西郷も表向きは久光を立てていたが、その本心は「大義を成すために、薩摩の最高権力者をどう利用するか」にあったように思われる。

結局、久光は「新政府で主導権を握れるから」と、西郷にそそのかされて戊辰戦争に多くの軍事力を割くが、その見返りは何もなく、ただ廃藩置県で藩主の座を追われただけだった。

これで久光がおもしろいはずもない。家臣に利用されたあげく、時代が変わったらお役御免にされる久光がかわいそうでならないし、どう考えても中立的な視点から見れば西郷のほうが悪役である。

政府に表立って反抗するわけでもなく、花火を打ち上げるくらいでモヤモヤ感を発散しようとする久光の、なんとけなげなことか。

第40回の終盤で久光は、明治天皇のお供として帰郷した西郷に、「これがお前が斉彬と共につくりたかった新しい国か?」と尋ねた。

明らかに非難のニュアンスがこもっている。これに対して西郷は、「それとはかけ離れている。
このままでは国父様(久光)にも、死んでいった者たちにも申しわけが立たない」と弱音を吐く。その時、「こんやっせんぼが!」という斉彬の口癖が辺りに響き渡った。

発したのは、久光。懐かしいフレーズに驚く西郷に、志を持ってやり始めたからには最後までやり抜け、それでも倒れたら若い者に後を任せて薩摩に帰ってこい、と激励の言葉を贈ったのだった。

久光と西郷の和解を描く重要な場面に、斉彬の台詞を持ってくるとは心憎い。この一言だけで、久光が斉彬と同じ志を持っており、亡き斉彬の代わりに西郷を見守るつもりであることがひしひしと伝わってくる。

弱気になっていた西郷も、亡き殿が久光の口を通して叱咤してくれたように感じたのではないだろうか。

放送後にドラマ公式サイトに掲載された青木崇高のメッセージによれば、「こんやっせんぼが!」の台詞は、本番だけ青木が発したアドリブだったという。

なんと素晴らしい判断だろうか。「こんやっせんぼが!」の一言がなければ、この場面での久光の真意はおそらく視聴者には伝わらなかったことだろう。

屈折した部分を持ちながら、自分なりに必死に薩摩と日本の行く末を案じた島津久光という人物を、全身全霊で演じてくれた青木崇高に賛辞を贈りたい。

本当ならここで、「逆に役者にアドリブを入れてもらわなければ真意の伝わらない脚本ってどうなんだ」と文句を言いたいところではあるが、もう撮影も全編終了していることだし、今さら言っても仕方がない。

次回からはいよいよ、明治編になってからのオープニング映像で暗示されている西郷と大久保の対立が描かれるようだ。

基本的に中園ミホ氏の脚本は、多くの人間や出来事が互いに影響を及ぼし合って物事が動いていく「歴史の流れ」は全然描けていないが、ごく少数の人々をクローズアップした時の人間関係の描き方は非常におもしろい。

この法則によれば、ここから終盤にかけての『西郷どん』は大いに期待できそうだ。