【2018年大河ドラマ】 西郷どん part100
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>>528
ただ、独裁国家なのに、税金や医療費教育費タダにして、
国民が豊かで不満ないとか言ってた国があったけどな
どっかの産油国だったと思うけど 来週、汚職って事は
山縣は出て来るのか
あの件で山縣に恩売ったのが西郷だったよな >>529
町田 明広@machi82175302
当時、新政府には兵力が皆無であり、諸藩は軍事改革を進めていた。
西郷はこうした状況を憂い、次の内乱を討伐するために薩摩藩をモデルにしたのだが、新政府からはルールを無視した軍国化に疑念をかけられた。
#西郷どん
もちろん、必要があれば、武力で政府を一新することも、また、西郷の念頭にはあったはずだが、いずれにしろ、薩摩藩の軍国化によって、西郷は全国の不満分子の期待を一身に背負うことになった。
#西郷どん
こうした中で、明治2年5月、西郷は再び藩兵を率いて箱館戦争に向かった。
新政府から何ら要望も出されていない中での、西郷の独断であった。
しかし、到着前に戦闘が終結し、戦うことなく箱館から帰国の途に就いた。連れてきた軍隊を政府が欲したが、西郷は無視して帰国してしまう。
#西郷どん
明治2年6月2日、政府は戊辰戦争終結に伴い論功行賞が行ったが、忠義は従三位・参議に、久光は従二位・権大納言に任じられ、賞典禄10万石が与えられた。
西郷も賞典禄2000石を与えられ、9月には正三位に叙せられたが、忠義より高位なることをはばかり、官位辞退を申し出た。
#西郷どん
なお、明治2年1月20日の時点で、忠義ら薩長土肥の4藩主は連名で版(土地)と籍(人民)を朝廷に返上すること、つまり、版籍奉還を上奏していた。
これにならって、他藩主も追随していたが、戊辰戦争の終結を機会として、6月17日、いよいよ実現の運びとなった。
#西郷どん どうしても、後藤象二郎→青木崇高に思えるし、伊藤博文は劇団ひとりに演じて欲しくなる。
以前の大河ドラマに毒され過ぎだろうけど。 >>534
つうか、そもそも明治初期に民主主義を主張してた有力者はまずいない
議会政治を主張するようになる層の主張も民主主義のそれではない >>537
町田 明広@machi82175302
藩主の封建的な諸特権は、ほぼ従来通りであったものの、身分上は知藩事として天皇の任命する官吏となった。
薩摩藩は鹿児島藩(以降の記載も薩摩藩と旧藩名で統一)とされ、忠義が藩知事に任命された。
#西郷どん
版籍奉還といった改革を進めながらも、中央政府は安定感を欠いていた。
維新の原動力となった薩長両藩であったが、薩摩藩は久光が政府批判を止めず、しかも西郷が軍事国家を作り上げて、政府一新のために率兵上京するのではないかという観測も流れた。
#西郷どん
長州藩では奇兵隊の反乱がおこり、大村益次郎・広沢真臣は暗殺され、前原一誠は萩に引きこもって、木戸孝允への攻撃を続けていた。
百姓一揆は頻発し、不平士族の動向も油断ならなかった。
そこで、政府は何とか西郷を担ぎ出し、この難局にあたろうとした。
このあたりが、先週描かれた時期。
#西郷どん
明治3年(1870)11月、大久保利通は勅使岩倉具視とともに鹿児島に向かい、西郷に上京の勅命を齎した。
久光にも上京を求めたが、体調不良を口実に拒否された。
しかし、西郷の上京は認めたため、翌4年1月、西郷は鹿児島を出発、山口・土佐に立ち寄り木戸・板垣らを誘い、一緒に上京を果たした。
#西郷どん
西郷は、維新を成し遂げた薩摩・長州・土佐の3藩が中心となって、もう一度、一致協力して改革にあたることを画策したのだ。
西郷は、新政府に直属の軍事力がなければ、改革など何事もできないと判断し、御親兵を設置することを提言して同意を得た。
#西郷どん 久光が議会制民主主義とかの限界まで分かってるわけねえだろw
いくらインテリっつっても日本の端っこの殿様だぞw 下町ロケットの配役豪華だな
西郷どんとそん色ない
トメGは向こうの方が間違いなく上だな >>540
坂本龍馬も下院は普通選挙を唱えてるし
珍しくないよ
明治になってから大久保の有司専制で後退しただけで
木戸だって憲法制定や三権分立唱えてるからね 島津は立場がどう変わろうと中央に介入を続けた有能氏族 >>543
町田 明広@machi82175302
西郷はいったん鹿児島に戻り、明治4年(1871)4月に藩知事となった忠義とともに兵3000余りを率いて上京した。
長州・土佐両藩の兵と合わせて約8000の御親兵(翌年から近衛兵と改称)が誕生した。
6月には西郷と木戸が参議に就任し、いよいよ大改革の時が迫った。
#西郷どん
新政府は御親兵の武力を背景に、明治4年(1871)7月14日に廃藩置県を断行した。
廃藩置県は木戸・山県有朋ら長州藩出身者の主導で推進されたが、西郷が反対するのではと危惧していた。
しかし、西郷は反対するどころか大いに賛意を表した。
#西郷どん
西郷はもしも反対する藩があれば、御親兵を率いて征伐するので心配無用であると言い放って不安がる周囲を落ち着かせ、断行への道筋を開いた。
むしろ、大久保の方が躊躇してなかなか決断ができず政府がこのまま瓦解するよりも、一か八かに打って出る方がましであると観念しようやく同意した。
#西郷どん
西郷は、廃藩への動きはもはや人力の及ばざるものであり、これを拒めば維新の勲功はすべて失われると覚悟していた。
また、長州藩との協調を重視し、閣内で孤立することを恐れた側面もあったかも知れない。
#西郷どん
いずれにしろ、西郷の勇断がなければ、廃藩置県の成功は見込めなかった。
ところで、廃藩置県は封建制に終止符を打ち、我が国を近世から近代に導いた画期的な大革命である。
いわゆる150年前の1868年の明治維新に比して、廃藩置県こそが真の革命であった。
#西郷どん
その革命を成し遂げた西郷は、事実上の士族の棟梁でありながら、その基盤である藩を葬り去った。
西郷の悲劇は、ここに萌芽したのだ。なお、ドラマでは廃藩置県を大久保利通が推進主体と描かれているが、大久保はむしろ慎重論者であった。
#西郷どん >>542、548
板垣も在野の意見を広く取り入れよってだけで、ただの立憲議会主義だよ。天皇がいなかったら共和制に近い
民主主義の原則「被治者である民衆の自由意志で政体を決める」ってのとは程遠い >>550
町田 明広@machi82175302
西郷は一方で、汚職や強権によって豪奢し腐敗する政府員を更迭して、清廉強力な人材を起用することを目指したが、こちらは思うようにいかなかった。
西郷は、参議として絶大な権限を保持しながら、政策を構想する能力にはやや欠けていた。
#西郷どん
そして、西郷はそれを補うブレーンに恵まれなかった。西郷の周りには有能な軍人はいたが、優秀な政治家はいなかったのだ。
どんなに大隈重信や井上馨を毛嫌いしたところで、その代わりの駒を持ち合わせていない西郷は、彼らを罷免することなどできなかった。
#西郷どん
廃藩置県によって、薩摩藩は鹿児島県となり、藩知事忠義は解任されて大山綱良が権大参事(後に県令)に就任した。
廃藩を知った久光は激怒し、花火を打ち上げて鬱憤を晴らしたという。
久光の西郷に対する恨みは、骨髄に達してしまった。
#西郷どん
久光はそもそも、廃藩置県など夢想だにせず、あくまでも緩やかな結合の連邦国家の中で、各藩が大きな権限を持つことを志向していた。
しかし、その方向で動いていたはずの家臣に裏切られ、中央集権国家の樹立の名のもとに、藩祖代々の土地・人民を失ってしまったのだ。
#西郷どん
ここから、久光の反撃が始まる。久光は、自らの県令就任への運動を始めたのだ。
これには西郷も、驚嘆せざるを得なかった。三条実美の協力を得て、なんとかその運動を断念させたものの、久光の意図はこの運動を通じて、西郷ら旧薩摩藩出身者の失脚を謀ったことにあった。
#西郷どん >>553
町田 明広@machi82175302
こうした西郷の苦衷を察した明治天皇は、久光を慰撫するために西国巡幸を仰せ出され、翌5年(1872)に実現した。
西郷は天皇に供奉して巡幸全体を取り仕切り、6月22日から7月2日まで鹿児島に滞在したが、西郷の目論見は外れて、久光を慰撫するどころか、かえって逆鱗に触れてしまった。
#西郷どん
久光の失望と怒りは、まず天皇の在り方に及んだ。西郷は吉井友実・村田新八らを宮内大丞として送り込み天皇の周辺を士族で固め、女官たちを罷免するなど宮中改革に積極的に取り組んでいた。
国民との接触が密であり、積極的かつ能動的なヨーロッパの皇帝のような天皇に育てることを模索した。
#西郷どん
君主としては白紙状態の幼い天皇を、新国家日本のシンボルとして誇れる存在にまで育成することに意を用いた。旧態依然とした天皇の在り方しか頭にない久光は、天皇が洋服を着用し、異人館のような玉座におられたことに激怒した。
#西郷どん
久光は、宮中改革に代表される開化政策を批判し、旧制に復することを求めた建白書を提出した。
また、行在所の鹿児島城本丸から久光が居住する二の丸まで、わずか数百メートルしか離れていないにもかかわらず、西郷は滞在中に久光のもとへ挨拶に行かなかった。
#西郷どん
10日間の滞在中、西郷さえその気になればいつでも行けたはずである。
久光の意向を無視し、様々な改革を推進して久光を憤慨させていたため、また、久光実子の久治の自殺後であり、気が進まず遠慮したこともあろう。
#西郷どん >>547
下町ロケットは高度成長期の熱気を懐しむ話
勧善懲悪の時代劇 >>538
イラクだよ
貧民の蜂起で体制が揺らぐから貧民にはしっかりフォローしていた
フセイン亡き後はしっかり貧富が出来た >>548
龍馬どころか、幕臣の大久保一翁までが議会制の導入を訴えて
書生論はやめろとか怒られたらしい。幕末から欧州の政体は
よく知られている。 吉之助と一蔵が笑い合ったり一蔵が吉之助に悩み相談したりとお互い「親友」なんだと感じる場面だった。
OPのすれ違いにもある通り今後のことが分かってるだけあって泣けてくる >>554
町田 明広@machi82175302
7月2日、天皇は鹿児島を後にしたが、久光の怒りは収まらず、その後も繰り返し西郷・大久保の罷免を、また、西郷には特に帰国・釈明を求めたのだ。
西郷の苦悩は深く、その対応に苦慮し続けることになる。
話が少し進み過ぎた。
#西郷どん >>557
だからなんだ何が言いてえんだ?
日本古来の政治なら負けなかったとでも言いてえのか >>551
板垣は早い時期から民権論者だよ
戊辰戦争の経験から平等の人民平均の理を唱えてるしね 薩摩閥を上手くまとめていた小松が早死にして嘆いていた大久保だけど
みんなを統率する上でも上士は必要なので大久保は 家老の桂久武を
明治政府に出仕してほしかったんだけど
桂に断られて大久保はショックだったわけで
誰でも矢面には立ちたくない 仕方なく薩摩閥の代表になった側面もある… 先週から急に佐賀が出てきてることに対して
視聴者はみんな理解できるのだろうか >>538
>>556
今ググったら、自分が聞いたのはどうもカタールらしい
オイルじゃなくて、豊富な天然ガスを背景にサーニー一族が独裁
その天然ガスもいずれは底を尽くだろうという考えから
シンガポール最高級ホテル「ラッフルズホテル」を220億円で買い、
イギリスの老舗デパート「ハロッズ」を2000億円で買い、
スペインサッカーリーグ「FCバルセロナ」は年間30億円以上の契約をして先行投資
また世界中から大学も誘致し、自由な報道をするテレビ局もつくった
聡明な独裁者なら、民主主義よりいい場合もあるんだな 数百年の念願叶えたと思いきや親不幸ものに梯子を外された久光公
さぞ無念だっただろうな 西郷が大久保にコーヒーだか紅茶だかとタクアンの食い合わせについて質問した所がワロタよ。
なんかアドリブみたいで両者吹いててワロタ >>561
もっと別のやり方はなかったのかということ。
考証の磯田は久光好きだから、ただの西洋嫌いでは終わらせないと思うw
鹿児島は地理的に世界に近い場所だからな 桐野作人@kirinosakujin
廃藩置県であんなに政府内対立があったかなと思うが。最後の西郷どん紀行は習志野でした。
篠原国幹の指揮が見事だったので、明治天皇が篠原に見習えと命じたのが、命名の由来だという説の紹介がなかったのが残念。
篠原が出ていないせいか。
#西郷どん 百年後の民のためとかなんとか言っているシーンがあったが
それはこのドラマを見てる現代の視聴者へのメッセージを意識した台詞でもあるのかな? たくあんとコーヒーは意外と合う
たくあんの匂いをコーヒーが消してくれる 今日は木戸(玉山)の演技が良かったな
赤塚不二夫とはまるで別人だったけど、それでいいのだ >>571
ないな
和算が西洋数学に飲み込まれたのと同じ
国を動かす政体に関しても優劣はあったのさ >>575
西欧列強の真似しなきゃと思ってるけどたくあんは譲れんってシーンかと思った >>530
板垣退助と後藤象二郎のキャラがどうも違うような……。
江藤新平は小才子にしか見えないし……。 >>576
木戸さんも、どもイメージが違う。
文久期の木戸さんだよ、ありゃ。 さすがに江藤や後藤、伊藤は有名俳優使ってほしいわ 大部屋俳優だと思い入れ出来ん 木戸さんは廃藩置県の頃は
飽くまで断交派だったよな しかしたかだか150年以内の人物の、史料まで残ってるような人物たちの思想を
ここまで好き放題変えていいもんかね・・・ >>567
キャラクターの振る舞いと喋り方はドラマ的に合ってるとは思うんだけど
公家の記号的イメージからは外れるよなあ
いや公家でも色々いるのかもしれんけど >>583
いい場合もある、と言ったのが、なにが「オマエの理想」なんだ? >>562
悲惨な会津の腐敗政治を地元民から聴いたからね
民の声を全無視して犠牲になるのはやはり蔑ろにされた民なのだと 酒は断ってるってセリフあったけど下戸で基本酒は飲まないんじゃなかったの? 初期のエピソードで大久保嫁は漬物上手だったかと
明治編になってから、ようやく歴史と人との取り扱いがバランス取れてきたかな
全9回のドラマとしてまとめてきた感じ >>517
それって導入したせいじゃなくて、結局西洋の表面的な猿真似しか未だにできてなくて
民主主義がしかっり根付いてるわけじゃない、理解してるわけじゃないってだけなんじゃない
むしろ逆 >>587
わざわざカタールの美点"だけ"を長々語ってしらばっくれるなよw >>594
じゃあカタールの暗黒面と民主主義国家の優位性をどうぞ >>589
そうだよ
西郷さんは下戸
なぜだか知らんがこの大河では何度も酒を飲んでる
意味が分からんのだよ >>595
知らんわい
オマエが勝手に語ってろよクソが
ここは西郷どんのスレなんだよアホが 二週目にして早くも茄子グリッドの勢いが衰え始めてたな農業指導のお百姓さんに泣き付くんだろうか 「水曜日のダウンタウン」に出てた徳川慶喜を生で見たお婆ちゃん元気かな〜(´-`).。oO >>596
史実でもそうなんだ?
他の飲酒シーンは憶えてないけど愛加那との祝言の時に下戸で〜みたいなセリフあったから基本飲まないんだと思ってたよ
趣味趣向が変わることもあるだろうけど 大久保の訛りがなくなってすっかり東京言葉になってたな。一方、西郷はずっと薩摩弁でしゃべっててなんだか距離を感じさせられて寂しかった。 >>586
>いや公家でも色々いるのかもしれんけど
流石にあんな喋り方するお公家はんは、おられませんわな
お公家はんは、口だけはお上品どすわ >>458
現代でも言えるけど、鹿児島に残ったら負けみたいな流れだな
この時点で既に東京>>>>>>鹿児島になってる >>603
あれは意識的にそうしてるよな
大久保は鹿児島を捨てた >>605
塚地は公卿の役も武装した役もちゃんとこなしたよ。
さすがに、落馬シーンは映像化しなかったけど。 多くの国民が苦労してるのに公務員は酒池肉林なんて
大久保どん、今の日本はあの頃と変わらんぞ >>506
ちゃんと見てる?
廃藩置県、近衛兵の誕生と色々と進んでたじゃん。
粗探しばっかりしてないでさ。 地元の鹿児島では
下戸の西郷さんが焼酎の看板にされてるよ
日本は腐ってるんだよ >>610
別に使用人たくさん使って雇用確保するならばいいと思うよ。
食材生産するために、牧畜でも園芸でも産業興して失業武士に報酬を与えるのはいいよ。 今日めっちゃ面白かった
大久保を主役にした方が面白いんじゃねこれw
今までで1番西郷の存在感あったし >>610
大久保さんが今に至る官主国家の土台を築いちゃったよね >>486
八郎太はモデルになった人いるけど千絵は完全な翔ぶオリジナルキャラみたいだね >>388
済んだんだよw
だからこそ、ある意味で敬親公は恐ろしい
しかもいつも通り「そうせい小五郎」と言った後に
「これほどの大事、失敗すれば内乱が起こるであろうから慎重にやれよ」
とも忠告して
「殿は何もかも見抜かれた上で藩を潰す事をご承知されている」
と、木戸を驚嘆させている 江戸にも外国人居留地ができていてそこが築地本願寺の近くだった。
まだアメリカ人の料理人に料理を教えてもらっていた時代だな。 >>602
正しくは好んで飲まなかった、苦手でほとんど飲まなかったらしく、完全に飲まなかったということではない
原口泉氏より >>623
知恵伊豆は生まれた家じゃ将軍のそばで働けないから
叔父さんに養子にしてくれって用意周到に頼んじゃう
可愛くない子供のイメージw 木戸と毛利敬親の間は 終生順調だったらしい
維新後すぐに亡くなった敬親に 木戸は号泣した 泣けますね 現代の政治家は「貰いすぎ」だがこの頃からすでにそうだった、ってなことが今回は描かれてた 廃藩置県に賛成してる大久保が最後までその実施に消極的だったのは久光のせいだろう
激怒することがわかってたから
だから西郷と久光に上京を促した >>622
好んで飲まなかった人間が断つって表現使うかなぁとも
特別な時でも酒を断つって意味ではあってるのかも知らないけど
ウザかったらゴメンね 大久保は翔ぶが如くでも明治編では薩摩人との絡み以外ではほぼ標準語だったから今日の瑛太はそんなに違和感なかった
あと、みんなが高級弁当食べてるのに西郷だけ質素な持参弁当ってのは翔ぶが如くでもあったな
留守政府の時だった気がするけど >>627
嘘やん・・・そんな事誰も思っとらんやろ・・・無理やり社会派にせんでええねん >>630
少なくとも周りの人間の印象からは下戸だとされている
なら相当な理由がない限りは下戸に描くのが自然だと思うけどな
なんでだろうな今回の"飲める"西郷さん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています