そもそも留守政府は閣僚人事の異動があったこととか
朝鮮との外交問題の発生の情報を海外の使節団に知らせていたんだろうか

明治4年には長崎〜上海間の電信線が敷設されていたというから
東京〜長崎〜上海〜ロンドンのラインで連絡を入れることはさほど難しくなかったと思われるが
江藤や大隈が完全な事後承諾のつもりでいたとしたら大問題だろう
(というか駐日外交官から欧米各国に情報が伝わるのは確実)