【2018年大河ドラマ】 西郷どん part100
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鉄道も工場も人間の心が無くては作れないが、欧米の真似や模倣
をしているだけなら、機械的に作れるということか。そんなこと
であるから、公害や災害を多発させる。欧米も、遺伝子組換作物
の除草剤が、海洋植物を減少させ、海水炭酸水化による高温化を
発生させている。 #西郷どん #NHK 岩倉さんの子孫から、クレームが間違いなく来るな
鶴瓶の岩倉 しかし久光との対面シーン、鶴瓶のニラニラした顔が
岩倉具視(いつもの写真)に似ていたぞ
(演技を誉めているのではない) >>442
西郷は武士階級を守ろうなんてしたことはないけどな
中央に居た時は武士の特権を奪う廃藩置県や徴兵制敷いたし
神風連なんかは廃刀令で反乱起こしたけど薩摩は武士の特権はく奪で反乱起こしたわけでないし >>451
まぁ自身が武士として下級階級の生まれだしなw
自身が下克上で成り上がったのに武士の存在否定は有り得ないw 大久保の謀略ってよくらわからんのだが、どうやって版籍奉還やろーとしたのだ? 次大河板垣退助伝でいいわ
西郷より失点がない正義の人物
毎度幕末描くより明治の方がおもろいし >>453
江戸末期は大名家はほぼ全て親戚縁者で莫大な借金抱えていたので
華族という身分設立で借金無かった事にするという甘言に乗ったw オムスビは 昆布が巻かれてたの?海苔には見えなかった それにしても中央にきたものは大出世だな。
大久保と久光の立場の逆転がありのままだったな。 意外と思ってたより面白いな明治編
幕末終わったら全くつまらなくなるかと思ってた もし斉彬が生きていたら久光のようなざまはなく、中央に入り大久保、木戸を率いていたであろう。 これさあ・・・
自分は脳内補完できるからいいけどさあ・・・
何も知らん人・・・何も分からんかったんじゃないの今日の回
ひどくねこれ >>460
そもそも戊辰戦争も討幕も起きてないと思う
諸侯会議になってただろうし >>458
薩長土肥は藩を踏み台にして下級武士が大出世みたいなオチだからね
藩主から見れば詐欺師の集団でしかない まあ政府は腐敗はしていたであろうが、スピードを増して時代を変えていったのは間違いないであろう。 小松の早死 病死を描かれていないのはショックだわ…
西郷 大久保 木戸らも小松の死を嘆いているのに
江藤は もっと優秀な人なんだけど やっぱり鳥羽伏見からの政治はもっと丁寧に見たかったなー
西郷さん以外の人たちもちゃんと描いたら逆に西郷も浮き彫りになるだろうに 結局大久保本人がやりたかった近代化なんての無いからな
内務省作って絶大な権限を持つに至っただけで 翔ぶが如くより大分遅れて始まった明治編だが
これならばもっと早く明治編に入れば良かったのにな。 古今東西どんなジャンルのドラマも人間の機微を上手に描くのが面白いドラマよ。 ちょっと・・・なんかみんな急に新登場人物もまだなじみがないままに
ケンカ口論の内容も一方通行同士で交わることもなく
よっぽどこのドラマやこの時代が好きな人でないと、見てて難しかったんじゃないかな >>463
斉彬は井伊を倒すため挙兵しようとしてから
結局改革路線で幕府と対立して倒幕なって太郎けど 飛ぶが如くと比べるのは酷だけど
西田と鹿賀丈史のやり取りの方が見どころあったよなぁ
まぁ原作が司馬遼太郎と林真理子じゃその時点で勝負ついてるってのもあるけどさ
役者の問題より原作や脚本の問題だと思う >>480
征韓論激論の時の
まわりのポカンが彼らの存在の大きさ
示してて面白かった 薩摩も長州も保守的で改革には消極的
非薩長系の方が積極的でこれに主導権奪われ
そうになったんで仕方なくだよ これどうやって征韓論に話が行くんだ?、全く見当がつかん。 西郷が大物らしい雰囲気になったのはいいが
周りがみんな馬鹿っぽいのが残念だ >>467
このあたりは翔ぶが如くとほぼ同じ展開
あっちも小松は扱いが小さかった
明治編の回数が少ない分は八郎太千絵のパートを削ったと考えれば・・・ 何でもかんでも民のためと屁理屈をつける脚本がうるさい
民のためのポリスなど警視総監から巡査までひとりもいない 西洋に追いつくためには科学技術だけでいいはずなのに
衣食住から思想、政体までそっくりそのままマネしなきゃいけないという
発想がわからない。 全然話は変わるが、大久保は給料を国の財政に補填していてたらしいが、国の財政に比べると
個人の収入なんてどんだけ多かろうがとるに足らんだろ。その点がよくわからん。 良い出来だったね
西郷と大久保の友情、良かったよ。 >>473
のちの私学校幹部もそうだけど、やっぱ土肥の連中もモブ高官みたいなまとめかたされてるなあ 鎌倉より続く薩摩島津家と元就以降の名門長州毛利が主体だったのに、どっちつかずで土壇場ですり寄った土佐がデカイ顔してるのがなあ
藩祖からして武によっての手柄ではなくただ城を明け渡した口先三寸で土佐をもらい、武において遥かに格上の長曽我部家への卑屈さから長曽我部家臣をいびり抜いた山内一豊だからしょうがないか
藩祖以来伝統の三大蝙蝠
弘前藩津軽家、土佐藩山内家、津藩藤堂家 >>488
日本が鎖国してる間に西洋は戦争ばっかして強い政体作り上げたから
近代的な政体や軍事組織を作らんと幕府や清朝の様に弱くなる 版籍奉還は木戸が言い出したことじゃなかったのか?
それに大久保が従ったと思ったが、何で江藤や後藤は
反対してんの?
新政府内で版籍奉還が揉めてるようだが、理由が全く分からない。 >>476
ただ愛人の内田を強調してる分、正妻のミムラを扱う尺が足りなそう >>492
どっちつかずというより土佐は公議政体論の立場だから
徳川が正式に朝敵になったので参戦した >>493
地理的に
近かったオスマントルコなんて
病人扱い >>488
明治時代はそういう和魂洋才の主張と、思想や制度からいじらんと根本的な改革ができんって主張のせめぎあいだから。
まあ、何より欧米人が自分らの文化が最高だと思ってるので、
国力よりも見かけを欧化政策しないと列強との外交に相手にされないと思ってた面が強い。 >>488
どこを真似していいのか分からないから、とりあえず目につくところを片っ端から真似てみたんじゃないの
「機神兵団」というSF小説では、エイリアンの侵略アンドロイドに対抗するため、エイリアンの技術を利用するのに
どう使えばいいのか分からなくて、そのまま侵略アンドロイドをコピーしようとした
しかも、精密さに技術が追いつかないので、巨大ロボになってた 「マッサン、これからは自分のために頑張って」
と思って見てる、シャーロット・ケイト・フォックスだったり…。 >>494
最後のあれ、おむすびだったのか
薩摩芋かと思った >>488
当時の日本でもっともコストパフォーマンスよく科学技術を取り入れて
実用化できるのは衣食住に関連する産業 >>479
登場から最後まで雑で俗なのにやたら長かったな
とはいえ大河らしさあった今週物足りなく感じたわ
毒されてんのかな >>495
予算がないから反対みたいなこと言ってたね >>488
大学を作るためだけにも
どれだけの下準備が必要なのか分からんのか・・・ >>477
言いすぎ
斉彬から近衛家に宛てた手紙がある
今以上に幕府から朝廷への圧力が強まるようなら出兵を要請くださいといったようなニュアンスなので 民主主義だって米英が戦争で不敗だから世界に広まった
民主主義だらけになった 何で未だに「吉之助さ〜」「一蔵どん」なんだよ。
実際もそうだったのか? 大久保と木戸が違えるひと芝居を打って
途中で西郷が入ってきて収める
そういう茶番劇かと思いきやマジだったんだな >>495
>>495
版籍奉還は明治2年1月に薩長土3藩、具体的には大久保・広沢・板垣の間で建白が合意されている
その後、政府は府藩県三治制を敷き有力藩の連合によって中央集権的改革を志向した
ところが明治4年になると高知藩以下の有志藩が廃藩を訴えて議院開設を主張、
これに対抗した中央政府改革が意見対立で暗礁に乗り上げ
危機打開の方策として急きょ廃藩置県が浮上した というのが今回までの流れ >>512
アメリカの軍事研究家の中には
「民主主義国同士は戦争しないから世界を民主化すれば平和になる」ってマジに言ってる人がいるからなw >>493
憲法とか議会とか政体を輸入した弊害が
今の政治につながってるかと思うとなぁ
日本の国会なんて茶番を通り越してる まあ共産主義でも今は平和な田舎は結構ありますけどね
キューバとかベトナムとか >>516
民主主義国同士でも戦争するけど、
独裁国家の方が侵略的だとは思う >>517
藩閥政府は別に憲法や議会制を(積極的に)導入したかったわけじゃないけどね
「天子様の詔」以外に正当性を持たない不安定さに西洋流の政治知識を仕入れた野党が噛み付いたから
妥協案で明治流の憲法や議会制ができただけで 斉彬存命だと実質島津幕府みたいになってそう
大名行列来たら土下座させられそうでイヤ 町田 明広@machi82175302
まずは戊辰戦争中・後の西郷の動向を振り返っておこう。
明治2年(1869)2月23日、藩主忠義が自ら隠棲していた西郷を日当山に訪れて、薩摩藩の参政就任を懇願した。
それまでは、久光の召命にも応じなかったが、藩主直々の頼みを断る訳にもいかず、西郷は参政に就任した。
#西郷どん
明治政府は前年10月に、府藩県の行政組織を統一するため藩治職制を制定し、職制を執政・参政・公議人に統一するよう求めていた。
薩摩藩がこれを採用したのは、西郷が参政就任を依頼される直前で、執政を欠員としたため、西郷が実質的な藩の最高幹部となった。
#西郷どん
島津忠義が西郷に参政就任を求めたのは、川村純義や伊集院兼寛ら戊辰戦争で活躍した凱旋将兵が一斉に帰藩し、出兵に消極的であった門閥の打破や人材登用を猛烈に唱え、抑えが利かなかったことによる。
西郷担ぎ出しによる鎮静化を期待したのだ。
#西郷どん
2月17日には、川村らは出兵に反対した久光の次男、島津久治を忠義の面前で詰問し、家老職の辞職にまで追い込んだ。
久光も門閥廃止は必要としながらも、事を慎重に運ぶべきであると考えていたが、藩主父子であってもこの形勢はいかんともし難く、久光は西郷の出馬を求め鎮静を依頼した。
#西郷どん
西郷は凱旋将兵を積極的になだめる姿勢を見せず、久光は川村らが改革・批判の手を緩めないことに怒りを増幅させ、西郷が彼らを扇動しているのではないかと疑い、西郷を激しく憎むことになった。
一方で、西郷は参政として、禄制改革・常備兵強化など諸制度の改革に取り組んで藩政を指揮した。
#西郷どん >>517
今の政治?
一度不十分に輸入したせいで国名まで変えられるほどに叩き潰された歴史を忘れたのか 伊藤博文どっかで見たことあると思ったら
ノーコンキッドできもい方の主人公やってた人か >>517
それでも独裁国家よりは良いだろう
独裁国家ってソ連の様に表に現れないだけで内部は相当ひどいと思うよ >>523
町田 明広@machi82175302
最初に藩庁を知政所、島津家の家政所を内政局とし、西郷と一心同体の桂久武を知政所の執政心得とし、伊地知正治ら五人を参政とした。
また、軍務・会計・糾明・監察といった各局を設置し、その総裁は凱旋将兵から抜擢した。明治2年6月に行われる、版籍奉還を先取りする新しい組織を編成した。
#西郷どん
藩内の私領制度を廃止し、島津一門・門閥の私領地はすべて藩庁が取り上げ、新任の地頭を置いて統轄させた。
地頭には、樺山資紀・高崎正風・高崎五六などが人物本位で任命された。
地頭は、管轄内の郷士を編成して民生・軍政を指揮しており、廃藩置県の先取りである。
#西郷どん
次いで、藩士の家格なども全廃して一律に士族とし、新たに禄制等級を設け、門閥の禄高は従来の8分の1に大削減し、上層士族の高は200石まで削り、下級士族の高は逆に200石に近づけた。
これを踏まえ、士族を常備兵に編成し直し、総勢17000人余りの国内最大の陸軍を西郷は作り上げた。
#西郷どん
さらに、装備は最新の施条錠を採用し、集成館や火薬製造局で銃や火薬を製造、職工は千人を超えていた。
また、イギリス人医師で外交官であるウィリアム・ウィリスを鹿児島医学校兼病院の校長として招いた。
こうして西郷は、薩摩藩を軍事大国に仕立て上げたのだ。
#西郷どん
西郷は、決して封建制を擁護していたわけではなく、廃藩置県を先取りした禄制改革や地頭設置などを試みた。
そして、西洋文明を取り入れる柔軟性を持っており、単純な攘夷論者でもなかった。一方で、士族を再編・優遇し、国家の有事に備えた。
#西郷どん すげえよ
大隈重信、板垣退助、山形有朋あたりがモブ扱い
つーか敵役だよw 明治編から急に良くなったな
鈴木も西郷に見えるようになった 信じられるか
ここから佐賀の乱はやるっていうんだぜ
江藤どこにいたんだよ! >>502
久光は西洋嫌いで有名だけど
議会制民主主義とかの限界まで分かったうえで
嫌ってそうな気がする。今の中国の経済発展のスピードの速さに
日経新聞までがあれ民主主義やばくねって論調だし。 >>528
ただ、独裁国家なのに、税金や医療費教育費タダにして、
国民が豊かで不満ないとか言ってた国があったけどな
どっかの産油国だったと思うけど 来週、汚職って事は
山縣は出て来るのか
あの件で山縣に恩売ったのが西郷だったよな >>529
町田 明広@machi82175302
当時、新政府には兵力が皆無であり、諸藩は軍事改革を進めていた。
西郷はこうした状況を憂い、次の内乱を討伐するために薩摩藩をモデルにしたのだが、新政府からはルールを無視した軍国化に疑念をかけられた。
#西郷どん
もちろん、必要があれば、武力で政府を一新することも、また、西郷の念頭にはあったはずだが、いずれにしろ、薩摩藩の軍国化によって、西郷は全国の不満分子の期待を一身に背負うことになった。
#西郷どん
こうした中で、明治2年5月、西郷は再び藩兵を率いて箱館戦争に向かった。
新政府から何ら要望も出されていない中での、西郷の独断であった。
しかし、到着前に戦闘が終結し、戦うことなく箱館から帰国の途に就いた。連れてきた軍隊を政府が欲したが、西郷は無視して帰国してしまう。
#西郷どん
明治2年6月2日、政府は戊辰戦争終結に伴い論功行賞が行ったが、忠義は従三位・参議に、久光は従二位・権大納言に任じられ、賞典禄10万石が与えられた。
西郷も賞典禄2000石を与えられ、9月には正三位に叙せられたが、忠義より高位なることをはばかり、官位辞退を申し出た。
#西郷どん
なお、明治2年1月20日の時点で、忠義ら薩長土肥の4藩主は連名で版(土地)と籍(人民)を朝廷に返上すること、つまり、版籍奉還を上奏していた。
これにならって、他藩主も追随していたが、戊辰戦争の終結を機会として、6月17日、いよいよ実現の運びとなった。
#西郷どん どうしても、後藤象二郎→青木崇高に思えるし、伊藤博文は劇団ひとりに演じて欲しくなる。
以前の大河ドラマに毒され過ぎだろうけど。 >>534
つうか、そもそも明治初期に民主主義を主張してた有力者はまずいない
議会政治を主張するようになる層の主張も民主主義のそれではない >>537
町田 明広@machi82175302
藩主の封建的な諸特権は、ほぼ従来通りであったものの、身分上は知藩事として天皇の任命する官吏となった。
薩摩藩は鹿児島藩(以降の記載も薩摩藩と旧藩名で統一)とされ、忠義が藩知事に任命された。
#西郷どん
版籍奉還といった改革を進めながらも、中央政府は安定感を欠いていた。
維新の原動力となった薩長両藩であったが、薩摩藩は久光が政府批判を止めず、しかも西郷が軍事国家を作り上げて、政府一新のために率兵上京するのではないかという観測も流れた。
#西郷どん
長州藩では奇兵隊の反乱がおこり、大村益次郎・広沢真臣は暗殺され、前原一誠は萩に引きこもって、木戸孝允への攻撃を続けていた。
百姓一揆は頻発し、不平士族の動向も油断ならなかった。
そこで、政府は何とか西郷を担ぎ出し、この難局にあたろうとした。
このあたりが、先週描かれた時期。
#西郷どん
明治3年(1870)11月、大久保利通は勅使岩倉具視とともに鹿児島に向かい、西郷に上京の勅命を齎した。
久光にも上京を求めたが、体調不良を口実に拒否された。
しかし、西郷の上京は認めたため、翌4年1月、西郷は鹿児島を出発、山口・土佐に立ち寄り木戸・板垣らを誘い、一緒に上京を果たした。
#西郷どん
西郷は、維新を成し遂げた薩摩・長州・土佐の3藩が中心となって、もう一度、一致協力して改革にあたることを画策したのだ。
西郷は、新政府に直属の軍事力がなければ、改革など何事もできないと判断し、御親兵を設置することを提言して同意を得た。
#西郷どん 久光が議会制民主主義とかの限界まで分かってるわけねえだろw
いくらインテリっつっても日本の端っこの殿様だぞw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています