>>276
しかしなー、平家物語他であまりにも名高い「熱病で全身沸騰する今わの際の清盛」すら知らない、トンデモレベルの無知な阿呆が、
当時いっぱい沸いたのは記憶に新しいのだが、いまだにこの爺さん、こんな基本的な史実すら知らないらしい
(阿呆の上に本をまともに読んだことがないのだろう)。こうなるともう呆れかえってしまう。

幽体離脱については↓

>その後、新島襄の幽霊が八重を慰めるとかの展開が無くて良かった。(ちら..とそう取れそうな描写はあった)
>大河にありがちな死者が生者と言葉を交わす演出が苦手だから、好きな大河でそれがあると若干げんなりする。
>盛大にやらかしたのが平清盛最終回…。名シーンなのは分かるけど…。


気持ちはわかる。
しかし、大河標準装備のユーレイ(独眼竜にも信玄にも翔ぶが如くにも出てくる)にあって、平清盛最終の清盛「幽体離脱」と
西行「イタコ」は、それ無くして清盛物語は終結しない必須の舞台装置であって、初めからユーレイで驚かそうみたいな
低次元の設定では決してなかった。
詳しくはもう述べない。
・助命シーンの落とし前をつけるためには、2人の間の「志の継承」がなされねばならず、そのためには宗教者西行が
イタコとなるしかなかった(東大寺再建勧進のため鎌倉へ下向し頼朝と面会したのは史実)。
・清盛幽体離脱は、その時西行は100%京にいなかったという史実からむしろ出発していることに注目すべきだ。
志半ばで死を迎える清盛の方から伊勢に「赴く」以外に、清盛が成仏する術はなかったのである。
さらに、一門との別れは清盛物語を終える上で欠かせないドラマであったところ、熱病でうなされあっという間に死んだ清盛
との間では叶わぬ情景だった(新平家では、まだピンピンした「生きた」清盛が一門と別れを交わす)。
ここでも、イタコ西行の助けが(ドラマの装置として)是非とも必要であった。
要するに、史実を尊重したがゆえの清盛と西行の超常現象なのであり、これ見よがしのユーレイとは
立脚点を正反対のところに置いた最終回であった。
なお、八重さんは満足した一生を成し遂げた女性であって、最終回で旦那から慰められる必要はどこにもなかった。
まだやりきれてない人生を死によって遮断された清盛と、晩年を大幅に省略して終了した八重を、
死者からの慰撫という観点から同じ土俵に載せるのはよろしくない。