大河ドラマ「風林火山」Part167
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大河ドラマ「風林火山」Part167
風林火山「孫子の旗」
風林火山(ふうりんかざん)は、甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」(疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、
侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し)の通称である。
不 侵 其 其
動 掠 徐 疾
如 如 如 如
山 火 林 風
http://i.imgur.com/nB8yRaa.png
戦国武将、武田信玄の軍師を務めたとされる山本勘助の一生を描いた作品。
大河ドラマとしては初めて井上靖の作品を原作に採用。
「風林火山」(ふうりんかざん)は、2007年1月7日から12月16日まで放送された46作目のNHK大河ドラマ。
原作:井上靖、脚本:大森寿美男、音楽:千住明、語り:加賀美幸子、主演・内野聖陽。 全50話。 ◆戦国を駆け抜けた武将の死没(まとめ)
今川義元 死没:1560年...6月12日 (41歳)
山本勘助 死没:1561年10月18日(60歳)
武田信玄 死没:1573年...5月13日 (51歳)
武田信虎 死没:1574年...3月27日 (80歳)
上杉謙信 死没:1578年...4月19日 (48歳)
武田勝頼 死没:1582年...4月...3日(36歳)
織田信長 死没:1582年...6月21日 (47歳)
北条氏康 死没:1590年...8月10日 (52歳)
豊臣秀吉 死没:1598年...9月18日 (61歳)
真田昌幸 死没:1611年...7月13日(64歳)
今川氏真 死没:1615年...1月27日(77歳)
真田幸村 死没:1615年...6月...3日(48歳)
徳川家康 死没:1616年...6月...1日 (73歳)
伊達政宗 死没:1636年...6月27日 (68歳) 【保守13】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守12】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守11】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守11】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守09】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守08】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守07】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守06】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守05】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守04】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守03】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守02】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守01】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【保守完了】 大河ドラマ「風林火山」Part167 【重要】
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大河ドラマ「風林火山」Part167
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1534129547/ >>7
日付と年齢をグレゴリオ暦・満年齢にわざわざ直す意味か分からない。 >>7
> 武田勝頼 死没:1582年...4月...3日(36歳)
> 織田信長 死没:1582年...6月21日 (47歳)
勝頼が死んで、わずか2ヶ月後に信長が死んだ
もう少し勝頼が生き延びていれば・・ >>27
騙し討ちされた小山田について行かず
真田について行けば確実に死なずに済み
真田を家老に迎えて武田家の再興できた 真田を選んでも、その真田の領地に信長軍が攻め込んだら詰みじゃねえの?
昌幸と信繁だから撃退可能?ノブヤボじゃあるまいし。 数ヶ月くらい真田がやすやすとやられない
信長が死んだ後は信長軍はちりぢりだし >>28
真田が小山田になっただけで何も変わらない >>30
武田氏が完全に滅びなければ、そもそも本能寺の変も起こらず、信長も死なない可能性が高い。 本能寺の変のときの信長は、毛利攻めに向かっていたわけで、武田が滅んでいなければ
信長自らが毛利攻めに向かうなんてこともなかっただろう。 光秀を甲斐信濃担当で現地に置いてくれば、本能寺起きなかった。 >>35
惟任日向守は、名前からしても西日本担当だからなぁ。 歴史秘話ヒストリア「武田信玄“甲陽軍鑑”が語る真実」★2
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1535551056/
武田信玄「甲陽軍鑑」が語る真実
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/352.html
●本放送 平成30年8月29日(水)22:25〜23:10 総合 全国
●再放送 平成30年9月 1日(土)10:05〜10:50 総合 全国
エピソード1 最新研究が明かす武田信玄
近年発見された「甲陽軍鑑 末書」
武田信玄の一代記「甲陽軍鑑」には「末書(まっしょ)」という補足の巻がありました。
長らく巻名のみ伝えられ内容は一部しか知られていませんでしたが、近年 全文が確認されました!
末書を詳細に読んでいくと、信玄の意外な側近、信玄の秘めたる野望など、驚くべき新事実が次々と!!
エピソード2 「甲陽軍鑑」は偽書なのか
明治時代、近代的な歴史学が始まると「甲陽軍鑑」に疑いの目が向けられます。
これは後世の創作、「偽書」なのではないか…? 以後、ほとんど顧みられなくなった「甲陽軍鑑」に
ひとり光をあてたのが国語学者の酒井憲二でした。その「言葉」からのアプローチは、甲陽軍鑑に再び命を吹きこむことに。
エピソード3 甲陽軍鑑をつくった人生と志
「甲陽軍鑑」は記述がドラマチックで、それは「偽書」説の根拠にもなりました。
この物語性のワケは「作者」にあり。作者とは、信玄の家臣 高坂弾正(こうさか・だんじょう)。
著述方法も独特で、高坂が語りそれを部下が書き留める「口述筆記」でした。
「物語」にしてでも高坂が伝えたかったものとは――! >>41
井上あさひ】武田信玄と高坂弾正
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/historia/304343.html
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/image/hisutoriatakedasingen4_logo.jpg
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/image/hisutoriasingens06_logo.jpg
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/image/hisutoriasingenS05-001_logo.jpg
汚名を晴らした歴史書
今夜は、武田信玄を知る手がかりとなる史料「甲陽軍鑑(こうようぐんかん)」の秘話をお伝えしました。
偽書とみなされていたところから180度評価が変わり、むしろ新事実を伝える重要な書物であることがわかるという、
とてもドラマチックな展開でした。甲陽軍鑑が信玄の言動を今に伝える書物だったとされることで、
信玄という人物がいかに偉大であったかが改めて証明されることになりました。
「甲陽軍鑑」を残そうとした高坂弾正の思いは、時を超えて遂げられたといえるかもしれません。
心くばりの人・信玄
ここで番組ではご紹介できなかった「甲陽軍鑑」にある信玄の逸話をひとつ。
ある時、甲斐国の一蓮寺で信玄を囲む歌会が催されました。
息子の武田勝頼や弟たち、連歌の師匠、侍医、ごく近しい家臣(信玄のお給仕役として「おのおの抜かりなく」真田昌幸も!)など
気がおけない者だけの会だったようですが、ここに、たまたま甲斐に滞在していた京の貴族「きくてい殿」が来てしまいます。
信玄はイヤな顔もせず、きくてい殿を喜んで迎え入れました。
やがて食事の時刻になると、ふいに信玄は連歌の師・寺嶋甫庵に、遠光院という寺へ行って調べ物をしてきて欲しいと頼み、甫庵は退席します。
やがて食事も終わって歌会はお開きとなりました。
実は、ここまでの事にはウラがありました。「軍鑑」には終会後、信玄が高坂弾正へ次のように語ったとあります。
『一蓮寺での食事の膳の数は、出席の人数分しか用意されていなかった。きくてい殿が来られると、
いざ膳に向かうという時に他の者が誰か一人 席を立たねばならぬ。それはこの信玄の恥なので、分からぬよう甫庵に席をはずしてもらった』
自分は楽しめば良い場面でも細かな心くばりを忘れなかったのが信玄公のご立派なところである、と高坂は付け加えています。
ただ番組でご覧いただいたように、のちに「かくの病(胃がん?)を受け給う」たのも、こうした気づかいをずっとされていたせいであろう、とも。
「動かざること山の如」き武勇武略の人・信玄のイメージとは異なる一面をうかがうことができます。
輝きを増す信玄の魅力
このように、高坂は信玄のそばにいて、その場にいたからこそ知り得たであろうことや、側近だからこそ聞き得たであろうことを子細に「軍鑑」に残しています。
農民出身で文字の読み書きができなかった高坂が、武田家が滅んでなお、なぜ数年に及ぶ口述筆記に挑んだのか。
それは、武田信玄という戦国時代におけるカリスマ、その偉大さをどうしても後世に残さずにはおられなかったからではないでしょうか。
では家臣にここまで思わせるほどの人物とは一体どんな主君だったのか。
そう考えれば、高坂によって信玄の魅力が一層輝きを増すではありませんか。この2人の関係性に、私は胸が熱くなったのでした。 ヒストリアって、なんか見る気になれないんだよな・・・。
BSの英雄たちの選択とかは、特に抵抗なく見ていられるんだが、何でだろ? >>28-32
武田勝頼が真田の沼田城あたりに逃げ込んでいたら、あと数か月は持ちこたえたかもしれないなあ そうなった場合、小山田の代わりに真田が武田の滅亡に付き合わされるだけだと思う。
ただ鎌倉以来の甲斐守護家の当主という勝頼の立場からしたら、真田のところへ行くのは
甲斐を捨てて他国へ逃げることを意味するわけで、甲斐国内である小山田領へ行くよりも
遥かに心理的なハードルが高いだろうな。 武田勝頼も一度は真田の策に乗ろうとしたが
「あいつは信濃の人間で甲斐の人間じゃないから、いつ裏切るか分かりませんよ!」と吹き込まれて
小山田のほうを選んでしまった
もっとも、その小山田に裏切られてアウトになってしまった >>44
ヒストリアは今年度に入ってから明らかに番組のクオリティが上がってるよ 甲陽軍艦を原作にした大河ドラマが見たい
甲陽軍艦に設楽が原の戦いについて記述があればな
生き残った人々から実際の戦況を聞いて書き残して置いてくれれば良かったのに
信長マンセー公記なんかあてにならん 大河で、昔の軍記物をそのまま原作にした例ってあったっけ? >>50
イイネ!
「甲陽軍艦」武田信玄
語りを
高坂弾正 役:村上弘明
武田信玄 役:アンディ岸本 ヒストリアの常連、武田信玄役の役者がアンディ岸本っていう人だと初めて知った。
ヒストリアにしてはなかなか良い回だったよ。
しかし、あの国家構想の件で出てきたアップの半ば呆け顔は笑ってしまった。 >>54
2012年の平清盛以降麒麟がくるまで最後うどん以外は原作ないよ >>50
「武田信玄」はかなり近いよ
山本勘助は実在の人物だったのかどうか疑わしいレベルだったけど >>58
新平家も太平記も20世紀の大河なのだが。 司馬遼太郎が大坂の陣を描いた「城塞」の主人公のひとりが甲陽軍鑑を
まとめた小幡勘兵衛だけど、かなり胡散臭い人物に描かれてる。 >>59
市河文書以降、真下家文書の発見で実在が証明されただろ 原作がなくなってから大河は駄目になったと言われて
今年なんとか付けたのにあまり意味がなかったな 甲陽軍鑑が史実とされるなら勘助も実在の軍師であったと言えるだろうな。 軍鑑でも勘助については軍師とは一言も書いてなかった気がする >>64
原作があればよいというものでもないことは、「篤姫」や「天地人」あたりで既に分かっていたことw 大河ドラマ化にあたり、この辺の人は必ず出してほしい
内藤昌秀
武田信豊
仁科盛信
武田信勝
穴山信君
小山田信茂
真田昌幸
真田信綱
長坂光堅
跡部勝資
土屋昌続
土屋昌恒
岡部元信
曽根昌世 >>68
すまんが手元にある軍鑑には軍師の文字が見当たらないからサイト持ってくるんじゃなく軍鑑の何章に記述されてるか教えてくれや 信者とか言っちゃう辺りヒストリア観て無いのバレバレ
再放送やるから録画して観ろよ ヒストリアごときに踊らされる奴って、歴史ヲタとしての矜持はないのか? 山本さんは父は川中島 子は長篠で戦死にする武田モノが見たいと トミーリー・ジョーンズ出演の缶コーヒーのBOSS(関ヶ原の戦い編で風林火山のオープニングが流れていた。
11年前の曲だけど、未だに使われているんだな。 サントリーボスのCMで風林火山のBGM「燃ゆる日輪」が流れてた気がした これか
https://you tu.be/6ewMSDJoV4c ボス『関ケ原』篇 30秒 タモリ 野村萬斎 タカアンドトシ トミー・リー・ジョーンズ サントリー CM
URL教えてくれて、サンクス。しかし笑えるCMだね。これも。 >>85
炎立つは奥州藤原氏の滅亡まで描いて失敗した >>91
信玄の謝罪の言葉と軍事情報を外様の重要人物に一字一句間違えず伝えねばならん人がただの下っ端なわけなかろう https://youtu.be/6ewMSDJoV4c
缶コーヒーBOSSのCM
舞台が「関ケ原」なのに、なぜかBGMが「風林火山」、武田は関係ないし時代も違うじゃん(笑)
なぜ川中島の戦いにしなかったのか >>94
ソフトバンクといいサントリーといい
千住明さん、この大河やってよかったなw >>94
JASRAC役員だっけ、千住さん
すぎやまこういちもそうだな 川中島なんて糞みたいな地域を争わずにさっさと休戦して天下を目指すべきだったね そうなんだけど後からは何とでも言えるからね
まああり得ないが謙信と和睦して連合勢力で
信長を滅ぼすのが一番 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています