【これは】翔ぶが如く 23噴火目【君命である!!!】
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司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を主な原作とし、西郷隆盛と大久保利通を主人公に
薩摩藩を中心として激動の幕末から明治初期を描いたNHK大河ドラマ。
大河ドラマ初の二部構成(第一部29話、第二部19話、全48話)、1990年1月7日から12月9日まで放送。
原作:司馬遼太郎(「翔ぶが如く」「最後の将軍」「きつね馬」「竜馬がゆく」「酔って候」「花神」「歳月」より)
脚本:小山内美江子
音楽:一柳慧
語り:草野大悟(第一部)田中裕子(第二部)中村克洋アナウンサー(アバンタイトル)
主演
西郷吉之助→西郷隆盛:西田敏行
大久保正助→大久保一蔵→大久保利通:鹿賀丈史
前スレ
【そいは】翔ぶが如く 21噴火目【暴論ごわす!!】
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1521724911/
【ないが】翔ぶが如く 22噴火目【暴論か!!!】
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1525899002/ >>714
翔ぶが如くは今年で3回目やん…
名作だし堪能したけどさすがにもういい
徳川慶喜、新撰組!、龍馬伝のどれかをやってくれよ 花神ってほんとに総集編しか残ってないのかな?だれかベータで録ってないかなあ CS110度のチャンネル銀河は8月28日からHD化されてて
ちょっと画質が上がってるぞ
再録画する価値はある >>719
中村吉右衛門の武蔵坊弁慶を放送してほしいわ 翔ぶが如くと八重の桜はファンがけっこう共通してるっぽい
時代がほぼ同じで、珍しく明治をくわしくやってる大河だし 久光を主人公にした大河もあるといいね。
己が出自と派手で聡明な兄に対する憧憬とコンプレックスを乗り越え、島津家の為、やがて涙ながらに兄を謀殺。
翌年、古き父をも死に追いやって藩実権を握り、即決果断で藩政はおろか、力による幕政改革までをも成し遂げる。
有為な人材を広く集め、維新の原動力として能力を遺憾なく発揮させる伯楽ぶりも見物。
南から新生日本の扉を開いた稀にみる名君、久光。 征韓論では賛成派と反対派との板ばさみ
幸楽では嫁と姑との板ばさみ
角野さん大変やな・・・ 久光主役なら西郷は悪役なんやろねw
小松帯刀・大久保一蔵・中山中左衛門・堀次郎の4人の側近が大活躍すると 久光は政府顧問にまでなってるからそこまで見てみたい 左大臣だもんな
生前の信長より官位上だからね(´・ω・`) >>731
一蔵、その方小姓組の軽輩の分際で…。だいのお陰で側役に抜擢された?
余に楯突きたくば、いつでん辞めてよかぞ。代わりはどしこでんおる。 あいた〜胃が痛となってきたが マス〜ちっとばっかい碁をば指すかい〜〜 >>737
そこ、信長と比較する意味あるの?
信長が左大臣にならなかったのは、かつて足利義教が内大臣兼右近衛大将から左大臣に
転任したのを悪しき先例と見なして、義教と同様の昇進ルートにならないように敢えて
左大臣を避けたからだと言われているわけで・・・。 「貴様は今度の総攻撃の前に西郷大総督府参謀が布告された、鶴ヶ城開城規約というのを読んどるだろうな?!」
「はい。」
「総督府軍将校は、新政府軍人たるの体面を重んじ、いかなる理由があろうとも敗残の敵兵に略奪、暴行はしてはならんと、あの中にはっきり明記されておる。貴様は西郷閣下の命に背き、閣下の名を汚したんだぞ!」
「どうして殺そうとしたんだ?」
「部下の敵討ちであります。」
「無抵抗の捕虜を殺すことが敵討ちになるのか?!」
「会津人は全て自分の敵であります。」
「冷静になれ、小川中尉!素直にお詫び申し上げろ。」
「自分は悔いることは毛頭ありません。最前線の兵には体面も規約もありません。あるものは生きるか死ぬか、それだけです。
兵達は、死んでいく兵達には、国家も軍司令官も命令も軍規も、そんなものは一切無縁です!灼熱地獄の底で鬼となって焼かれていく苦痛があるだけがです。
その苦痛を、部下達の苦痛を、西郷式の軍人精神で救えるがですか?!」
「西郷式とは何か!閣下も御令弟を亡くしておられるんだぞ!」
「当然であります。」 で、豊臣秀吉は公家に賄賂をたくさん贈りまくって太政大臣、ついには関白にまでなりましたとさ >>743
順番が逆だよ。
先に関白になって、その後に太政大臣になったはず。 あれ?番組雑誌見たらせごの吉二郎が長岡戦から参加したことになってるよ
翔ぶがでは王政復古前には兄さあ達の所に駆けつけてるがどちらが正しいの? 越後出兵時に軍監で服務ってことは急に懇願して成れるものでもないので鳥羽伏見の頃急を聞いて駆けつけたって解釈も不自然ではない ある程度職責は積んでたかもね >>744
まあ先に太政大臣になってからその後に関白になるってパターンは基本的にないよね
関白は摂関家に生まれれば若造でもなれるが
太政大臣はある程度の年齢と実績を積んだ長老格の貴族がなるものだし 秀吉の晩年って、秀吉が太政大臣、秀次が関白兼左大臣、菊亭晴季が右大臣なんだよな。
この状態で秀次と晴季が処罰されて消えたから、秀吉が死んだ時点で
太政大臣・左大臣・右大臣がすべて空席になって、内大臣の徳川家康が公武合わせても
朝廷の最高間という不思議な状況が起こったわけで・・・。 吉二郎も府下小銃八番隊監軍で出征して、京都に信吾・小兵衛・弥助たち揃っているよ。
ただ鳥羽伏見の戦いには病気で参加してなかったようで
番兵二番隊監軍で越後に出兵となってる。 そりゃ軍事クーデターを起こした連中が大挙して地元に押し寄せたら
普通に考えたら身の危険を感じるからね しかし天保の改革の際の三方領知替え(川越・庄内・長岡)に猛反発して
幕府の権威を失墜させた庄内や長岡が維新のときの佐幕派の主力になるのも歴史の皮肉だな >>754
上からの命令に対して反骨心旺盛な気風なのかもね 高橋英樹の継之助フルバージョン
見たいよなあ・・・ >>752
そりゃ文久二年に京都所司代やってるからな
長州に恨まれてると思っても無理ない 会津・庄内は売国奴
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/images/2016/09/21/M16092112178/efc636fa3839ddca1fa39fdeffab7c06.jpg
戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から
資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、
五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で
具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は「戊辰戦争が長引いていれば
実現していた可能性がある」とみる。
これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年
7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。
その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。
今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り
込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。
とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から
6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。
書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立
歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。
それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として
与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の
土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。
幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の
蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点
確保に向けた意図が読み取れる。
当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の
形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)
09/21 17:15 更新
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0317478.html これまでは 土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。
その後 宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。 フランスが軍事援助して薩摩を滅ぼそうと提案したって創作の元ネタは
モンブラン伯爵が備前の旗本の池田長発に持ち掛けたって噂だと思うけどな
あとウィリス医師は京都に来る前に備前藩の起こした神戸事件でけが人の治療してた
どっちも磯田の出身の岡山がちょっと絡む 池田長発ってよく幕末のイケメンとして写真が紹介される人だっけ? 幕末に限定しただけでも
翔ぶが如くの島津久光をはじめ、
島津斉彬、井伊直弼、武市半平太、河井継之助、等々
色んな役を演じてきた橋英樹も
西郷や大久保は演じたことないのかね >>763
当時はプロイセンが急速に力をつけてきて
フランスを脅している状態
そんななかで日本に15万?!の大軍を派兵するなんて
無理にきまっとろーが
アメリカの南北戦争が終わり多量の銃器が流れ込んできたのは事実だが
歴史的飼料を餌にして太るならばまだ救いがあるが
悉く無視してかってきままに妄想をドラマにすんのはやめろよ
デブス うわ〜せご久々に見たらもう酷すぎる
勝が上野の西郷像を建設したとの展開に持っていきそうだな
他にも幾島が病とか他にも唖然とする展開にもう止めてくれ状態だわ
前半で見るの止めてテレビ東のモヤさまにチャンネル代えた >>745
翔ぶでも吉二郎は長岡から参戦してる
その直前に初めて4兄弟そろい踏みとやってた分、吉二郎の最期が切なかった しかし川路は本当に空気だなw
何のために早々と登場したんだか >>772
???
翔ぶがでは鳥羽伏見から槍隊で奮戦してるぞ 薩摩の民には現大河は評判高いんか?
翔ぶを懐かしむ老人とかいそうだが 翔ぶの実直な吉二郎は兄さあに「これからは弟ではなく兄と思う」とか
「西郷家は吉二郎に継がせる」とか言われて苦労をねぎらわれてなかったっけ
それと比べてどんの吉二郎はずーっと内職して家計支えてた印象しかないわ どんの吉二郎はいつも草鞋作ってるだけ
信吾や小兵衛とも特に絡みはなかったから死ぬ場面でも
あんまり感動しないかも >>770
もしかして5ちゃんに脚本家が書き込んでると妄想しちゃう人? 何度も何度も見返してるけど場面とセリフに無駄がないな
見返すほどに細かい部分が計算されていることに気づかされる
名作だわ 昔は兄さあとこげんしてよう唐芋を食もいもしたなあ (名月) せごついに9.9%だとw
翔ぶが西田吉之助さあ何か意見を言ってたもんせ >>790
多分幕末縛りで挙げられているから、葵は除外なんじゃない? 幕末大河ドラマ視聴率ランキング
1位 24.5% 篤姫 2008年 薩摩
2位 24.2% 勝海舟 1974年 幕府
3位 23.2% 翔ぶが如く 1990年 薩摩
4位 21.2% 徳川慶喜 1998年 幕府
5位 20.2% 花の生涯 1963年 幕府
6位 19.1% 三姉妹 1967年 幕府
7位 19.0% 花神 1977年 長州
8位 18.7% 龍馬伝 2010年 土佐
9位 17.4% 新選組 2004年 幕府
10位 14.6% 八重の桜 2013年 会津
11位 14.5% 竜馬がゆく 1968年 土佐
12位 13.0% 西郷どん 2018年 薩摩 (暫定) ← 今ここ
13位 12.0% 花燃ゆ 2015年 長州 お獅子やってくれ
せんずも苅谷嘉顕も死んだし、西武も優勝したし
やらねえかな >>795
まあ悪いのは役者よりも脚本・演出だから・・・ せめて試験に通る程度の史実は踏まえた上で脚色していただきたいもんだ 西田も鹿賀もめっちゃ老け込んでヨボヨボなのに
高橋英樹の若々しさよ ミス・レモンが出てくると前髪が気になって話が入ってこない(´・ω・`) 「私達は薩摩軍の大将の家ごわんで
政府軍の世話になるわけにはいけもはん」
はあ・・・いいドラマだよ・・・見てきてよかったって感じがするよね >>799
英樹はすげぇよな
この前もテレ朝のドラマ出てたけど、久光やってた頃と殆ど変わってないのがすごい。
髪も黒々もしてるしw
斉彬やってた加山雄三も80過ぎてんのに現役だし、あのパワフルさは何なんだろうね
老ける人は一気に老けるけど、老けない人は年取っても全然老けないよな 丼はこれから僅か2ヶ月でどう西南戦争まで描くのだろ? 菊次郎さんも延岡に片足置いてきてるから描かずにはおれないとおもうがどげんかな〜 >>805
もうよかじゃで、あのドラマは
脚本家さぁももうどうして終わらそうか、それしか考えられん状態という印象でごわした。 龍神連合四代目総長・長木義明(葛飾区青戸6−26−6)の挑発
長木義明「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合四代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状) >>806
延岡だっけ?
ドラマのなかで田原坂に埋めてきたみたいなことを言っていたような・・・? >>810
ドラマではたしかに言ってた気がするが和田越の時負傷したらしい (Wikiより) >>807
このスレでお馴染みのw陸江藤の印象に残る台詞や演技も
せごやせご江藤にはできないだろうな
いったいこれは何だ〜
大久保〜
イチモツ等
イチモツの台詞の後の西田吉之助や斉藤板垣の意味深な笑い声の演出も無理だろうなw >>802
英樹ちゃんに加山ともに映画出身な所も関係しているのでは
昨年だったか徹子の部屋に英樹&浅丘ルリ子が出演してたの少し見たが
二人とも語ってたのが撮影現場なんて監督からスタッフまで
演技に毎日バカヤロ〜の声が響く状態だったそうだ皆が叩き上げ出なんだよな
1960年代に活躍した方々は皆元気な印象がある >>805
しかしなぜ菊次郎?
嫡子は寅太郎では? >>814
嫡男ではないが長子だから けっこうな歳上 翔ぶにも出てきたがね >>812
セリフで視聴者に状況をわからせる力量がすごい。桂小五郎「朝・昼・晩、朝・昼・晩、
山海の珍味が出た」みたいなごく短い言葉で状況がまるで目に見えるよう。 先日、俵野と和田越に行ってきた。俵野集落は何と言うか、当時の雰囲気がそのまま
真空パックされたかのよう。眼前にそびえる可愛岳は壮観で、西郷さん達、これを官軍の
包囲網を切り崩しながら、しかも真夜中に越えて行ったというのがとても信じられない。
で、同地にある西郷宿陣資料館も勿論見てきたけど、隆盛の孫の吉之助氏の証言
として、イトさんが実は俵野に来てて菊次郎の傷を手当てしてた、と紹介されていた。
同館のパンフレットにもそう書いてある。
これっててっきりドラマの通り(西郷家隠れ家に熊吉一人帰って来てイトさんらの出迎え
受ける)だと思ってたので、恥ずかしながら初耳でした...。
平成28年初旬にNHKの大河スタッフがここを訪れた時、『西郷どん』の演出も隆盛,イト,
菊次郎3人(+熊吉も?)による感動的なシーンにすると言い残していったそうで、
さぁどうなりますやら。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています