【2018年大河ドラマ】 西郷どん part100
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>>557
だからなんだ何が言いてえんだ?
日本古来の政治なら負けなかったとでも言いてえのか >>551
板垣は早い時期から民権論者だよ
戊辰戦争の経験から平等の人民平均の理を唱えてるしね 薩摩閥を上手くまとめていた小松が早死にして嘆いていた大久保だけど
みんなを統率する上でも上士は必要なので大久保は 家老の桂久武を
明治政府に出仕してほしかったんだけど
桂に断られて大久保はショックだったわけで
誰でも矢面には立ちたくない 仕方なく薩摩閥の代表になった側面もある… 先週から急に佐賀が出てきてることに対して
視聴者はみんな理解できるのだろうか >>538
>>556
今ググったら、自分が聞いたのはどうもカタールらしい
オイルじゃなくて、豊富な天然ガスを背景にサーニー一族が独裁
その天然ガスもいずれは底を尽くだろうという考えから
シンガポール最高級ホテル「ラッフルズホテル」を220億円で買い、
イギリスの老舗デパート「ハロッズ」を2000億円で買い、
スペインサッカーリーグ「FCバルセロナ」は年間30億円以上の契約をして先行投資
また世界中から大学も誘致し、自由な報道をするテレビ局もつくった
聡明な独裁者なら、民主主義よりいい場合もあるんだな 数百年の念願叶えたと思いきや親不幸ものに梯子を外された久光公
さぞ無念だっただろうな 西郷が大久保にコーヒーだか紅茶だかとタクアンの食い合わせについて質問した所がワロタよ。
なんかアドリブみたいで両者吹いててワロタ >>561
もっと別のやり方はなかったのかということ。
考証の磯田は久光好きだから、ただの西洋嫌いでは終わらせないと思うw
鹿児島は地理的に世界に近い場所だからな 桐野作人@kirinosakujin
廃藩置県であんなに政府内対立があったかなと思うが。最後の西郷どん紀行は習志野でした。
篠原国幹の指揮が見事だったので、明治天皇が篠原に見習えと命じたのが、命名の由来だという説の紹介がなかったのが残念。
篠原が出ていないせいか。
#西郷どん 百年後の民のためとかなんとか言っているシーンがあったが
それはこのドラマを見てる現代の視聴者へのメッセージを意識した台詞でもあるのかな? たくあんとコーヒーは意外と合う
たくあんの匂いをコーヒーが消してくれる 今日は木戸(玉山)の演技が良かったな
赤塚不二夫とはまるで別人だったけど、それでいいのだ >>571
ないな
和算が西洋数学に飲み込まれたのと同じ
国を動かす政体に関しても優劣はあったのさ >>575
西欧列強の真似しなきゃと思ってるけどたくあんは譲れんってシーンかと思った >>530
板垣退助と後藤象二郎のキャラがどうも違うような……。
江藤新平は小才子にしか見えないし……。 >>576
木戸さんも、どもイメージが違う。
文久期の木戸さんだよ、ありゃ。 さすがに江藤や後藤、伊藤は有名俳優使ってほしいわ 大部屋俳優だと思い入れ出来ん 木戸さんは廃藩置県の頃は
飽くまで断交派だったよな しかしたかだか150年以内の人物の、史料まで残ってるような人物たちの思想を
ここまで好き放題変えていいもんかね・・・ >>567
キャラクターの振る舞いと喋り方はドラマ的に合ってるとは思うんだけど
公家の記号的イメージからは外れるよなあ
いや公家でも色々いるのかもしれんけど >>583
いい場合もある、と言ったのが、なにが「オマエの理想」なんだ? >>562
悲惨な会津の腐敗政治を地元民から聴いたからね
民の声を全無視して犠牲になるのはやはり蔑ろにされた民なのだと 酒は断ってるってセリフあったけど下戸で基本酒は飲まないんじゃなかったの? 初期のエピソードで大久保嫁は漬物上手だったかと
明治編になってから、ようやく歴史と人との取り扱いがバランス取れてきたかな
全9回のドラマとしてまとめてきた感じ >>517
それって導入したせいじゃなくて、結局西洋の表面的な猿真似しか未だにできてなくて
民主主義がしかっり根付いてるわけじゃない、理解してるわけじゃないってだけなんじゃない
むしろ逆 >>587
わざわざカタールの美点"だけ"を長々語ってしらばっくれるなよw >>594
じゃあカタールの暗黒面と民主主義国家の優位性をどうぞ >>589
そうだよ
西郷さんは下戸
なぜだか知らんがこの大河では何度も酒を飲んでる
意味が分からんのだよ >>595
知らんわい
オマエが勝手に語ってろよクソが
ここは西郷どんのスレなんだよアホが 二週目にして早くも茄子グリッドの勢いが衰え始めてたな農業指導のお百姓さんに泣き付くんだろうか 「水曜日のダウンタウン」に出てた徳川慶喜を生で見たお婆ちゃん元気かな〜(´-`).。oO >>596
史実でもそうなんだ?
他の飲酒シーンは憶えてないけど愛加那との祝言の時に下戸で〜みたいなセリフあったから基本飲まないんだと思ってたよ
趣味趣向が変わることもあるだろうけど 大久保の訛りがなくなってすっかり東京言葉になってたな。一方、西郷はずっと薩摩弁でしゃべっててなんだか距離を感じさせられて寂しかった。 >>586
>いや公家でも色々いるのかもしれんけど
流石にあんな喋り方するお公家はんは、おられませんわな
お公家はんは、口だけはお上品どすわ >>458
現代でも言えるけど、鹿児島に残ったら負けみたいな流れだな
この時点で既に東京>>>>>>鹿児島になってる >>603
あれは意識的にそうしてるよな
大久保は鹿児島を捨てた >>605
塚地は公卿の役も武装した役もちゃんとこなしたよ。
さすがに、落馬シーンは映像化しなかったけど。 多くの国民が苦労してるのに公務員は酒池肉林なんて
大久保どん、今の日本はあの頃と変わらんぞ >>506
ちゃんと見てる?
廃藩置県、近衛兵の誕生と色々と進んでたじゃん。
粗探しばっかりしてないでさ。 地元の鹿児島では
下戸の西郷さんが焼酎の看板にされてるよ
日本は腐ってるんだよ >>610
別に使用人たくさん使って雇用確保するならばいいと思うよ。
食材生産するために、牧畜でも園芸でも産業興して失業武士に報酬を与えるのはいいよ。 今日めっちゃ面白かった
大久保を主役にした方が面白いんじゃねこれw
今までで1番西郷の存在感あったし >>610
大久保さんが今に至る官主国家の土台を築いちゃったよね >>486
八郎太はモデルになった人いるけど千絵は完全な翔ぶオリジナルキャラみたいだね >>388
済んだんだよw
だからこそ、ある意味で敬親公は恐ろしい
しかもいつも通り「そうせい小五郎」と言った後に
「これほどの大事、失敗すれば内乱が起こるであろうから慎重にやれよ」
とも忠告して
「殿は何もかも見抜かれた上で藩を潰す事をご承知されている」
と、木戸を驚嘆させている 江戸にも外国人居留地ができていてそこが築地本願寺の近くだった。
まだアメリカ人の料理人に料理を教えてもらっていた時代だな。 >>602
正しくは好んで飲まなかった、苦手でほとんど飲まなかったらしく、完全に飲まなかったということではない
原口泉氏より >>623
知恵伊豆は生まれた家じゃ将軍のそばで働けないから
叔父さんに養子にしてくれって用意周到に頼んじゃう
可愛くない子供のイメージw 木戸と毛利敬親の間は 終生順調だったらしい
維新後すぐに亡くなった敬親に 木戸は号泣した 泣けますね 現代の政治家は「貰いすぎ」だがこの頃からすでにそうだった、ってなことが今回は描かれてた 廃藩置県に賛成してる大久保が最後までその実施に消極的だったのは久光のせいだろう
激怒することがわかってたから
だから西郷と久光に上京を促した >>622
好んで飲まなかった人間が断つって表現使うかなぁとも
特別な時でも酒を断つって意味ではあってるのかも知らないけど
ウザかったらゴメンね 大久保は翔ぶが如くでも明治編では薩摩人との絡み以外ではほぼ標準語だったから今日の瑛太はそんなに違和感なかった
あと、みんなが高級弁当食べてるのに西郷だけ質素な持参弁当ってのは翔ぶが如くでもあったな
留守政府の時だった気がするけど >>627
嘘やん・・・そんな事誰も思っとらんやろ・・・無理やり社会派にせんでええねん >>630
少なくとも周りの人間の印象からは下戸だとされている
なら相当な理由がない限りは下戸に描くのが自然だと思うけどな
なんでだろうな今回の"飲める"西郷さん >>630
事実はわからないけどね
例えば飲み会の席で下戸の人がはじめだけ酒に口をつけてすぐにウーロン茶っていうのあるから、断つという意味ではそういう形式も許されないよね 藩主の忠義は 早くから倒幕派で
王政復古の大号令にも積極的で
大久保が 久光より忠義の方が仕事がしやすいとぼやいている
…忠義も西南戦争は かなり嘆いている >>617
西郷はやっぱり、他人の目線で描いた方が上手く描けるのかもな >>631
確かこの時期の西郷の奇人変人クラスの握り飯、貧乏住まいは
元の逸話があった筈
それから、実際に伝わってる所では
江戸時代に西郷と話した人は
言葉も訛らずスタイリッシュなタイプだったと書き残してる
元々が江戸前の斉彬の裏外交担当だったからな 「西郷どん」に時代考証家が自らツッコミ「西郷は下戸です」
http://news.livedoor.com/article/detail/14220926/
【フェイク2】西郷は下戸
主君・斉彬と西郷が飲み明かすシーンもあるが、「西郷は下戸です」。 >>638
西郷は「薩摩以外の人と話す時は絶対に薩摩弁は話さない。馬鹿にされたくないから」と言ってたらしいよ 新政府は政治に関しては全くの素人集団だったからこそ10年もしないうちにあれこれと急な改革を考えついてそれらを実現させた、とも言える。 明治三十三年の青年向けの投稿文学雑誌「文庫」(内外出版協会)第拾四巻第二號に、当時横須賀に住んでた楢崎龍からの聞書きを、郵便局員の方が横須賀秀峰ってペンネームで投稿しているんですが、その中の「徳利の狙撃」って記事に以下のエピソードが載っています。
http://www.fujishuppan.co.jp/books/literature/文%E3%80%80庫%E3%80%80〔明治28年〜明治43年8月刊〕/
船が玄界灘へ差し掛かった時、西郷、龍馬、お龍の三人は甲板へ出て酒盛を始めた。やがて龍馬が、唯酒ばかり呑んで居ても面白くない。何か輿をしようと言い出し、一同賛成して、徳利を狙撃して、負けた者が大盃を引受ける事と決まった。
そこへ新宮(馬之助)が、右手に五合もはいろうかと思うほどの大盃を持って仲間入りし、誰でも来いと相手選ばず競争したが、新宮はとうとう盃と執りかね、下へ逃げ降りていった。
この輿に参加するくらいなら、西郷さんも全くの下戸ってわけでもなさそうですね。
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q11165267801 >>596
信長や秀吉も下戸と言われてるがそう描かれた大河を見たことがない 全然面白くなかったけど面白いってカンジタ人もいるんだね >>596
>>602
新説らしい
NHK 週刊西郷どん
https://www.nhk.or.jp/segodon/weekly/05/ten.html
鹿児島黎明館 学芸員
西郷どんはお酒が飲めなかったといううわさがありますが、決してそうじゃなかったそうです。
それも、奄美大島にいた西郷どんが大久保に宛てた手紙の中に、井伊直弼が暗殺された日からちょうど1年たった日、朝から焼酎を飲んで酔っている、という記述があります。どうやら下戸ではなかったようですね。 >>646
信長や秀吉が下戸だったなんて説はそこまで有名じゃないだろ? 西郷って酒は飲むけど薩摩の基準では弱いってだけだろ
なぜ下戸とは一滴も飲まないことだみたいな話になってんの? はあ?じゃあ何で西郷さんが下戸だって評判があるんだよ
一回酒飲んでたって記述だけでそこは無視すんのかよ >>650
歴史家が下戸って言ってるからだろ
下戸の意味が人で違うのかもね >>388 ,>>620
廃藩置県の頃には敬親公は亡くなられていて元徳公が藩知事になってた。
そして、その元徳公は木戸から廃藩置県の話をされた時に素直に了承した上で
官位返上も自ら提案してた。
そこまでは他の藩知事がドン引きするからと、木戸が止めたりするレベル。
毛利親子は木戸の最終目標を認識しすぎ。 >>640
これが昔から言われてる西郷像
>>648
これが新しい西郷像 >>655
結局長州に置いては木戸の仕事が化物なだけか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています