金銭には潔白で私財を蓄えることをせず、それどころか必要だが予算のつかなかった公共事業には私財を投じてまで行い、国の借金を個人で埋めていた。

そのために死後の財産が現金140円に対して8,000円もの借金が残り、所有財産も全て抵当に入っていたが、大久保の志を知っていた債権者たちは借財の返済を遺族に求めなかったという。

政府は協議の結果、大久保が生前に鹿児島県庁に学校費として寄付した8,000円(平成30年の価値で2億円)を回収し、さらに8,000円の募金を集めてこの1万6,000円で遺族を養うことにした。