>>207
西郷の板垣宛ての手紙(8月17日)を参照
簡単にいえば、世間の関心が薄いから
まず大使を派遣し、先方がこれに非礼を働き、もしくは暴殺におよび、
世間が激高したところで出兵すべきという手順論

こういう討伐の大義名分を得ての出兵という発想は西郷独自のものではなく、
明治2年に木戸孝允も唱えている