆ものなのに、清盛はこれを為義vs義朝の骨肉の争い
のコンテクストに正確に位置づけていた。ほんのちょっとの尺しか割けない東国の事件から最大限の
意味を引き出したというのに、「派手な合戦がなかったー」ってあんたアホ?
さらに、源平相互の力関係の推移を執拗に追った清盛では、この客観面を清盛vs義朝とのライバル設定へ
ドラマ的なアレンジがなされたが、これはもちろん史実そのものではない。しかし、このことと
「幕末最終盤の歴史描写が翔ぶが如くは必ずしも十全でなかった」こととは何の関係もない。
別にフィクションだ、デタラメだと批判しているのではない。

翔ぶが如くは、批判した部分についても、視野(俯瞰力)には欠けたものの、一本筋の通った(流れはわかる)
力のある台詞による作劇がなされていた。そのことを否定しているのでもない。