【第三十六回】太平記 part.36『湊川の決戦』
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
このへんから、主要キャストが毎回死んでいくんだな
楠木兄弟、新田義貞、北畠顕家、後醍醐天皇、母上 この回のせいで「新田義貞はバカ、無能」というイメージが決定的になったんだけど、
どうなんだろうね? 楠木正成の首が晒されたのは僅かな時間ですぐに河内の楠木一族に戻されたが、一方で新田義貞の首は市中引き廻しされた上で獄門にかけられた、この差よ もしショーケンの義貞のままだったら最期まで
陰キャで不気味なイメージのままだったのかな この時、朝廷側に味方する水軍は皆無だったのかな?
平家は都落ちした後もある程度瀬戸内海の制海権は保持してたのと比べると、海上軽視の印象だな。 >>7
実際、戦歴は多いのに鎌倉攻め以外にまともな戦功がないのは事実だしw >>12
平氏にとっての瀬戸内海は、源氏にとっての坂東と同じで、勢力基盤そのものみたいな地域。
そりゃ、このときの後醍醐とは同列には語れないだろう・・・。 足利方が室津の軍議で山陽・四国の国ごとに国大将を置いたことも効いていると思う 四国には細川一族がいたからな。定禅や和氏が。山陽道は直義が。山陰道はいなかったのかな?尊氏だけ悠々と瀬戸内海を船で湊川へ。 >>9
皇居前の銅像と南武線分倍河原駅前の銅像、この差よw >>16
畿内から西国への出口付近を赤松が押さえていたことも大きいだろう
新田はここでも赤松相手に無能な戦いぶりを発揮しているがw 阿野廉子にも左中将殿は鎌倉を攻め落とした以外何の戦功も無いと真正面からバカにされていたな >>18
「播磨守護職なら既に将軍からいただいておるわ!ガハハハハ!」 >>11
もともと新田は足利一族に含まれる的な視点をドラマに持ち込んでいたら
ショーケン義貞がハマったかもしれんね。あの義貞は権謀術数使いそうだし たしかにあの新田は根津甚八の無駄遣い
キャラが違う >>24
そうか?むしろハマってたと思うが
ショーケンは違和感ありあり ショーケンだったら義貞の死にざまを
もっと無様な感じの演技プランでやってきたかもしれんね(´・ω・`) 根津甚八の死に様は歌舞いてなんぼって強いイメージあるわ・・・黄金の日日のせいだな
つまり俺のせい >>25
確かに義貞って、実際の人物像としても、あまり権謀術数が得意なタイプには思えないし、
むしろ周囲のいろんな人々の思惑に振り回され続けた感じだから、根津氏の素朴な感じの
演技で結果的に良かったと思う。 そもそもショーケンの代わりに根津甚八を持ってこれた事自体が豪華な大河だと思う >>17
分倍河原駅前の新田義貞像は
凄くデカくてカッコいいぞ
実物視たことねーだろ?
By 東京都府中市民 銅像そのものの問題じゃなくて、立地の問題だろ。
日本中、いや世界中の観光客が集まる場所と、東京郊外のドマイナー路線のドマイナー駅前では勝負にならんw 義貞は追討院宣が出てた親分だし首は晒され市中引き廻しだろうよ。尊氏が負けてても同じ処遇。勝てば官軍、負ければ賊軍 >>32
義貞は本来足利の庶流の分際で宗家に楯突いたわけでもあるから、当然そうなるわな。 死際名場面
1 足利直義
2 足利貞氏
3 赤橋守時
4 新田義貞
5 後醍醐天皇
それぞれ史実古典太平記に近く素晴らしい
最近の大河は史実さえ捻じ曲げワンターンのドラマチック演出でつまらん >>35
おいおい北条高時と楠木正成はどうした?
あと、足利尊氏のラスト
『…行く末、幕府をお頼み申す…義詮をお頼み申す』
「…儂は頼りにならん男ぞ?」
『いや、30年前、初めて会った時から、友じゃと思うておった…生涯の友じゃと…』
「……ククッ…か、かなわんな!」 死にざまといえばやはり東勝寺での北条一族と長崎親子の最期やろね
太平記のというより、大河ドラマ史の中でも屈指の名シーンなんじゃないだろうか
赤橋守時の最期については、もっと盛り上げようとすれば、かなり盛り上げられたんだろうけど
そこら辺抑制が効いていてこれはこれで良いね 自分の書きこみを読み返していて思ったけれど、
赤橋守時に関しては、高時への「永の別れ」のシーンで既にすべてを語ってる感じではあるかな・
もっとも、あそこは守時のシーンだけじゃなくて、
高時が悪夢から目覚め⇒公平とは疲れるものと語りだし⇒赤橋が現れて周囲が非難を浴びせる中、
高時だけが守時の心情を見抜いて。。。
というあの一連のシーン全体がとても良いな 北畠顕家も父に会いたいがために伊勢ルートを通ってきたとか近頃弓の腕が落ちたとかフラグを積み上げていってからの死と報告を受けて悲嘆にくれる親房も含めて良かった >>36
定番だし長すぎ
得宗家滅亡場面なら
北条貞顕の心境複雑なあっけない自害が印象的
楠木正成は定番の死際シーンより桜井の別れが良い まあ「鎌倉炎上」の回は、大河ドラマ史上の最高傑作といってよいだろうね。 太平記の翌年、直義が太守や内管領らとフジで「ジュニア・愛の関係」をやっているね。
観応の擾乱並みに付いたり離れたり、裏切ったり裏切られたり。
目的が手段と入れ替わり、志など変わり果てる。 赤井英和にアテレコしたバージョンを出してほしいよな >>19
数年前、鎌倉末期(〜南北朝もの)の漫画が連載されたけど
多分、全部打ちきり?
個人的には
学研漫画人物日本史だったかの「足利尊氏」に夢中になったな
北条高時がバカ殿、新田義貞がモブ顔だったけど
今でも入手できるのかな >>47
尊氏が小島法師に「ハンサムだったって書いてちょ!」みたいに言ってたやつね! >>52
小島法師って、児島高徳の成れの果てなんだっけ? >>50
あと中世史に大きな影響を与えた
尾張熱田神宮家や頼朝の本貫地の尾張を絡めたら伸びるよ >>55
尾張の熱田大宮司って隣国三河に荘園という名の植民地をたくさん持っていて
未開な三河人を奴隷として使役していたのだっけ?
まあ今の愛知県とあんまり構図は変わらないねw 亀山院の末子恒明親王が尊氏と交戦したとあるが真実か? http://aurora1025.blogspot.jp/2014/02/area-in-which-wealthy-live-volume-on_18.html?m=1
年収300万円以下比率(30%以上)
名古屋市中村区:42,32%(笑)
名古屋市中区_;41.28%(笑)
名古屋市昭和区:38.11%(笑)
名古屋氏南区_:37.29%(笑)
名古屋市熱田区:37.24%(笑)
名古屋市港区_:35.03%(笑)
名古屋市北区_:34.50%(笑)
名古屋市東区_:34.50%(笑)
名古屋市天白区:33,22%(笑)
名古屋市中川区:32.79%(笑)
名古屋市西区_:32.56%(笑)
名古屋市千種区:32.34%(笑)
名古屋市瑞穂区:31.17%(笑)
まさに田舎臭い貧乏人、貧乏臭い田舎者の称号がお似合いですなw 何を申される
湊川の合戦の「前」と「後」では事情は大違いじゃ >>50
>>51
お前が一人何役もやって伸ばしてるだけ
ブログでやれ、精神分裂病患者 そういえば鎌倉期の足利氏も、三河守護となって三河を植民地経営したんだよねw 三河にいた源義兼が足利に本拠を構えて足利義兼になったのだよ
元々が三河だ
だから、義兼が創建した寺は源氏ではなく生母を菩提する寺だったし、菩提寺の鑁阿寺創建の現場最高責任者も三河の母方なのだよ
馬鹿でもわかるようにまとめてやっているのに、それでもわからんとは流石はウンコ君だな
■樺崎八幡宮(元は法界寺)
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/023/935/11/N000/000/011/138960094181861421228_s-CIMG3574.jpg
>生母菩提の為
生母
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→→藤原範忠→女子→足利義兼 つまり結局は三河の源頼朝がキーマンなんだわな
従兄弟の源義兼に足利荘を与え、源姓足利氏を誕生させ
もう一人の従兄弟、寛伝を日光に送り込み、関東の宗教界を支配下においた
北関東は支配された側なんだわな
頼朝は、三河にあった自身の母方の菩提寺の僧を日光に送り込んだ
■日光山
源頼朝がその母方の従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝
寛伝(母方の従兄弟)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝 >>56
足利でも同じだな
未開の三河に植民地を作って
土人をマトモな人間にしてやった >>67
>三河にいた源義兼が足利に本拠を構えて足利義兼になったのだよ
いい加減
くだらん妄想病ハヨ直せ 1160年〜1180年、源義兼は三河で祖父が寄進したとみられる女院領の代官をやりながら、熱田大宮司職の代理をしていた
源義重の庇護を受けていたとか間違いなんだよ
熱田大宮司千秋家譜について
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f7-4.pdf ここまで頻繁に三河屋が出現するとはw
いつになく相当焦っているなw 要は頼朝も足利も熱田大宮司も八条院も
みんな三河を荘園(=植民地)を獲得するための草刈り場にしていたわけだなw 難しく考えるなよ、貧乏田舎者よ
勝ち組を生み出す日本の別格地なのは、現代社会においても証明されているだろうが
【リーマンショック後の総所得ランキング】
・課税所得額ならびに総所得額の推計を実施。本文中の数字は全て総所得額ベース。
総所得ランキングトップは江ノ電沿線、金融資産トップは京王井の頭線沿線。
リーマンショックで打撃を受けたのは近鉄長野線沿線――。
総所得ランキング
01位 江ノ島電鉄線(神奈川県藤沢市〜鎌倉市)
02位 阪急甲陽線(兵庫県西宮市)
03位 京王井の頭線(東京都渋谷区〜武蔵野市)
04位 東急東横線(東京都渋谷区〜神奈川県横浜市)
05位 東急こどもの国線(神奈川県横浜市)
06位 東急田園都市線(東京都渋谷区〜神奈川県大和市)
07位 相鉄いずみ野線(神奈川県横浜市〜神奈川県藤沢市)
08位 東急目黒線(東京都品川区〜神奈川県横浜市)
09位 名鉄西尾線(三河県安城市〜吉西尾市)
10位 名鉄豊田線(三河県みよし市〜豊田市)
11位 東急大井町線(東京都品川区〜神奈川県川崎市)
12位 東急世田谷線(東京都世田谷区)
13位 小田急小田原線(東京都新宿区〜神奈川県小田原市)
14位 名鉄三河線(三河県豊田市〜碧南市)
15位 東急池上線(東京都品川区〜大田区)
ソース:東洋経済オンライン
http://www.toyokeizai.net/life/living/detail/AC/a9f0b48216dc7b01346aec09db603d62/
ソースのソース:株式会社野村総合研究所 第2回全国のエリア別所得・金融資産を推計
http://www.nri.co.jp/news/2010/100330.html >>73
大嘘つくなよ
源義国が寄進したと「みられる」とか
足利義兼が三河でとか
三河植民地土人は末期妄想癖症候群 全国足利氏ゆかりの会の会員所在地マップ
http://www.ashikagauji.net/member/membermap_201809.pdf
案の定三河地域には会員の団体は一つもなしw
やっぱり足利氏にとって三河は単なる植民地でそれ以上の意味合いはなかったのだろうな 太閤検地段階の石高で比較しても尾張や美濃はそれぞれ単体でも三河の2倍以上あるなw >>78
義国って何だよ
馬鹿すぎて、親族が泣いているだろうが
理解力が無い老人だな
12世紀半ばとすると、寄進者は大宮司の範忠としか考えられないが、記録が残っていないから、断定ではなく、みられるで正しいだろうが
俺の言葉選びの丁寧さが露呈しているだろう
俺はソースの無い話しない
義兼の代官の話は安城市史
大宮司の代理の話はこれだ
熱田大宮司千秋家譜について
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f7-4.pdf >>81
田舎者が頭が悪いが、露呈しているな
例えばだよ
シンポジウムかなんかで会の参加者から足利決起について聞かれたらどうするんだ?
会長「その件については三河に聞いてほしい」
参加者「でも、会員に三河は入ってませんよね」
会長「ぐぬぬ」
大恥をかく
つまりだ、こういった会を立ち上げる際に熟慮出来ないのが田舎者だ
普通の頭で熟慮すれば、土下座してでも三河に入ってもらう結論になるはずなんだよ
会に入っていない三河の方が色々な裏事情に詳しいとか、恥をかくのが必至ではないか なんか某半島の国と同じくらい反論が痛々しくなってきたなw >>73
>>78
>>86
一人プロレス楽しい?
シコッて寝ろ >>73
>>78
>>86
>>89
三河屋
自演お疲れ
スレ伸ばしも大概にしろよ >>92
高師直も二条の君も
いい味出していたよな >>95
守護補任状って将軍の直筆なのか?
花押だけ据えているのかと思っていたよ。 >>97
尊氏が急に張り切りだした時期と重なっており、自筆にしたのかも。 >>97
通常はそうなるね
ただ反幕へと転じた折や新政前夜、九州下向および再度上洛にあたっては
絹布小片に認めた自筆文書は例数多だから、その辺りと性格を同じくする
態のモノじゃないかな? 尊氏自筆書状といえば去年秋に東京で見た
醍醐寺座主に宛てた自筆の書状はよかったな
尊氏らしからぬ伸び伸びした書体で綺麗だった そういや花押の変遷でその時の心理状態を探るみたいな話は面白いけど
どこまで信用できるのかね(´・ω・`)
直義の花押の変化とか有名だけど タイムリーなネタ。醍醐寺展で三宝院賢俊に宛てた尊氏直筆の書状を見てきた。俺が見たのは丹波の篠村八幡宮の別当職を安堵するってやつ。他には後醍醐宸筆の「天長印信」(国宝)。満済准后日記などなど。 >>101
尊氏なんかも微妙に花押は変化していくけど、単なる書き癖の変化のような感じだよね。 >>104
そういえば、ジュニアで後から六平直政が重要な役目で出てくるが、太平記にも闘犬のところなんかで少し出演してるんだっけ? 醍醐寺の書状はひらがなで
篠村八幡宮の書状は漢字だけど繊細で素晴らしい
鑁阿寺書状は豪快だし
それぞれ多彩でとらわれない自由奔放な書き方で面白い 六平直政は序盤で将軍御座所に高氏ともに仕えている宍戸と言う御家人の役で、
高氏が鎌倉から京に向けて出発する場面で道端で見送っている場面が最後
架空の役 木戸を開けつつ高氏に
「(家柄のわりに)お前さんは大分違うのう」って役の人か 六平さん、最後の登場シーンで尊氏の旅立ちを見送っていたけど、
もしかしたらあの後、新田の鎌倉攻めで死んじゃったのかもなぁ(´・ω・`) 六波羅全滅の時は御家人はだいたい離脱している
最後まで運命をともにした佐々木清高が特殊と言われてるくらい >>103
クセっていうより
下文や寄進状や願文や私文とか
当然相手の身分によって微妙に変えてる
まぁ若い時と晩年も筆圧も違うけどね 赤松円心役の渡辺哲さん、今は売れっ子のバイプレーヤーだけど、
この当時40ちょっと過ぎくらい?
なんであんな貫禄あったんだ? 赤松をいかにもどこの馬の骨かわからん胡散臭い武将のイメージにするためにあんなカッコさせたのか。
悪意を感じるなw >>117
蜂須賀小六は多くの戦国大河でレスラー枠じゃないか? 大河の赤松は、太平記〜花の乱〜軍師官兵衛と割と出番があった どうしてそういうイメージに落ち着いちゃったんだろうね。
まあ新田義貞さんもほんとはもっとおちゃらけなキャラだったかもしれんがw 足利兄弟の性格はなんとなくみんなに共通認識があるかんじだけど
新田義貞の性格ってどうだったんだろうな。確かによくわらかん この太平記の義貞は頭に矢が当たらなかったね。
当たったのは、緒方拳の弁慶、加藤剛の平将門、佐藤浩市の木曽義仲(これは準大河)…。 案外楠木なんかもあんな感じだったのかもね悪党だったし
同じ悪党でも南朝の忠臣と幕府の忠臣では描かれ方に違いがありすぎるよな
明治時代とか凄かったんだろうなあ 義貞は真面目な話しか伝わってない気がする
尊氏は能楽見過ぎて弟に叱られる話がかわいい ところで
このドラマは原作である古典「太平記」に忠実だったの? 実際には私本太平記とも全然違うストーリーだけどな
私本太平記の中で使える設定やセリフを拾ってるだけで >>124
義貞は配役的には根津氏で正解だったと思う 古尾谷雅人に義貞をやって欲しかった。
真田広之とは身長差があるが。 鎌倉滅亡の時女房たちが高時を囲むシーンは吉川英治作品にああいう描写があるが、
円喜が切腹して死ぬところなんかは(フランキー堺用といっていいと思うが)全くのドラマオリジナル
古典太平記では円喜の孫の新右衛門というのが円喜を刺して一緒に死んだとかいう話が書いてある 私本太平記って古典太平記と難太平記、
それと梅松論
どっちが近いの?
難太平記はまだ読んだ事がないけど・・・ 昨日京都攻略の回久しぶりに見たけど守時を皆追い返そうとする中
高時は直に会って言葉をかけるシーンに泣いた
一見暗愚に見えるが状況を誰よりも常に冷静に把握してるんだよね
政治が苦手なのとやる気を失ってただけで 後醍醐が終身天皇にこだわった理由は?
院政を意地でもやらなかったな。何この頑固さは。所々のターニングポイントで院政をやってれば。って場面がある。 >>138
天皇が持明院統へ移った場合、上皇になっても院政はできないよ。 延喜・天暦を理想として摂関・院政・幕府をすべて否定する後醍醐天皇にとって
自らが院政を行う選択肢なんてあり得ないと思うけど
人殺しの殺人鬼の池田大作の創価の公明が政治活動
キチガイの集まりのいやがらせキチガイ集団の創価の公明が政治活動
創価学校・創価大学・キチガイ養成学校の創価の公明が政治活動 後醍醐は終生天皇であることが自らの正当性を証明することになったのだろう。自分は中継ぎ天皇で自らの子孫を皇位に就けることはほぼ不可能。武力でその権利を獲得したが生前に天皇を退位すると他の大覚寺統や持明院統が皇位継承に横槍を入れてくるからな。 22:25〜
歴史秘話ヒストリア
「プロが選ぶ!日本を変えた室町三大事件」
『応仁の乱』を、最新研究をもとに捉えなおした新書が異例の大ヒットをするなど、今、「室町時代」が書店で一躍人気のジャンルとなっている。
天下の大乱、数万人規模の一揆、将軍一族の骨肉の争い…。話題の新書を書いた3人の歴史のプロたちが推す、大事件の真相に迫る。250年続いた室町時代は、いったい日本をどのように変えていったのか?室町三大事件をひもとけば「日本の歴史」が見えてくる! 普段ヒストリアは内容薄いから見てないけど
紹介文みてるとなんか面白そうだな 歴史のプロってwwwコンサルタントくらい胡散臭い言葉だな。磯田や本郷あたりかなw >>146
見てこない
日本の歴史で大事なのは、常に勝ち組である三河となんぞやだ
源義家(1039〜1106)
藤原季兼(1044〜11101)
この生没年がほぼ同じの孫同士が結婚して生まれたのが、三河の源頼朝
季兼は事実上、三河の王たるポジションであったが、義家の家来も三河武士であった
つまり摂関政治から院政に写り変わる時期の、三河に秘密がある
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 その歴史を知る事で分かることはコレだ
結局日本は、三河人の指示を受け、元気なお返事でハイと返事をし、その支の指示通りに動く体制に戻さないと、日本の復活は無いではないか、だわな
平成25年度経済成長日本1位は三河県
三河県の一人あたりの総生産は日本2位
【平成25年度県民経済計算】
都道府県別県内総生産(名目 単位:円)
順位 都道府県 GDP 成長率 シェア
━━━━━━━━━━━━━━━━━
*1位 東京都 93兆1280億+1.0% 18.3%
*2位 大阪府 37兆3150億+1.2% *7.3%
*3位 神奈川 30兆2190億+1.1% *5.9%
*4位 尾張パゴヤ共和国(笑) 22兆2078億+0.7% ←下は茨城だけw
*5位 埼玉県 20兆6780億+2.0% *4.1%
*6位 千葉県 19兆8110億+4.0% *3.9%
*7位 兵庫県 19兆2330億+2.6% *3.8%
*8位 北海道 18兆2690億+1.5% *3.6%
*9位 福岡県 18兆1900億+1.8% *3.6%
10位 静岡県 15兆8760億+2.4% *3.1%
12位 三河県 13兆2683億+4.4%
13位 茨城県 11兆5110億▲0.1% *2.3% ヒストリアで直義が南朝の後村上天皇
と組んで尊氏討伐したとあったけど
ドラマで後村上天皇って出ていた記憶がないんだが >>152
後村上天皇自体は出てきた
43回に楠木正行が拝謁するシーンがあった >>153
男山八幡撤退シーンってあったっけ?
天皇の甲冑に矢が何本か刺さったっていう。 >>154
やってない
ていうかこの辺りは時間無さすぎてほとんどカットされてる
あと10回ほど南北朝パートに割けたらなあ
つくづく鎌倉パートが長すぎる 今室町時代が熱いって本当だったんだ
今年の夏に室町将軍展もあるしね 直義と直冬の関係ってそんなに密だったのかぁ?
ドラマではそんなに感じられなかったけど >>155
観応の擾乱をあれ以上長々とやっても、背景知識のない視聴者は多分ついてこれないし、
それに尊氏の死までに回収できない伏線も多くなるので、あの程度の描き方が結局無難。 >>157
だな
直冬は直義のために立ち上がった
みたいヒストリアだったが
ドラマは違った >>137
最終的に円喜をだまらせたな。
最初はタイシュタイシュって諌めてたけど。 覚海尼沢たまきと
円喜フランキー堺じゃそりゃつらい
貞時は結局時宗のほうにも出てきてないな 大河「北条三代」
時宗(出演時は弘安の役が終わってから)
貞時
高時 >>163
大河の主役にしちゃうと高時は愚鈍を演じてるだけの切れ者になっちゃうぞ 大河「足利三代」
義国 義家との対立と足利荘成立
義康 ご存知保元の乱
義兼 頼朝との葛藤 幕府No2になってしまった宿命 >>166
炎立つの泰衡みたいな役割でいいんじゃないかな。 にっぽん!歴史鑑定
BS-TBS 2019/02/25(月) 22:00
「史上最大の兄弟げんか!観応の擾乱 足利尊氏と弟・直義」
約670年前の室町時代創成期。朝廷が二つに分かれ、南北朝時代とも言われた頃、
幕府内の抗争に端を発した全国規模の争い「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」が勃発した。
相対したのは、室町幕府初代将軍・足利尊氏とその弟・直義。
血を分けた兄弟の骨肉の争いの末に迎えた悲しい結末に迫る。
田辺誠一 鈴木順 >>169
「炎立つ」は第3部がなければ名作だった 炎立つのOPの曲と映像は好き
OPで言ったら花の乱の曲と映像も好きだけど(´・ω・`)
昨今の「室町時代ブーム」が本当ならば
そろそろ応仁の乱の時代のドラマがあってもええね 北条三代 初回
「総括 霜月騒動」
安達泰盛亭の酒宴に呼ばれ、ハシゴに登ったわざおぎが、攻め寄せる平頼綱勢に気付く。 義満も見てみたいけど
後円融天皇の描き方が難しそうやな(´・ω・`) 応仁・文明の乱はもし描くなら北条早雲主人公で序盤に出てくる感じが無難 >>170
悲しい結末
よくぞご決断なさいました…これでいいんじゃ…兄上は…大将軍じゃ…
これで…足利家は安泰じゃあ…! >>172
室町ブームとか応仁の乱ブームとかいう割に、大河板の「花の乱」スレは閑散としているよな・・・。 義満も正室の嫡男が夭逝した後
出来た側室の子で謂わば次男
その辺は尊氏と似ているな >>34
新田は足利庶流じゃねえよ。足利より長幼で言えば上の血筋 >>180
長幼の順だけで嫡庶が決まると思ってんの?w >>181
だから足利とは別の系統だって言ってんだよ
系図ぐらい理解しろ
足利の庶流っていうのは足利から分家した斯波とか細川とか今川とかを言うの 義国の二男義康が足利氏を継ぎ
長男義重は足利庄を出て新田氏を起こしたのが
そもそも謎だわ その辺は憶測の域を出ないから謎のままだろ
時間が経てば資料が出てくるよ、それまで待て >>185
たらればやもしもの仮説から歴史検証は始まる
資料発掘なんてその典型だし
歴史の醍醐味
資料出たらなら歴史学者も歴史作家も必要なくなる >>184
義重の母は先妻で義康の母は後妻だという説もあるのでやはり母親が生きている方が強いのかな
義重の外祖父・藤原敦基が上野介で上野に縁があることや義康の外祖父・源有房(信濃守)の方が官位が高かったことも関係があるかもしれない
新田の開発を急ぎたい義国が成人した長男に仕事を任せたってこともありそう
色々なことが考えられるのが186さんも言っているように歴史の醍醐味 だよね 「あの貧乏後家人の新田が!?」
この一言で新田の立場を表現してしまう(´・ω・`) ま、まさか徳川様の御門葉とは!?
江田とか綿打とかそのあたりのしょっぱい氏族かと…。 >>184
出てない、足利荘は藤姓足利氏のもの
何回言ったらわかんねん 京武者の義康と北関東に下向した義重じゃ、義国と一緒にいたであろう義康が跡取りに決まってんだろ
義国は京を追放されて、仕方なく義重の元に向かった つか義国は義重に河内源氏伝来の上野八幡庄を継がせてるし
新田荘に義重と共に移り住んでる。単に本拠地を変えただけだろう。
従来の足利荘も捨てるのもなんだから次男に継がせただけで
重大な方を次男に継がせたわけじゃない。 だから足利荘は、藤姓足利氏を源頼朝が滅ぼすまで藤姓足利氏のものだと言ってんだろ
1180年には義国は死んでんだよ 足利荘全部が統一されていたわけではなく、藤姓足利氏の領域と
源姓足利氏の領域とがあったんでしょ >>183
足利宗家が足利の苗字を称するのは実際には義兼以降なわけだが
それにも拘わらず足利宗家との共通の祖先が義康まで遡る仁木氏や細川氏も足利の庶流扱いなわけでw
実際のところ当時の社会の一般的な認識では新田は足利の庶流でしょ
特に足利義氏の娘婿新田政義が幕府に睨まれて足利の庇護を受けて以降は
完全に足利の庶流の一家だったと思うが? >>191
新田が足利宗家に並び立つような家だったという幻想って江戸時代以降にできるのかもな
そして近代以降の南朝正統史観のなかでさらに増幅されるとw 足利荘は、義家から義国に相伝された
義国は足利荘に下向した
そもそも、これが間違い
この間違いの前提で話をするから、おかしくなるんや 何で新田は折角占領した鎌倉を捨てて京に上ったのかな
やっぱり義貞本人も足利一族の末席という意識があったから
尊氏の意を受けた細川が乗り込んできたら
鎌倉を引き上げざるを得なかったんだろうか >>203
そもそも義貞は、宗家の当主尊氏の命を受けて、尊氏の嫡子千寿王を担いで鎌倉攻めを
行っただけだからな。
鎌倉攻めの総大将はあくまで千寿王で、義貞と岩松経家がその陣代だった。
戦が終わったとなれば、戦時の陣代の役目は終わりで、行政能力に長けた平時の代官に
交代するのは当然のことだなw >>193
室町初期から足利荘は簗田御厨と足利を総称して足利荘という
それに義国が居を構えた所は御厨ではなく足利荘内で
藤姓足利氏の足利家綱と領地を争ったのは
その後
100くらい言ったら理解できるのかな? >>200
こいつこそ足利を課題評価しすぎだろう。
足利が源家の頭領とみなされるようになったのは義康、義兼が義朝、頼朝と共に
戦っていたこと、義康が義朝と相婿だったこと、義兼が政子妹と婚姻したこと
などにより頼朝と近いと見なされたからであり、義国自体は
義重を嫡流と考えていたことは源家伝来の上野八幡荘を相続させて
いることからも確実。 >>199
お前は日本語を正しく使えよ。足利「より」庶流なら分かるけど
足利「の」庶流なんて言ってるのはお前ぐらいだわ。
どうしても足利「の」庶流って言いたければ論文でも発表して
定説覆してくれや >>203
そりゃ鎌倉なんて田舎に留まるより京に上って後醍醐帝に拝謁したい
と思うのが当たり前だろう。それだけのことだよ。 >>206
理解出来るのかはお前だろうが
院政期の話に室町期の話などどーでもいいんだよ
だから足利荘に屋敷など構えていないつーの
しかも義国が下向したのは1150年、梁田御厨の争いなど解決済みじゃ >>204
判官殿はあまり婆娑羅な家ではなかったな ID:MDU3Qkz5って、三河屋の別人格とかか?
攻撃的で粘着質な書きぶりとか、度を越えた連投とか、何となくイメージが重なるw あの義貞のタコ助は何を勘違いして岩松を呼べなんて宣ったんだ?
実力的にはお前が岩松の家に出向かなきゃならないだろうに。 岩松は足利庶流で新田の配下
桃井は新田庶流で足利の配下
なぜかこう覚えてたけど、桃井は足利庶流なんだね、どこで聞いたんだろ 足利新田の一族がこれだけ入り乱れているんだから、鎌倉末期の新田は足利一門でええんやないのん。
頼朝挙兵の頃から新田一族はばらばらに行動していたし。 >>215
義国は足利には通り過ぎただけ
義康も義重も京都が拠点で足利に殆ど行っていない
八幡町陣なんて伝説
足利荘内にある鑁阿寺の歴史も嘘
義国が下向したのは1150年、梁田御厨の争いなど解決済み
鑁阿寺文書や東大なんたら教授が纏めた足利史も嘘
義国下向の年月さえ古文書や足利猿の歴史書は嘘ばかり 山名は室町幕府からも足利一門の扱いを受けているよね 鎌倉時代は新田より山名の方が格上だったりするんじゃないか
ドラマには山名ワンシーンも出てないな
大舘や北条時行は脚本にはあったけどシーンごとカットされたのは今更知ったよ
撮影事態はしたんかね? >>219
まさか京都や梁田御厨から新田に行ったわけ?
凄いな・・・・ 新田は足利庶流の諸家のなかでのランクは最低レベルなんじゃないか?
治承・寿永の内乱期に足利宗家と別行動を取った矢田義清の子孫である仁木・細川が
一族でありながら家臣同然の扱いを受けていたことを考えると、新田も同様だろう。 頼朝につくかつかないかでその後の武家政権700年の地位が決まってしまうとはな。(得川は頼朝についた)。
そういう意味では建武の新政ってのは落ちぶれ者や新興武士にとってはビッグチャンスだったんだなと。 >>233
新田は足利庶流
そもそも、これが間違い
この間違いの前提で話をするから、おかしくなるんや メント内容 >>216
大河ドラマの中で、真田さんが橋さんに言っているね。桃井、そなたはいつからそんなに対等に物を言えるようになった!とね。 高橋さんは太平記の後すぐに死んじゃったね 惜しい俳優だった >>240
すぐって…。
流石に「太平記」の時には癌のがの字すらなかったんじゃないかな。 小さい頃にこのドラマを見てた影響でしばらくフランキーさんと高橋さんが嫌いだった >>242
当方も小学生のときに見て、悪役を上手くやっていて凄いとは思ったが、嫌いには
全然ならなかったけどなぁ・・・。 >>235
義国の男系子孫は基本的にみんな足利庶流でしょw 正成が大局を視て足利方についていれば
分断作戦の囮に義貞が騙されなかったら
孤立した軍が楠木軍ではなく新田軍だったなら
想像するときりがない。 真田さんが犬に追われるシーンは最高だった
うますぎる >>246
あれをスタント無しで、主役本人がやってるというのが、今では絶対に考えられないわ
怖すぎる >>245
手薄の楠木軍を追い込むなんて
尊氏は無慈悲だよな >>245
南朝側視点で見れば、そんなことよりも
北畠顕家を奥州なんかにやっていなければ
護良親王と後醍醐が仲違いしていなければ
赤松円心を南朝側につけられていれば
などだろ >>249
そんなことって・・・・
湊川の決戦
スレですから >>247
まぁ、一般人にはスタンドは観えないわけだし あの時期にはもう尊氏なり護良親王なりから
広域に大動員がかかっていて、鎌倉総攻撃の兵員が関東に向かっていた
数日躊躇すれば先祖と同じ出遅れ状態になっただろう あのときの義貞は、事前に尊氏から鎌倉攻めについての指示は受けていただろうけど、
尊氏の六波羅攻めが上手くいったかどうかの情報はまだない状況で挙兵しているよね。
きっと尊氏から挙兵を厳命されていたのだろうな。 >>245
楠木正成は人格も含めて過大評価されていると思う。
後醍醐天皇の赤松や東国武士の恩賞の差別を、
知っていたのも関わらず、
後醍醐に忠誠を誓うという美談で今に至るが、
自己保身で必死だったのではないか。 >>255
自己保身第一なら湊川なんて出陣せずにさっさと寝返ればいいのに 初歩的な事だけど
頼朝政権の勃興期の頃、足利氏って大族だったのかな
自立してたら、新田義重みたいに反目するか
北条から嫁をとったりしないとか・・・?
他の源氏が粛正されたから、結果的に鎌倉末期に源氏代表みたいになったとか? >>259
そらそうだろ
頼朝の命令で政子の妹が足利義兼に嫁いだんだし >>259
〉頼朝政権の勃興期の頃、足利氏って大族だったのかな
藤姓足利氏が没落してその領土吸収したからってのはあるかもね
〉他の源氏が粛正されたから、結果的に鎌倉末期に源氏代表みたいになったとか?
それもある、幕府滅びなきゃ次は足利だったろう >>259
当時の足利氏は義康が若くして没しその段階で義兼は幼い子供だったから仕方ない
そして頼朝挙兵の段階でも義兼は20代半ばで自分自身の実績はさほどあるわけじゃない
まあ母方の縁もあるし早々に頼朝に靡いたのは自然の成り行きなんじゃないかな?
もっとも義兼の異母兄矢田義清(仁木・細川の祖)は義仲に属して別行動をとっているが 足利が東国で自立するって幕府の支配に属さないってこと?西国じゃあるまいしそんなことできるわけないだろ。奥州と関東は鎌倉殿の管轄だぞ。 つうか治承4年の段階で頼朝が関東の大半を押さえてしまっているのに、下手に頼朝に
反抗するほうがハッキリ言って頭悪いだろう・・・。 志太みたいに敵対したり、新田みたいに帰参後に冷遇されたり
上総介広常みたいに粛正されたり
武田みたいに分割されたりしてないのは
源頼朝に優遇されるほど知恵がまわって
警戒されるほど大きな一族ではなかったからか?
なんて思ったんですよ >>259
板違い、嫌われ者、低民度、朝鮮人みたい >>264
それが藤姓足利氏だったわけで。
保元の乱では源義朝に付いたのに。
頼朝に反旗した原因は足利荘の争いではなく
新田荘なんだよな。 >>265
頼朝って、平賀・大内への厚遇とか、父親の時代からの由緒なんかをかなり重視する
傾向がある。
その意味からいえば、足利義兼の父義康は、早世したとはいえ保元の乱の頃には義朝の
盟友的なポジションだった人物だし、義兼は大人しく頼朝に靡く限りにおいては、
それなりの処遇には得られる立ち位置だったんじゃないかな? 逆に源氏一門という血縁関係のみでは過度の厚遇はしないんだよな >>271
そういう意味では足利尊氏や高帥直に近い
逆に足利直義は門閥重視 >>272
ただ直義が重視した鎌倉以来の名門御家人は、つまるところ頼朝に取り立てられた人々の
末裔なのが、皮肉だな。 まあ尊氏も、最初は鎌倉幕府を模した直義との二頭政治体制を認めていたわけだけどね。
南北朝の内乱の長期化が世の中を変化させたというのが、正解だろう。 桃井ってなんであんな威張ってるの?
討幕の時どこに居ったんだと もともと桃井は武闘派だったけど、頭脳派の直義に重用されたから、
自分は文武両道で優秀だと思い込んで気が大きくなったのでは? 直義の権勢が自分のものだと勘違いしたんだろう
コバンザメにはよくあることよ ドラマでは敵役だからそういう風に見えるようにやっていたけど実際の桃井は直義が死のうが直冬と決別しようが戦い続けた 北陸には斯波がおるから、生きていくには闘い続けるしかなかったんかね 当時の北陸は斯波・桃井・上杉と直義派の牙城だったのだよな。 素人考えだけど
尊氏対直義で
直義が勝っていたら、やっぱり足利氏だったのかなあ
三条直義なんて改姓はしないよなあ >>284
将軍は鎌倉幕府に倣って皇族を迎え、直義・直冬の家系が世襲の執権職の地位に収まるとか? 将軍の実弟なんだから自分が将軍になるだろ
唐の太宗や宋の太宗と同じだよ >>286
李世民と趙匡胤は一応名君とされてるけど
直義だと正直w 唐の太宋ぐらいは誰でも知ってるだろ
古典軍記ものは中国古典知ってるのが前提の話も多々ある
護良親王の生首とか
ドラマスレだから程々にだが 誰でも知ってる前提なら、なにを書いてもいいと考える貧弱脳 >>296
NHK的には慶喜と道三の間に聖徳太子→秋山真之も 南北朝の動乱の勝者は結果的には細川と上杉になるんかな 北条残党から鎌倉を奪回した後、
信濃で足利と新田のあ領地争いついての軍議の
兄弟喧嘩の緊張感はやはり何度観ても凄い。
演出・役者・台本の良さが凝縮されている。 尊氏と直義が対立した
ターニングポイントって何処だったのだろうね。 後継者の事を考えだして
「尊氏倒れても、弟直義がいるから足利は安泰」
なんて言ってられなくなった時なのかな 直冬がどうして九州などで勢力をまとめられたのか、
棒役者を見ただけではまるで理解できなかった そもそも尊氏が九州に落ちてからどうやって上洛するのか楽しみに
してたのに、ナレーションだけで済ませちゃったのが拍子抜けすぎた >>308
足利氏が再起して上洛を果たすとき
西日本関係、「少しは語られるかな?」って期待したんだけどな >>309
そこの所、正確に伝えようとすれば、1年では足りなくなるし、直冬が九州で決起した時、少しは九州の武将と軍議している場面も描かれていたので良しとしてください。 一色を九州探題と置いてくことについて「単なる名目じゃ」だっけ?
右馬介は創作人物なんだっけ?全く絡みなかったけどその辺掘り下げて、、、(100話あっても足りんわ) >>309
菊池も少弐も一色も、殆ど描かれてない時点でもう、ね
西日本関係は赤松すら山賊の大将みたいな扱い
桃井は結構重要なキャラ扱いだったのに 前半に少し内容を盛り込みすぎたんだな。
北条一族滅亡が6月最終回だったっけ?
しわ寄せでスケジュール押して、北畠軍西上と九州エピソードははしょらざるをえなかったんだろ。 尊氏が起つまでが長すぎ
まあ悩みまくってたのは事実だけど人質の回とかもう少し端折れたんでは、と思う 尊氏が起ってからは尊氏の独壇場だからな
宮方の見せ場が無くなってしまうw 鎌倉炎上という美しい回で前半を締めくくるために
仕方ない構成じゃないかな
あれ以降なんというか幻滅の日々だし 石なんかよりもストロング金剛さんとミスターオクレさんのその後が気になる 史実無視で石と藤夜叉(生きてる設定)が直冬の暴走を止めてたら神大河になってたかも 石まさかあれで退場だと思ってなかったから
その後毎回今日は出てくるかもとOP見てた記憶
花夜叉は出てきたが石はついに出てこなかった 石は、どこまで出てきたんだかな
石が最後まで出ていたら、過去スレで言われたように
直冬を諌める役とか
身内対決してる姿に「何やってんだ、足利の大将!」って激する役とか
描かれてたのかな >>327
石は不知哉丸を足利に送り届けるところで終了 足利嫌いの石は北畠顕家なき後養子に入り徹底抗戦
後に親房とともに神皇正統記を共著
北畠から大河内の苗字を与えられる 本放送の頃から知ってるはずなのに
脇屋義助役を石原良純氏が演じたということを
たまに思い出すと驚いてしまう >>331
良かったと思うよ
叔父の裕次郎より上手いし
楠正の弟より格段上だし ここでは石の退場の仕方がイマイチって感想が多いね。
でも、名も無き百姓の子が苛烈な体験をするなかで夢を持ち、現実の前に挫折し深い諦念と共に己の分を知って、表舞台から去っていく姿は悪くなかったと思うな。
惜しむらくはその姿が、表舞台から逃げられない尊氏と、もっとコントラストが強調されてれば良かったかなあ。 石そのものが要らない
尊氏に会ったり、後醍醐を先導したり、無駄キャラ 石いるわボケが。
それなりに幸せな花夜叉歌劇団が否応なく戦乱に捲き込まれていく様はこの時代の特徴をよく現していたと思う。
楠木正成の一時の平穏を農作業をして過ごす日々もよかった。 要る割には簡単に消えすぎだと思う。居なくてもストーリー上問題ないと思うわ。 ピエール瀧のフェードアウトも、数十年後ギバちゃんのように疑問になるんかね? 「太平記」のテーマが諸行無常ということなら、名も無き人、石の退場はあれで良かった気がするな。
晩年の尊氏が、かつての太守と同じく地蔵菩薩の絵を描くシーンといい、最後の「みんな、同じ時代を生きたのじゃ」というセリフといい、無常感はしっかり伝えようとしてた。 >>340
もし続太平記やるなら能面の彫り師になった初老の石を登場させてほしいな。 石の母親って本当に足利に殺されたのか疑問
テンパって大中黒が二つ引両に見えたんじゃないか。 >>344
石は、確かに家紋を見たのかもしれない。ただ、足利家も末端の足軽までは完全管理出来ないと思う。柳葉さんは奥州の安東家として配役したが良かったかも 石のピークは最初の矢を取りに走るシーン
あとはずっといらないキャラ 石こそ必要なキャラ。
一井の民が足利や戦を恨み時代に翻弄される様はドラマに厚みを持たせた。
帯刀を許され年貢を徴収する立場に
なった時の自己矛盾とか印象深い。 世界観を作る重要なシーンだったな
改善の余地が有る、なら分からんでもないけど、
必要が無いなんて事は有り得んw 風林火山の平蔵ポジションだからなw
でも、不思議と嫌悪感が湧かないのはギバちゃんの人懐っこさのおかげか
素晴らしい配役 北条時宗でいえば一番分からなかったのは木村佳乃の役 >>348
石って目線が現代的な庶民目線で
今との時代の断絶さみたいのをいちいち感じさせるキャラだったから
武士が格好いい世界に浸りたい人には邪魔ってのはあったかもな >>357
庶民目線ではあるけど、現代的庶民目線とは思わなかったな
直冬とか私本太平記の藤夜叉みたいな「足利尊氏の罪」を糾弾してくる存在
公私ともに尊氏は全部背負って戦って死んでいくんだ >>358
後半の尊氏は痛々しくって見てられない
これほど苦しみ抜いた大河の主人公はいないだろう >>360
最後の最後に究極的に非情な決断をしたじゃん >>361
遅いんだよ、遅すぎる。
頼朝や家康ならまず観応の擾乱は起きないよね。もちろん南北朝に分裂することもない。
決断が遅いせいで無用の大乱を招き天下を疲弊させる。これ政では下策中の下策。 「足利がたてば武士が集まる、新田では集まらん」
「武士は、公家の世にするために決起したのではない!」
なんて作中で語られたりするけど
尊氏は、結構追い詰められてたりするな
朝敵になるということに対する恐れかな
お前が足利方なら、俺は宮方につくなんて
領地争いで地方が不穏だったからかな 後醍醐も素直に足利に担がれて
成良親王を即位させて自分は上皇に納まってたら大覚寺統が続いてたのにね 頑として院政はやらなかったな後醍醐。
この時代は治天の君になっても所詮大覚寺統の家長でしかなくて皇室全体の治天の君ではないからかな >>371
戦国期は主に小作人の次男三男が足軽として領主に徴兵されたんだろうが、この時代はどうなのかな?
西洋みたいに諸国を渡り歩く傭兵集団みたいのがいたのかな?
花の乱に出てきた骨皮道賢なんかそんな口かな? 守邦親王
鎌倉炎上の時どこいたんだろうな
誰も言及してないのが不自然だった >>365
南北朝の原因となった両統の分裂は鎌倉時代の半ばから既に始まっているし、後醍醐天皇の
ような特異なキャラの天皇の存在も大きい。
要は頼朝や家康の時代に比べて、尊氏の時代では武家政権による朝廷のコントロール自体が
遥かに難しい状況なわけで、尊氏のケースを安易に頼朝や家康と比較しても意味ないよ。
観応の擾乱だって、南北朝の分裂がなければまず起こり得ない事件。 >>372
教科書的には足軽の初登場は応仁の乱のときとされているな。 ルー大柴さん演ずる骨皮道賢は、赤松残党の傭兵隊長みたいな設定だったな。名前だけみたら、架空の人物だと思ってた。 >>378
皇室の神々しさは、よく出てたな
個人的に、後醍醐天皇のイメージは
「精力的つけて、体力つけて、天皇親政を目指す」「妥協なんかしない!」
だから違和感もあった
まあ、皇室をそんな風には描けないかな
「朕も垢がでる」みたいな台詞と
鎌倉打倒が成った時の高笑いが限度かも 貞氏時代にも、
尊氏が日野と吊るんだ罪で幽閉されたタイミングで、
奥州征伐の命令が幕府得宗家からされたな。
新田義貞は足利を反幕府の見越しに担いで、
反幕府の奥州勢力と源氏軍を合体させて
北条を滅亡させようとしたが、
貞氏は乗らなかった・・・。
もしあの時に貞氏が挙兵していたら
面白かった。 >>380
あの辺の話って多くはドラマのオリジナルなんじゃない?
話としては、足利や新田の反幕府の潜在意識が倒幕の遥か以前からあったことを視聴者に
植え付ける意味でアリとは思うけど・・・。 千種忠顕って死亡シーンあったっけ?
いつの間にか消えてたんだが >>382
ない
しばらく出ない後道誉のセリフで戦死したことが語られた 久しぶりに見返したら堤大二郎の暑苦しい演技が面白いw
まさにベストオブ護良だわ >>384
ベストオブ護良っていうけど、堤大二郎以外の護良って見たことある? 皇子がどうしたらああいう育ちになるのか
血の気が多過ぎ
でもドラマ的にはあれでよい そんな脇役連中にいちいち死ぬところの見せ場用意してたら、話が先に進まねーだろ。 忠顕は影薄かったよなあ
隠岐で後醍醐の世話してたイメージが一番強い >>381
実話じゃなっかのね。
奥州征伐もなかったって事か。 やっぱりストロング金剛さんとミスターオクレさんにも最後の見せ場が欲しかったな >>393
奥州の乱自体は史実なのでは?
新田が絡んでくるのは創作だろうけど。 BSテレ東の「出発ローカル線 聞きこみ発見旅」見てて知ったんだが、
地元の方に赤松円心の記念館があるんだな。
普段は閉まってて、電話で管理人のおじさん呼ばないと見学できないというしょぼい施設だったがw >>400
本人が斎藤道三になる時代だからなぁ
全然イメージが違うと思うけど、時代が変わったということか >>399
安藤氏の乱かな。
宇都宮は奥州に行ったが
足利や新田が派兵されたかは不明 はて、まろには東夷の腹の内は読めませぬ。お上は御心が広すぎるようにござりまする。 楠木 リアル生首
名和 戦死体
千種 ナレ死
結城 存在しなかった
そういえば北条一門の死体はあまり見なかったような >>410
鎌倉炎上でみんな死ぬところはがっつり描かれたんじゃ?
赤橋だけナレ死だったけど 結城は尊氏が正成に根回しした護良親王包囲網の談義で登場し、無名俳優さんが演じている
「げにも」と言うセリフがある ドラマ見てると千種がドヤってると何かむかつく
名和と赤松は同じような顔して恩賞で明暗分けるのが面白い 公家で千種だけが三木一草と称される過分な褒賞を受けたのは何故、後醍醐の男色相手だったとか?
後醍醐の側近中の側近といえば四条隆資と洞院実世。日野の俊基と資朝も寵臣だが建武新政ではすでに生け贄になっていた。
しかし後醍醐の近臣には一門のはみだし者やあぶれ者が多い。 文観と賢俊が醍醐寺で権力争いしてるのが面白いな
文観はバックに後醍醐帝が、賢俊はバックに尊氏がいる
後醍醐帝と尊氏の宗教界における代理戦争 文観でも大河できるな
硫黄島や甲斐に流され復活して
エロ立川流で後醍醐と乱交パーティー >>421
文観って武市の親父だったのか!初めて知った >>417
過分というのは、あくまで元の身分に対してということでは? 実際そうだったから仕方ないが単なるスケベ親父にしか見えない文観 最初は親房に怒鳴りつけられてたのに最後では亜相殿〜と仲良くなってて笑った 坊門が正成を犬死にさせた事は
600年後に陸海軍の統帥権強化につながった事を思うと
坊門って凄い
坊門って旧帝国軍人の鏡 僧侶と言えばドラマ上では妙吉は尊氏亭から逃げ出した後どうなったんだろうな(´・ω・`) ちなみに文観さんの中の人の、ちゃんと頭髪があった若い頃はスゲーイケメン。
ハゲる遺伝子はどうしようもないみたいだから、息子の大森南朋のあの変な髪型はすでにハゲ隠しやってんだろうな。 再放送ないからうろ覚えだけど
安達泰盛って
太平記の1話冒頭あたりに出てた気がする 今思うと、太平記は初回から金かけてたなぁ
NHKの本気を感じる >>437
まずテーマソングがやべえ
武家と朝廷がガチでやり合う時代の不気味さがよく表れてる。 >>436
北条時宗 では 石がやっていたな
足利頼氏も出ていたし OP最後の日輪(にちりん)が分裂しそうなとこでションベン漏れるよな >>439
時宗は
長崎高資とか阿野簾子とか
オマージュキャスティングされてたからな太平記ファン向けに 太平記はドラマの本筋にはあまり絡まない役で
安達泰盛 加賀邦男
高師氏 安部徹
吉良貞義 山内明
夢窓疎石 田武謙三
など古参俳優が出てた >>426
金粉ショーだかを主催している人だっけ? 真田広之の演技力が半端ない
平成の初期は若手でもいい役者がいたんだな
緒形直人あたりからおかしくなった 表情の乏しいワンパターン演技で
さすがアクションスターだと思いました
独眼竜の忠輝とまったく同じ 二階堂のテレポーテーション
「この道蘊に兵を預けてくだされば楠なんて」
といって河内へ行ったと思ったら
足利の派兵出陣を見送る面々に二階堂が居る
そうかと思ったら新政で尊氏が声かけた集まりにちゃんと顔出してる 夢窓疎石は46回に出てくる(役名は「夢窓国師」になっている)
直義が政務から外されて出家した後幽閉されている場面で、
直義に直冬からの手紙を渡して直義直冬に好意的な話をしている
ドラマでは天龍寺の話自体は台詞で「先帝の菩提を弔うための寺を建てる」と
少し出てきただけでほとんど描かれなかったと記憶している オープニングの最後、滝が流れる映像をバックにしてのトメのクレジット
後醍醐天皇 片岡孝夫
これがカッコイイ >>445
何処に目付けてるんだ全然タイプ違ってたわ >>446
鎌倉での尊氏出陣シーンは、カットしてなかっただけで、鎌倉幕府が滅ぼされてからの参陣は史実。 お前ら知ってた、後醍醐役の片岡と義詮役の片岡が実の親子ってことを? 義詮といえば白い巨塔、織本順吉といえば仁義なき戦い・頂上作戦
人間関係グジャグジャのドラマに縁がある人たちだな 当時先代の仁左衛門が健在だったので、まだ孝夫名義だった。 キャスト調べてたら貞氏の正室とか出てんだね。この人は北条の娘で高義の実母だよね? >>460
流石は群馬の英雄
れ:歴史に名高い新田義貞さんだな 自分は地元出身の人間なので義貞は愚直な鎌倉武士の根津義貞で良かったと思う。
でも、初代のあの策士然とした義貞も、あのままいけばどうなったのか、未だにちょっと見てみたかった。
特に後半はどう描いたのか。
ご冥福をお祈り申し上げます。 俳優・萩原健一さん死去 「ショーケン」傷だらけの天使
https://www.asahi.com/articles/ASM3X7FN6M3XUCLV019.html
俳優の萩原健一さんが26日に亡くなったことがわかった。68歳だった。
所属事務所によると、萩原さんは、消化管間質腫瘍(しゅよう)で2011年から闘病していたが、容体が急変したという。 >>459
北条屋敷を訪ねた際
双六か何かに興じてる女性がそうかな >>468
ご冥福をお祈りします
倒幕前のギラギラした刃のようなショーケン、
政争に疲れ勾当内侍との悲恋の根津甚八、
二人共ハマってました 根津さんの不器用で無口な義貞もかっこよかったけど
ショーケンの不気味な義貞ももっと見てみたかったな・・・
最近は露出が減っていたとはいえショーケンの訃報はちょっと堪える 史実の尊氏が謎なのは、反南朝になってからも「尊」の字を捨てなかったことかな。
まぁ和議のために遺しておいたとか、完全に捨てたら悪評が立つとかいろいろあるだろうし
義元死後に一字捨てた元康→家康、新しい同盟者の信長の一字もらった賢政→長政が例外なだけかもしれんが、 >>477
あの噛み噛み少年も今はいい歳やなw
北条は平s、我らはgん氏、ゆmゆmry >>476
偏諱を主従関係の象徴と考えるような意識は、太平記の時代だとそこまでないのだろう。
あと尊氏は、後醍醐に対する個人的な感情は晩年まで変わっていない気がする。 高氏が北条から離反することなく元弘の乱が不発に終わっていたら
千寿王は義詮じゃなくて中先代さんこと北条時行から偏諱をうけて「行氏」になってたのかな
時行の読み方が「ときゆき」じゃなくて、楠木正行の「まさつら」みたいに
「ときつら」って読むんじゃないかという説もあるから
その場合「行氏」は「つらうじ」って読まれることになっちゃうんだよね。
なんか変な感じw >>483
鎌倉幕府が終わらなかったら高時の長男の邦時が継いでるんじゃないの >>483
if話に付き合うwのも何だけれど
時行って諱じゃなくなっていた可能性も考えられるからなー
高時舎弟の時興も泰家へと名乗りを変えているし 守時も守邦親王からだな。
元服時の烏帽子親なのだろう。 正中の変、元弘の乱、建武の新政、観応の擾乱、正平の一統、文保の和談、等と。
ほんっとにろくでもない時代だよなw
新元号がいい時代でありますように //tamehiro.hatenablog.com/entry/20080108/p1
逆説の日本史〈6〉中世神風編―鎌倉仏教と元寇の謎
作者: 井沢元彦出版社/ 小学館
――――
p.404 建武の新政について:
「建武」という年号は不吉だったらしい。
・「武」という字が兵乱を呼ぶ、不吉な文字だから。コトダマイズムの信奉者であった平安貴族たちの見解。
・中国では「建武」や「大武」という年号は普通だが、日本史では他に一つもないことを認識すべき。
・中国も日本も律令制であり、年号を持つが、中身はこれだけ違う。
・日本の歴史教科書では「言霊」という言葉すら載っていないが、言霊の影響は現在にまで残っている。
―――
【新元号】きょう11時半発表「安久」なら※ベちゃん色出し過ぎ?反発の声も ★2
/newsplus/ 1554082709/
新元号”令和(れいわ)”に決定!
asahi.2ch.net/ /newsplus/1554086511/
応仁や観応の応は大乱を連想するからNG だな。明治前の慶応もしかり。応という字は元号では結構使われている。 令月(何をするにもよい月)と「風和やわらぎ」を合わせ「このましく、やわらか」といったところか。
なかなか風雅で良い元号じゃん。
和は今回で歴代20回目の使用とのこと。 南朝と北朝の時の元号って
最近の歴史教科書や天皇家や足利
大嫌いな京都人は
どっちかに統一しているの? 元号か
後醍醐さんも倒幕後に光武帝に肖って建武と改元して張り切ってたのに直ぐに潰れちゃったね >>446
この二階堂って戦国時代に東北にいる二階堂の祖先? 「ねえ〜パパ〜、あの元号が二つ並んでる時代って何なの?」
「それはね、天皇陛下が二人いた時代なんだよ」 >>505
??「そんな時代はなかった、いいね?」 >>499
平和祈願の言霊の義に用いれる字はかなり少ない
維新後の近現代では画数の多い漢字も避けたい事情あるし…
===
//shirousagi.hatenablog.jp/entry/gyakusetsunonihonshi7/
2016-04-30
日本史
14世紀に鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇が政治の中心となりました。これを建武の新政といいますが、うまくいかずにすぐに崩壊し南北朝時代に突入します。同じ時代に2人の天皇が皇位につく異常な時代は、足利義満が将軍になるまで続きました。
後醍醐天皇が吉野に開いた朝廷が南朝、足利尊氏が擁立した光明天皇側が北朝で、最終的に両統が合一した後は北朝系が即位し続けています。しかし、明治天皇は南朝が正統だとおっしゃっていますから、現代では南朝を正統としています。
■北朝系の天皇が南朝を正統と認める不思議
先ほども述べましたが、南北朝の騒乱が終結した後の天皇は、北朝系から出ています。もちろん、明治天皇も北朝系です。それなのに明治天皇は北朝ではなく南朝を正統だとおっしゃっているのですから不思議です。
明治天皇が南朝を正統としたことについては、いろいろな噂があります。実は、明治天皇は替え玉で祖先は南朝系だったから、南朝を正統としたということを聞いたことがある方もいらっしゃると思います。
他にも、尊王攘夷運動が盛んだった幕末に南朝に仕えた楠木正成を忠臣として仰いでいた志士がたくさんいたから、その影響で南朝を正統としたのではないかと考える方もいらっしゃるでしょう。
しかし、作家の井沢元彦さんは、「逆説の日本史7 中世王権編」で、これらとは違う独自の見解を述べています。井沢さんは、明治天皇が南朝を正統とした理由を怨霊信仰だと考えています。
日本は古来から怨霊信仰が盛んだったというのが、井沢さんの日本史全体の捉え方です。そして、明治天皇が南朝を正統としたのも、怨霊信仰が根底にあるからだと。
■乱世を描いているのになぜ「太平記」なのか?
南北朝時代を描いた作品に太平記があります。
太平は平和の意味ですから、太平記は平和な時代を描いた物語となりそうです。しかし、その内容は題名とは異なり、半世紀にわたる戦乱を描いたものです。
乱世を叙述しているのに太平記。これがまさに言霊信仰の表れなのだと、井沢さんは語っています。
日本人は、意識していなくても言霊(ことだま)を信仰しています。遠足の前に「雨が降ったら嫌だな」と口にして、本当に雨が降れば、「不吉なことを言うから雨が降ったじゃないか」
と責められるのが、まさにこれに当たります。「雨が降ったら」と言って雨が降るのではないとわかっていながらも、それを口にした人を恨むのが言霊信仰なのです。
南北朝時代は、今よりも科学が進歩していませんから、現代人よりも言霊を信仰していたでしょう。だから、南北朝の動乱を描いた物語に「戦乱記」と名付ければ、それが現実のものとなってしまうと考え、
編纂者はあえて内容とは正反対の「太平記」と名付けたというわけです。そして、口にしたことが現実になるのですから、題名に太平記と名付ければ平和な世の中が訪れる、そう願ったと考えられます。
>>508
コピペの駄文長文は
じいさんのブログで
やれ 二階堂を調べたら御内人じゃなくて藤原姓なんだな。びっくりしたわ。 井沢元彦なんか読んでる奴は、スレのレベルが下がるから来て欲しくないな。
永原慶二か佐藤和彦でも読んで出直してこい。 後藤久美子は一つも演技力が進歩しないまま嫁に行った… >>510
二階堂の先祖の二階堂行政って、大江広元や三善康信と同じような感じで頼朝に召し抱えられたのでは? 違うぞ、行政は頼朝のかーちゃんの従兄弟、つまり親類
足利義兼の実の祖父も従兄弟だ
大江広元は、元々は三河の藤姓熱田大宮司家の家来らしい
親類と家来では大違いだ
系図で確認してみろ
D藤原季兼
・藤原季範(蔵人所雑色、初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→Eへ
・藤原憲実(法眼)→藤原仲経(九条院蔵人、玄番助大夫、美濃国土岐多良庄地頭)
・女子→二階堂行政(鎌倉幕府の政所令・後に別当、初代二階堂氏)
E藤原季範
・藤原範忠(後白河院上北面、大宮司、三河国滝山寺大檀那、室は美福門院女房上総)
・藤原範信(式部丞、上野介、大宮司(星野大宮司)、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))
・藤原範雅(後白河院上北面、大宮司)
・藤原範綱(大学助大夫)
・藤原範智 (法眼、園城寺)→三位局(源実朝御所縫殿別当)
・三河祐範(法橋、三河国滝山寺、園城寺、頼朝伊豆配流時代の支援者)→任憲(三河国滝山寺)
・粟田口長暹(法眼、三河国滝山寺、仁和寺、守覚法親王近習)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
・女子→源師経(三河権守)室→女子(崇徳院妾)
☆由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進、征夷大将軍)
★女子(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人、上総介)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護) 三善康信のは母親は頼朝乳母の妹らしいが
仮に山内尼とすれば、為義まで遡る乳母父、乳母の繋がりだわな
これは準親類と言っても良い
つまり、コレも三河繋がりだ
首藤氏(山内首藤氏)まとめ(乳母父、乳母について) 
■源為義乳母父:首藤資道 
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈)) 
■源義朝乳母:鎌田通清(初代鎌田氏)の嫁 
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→鎌田通清(初代鎌田氏)→政清(源義朝乳母兄弟) 
■源頼朝乳母:山内首藤俊通(初代山内首藤氏)の嫁(山内尼) 
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→親清→義通→山内首藤俊通(初代山内首藤氏)→経俊(源頼朝乳母兄弟)  二階堂行政のかーちゃんは、三河に住みながら尾張目代を務めた季兼の娘だから、行政のかーちゃんの実家は三河だったわけだな
ココで豆知識だが、行政のばーちゃんの墓は三河県新城市にある
松御前が葬られた塚
http://www.net-plaza.org/KANKO/shinshiro/hito/matsugozen/index.html >>511
ドラマ板でなにを言ってんだ?
お前がどっか逝け 二階堂について調べてたら熱田大宮司がチラッと目に入ったからスリーリバーが来そうな気はしてたw 美濃や尾張ならわかるが、なんで三河が「三河」なんだ?
そんなに大きい川が3本もあるか? >>518
>>508
>>三河屋
ジジィ達はお薬のんで
ハヨ寝てね 旧国名や郡名の漢字は元の音に良い意味の漢字を当てているから、
その漢字が意味するところが由来とは限らない 見える 俺には見える
尊氏に恩義を感じた赤松は
子孫代々足利に忠誠を尽くすのが >>515
補足説明だが
・藤原範智 (法眼、園城寺)→三位局(源実朝御所縫殿別当)
・三河祐範(法橋、三河国滝山寺、園城寺、頼朝伊豆配流時代の支援者)→任憲(三河国滝山寺)
尊卑分脈の法眼範智の伝に「藤九郎盛長〃人云々」の記述がある
恐らくこれは安達盛長の事であり、三河祐範が頼朝に付けてやった侍従とは安達盛長の可能性が高い
つまり、頼朝が信頼を置いた安達盛長、大江広元、二階堂行政は全て、三河の藤姓熱田大宮司家の縁者なのである 大神神社社殿曰く、三輪山の奥の院は石巻山である
石巻山の古代の呼び名は神山(ミワヤマ)
三輪山と名付けたのは三河の三輪氏である
三河とは、三輪(ミワ)の間にカを入れてミカワ
ただこれは確証ゼロだ 元号、隷華、輔臣とか従華だったら尖閣にいちゃもんつけるのやめて竹島も認めてくれるかな >>529
補足説明だが
古代大和国は三河がなければ存在しなかった
つまり大和国の三輪氏は三河出身と事になる
三河とは大和を造り
イコール天皇家を造り
頼朝鎌倉幕府を造り
尊氏室町幕府を造り
家康江戸幕府を造り
トヨタを生み出し現代日本を造った
こんな国はどこにもない
つまり大和も奈良も京都も東京も
三河の奴隷で
足利や鎌倉の関東なんて
三河の植民地だよな >>449
ドラマのオープニングのクレジットってさ、トメとその1つ前辺りが一番カッコいい気がする
曲を聞いてて気分が高揚するからかね?
だから犬神家の一族のOPの三木のり平と岸田今日子、三国連太郎と小沢栄太郎とかもイイ
但し曲自体が良くないとカッコよさも半減するけど 新田荘歴史資料館はかなり凄いんですが
新田義重の譲状も
新田岩松の大鎧もあるまする
義重兄弟に足利義康の古文書も鎧も
存在しない事を考えると凄いですう
観光に来てね 置き文:タダヨシ ヲ コロセッ モモノイ ヲ ツブセ 足利大夫、足利冠者等、義康を足利とした記録が無い以上、京武者たる源義康で間違いないべ
例えばだ
三河の藤姓熱田大宮司家の祖、藤原季兼は三河四郎大夫と号したわけだから、三河季兼であり、その息子の額田冠者の季範は額田季範である
ここで豆知識だが
三河の源頼朝は、熱田大宮司季範の血を引いていない話がある
由良御前は、蒲郡市の八剱神社の神官だった季兼の長男、季頼(三河五郎)の娘であり、弟の季範の養女になった
場合によっては、源頼朝は三河頼朝になっていた可能性もあったわな
まとめるとこうなる
藤原季兼(三河四郎大夫)
・藤原季頼(三河五郎、八剱神社(三河県蒲郡市)神官)→由良御前→源頼朝
・藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→女子→足利義兼
・藤原季成(勘解由丞季成、蒲神明宮神官)→当麻五郎貞稔(源範頼乳母父)→当麻太郎
・藤原憲実(法眼)→藤原仲経(九条院蔵人、玄番助大夫、美濃国土岐多良庄地頭)
・女子→二階堂行政(鎌倉幕府の政所令・後に別当、初代二階堂氏)
三河という苗字は長男が継いだわけだな >>531
チミは誰だよ
ボキはそんな行間の空け方はせんぞ
ボキらスマホで分かりやすくがモットーの空け方をする 三傑の出身地なのに誰もが本拠地を移転させた愛知県
家康とか隠居所を駿府にしたあたり、ガチで三河が嫌いだった気もする 自分で自分に突っ込み
ボキする三河屋
いやらし過ぎ >>527
「山背」は平安遷都時に「山城」に変えたのだっけ?
三河と参河
一岐と壱岐
六奥と陸奥
この辺は本来どちらの表記もありかな? 北畠親房が高師直のことを「こーのもろのお」って発音するのがなんか好き 源義家は陸奥守なのに、わざわざ出羽国に出張していって、清原氏を滅ぼした
ということなのか? 鎮守将軍は、陸奥国と出羽国の両国に駐屯する兵士を指揮し、平時におけるただ一人の将軍として両国の北方にいた蝦夷と対峙し両国の防衛を統括した。管轄地域を同じくする陸奥守や陸奥按察使が鎮守将軍を兼ね、政軍両権を併せることもしばしばあった。
鎮守府将軍 - Wikiwand
http://www.wikiwand.com/ja/%E9%8E%AE%E5%AE%88%E5%BA%9C%E5%B0%86%E8%BB%8D >>572
それだと出羽守の存在意義がアレだね・・・。 陸奥における鎮守府将軍=出羽における秋田城介
かと思っていたよ・・・。 秋田城介と明記した初見史料例は,《陸奥話記》記載の平重成。前九年の役以後,城務は鎮守府将軍の兼務とされ,秋田城介補任は行われず,北奥羽の奥地の中世的郡郷制や蝦夷地の編成は,鎮守府,平泉を通じて推進された。 ショーケン他界につき一話から観てるよ
こんな鎌倉アァァァっ!
真田広之イケメンすぎるw
そりやモテるわwwww >>576
秋田城介って、出羽介が兼ねるんじゃなかった? 伊勢神宮で天皇陛下がやってるのは退位(譲位?)の儀式か?三種の神器の2つ持ち出して娘さんの内親王が斎宮みたいなことやっててビビったわ。
退位され新院になられたら即座に皇室典範の規制から解放されフリーになられる。令和元年になった瞬間に院宣が下される可能性もある。おのおの、抜かりなく。
新院と新帝の権威のバランスがどうなるかも目が離せない。 現代では天皇の宣旨だって出されることはないのに、院宣なんてあり得ないよ。 今の所上皇(と上皇后)の規定は典範に無いけど、皇位継承が出来ず(重祚の否定)皇族会議議員に選出されない皇族扱いらしいので
天皇が皇族全ての長となる現行典範では、上皇は法的に天皇を凌駕しないと類推出来る。
また勅命は戦後現行法制下では基本発令されないので、明治法制の時点で不存在となった上皇による院宣は尚更法制化されてないから法的根拠・何等かの法的権限も有しない。
が、今上の人気は当代東宮より上なんで上皇になっても余り表にお出になると
ちょいと人気の面で新帝は霞み勝ちになるかもしれない。 そうか、治天の君は大日本帝国憲法で消え去っていたか。
せやねんな、院宣に強制力や法的根拠はない。しかし前の天皇が出される公的私的なコメントを忖度する奴は必ず出てくる、もしかしたら政党が忖度するかもしれない。前の天皇には精神的な権威があるからね。
院宣を実行するのも自由、無視するのも自由やねん。もちろん院宣を出すのも自由。上皇には現憲法の規定がないからね。 まず表にでないし私的なコメントすら出さないと思うよ そうか、いずれ平成上皇と呼ばれるようになるのか
胸が熱くなるな 確かに上皇という名称を使うって案出てたけど、あれ決定? >>592
上皇で決定。太上天皇の略の上皇でなく、上皇という新名称。
そのせいか当今皇后も皇太后でなく上皇后。別に皇太后でいいと思うけど上皇后。 院宣は院が出す宣旨なわけで、近代以降の法制では宣旨自体があり得ないのに院宣はないよw おお、知らなんだ、決定したのか
なんか上皇って単語から来る固定概念変えなきゃいかんと言うか、
いや、歴史のお勉強する時と切り離して考えなきゃならんとか、
色々面倒だね 院政をやるなら院庁の整備から始めないと。優秀な蔵人も必要だ、烏丸や葉室の子孫は生きているだろうか。まあ院宣を出せば即座に馳せ参じるだろうが。
そして院政と密接不可分なのが荘園。みんな大好き八条院領や長講堂領を復活させるのが手っ取り早いね。 >>595
上皇は現在の赤坂東宮御所に移從の予定なので、東宮御所の改造が終了したら仙洞御所の名称に変更。 重祚で思い出したが、後醍醐は重祚じゃなくずっと天皇だったという認識なんだよな。
笠置や隠岐に御幸(旅行)してただけで退位してないという。
しかしまてよ、しょっぱなの乱に敗れた時三種の神器を渡したはずだが、あれはいったい? 上皇だの院政だの3種の神器なんか
太平記とは全く関係ない
ここはドラマ太平記を語るスレ
歴史板でやれよ 建武政権が崩壊しなければ、ゆくゆくは後醍醐も院政に移行したのかなぁ いやー後醍醐は終身親政でしょうよ。子や孫はあっさりと院政やってるけどね。 >>608
そらないわ。
本人北朝方から「後醍醐院」と院呼ばわりされて怒った位だから、生涯現役にこだわりあったもの。 >>601
上皇(治天)にとっての院庁は、天皇にとっての記録所に相当するものだから、今や
記録所もなかったのに院庁を置くのは無理だろう。 近代に終身天皇制が始まって後醍醐は草葉の陰でほくそ笑んでいるだろうな。ほらー朕のやっていたことを400年後にやっているではないかー、とな 退位と譲位はどっちが正しいの?
メディアは退位が多いようだけど天ちゃん自信は譲位を使ってる。 >>613
退位か譲位かはともかく、『生前退位』は不味い表現の模様。 >>614
「譲位」だと、天皇の退位と次の天皇の即位に先の天皇自身の意思が介在する表現となるので、現行憲法ではまずい。
天皇の位は、あくまでも主権の存する国民の意思によるものだから、天皇自身が譲るなんていう概念は端から存在しない建前。
今の天皇は、即位時に憲法を守り、象徴天皇として役目を果たすと宣ったが、自ら「譲位」を何度も用いており、実は憲法や国民を蔑ろにしたんじゃないかと思う。
しかも、行事や儀式の時に泣きそうになるし、結局は憲法よりも自らの「天皇道」しか見えず、耄碌してきたんだろう。
はっきり言えば、天皇が不例でも、国事行為臨時代行がいるので、誰も何も困らないので、今回の退位自体、彼の仁の焦り、我が儘を感じる。 >>613
単なる言葉遊びの類いで、退位でも譲位でもどちらでも良いと思ってる
>>615
代行を立てるよりはスパッと次代に譲りたい、ってそんなに我儘かね?
ていうか天皇だって天皇である前に1人の人間なんだし、隠居して穏やかに余生を送って当然の年齢だろうに >>612
後醍醐の時代からだと、明治維新まで500年以上あるよ。
>>615
ネトウヨ乙 陛下のお言葉を噛みしめなさい。
「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。
また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,
生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,
これまでにも見られたように,社会が停滞し,
国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,
重い殯もがりの行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,
その後喪儀そうぎに関連する行事が,1年間続きます。
その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,
行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に
置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,
胸に去来することもあります。」
http://www.kunaicho....ge/okotoba/detail/12 生前退位がいいよね。令和の発表は盛り上がったし。
記憶が曖昧だが、昭和から平成は何かばたばたしてた印象。昭和天皇崩御と今上の即位が同時で平成を祝うよりも昭和天皇の葬儀の連続で重い雰囲気だった。 >>615
つーても摂政に対して大正天皇以来皇室はある種のトラウマになってるから、中途半端に摂政や国事代行する位なら
譲位した方が世代交代になるからマシ、と思われた今上の思いも納得出来ない事も無い。
それに現代は天皇に政治権力が無いので、治天の君として権力を振るう上皇にも戦前の各種政治大権を有した天皇でもないから
譲位して上皇になっても障りが少ないってのもあるな。
太平記の北朝は短期間ですぐ譲位しちゃうし、南朝に拉致されるし、院宣も神器も欠いて皇太后叡旨で践祚とか結構無茶苦茶なんだよな。 >>623
摂政は実際には置けない。
(置いたら、天皇が人事不省でもう治る見込みなしと宣告するようなもので、見方によれば残酷。設置要件が非常に厳しい。)
しかし、国事行為臨時代行は何度も実績があり(天皇が海外へ視察に出たときなど、皇太子がやる)、今の天皇自身、臨時代行のまま即位にいたった。
今の天皇、ちと自分に酔いすぎの感なきにしもあらず。
しかも、物申す人が周囲にいないようだ。
あと、改元も、我が儘いわずにこの元旦か来年の元旦にすべきだった。 >>619
理屈が全く通ってない。
自分の思い込みに過ぎぬ。 >>624
あー、踰年改元はアリだとは思ったな。無理に本年中に改元せず、半年位前に新帝の御璽を頂いて政令で来年元日改元にすれば済むだろうと。
元号法は即位に伴い改元、であって細かい改元日程まで定めてないから、その辺自由が利くし。
でも改元のタイミングは今上の叡慮でなく、完全に行政府が考え都合によって判断した事だから
そこまで今上のせいにしちゃいかんだろ。 天ちゃんのおことばで時限立法ができたくらいだから、これからはこれが先例になっていくだろうな。
秋篠宮さんも高齢で即位は嫌だと言うてるし。
>>623
女院も院だから譲国の儀は可能というのが二条良基の論理だな。 >>626
昨年の新聞記事を読むと、政府は国民が元号を使いやすいよう、今年の元旦の改元を考えていたが、宮内庁側(ぼかしているが今上天皇)はそれに反対していた。
理由としては、
・即位30年を在位のままで迎えたい
・元旦は行事が立て込んでいる
ということ。
後者はリスケジュール可能だし、国事行為としては大した時間、手間を要しない。
前者を何としてもという気持ちが強かったのだろう。
また、皇室行事の改元奉告も前もっていくらでもできるので、単なるテクニカルな問題でしかない。
結局、政府・官邸側が折れ、中途半端な5/1からの改元となる。
今上天皇は後醍醐並とは言わないが、後水尾天皇に近い気質を持つお人だろう。
我が道に固執して、視野が狭くなってしまう。 禁中並公家諸法度よりも何倍も厳しいのな近現代の憲法は 後醍醐天皇には何人の皇子が居たのやら この点もすげえ
むしろ廉子がすげえのか >>633
禁中諸法度とか近現代の憲法など出されましても、このスレの主題である太平記の鎌倉末〜室町初の
ほぼフリーダムワールドに取りましては比較しようもありませぬでな。
鎌倉の圧力が衰えたら、アソコまでやりたい放題のグダグダになって行くんだもん。 >>631
>今上天皇は後醍醐並とは言わないが、後水尾天皇に近い気質を持つお人だろう。
我が道に固執して、視野が狭くなってしまう。
スレ違の上
大バカ無知痔老人
発見 >>637
美しいと思っていた御方が、じつはそうではなかったという実例だよ。
NHKのスクープとお気持ち表明で、今上の底意が見えたわ。 古い木切れでも神だったのかもしれない
このドラマの最後に尊氏が辿り着く境地が秀逸 >>634
廉子所生の皇子って、恒良・成良・義良の3人だけでは? 尊氏の「そう思わねば…そう思わねば…」という悲痛な叫びが、まさに夢多き青春の終わりを告げる最高の演出だった。 >>938
お前、周囲のひとから嫌われてるだろ
周囲にひとがいれば、の話だがな >>638
オジィちゃんは
妄想書き込みしないで
お薬飲んで病気直して
ハヨ寝てね 儂の犬は檻のなかにいるから可愛いのじゃ・・・。
噛みつく者は檻のなかがよいぞ、檻のなかが! >>651
これって高時のセリフ?
「だから足利を外に出すな!!」と言う金沢のセリフに繋がるわけか >>653
円喜が道誉に背後を突かせるって
最後に脅しまでかけたけど
なにしろ道誉だからなw >>654
そもそも道誉を信じるなと
それすら見えてないから負けるんだよ
実際寝返るし
家族はどうなったのか分からんがうまく逃したんだろう
結局貞顕の危惧が一番正したかったという 鎌倉にいた佐々木判官の一族で、逃げ遅れた者は殺されてる。息子も孫も。 平成天皇は後醍醐か後水尾天皇に近い気質を持つお人。
我が道に固執して、視野が狭くなっていた。
時期天皇は視野を広く持ち政務に携わる事を願うばかりだ。 天皇陛下は30日、退位される。午後5時から皇居・宮殿「松の間」で行われる国事行為「退位礼正殿の儀」に臨み、天皇として最後のおことばを述べる。象徴のあり方を追求し続けてきた「天皇としての旅」を終え、平成は30年と3カ月あまりで幕を閉じる。
5月1日午前0時、皇太子さまが皇位を継承する。天皇の退位は江戸時代の光格天皇以来202年ぶりで、憲政史上初めて。退位後は上皇となり、上皇后となる皇后さまと共に公務から退く。 剣璽等承継の儀、これがいわゆる昔の践祚に当たるのかと思ったが少し違うのな。三種の神器のうち剣と勾玉の2つだけなんだと。あと1つの鏡はどこいった?三種の神器はきちんと継承しないとあの人やあの人みたいに周囲に馬鹿にされるんじゃないのか? >>665
剣璽等承継の儀は旧名剣璽渡御。
剣璽渡御は先の天皇から東宮の在所に遷す儀式で、行列を伴う行事だった。大正以降は剣璽を新天皇の側に持って行く形式になった。
この剣璽渡御が目に見える践祚儀礼であり。そしてそれに倣う剣璽等承継の儀が現代における践祚になる。
剣璽渡御の頃から神鏡は内侍所(現在賢所)から不動で動くのは剣璽のみ、奈良時代までは即位礼で高御座に登り姿を見せた時に特定の豪族が神鏡と神剣を捧げる儀礼をしたが
平安時代には一切神鏡は動かさず剣璽のみ天皇の側の机に置く現在と同形式に変わっている。
神鏡は平安時代から即位に伴い動く事は無い。 へー、じゃあその動かしてはならない神鏡を動かした平家や後醍醐は大罪やないか! 今回の代替わりは譲位だから、践祚と即位は同時と考えてもええのかな
歴史的に、承久の乱のときの仲恭天皇以外に、
践祚はしたけど即位できなかったって例はあるんだろうか >>656
ドラマだと坊主頭でなかったり若々しかったりするけど
史実的には、倒幕時点で孫もいるのかな >>667
それは践祚に伴う神鏡動座でなく、遷都や天皇が都を長期離れるからの動座。
後醍醐の場合は神器を全て手元に確保する政治的必要があったからの動座で、事情は全く異なるし践祚に伴う動座ですらない。
先に書いた「神鏡は不動」とは、平安以降践祚儀礼で一々神鏡を動かさないの意。
即位儀礼だと大正・昭和のみ登極令の規定で動座してる。
>>668
一応践祚した事で即位になる、が
即位礼・大嘗会も出来なかった天皇(恐らく後醍醐以降の南朝歴代とか)、即位礼は何とかしたけど大嘗会は出来なかった天皇(戦国時代から江戸中期)というのは結構いる。
践祚で即位にしないと南朝は天皇になったかどうかアヤシクなるので、そうしとかなきゃいけない事情もある。
ただ大嘗会は最重要祭祀だったけど、戦国時代には即位礼のみ行いその資金集めに奔走した事からも
戦国時代から江戸時代は即位礼の方が重かったといえる。 退位礼正殿の儀を見てたが、剣と玉+御璽だったな。これが明日の次代の天皇に継承されるのが現代版の践祚か。胸が熱くなるな。俺たちは歴史の目撃者だ。 >>664
松平定信は、光格天皇の初期に起こった尊号一件で、将軍家斉の不興を買って
失脚しているから、光格天皇が譲位する頃には既に政治的には過去の人になっている。 >>671
そういえば二条良基は、
「尊氏が剣となり良基が璽となる。何ぞ不可ならん!」
と言ったのだよな。 >>667
践祚や動座で言葉遊びする以前に
レプリカ造って高笑いしていたからな
大罪だわ >>670
1687年の東山天皇のときに大嘗祭が復活したはずなのに、次の1709年の中御門天皇のときは大嘗祭をやらなかったのは何故?
理屈屋の新井白石あたりが横槍でも入れたとか? 現代版践祚も滞りなく済み新天皇が即位された。まずはめでたいこっちゃ。そして上皇様はお務めご苦労様でございました。 >>685
かつげる帝であればどんな帝でもよろしかったのではありますまいか
例え木の帝であれ金の帝であれ
みたいなやつ?
師直ズバズバ確信突くなあと思った だいーぶ前に太平記ゆかりの地巡り教えてって質問した者だけど先日バンナ寺と足利学校行ってきた
お土産屋さんに真田広之さん着用の鎧甲冑が飾ってあっただけであとは全然太平記感なかったな…
もっと太平記ロケの記録展示とかあればいいのに やっぱりみなさん鏡が気になってたんだって。テレビでもやってたよ。
剣璽等承継の儀に合わせ、皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る皇居・宮中三殿の賢所(かしこどころ)では「賢所の儀」が行われ、陛下に代わって祭祀(さいし)をつかさどる掌典長が拝礼した。
宮内庁によると、賢所に安置された三種の神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」(鏡)を継承される意味があるという。
鏡はあまりにも神々しすぎて庶民には見せられない代物らしいぜ。 だって太平記の鎌倉末の時点の鏡、とっくの昔に小さい破片だけになってたのに。
当然今の賢所にあるのも、小さい破片が石匱に入れてあるだけだし。 北条氏の序列って どの順番なの
得宗>赤橋>金沢でいいの? >>690
足利宗家>斯波氏>畠山氏>高氏が
得宗>赤橋>金沢>長崎
みたいなものじゃね? >>692
一行目
ちょっと何言ってるかわかんない(´・ω・`) 孫である足利義満の大河、もしくは世阿弥から見た足利政権の大河を早よ見たい 今もし太平記を映像化するとしたら。
北畠顕家は誰がいいだろうか? 後藤久美子は凛々しかったがやっぱり女にしか見えなかったな
弓が強そうに見える人じゃないと
今なら中川大志辺りじゃない 北畠顕家は女性アイドル枠だろう。数年前ならマインちゃんの人とか。 前回は大河黄金期の勢いでやるなら今しかないで良い物作ってくれたけど
今は連敗中で大河存亡の危機だ
どうせまた幕末戦国の連打だよ >>702
なぜ、元ボンドガールが
と一瞬勘違いしたじゃないか >>702
浜辺美波はたしかに美人だが常に泣いているような顔をしているからなあ。 >>701
来年は戦国物だけど
池端俊策だから
密かに期待 >>709
令和の出典の大伴旅人(家持の父親)は奈良時代の人物だけど・・・。 >>697
神木隆之介か、三浦春馬あたりがいいわ
ごり押し松坂桃李だけは絶対に嫌 >>712
歳行き過ぎじゃね?松坂は直冬が合いそう サニーの息子が中々の美形で顕家にぴったりな希ガス
新田なんちゃらって子 >>709
モックンの「聖徳太子」とか、視聴率がとれると思うか? >>718
モッくんは慶喜で爆死してないっけ?(今時なら上々と言われる範囲だけど) どうせ最近の大河なんて視聴率右肩下がりなんだから色々な時代をやってほしい。卑弥呼や太平洋戦争でもいいよ 個人的に好きなのは13代義輝だが、大河としては6代義教を見たい
赤松満祐との確執など見所がいっぱい >>725
直冬なら終盤にしっかり登場していたが・・・。 竹若丸?なら出てないな
無論、尊氏兄の高義も出てこない >>730
と思ったけど高義は原作の私本太平記にはセリフで言及されてるだけだったかもしれない
竹若丸はドラマでは>>727の言うように完全に抹殺されてた >>733
ドラマでは高義の存在も完全無視だったよ。 >>734
尊氏から義満までに共通する顔の特徴は垂れ目だな。 竹若丸をドラマ抹殺は残念だが
尊氏の側室で竹若の親の加古氏一族の無視はもっと残念 大河ドラマは解説書じゃないからな
むしろ本筋と関係が薄い所は積極的に端折っていくべき
変にこだわりを持って細かくやったら清盛みたいに視聴者にそっぽを向かれる 古典太平記なら出せるけど一年間の大河ドラマに竹若と母ちゃんまで出せるかよアホらしい。多々良浜合戦さえ削った大河だぞ >>741
再三話題になるが、一回きりの登場人物ばかりになるし、描きようがなかったのでしょう? >>742
>一回きりの登場人物ばかりになるし
そういうのは友情出演的な大物俳優とかを使えば良かった。 大御所て誰やねんと考えた、尊氏かよ。
大御所といえば家康だよな。
麒麟だったら義輝で殺陣やって華々しく散っていったらいい 道三で期待してたら千種卿だったし剣豪将軍はいいかも
後は松永弾正を判官殿でぜひ >>747
判官さんは見るからに食わせ者でありながらホントのところは実直というキャラだから陣内でいいけど、直家とかに起用されると、こんなあからさまに怪しい奴に騙されないだろ、と思ってしまう。
直家や久秀は児玉さんみたいな誠実そうな人に一回やらせてみてほしい。 >>738
加古は足利出目で
代々足利豕に仕えていたはず。
高氏みたいな家だった スレ違だが俺は面白く観てる。家族はテンポが速過ぎて着いてけないと脱落したけど 古典太平記では竹若丸の死と、
尊氏の嘆きについて結構書かれているな。
義詮を優先するため内部密告で殺害されても
不思議ではないかも。 >>748
そもそも判官みたいなキャラはなかなかいないからな。 >>749
加古は足利のド田舎だと認めるが
高氏の本領地は代々三河
無知な関東猿よ
良く覚えておけ 遡ると、もっと古いぞ
高氏の祖、高階惟長は菅生郷の郷司であり、嫁は大江広元の娘だった
菅生郷には徳川家康が生まれた岡崎城があるが、城が出来る前は稲前神社(式内社)があった
この稲熊神社(式内社)は、高氏によって、近くにあった高氏の屋敷内に遷座したらしい
恐らく、岡崎城の前身の砦みたいのを作る為に遷座させたんだろう 道根往還
http://www.city.okazaki.lg.jp/910/1765/p021380.html
実はこれは、菅生郷の籠田にあった高氏の屋敷と山間部にあった比志賀郷を結ぶ道だったのではないかと言われている
途中に、足利義氏が再興させた高隆寺がある
まぁパワースポットだわな 先日、パゴヤに所用があって、愛車BMWi8を走らせていたら、七所社と言う神社が目に入った
とりたてて立派な神社でも無いが気になってググってみたら、神主が吉田某という足利一族らしく驚いた
石橋和義のと〜ちゃんの三河国吉田を本貫とする吉田義博の流れらしい
閃きが知識を深めるので、皆も努力するように >>762
宗良を祭る井伊谷宮は、幕末の因縁で薩長主体の明治政府から睨まれかねない井伊家が、
南朝の皇子を保護した勤王家の家系であることを主張するために造ったもの。 >>760
補足だが、吉田氏は足利一門の三河が本貫地
三河には吉田氏の由緒ある神社仏閣もあり、
バコヤを植民地にしたらしい
熱田神宮や鎌倉、足利と同じ三河がやった
植民地化政策の一環 宮崎萬純の勾当内侍は本当に美しい
でもこれってやぱり、後醍醐帝のお下がりを義貞がもらったことになるのかね。 そりゃあんた、後醍醐帝が手をつけたからこそ箔がつくわけで。義貞も帝が手をつけた姫だからという政治的な野望も折り込み済みよ。手をつけてないとただの身分の低い公家の姫ってだけで利用価値は薄い。
現代の感覚で考えてはいけないよ。
これが西園寺の姫とかなら尊氏も飛びつくと思うけど。当時随一の権門家の西園寺ね まあ後になってくるとそういう政治的な計算がなかったとは言えないが、
やっぱり最初は垢抜けない田舎出身のぼくとつな男が都会に出てきて、
洗練された美人のお嬢様に一目ぼれという図式なのでしょう。
だからこそ、たとえ帝のお下がりであることがわかっても、結ばれてからは
仕事(戦)を忘れるほど溺れてしまったと。 当時の世尊寺家は、公家としてはギリギリ堂上程度の家だが、それでも元が無位無官で
結局公卿にはなれなかった義貞から見れば、雲の上の存在だろう。 でもそんなに美しかったのかね
義貞とのロマンスも眉唾もの見たいだけど >>772
都を離れれない理由があったかもね
追討令出される不安があったとかw >>772
少なくとも大河版の勾当内侍は美しかった。
しかし大河版の流れだと
1. 義貞を振る(10年間思いを寄せている人がいるから)
2. 10年間思いを寄せていた後醍醐帝から義貞に戦の恩賞として送られる
3. 義貞を追って近江へ。ラブラブの二人。「あなた(義貞)様とお会いして、初めて人を愛する喜びを知りました」
1〜2は最初はあくまで後醍醐帝が本命で、義貞にはあまり好意は抱いておらず、いやいやながら恩賞として
義貞のところに来た様子だったのに、3だと最初から義貞のことが好きだったように見える。 太平記史観と史実は違うからな
太平記史観ではラブロマンス、史実では義貞を繋ぎ止めておくための道具でしょう
前に議論されてた新田が足利一門か否か。太平記史観では足利新田は同格、史実では足利一門でしょうな >>775
正しく訂正してやった
太平記史観と私観は違うからな
太平記史観ではラブロマンス、私観では義貞を繋ぎ止めておくための道具でしょう
前に議論されてた新田が足利一門か否か。太平記史観では足利新田は同格、
私観では足利一門でしょうな 楠木正成も北畠顕家も、新田義貞の野心を警戒していたという説があるが。 湊川の戦の後、
後醍醐天皇は評価の低い義貞を切り捨てようとした時、
多数の新田軍が後醍醐を取り囲んで弓刀で威嚇しながら、
泣き落とした話をあるからな。 >>781
「あずまえびす」なら一般的な表記は「東夷」では?
例の護良の令旨でもこの表記だったかと・・・。
それに東夷・南蛮・西戎・北狄というし、「戎」だと西のほうのイメージになるのでは? >>784
ドラマにはなかった場面だな。
坊門が罵倒した後でか 【マITLーヤ】 悪人に悲報、テレビ出演、大演説も
http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/hulu/1556774069/l50
株式市場の大暴落のあと、日本のテレビにも出演されます! >>789
確か出てた
1話分1シーンだけだった記憶 元弘3年は、また正慶2年でもあった。敵味方によって年号が違うのも異常なら、後醍醐帝が隠岐に配流という現実も、尋常の世とはいえない。眇たる小島は風濤激化、俄然、政争の焦点となった。
不死鳥の如き楠木正成は、またも天嶮の千早城に拠って、5万の軍勢を金縛りに悩ましつづけている。一方、去就を注目される足利高氏は、一族4千騎を率いて、不気味な西上を開始する。 >>791
確か、鎌倉幕府滅亡時の元号が「正慶」で、室町幕府滅亡時の元号が「天正」だから、
元号に「正」の字を用いるのは武家政権にとって不吉だという議論が、江戸時代の
「正徳」年間に起こるんだよな。 >>784
堀口貞満はこの場でも、
活躍していたな。 太田市はもっと脚光浴びてもいいと思う。
世良田、得川、新田、岩松、堀口に、
徳川家の本貫地。
東照宮も凄く歴史あります。 >>797
舟田義昌の城郭も太田市世良田町あるよ
見に来てね。 ちなみに世良田の被差別部落に
例の新田義貞に斬り捨てられた鎌倉の使者の慰霊碑だか墓だかがある。
新田伝説の闇を感じるな。 本当に食い詰めてたなら、そもそも鎌倉攻めに参陣するのも難しいんじゃないかなあ。 黒岩だっけ
チョイ役だったがなかなかいいキャラしてたわ あの徴税史は、立場の違いを利用して高圧的に納税を強要してる感じだけど
最期は刀での立ち合いを真っ向から受けて立ってるところが潔くてなかなか良い >>802
その利権が脅かされそうになるや両使を斬ったって話もあるよね >>805
生き残った1人は新田に幽閉されたけど
新田の親戚だから放免され
後に挙兵150人の中の1人として
新田軍に入った 新田ごときに舐められて逃げ帰ったとなれば死んだほうがましだったのだろ >>795
挙兵の夕方には
越後新田が合流して2000人に
越後新田って何物? >>809
それけそ堀口貞満は越後本貫でなかったっけ? >>811
堀口は代々
太田市です。
堀口氏館跡もあるよ
見に来てね。 プッw
逆切れして借金取りを斬り殺すとか新田最低だなw 越後新田党は戦国時代にも越後に生き残ってたらしいぜ 義貞の烏帽子親は高義だった!?
>足利氏惣領で「氏」を用いなかった足利高義の時代に元服したとみられる8代新田義貞の名に「氏」ではなく「義」の字が入っていることがこの事実を裏付けている。
婚姻関係と烏帽子親を通じた擬制的親子関係の結果、足利氏庶流と化していた新田氏本宗家の実態を的確に表したものであったといえる。
新田氏 - Wikiwand
http://www.wikiwand.com/ja/%E6%96%B0%E7%94%B0%E6%B0%8F 高義
って文字を見ると、どうしてもヒゲを生やしたフュージョンギタリストを連想してしまう(´・ω・`) 太田市役所職員以外に
新田を評価するヤツいないのかよw
根津もショーケンも草葉の陰で泣いているw ショーケンでは垢抜けすぎて義貞のイメージにはどうも合わない。
根津に代わって結果的によかったと思う。
それにショーケン義貞だと勾当内侍にDVしそうで怖いw >>820
根津さんの方が朴訥で実直な義貞像が見えるから
この交代劇は大正解だよね
ショーケンだとただの女好きになっちゃうw ショーケンか根津かって毎度言ってるよな。正直どっちでもいいわ大して変わらないし。これ言ってる人ってどっちかのファンなのかな。もう一度言うけどどっちでもドラマの流れに大した影響はないよ。 ショーケンは埼玉の北部出身なのでご当地キャストという意味合いもあったと思う。 最近見直したけど、義貞のラストシーン演出(尊氏との一騎討ち)
あれはあれで良いな >>822
>>822
当たり前だろ
尊氏真田が赤井や筒井道隆に変わっても
ドラマの流れに対した影響はない
がないが印象が全く違う
てか
お前はドラマ見るより小説でも読んでいれば
よい ショーケン義貞が出てくるたびに新田は足利と違って貧乏御家人と言うのが軽くツボ
コンプレックスもあるんだろうがいちいち恨みがましくて 代えてはいけない役
SS:尊氏、後醍醐、正成
S :直義、道誉、師直、右馬介、石、藤夜叉、登子、顕家、廉子、貞氏、高時、円喜、新田軍の伝令
A :その他
こうやってキャストをあげていくとやっぱり豪華だな出演者 北畠親房と坊門の
火花散るやり取りと
短いが凄い
高時、長崎、赤橋、金沢も
代えは効かない役者 最終回まで出てるキャラだと直義と道誉も代えがきかないね というかメインキャラクターで替えの効く人はほぼいないってことだよね
そう考えると奇跡のキャスティングだったんだな
ちなみに高時は鶴太郎の他にビートたけしも案に上がっていたとか
結果鶴太郎でよかったと思うけど 護良も代替え不可で
あの暑苦しさはなかなかだった
陣内道誉の高笑いも良かったがそれ以上だった これまで映画やドラマに数々登場した天皇の中で、大河太平記の後醍醐帝ほど
はまり切ったケースはほとんどないのでは。というか天皇がこれほどしゃべったり、
喜怒哀楽をはっきり出す描写が多いのもめずらしい。 北条時行は南朝に帰順して義貞の息子たちと行動を共にした。つまりこれは、義貞の鎌倉攻めが尊氏の命令であったことが周知の事実だったからだ。
やはり新田は間違いなく確実にガチのマジで足利の庶流で決まり
太平記史観から脱却せよ >>844
それだと、義貞の父朝氏が「氏」の字を捨てて朝兼に改名した理由が分からんな・・・。 側室上杉の子とはいえ、
家時の名前は
義も氏もないから
異質 家時は母が得宗じゃないから北条からも足利からも心象が悪いよな。罰として正室は北条庶流だし。 それに比べ尊氏の正室は得宗の次に高貴な赤橋家のお姫様だからな
ドラマでも円喜がそのことについて嫌味を言ってたな 尊氏も十分なめられてるけどな、母親が上杉だし。得宗以外の北条なんてどれも一緒だろ。義時ー高時の直系が重要なんだから >>850
ただ「家」は家時幼少期の家督代行者だった伯父家氏(斯波氏の祖)から、
「時」は得宗北条時宗からの偏諱ということで、由来は分かる。 >>851
家時の父頼氏以降、足利宗家の当主の正室はいずれも北条庶流の出身なんだが・・・。
頼氏正室・・・佐介時盛の娘
家時正室・・・常盤時茂の娘
貞氏正室・・・金沢顕時の娘
尊氏正室・・・赤橋久時の娘
むしろ家時正室の実家は、尊氏正室の実家と同じ極楽寺流の流れだから、
北条一族内での家格は高いほうでしょう? 直冬と高師冬の関係性が前から気になる
誰か知ってる? 貞氏は高義に家督を譲って高義が亡くなった後は死ぬまで尊氏に家督を譲らなかった。ハナから上杉の生んだ庶子など足利一党、北条与党からも認められなかったのだろう。
北条もそこを突き足利を排除しようとした。が、時勢が尊氏に味方し、北条の嫁を宛がわれることによって北条一門に取り込もうとした。 家時は側室上杉家を母とし
貞氏は正室北条家を母とし
尊氏は側室上杉家を母とし
貞氏が北条に反旗を翻さなかったのは
タイニングよりも北条への忠誠の意識が
強かったかもね。
高義が生きて源氏足利棟梁を次いでいたら、
日本はいろいろと今と違っていたかもね。 普通は高義が死んだら次に尊氏なり高義の子なりをたてて貞氏が後見するならわかるけど貞氏が元に戻ってるのよね。なにこの違和感は。やはりこの時代の足利家の運営は相当困難だったのではないかな。 尊氏も後醍醐と同じ時限付きだった説はどうだろう
北条ある限り、高義の子に譲らざるを得なかったとか だったら家時や貞氏の幼少期のように、幼くても高義の子を当主にするはず。
それに高義は母方を通じて安達泰盛の血を引くから、高義が長命だったとしても、足利が
得宗家に反旗を翻すことは、タイミングによっては、あり得たような気がするが。 >高義は母方を通じて安達泰盛の血を引くから
北条顕時と安達の?
意味不明なんだが。 >>868
高義母の両親は金沢顕時と安達泰盛娘だよ。
因みに貞顕の母は顕時の側室だから、貞顕は安達泰盛の血は引いていない。 むしろ高義に子がいるのに、幕府が尊氏の家督をすんなり認めたのは、安達泰盛の血を嫌ったのかも。
さらにいえば、金沢顕時も霜月騒動に連座して流罪の憂き目にあったりしている。
もっともドラマだと、顕時の子である貞顕は完全に得宗家と長崎親子のポチだが・・・w >>831
ワシは河内の生まれ育ちなんだけど、武田鉄也の正成は、今でも違和感がありますよ 私本太平記読んでると違和感ないけど、一般的なイメージだとまあなんか違うよね
忍の大蔵って一応出てくるんだな >>873
あるね。
当時の役者さんだと誰が演じたらよかったんだろうか? >>872
だから高義の子の母は白拍子だから
尊氏に家督認めたのは赤橋との関係後では
ないかい? 熱中症で42歳女性死亡、水戸 乗用車内
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6324735
エーテル界に蓄積された核放射能は、人間の構造に最も大きな害を与えます。
人間の免疫組織を破壊するので、通常なら影響を及ぼさないようなあらゆる病気に対して抵抗力をなくします。
宇宙船、UFOも同様にエーテル物質でできており、われわれが固体と呼ぶしっかりとした物質です。
非常に間もなくマITLーヤを、マITLーヤという名前で紹介されるのではありませんが、テレビで見るでしょう。
dcjupc/fda1nw.html >>873
武田鉄矢は違和感あるけど、赤井英和は違和感なかったのかよ?ええっ! 赤井英和はセリフは棒読みでも河内弁はばっちりだったろw
正季はパンチで敵を倒すキャラだったし、そちらも問題なし アホ正季は単独で尊氏を暗殺しようとして失敗し兄貴にめっちゃ怒られてたよなw ドラマの演出的には、あれはあれで自分も好きだったが
実際の戦闘の記録では素手で何人もなぎ倒したとか
有名なのはあるのかな。 相変わらず、低レベルで退屈な雑談をしているんだな
聞いた瞬間、股間がムズムズするような興味深い話の一つくらい出来んのか?
興味深い話の具体例とは?
三河の足利尊氏と三河の徳川家康は三河の安達盛長の血を引く
安達盛長→景盛→女子(松下禅尼)→足利頼氏→家時→貞氏→足利尊氏
安達盛長→女子→足助重朝→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康 >>876
むしろ尊氏を足利惣領家の後継者と認めたからこそ
北条一族内ナンバー2である赤橋の娘との婚姻を認めたという順番じゃね? 長崎円喜(尊氏誕生時にはすでに出家)、北条高時、金沢貞顕はどうして頭を丸めなかったんだろう? >>884
それを言ったら、高時と一緒に出家した道誉も。 画面が坊主だらけになるのを避けたんだろう
道蘊もいるしパッと見誰が誰だか分からなくなる >>882
とりあえず足利頼氏の母は松下禅尼ではないぞw >>875
西田のような主演クラスを除いた武田の同世代では、小林薫だと思いますよ
関西系の話言葉を話せて演技の上手く当時既に頭角を表した人ではね
正直、何やっても同じ演技の武田ならもう竜童や泉谷で良いやんwと思うほどですわ >>878
あれはネタ役だから気にならんよ
ミスターオクレと同じ扱い 今日中古書店で太平記のストーリー本を買ってきた
真田広之を取り囲む美女3人、沢口靖子、宮沢りえ、後藤久美子という豪華な表紙
まだ18歳にもなってないりえ、ゴクミがドラマの目玉だったわけで、当時すごい人気だったことがわかる 謎の退場となったモックンとギバちゃんがその後大成して
別の大河で主役と準主役になろうとは >>889
小林が主演だった
イキのいい奴に出てた
金山一彦益岡徹石田えりが
翔ぶが如く出てたから
あっちはオファーあったかも >>895
実はこの時代のラスボス僧侶の
夢窓疎石もいる >>888
ハイ、どうぞ
訂正
安達盛長(三河守護、三河国八名郡小野田か?)→景盛(三河守護か?)→女子(松下禅尼)→女子(足利泰氏室)→足利頼氏→家時→貞氏→足利尊氏
安達盛長(三河守護、三河国八名郡小野田か?)→女子→足助重朝(三河国加茂郡足助)→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康
追加補足説明
安達盛長(三河守護、三河国八名郡小野田か?)→女子(源範頼室)→源範円(三河国正法寺僧)
安達盛長(三河守護、三河国八名郡小野田か?)→景盛(三河守護か?)→義景→女子(長井時秀室)→女子(足利宗氏室)→斯波高経(三河国碧海郡地頭)→斯波義将 足利頼氏の生母(泰氏の正室)が松下禅尼の娘である根拠ってあるのかね?
頼氏の生母は北条時頼の妹(時氏の娘)とされるけど、時頼が1227年生まれで、
父親の時氏が1230年没。
そして時頼には確実に松下禅尼の子とされる弟妹が少なくとも2人(為時と檜皮姫)いる。
さらに頼氏の生母が時頼と同母の妹だとすると、この女性の生年は1228年以降だが、
しかし頼氏が1240年生まれであることを考えると親子としては年齢が詰まりすぎる。
よって頼氏の生母は、時頼の妹という通説が正しいのなら、
時頼と同年くらいに生まれた異母妹と考えるのが妥当だろう。 足利頼氏の死って謎が多いんだよな。
かなり文武において優秀だったらしいが
二月騒動の北条時輔や安達泰盛との関係も
考えると幕府に暗殺されたかもしれない。
ちなみに足利頼氏の母が松下禅尼も安達盛長も出目が三河も論外
恥ずかしいヤツだ 初太平記がこの大河ドラマだったせいか楠木正成のイメージは武田鉄矢で定着してしまってる
つかなかなかイメージ掴みにくい尊氏の真田広之で文句なしにハマってるしこのドラマのキャスティングはずれがなくて好き >>902
その後、この時代モノがほとんどなかったからな
それを覆すライバルが現れてないから 野口か元木だか忘れたが、安達盛長の出自は三河ではないかと書いていたな >>896
このドラマでの出演頻度に応じての三大だ。夢想疎石は一度ちょこっと出ただけだろ >>891
それヤフオクでプチプレミア価格で買った。
当時の収録現場の熱気が伝わってきて良いよね ショーケンが笑顔で撮影してる写真が泣ける>ガイドブック
あと自分は前半のシナリオが載ってる学研のガイド本みたいなのも買った
分厚いけどほとんど本当にシナリオで間にメイン役者陣や
スタッフのインタビューが白黒で載ってる >>896
>>905
夢窓疎石と直義の問答集は傑作。
父親は佐々木家で母は北条。
後醍醐にも得宗家にも足利家にも慕われた、
策略家で観応の擾乱の調停役。
夢窓疎石でドラマが創れる。 夢窓疎石はこの時代のフィクサーだが大河ドラマの主役には向かないな むしろ弟子の春屋妙葩の方が
細川頼之にケンカ売ったりしてある意味武闘派に見えるし
ドラマにしやすいかもしれん(´・ω・`) >>909
あれいいよね
皆いろいろ夢見て合戦に参加してきたけど
足利の目に留まったごく一部以外はだいたい死に損じゃねえかどうなってんだとか
そういうの平然と載せてるのが夢窓疎石や直義、そしてこの時代の偉さだと思う 規律厳しい臨済宗の夢窓疎石と
性交乱交三昧の立川真言宗の文観って
面識あったのかな?
あったら面白そう >>909
大河だと宗教家を主人公にするのはNGだけどね。 後醍醐流刑の後、直義が「西園寺には挨拶しといた方がいい」って言うのはどんな意図の演出だったの?
本人達が劇内で言ってるように、単に大人になったことの表現? >>916
宗派の開祖に当たる僧侶を単にドラマに登場させるのですら微妙だからね。
時宗の日蓮とかもその表現は脚本からしたらヒヤヒヤものだったろう。
空海はしてもらいたい大河主人公で名前が挙がるが、恐らく無理。 >>917が聞きたいことは、そういうことではないような・・・? 西園寺家って歴代の大覚寺統、持明院統どちらにも中宮を入れている。もちろん後醍醐の中宮も西園寺の姫(礼成門院)。廉子はその高貴な姫についてきた家格の低いただのパシリ。
後醍醐と西園寺姫の間に生まれた姫(宣政門院)は光厳の嫁になってる。後醍醐的には姻戚関係で大覚寺統持明院統を合一したかったのだろうか?光厳と後醍醐姫との間に男子が生まれていれば?
ちなみに、例のアレの時の広義門院は西園寺の姫で光厳の母親 >>917
普通に直義も少し世間のことが分かるようになったというだけの演出な気がするよ
それまではただ喚く直情径行なキャラだったからあの辺で徐々に変化しとかないと
ゆくゆくは尊氏と並び立つ権力者になるんだし
あとは西園寺卿を説明する役回りが欲しかったとかw >>923
それまでの流れだと、高氏の話を聞いた直義が憤って、高氏が諌めるのが自然かな、と
おっしゃる通りの説明要素に、高氏直義双方の気持ちの変化を描写したと捉えておきます >>922
それをいうのなら、両統分裂の大元である後深草・亀山の生母も西園寺だし、その後に
両統迭立という流れを作ったのも、そもそも西園寺だからなぁ。 西園寺は策を弄しすぎて建武の新政では速攻で干されていたな
そして後醍醐暗殺事件に発展すると 尊氏ってさ、戦前は逆賊とかいわれてたけど、客観的にみても逆賊だよね。南朝に降伏して北朝を蔑ろにしてるし。あほ息子は北朝の治天を拉致られる大失態を犯してるし。
まあ何が言いたいのかというと、北山殿の治世は完璧だったよねって事。無能二代の尻拭いをよくぞやり遂げたと。 >>926
だって西園寺の関東申次という地位は、鎌倉幕府あってのものだからな。
そりゃ幕府そのものをなくしてしまった後醍醐に恨みを持っても仕方ないよ。 そういや西園寺公宗が捕まった時、共犯者の高時の弟は上手いこと逃げおおせたんだよな どうみても、源頼朝縁者かつ三河国の知行国主になるのが重要なようですな
幕府あってのものとか、間抜けレス乙
関東申次
吉田経房(三河国知行国主)
坊門信清(源実朝正室の父)
西園寺公経(母は一条全子(坊門姫の娘)、将軍九条頼経外祖父)
近衛家実
九条道家(祖父は九条兼実(三河国知行国主)、将軍九条頼経実父)
近衛兼経(道家の娘婿、道家の補佐役)
一条実経(道家の子、九条頼経の弟、道家の補佐役)
西園寺実氏(公経の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、実氏の孫、先に病死した父・公相に代わる)
西園寺公衡(実兼の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、公衡病死に伴い、復職)
西園寺実衡(三河国知行国主、実兼の孫、公衡の子) >>928
足利義満もぜひ大河でと思っているけれど、南北朝プラス皇位簒奪というタブーに触れるから
今のNHKが手を出すことはまずないな。 >>931
で、三河屋さん、足利頼氏生母は松下禅尼の娘なのですか? >>932
義満の皇位簒奪説なんて今時まともな研究者レベルで支持する人いるんですかね? なんか何代も遡ればご先祖さまなんて無数にいるから
誰でも三河に繋がるんじゃね?って考えは間違ってますかね
三河屋さんがお嫌いな尾張屋さん出てこないかな(笑) 本屋にゴルゴ13の作者が描いた太平記の漫画があった。ちょっと拝見してみたら文観が鞭でリンチされてたw 藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女(由良御前)→源頼朝(初代鎌倉将軍)→頼家、実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→頼氏→家時→貞氏→尊氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女(由良御前)→女(坊門姫)→女(一条全子)→西園寺公経→実氏→公相→実兼→公衛→実衛→公宗 >>933
何処にそんなレスが?
898 日曜8時の名無しさん 2019/05/29(水) 00:55:30.77 ID:NNXyFFMo
>>888
ハイ、どうぞ
訂正
安達盛長(三河守護、三河国八名郡小野田か?)→景盛(三河守護か?)→女子(松下禅尼)→女子(足利泰氏室)→足利頼氏→家時→貞氏→足利尊氏
安達盛長(三河守護、三河国八名郡小野田か?)→女子→足助重朝(三河国加茂郡足助)→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康
追加補足説明
安達盛長(三河守護、三河国八名郡小野田か?)→女子(源範頼室)→源範円(三河国正法寺僧)
安達盛長(三河守護、三河国八名郡小野田か?)→景盛(三河守護か?)→義景→女子(長井時秀室)→女子(足利宗氏室)→斯波高経(三河国碧海郡地頭)→斯波義将 いまDVD完全版見てるんだけど、これの後花の乱は楽しめるかな? >>939
花の乱は幽玄チックな世界観とか日野富子が入れ替わりだとか
独特の作風だけど個人的には好きだし面白いと思うよ
ちなみに花の乱では京極がチョイ役すぎて道誉ファンとしてはショックも
まあ京極家は度重なる跡目騒動で没落しちゃうから仕方ないんだけど 花の乱は室町中期が舞台と言われるけど富子が亡くなった翌年には
毛利元就が生まれてるんだよな
一応最後にも信長が上洛するのが72年後と出てくるからそんなもんなんだろうが
確かに元就に足利義稙出てきたわ 草刈正雄の日野勝光の最期が印象的だったなw
あとお前が死ねばよかったって京マチ子に言われる
団十郎御所様 ありがとうございます
安い買い物ではないので少し考えるけど、悪くは無さそうですね >>934
だな
30年前じゃあるまいし
それと尊氏の逆賊説も
同様 五十数回ある大河ドラマの中でも室町時代が2回しかないのも尋常じゃない >>938
やっぱり頼氏生母(泰氏正室)が松下禅尼の娘って書いてるじゃんw >>947
何がじゃんだよw
岡崎市の引きこもりジジィの分際でw
三河屋必死だがはオナって自爆するのも
いい加減にしろよ
そういう
小賢しい処が三河屋丸出しw 戦国時代大河だけでも特に関東東海近畿を
絡めた題材ばかりで食傷気味どころか、
更に輪をかけて粗悪な脚本と配役しか
されないもんだから…ついには幕末まで
噴飯ものの粗悪品が流れまじめた。 懐良親王が主役で 「征西将軍府」
直冬も少弐も菊池も一色も今川も出せる舞台は京〜四国〜九州 ラスボス今川了俊てのはいいね
菊地メインにすると倒幕・箱根竹之下・湊川まで終わってやっと第一部完
筑後川合戦がピークの第二部で九州制圧
第三部は炎立つみたいな感じだ
このイベントの多さよ 義満の前に日本国王になった「良懐」さん(´・ω・`) 毛利元就があるけど、厳島が一瞬で終わってたような記憶
陣内さんが砂浜で斬られてたような 元就は
亀、二郎、妙が余計だったとよく言われる
ちなみに厳島では陣内演じる晴賢が二郎と相討ち >>950-952の
関東東海近畿が絡まない
西日本がメイン
の流れ >>957
だな
せめて毛利師親の話をしないと
いけない 最後の室町将軍足利義昭を主役に
信長から秀吉の治世まで激動の時代を
密書乱発を交えて描くストーリテラー 義昭って足利将軍の中で歴代の大河ドラマに一番出演してるよなw
ぱっと思いつくので和泉元彌、吹越満、三谷幸喜w あと秀吉の玉置浩二なw
市川団蔵、青山裕一、伊丹十三も演じてるな 上皇ご夫妻「親謁の儀」で初披露された「上皇旗」…「天皇旗」と一体どこが違う? - FNN.jpプライムオンライン
https://sp.fnn.jp/posts/00046670HDK
こ、これは、「錦の御旗」と見て間違いないな
治罰の院宣が下される日も近い 出演つっても、尊氏と判官殿の会話で名前が出てきたというだけだからなあ 実際のところ、尊氏が義詮に
孫の名は義満にしろと言ったわけでも
ないだろうしなぁ。 まああれはリップサービスみたいなもんだわな
知名度の高い義満の名前を出すのと判官に後を託すことで
先を暗示してる訳で
ちなみに尊氏に終生の友と言われてかなわんな!と判官が返すところが好き 太平記も最初期待されてなかったよな足利尊氏好きな奴は見たことない 日本国王准三后源道義だぞ
尊氏ごとき無能とは格が違うからな >>971
中学二の時の大河が「風雲虹」で、社会の先生が将門を主人公にしたことにしきりに感心していた。
足利尊氏も一般的には朝廷に逆らった悪人的なカンジだったけど、この作品でそんな印象はすっ飛んだ。
この時期のNHKはいい番組づくりしてたな。 >>970
>ちなみに尊氏に終生の友と言われてかなわんな!と判官が返すところが好き
判官殿が明らかにグッと来ているところとか、堪らんね >972 臣源だな
いっそドラマの題名を「臣 源」とすれば面白い。ネット上で色々ファビヨッて炎上する。 >>971
でもゴクミ、りえ、沢口靖子、陣内、柳葉など、当時大人気のアイドル女優やトレンディ俳優が
いろいろ出ていたから、ミーハー的な注目度はそれなりに高かった。
あとやっぱり、初めて南北朝時代を取り上げるということで、歴史好きも注目はしていた。 >>971
足利市民は大好き
この大河で逆賊足利氏の汚名が
晴れると歓喜したものだ >>978
今の大河ならこの人たち
初回から登場させそうだけど
緒方拳の演技で魅せるからな >>978
当時をよく知らないんだけど、護良親王と勾当内侍あたりも話題性優先キャスト? 当時の堤大二郎にさほどの話題性があったとは思わないが、日本のドラマの場合ほとんどオーディションが行われることはないから、事務所からの推薦だろうなあ。 堤大二郎は当時若手としては民放の時代劇によく出てたから別に違和感はなかったけどな 堤といえば日テレのユニオン映画製作の年末時代劇だな
ほとんど出ていた記憶がある
護良は最初やたら舞台じみたハイテンションの演技で面食らったが
そのおかげで尊氏と最後対面した時にしんみりと負けたくなかったと思いを語るシーンが
素晴らしかった 「臣源(しんみなもと」 義満を徹底的に褒め上げる内容。
冒頭に皇帝が諡を送ることを決めて使者が発する場面を毎回入れる。
コッペパーン風のファンファーレと共に大きな字で「臣」を映して少し間をとって「源」と。
そのあとにテーマ音楽。 >>949
何が三河がクズだよ
尾張のカス
お前次スレたてろよ >>948
三河屋を完膚なきまでに論破しているレスを三河屋認定してどうする? 堤大二郎と田中実がよくごっちゃになる。
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