【2018年大河ドラマ】 西郷どん part100
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佐賀弁笑ってしまうから無理して方言使わなくていいよ こんなドラマ、吉本興行製作と自分に暗示を効かせれば腹も立たぬが
そんな事言ったらむしろ吉本に失礼になるレベル
まあ花燃ゆよりはマシかな
明治篇になっていくらか面白くなったし
それにしても島ライフの尺、要らんかったろ〜? 国を憂いて戦ったのでなく関ヶ原の恨みを返すために徳川を倒しためんもあったろうから勝利の果実が欲しくてついつい贅沢になってしまう 新政府の人が一気登場過ぎて。江藤は三十郎なんだ、って事で何とかインプット。
大隈、後藤、板垣辺りの区別がまだビミョーw >>832
一般の人は何がなんちゃら
わかりゆう人が何人おるがか 鶴瓶の禿げ頭に取って付けたように、キテレツのコロ助みたいな茶筅髷をのせたのが、
偶然にもサンフランシスコで撮影した記念写真の時みたいな珍妙な髪型になってたな。 >>832
後藤象二郎は、元超星神グランセイザーの一員で、「風林火山」では、武者ぶるいがするのう!役だった >>831
関ヶ原は関係ないわw
維新から数えても250年昔だぞ
薩摩には関係ないし 大久保は借金してまで、大名御殿と果樹園までつくってた。
贅沢ざんまい。 「翔ぶが如く」では、江藤新平の晒し首のシーンが出てきたが、今度はどうなる事やら。 西郷って本当に質素な弁当で嫌がらせしてたらしいなw
豪勢なステーキを食ってる新政府首脳陣の前でたくあんとオニギリってw 岩倉と大久保の関係が良く解らない
史実ではどっちが立場が上だったの? 鈴木亮平さんお疲れさま
貴方の頑張りは素直に凄いよ
脚本糞だけど なんでこう、田舎のヤンキーみたいなケンカ腰でしかしゃべれないんかね
江藤なら江藤の、後藤たち土佐なら土佐のヴィジョンがあるわけで、それを語ればいいでしょう >>847
西郷には、文明や文化とは何かってのが分かってなかったんだと思う
質素倹約は如何にも正義に見えるが、
文化文明には、直接生活に直結しない無駄が生む余裕が必要なんだな
そこに美が生まれ、芸術や生活の憩いの素地になる
時代を超えて人々の鑑賞に堪えうる建築・芸術・生活様式・所作礼儀など
これらは、西郷が理解できない世界かもしれない >>854
理解できるわけない
だって西郷は外の苦しんでる民や元武士を見てるんだから でも大久保の言うこともごもっとも。質素で貧しい暮らしを国のトップがやってたら欧米列強に舐められるわな。
経団連の社長連中が軽自動車に乗ってたら流石にヤバいって思うし まぁバランスだよな。贅沢消費は発展のために大事ってわかってるけど贅沢してる当人たちが言うとモヤモヤする。共産主義が流行ったわけだ。 >>848
身分も年齢も岩倉の方が上だから大久保も礼を尽くしてたが
実権は閣僚に薩摩閥のある大久保が6、岩倉が4ってところかな
かといって三条卿のようなお飾り閣僚ではなく、もちろん無視は
出来ない存在
西郷がいなかった時の政府は大久保4、木戸4、岩倉3の
三者のパワーゲームって感じ
もちろん土・肥は不満タラタラ >>857
欧米に対してだけでなく国内の元士族に対しても新政府は金ないんだと思わせたら舐められるからな
いつ政府転覆を狙われるか分からんし
立派な服を着ていい家に住み馬車で移動するのはハッタリの効果もあるだろうね でも史実で西郷も結局は東京の大邸宅に住むんだよな
そこはドラマでどうするのか >>858
でも西郷隆盛は陰湿だよ
ダンスパーティーにゲタに薄汚れた袴で登場し、おにぎりと味噌汁飲むんだから。
これは完全に嫌がらせ。
ダンスパーティーが自分に合わないなら来なけりゃ良いんだし。 >>857
野田が総理大臣の時に1000円カットの床屋行ってるとか、290円の松屋で牛丼食べてるとか、それはそれは総理大臣の監督がなくカッコ悪かった
ウルトラクイズ以来、海外に行ったことないとか言ってたな。
大久保の言うのも分かる。貧乏臭い総理大臣とかマジでありえなかった 土佐が龍馬をなんとか売り出したかった気持ちもわかるな
薩長がデカイ顔しちゃうから >>861
それ弟が買った家。
それと西郷隆盛がボロ家に住んでたのは本当。
でも、貧乏武士達を自分の住まいで居候させ面倒見てたから大きな家に移り住んだらしいぞ >>849
すごいな鈴木のビジュアル、多分マナコ以外ほぼ完璧 まあ簡単だもの、貧乏ごっこ
俸禄も屋敷もすべて捨てて本当に民と同じ暮らしをするわけじゃない
お前の仕事は自分が貧しいふりをすることじゃなく、民を少しでも豊かにすることだろうに >>863
野田ってそれパフォーマンスでは無く、昔からそんな生活なんだと
総理になっても、今でもドブ板やってるし >>837
考えたら関ヶ原から明治元年まで270年近くなのに明治元年から現代まで150年なんだよな
明治から現代までどれだけ急速に発展したか分かると同時に徳川時代がどれだけ長期に渡って安泰だったかが分かる
鎖国してたから文明発展の進歩の遅さも同時に思う >>870
徳川260年の間に、今の世界に誇れる日本文化と言われる文化が熟成したんだよな
大工道具一つとっても、その種類の多さは驚嘆に値する
1目的1道具みたいな
さらに、色んな作業道具や農機具などは、今のように特許のよな知的独占をせず
新規の道具ができれば、みんなが改良してより良いものになっていった
徳川が禁止したのは、大型船の製造と、鉄砲や武器類の新規開発や改良だろ
長崎の僅かな覗き穴から世界を見てただけなのに、西洋文明については意外に沢山吸収してた
蘭方医学は、出島が出来た時に始まってる
解体新書が発刊されたのが1774年
元々、日本は昔から大陸の文明を貪欲に吸収してきたから、
DNAに海外からの新しい知識を取り込むってのが有るんだろうな
今でも、舶来品って上等に聞こえるじゃんw
江戸時代なら南蛮渡来か
もっと前なら、唐物とかさ
その頃には、既に 西郷さんが国士無双だな
ボロ屋におにぎり生活
大久保は驕奢になってしまった >>873
西郷って東京の土地買いまくってなかったけ >>847
民話の正直じいさんと意地悪じいさんみたいに
やたら対比のきれいな西郷・大久保の逸話ってたくさんあるけど
本当かどうかあやしいのが多くてな >>862
西郷の嫌がらせの根底にあるのは潔癖症だったんだろうな
汚い格好は「お前ら西洋人のモノマネして着飾って偉ぶってるが
数年前までこうだっただろ」っていう当てこすり
自分らが権力を得たら贅沢三昧とか、そういう変節は反吐が出るほど
嫌だっただと思う。武士として美しくない!みたいな
江戸時代はもう読み物や芝居文化なんかが発達していたんだし、
この時代でもそういう風に金や権力に溺れる奴は
「典型的な俗物・悪役」みたいなメタ思考も既にあったと思うし、
政府閣僚が現実にそれを体現してるかと思うとたまらんでしょ >>813
ドラマの岩倉卿も少し言ってたけど
実際には井上は幕末期に畳針で縫い合わせた痕の熱症が後々迄かなりひどくて
明治期の神経的な激務も加えた反動の意味合いかなりあったらしい 西郷さんの様な御方が政府のトップに立てば民も安心できる 大久保利通は暗殺された時には私財を政府に供出してたので財産はほとんどなかったと言われてるいるよね 実際のとこ外貨を稼がなきゃ民は豊かにならん
贅沢が敵だと言うなら米の作れない土地でカイコ買ってる農家は死ねというのかって話になる これ史実だが、大久保が岩倉使節団として欧米に行った時に
現地で写真を取って西郷に手紙と一緒に送った事があるんだが、
それをを見た西郷が「浮かれて写真なんか撮ってんじゃねーよ」
と嫌味をつづった返事を出した事がある
写真嫌いっていう説を裏付けるエピソードでもあり、
やっぱり偏った武士道的潔癖症だったっぽい 大久保瑛太が淡々としすぎだけど、今回そういう人物でいくのか
飛ぶがの時は西郷と同じぐらい熱かったのに 明治6年の政変の時に西郷、板垣、江藤らが勝ってればな
追放されたのは正義の人格者だったから >>872
それは別に徳川時代だけじゃないと思うが?
千年以上前から現在まで日本は発展し続けてる それはそれで三国干渉の前倒しが起こってたんじゃないのか >>884
またお前は調子に乗って知ったかぶりして改変してるな
>西郷が「浮かれて写真なんか撮ってんじゃねーよ」
こんな書いてない >>865
自由民権運動の旗頭的な存在になりましたからね
明治政府は顔をしかめ新聞社に圧力をかけましたがそれでも明治の小説は人気を集め逆に龍馬の知名度に火を付けてしまったとか >>882
絹を外国に売って金を稼ぐ→OK
国内の政治家自身が絹服で着飾る→NG
っていうのはそこまでおかしくないと思う >>872
なるほど、江戸時代の見方が変わりました
道具や医学の他に歌舞伎や芝居も発達したんだろうね
特に元禄くらいから
文明は進歩遅かったように思えて今も世界に誇れる文化が出来て熟成された時代なんだね 西郷どんの加治屋町のボロ家から引っ越した屋敷跡が鹿児島中央駅西口の近くにある
維新の頃はまだ城下町郊外の村だったんだろうけど今なら坪55万円位か
鹿児島市街地の住宅地としてはハイクラスだし公園になってる屋敷跡もそこそこ広いぞ
なんやかんやで手取りは良かったんだよ >>872
軍事関連はしょうがない
欧州は戦争しまくりだから
露土戦争とか何回やってんだよって思うw >>893
現在の価値は関係ないだろ
当時は城に近いとこが一等地だから >>891
そういう話をしてんじゃないんだよなあwww
外貨を稼ぐにはインフラ投資が必要だからまず国内市場を活性化しなきゃだし
商品作物の経済を全否定しても民は豊かにならない >>893
明治2年に賞典禄永世2,000石を下賜
で、家買ってる
1万石で大名だから、いまの感覚だと年金2億/年ぐらいか? >>896
政府高官の給料を削って各種産業への補助金を出すんじゃ駄目なん? >>854
質素倹約して、その分を巨額投資したのが大岡忠相だよ。
関東の新田開発や堤防工事をして雇用の確保、インフラ整備をした。
貨幣の改鋳をしてデフレを緩めてやったりした。
後継の田沼意次は印旛沼を干拓して小さくしたり、公共事業を拡大した。
大岡や田沼がやったことを、天璋院篤姫様から西郷へ書籍や図表で伝えたのだよ。 >>898
何年貧乏公家で我慢してきたと思てんね
ちょっとぐらい贅沢してもええんちゃうんかい by岩倉鶴瓶 だいたい歴史嫌いな脚本家の頭で西洋文化を取り入れるのはぜいたくで悪
清貧な西郷どんスバラシイって話にしてるけど国作りってのはそんな簡単に割り切れないし
そもそもなんで明治4年にこんな会話をさせてんだ
大久保が社会システム丸ごと作んなきゃ国は豊かにならないと気づくのは西洋視察してからだろとも思う 伊藤博文「民権による選挙制度作って、議会を作って、合意とってやればいいんでしょ」
なんか彼には考えがあったんだろうけど、この時点では非力。 >>901
でも>>897によると西郷は2千石の禄をもらっていたらしいし、10人の高官がこれと同額を返上すれば2万石になって、ちょっとした小藩の石高になるみたいだけど? >>902
明治維新と言える大改革は西郷留守政府が行っていて
洋行組は居場所がなくなってしまった >>516
具体例な研究家挙げられない時点で嘘松臭い >>904
ちょっとした小藩には安積疏水は作れなかったな >>857
丹羽宇一郎さんみたいに、もとから「ソレ」なら構わない。
電車乗ったほうが効率いい区間は電車使うでいいよw >>897
200両の借金返済が終わったのが明治4年だぞ しかし、かんがえてみりゃ、元は足軽だったような連中が幸運にも勝者となって、幕府の遺産や既得権益をバクって、
大金持ちになって、華族やらなんやら偉そうになってたけど、なんか敗者の財産ぶんどったみたいで、
あんまカッコよくないわな >>885
翔ぶも明治期の大久保は冷静だったように思う。
西郷と二人でいるとき、両雄対決のときは熱かったけど。 >>904
>>911
借金は400両らしいぞ
https://www.nhk.or.jp/segodon/weekly/05/ten.html
生活は立ち行かず、豪商の板垣家から計400両の借金をすることになります。
1両が約10万円の時代なので相当な金額です。
これをようやく返せたのが、明治5年に参議の位に就いたとき。
この時に借金のすべてを完済!この時点ですでに45歳ですから、西郷どん50年の生涯はほとんど借金まみれだったと言えます。 >>913
岩倉が裏切りやった時に
激怒してたけどあれぐらいか >>912
それは徳川も豊臣も同じだろ
豊臣なんて根子そぎ絶滅させたわけだし >>915
ああアレは面白かったな。稔侍のキャラも良かったしw 新政府では薩摩組を除けば
鹿賀大久保は一番岩倉に素を出してたかもしれんw >>889
意訳だよバカ
ところでお前、全方位で喧嘩してんのな
そういうのって結構病気の可能性もあるから病院行った方がいいぞ >>916
そりゃそうだけど、よく維新の成功者が、やれ大磯や箱根に別荘だ、やれどこぞの高給住宅街に何ヘクタールの豪邸だの、
そんな話をきくと、もとはといえば、アホみたいな話だなぁと >>899
あの人は優秀な経済官僚でもあったから
徳川の保守本流一般に金貨良貨思想と言うか信仰があったのに対して
権現様信仰の吉宗を根気よく説き伏せて、
小判の金含有量を敢えて落とす計画インフレ政策で
消費地・生産地の東西金銀レート調整の物価政策を実行してるからな >>902
横山の諫死も事実だし
その横山から期待を掛けられて上京した西郷どんの
少なくとも握り飯とか
逸話的にそういう事だった事は確かだから >>919
西郷は借金漬けで貧乏だったからよけい腹がたったんだろう 徳川がいなくなったあとの、遺産を、みんなが我先にとぶんどったと。
なんかあさましいというかね レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。