慶応3年10月20日 なぜ必要?討幕の密勅
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慶応3(1867)年10月20日です。
大政奉還が成立し、幕府を倒すことに成功したように見えますが、薩摩はなぜ「討幕の密勅」を必要としているのか。歴史家で作家の加来耕三さんの解説です。

将軍・徳川慶喜が朝廷に大政奉還を奏上した今月14日。薩摩と長州に対し、慶喜を討てという、秘密裏の天皇の命令=「密勅」が下されました。

大政奉還が成立した今、この密勅は大義を失っているともいえますが、薩摩の小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通は密勅を持って鹿児島に向かっています。

「国許の8割が(武力倒幕に)反対している状況の中で、兵を挙げるにはどうしたらいいのかという方法論のひとつとして、討幕の密勅も用意されたわけです」
しかし、密勅が記された詔書は、武力倒幕派の公家、岩倉具視らによる偽物ではないかとの疑いがもたれています。

「天皇の印もない。そんな勅命は存在しないわけです。ただそれでも用意する周到さはさすがだなという気がします。討幕の少しでも可能性のあることは全部手を打っていくと。それが当時の討幕派、特に薩摩の西郷や大久保のやり方だと思う」

倒幕に向けて薩摩藩内外に武力行使が正当なものと訴えるため密勅が必要だったのです。