ちなみに、史実では桂小五郎などの長州勢は慶喜への寛大な処分を主張しており、強硬派は西郷、大久保、板垣などだった。
さらに、西郷と勝との会談後に英国公使のパークスが江戸総攻撃に反対したので、西郷はそれを利用して強硬派を黙らせたそうな。