【2018年大河ドラマ】 西郷どん part89
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◆前スレ
【2018年大河ドラマ】 西郷どん part88
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1536493747/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>41
「日本刀」「日本オオカミ」「日本産」
日本○○だとニホン読みの方がスムーズやな
ニッポントウと言われても、日本刀に思えんし >>40
山内容堂に「おまんはわしや幕府が憎くはないがかえ!?」と聞かれ
坂本龍馬は「憎いがです。上士が下士を虐げちゅう……異国が日本を食い物にしゆう…この国の有り様が憎いがです。憎むべきは、この国の古い仕組みですき」と返した
みんなが戦と武力の勝敗ばかりを考えている中で、龍馬だけがその後のことを考え、全員が戦を回避していく策を命がけで実行していた イルボン、ファイティーン!
(ニッポン がんばれー!) >>43
フジヤマ、サムライ みたいな国際アピールの場だとニッポンてなりがちなイメージやね
柔道や剣道のイッポン!に音が近いこともあるかもしれない
明治〜終戦あたりまではたぶん「にほん」呼びだな。日本軍(にほんぐん)、日本海海戦(にほんかいかいせん) ☆キャスト情報
配役不明…緒方賢一(76)
35回、36回出演
緒方賢一さんといえば、声優の大御所ですね
宇宙戦艦ヤマトのアナライザーとか一休さんの桔梗屋とか
あげれば限がない。なんの役でしょうか? もし本当に西郷どんのぼりを会津の人が折ったと思ってるならカウンセリングへ もう会津人は鹿児島県に入県禁止だな
取り締まりを強化してほしい >>47
どんな形で関わるんだろう?
顔出しかな?それとも声だけの出演かな? 上野の西郷像も狙われないか心配だな
東京も禁止にしたほうがいい 龍馬伝も他者を踏み台にして主人公ageなのは西郷どん以上だが
やり口が巧妙だったんかな… >>43
正式なローマ字表記するときはNIPPONだよ >>28
肥中のセンで呆けようと思ったのにない。越中はあるのに何でだよw >>47
35回は鳥羽伏見前夜、36回は鳥羽伏見の戦いがドラマ中心になると予想される
この2回限定の出演となるなら、鳥羽伏見に関わる人物であるはず
他の時代の主要人物と比べ、幕末の主要人物の平均年齢は低く高齢の人は少ない
今回登場した年齢高い歴史上人物となると、鹿賀丈史が演じた斉彬久光兄弟の父がいるぐらいか?
ベテラン俳優も実年齢より低い役を演じる事が多い
中には山内容堂役の近藤正臣や、西郷頼母役の西田敏行など無理ある役の人もいた
緒方賢一氏を検索で拝顔したら好好爺な風貌で、それなりの年齢の役を演じるのであろう
これらの事を考え予想すると
・鳥羽伏見で戦死する新選組の井上源三郎、新選組の中では年長でベテラン俳優が演じる事が多い
しかし戦死した年齢が40歳で、いうほど年寄りではないのだが
・大久保が慶喜を朝敵となるよう迫るが、旧幕府軍に怯え最初は拒否するも
薩長軍優勢となり態度を変え、ようやく朝敵認可する朝廷内で発言力ある老公家役
・薩摩から駆けつけた若い侍達の中で「若いもんには負けられん」と意気込む老兵がいた
戦に勝てるか?悩む西郷に老兵は緊張を解す言葉をかけ、西郷は戦う決意を掻き立てる
薩長優勢に戦局は進み、最後の決戦場男山橋本でついに徳川は総崩れ
大喜びする西郷が足元を見ると、あの老兵の屍が無残にも朽ち果ていた
戦の鬼となった西郷は戦の悲しみを覚え、その思いが江戸城無血開城に傾いた >>55
龍馬伝は一貫していたからね。戦をせずに幕府を倒し、戦をせずに攘夷を成し遂げる
その集大成が第四部であり大政奉還と新政府綱領八策
西郷どんは後手後手
行き当たりばったり。なんも作れない まあ、途中ちょっと戦参加したんだけどね( ;´・ω・`) >>61
普通は恥ずかしくてそんな歴史歪曲できない 龍馬伝は大政奉還長州起源説を採用したからな。岩倉は存在を丸々カット
木戸、高杉、三吉の役者が後々の大河で主人公サイドに出てくることを見ると長州藩のイメージアップに貢献していたのかもしれない 八重の桜では会津をきれいに
描いていたし、順番でヒーロー、
ヒロイン、ヒール役を作る大河。
個人的に本木の慶喜は好きだった。 >>65
神保修理の濡れ衣とかな
城下町への放火と百姓の離反を描かなかったのは妥当な判断だな
泥酔して嫁に担がれる尚の助とか佐川が寝坊して全滅の白河口とか男はダメなのよ女は強いのよってアピールできてたと思います 長州は龍馬伝、八重、西郷どんではイメージ良いけど、肝心の花燃ゆが超絶糞だったからな >>67
八重の長州は木戸以外ヒャッハー下郎しかいなかったやん。世良とか槙村とか
まあ視てないから仕方ないんだろうけど攘夷の詳しい説明もしてなかったぞあれは ドラマでもやってたが、二条城で撮影した四侯会議の記念写真は見つかってないらしい
よく大河ドラマが放送されると、ドラマに関連する新史料の発見とかあるんだが、
記念写真も見つかってほしいものだ BGMで大体わかんだよね。大政奉還を悪いことのようにしたい作品って端っから明治維新を否定する側というか、これは主人公が佐幕でも維新でも作り手がそういう意識だとそうなってしまう
味方の少ない慶喜には慶喜の考えがあったと思う >>57
肥前と肥後
越前と越後
丹後はあるが、丹前はない 越前・越中・越後
備前・備中・備後
上総・下総
上野・下野
など位置を考えると京から見て勝手に付けられたと推測できる
近くの江(海・琵琶湖)があるから近江、では何で離れた浜松辺りを遠江と名付けたか?
当時の京人は名古屋ぐらいから向こうは蛮地扱いで、それ以上向こうの海は論外だった
ってのが自分の推測であるが当たってるだろうか?
美濃と信濃、この美と信の違いは?
阿波と安房、離れた2つが読み方同じだけど関係あるのか?
伊勢と伊賀、隣りだし関係ありそう、しかし志摩なんて小さいの必要あったのか?
伊賀と加賀の関係は? 京の都を会津藩に放火するよう命じたのは慶喜
自らが日の本の王だと諸外国に吹聴し日本を異国に切り売りしようとしたのは慶喜
薩長との全面戦争を回避する大政奉還を根回ししてくれた恩人の坂本龍馬の殺害を命じたのは慶喜?←NEW >>72
丹前の代わりが丹波じゃない?
>>75
wikiに大体書いてあるよ。
尾張は当時の日本の西の「終わり」ってのは目からウロコだったw
昔は信濃の一部で諏訪国ってのも有ったらしいね。 丹後は丹波に対するだろ
丹は水銀とか鉱脈と関係してるよね逆にこの丹から京都の立地なんじゃね
秦氏の領地で丹田に対する四神相応の地山城の国葛野
神奈川だと丹沢に対する秦野が同じ構成なんよ
秦氏は水銀ハンターなんだべさ 実は日本は遥か昔
備、越、肥、羽、総、野、という国に分かれていたんだろう 特定の人物や勢力に肩入れしない幕末の話が見たい
相当予備知識ないと楽しめないだろうけど 結局徳川軍は負けたのだろう じゃあ政権を奪取されても致し方ないんでないでしょうか
徳川幕府が260年続いたのは徳川軍が日ノ本最強だったからでしょう
しかし薩長軍に負けて徳川軍は最強の座から滑り落ちた 徳川軍を打ち負かした薩長が徳川に取って代わって政権を得るのは至極真っ当でありましょう
いつの時代も強いものが上に立つ
現代でもアメリカが国際社会において影響力が強い 発言力が強いのも圧倒的な軍事力と経済力を保持してるからではないでしょうか
世界中に米軍の拠点を築いて アメリカと戦争しても勝てないですよ 世界の隅々に睨みを効かせているわけではないでしょうか
結局のところ 強いものが上に立つ 強いものがリーダーになる というのか古来から習わしではなかろうもん
薩長の軍事力が徳川軍の軍事力を上まった時点で最早徳川幕府は終焉したのではないでしょうか 幕末ばっかもう飽きたわ
板垣伝で明治を描いてほしい 「天璋院篤姫」のドラマ化したやつが大当たりしたので、幕末ものは美味しいと錯覚してた。 >>88
チョンがうるさくなければ
もっと近代史もできるんだけどな
まぁNHKがかってに忖度して気を使ってるだけかもしれんが >>87
軍事力の乏しい日本はアメリカの傘の下で外交するしか道はないのです >>87
大政奉還を理解したほうが
武力で負けて政権を奪われるのを回避するためその前にあえて政権を朝廷へ返したのが大政奉還
徳川宗家 >>88
板垣でどうやって伝説や伝記作るんだよ
作者のモノローグは大正か昭和になっちまうぞ 来週から西郷が脳筋の戦う派に鞍替えするんだろ?なんかおかしくない? >>93
現代の日本が、軍事・外交的にはアメリカの従属国のようであるのは、憲法9条のためです
これのために、独立国として当然の、自国の独立を守るための軍隊を保持することができないからです。 何か面倒だからさ、大河においては日ノ本の国もしくは、大和の国にして、現代においては「にほん」にすれば良いんじゃないかな?
これで朝鮮嫌いの人も納得するっしょ。 >>94
信長あたりが比叡山や一向一揆討伐の延長みたいなノリで皇室を根絶やしにするとか、
朝廷という政治システムを破壊しつくしていたら、政権を返す場所が無かったな。 大日本帝国憲法の読みは
だいにっぽんていこくけんぽうだよな
憲法もけんほうとは読まん 江戸の薩摩藩邸が焼き討ちされて幕府ぶっ殺す!になるんだろ https://youtu.be/HhOON8aNabk
こちらは外国人のラモスがCMで「にほん人ならお茶漬けやろが」って言ってる
日本人のナレーションが「にっぽん人のことはラモスに聞け」って言ってる 龍馬伝で色々な意味で伝説になった、高杉晋作が三味線弾きながら無双してたのってこの回の頃だっけ? >>105
第二次長州征伐の頃だから冒頭部分はそうだね
家茂の死を聞いて慶喜以外の全員が歓喜に震えた >>103
逆だろ
江戸を荒らす薩摩許さんとなったから焼き討ちした
このあとは双方が主戦派の波に飲み込まれていった
そして鳥羽伏見の戦いも西郷も慶喜も望んだものではなかった >>107
先週とか見るとそれ以前とうって変わって西郷も慶喜も殺る気満々だったぞ >>109
史実の話として慶喜はともかく西郷も戦争に乗り気じゃなかったって事? >>107
仏の西郷が鬼の西郷になるんだから
江戸で平和に暮らしていた薩摩藩士と愉快な仲間たちが
大政奉還した旧幕府勢力に一方的に虐殺されちゃうのでしょう、多分 >>99
憲法9条を否定したつもりは無いが、今後もしも9条が無くなったとしても日本の予算の半分以上はすでに年金などの固定費だから、防衛費に割く予算は付けられない
相対的には増えても本当の意味での独立外交など不可能です
最初から9条が無かったら予算の構造は違っていたと思うけど、もはや9条があろうが無かろうがアメリカの力を借りなければならないんですよ スペシャル以降の総合視聴率平均(関東)
西郷どん 18.8%
直虎 16.3%
相変わらず好調のようだなw
2018「西郷どん」
_RT_____TS___総合__放送日・作品・種別
12.2___*6.4___17.9___26(07/15)「西郷、京へ」
12.0___*5.9___17.3___27(07/22)「禁門の変」
11.1___*6.0___16.7___28(07/29)「勝と龍馬」
11.6___*7.1___18.1___29(08/05)「三度目の結婚」
10.3___*6.4___16.0___30(08/12)「怪人・岩倉具視」
11.0___*6.3___16.7___31(08/19)「龍馬との約束」
10.4___*6.6___16.7___32(08/26)「薩長同盟」
13.2___*5.2___18.1___33(09/02)「糸の誓い」
2017「おんな城主 直虎」
_RT_TS_総合放送日・作品・種別
12.0_*5.1_17.0___28(07/16) 「死の帳面」
11.9__(*5.6)_(16.5)__29(07/23) 「女たちの挽歌」
11.3_*4.8_15.9___30(07/30) 「潰されざる者」
10.6_*5.3_15.7___31(08/06) 「虎松の首」
12.0_*4.8_16.6___32(08/13) 「復活の火」
12.4_*5.0_16.7___33(08/20) 「嫌われ政次の一生」
11.2_*5.4_15.7___34(08/27) 「隠し港の龍雲丸」
11.3__(*5.3)_(16.7)__35(09/03) 「蘇えりし者たち」 >>110
西郷が負け戰に乗り気になるわけない
鳥羽伏見はそのまま旧幕府軍が大坂側から物質の供給を止めれば戦わずして勝った
なのに開戦しちゃったのよ 西南戦争には乗り気じゃ無かったけどやらざるを得なかった派? >>116
西南戦争はよくわからない
鳥羽伏見の戦は西郷はやりたくないと言ってるので >>94
武力で薩長を抑えつける自信がなかったから 政権を返上するという逃げの策ではないかと
第二次長州征伐も思うように捗らなかったようですし 坂本龍馬は一体何がしたかったのか。徳川を嫌う薩摩と長州を繋げる仲立ちをしたと思ったら幕府には大政奉還を勧めて平和的に仕切り直そうとするし。 >>118
長州征伐が失敗してから慶喜は雄藩諸侯と対話路線にまた戻している
はじめからそうしとけよといいたい >>119
そもそも大政奉還派と武力倒幕派は対立してない
西郷大久保木戸龍馬は同じ方向を見てる
大政奉還を推しててたのは土佐と薩摩だけでなく長州もそうだった
そしてその上で武力倒幕も同時に用意してるし龍馬も武力倒幕に賛成してる
つまり薩摩長州土佐は大政奉還を迫りながらも同時に武力倒幕も用意してるのでよくこれまでドラマなどで語られてるような大政奉還と武力倒幕が対立してるような構図は嘘
武力倒幕も構想 高知の坂本龍馬記念館が木戸孝允の手紙購入へ 高知新聞
https://www.kochinews.co.jp/sp/article/174579/
木戸は手紙の中で、倒幕全体を能の「大舞台」、大政奉還を「狂言」と表現。「狂言が失敗すれば大舞台が崩れる」として土佐藩兵の上京を促している。
木戸の手紙を受け取った龍馬は、土佐藩に買い取らせるため、長崎でライフル銃千丁を購入。
土佐へ帰国して木戸の手紙を藩重役に見せ、武力倒幕を訴えたことが、木戸に返した龍馬の手紙などから分かっている。
同館は「2人のやりとりから龍馬が大政奉還による平和倒幕だけでなく、武力倒幕も構想していたことが分かる。各藩の複雑な駆け引きを読み解く上で、改めて注目したい史料」と話している。 >>121
新政府側は武力の用意はあったが実際に旧幕府軍と対峙してみたらとても勝てそうでない事がわかった
そして慶喜の要求どおり王政復古のクーデターを取り消して慶喜の新政府入りを認めた
これでやめとけば慶喜の勝ちであった
なのに江戸薩摩藩邸の焼き討ちからはじまった薩摩討伐の勢いは止められず最終的に鳥羽伏見の戦いが開戦してしまう
慶喜がやめろと言えば良かったのに
主戦派の家臣に勝手にせいと言ってしまった
それでも負けるとは思ってなかっただろうけどね 一日先生に接すれば一日の愛生ず。
三日先生に接すれば三日の愛生ず。
親愛日に加はり、去るべくもあらず。
今は、善も悪も死生を共にせんのみ。 >>122
大日本史作ってた水戸なら古来の戦史研究も熱心にしてただろうが
大将が真っ先に逃げ出して捨て置かれた兵だけで勝てた戦があるのかね >>124
慶喜は敗戦が濃厚になって逃げてるから
それよりも俺はここで死ぬまで戦うみたいな演説をわざわざ家臣にしといてその後に逃亡してるから禿げるぐらい引く 王政復古の大号令を明確に描かないのは問題ありだな
でも大政奉還に龍馬がからんでないようにしたのは評価できる
龍馬なんか薩摩の金で長州に武器売ってた武器商人だからな >>126
王政復古は来週か再来週
大政奉還は龍馬が糸を引いてたことになってたけど?
本当なら小松帯刀と後藤象二郎だろう 慶応3年10月2日 土佐藩 大政奉還へ着々と準備
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/819
きょうは慶応3(1867)年10月2日です。
薩摩の島津久光は藩内の武力倒幕反対派を鎮めることに苦労していますが、土佐藩は大政奉還へ着々と準備を進めています。
薩摩藩内の武力倒幕反対派を鎮めようと鹿児島に戻った久光。
きょう、藩内に広く意見を求める通達を出しました。反対派から意見を募り、事態の沈静化を図ろうとしています。
一方、大政奉還にも動きがありました。
京都にいる薩摩藩幹部は、土佐藩から大政奉還の建白書提出を容認するよう求められていますが、国許の状況もあって強く反対を押し出せない中、小松帯刀と大久保利通は建白書を認める方針へ舵を切ったようです。
また、土佐藩関係筋によりますと、きょう土佐の後藤象二郎が、幕府若年寄格の永井尚志を訪れたところ、“大政奉還の建白書を早々に提出するように”との指示があったということです。
建白書は、あすにも後藤から幕府側へ提出される見込みです。 慶応3年10月4日 薩摩藩出兵 土佐藩は政治工作
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/836
きょうは慶応3(1867)年10月4日です。
きょう薩摩藩は、400名の兵を、船で長州に向かわせました。
一方、京都では土佐藩が大政奉還実現に向けて各勢力に接触しています。
400名の兵
武力倒幕のため、出兵を長州と約束しながら実現できていなかった久光。
400名の出兵は、武力倒幕反対派に配慮し、京都御所の護衛増強という名目で派遣されました。
大政奉還の意義を説明
一方、京都では、大政奉還の建白書をきのう幕府に提出した土佐藩が、大政奉還実現へむけ政治工作を進めています。
幹部が大政奉還建白書の写しを、天皇の側近である摂政・二条斉敬に提出したほか、土佐藩参政の後藤象二郎は、会津藩に対しても大政奉還の意義を説明しました。
会津は、藩主の松平容保が京都守護職を務めるなど朝廷に影響力を持っています。
土佐は、会津も取り込み、万全の体制で大政奉還を実現したいという意図があるようです。 慶応3年10月5日 後藤象二郎 幕府に念押し
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/841
きょうは慶応3(1867)年10月5日です。
けさ、土佐藩参政の後藤象二郎は、幕府若年寄格の永井尚志を訪れ、土佐藩が提案した大政奉還を採用するよう念を押しました。
土佐藩参政・後藤象二郎はおととい、大政奉還の建白書を幕府に提出し、政権を朝廷に返上するよう提案しています。
土佐藩関係筋によりますと、後藤はけさ将軍・徳川慶喜の側近・永井尚志を訪れ、「大政奉還するかどうかで、天下が治まるか乱れるか、すぐにも決する情勢です」と大政奉還の建白を採用するよう念押ししました。
武力倒幕計画を進める薩摩・長州などを念頭においた発言とみられ、永井は「もっともなことだ」と賛同したということです。 芸州広島藩も大政奉還提案一方武力討幕派も…
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/847
慶応3(1867)年10月6日です。
土佐藩の大政奉還建白を受け、芸州広島藩も大政奉還建白書を幕府に提出しました。
今月3日、土佐が幕府に大政奉還の建白書を提出したのに続き芸州広島藩が、薩長と進めていた武力倒幕路線を捨て大政奉還の建白書を幕府に提出しました。
一方、武力倒幕派も、大政奉還論に対抗して、活発な工作をはじめています。京都郊外の岩倉村では、薩摩の大久保利通と長州の品川弥二郎が、公家の急進的武力倒幕派岩倉具視らと密談をもちました。
この席上、岩倉は大久保に対し、錦の御旗≠フ製作を依頼しました。
錦の御旗は、天皇の軍の象徴で、掲げるには、「幕府を討てという天皇の命令」=倒幕の勅許が必要ですが、勅許は出ていません。
岩倉は、偽物の御旗を使ってでも武力倒幕を正当化し、実行しようという考えです。 慶応3年10月9日 徳川慶喜 大政奉還の意向伝える
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/852
きょうは慶応3(1867)年10月9日です。
京都では将軍・徳川慶喜が、大政奉還する意向を会津藩に伝えたことが分かりました。
先週、政権を幕府から朝廷に返すことを求める大政奉還の建白書が、土佐藩と芸州広島藩から相次いで提出されました。
慶喜は慎重に検討しているとみられますが、関係者によりますと、慶喜は側近の永井尚志を通じて、大政奉還する意向を会津藩へ伝えたということです。
大政奉還について、慶喜の意向が明らかになるのは初めてです。
会津は、京都守護職を務めるなど、京都の政局に影響力を持っていて、慶喜は大政奉還について、会津に理解を求めたようです。 慶応3年10月10日 薩摩藩 武力行動計画か
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/856
きょうは慶応3(1867)年10月10日です。
会津藩が密偵から受けた報告によると、薩摩藩が京都で武力行動を起こす計画を立てているといことです。
一方土佐藩にも京都の兵力増強の動きがあります。
京都守護職を務める会津藩が、土佐の浪士へ潜入させている密偵からの報告によりますと、薩摩藩兵は慶喜のいる二条城を襲撃し、土佐などの浪士が会津藩邸と新撰組を襲撃するというものでした。
この報告で、会津藩は騒然となっています。
一方、土佐藩の軍事組織、陸援隊隊長の中岡慎太郎はきょう、長崎から武器を運搬して京都へ入りました。一貫した武力倒幕派の中岡は、きょう土佐藩邸で、坂本龍馬と会談しています。
土佐藩は幕府に大政奉還を提案していますが、幕府が大政奉還を拒否した場合に備え、龍馬も最終的には武力倒幕を視野に入れた策をもっているようです。 慶応3年10月11日 大政奉還をめぐる動き続く
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/861
きょうは慶応3(1867)年10月11日です。
大政奉還をめぐる動きです。長州に集められた薩摩藩兵の上京が延期されました。
一方、将軍慶喜ら幕府側は、大政奉還について話し合う会議を開き、方針を話し合いました。
長州には、薩摩藩兵400人が京都入りに備え集結していますが、薩摩藩の村田新八は、きょう京都から長州に入り、兵の上京を延期するよう告げました。
大政奉還について幕府の対応が不透明な上、薩摩に武力倒幕を命じる天皇の命令=勅命も出ておらず、軽率に兵を動かせない状況です。
一方、幕府側では、首脳陣が大政奉還の取り扱いについて会議を開きました。
関係者によりますと、会議は紛糾し、長時間におよびましたが、将軍・徳川慶喜は、大政奉還の建白を受け入れ、政権を朝廷に返す方針を固めた模様です。 慶応3年10月12日 将軍・慶喜 大政奉還の方針固める
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/866
きょうは慶応3(1867)年10月12日です。
将軍・徳川慶喜は大政奉還の方針を固め、京都にいる主だった幕臣に説明しました。
今月3日、土佐藩から幕府に政権を幕府から朝廷に返す大政奉還の建白書が出されたことを受け、将軍・慶喜はきのうまでに大政奉還の方針を固めました。
方針を固めたものの、慶喜は、幕臣に対し「政権を返上しても朝廷には政権を運営する能力がない。政権は再び、徳川家と幕府が担当することになる」と演説したということです。
慶喜は、形式的にでも朝廷に政権を返すことで、薩摩や長州から武力討幕の大義名分を奪う狙いがあるとみられます。
官位を回復する
一方、5年前の禁門の変のあと、朝敵とされ官位を剥奪されていた長州藩主・毛利敬親、広封父子について、朝廷は「官位を回復する」という方針を固めました。
薩摩と長州は、最後の切り札である武力倒幕の天皇の命令=勅命が下されるよう工作を続けていて、今回の長州の官位回復は、その下準備と言えそうです。 >>127
俺は預言者なんだよ、こう展開する。
龍馬が大政奉還にかかわるわけないじゃん。
脱藩郷士の言う通りにするかよ
山内容堂を過小評価しすぎだよ大河 >>125
諸藩に動員かけて戦わせるが大将が及び腰という(完全洋式化された精鋭部隊が傍観)
第二次長州征伐の敗因と全く同じこと繰り返してるだろう
兵装では旧幕軍の方が上であったにもかかわらずローテクに勝てない
朝廷に見限られて当然な無様な将軍 慶応3年10月13日 将軍・慶喜 大政奉還の意思を公表
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/871
きょうは慶応3(1867)年10月13日です。
将軍・徳川慶喜はきょう、京都の二条城に主だった諸藩の重臣を集め、大政奉還の意思を公表しました。慶喜の大政奉還の意思が公になるのは初めてです。
二条城に集められたのは、薩摩や土佐、会津など京都にいる40藩の重臣です。薩摩藩からは家老・小松帯刀が出席しています。
48畳の「一の間」に集められた諸藩の重臣には、大政奉還の諮問書が回覧され意見が求められました。
諮問書が回覧
武力倒幕をめぐり藩内で賛否が割れる中、武力を威力として用いながら、平和的に政権交代させる方法を模索していた小松。
慶喜に賛同し、「時勢を見通した英断。すぐにも朝廷に大政返上の旨を奏上すべき」と、大政奉還の許可をすぐに朝廷に求めるよう進言しました。
二条城から帰った小松は大久保へ手紙を書き、「幕府から朝廷への政権交代が確実になり、実に意外だ」と知らせました。
また、「きょうはとてもくたびれた」と政局の重大局面に向きあった心情を付け加えています。
慶喜はあす朝廷に対し、大政奉還の意思を報告し、政権を返す許可を求める方針です。 慶応3年10月16日 「大政奉還」朝廷が許可
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/876
きょうは慶応3(1867)年10月16日です。
日本中に激震が走りました。政権を朝廷に返す「大政奉還」を奏上した将軍・徳川慶喜に朝廷から大政奉還の許可が下りました。およそ260年間続いてきた徳川幕府は終わることになります。
大政奉還を諮問
今月13日、京都にいる40藩の重臣に大政奉還を諮問した徳川慶喜に対し、翌日、薩摩藩家老の小松帯刀は将軍辞任などを柱とする建言を行いました。
慶喜はこれを承諾し、14日政権を返す許可を求め、朝廷に大政奉還を奏上。
きのうになって朝廷から慶喜に勅許がくだり、大政奉還が成立しました。
徳川幕府が終わりました
およそ260年にわたって日本の政治を担ってきた徳川幕府が終わりました。 慶応3年10月17日 「討幕の密勅」が下される
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/881
きょうは慶応3(1867)年10月17日です。大政奉還後の各勢力の動きが活発になっています。
大政奉還を受け、薩摩藩の小松帯刀、土佐藩の後藤象二郎と坂本龍馬、芸州広島藩の辻将曹らが会談し、平和的な王政復古を行うことで合意しました。
大政奉還は成立しても、徳川家と幕府は依然として力を持ち続けていますが、小松、後藤、辻らは幕府と戦火を交えるのではなく、武力を背景として用い、「朝廷中心の政治に戻す王政復古」を実現すると申し合わせました。
討幕の密勅
一方、朝廷の正親町三条実愛から、今月13日から14日にかけて、薩摩と長州に対して幕府を討てという天皇の命令「討幕の密勅」が下されたことがこのほどわかりました。
密勅を記した詔書では徳川慶喜を「賊臣」と非難し、薩長に慶喜の討伐を命じています。
しかし慶喜が朝廷に政権を返上し、武力倒幕の大義名分が無くなったといえる状況で、薩長が軍事行動に踏み切るのか、対応が注目されます。 慶応3年10月18日 大政奉還 許可の背景
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/886
きょうは慶応3(1867)年10月18日です。
大政奉還は、土佐の提案から許可まで10日あまりという早さで進みました。その背景は?歴史家で作家の加来耕三さんの解説です。
幕府が政権を朝廷に返上する大政奉還。
10月3日に土佐から提案を受けた将軍・慶喜は、14日には朝廷に大政奉還を願い出て、15日には許可されています。
武力倒幕も計画される中、慶喜が大政奉還を受け入れたのには、新政権で主導権を握る狙いがあったといいます。
(加来耕三さん)「政権を返したとしても彼(慶喜)の実力400万石というのは日本一なんです。
日本一大きい大名に帰って、新しい政権の中で議会が召集される。そこへ参加したら間違いなく慶喜支持が圧倒的に全体を占めるわけです。
じっとしてても勝てるわけですから、大政奉還することのほうがかえって楽なわけです」
討幕の密勅
朝廷に政権運営能力はないとみて、今後も実権を握ろうと狙う慶喜。一方、討幕の密勅を得た薩長は、武力行使の機会をうかがいながら幕府側の動向を注視しています。 慶応3年10月19日 西郷、大久保ら鹿児島へ
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/892
きょうは慶応3(1867)年10月19日です。
薩摩の小松、西郷、大久保は船で大坂を離れ、鹿児島へ向かいました。
上方では、薩摩藩の小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通が、長州藩の品川弥二郎らとともに船で大坂を発ちました。長州藩を経由して、国許へ戻る模様です。
藩内の武力倒幕反対派に徳川慶喜を討てとの天皇の命令、「討幕の密勅」を示し、出兵への理解を得たい考えです。
討幕の密勅
大政奉還が成立した後も薩摩藩幹部が武力倒幕計画を進めていることにつて、歴史家で作家の加来耕三さんは、薩摩は大政奉還を「武力倒幕の前段階」と考えていたといいます。
武力倒幕の前段階
「大政奉還をすることによって一旦クッションを置いておいて、次の動きを見て討幕へつないでいこうというのが西郷や大久保の考え、あるいはそれを支持した島津久光や小松帯刀の考え方です。」
依然として強大な力を持つ慶喜と幕府に対し、薩摩・長州が武力行使に踏み切るのか、国許に帰った西郷らの動向が注目されます。 慶応3年10月20日 なぜ必要?討幕の密勅
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/899
慶応3(1867)年10月20日です。
大政奉還が成立し、幕府を倒すことに成功したように見えますが、薩摩はなぜ「討幕の密勅」を必要としているのか。歴史家で作家の加来耕三さんの解説です。
将軍・徳川慶喜が朝廷に大政奉還を奏上した今月14日。薩摩と長州に対し、慶喜を討てという、秘密裏の天皇の命令=「密勅」が下されました。
大政奉還が成立した今、この密勅は大義を失っているともいえますが、薩摩の小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通は密勅を持って鹿児島に向かっています。
「国許の8割が(武力倒幕に)反対している状況の中で、兵を挙げるにはどうしたらいいのかという方法論のひとつとして、討幕の密勅も用意されたわけです」
しかし、密勅が記された詔書は、武力倒幕派の公家、岩倉具視らによる偽物ではないかとの疑いがもたれています。
「天皇の印もない。そんな勅命は存在しないわけです。ただそれでも用意する周到さはさすがだなという気がします。討幕の少しでも可能性のあることは全部手を打っていくと。それが当時の討幕派、特に薩摩の西郷や大久保のやり方だと思う」
倒幕に向けて薩摩藩内外に武力行使が正当なものと訴えるため密勅が必要だったのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています