>>389
>>391

鳥羽伏見で政争が戦争になった段階で、
近代軍の幕府陸軍含め一塊の大軍勢を実際に持っていたのが慶喜
幕府陸軍含めた大坂城の軍勢に加えて江戸にも重武装の近代陸海軍を温存してた
初手を誤ったと言っても、大坂城まで撤退して以降に慶喜が継戦の意志を明確にしていたら
一度は薩長方についた諸藩も改めて各藩としての存亡を考えなければならなくなっていた

旧幕府陸軍の衝鋒隊が関東・北陸でヒャッハーした時でさえ、
近代軍備の一群に諸藩の多くは対処の仕様がなかったぐらいだから
鳥羽伏見で討伐対象になった会津、桑名、幕府陸軍と言う
利害共同体を率いる慶喜が本気で再起、反撃を宣言したら
近畿中部圏で各藩がどちらについた方がマシかと値踏みしても
特に実際に徳川幕府で既得権益を持ってた層が
薩長方よりも慶喜を選ぶ見込みは決して小さくなかった

まあ、その後の事を考えると史実の慶喜の選択の方が
国家的には正解だっただろうけど