>>550
町田 明広@machi82175302

西郷は一方で、汚職や強権によって豪奢し腐敗する政府員を更迭して、清廉強力な人材を起用することを目指したが、こちらは思うようにいかなかった。
西郷は、参議として絶大な権限を保持しながら、政策を構想する能力にはやや欠けていた。
#西郷どん


そして、西郷はそれを補うブレーンに恵まれなかった。西郷の周りには有能な軍人はいたが、優秀な政治家はいなかったのだ。
どんなに大隈重信や井上馨を毛嫌いしたところで、その代わりの駒を持ち合わせていない西郷は、彼らを罷免することなどできなかった。
#西郷どん


廃藩置県によって、薩摩藩は鹿児島県となり、藩知事忠義は解任されて大山綱良が権大参事(後に県令)に就任した。
廃藩を知った久光は激怒し、花火を打ち上げて鬱憤を晴らしたという。
久光の西郷に対する恨みは、骨髄に達してしまった。
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久光はそもそも、廃藩置県など夢想だにせず、あくまでも緩やかな結合の連邦国家の中で、各藩が大きな権限を持つことを志向していた。
しかし、その方向で動いていたはずの家臣に裏切られ、中央集権国家の樹立の名のもとに、藩祖代々の土地・人民を失ってしまったのだ。
#西郷どん


ここから、久光の反撃が始まる。久光は、自らの県令就任への運動を始めたのだ。
これには西郷も、驚嘆せざるを得なかった。三条実美の協力を得て、なんとかその運動を断念させたものの、久光の意図はこの運動を通じて、西郷ら旧薩摩藩出身者の失脚を謀ったことにあった。
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