【徹底】大河はいつから壊れたのか?【議論】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
時代考証は無茶苦茶、何かあると女がでしゃばってくる意味不明設定。まるで迫力がない戦闘シーン。篤姫以降はどの時代、誰が主人公で視聴率まるで駄目。果たして大河はいつから駄目になったのか? >>59
俺は一般人の感覚を持っていないせいか、高校生ぐらいのガキ、しかも都で悪ガキとして鳴らした
(京雀から「無頼の高平太」と渾名)清盛が、海賊討伐に成功した凱旋式というハレの舞台で、
興奮と高揚感から思わず不規則発言をしたからと言って、「平氏の御曹司にあるまじき振る舞い」
とはちっとも思わなかったよ、初見時からして。
しかも、「昨日の敵の属性に一体化」することで、清盛と兎丸は「身分違い、されど今日からは(水平的な)仲間」
となったのだ。
このような意味づけまで考えた上でのことなのか、松ケンらしい直感からなのかはわからない。
しかし、松ケンの口から「海賊王になるぞー」が咄嗟に出たのは、ドラマにとって幸運だったと思っている。 >>65
だからさ、お前のような漫画脳を徹底的にシカトすべく、精密機械のような緻密でしかも
メタファーやらシンボルを多用する高難度の脚本を作って、善男善女まで遠ざけてしまったんだよ。 「清盛」は個人的にはとても好き。
女性主人公大河は総じて嫌い。
それは個人的感想だと言われればそうだが。
「政宗」は名作だったが、それ以降町興しの材料として利用されるようになって、地元のヒーローバンザイばかりになったんだな、と思う。
だから、特定のいつから?と問えば、やはり「政宗」からなのでは?
「清盛」は、その町興し主義の犠牲になった面も大きい。 >>49
清盛を持ち上げるのは勝手だが、そのために風林を貶めるのはよろしくない >>70
風鈴を評価した上での話。
あたかも風鈴だけが「男臭い大河」の残滓のような言い草が罷り通ってるだろ。
昔も今も脱線恋バナのない大河なんてないし、風鈴のような作り話が嫌いなわけでもない。
俺はむしろ諏訪姫が女優込みで好きだ。清盛だけが「異常」なだけ。要するに
風鈴だけが女の匂いがしない「昔ながらの大河」なる頓珍漢が、風鈴を「最後の男大河」
と礼賛するのは不幸な鑑賞態度、と訴えている。 >>62
平家物語で著名なエピでも、平清盛的に不要と判断されればばっさり切る。
義平ナレ死は、まさにこの一貫した作劇態度を表す好例であった。
貴殿が残念に思ったのはファン心理上当然ながら、義平は、京貴族頼朝と対照される粗野な東国武士
(義朝が獲得した東国武士性&京貴族性が、2人の息子に一旦分裂し、後に流人頼朝によって再統合される
プロセスが何よりも重要)以上の重要性を持たない派生的な人物にすぎなかった。
実際上も、決定的な歴史的シーンである頼朝助命と並んで義平斬首に尺を割く余地は、
物理的のみならずストーリーの凝縮性からもなかった。 >>72
じゃあ姫しゃまーなんて書かなければいいのに
ちなみにレスの内容には納得なので同意ね すまぬが、清盛ほど登場人物の「死なせ方」「退場のさせ方」に意を払った大河を見たことがない。
もちろんそれは「ナレ死はぞんざいでリスペクトを欠く死なせ方」なる独善を意味しない
(ex最高に素敵な忠盛ナレ死)。その人それぞれにもっとも相応しい退場の仕方が追求されたということだ。 >>74
どこに話の焦点を当てるかってことだからなあ
義平は好きな武将だが、清盛の物語では脇役な訳だし
>義平は、京貴族頼朝と対照される粗野な東国武士
>(義朝が獲得した東国武士性&京貴族性が、2人の息子に一旦分裂し、後に流人頼朝によって再統合される
>プロセスが何よりも重要)
ちょっとズレてるかもしれないが、半分百姓やってた伊豆の北条家の描き方は好きだった
流人の貴種である頼朝との対比で、『都の軍事貴族』と『地方の在地領主』の合体という、当時の武士の二面性が良く出てたと思う >>76
マツケン清盛のギャグみたいな死に方には何も思わないのか 葵徳川三代は、ある意味トンデモ大河だったが、大河ドラマには、それを楽しむ余裕があった。
それすらも、中途半端なリアリティーとやらに、ぶっ壊されてしまったがな。 近年の作風は「取り合えず史実だから…」
こんな感じで流れがないまま史実と言う結果だけを唐突に出して来る
その割には小ネタには長々と時間を割くとか構成が無茶苦茶 >>84は黄門様の儲だな
現在の皇室は北朝系だから尊氏は守護者 >>83
なんでも歴史だからと詰め込めばいいわけじゃないんだよな
逆にドラマを壊す 龍馬伝以降の
どアップを多様するカメラワークが受け付けない やたらと衣装やセット汚すようになったのは龍馬以降だね 検索で簡単に史実か創作か知れるようになったのも原因かも知れない
大河に感動してググったら創作でした、というのが批判や興ざめの要因になっている
今の人間がリアリティを求めているのも確かだし、この流れは変えられない
今後はこれってマジなの?→マジなのか!となれる面白ネタを探してくるか
もしくは卑弥呼のようにわけわからない時代をやるしか >>91
日曜20時枠で最初に二桁割れを記録したのは「坂の上の雲」 ドラマはバランス。
一見、バランスを無視しているように見えるものでも、どこかでバランスを取っているものだ。
それが全部崩れたのが平清盛だろう。
大河ドラマは、今一度バランスを取り戻そうと、目下試行錯誤中である。 ここまで無内容だと反論しようがないので、足りない脳みそ振り絞って何か具体的に書きなよ。
長文でなくても良いからさ。 今の視聴者は明らかにリアリティより笑いを求めてるよ 平清盛が破壊しまくったのは明白じゃないか。
西郷どんも未だ1桁無く、いままで1桁だしたのは清盛と花もゆだけだが、
1桁回数で清盛は花もゆを圧倒しており、7.3%という驚異の最低記録を出している。
20%台が1回もないというのも清盛が初めてだ。1桁出しまくった清盛の破壊力は
核兵器級。 脳みそが足りないどころか無いもんだから、「バランスを崩したとはどーゆーこと?」
と聞かれているのに、ただただオウムの如く低視聴率がーを叫ぶのみ。どこまでアホなのか。。。
でついでに、お前らがキャンキャン吠える主戦場である視聴率スレでの話↓
>射てみよのどこがファンタジーじゃないんだ
>バカ死ねよくそ森信者 そういう個別の創作を捉えて「それは史実でない」などと言い始めたら、すべての大河は、それこそ立派な「ファンタジー大河」。
では、せっかくだから復習しますね。
そりゃ、平家と源氏と王家と摂関家の「家ドラマ」だわな。
ただし、それらは歴史描写と常に直結しており、各セクション間の相互関係と相互作用の総体が
平安末期のダイナミックな体制変動を生み出していた点で、稀に見る分厚い歴史ドラマであった。
一見、平氏(平家)内部の揉め事にすぎないような話でも、歴史的視点からその重要性が判断され
選択された出来事だったのだ。
その意味で、新平家の改竄は、逆に平家のホームドラマをつまらくしてしまった点で大いに疑問。
【参照】
家盛を消し去り、経盛が次男で、しかも清盛共々祇園女御腹で、次世代の重盛はななんと時子腹。
これでよくもまあ「平家のホームドラマ」ができましたね。
これでは、棟梁の座をめぐる正妻の子家盛と清盛との確執と争い、さらに、上昇した平家一門〜源氏と異なり
仲が良かったとされる「一蓮托生」の平家にあって、見逃すことのできない対立軸をなした
時子(時忠)&宗盛vs重盛(明子腹)が繰り広げた水面下での葛藤など描きようがありません。
これらは、平安末期の主要アクターである平家の内部問題が、歴史に作用した重要な一コマであって、
単に平家のホームドラマにとどまるものではありません
(家盛が早逝しなければ清盛は歴史の舞台に登場しなかった、あるいは保元の乱で真っ二つに割れたかもしれず、
また、重盛孤立化は政界の勢力地図に与える影響大)。
また、歴史パートへの洞察ともなれば、例えば祇園社事件にしても、忠盛、信西の位置づけにしても、
もう話にならなくて戸惑ってしまうほどです。 【社会に衝撃を与えた清盛の涜神行為がもった意義】
・清盛棟梁の座ピンチ(+家盛の台頭←頼長との男色をリンク=政治的コネクション形成手段としての男色)
・合理的精神=迷信嫌い(「あんなものはただの箱じゃ」)〜経ヶ島人柱否定伝説、「匡すべきは巻毛ではなく、
巻毛を醜いとする古よりの偏見だ」、宋人謁見に対する開かれた態度→交易国家構想、などに通底する清盛の根本精神。
・諮問会議紛糾→平氏処遇への態度(体制への包摂如何)から朝廷は次第に二つの勢力へと分かれていく(byナレ朝)。
〜とりわけ信西の現実主義vs頼長の復古主義→保元の乱の対立図式
・治天鳥羽が有した「罪刑専断性」=院政の恣意性〜諮問会議を踏まえつつも最後は治天の胸先三寸。
→結局、軽い罰金刑で清盛は事なきを得たが、「平氏の武力と財力が必要だがら」といった身も蓋もない理由で片づけず、
この部分を心理劇風に掘り下げたのが、かのエア矢のシーン(平氏が欠かせないことは諮問会議で親平家公卿家成が代弁)。
・清盛=旧体制への挑戦者、そして未来の破壊者(ドラマ的解釈を付加。これが最重要ゆえの「エア矢」創作だろう)。
鳥羽「そちこそが神輿を射抜いた矢そのもの。白河院が・・朕が乱した世に報いられた一本の鋭き矢じゃ」。
すなわち、神輿を射抜いた清盛は、自ら矢となって旧貴族体制のど真ん中にいる治天鳥羽を射抜いたのだった。
→実に三十数年後、弁慶の記憶に運ばれて飛んでいった鳥羽エア矢は、不信を強めていた頼朝in鎌倉に突き刺さった。
→朝廷という強固な岩盤を穿つドリル(内部に食い込んで貴族体制を弱体化。ついに「武力による」朝廷簒奪=治承クーデター)。
これこそが清盛が果たした歴史的意義であり、ここで清盛のレゾンデートルを再確認した伊豆のフリーライダー頼朝は、
清盛へのリスペクトを新たにして自ら京へ向けてエア矢=果たし状を放った。
→遂に源平合戦本戦ラウンド、源平棟梁間が雌雄を決する最終タイマン対決の時が来た・・・が、その矢先に清盛は熱病に斃れてしまった。
さんざせせら笑われた清盛の「エア矢」を見た後に、何ひと〜つこの大事件の意味を捉えておらず、驚くほど明後日の方角を向いた
新平家の祇園社事件を見て比べるのは、正直辛いものがあります。
(山法師とチャンバラ→民衆が石飛礫でピンチの清盛を救う→忠盛父さんが到着→あんな気弱なホームパパでしたが
兵をだして道を塞いでくれたのでした→お父さんありがとう!)
★ホームドラマとは、このように歴史事象が「家族の話」に矮小化されてしまうような作劇手法を言うのだろう。
ほとんどの大河がこの意味でホームドラマなのだが(例えば最重厚とされる武田信玄ですら、中身の多くは
重苦しい家族の葛藤。独眼竜に至っては作り手自身が「戦国ホームドラマです」と述べており、矮小化とは言わぬが、
歴史をトータルに捉える姿勢は希薄だった)。
しかし、平清盛は大いに違った。「利家とまつ」のような「夫婦もの」とは根本的なコンセプトが異なり、
平安末期の時代相、激動する体制変動の様相、そこにいきた人々の生々しい息遣いに、トータルで肉薄した「歴史劇」であった。
★で、大河ファンタジーと同じレベルで清盛のどこがファンタジーなのだ?
デタラメな改竄をやってるお前の大好きな大河は、何故ファンタジーではないのか?
汚盛ウヨババア答えろ。 平清盛みてないから見てみたいな
脚本家の藤本有紀さんは夫婦善哉とかちかえもんとかとても好きな脚本家なんだけどな
再放送しないかな 大河枠ぶち壊したのは平清盛。
視聴率が崩壊しただけでなく、視聴者に大河に対する嫌悪感を植え付けた。 大河ブランドが崩壊したと思う。
出演を断られるケースが増えて、演者の使い回しも多くなった。
新鮮味に欠けるキャストで幅が狭くなって、
それがまた視聴率に響くという悪循環に陥っているように見えるね。 >>105
具体的にはどんな嫌悪感?
>>106
なるほど。 大河ドラマも毎週末一年間付き合うんだ、人と同じだよ。
心のどこかで人を見下していて、節々にそれが感じられたら、人はその人から離れていくよ。 >>109
平清盛は視聴者の想定レベルを高く設定しすぎて数字が取れなかったのだと思う
少なくとも人を見下すようなことはまったくしていなかったし、媚びようとすることもなかった >>103
東京ラブシネマ、ギャルサー、本日も晴れ異常なし、MIQの脚本家だぞ 銀行問題業界ゴト潰レル?職員イル?
虐待死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ災熱湯薬害毒死多繋ガル看後死
100件以上介護保険税金ムダ泥棒マダ今環境殺ッテマス100オツムオムツ借金漬ケ棺桶型国家
森友ノロウイルス焼肉嘔吐虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポ部死テルン盗難
郡大老害林本モヤシテa麻薬王振戦違反重々ヤットストレス足ダシ爆発公害山口炉ウドモヤンキーノ種死ネ世
https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1441750123/ 精神障碍者の清盛オタさんよー、長文書かれても見る気がしねーよ 平清盛を全部観た俺が良かった所、悪かった所を書くね。
話は割りと硬派な所は良かったよ。
平清盛の名前は知ってたけど具体的に何した人で、平家の繁栄した理由も分かりました。
森田の演技も意外と良かったし、源氏の悪役っぽい人達も好演してたよね。
でも、前半の話が暗いんだわ。
三上博史はクサイし、マツケンは声がダメ。
伊東四朗と山本耕史はさすがの演技力だけど
とにかく話が暗い。
松田聖子の変な歌もしつこい。
あれで視聴者を逃したんだわ。
後半の杏が出てきた辺りは面白かったけど、
もう手遅れ。 遊びをせんとやーの唄ががしつこすぎてうんざりしたも追加で 2つコピペしますね
西郷どんはOPはかなり良いが劇伴がイマイチだな。
その点、吉松&タルカスは音楽面からも作品を強烈にバックアップした。
平安にフィットするか不安だったタルカスは、ここぞという時に威力を発揮し、
吉松が提供した音楽は、様々なパターンごとに最適なチョイスを可能とするだけの質と
多彩なヴァリエーションをもっていた。
そして、これらの名曲群を各シーンで縦横に使い切った作り手のセンスが光った。
しかし、中にはちょっとうるさい、ここは違うのではという感想を個々人が抱いても変ではないし、
少女が歌う「遊びをせんとや」の頻発な挿入はややクドイと自分も思った
(ただ、キーコンセプトゆえ執拗低音のように鳴り響き続けたこと自体は正解。
一方、主要人物たち〜舞子、乙前、忠盛、後白河、清盛〜が歌う「遊びをせんとや」がもった意味と作用を、
それぞれの文脈から読み解くことは、大河清盛理解に欠かせないハードワーク)。
いずれにせよ、清盛で「大活躍」した音楽の位置づけは、単に劇伴(主である台詞に添えられた従たる役割)
に止まるものではなく、脚本、演出、演技、映像、美術が渾然一体となって作品を生み出す上で、
欠かすことのできない主たる要素であり続けた(歌姫のアリアを引き立てる伴奏ではなく、
歌手と対等に渡り合う雄弁なオーケストラのようなもの)。 海賊船でのピンチから清盛を救ったのが、嬰児記憶に刷り込まれていた母舞子の歌う「あそびをせんとや生まれけん」。
舞子が歌う遊びの歌は、忠盛の人生にも大きな影響を与えた(どうしょうもなく気楽で呑気な歌だな→舞子自らが真髄を語る
(→なんとこの舞子による「解説」が、最終回で清盛を讃え慰撫する西行によってリフレインされる
〜清盛は母が理想とする〈面白き〉人生を全うしたのだった:「お点前が夢中で生きた〈面白き〉人生、何と〈美しい〉!」)
→その後、遊びの歌の精神を密かに自らの指針としてきた忠盛であったが、これを口ずさむところを宗子に聞かれてしまい
(鹿爪も見つかって・・・)夫婦の危機。。。
→さらに、どんなに頑張っても越えられない貴族の厚い壁(結局、公卿になれず)。
そこに追い打ちをかけるかのように鬼畜頼長から愛息家盛への凌辱をぶっちゃけられて(「おたくの息子とはすべてにおいてしかと結ばれたのさ」)、
人生の最後で酷く弱気になってしまった忠盛のセリフがコレ:「家貞。近ごろしきりに思い出すのじゃ。舞子に言われたことを。
【夢中で生きていればいつかわかる】。なんのために太刀を振るっているのか。なにゆえ武士が今の世に生きているのか。
【わしは夢中で生きてきた】。だが未だわからぬ・・・」
このように、舞子が歌う「遊びをせんとや」は、清盛と忠盛に重大な作用を及ぼした。そして、この歌を舞子に仕込んだのが、
白拍子界の大先輩にしてスーパースター祇園女御=乙前であった。彼女が歌う「遊びをせんとや」もまた、、とんでもなく大きな意味を担った。
まずもって、雅仁ボーンアゲインは、まさに乙前@青墓が歌う「遊びをせんとや」が齎した。
どちらに転ぶかわからない緊迫した王者議定の実況中継(史実にほぼ忠実)は、非常にエキサイティングなシーンであったけれど、
本作の雅仁は「なるべくして帝位に就いた」王者なのである(史実と創作との「虚実皮膜」を示す好例)。
それだけではない。母舞子が歌う「遊びをせんとや」に救われた清盛は、生死の境を彷徨った「白河院の伝言回」において、
今度は駆けつけた乙前が枕元で歌う「遊びをせんとや」の歌によって励まされることで〈生への意志〉を高め、
遠い昔の嬰児(胎児)記憶へと遡及していき、、そこで母舞子と出会い、父白河と対峙した
(あなた様を超えて見せますると宣言したところで蘇生)。その意味で清盛も雅仁同様、、乙前が歌う「遊びをせんとや」によって
再度生を得て帰還したと言うことができる。
こうして振り返ると、「遊びをせんとや生まれけん」が、どんだけ重要なキーコンセプトであったことか、今さらながら痛感するしかない。
この歌の「総元締め」祇園女御=乙前の重要性もわかるだろう。そして祇園女御=乙前の重要性は、
何よりもこの「生命の歌」を美声で歌うことにあるのだから、セリフ回しその他の演技力よりも歌唱力が求められる
役柄であったことが明らかである。
昭和の歌姫にしてセレブな聖子を、平安の芸能民のトップにして白河の寵姫、セレブな祇園女御=乙前に抜擢した磯Pの慧眼に恐れ入った。 清盛のスタッフ・キャスト一同
もう許してください
___
/ \::::::/\
/ 。(一):::(一)。
| :::::。゚(__人__)゚ |
\ ゚ `⌒´ /゚
/ ⌒ヽ ̄ ̄ヽ゚。
/ ___\ \/\ \
と___)__ヽ__つ ヽ__つ
も、もうしわけ
ございません…
/⌒Y⌒ヽ
/ / ̄ ̄~\
/// \
/ |:::::..... |
/ ∧::::::..... /\
(  ̄ ̄⌒\/⌒ ̄ ̄)
 ̄ ̄ ̄ヽ」」人LLノ ̄ ̄ 汚盛放送前と放送後で番組の空気が全く異なるが、NHKは気がついているか?気付いて無いだろうなw >>122
マジレスするとだ、裏でイッテQが続く限りは大河の復権はないと思うよ。 汚盛から画面が暗くなったよな
大河の未来も暗くなった 別に清盛おもしろかったろ?ミキプルーンが主役の頃は >>126
好きずきだからそれでも結構だけど
保元平治の乱前後のドラマ性は近年にない盛り上がりだったと思うよ 何しろ、酔っ払って書き殴った誤字脱字だらけの駄文でスンマセン。
もっと削って足して、下手なりに文意を整えたいところだが、今もリアルで酔っ払いw
後白河即位はドラマ上は棚ぼたではない。乙前@青墓が歌う「遊びをせんとや」によって覚醒し、
生気満々の態で執政意思を表明した「要らぬ皇子」雅仁自らが手繰り寄せたものだ
(歴史的には、支配層の複雑な思惑と駆け引きが交錯した挙句のラッキー)。
そこで、本作の白眉と推奨したいシーンが、耽美的な青墓映像で見魅せた「誕生後白河帝」における、
即位直前の後白河vs清盛。
妖しくもエロチックな表情で、しかも歌手顔負けの美声で、乙前から学んだ「遊びをせんとや」
を朗唱した松田雅仁(生まれたこと自体が既にバクチじゃー)に対して、清盛は「何で御座りますか今の歌は。
私も昔聴いたような。あれが聞こえてこなんだら私は生きておらなんだでしょう」と応えた(アクセル全開で
善男善女を置いてきぼりにした「王者議定」への挿入シーン)。
つまりは、「遊びをせんとや」は、2人にとっても忠盛にとっても(もちろん、女御&舞子にとっても)、
各々の根源的な生き様を、彼らが直面した決定的局面において方向づけ、強烈にプッシュする歌なのであった。
こうして「遊びをせんとや」は、クドくなるれっきした「リクツ」があった。
それにしても、このような形で不詳俺のオツムとハートを刺激してくれる大河は他にないのだろうか? 世の中には虫を食べる女もいる。
ゲテモノ好きに旨いから食えと押し付けられても迷惑でしかない。 日テレが視聴率良いのを見ても視聴者のレベルの低下が原因だろ。
半沢もドクターXも水戸黄門の別バージョンでしかない。 109 日曜8時の名無しさん sage 2018/08/29(水) 00:04:26.79 ID:geEYVAot
大河ドラマも毎週末一年間付き合うんだ、人と同じだよ。
心のどこかで人を見下していて、節々にそれが感じられたら、人はその人から離れていくよ。 >>135
そういう人間はネットに集まりやすいからネットの意見が偏る
そして、それが視聴率との差になって表れる >>133
病院行って診断してもらえ
発達障害もしくは統合失調症の恐れがあるぞ 汚盛を大河壊滅の主犯に仕立てあげたのは磯とも考えられるが、奴は放送期間中にノイローゼ寸前にまで追い込まれていたらしい。
これを思うと、汚盛を使って大河破壊を企てたのは磯より更に高いレベルのドラマ部か更に上の幹部の誰かだと考えられる。 つまり磯は、自分より立場が上の者からパワハラを受けていた…? 精神病質者は自分が病気であることを理解できない。
大河を壊していることも分からない。
自分が矛盾していることにも気づかない。 >>141
汚盛主演に松ケンが大抜擢され、直後の記者会見…。
大はしゃぎの松ケンの隣で、磯は青ざめた顔で震えていたという。
プロデューサーであれば本来口出しできるはずの主演オーディションについて、磯本人が全くタッチできていなかったと考えて間違いない。
プロデューサーよりはるかに上の立場の人物が強権を振るい、自らの目的(大河壊滅)を果たす為に磯に圧をかけた。 更に、松ケンは「汚盛は日本史上最大の偉人だ!」との発言。
この人物を歴史上最大の偉人と捉える小説はまず存在しないし、さらには特定の人物を最大の偉人だなどとランク付けする学説なぞ有り得ない。
松ケン本人は中卒、日本史に全く知識が無い事は当然だが、歴史上の人物についてNHK側から間違った知識を植え付けられていたと考えるとこのような発言も違和感は無い。
そして間違った知識を植え付けたのは、プロジェクトを成功させようとしていた磯ではない。
また、ドラマに不可欠な歴史上の知識を磯以下のスタッフ、または歴史考証がこの様な形で伝える筈がない。
プロデューサーが許さないからである。これができるのは、磯本人よりも立場が上で、なおかつ大河の内容に口出しできる人物。つまり、NHK幹部。 【ただ今】アホウヨ&=ババアはいつから壊れたのか?【発狂中】
に模様替えした方がいいんでないの?w 松ケンをおだてあげ、間違った歴史の知識を植え付け作品に間違ったイメージを持たせ、結果として大河を壊滅させる原因の一つを生じさせた。 これら全てを誰にも咎められること無くやり遂せるのは、少なくともプロデューサーより何段階も上の立場にいる人物、NHK幹部とみて間違いない。放送から数年経過しているが、当時の様子を知る人物はまだ多いと思われる。
NHKは汚盛放送問題の全容を解明しなければならない。 木田 幸紀専務理事放送総局長はドラマ畑出身でNHKプロパーの実質トップ。
独眼竜政宗の演出をはじめ、多くのドラマの制作統括をやり、ドラマ部長になった。
大河史上最高視聴率の政宗を担当してるだけでなく、長い間大河史上最低だった
花の乱のPもやっている。清盛が生まれたことで、結果的に大河史上最低視聴率作担当
の汚名を拭い去ることができた。 ドラマ部門に最も影響力をもつ人。 磯に圧をかけた幹部と一言で表現しても、候補になる人物は複数いると思われる。 >汚盛は日本史上最大の偉人だ!
なにこれなんて読むの >>150
最低視聴率返上のために磯に圧力をかけたとすると、何故花の乱から20年近く経過してから犯行に及んだのか?
また、何故磯だったのか?標的にされた理由は?題材との関係は?
この辺りを明らかにしていく必要があると思う。 女子体操やアマチュアボクシング会のゴタゴタの見すぎじゃないのか
たしかにあのような旧時代の化石のようなパワハラ権力者は
大河視聴者に多いタイプだろうがな 清盛まではどんな視聴するのに悪い条件になっても一桁にはならない視聴層が居たんだよね
清盛も最初の方は強固な視聴層に守られてた
習慣だからと頑張って見続けてた層が清盛で見放した >>156
日曜20時枠で最初に一桁を記録したのは前年の「坂の上の雲」
恐らく地デジ化(2011.7.24)関係で視聴者側の環境が激変したため >>157
翌年の八重の桜が20%取ってるからあまり関係ないと思う
御高齢の方々も地デジ化についてはなんの問題もなく対応されたはず 清盛はフカキョンが可愛かったから最後まで見た。
今回の西郷どんや江に比べたら全然マシ。
ただレンタルDVDで一気に見たから面白かったのかもしれない。
しかしNHKも大河ではサイドビジネスに旨みがあるのだろう。
視聴率よりも経済的な利益を優先するようになって、
ドラマの質が問われなくなったのかもしれない。
音楽産業もかつてはCD売上で利益が出たが、今は違法DLで
壊滅的。地道にライブやってTシャツなどのファングッズ販売が
収益のメインになった。まあAKBの握手商法や投票権売りもそうだろう。
エンタメ業界が金をより多く落とす消費者相手のビジネスになれば、
これまで最優先されてきたクオリティーがメインではなくり、その
傾向がNHKにも波及したと考えるべきだろうか? >>158
その頃はNHK資料で判明するBS視聴率はともかく
録画TS視聴率なんて調査すらされてなかったから
熱心なファンが多かった清盛は不利だったと思われる
八重の桜も高かったのは初回だけだし
推移の傾向は清盛とあんまり変わらない
日曜20時でなくてもいいという視聴習慣が生まれたのは確実 >>160
それが生まれたのは丸からだからそれ以前はたかが知れてる >>159
円盤売りたいならそれこそ「質ドラマ」にならなければいけないのでは?
初版が完売して通販限定で再販してるのって今のところは清盛だけ >>161
丸の年にBDレコーダーが馬鹿売れした訳でもあるまいに
ビデオリサーチ社がTS視聴率を計測していなかったからといって
それが存在しなかったかのように語るのはどうかと そもそも清盛攻撃のために立てたスレなんだから当然の展開だけれども、
それにしても、大河を壊したと喚く対象は視聴率がーのみ。
中身で反論されても見て見ぬ振りを決め込むアホウヨババアどもなのであります。
>>156
真田より数字をとった江より大幅に下げたことは事実だが、そこで何が原因なのかが問われている。
視聴率が壊滅したのは中身が悪かったからだとお前は確信しているのだろ?
どーゆう点で江まで維持したクオリティを破壊したのか語って見ろよ。王家がーとかw
次に、翌年の八重は、最終回一桁を記録した清盛から倍増して20%を超える好調な出だしだった。
これは、「大河に飢えた固定層」が戻ってきたからではないのか?
つまり、言うとことろの固定層は、清盛によって破壊されていなかった。破壊されてたら
そのまま低調な出だしとなったはずではないか。
にもかかわらず、次第に低視聴率に喘ぐようになると、それは八重の力が及ばないからではなく、
前年の清盛が「固定層を破壊した」せいだと責任転嫁するのだから笑わせる。
しっかしまあ、毎度毎度のアホウヨ&=ババアどものスーパーダブスタには恐れ入るわねw
>>159
清盛はクオリティ一本で最後まで突っ走った。 たとえば、クオリティとは↓のような、一つの些細なエピから歴史の核心をむんずと取り出すような作劇を言う。
嫁のしょうもない障子の穴開けから、安徳のそれを思い出して、ミタニンスゲーとやった清盛おばさんたちも勘弁して欲しい。
・まずもって安徳の障子穴開けは、平氏系新王朝の樹立がなって得意満面の「好々爺」清盛を伝える著名エピに依拠したものだ。
・ところが、清盛のニンマリ面は、乙前が問いかけたラストクエスチョンー「如何でございますか〈そこからの眺め〉は?」
のリフレインによって、物の見事に暗転した〜国の頂点に立ち誰も行く手を遮る者がいなくなった絶景は、漆黒の闇だった・・・
この印象的なシーンは、治承クーデターによって権力奪取したことが、清盛の転落の始まりとなったという、
「喜ばしい」清盛の「悲しい」史実を、暗喩的手法により投影したものである。
しかも、この究極のパラドックスを引き出した乙前の問いは、「白河院の伝言回」で白河が、
「そちはまだ知らぬ、登りきったその果ての景色を」と問いかけたー挑発しある意味清盛をプッシュした問いを、
乙前が白河に代わって反芻し総括した点で、祇園女御絡みのストーリー展開の終着点でもあった。
この問いを最後に、宿命のライバル清盛vs後白河双方を等しく庇護した祇園女御=乙前はフェードアウトした。
・このように、安徳障子の穴開けエピは、旧体制の矛盾、とりわけ地方(東国)の在地領主層の怨嗟を、
清盛平家が一手に引き受けてしまったことが平家の滅亡を招いたとする歴史解釈を、適当にでっち上げるのではなく、
着実な資料から発想して、奇想天外レベルで応用した天才的な創作であった(彼らの利害を背負ってチャレンジしたのが頼朝)。
これを、「嫉妬指数」を意味したにすぎないミタニンスゲー氏作「嫁の障子の穴開け」と一緒にすることは、頼むから勘弁して欲しい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています